◆ H08.02.22 大阪地裁判決 平成3年(ワ)第8943号 大阪府立東淀川高校卒業式日の丸掲揚妨害処分事件(損害賠償等請求事件) 判示事項: 公立高校の卒業式及び入学式に校長が日の丸を掲揚しようとしたことに反対し、これを妨害する等の行為をしたことを理由に教育長から訓告の制裁を受けた教職員が損害賠償を求めた事案において、校長のした日の丸掲揚行為及び教育長のした処分に違法性が認められないとされた事例     主   文 一 原告両名の請求をいずれも棄却する。 二 訴訟費用は原告両名の負担とする。     理   由 第一 請求 一 被告大阪府は原告両名に対し、各二〇〇万円及びこれに対する平成三年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 二 被告乙山次男(以下「被告乙山」上いう。)は、被告大阪府と連帯して、原告両名に対し、前項の金員のうち各一〇〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 事案の概要  本件は、大阪府立東淀川高等学校(以下「東淀川高校」という。)の教諭である原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)及び実習助手である原告甲野春子(以下「原告春子」という。)らが、平成三年二月二七日に施行された同高校の平成二年度卒業式当日、同校玄関前のポールに日の丸を掲揚しようとした同校長の被告乙山の行為を妨害し、また、平成三年四月八日に行われた同年度の同校入学式当日に右ポールに掲揚された日の丸を引き下ろす等の行為をしたとして、訓告(以下「本件訓告」という。)を受けたが、被告乙山のした日の丸掲揚行為及び大阪府教育委員会(教育長)(以下「府教委」、「教育長」という。)がした右訓告処分がそれぞれ違法であるとして、民法七〇九条、国家賠償法一条に基づき、被告両名に対し、慰藉料請求をしているものである。 一 原告らの主張の概要 1 原告両名は、平成三年七月二六日、前記のとおり、教育長から、別紙のとおりの内容の本件訓告処分を受けた(争いがない。)。 2 日の丸は、戦前、国旗として、皇国天皇を象徴し、天皇制ファシズムによる侵略戦争に最大限に利用されてきた歴史があり、敗戦後の主権在民、民主主義、平和主義の現憲法の基本原理と相容れないものであるにもかかわらず、昭和三三年以降、文部省を初めとして、日の丸を国旗として掲揚することを強要する動きが強まり、今日に至っている。もちろん、日の丸を国旗とする法律上の根拠は全くなく、平成二年四月一日に施行された文部大臣による高等学校学習指導要領(以下「学習指導要領」という。)第3章第3の3の国旗掲揚指導条項も法的拘束力のないものであるから、被告乙山には、職務として、国旗としての日の丸を掲揚する権限はない。 3 原告らのした日の丸掲揚反対行為は、東淀川高校の職員会議の決定によるものである。すなわち、学校運営は、その目標を実現するために教師集団の集団的自律を不可欠としており、これを保障するため、教育条理上、決議機関としての職員会議が必要となるのであり、判例も、学校長は職員会議の決定に違反したり、これを無視することはできないとしているのであって、被告乙山の日の丸掲揚行為は、右職員会議の決定に違反する違法なものである。 4 原告らのした日の丸掲揚反対行為は、右のとおり、職員会議の決定に基づく、教職員の職務として行った適法、正当な行為であり、しかも、日の丸掲揚を強制し、これに反対することを処分をもって押さえ付けるのは、思想、良心の自由及び表現の自由を侵害するもので、憲法違反である。憲法が保障している思想良心の自由は、単に沈黙の自由を保障するにとどまらず、自己の思想良心に反する行為やこれを侵害する行為を強制されないことも含むものである。したがって、学習指導要領が掲揚を求めている日の丸が「日本人としての自覚」「学校、社会、国家など集団への所属感」「国旗を尊重すべきもの、敬うべきもの」との思想伝達の象徴とされている以上、何人も右思想伝達の方法として日の丸が用いられている場への出席を強要されないことも憲法は保障しているというべきである。  また、原告らの行為は、原告らが所属する大阪教育合同労働組合(以下「教育合同」という。)の組合決定によるものであり、本件訓告は、地方公務貝法五六条に違反した「不利益制裁」に当たるほか、労働組合法七条にも違反する違法なものであり、いずれにしても本件訓告が違憲・違法であることは明らかである。 5 被告らが主張する卒業式・入学式における日の丸掲揚反対行為は、東淀川高校の多数の教職員によりなされたものであるにもかかわらず、本件訓告は、原告らのみが右行為者である等とした、被告乙山の府教委に対する誤った報告を基にしてなされた不平等な処分である。また、原告春子は、卒業式当日、年次休暇(前半休)を取っていて業務命令に従う必要がなかったにもかかわらず、被告乙山は府教委に対し、同原告が業務中であったと事実を偽る報告をしている。 6 よって、原告両名は、被告乙山に対しては、同被告のした日の丸掲揚行為が違法であるから民法七〇九条に基づき慰藉料として各一〇〇万円、また、被告大阪府に対しては、教育長のした本件訓告が違法であり、被告乙山及び教育長の各行為はいずれも公権力の行使に当たるから国家賠償法一条に基づき、慰藉料として、日の丸掲揚につき被告乙山と連帯して各一〇〇万円、本件訓告につき各一〇〇万円及び右各金員に対する本件訴状が被告両名に送達された日の翌日である平成三年一二月二二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。 二 被告らの主張の概要 1 被告乙山のした日の丸掲揚行為は、学習指導要領に基づく、適法な職務行為であり(学校教育法二八条三項、五一条参照)、原告両名は校長である被告乙山の監督の下で職務を遂行するものであって、地方公務員法三二条に基づき、上司の職務上の命令に従うベき義務がある。したがって、校長である被告乙山が学習指導要領に基づき、府教委の通知に従い、法律に定める権限により行った国旗の掲揚を妨害することはいかなる意味においても「正当な職務の執行」や地方公務員法五六条の「正当な行為」に当たらず、また、右行為を理由とする本件訓告が労働組合法七条の不当労働行為にも当たらないことは明白である(教育合同は、地方公務員法上の登録職員団体であり、労働組合法上の労働組合ではないが)。なお、学習指導要領に法的拘束力のあることは、最高裁の学テ判決や伝習館高校事件判決でも認められているところである。ちなみに、「訓告」は、職員の義務違反について、当該職員に対して指揮監督の権限を有する上級の職員が、当該職員の職務履行の改善向上に資するため制裁的実質を伴わない措置として行われるものである。 2 日の丸の掲揚は、右のとおり、学習指導要領によるものであるが、これは同解説にもあるように「日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、生徒が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくために・・・」行うこととされたのである。もちろん、学習指導要領は、教師に対して学校教育において国旗・国歌の指導をすることを求めているが、生徒の行為そのものを直接規制の対象としておらず、また、礼拝・忠誠の誓いというような個人の信条に係る行為を強制するものでもない。 3 日の丸については、これを国旗として一般的に定めた規定はないが(ただし、郵船商船規則(明治三年太政官布告第五七号)は、船舶に掲げるべき国旗として日の丸を定めているが、この規定は現在も現行法として存在している。)、長年の慣行により、これが日本の国旗であることは、世界各国で公認されているのみならず、国内でも広く国民の間に定着しており、政府も再三この旨見解を表明しており、裁判例もまたこの立場を採っている。 4 原告らは、被告乙山の行為は職員会議の決定に違反すると主張するが、職員会議は法令上も明文の規定がなく、これには校務運営を決定する権限はなく、校長も職務を遂行するに当たり、職員会議の決議に拘束されるものではない。なお、国旗掲揚は、学習指導要領に定められているものであって、多数決によって決定されるべきものではなく、そもそも「議決」の主題とならない性質のものである。 三 争点  東淀川高校の卒業式や入学式における日の丸の掲揚や本件訓告は、原告らの権利を侵害する違法な行為か。すなわち、 1 被告乙山の日の丸の掲揚は適法な職務行為か。(学習指導要領には法的拘束力があるか。日の丸は日本の国旗か。被告乙山は職員会議の決定に拘束されるか。) 2 日の丸の掲揚や本件訓告は原告らの思想・良心の自由を侵害するか。 3 本件訓告には、その前提事実に事実誤認があるか。また、裁量権の逸脱・濫用があるか。右訓告は地方公務員法や労働組合法に違反していないか。 第三 判断 一 甲第七三号証の一ないし三、第七六号証の一、二、第七八、第七九号証、第八〇号証の一、二、八一号証、第八六号証、第九六号証の一ないし三、第九七号証の一ないし五、第九八号証、第九九号証の一ないし五、第一〇〇号証の一、二、第一〇一号証、第一一七号証、第一二〇号証、乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第七号証、第九号証、第一〇号証の一ないし四、第一一、第一二号証、証人谷口廣司の証言、原告両名及び被告乙山の各本人尋問の結果並びに当事者間に争いがない事実、さらに弁論の全趣旨によれば、以下の各事実を認めることができる。 1 東淀川高校は、昭和三〇年に設立された、生徒数約一三〇〇名、教諭、実習助手、事務職員、技術職員等教職員約八五名を擁する大阪府立の普通科高校であり、かつて昭和四〇年ごろには、後記のとおりの当時の学習指導要領や府教委からの指示・指導もあり、卒業式等の式典行事の際のみならず、連日、日の丸を玄関前のポールに掲揚する扱いがされていたこともあったが、昭和四五年ごろ、全国的規模の学園民主化運動が東淀川高校にも波及して起きた学園紛争を契機として、昭和四五年三月の同校職員会議で学校行事・儀式に日の丸・君が代は一切持ち込まないとの決議がなされ、その後は卒業式等でも日の丸の掲揚は全くされることがないままに経過してきた。 2 被告乙山は、昭和六二年四月から東淀川高校の教頭の職にあったが、当時の校長も日の丸の掲揚には積極的ではなく、従来からのやり方を踏襲して、日の丸掲揚をしなかったところ、平成二年四月一日付けをもって、被告乙山が同高校の校長に就任した。  ところで、平成元年三月、文部大臣により学習指導要領の改正告示(文部省告示第二六号)があり(施行期日平成六年四月一日)、国旗、国歌についての従来からの条項(第3章第3の3)である「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、生徒に対して、これらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、君が代を斉唱させることが望ましいこと。」が「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」(以下、右国旗掲揚に関する部分については「本件国旗掲揚条項」という。)に改められ、右条項については、特に平成二年四月一日から施行されることになり、これに伴い、府教委においても、説明会等により、大阪府立高校の校長に対して新学習指導要領の趣旨の徹底を図ってきたところであった。  そこで、東淀川高校の新校長に就任した被告乙山は、右学習指導要領に従い、東淀川高校においても、日の丸の掲揚に関しての従来のやり方を改めることにし、とりあえず、就任早々の同月七日の職員会議において、同月八日の平成二年度入学式には日の丸を国旗として掲揚したいとして、その協力を求めたが、出席者六三名中五八名に反対されたため、性急強引に自分の意思を通すのは適当ではないと判断して、右入学式当日の日の丸掲揚は断念したものの、今後とも日の丸を掲揚することについて教職員の説得を続けることにした。 3 東淀川高校では、職員会議は校長を含む教職員のうち技術職員を除く全員により構成されていたが、日の丸については、明治以降の歴史的沿革から、これが皇国思想に基づく天皇制、民族差別、侵略戦争の象徴であり、これを掲揚することは、在日韓国・朝鮮人生徒の心情を傷つけ、同校の基本方針である同和教育のあり方とも相容れないとして、拒絶反応を示す教職員が多く、前記の昭和四五年の口の丸を掲揚しないとの決議がその後改められたことはなかった。そして、原告両名が加入している教育合同も、平成二年一一月一二日の即位の礼当日には国旗を掲揚することとの文部省の指示に反対する行動を起こしていたが、被告乙山は、右即位の礼当日には、文部省や府教委の指示に従って、日の丸を掲揚することにし、同月一日に開かれた職員会議の席上でも、その旨言明し、五五名中四四名の反対があったにもかかわらず、当日、東淀川高校の玄関前のポールに日の丸を掲揚した。しかし、これに反対する教員数名からの抗議があり、これに生徒までが巻き込まれる事態となったため、同被告もいったん掲揚した日の丸を下ろすのやむなきに至ったが、このように被告乙山が日の丸の掲揚について従来からの同校における扱いを破る意向を打ち出していたため、原告らは同被告に強い反発を感じていた。 4 被告乙山は、平成三年二月一七日に予定されていた東淀川高校の平成二年度卒業式には、日の丸を掲揚するつもりでおり、そのため、平成二年一一月二〇日の卒業式委員会や同月二九日及び平成三年二月二五日の職員会議でも、反対の声が出てはいたものの、あえて右掲揚する旨を宣言した。  そして、卒業式前日の二月二六日には、原告らが加入する教育合同から被告乙山に対して、当日には日の丸の掲揚をするなとの申入れがあり、卒業式当日、日の丸の掲揚を巡る紛争が起こることも予想されたので、府教委では指導主事を同校に派遣してこれに対処することにした。  さて、右二月二七日当日、被告乙山が午前七時三〇分ごろ出勤したところ、既に、日の丸掲揚に反対する一〇名ぐらいの教職員が玄関前のポール付近に待機しており、やがて午前九時ごろには、正門付近に一〇数本の組合旗を押し立てて、教育合同の組合員ら部外者約五〇名も参集して、拡声器で演説をするなどして気勢を上げていた。そして、午前九時一五分ごろ、被告乙山、教頭及び事務長の三人が日の丸掲揚のため右ポールに向かおうとしたところ、右反対者らが校内になだれ込み、ポールのある植え込みの周囲を取り囲み、罵声を浴びせる等して同被告らが近付くのを妨害し、特に原告春子とA教諭(以下「A教諭」という。)はポールに身体を密着させ、又はこれを抱え込む等して、同被告らが掲揚するためにロープに日の丸旗を結び付けることすらできないようにし、部外者は校外へ退去し、教員は職務に就くようにとの同被告らの指示にも従わず、収拾がつかない状態になった。そこで、午前九時三〇分ごろ、同被告は、「職務について下さい。校長」「卒業式関係者以外の立ち入りを禁止する。校長」と記載した紙片を頭上に掲げて、右参集者の解散を命じた(以上を「第一事件」という。)。  被告乙山は、同年三月上旬、府教委に右当日の出来事を記載した報告書を提出し、府教委も同年四月三日に原告春子とA教諭から事情を聴取することにしたが、同人らの拒否により、これは不能のままとなった。 5 その後も、被告乙山は、平成三年度の入学式(同年四月八日の午後に行われる予定。なお、同日午前は始業式の予定だった。)当日には、日の丸の掲揚をするとの意思を変えず、職員会議でもその旨を言明してきたが、職員会議の意向は、前記平成二年四月七日に確認されたとおり、従前と同様、日の丸の掲揚に反対する者が大勢を占めていた。  しかし、被告乙山は、これを押して、入学式当日である平成三年四月八日午前一〇時三〇分ごろ、教頭、事務長と共に、東淀川高校玄関前のポールに日の丸を掲揚したところ、有志の求めにより、同日午前一一時三〇分ごろ、これを議題とする緊急の臨時職員会議が開かれ、同被告の拒否にもかかわらず、右掲揚した日の丸を下ろすことが多数決で決議された。そして、正午ごろ右職員会議が終了した時点では、既に右日の丸は下ろされており、教職員三、四名が旗を校長室に持参して来た。そこで、被告乙山は、直ちに再び日の丸を掲揚したが、数分後にはまたもやこれが下ろされ、原告両名ら三、四名が旗を校長室に返しに来た。同被告は、午後○時二〇分ごろ、教頭と共に、三度目の日の丸の掲揚をしたが、これまた、その直後に原告両名が事務長のいる面前で日の丸を下ろして、被告乙山が校長室に戻る前に、同被告にこれを返却しに来た。このような度重なる妨害にもかかわらず、午後○時五五分ごろ、被告乙山は、教頭と四度目の日の丸掲揚をしたのであるが、その場にいた原告両名により、これは直ちに引き下ろされた。その場には、被告乙山、教頭のほかにPTA会長らもいて、原告両名の右行為を現認していた(以上を「第二事件」という。)。  被告乙山は、当日の四回にわたる日の丸の引き下ろし経過について、同年五月下旬ごろに事実を記載した報告書を府教委に提出し、同教育委員会も関係者とみられる原告ら八名の同校の教職員から事情を聴取することにしたが、同人らはこれに応じることを拒否した。 6 府教委では、被告乙山の報告書や同被告らから聴取した事実等を資料として、第一、第二事件について検討した結果、第一事件については、A教諭と原告春子が実力で被告乙山の日の丸掲揚行為を阻止したものと認定し、第二事件については、これに関係したと見られる東淀川高校の教職員八名中、具体的な行動が認定できるのは原告両名のみであると判断したが、右関係者は職員会議の決議に従って右行動に出たのであり、これの全責任を右行為者に負わせるのは問題があり、また、第一事件については、右二名以外の者は単に被告乙山の前に立ちはだかる行為をしたにすぎないとして不問に付すことにし、原告両名及びA教諭を、校長の職務を妨害したことにより公務貝の信用を著しく傷つけたとして、「文書訓告」の措置を講じることにし、平成三年七月二六日、教育長が右三名に対して本件訓告を行った。  なお、右訓告というのは、いわゆる懲戒処分ではなく、職員が職務上の義務に違反した場合、これに対し指揮監督の権限を有する上級の職員が当該職員の職務の履行の改善、向上に資するため制裁的実質を伴わない服務上の措置として行われるものであり、これには「文書訓告」と「厳重注意」の二つがあるが、第一、第二事件については、原告らの行為態様は職務違反の程度が重く、「厳重注意」では不十分として、「文書訓告」が相当と判断されたのであった。 7 原告一郎は、教諭として、平成元年四月から東淀川高校に勤務し、教科として国語を担当している者であり、原告春子は、実習助手(化学・家庭・図書)として、昭和六〇年四月から同高校に勤務している者であるが、いずれも平成元年に結成された教育合同に加入しており、原告春子は現在その副委員長を務めている。  なお、平成三年に行われた卒業式・入学式で日の丸を掲揚しなかった大阪府立高校は一〇パーセント弱であったが、府教委では、これらの学校の校長に対しては、処分をするのではなく、説得・指導を続けることにより、同教育委員会の指示に従わせる方針で臨んできており、その後、平成五年に行われた大阪市内の公立高校二五校の卒業式・入学式では、全校において日の丸が掲揚されるに至った。東淀川高校においても、平成三年に起きた第一、第二事件以降は、卒業式・入学式において日の丸の掲揚が行われてきているが、特にこれにより本件のような混乱紛争を生じたことはない。ちなみに、前記のとおり、学習指導要領では、国旗の掲揚と共に国歌の斉唱をすることがうたわれているが、被告乙山は、国歌については、まず国旗である日の丸掲揚を制度として確立させることが先決であると考えていたため、同校の教職員に対しても、国歌斉唱までをすると言明したことはなく、第一、第二事件当時、大阪府下の府立高校でも国歌の斉唱をしていた学校はなかった。 二 そこで、一において認定した事実関係に基づき、被告乙山のした日の丸掲揚及び本件訓告の適否について判断する。 1 被告乙山の日の丸掲揚行為の適法性について (一)学習指導要領について  学習指導要領は、学校教育法四三条、一〇六条一項、同法施行規則五七条の二に基づき、文部大臣が告示により、高等学校教育の内容及び方法についての基準として定めることとされているものであるが、甲第六一号証、乙第一○号証の一ないし四、第一一ないし第一三号証、前掲谷口証言、被告乙山の本人供述及び弁論の全趣旨によれば、本件国旗掲揚条項は、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、生徒が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくためには、国旗に対して正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てることが重要であり、また、学校における入学式や卒業式は、学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活への展開への動機付けを行い、学校、社会、国家など集団への所属感を深める上でよい機会となるものであるから、これらの学校行事式典において、国旗を掲揚するよう指導することとして設けられたものであることが認められる。  日本は、過去において、一部の偏狭な思想による専制的な支配や戦争による惨禍に苦しんだ経験があり、また、人材のほかには特別の資源とて乏しい国であるため、将来共に世界の国々と協調し、その中で世界の自由と平和の維持、発展に貢献しつつ、併せて自国の繁栄と安全を図って行かなければならない立場にあるが、右目的実現のために必要となるのは、母国を愛し、母国への誇りを持つことであり、また、国際社会において、世界の人々から信頼され、尊敬を受けることである。そして、学習指導要領に係る国旗について見れば、もし国の象徴である国旗に対して、これを尊重しないような態度行動をとるならば、国際社会において、日本人は母国愛も母国への誇りもない国民とも見られかねず、このような国民や国に対して、果して世界の人々が信頼と尊敬を寄せてくれるかは甚だ疑問というべきであろう。ちなみに、現在、世界において国旗のない国はなく、また、国際社会においては、その歴史的沿革がいかなるものであろうとも、自国のものであれ、他国のものであれ、国旗は尊重されるべきものであるとの共通の認識が存在していることも周知の事実である。この意味において、学習指導要領の右条項は、明日の日本を担うべき高校生に対する教育指導方針としては非難されるべきところはなく、有意義かつ当然のことを示しているということができる。  ところで、国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立し、実施する者として、子ども自身の利益の擁護のため、又は子どもの成長に対する社会公共の利益と関心に応えるため、必要かつ相当と認められる範囲において、子どもの教育内容を決定する権能を有しているのであり、本件国旗掲揚条項も、これに基づき、学習指導要領の中で設けられたものである。そして、右条項は、学習指導要領の第3章(特別活動)において、ホームルーム活動、クラブ活動等に関する条項と共に規定されているのであるが、これらの活動や行事は、「望ましい集団活動を通して、心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り、集団の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるとともに、人間としての在り方生き方についての自覚を深め、自己を生かす能力を養う。」ことを目標とするものであるとされており(右第3章第1参照)、学習指導要領の中では、倫理・道徳ないし社会・公民教育の一つとして、本件国旗掲揚条項も取り上げられていると解されるのであって、前記の右条項の意義・目的とも照らすと、右国旗掲揚条項は、教育の内容、方法に関するものではあるが、その内容は、許容される目的のために、法令に適合した、必要かつ合理的なものというべきであり、少なくとも学校教育法四三条、同法施行規則五七条の二に定められた委任の範囲を超えているものと認めることはできない。また、本件国旗掲揚条項の文言は、前記のとおり「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国家を斉唱するよう指導するものとする。」となっていて、「・・・指導しなければならない。」等、より強い拘束性や強制力を伴うような表現が使用されていないのであるが、これは、前記一7で認定した大阪府下の公立高校における国旗・国歌の掲揚・斉唱の実態を見ても分かるとおり、右指導の内容や程度は各地の実情等に合わせて実施することができる余地を残しているものということができるのであり、このような右条項の文言自体からも、これが、高等学校教育における機会均等及び全国的な一定水準の維持を図るために設けられた大綱的な基準であることも明らかである。  以上によれば、学習指導要領、すなわち本件国旗掲揚条項は、法規としての効力をもつものであり、したがって、高等学校長を初めとする高等学校教育に携わる者が、これに従って国旗の掲揚、又はこれの指導にかかわる行為をしたときには、右行為は適法な職務遂行行為に当たるといわなければならない(最高裁昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁、同平成二年一月一八日(第一小法廷)判決・民集四四巻一号一頁、同日、同小法廷判決・裁判集民事一五九号一頁参照)。 (二)日の丸と国旗について  我が国には、現在、どの旗をもって国旗とするかを定めた一般的な法規は存在しない。しかし、明治以降、日本の国旗として国の内外において公に用いられてきたのは「日の丸」であり、現在においても、商船規則(明治三年太政官布告)において、日本の船舶に掲げるべき国旗として日の丸の様式が定められており、また、船舶法(二条、七条、二六条)、海上保安庁法(四条二項)、商標法(四条一項一号)等において、「国旗」を掲げることや「国旗」は商標登録を受けることができないと定められるなど、「国旗」が存在することを前提とする規定が置かれている。そして、国際会議等、外国において、日本を象徴する旗として公認され、用いられているのが「日の丸」であることは公知の事実であるし、乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第三号証、第四号証の一、二、第六号証、第八号証によっても認められるとおり、国内においても、「日の丸」を国民統合の象徴としての日本の国旗であると見ることについては、大多数の国民の賛成同意を得ている現実があり、政府においても、再三にわたり、「日の丸」が日本の国旗である旨を表明してきているところである。このような「日の丸」を巡るいきさつ、その使用の実態・実情等に照らせば、「日の丸」は日本を象徴する国旗であるとの慣習法が成立しているというべきである(法例二条参照)。  原告らは、慣習法によって権利自由を制約し、義務を課すことはできないから、これにより「日の丸」を国旗とすることは許されないと主張する。確かに、日本国民の大多数は「日の丸」を国旗として扱うことに賛成しているとはいうものの、甲第六七号証によっても認められるとおり、今次大戦中のように、国民各人が日の丸の掲揚を強制されたり、また、これへの敬礼を強要されたりすることまでを望んでいるとは到底考えられないのであって、右に判示した「日の丸」に関する慣習法というのも、「日の丸」を日本の国旗として認めるという限度にとどまるのであり、それ以上に右のような「日の丸」を強制することについてまで法的根拠を与えるものではないのである。  もちろん、「日の丸」は、明治以降、神懸かり的な皇国思想や軍国主義等の旗印として利用され、これらと深くかかわりあってきたという不幸な歴史があり、そのため国民の一部にこれを国旗として扱うことに強い反対のあることも事実であり(原告らは、本訴においても、この事実を特に強調し、数多くの書証や証人等を提出援用して、これを立証しようとした。)、近い過去にこのような苦い経験を重ねてきた日本人としては、右反対の意見にも相応の理解を示すべきことは当然であるが、しかし、前記の「日の丸」を巡る現状や「日の丸」以外に日本を象徴する国旗として扱われているものが存在しないことを考えると、少なくとも現時点においては、日本の国旗は「日の丸」以外にはあり得ないといわざるを得ない。 (三)職員会議について  原告らは、東淀川高校の職員会議において、日の丸掲揚に反対の決定がなされたから、同校長の被告乙山はこれに従うべきであったと主張する。  学校の校務の運営については、学校教育法五一条、二八条三項に「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と規定されているとおり、校長がこれを担当することとされている。しかし、学校教育に当たる教師は、教育の専門家として教育活動に従事しており、しかも、それには教育の本質上、教師自身の自主的な創意工夫が不可欠のものとして求められるのであり、そのために教師の自主性、主体性が尊重されるべきは当然のことであって、教育基本法において、他からの不当な支配を排除することがうたわれ(一〇条参照)、また、一定の範囲で教授の自由も保障されている(前掲最高裁昭和五一年五月二一日判決参照)のもこのためである。このような教育のあり方を考えると、学校運営に当たっても、校長は自分の考えを他の教師に押し付けるのではなく、教師全体の意見を聴き、討議を尽くした上で、これを決するのが望ましいことというべきであり、このために、法規上の根拠はないにもかかわらず、各学校において職員会議が制度として設けられ、ここにおいて、校長の意思や教育委員会からの通知等を伝達し、教職員の意見の聴取、教職員相互の連絡調整等を行うことにより、校務の運営にかかわってきているのである。  このように、職員会議は校務の運営を円滑かつ効果的に行うために極めて必要かつ有用なものではあるか、これは法令上の根拠があるものではなく、また、校務の運営について最終決定をする権限も有してはいないのであって、校長はその職務を行うに当たって職員会議の意見を尊重すべきではあるが、これに拘束されるべきものとまではいうことはできない。ちなみに、被告乙山は、校長在任中、その職務を行うに当たり、日の丸掲揚以外のことについては、職員会議の決定に反したことはなかったと述べている。 (四)国旗としての日の丸の掲揚について  原告らは、日の丸掲揚が原告らの思想・良心の自由をも侵害するものであると主張し、また、文部省や自民党内の一部の政治勢力等が、「日の丸」を国旗として掲揚することを強制するために、平成元年三月の学習指導要領(本件国旗掲揚条項)の改定を行ったものであるとして、これに反対している。  確かに、「国旗」を掲揚することと「日の丸」を掲揚することは、概念としては別のことではあるが、現実には「日の丸」以外に国旗と見られるようなものは存在していないのであるから、本件国旗掲揚条項は、結局のところ「日の丸」を掲揚させることになるのであり、原告らの右主張の核心もここにあるものと思われる。そして、「日の丸」を国旗と認めることについては、前記のとおり、その数の多寡はともかくとして、国内において、賛否両論、激しく、かつ深刻な対立があり、右国旗掲揚条項は、本来政治的、思想的対立からは中立であるべき教育の場に、このような議論、対立のある問題を持ち込む危険があるから、教育政策上の観点からは、その当否につきいろいろな意見があるのは当然のことである。しかし、既に判示してきたとおり、本件国旗掲揚条項自体は、法令に適合した必要かつ合理的な基準を定めたもので、学習指導要領として法的効力のあるものであり、また、「日の丸」以外には国旗と認めるに値するものか存在していない以上、学習指導要領である右国旗掲揚条項に従って、「国旗」、すなわち「日の丸」を掲揚し、また掲揚しようとした東淀川高校長の被告乙山の行為は適法な職務行為と認めるほかはなく、原告らが単にこれに反対の意向を表明する程度ならばともかくとして、これにとどまらず、更に実力をもって積極的にこれを妨害する行動に出ることまでを許されるとする根拠はないのであって、少なくとも一で認定した原告らの行為は許される限度を超えているといわざるを得ない(ちなみに、地方公務員法三二条は、「職員は、その職務を遂行するに当って、法令・・・に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。」と規定している。)。  原告らは、憲法は思想良心の自由に反する行為及びこれを侵害する行為を強制されないことも保障していると主張するが、自分の考えと相容れないからといって、適法な職務行為を実力をもって妨害する行動に出ることまでを憲法が保障しているとは到底認めることができない。 (五)以上のとおりであり、学習指導要領に基づいてした被告乙山の日の丸掲揚行為を違法と認めることはできない。 2 本件訓告について (一)訓告の意味  訓告が懲戒処分ではなく、職員が職務上の義務に違反したときに、指揮監督権限を有する上司が職務の履行の改善、向上に資するために制裁的実質を伴わない服務上の措置として行われるものであり、この中には、「厳重注意」と「文書訓告」の二種類があることは、一6で認定したところである。そして、一で認定した原告らの行為態様を見ると、原告春子は、第一事件において、被告乙山の前に立ちはだかる等して、同被告らが日の丸を掲揚するのを妨害したというにとどまらず、より積極的に掲揚ポールに身体を密着させる等の行動に出て、同被告らがポールのロープを確保し、これに日の丸を結び付けて掲揚することを不可能にさせたのであり、また、第二事件においては、原告らは共に数回にわたり、掲揚された日の丸を同被告らの面前で引き下ろし、又は下ろされた日の丸を被告乙山に返しにきたというのであって、その行為態様からしても職務違反の程度はかなり重いというべきであり、職員会議において日の丸の掲揚に反対する決議があったことを考慮しても、右服務上の措置を行うに当たり、より重い「文書訓告」が選択されたのは、もっともなことといわざるを得ない。  また、原告らは、他にも原告らと同じ行動をした者がいるにもかかわらず、これらの者は何らの処分も受けていないのに原告らのみが処分を受けたのは不当違法であるとも主張するが、一6で認定したとおり、第二事件において具体的に行為者を特定して認定することができたのは原告両名のみであったというのであり、しかも、原告両名の行為は、右のとおり「文書訓告」措置に十分値するものと認められるから、右主張は理由がない。 (二)事実誤認等  原告らは、本件訓告は被告乙山から府教委への誤った報告によりなされたものであると主張するが、原告両名のした行為は一において認定したとおりであり、被告乙山の府教委への報告が事実を誤認してなされていると認める証拠もない。また、原告春子は、第一事件当日の午前中年次休暇を取っていたから、被告乙山の業務命令に従う義務がなかったとも主張するが、本件訓告の理由とされているのは、同原告が同被告の就業命令に従わなかったことではないから、これもまた容れることができない。 (三)その他  原告らは、本件訓告は地方公務員法や労働組合法に違反するものであるとも主張するが、既に判示してきたとおり、被告乙山の日の丸掲揚は適法な職務行為であり、日の丸掲揚に反対する原告らもこれを妨害する権利を有してはおらず、また、本件訓告が、原告らの教育合同への加入や原告らが教育合同のために正当な行為をしたことの故をもってなされたものであることを認める証拠もないから、右主張も理由がない。 (四)以上のとおりであり、本件訓告が社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものであると認めることはできない。 三 よって、原告らの本件請求は、いずれも理由がない。 大阪地方裁判所第七民事部 裁判長裁判官 福富昌昭 裁判官 倉吉敬 裁判官 小林康彦 別紙 訓告     大阪府公立学校教員 甲野一郎  あなたは、平成3年4月8日(月)入学式当日午前11時30分頃から午後0時56分にかけ、大阪府立東淀川高等学校の玄関前の掲揚ポールにおいて、校長が掲揚した国旗を引き下ろした。  この行為は、校長の職務を妨害する行為といわざるを得ず、教育公務員としてその職の信用を著しく傷つけるものであり、誠に遺憾である。  よって、今後かかることのないよう厳に訓告する。   平成3年7月26日     大阪府教育委員会     教育長 伴 恭二 訓告     大阪府公立学校教員 甲野春子  あなたは、平成3年2月27日(水)卒業式当日午前9時15分頃大阪府立東淀川高等学校の玄関前の掲揚ポールにおいて、校長が国旗を掲揚するため掲揚ロープを取ろうとしたところ、掲揚ポールに身体を密着させて校長に掲揚ロープを取らせず、掲揚を妨害した。  また、平成3年4月8日(月)入学式当日午前11時30分頃から午後0時56分にかけ、大阪府立東淀川高等学校の玄関前の掲揚ポールにおいて、校長が掲揚した国旗を引き下ろした。  これらの行為は、校長の職務を妨害する行為といわざるを得ず、地方公務員としてその職の信用を著しく傷つけるものであり誠に遺憾である。  よって、今後かかることのないよう厳に訓告する。   平成3年7月26日     大阪府教育委員会     教育長 伴 恭二