◆ H14.01.28 東京高裁判決 平成13年(行コ)第108号 東京都立養護学校落成式典日の丸事件(戒告処分取消等請求控訴事件) 判示事項: 都立の養護学校教諭が校舎落成式典で掲揚されていた日の丸を引き下ろして隠匿したことに対し、戒告処分に付されたことにつき、違法とするまでの裁量権の逸脱はなく、適法とされた事例 原審:東京地方裁判所 平成13年3月22日 都立養護学校教諭戒告事件     主   文 一 本件控訴をいずれも棄却する。 二 控訴費用は、控訴人の負担とする。     事   実 第一 控訴の趣旨 一 原判決を取り消す。 二 被控訴人東京都教育委員会が、控訴人に対し、一九九〇年(平成二年)六月二九日付けでした戒告処分を取り消す。 三 被控訴人東京都は、控訴人に対し、二〇〇万円及びこれに対する平成七年七月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 四 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。 五 第三項につき、仮執行宣言。 第二 事案の概要 一 事案の概要  控訴人は、平成二年当時、東京都立乙山養護学校(以下「本件学校」という。)に勤務する教諭であった者であり、同月一七日の本件学校校舎落成記念式典(以下「本件式典」という。)の当日、本件学校校庭の旗掲揚塔(以下「本件掲揚塔」という。)に掲揚されていた日の丸旗を引き降ろしたところ、同年六月二九日、被控訴人東京都教育委員会(以下「被控訴人委員会」という。)から、「上記の者(控訴人)は、平成二年二月一七日、都立乙山養護学校校舎落成記念式典当日午前八時四〇分ころ、同校校庭の国旗掲揚塔に、校長と教頭によって掲揚されていた国旗を引き降ろし、隠匿した。このことは、地方公務員法三二条及び三三条の規定に違反する。」との理由で地方公務員法(平成三年法律第二四号による改正前の地方公務員法。以下「法」という。)二九条一項一号及び三号により戒告処分(以下「本件処分」という。)にされたが、日の丸旗を掲揚することには法的根拠がないので、控訴人が日の丸旗の掲揚に協力しないことは違法でなく、また、控訴人が日の丸旗を「隠匿」した事実はないから、被控訴人委員会の本件処分の基礎となった事実に関する認定には誤りがあり、控訴人の行為は法三二条及び三三条の規定に違反しないし、仮に、控訴人の行為が違法であるとしても、控訴人は、日の丸旗を引き降ろした後まもなくしてこれを返還したもので本件処分は重きに失するのみならず、本件処分の手続において、本件学校校長丙川松夫(以下「丙川校長」という。)作成の被控訴人委員会宛報告書(以下「第一次報告書」という。)が差し替えられるなど本件処分を行うについての手続に重大な瑕疵があるので、本件処分は裁量権を逸脱し、教職員、生徒及び保護者等の思想良心の自由を侵害する違憲、違法な処分であるなどと主張し、同年八月二七日、本件処分を不服として東京都人事委員会に不服申立てをし、これに対し平成七年三月二九日、本件処分を承認する旨の裁決がされ、そのころ裁決が控訴人に到達したので、法定の出訴期間内である同年六月二二日に本訴を提起して、被控訴人委員会に対し、本件処分の取消しを求めるとともに、被控訴人東京都に対し、違法な本件処分により著しい精神的損害を被ったと主張して、国家賠償法一条に基づき、慰謝料二〇〇万円及び本件処分後の日である同年七月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。  被控訴人らは、控訴人が、本件掲揚塔に掲揚されていた国旗を一方的に引き降ろして隠匿し、丙川校長の再三の返還要求に応じず、丙川校長の適法な権限行使を実力をもって妨害したものであり、控訴人の行為は法三二条及び三三条の規定に違反するところ、被控訴人委員会は、これに対し、法二九条一号及び三号に基づき、懲戒処分としては最も軽い戒告処分に付したのであるから、本件処分について被控訴人委員会に裁量権の逸脱はなく、また、本件処分は教職員、生徒及び保護者等の思想良心の自由を侵害するものではないし、被控訴人委員会が本件処分をするにつき手続的瑕疵もないので、本件処分は、適法である旨主張して、控訴人の請求を争った。  原判決は、控訴人が、本件掲揚塔に掲揚されていた日の丸旗を引き降ろし、これを隠匿したものであり、この控訴人の行為は法三二条及び三三条の規定に違反し、法二九条一号及び三号に該当するところ、本件処分について手続的瑕疵や裁量権の逸脱はないので、本件処分は適法である旨判断して、控訴人の請求を全部棄却したので、控訴人が控訴をした。 二 前提となる事実、主たる争点及び主たる争点に関する当事者の主張  前提となる事実、主たる争点及び主たる争点に関する当事者の主張は、原判決九頁九行目の「原告は、」の次に「平成二年八月二七日」を、同一一頁三行目の「文部大臣」の次に「(当時。以下同じ。)」をそれぞれ加え、同二八頁九行目の「掲出」を「提出の」に改め、次の(1)ないし(3)に掲げるとおり、当審における控訴人の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」の二及び三並びに「第三 争点に関する当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する。 (1) 控訴人の行為の法三二条、三三条違反該当性 ア 学習指導要領の法的拘束性について  丙川校長は、盲学校、聾学校及び養護学校高等部学習指導要領が準拠する高等学校学習指導要領(以下「学習指導要領」という。)の国旗掲揚条項(以下「本件国旗掲揚条項」という。)に基づき、本件学校校舎落成記念式典の当日、日の丸旗を本件掲揚塔に掲揚したものであるが、本件国旗掲揚条項がなければ、丙川校長が日の丸旗を掲揚することもなかったのであるから、学習指導要領に法的拘束力があることは本件処分の前提をなすところ、学習指導要領には法的拘束力がなく、丙川校長が本件掲揚塔に日の丸旗を掲揚したことには法的根拠はないので適法な職務執行行為ということはできず、したがって、本件処分は違法である。 イ 日の丸旗と国旗について  日の丸旗を国旗とする慣習法は成立していない。そもそも、慣習法が成立するための要件の主張立証がなく、また、日の丸旗を国旗とすることには反対意見が多数存在しているのであり、日の丸旗を国旗とすることが慣習法として十分に成立していたのであれば、日の丸旗を法律で国旗と定める必要もなかったところ、平成一一年八月一三日に「国旗及び国家に関する法律」が施行されていることを考慮すると、平成二年二月一七日当時、日の丸旗を国旗とする慣習法が成立していたとは認められない。 ウ 職員会議との関係について  教育基本法の教育目的を達成するため制定された学校教育法において、教員の身分が尊重されなければならず、また、教諭は児童の教育を司ると定められている趣旨に鑑みれば、国旗掲揚につき多分に各学校ごとの裁量が広く認められていた当時の学習指導要領のもとにおいては、本件国旗掲揚条項につき、各学校において、具体的にどのように実施するかに関し、教育専門職としての教職員の意向は尊重されるべきである。このことは、ユネスコの「教員の地位に関する勧告」六一条、六二条及び七五条の各規定からも裏付けられる。文部省(当時)も、学校運営につき職員会議の果たす役割が大きく、そのため、職員会議の位置づけと運営を適切に行わなければならないとの見解を取っており、丙川校長自身、学校運営の役割は職員会議が負っていることを認めているのであり、それが学校内慣行となっていた。  したがって、教育内事項である本件国旗掲揚条項に関しては、職員会議において十分審議を尽くし、生徒に対して直接の教育を司る控訴人を始めとする教職員の意見を聴取し、その意見を尊重すべきであった。 エ 控訴人のした行為の違法性について  控訴人は、本件掲揚塔から日の丸旗を引き降ろした後、丙川校長との話し合いを経て、丙川校長が話し合いを他の教員らにゆだねた後、すぐに日の丸旗を丁原教頭に直接返却しているのであって、丙川校長の日の丸旗返還要求に応じなかったとの事実は存在しないし、日の丸旗を隠匿したとの事実も存在しない。このことは、丁原教頭作成のメモに「甲野本人国旗をが職員の教頭の机上に黙っておいていた」と記載されていることから明らかである。  また、仮に、生徒らが控訴人の日の丸旗引き降ろし行為を見ていたとしても、控訴人は、その後も同学年の生徒の指導を卒業まで実践しており、生徒らの信頼を失ったことはなく、したがって、法三三条に違反して信用を失墜した事実も、法三二条に違反した事実も存在しない。  なお、被控訴人委員会は、本件処分の理由を法三二条違反としていたが、これを法三三条違反が先にあり、このことが結果として法三二条に違反すると変更した。このように被控訴人委員会が本件処分の理由を変更したのは、被控訴人委員会が、控訴人に法令違反があるとするのが事実上無理であると判断した証左である。 (2) 本件処分手続の瑕疵 ア 本件処分がされた経過は次のとおりである。 (ア) 平成二年二月二三日に被控訴人委員会に提出された丙川校長作成の第一次報告書には、控訴人が職員室において、机を挟んで丁原教頭に日の丸を返却した事実が記載されており、「隠匿」という語は使用されておらず、控訴人に対し穏便な措置を求める旨の丙川校長の具体的な意見が記載されていた。 (イ) 平成二年三月八日に行われた被控訴人委員会による控訴人に対する事情聴取は、丙川校長作成に係る第一次報告書に基づいて行われた。そのため、被控訴人委員会作成の事情聴取書には、「国旗を教頭先生の机の上に返したのはなぜですか」との控訴人が丁原教頭に日の丸旗を返還したことを前提とする質問項目が書かれていた。  人事部管理主事久野猛(以下「久野主事」という。)は、丙川校長作成に係る第一次報告書と事情聴取書に基づき、事故概要書を作成した。久野主事は、入学式及び運動会の二回に渡る日の丸旗引き降ろしにより、日の丸旗が実際に掲揚できなかった前例に比べて、控訴人の行為が、回数が一回であり、すぐに日の丸旗の返却が行われ、本件学校校舎落成記念式典にも混乱がなかったので、控訴人を文書訓告とする処分措置案を作成した。 (ウ) 平成二年四月に行われた教職員懲戒分限審査委員会において、控訴人の処分が検討されたが、新学習指導要領に移行した後、三件の類似事件が続発したため、同委員会は、控訴人の処分を保留とし、他の三件の報告が出そろってから、合わせて処分を検討することとした。 (エ) 教職員懲戒分限審査委員会は、平成二年六月、他の三件の報告が出そろった後、本件と同様の行為があった戊田小学校及び甲田高校の処分原案と同じ戒告処分を控訴人に対しても下すとの結論を出した。 (オ) 教職員懲戒分限審査委員会は、戊田小学校の件については、提出されていなかった日の出町教育委員会の内申が出されたかのような工作を行い、控訴人については、旧学習指導要領下の事件であり、文書訓告とすべきところであったが、新学習指導要領下の他の事件と合わせて戒告処分にするとの方針のもとに、既に提出されていた丙川校長作成に係る第一次報告書から、穏便な処分を求める旨の丙川校長の意見具申部分を削除し、控訴人が日の丸旗を丁原教頭に直接返却した事実を不明瞭にし、控訴人の日の丸旗隠匿行為を強調した事故報告書(原判決記載の本件報告書)を丙川校長に書かせ、提出日を平成二年二月二三日と偽って第一次報告書の差し替えを行った。 イ 丙川校長作成に係る第一次報告書が差し替えられたことは、以下の事実に照らし明らかである。 (ア) 丙川校長が作成したとされる本件報告書には、丙川校長の意見具申が記載されていない。しかし、丙川校長が作成したとされる事故報告書に基づき久野主事が作成した事故概要書には、丙川校長の所見として「甲野太郎教諭は自己顕示欲が強く、しかも、むきになるところがあり、同僚教員の中では孤立しがちである。今回の行動は単独行動であり、幼稚なものが感じられる。若い、将来のある教員なので穏便な措置をお願いしたい。校長としても今後さらに指導していきたいと考えている」と極めて具体的に記載されており、これによれば、丙川校長の所見は、丙川校長が口頭でした意見具申を記載したものではなく、何らかの文書に記載されたものを転記したとしか考えられない。丙川校長は、控訴人に対する事情聴取が行われた際には、意見の具申を行っていないし、他に文書を提出したことはない旨供述していることを考慮すると、久野主事が事故概要書を作成する際に参考とし、丙川校長の意見が記載された丙川校長作成に係る第一次報告書が存在したといわざるを得ない。 (イ) 丙川校長作成に係る本件報告書には、「隠匿」との用語が四回にわたって使用されているが、本件報告書に基づいて作成されたという久野主事作成の事情聴取書及び事故概要書には「隠匿」の用語は一切出てこない。控訴人の寛大な処分を願っていたとされる丙川校長が、「隠匿」との用語をあえて記載したとするのは著しく不自然であり、このような記載は、被控訴人委員会が控訴人を戒告処分とするとの判断をした後、被控訴人委員会から「事故内容国旗引き降ろし隠匿」という一連の行為に対する評価及び法的概念が示され、これに基づき「隠匿行為」を強調するため書き換えがされたと解して始めて理解することができる。  同様に、久野主事作成の事情聴取書には、「国旗を教頭先生の机の上に返したのはなぜですか」との質問事項が記載されているところ、これは、丙川校長作成に係る第一次報告書には、控訴人が日の丸旗を返却した事実が記載されていたことを窺わせるものであり、その記載のない本件報告書は、改ざんされたものであることを示すものである。 (ウ) 本件報告書には、本件文書管理規程に反して収受印が押印されていない。他の同様な事件における事故報告書には収受印が押印されている事実に照らすと、収受印を押し忘れるということは考えがたく、丙川校長から提出された第一次報告書が、後日、改ざんされ、差し替えられたため、改ざん・差し換え後の本件報告書には収受印が押捺されていないと考えるのが合理的である。 (エ) 教職員懲戒分限審査委員会は、本件処分と一緒に審理された戊田小学校の件については、提出されていなかった日の出町教育委員会の内申書が出されたかのような工作を行っており、本件処分をするについても、控訴人を戒告処分とする目的で、第一次報告書を改ざんした可能性が高い。なお、日の出町教育委員会の内申書にも収受印が押捺されていない。 ウ 丙川校長のした意見の具申は、地方教育行政法三六条に基づくものであるところ、これは、直接の職員の指揮監督に当たる監督機関である学校長の意見を処分判断に反映させるための制度であり、同法三八条の市町村教育委員会がする内申と共通の立法趣旨に基づくものであって、内申と同様に尊重されるべきものである。また、市町村教育委員会がする内申と学校長のする意見の具申は、ともに処分の結論を拘束しないものであり、その点で差異はなく、学校長のする意見の具申は、「校長は意見を申し出ることができる。」となっており、「市町村教育委員会の内申をまって進退を行うものとする」と規定されている市町村教育委員会がする内申の場合とは異なるが、実際には、ほとんどの場合、学校長は意見具申をしており、この点でも内申との間に実質的差はなく、学説は、学校長のする意見の具申を内申に準じるものとして扱っている。したがって、丙川校長作成に係る第一次報告書を改ざんし、丙川校長の穏便な処分を求める旨の意見具申を無視し、丙川校長自身が重すぎる処分であることを認めている本件処分には、重大な手続的瑕疵が存し、到底処分手続が公正に行われたとはいえないので、本件処分は、取り消されるべきである。 (3) 裁量権逸脱  被控訴人委員会は、控訴人につき、文書訓告とすべきところを、新学習指導要領下の他の事件と合わせて戒告処分にするとの不当な意図を持って、丙川校長作成に係る第一次報告書を改ざんし、差し換えたものであり、また、入学式及び運動会の二回に渡る日の丸引き降ろしにより、日の丸が実際に掲揚できなかった例につき戒告処分がされていること、本件と同種の事例につき文書訓告がされていることなどの事実に照らすと、被控訴人委員会のした本件処分は、裁量権を逸脱するものである。 第三 当裁判所の判断  当裁判所も、控訴人がした日の丸旗引き降ろし等の行為は、法三二条、三三条に違反する違法な行為であり、被控訴人委員会が、法二九条一号及び三号に基づき、控訴人を戒告処分に付したことについてこれを違法とするまでの手続上の瑕疵及び裁量権の逸脱はないものと判断する。そのように判断する理由は、以下のとおりである。 一 本件の事実経過は次のとおりである。 (1) 《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。なお、各項中に適宜関係証拠を掲記する。〈編注 証拠の表示は一部を除き省略します〉 ア 本件学校は、平成元年四月一日に開校された養護学校であり、同月一〇日、東京都立乙野養護学校内の仮の校舎を利用して、開校式及び第一回の入学式が挙行された。  当時の教職員構成は、校長が丙川校長、教頭が丁原教頭、教諭が四六名(養護教諭一名を含む。)であり、職員は丙山竹夫事務長(以下「丙山事務長」という。)をはじめ一〇名であった。また、生徒数は、高等部一年から三年まで合計約一六〇名であり、主として精神薄弱、自閉症及びてんかんの障害を持つ生徒が就学していた。 イ 本件学校では、運営組織の構成及び分担内容等として、朝会は、全教職員で構成し、毎朝八時三〇分から一〇分間、原則として連絡・報告・調整(必要に応じては協議事項も含む。)を内容として行い、職員会議は、原則として全教職員で構成し、月一回午後二時から二時間、校長の招集により開催され、校長の指示・伝達、連絡・報告事項、組織運営上の連絡調整ならびに全教職員の共通理解等を内容として行うとされ、職員会議は他のすべての会議に優先するとされている。また、教員会議は、校長、教頭、事務長、教員をもって構成し、校長の招集により開催され、職員会議に引き続いて行い、原則として、教育課程を含め、直接生徒の教育活動等に関するものを内容として行うとされている。 ウ 丙川校長は、平成元年四月一〇日に開催された本件学校の開校式及び入学式において、職員会議に諮ることなく、自己の責任で日の丸旗を仮校舎正門に掲揚したが、教職員の多くは、これに反対し、教職員との何らの話し合いもなく丙川校長の独断で日の丸旗が掲揚されたことを非難するなどの内容の東京都障害児学校教職員組合乙山養護学校分会(以下「分会」という。)結成準備委員会名義のビラが配布されるなどした。 エ 本件学校の校舎は、平成元年中の完成が予定されていたため、本件学校は、平成元年五月二五日、その落成記念式典(以下「本件式典」という。)を平成二年二月一七日土曜日に行うこととした。  なお、本件学校の校舎は、平成元年一一月三〇日に完成し、同校舎の校庭には本件掲揚塔が設置されている。 オ 東京都教育庁指導部(以下「教育庁指導部」という。)は、平成二年二月三日付けで「新学習指導要領の移行措置について−入学式・卒業式における国旗・国歌の扱い−」と題する書面を都立学校の各校長等に配布した。  その書面には、国旗等の扱いに関する被控訴人委員会の基本的な考え方として、各学校の入学式、卒業式などにおける国旗の掲揚等が、平成二年度から新学習指導要領に即して行われるよう、都立学校長等に対して指導するなどと記載され、さらに、指導上の要点として、校長は、学習指導要領改訂の趣旨及び移行措置について教職員に周知徹底すること、学校においては、入学式や卒業式などの意義を踏まえ、学習指導要領改訂の趣旨及び移行措置に基づいて国旗を掲揚するよう指導するものとすること、国旗を掲揚するよう指導するに当たっては、校長を中心として、教職員の共通理解の下に協力して実施するようにするが、共通理解が得られず実施が困難な状況においては、学習指導要領の法的根拠を示し、校長の責任により実施すること、校長は、国旗の掲揚場所について、入学式や卒業式の意義を踏まえ、そのねらいが達成できるよう適切に定めることなどと記載されている。 カ 丙川校長は、平成二年二月以前の段階では、本件式典において日の丸旗を掲揚するか否かについては特段話をしないでいたが、同月五日、分会との交渉において、同月一七日実施予定の本件式典における国旗の取扱いについて話合いを行った。丙川校長は、その際、本件掲揚塔に、東京都のシンボル旗、日の丸旗及び校旗を掲揚したいと考えているが、地域の実情を調査して結論を出したい、反対の意見は聞くが、職員会にかけて決めるということは考えていない。同月一三日に説明会を開いて校長としての考えを明らかにする旨回答した。分会は、同月六日付け分会ニュースを作成して分会組合員に配布し、同月五日の丙川校長との交渉内容を周知させるとともに、同月八日付け分会ニュースを作成し、日の丸旗の掲揚に反対する旨の意見を述べるとともに、同月一三日に予定されている説明会に参加するよう呼びかけた。  丙川校長は、同月一三日、午後五時ころから約二時間にわたり、本件式典における国旗の取扱いについて教職員と話合いを行い、過去の勤務先の落成会では国旗を揚げてきたし、地域の小中学校もすべて揚げている、校長の学校経営方針として、校長の責任において国旗を本件掲揚塔に掲揚し、同時に東京都のシンボル旗と校旗を掲揚する旨述べた。これに対し教職員の多くは、日の丸旗掲揚については職場の総意に基づいて判断されるべきであるとして、再度話合いを求めた。控訴人は、話合いに出席し、「コンセンサスを取りにくい問題である。強固なことをしたくないし、してほしくない。落成式、気持ち良く出たい。祝賀会の辞退者が増えるのではないか。日の丸のこと、校長室に掲げるという方法はとれないか。」などと意見を述べた。分会は、同月一四日付分会ニュースを作成して配布し、話合いの模様を分会の組合員に伝えた。  丙川校長は、分会との交渉とは別に、正式に教職員に本件式典において国旗を掲揚することを伝えようと考え、同月一四日の職員朝会において、教職員に対し、本件式典においては、本件掲揚塔に、校長の責任において、国旗、東京都のシンボル旗及び校旗を掲揚する旨述べた。教職員は、同月一五日午後、丙川校長との話合いを求めて、その旨の約四〇名の署名を丙川校長に提出した。  丙川校長は、同月一六日、職員朝会において、本件式典においては、本件掲揚塔に、国旗、東京都のシンボル旗及び校旗を掲揚する旨述べるとともに、署名を受け取ったので一人一人と話し合いたい旨述べたが、教員らはこれに反対した。教員らは、同日の勤務時間終了後、話合いを持ち、丙川校長との話合いを求めることとし、その旨丙川校長に申し入れたが、丙川校長はこれを断った。しかし、丙川校長は、教員ら約三〇名が校長室に押し掛けてきたため、約三〇分間教員らと話し合った。教員らは、丙川校長に対し、日の丸の掲揚を止めてほしい、民主的な学校経営をしてほしいなどと要求したが、丙川校長は、民主的学校運営をすることについては努力をする旨述べたものの、本件式典において国旗を掲揚する方針は変えなかった。  なお、控訴人は、同月一三日から同月一六日までの丙川校長との一連の交渉にほとんど参加し、その内容を了知していた。 キ 本件式典当日の控訴人らの行為は以下のとおりである。 (ア) 平成二年二月一七日の本件式典当日の日程は、午前八時一五分から九時四五分までの間に、教職員全体の打合せ、会場準備、受付、式場入場等を行い、午前一〇時から午前一〇時五〇分までの間に本件式典を挙行して、午前一一時から来賓に校内施設を見学してもらい、この間に式典会場を祝賀会会場に模様替えし、午前一一時五五分から午後一時三〇分まで祝賀会を実施し、その後教職員で内祝いをして午後四時前に全日程を終了するというものであった。 (イ) 丙川校長は、本件式典当日の同日午前七時四〇分ころ、本件掲揚塔の中央に本件学校の備品である日の丸旗(以下「本件日の丸旗」ということがある。)を掲揚し、その際丁原教頭もこれを手伝った。なお、東京都のシンボル旗と校旗は、当日既に掲揚されていた。  控訴人は、同日午前八時四〇分ころ、本件掲揚塔に掲揚されていた本件日の丸旗を無断で引き降ろし、それを持って校舎二階にある更衣室の控訴人のロッカーに入れ、これを保管した。 (ウ) 丁原教頭は、同日午前八時五〇分ころ、丁川梅夫教諭から、「国旗が降ろされている。」と知らされ、直ちに丙川校長に報告した。丙川校長は、丁原教頭を伴って本件掲揚塔に赴き、本件日の丸旗が何者かによって降ろされていることを確認した。丙川校長らは、本件掲揚塔の前にある校舎一階の一年A組の教室に赴き、同組担任戊原春夫教諭に本件日の丸旗の行方を尋ねたが、同教諭が知らないと答えたため、教室にいた同組の生徒に尋ねたところ、二名の生徒が「甲野先生が降ろした。」と答えた。  丙川校長は、同日午前九時ころ、事務室に赴き、「甲野先生、校長室においで下さい。」と校内放送し、しばらく校長室で待機したものの控訴人が現れないため、丙川校長、丁原教頭は、控訴人が学級担任をしている校舎一階の一年C組の教室に赴き、控訴人に対し、「国旗をどうした、すぐに返しなさい。」と言ったが、控訴人は答えず、丙川校長が再度国旗の返還を求めたところ、控訴人は、「終わってから返します。」と述べてこれを拒絶した。なお、控訴人は、少なくとも落成式が終了するまでは本件日の丸旗の返還をしないつもりであった。丙川校長は、強い口調で「今すぐに返しなさい。」と言ったが、控訴人は依然としてこれに応じず、そのため丙川校長が、「生徒がいるから校長室で話そう。」といったところ、控訴人は、「廊下で話しましょう。」と言って教室を出た。  丙川校長らは、先頭を歩く控訴人を追う形で一階ホールに向かって歩いたが、その途中で分会の会長甲川夏夫教諭(以下「甲川分会長」という。)とすれちがった。その際、丙川校長は、甲川分会長に「国旗を引き降ろした者がいる。」と伝えた。丙川校長は、一階ホール前で控訴人に対し本件日の丸旗を返還するよう説得したが、控訴人はこれに応ぜずにいたところ、甲川分会長が、分会副分会長乙原花子教諭、同書記長丙田秋夫教諭らとともに一階ホールに現れ、控訴人に対し、「全体の意向とは違うから返したほうがよい。」と説得した。すると、控訴人は、丙川校長らに対し、「この場から退いてくれ。」と述べたので、丙川校長らは、甲川分会長らに控訴人の説得を任せてその場を離れた。控訴人は、丙川校長の対応や甲川分会長らの態度から、本件日の丸旗を引き降ろしたことにより重大な事態になったと感じ、甲川分会長らの説得に応じて本件日の丸旗を返還する気持ちになり、同日午前九時一〇分ころ、二階更衣室の自己のロッカーから本件日の丸旗を取り出し、紙に包んで職員室に赴き、丁原教頭の机上に置いた。 (エ) 丁原教頭は、本件式典の全体進行の責任者であったことから、来賓及び父兄の控え室、受付並びに全体会場となる体育館などを見回るなどした後、同日午前九時一五分ころ、職員室の自席に戻った。丁原教頭は、机上に紙包みが置かれていたためこれを調べたところ、日の丸旗が入っていたため、直ちに校長室に持参した。丙川校長は、同席していた丙山事務長とともに、その日の丸旗が本件掲揚塔に掲揚されていた本件日の丸旗であることを確認した。  丙川校長、丁原教頭及び丙山事務長は、同日午前九時二〇分ころ、再度本件日の丸旗を本件掲揚塔に掲揚した。以後本件式典は滞りなく行われたが、続く祝賀会には欠席した教職員も多くいた。 ク 丙川校長は、平成二年二月一九日、本件式典出席のお礼の挨拶のため、教育庁指導部心身障害教育課を訪れ、手塚課長、心身障害教育担当の宮本紀夫主任指導主事(以下「宮本主事」という。)がこれに応対した。その際、控訴人の本件日の丸旗引き降ろしの話が出て、手塚課長らは、人事部の案件になるので、報告書を出すよう指導した。 ケ 丙川校長は、平成二年二月二〇日夕方、報告書を教育庁指導部に持参したが、同報告書は、事実関係を時系列で記載したにすぎず、宛名や文書番号の記載もなく、校長の公印が押されていなかったため、手塚課長らは、本件式典当日の出来事を中心に書いたらどうかと指導したところ、指導を受けた丙川校長は、これを持ち帰り、書き直した上、同月二三日、控訴人については穏便な処分を願う旨の記載がある第一次報告書を人事部職員課を通じて、教育長宛に提出した。その際、丙川校長は、控訴人から改めて事情聴取することなく、第一次報告書を作成して提出したものであり、控訴人に事実関係を確認することはもとより、第一次報告書を教育長へ提出することを控訴人に知らせることもしていなかった。 コ 久野主事及び人事部管理主事坂本清治は、平成二年三月八日午後四時二八分から午後五時まで、丙川校長立会いの下に、控訴人から事情聴取を行った。控訴人は、事情聴取の際、本件式典当日の同年二月一七日午前八時四〇分ころ国旗を降ろし、更衣室の自己のロッカーに保管したことは認めたが、このような事態を招いた責任は丙川校長にあり、控訴人が処分を受けることはないとして反省の情を示さず、事情聴取書に署名押印することを拒否した。  なお、丙川校長は、事情聴取に際し、控訴人が事情聴取書に押印する必要が生じた場合に備えて、控訴人名義の印鑑(三文判)を購入して控訴人に渡していた。 サ 被控訴人委員会における、教職員に対する懲戒処分決定の手続は次のとおりである。 (ア) 人事部管理主事が対象者から事情聴取した上、事故の概要をまとめた書類を作成し、管理主事としての処分案をこれに付記して、懲戒分限審査委員会に提出する。 (イ) 懲戒分限審査委員会は、教職員の懲戒処分等について教育長の諮問に応じて審査答申する機関であり、同委員会は、人事部管理主事から提出された書類を審査検討して、処分案を教育長に答申する。 (ウ) 教育長は、懲戒分限審査委員会の答申を受けて教育委員会を開催し、被控訴人委員会として、処分内容を決定する。 シ 控訴人の処分について人事部管理主事としての処分案を作成する担当者であった久野主事は、前例を調査したところ、昭和六一年において、教員が、入学式の際掲揚されていた国旗を引き降ろし、かつ、その後の運動会の際、教頭が掲揚しようとして置いていた国旗を持ち去ったため、二回にわたり日の丸旗が掲揚されなかった事例が戒告処分とされており、これと比較すると、控訴人の行為は日の丸旗を一回引き降ろしたものである上、その後、本件式典において日の丸旗が掲揚されており事案が軽いので、文書訓告が相当であるとの意見を付することとし、前記クのとおり丙川校長が作成した第一次報告書に基づき、校長所見として「甲野太郎教諭は自己顕示欲が強く、しかも、むきになるところがあり、同僚教員の中では孤立しがちである。今回の行動は単独行動であり、幼稚なものが感じられる。若い、将来のある教員なので穏便な措置をお願いしたい。校長としても今後さらに指導していきたいと考えている」と記載し、処分措置案を「文書訓告」とする旨の平成二年四月一八日付けの「都立乙山養護学校教諭甲野太郎の事故について」と題する事故概要書を作成し、懲戒分限審査委員会に提出した。  しかし、久野主事は、人事部管理主事らの間で検討した際に意見が分かれ、戒告処分が相当であるとの意見もあったので、後日、教育委員会会議の資料として、この事故概要書を一部修正し、処分措置案を「戒告」とする同年六月二八日付けの「都立乙山養護学校校舎落成記念式典における事故について」と題する事故概要書を作成して同委員会に提出した。また、丙川校長は、前記クのとおり丙川校長が作成した第一次報告書につき、その実体に鑑み、「隠匿」等の表現を加えてこれを訂正し、丙川校長の意見具申部分を削除するなどして「校舎落成式典における国旗の取扱について」と題する書面とし、これを人事部職員課を通じて、教育長宛に提出した。被控訴人委員会は、これを本件処分を行うについての資料の一つとした。 ス 懲戒分限審査委員会は、控訴人の処分に関し、同年四月、五月及び六月に委員会を開催し、同年六月の委員会において、同年四月の新学習指導要領下において発生した入学式における国旗引き降ろし事件等三件と控訴人の本件日の丸旗引き降ろしの件とを順番に審議をし、控訴人を戒告処分とするとの結論を出し、控訴人については戒告処分が相当である旨を教育長に答申した。被控訴人委員会は、懲戒分限審査委員会の答申を受けて、同月二八日、定例の教育委員会を開き、本件処分を議決した。 (2) 上記(1)の事実認定に対し、控訴人は、本件掲揚塔から本件日の丸旗を引き降ろした後、丙川校長との話し合いを経て、丙川校長が話し合いを他の教員らにゆだねた後、すぐに本件日の丸旗を丁原教頭に直接返却しているのであって、丙川校長の本件日の丸旗返還要求に応じなかったとの事実は存在しないし、本件日の丸旗を隠匿したとの事実も存在しない、このことは、丁原教頭作成のメモに「甲野本人国旗をが職員の教頭の机上に黙っておいていた」と記載されていることから明らかである旨の上記(1)の認定に反する主張をし、〈証拠略〉には、控訴人の上記主張に沿う供述部分が存する。  しかし、控訴人は、本件日の丸旗を引き降ろした後、丙川校長から、本件日の丸旗を返還するように要求された際、「終わってから返します。」と述べてこれを拒絶しているのであり、しかも、その趣旨は、少なくとも落成式が終了するまでは本件日の丸旗の返還をしないつもりであったというのであるから、控訴人の「丙川校長の日の丸返還要求に応じなかったとの事実は存在しない」などという主張は単なる否認にすぎないことは明らかである。また、丁原教頭は、控訴人が丁原教頭の面前で本件日の丸旗を丁原教頭の机上に置いたことはない旨控訴人の主張を否定しており、控訴人が丁原教頭に本件日の丸旗を返還する現場を見たという丁川梅夫も、控訴人が日の丸旗を教頭の机上に置いた際の丁原教頭がどこにいたかなどの点について記憶が曖昧であることを窺わせる供述をしている上、仮に、控訴人が丁原教頭の面前で机上に本件日の丸旗を返還したのであれば、その際、丁原教頭との間で本件日の丸旗の返還について何らの応酬もなくその収受が済むとは思われないのに、控訴人はただ「はい」と言って机上に本件日の丸旗を置いたと言うのみであり、控訴人の叙述するその返還の状況は不自然であるといわざるを得ない。この点については、控訴人は、久野主事から事情聴取を受けた際にも、「日の丸をきちんとたたみ、紙につつんで、職員室の教頭先生の机上に返しました。」、「返したあと、すぐ学習指導に教室へ行った。」旨述べるのみで、丁原教頭に直接日の丸を返還したとは主張していないことをも考慮すると、控訴人が、丁原教頭の面前で机上に本件日の丸旗を置き、これを丁原教頭に直接返却したという控訴人の供述は、たやすく信用することができない。なお、丁原教頭作成のメモには、「しばらくして、甲野本人国旗をが職員の教頭の机上に黙っておいていた。」との記載があるが、この記載は、丁原教頭が来賓控室等を見回って職員室の自分の机に戻ったところ、日の丸旗が自分の机に置いてあったという趣旨の記載であると解することも十分可能であり、この記載をもって、控訴人が、丁原教頭の面前で机上に本件日の丸旗を返還したと認めることはできないものである。  以上のとおりであるから、結局、控訴人の上記主張は、採用することができない。 (3) 他方、前記(1)の認定に対しては、被控訴人らは、丙川校長作成の事故報告書は乙第二号証の本件報告書のみであり、これが差し替えられたり訂正されたりしたことはない旨主張をする。しかし、(1)丙川校長が作成したとされる本件報告書には、丙川校長の意見具申が記載されていないが、これに基づき久野主事が作成した事故概要書には、丙川校長の所見として「甲野太郎教諭は自己顕示欲が強く、しかも、むきになるところがあり、同僚教員の中では孤立しがちである。今回の行動は単独行動であり、幼稚なものが感じられる。若い、将来のある教員なので穏便な措置をお願いしたい。校長としても今後さらに指導していきたいと考えている」と極めて詳細かつ具体的な理由を伴い、整然とした一貫性のある意見内容となっており、この記載等に徴すると、上記の丙川校長の所見は、丙川校長が口頭でした意見具申を筆記したというよりも、あらかじめの起案の上何らかの文書に記載されたものを久野主事が転記したと考えるのが自然であること、(2)久野主事は、控訴人に対する事情聴取が行われた際、事情聴取を終わっての帰り際に、控訴人に付き添ってきた丙川校長から、口頭で控訴人については穏便な処分を願う旨の意見を聞いたと供述するが、丙川校長は、事情聴取の帰り際に久野主事にそのような発言をする機会はなかった旨供述しており、両者の供述に齟齬があること、(3)丙川校長は、事故報告書を作成するに際し、教育庁指導部の手塚課長等から記載方法につき指導を受けており、このような経過からすれば、校長の意見具申欄につき記載をしないということが考えにくい状況にあったこと、(4)本件報告書には、「隠匿」との用語が四回にわたって使用されているが、本件報告書に基づき久野主事が作成したとされる事情聴取書及び事故概要書には「隠匿」の用語が一切出てこないのであり、久野主事が事情聴取書及び事故概要書を作成するにつき依拠した丙川校長作成の事情報告書、すなわち第一次報告書には「隠匿」との記載がなかったのではないかとの疑いを抱かせる結果となっている上、控訴人の寛大な処分を願っていたとされる丙川校長が、より厳しい処分を招来しかねない「隠匿」との用語をあえて記載したとするのは不自然であること、(5)本件報告書には、本件文書管理規程に反して収受印が押印されていないところ、教員の懲戒処分という重大な事項についての文書の収受に関し、収受印を押し忘れるということは通常考えがたいこと、(6)教職員懲戒分限審査委員会は、控訴人と一緒に審理された戊田小学校における日の丸旗引き降ろし事件について、提出されていなかった口の出町教育委員会の内申書が出されたかのような工作を行っているところ、この場合にも、本件報告書の場合と同様に、内申書に収受印が押捺されていないことなどの事情を総合すると、丙川校長は、前記(1)の、クのとおり、最初に作成した第一次報告書につき、事案の内容に鑑み、「隠匿」等の表現を加えてこれを訂正し、さらに丙川校長の意見具申を削除するなどの修正を施したものと認めるのが相当である。 二 争点1(控訴人の行為の法三三条、三二条該当性)について  上記一、(1)の認定事実に基づき、控訴人の行為が法三三条、三二条に該当するか否かを検討する。 (1)控訴人は、丙川校長が本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚したことが、法令に基づかない不適法な行為であり、そのような丙川校長の掲揚した本件日の丸旗を引き降ろしたとしても法三三条、三二条に該当する違法な行為とはいえないとの見解に基づき、学習指導要領に法的拘束力がない、日の丸旗は国旗に当たらない、校長が職員会議の議を経ずに日の丸旗を掲揚することは許されないなどと主張するので、まず、丙川校長が本件式典において本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚したことが不適法な職務執行行為に当たるか否かを検討する。  ところで、学習指導要領は、全体としては全国的な大綱的基準としての性格を有し、一定の法的拘束力を有するというべきところ(最高裁判所昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁、最高裁判所平成二年一月一八日第一小法廷判決・判例時報一三三七号三頁)、商船規則(明治三年太政官布告)において、日本の船舶に掲げるべき国旗として日の丸の様式が定められ、明治以降国の内外において日の丸旗が国旗として事実上用いられており、我が国においては日の丸旗以外に国旗と目される旗がないこと等からすれば、学習指導要領に定める「国旗」が日の丸旗を指すことは明らかである。そして、本件国旗掲揚条項に定める国民の祝日などにおける「儀式」は、校舎落成式典などの学校行事のうちの儀式的行事を含むと認められるから、学習指導要領は、校舎落成式典等において、日の丸旗を掲揚することが望ましい旨を規定していると解するほかはないのであって、丙川校長が本件式典の際本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚した行為は、上記のような性質を有する学習指導要領に根拠を有し、かつ、本件学校の校長の職務権限に基づく適法な職務執行行為であると解するのが相当であり、その適法性については、法律上の疑義は、全く容れる余地がないといわなければならない。  学校運営上の見地で見れば、丙川校長は、本件式典において、本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚するに当たり、職員会議の議を経ていない点をどのように解するべきか議論を生じているが、そもそも、丙川校長は、養護学校高等部の校長として、校務をつかさどり、所属職員を監督する(学校教育法七六条、二八条三項)ものであり、本件学校の校務の運営につき権限を有し、責任を負うのであり、これに対し、職員会議には、法令上校務の運営の実質を決定する権限がある機関として規定されているわけではなく、校務の運営の最終的な決定権限は校長にあるといわざるをえないのであり、校長がその職務を行うに当たり、学校における他のすべての会議に優先するとされる職員会議の意見を尊重することは教育的な雰囲気と円滑な運営を確保する上で望ましいことであるが、そうであるからといって、校長が、必ず職員会議の議を経たことのみを決定しなければならないとか、職員会議の議を経ないことは決定することができないとかと職員会議の議に法令上拘束されるいわれは全くない。校長の意見と教職員の意見が分かれた場合には、最終的な決定権限が校長にある以上、校長はその権限と責任において校務の運営を決定することができることは余りにも明らかであり、したがって、丙川校長が、職員会議の議を経ずに、本件式典において、本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚したからといって、その職務執行が不適法になるなどという議論は、大方の教職員の理解を得ることの重要性を強調するものとはいえ、本末転倒の法律論といわざるを得ず、この点の控訴人の主張は到底採用することができないものである。  また、控訴人は、ユネスコの「教員の地位に関する勧告」六一条、六二条及び七五条の各規定を引用するところ、これらの規定の趣旨に鑑みれば、職員会議が、学校当局と教員団体との定期的協議の場として重要性を有することは明らかであるが、各規定の文言からすると、そのような役割を超えて、これらの規定により校務の運営を決する最終的な決定権限が職員会議に付与されたと解することはできないというべきである。  そうしてみると、丙川校長が本件式典の際本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚した行為は、適法な職務執行行為であり、したがって、これが掲揚にとどまり、その日の丸に対する敬礼その他の行動を強制する決定を伴わないものである場合に、その掲揚を教職員が実力をもって妨害する行為は、法三二条及び三三条に該当する違法行為となり得るものであり、そのような実力をもってする妨害行為が、当該職員の思想良心の自由や教育の自由を保障する憲法の規定によって保護される余地はないものといわざるを得ない。 (2) 控訴人の行為の違法性について ア 前記一、(1)で認定した事実によれば、控訴人は、平成二年二月一七日の本件式典当日午前八時四〇分ころ、本件学校の校庭に設置された本件掲揚塔に、丙川校長と丁原教頭によって掲揚されていた本件日の丸旗を無断で引き降ろし、本件日の丸旗の所持の方法等を丙川校長、丁原教頭らを含む他の教職員に全く告げることなくみだりに本件日の丸旗を本件掲揚塔から離れた校舎二階の更衣室の自己のロッカーに入れた上、ほどなく丙川校長から返還要求を受けたにもかかわらず「(落成式が)終わったら返します」などと言ってその返還を拒絶するとともに、本件日の丸旗の所在を明らかにせず、同日午前九時一五分ころ、丁原教頭の机上に置いてこれを返すまで、本件日の丸旗を自己の占有下に置き、その間丙川校長が本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚することを実力をもって妨害したものである。  そして、前述のとおり、丙川校長らがした本件日の丸旗の掲揚が適法な職務遂行行為であるから、控訴人の上記の行為が本件日の丸旗を隠匿した行為でもあると評価されてもやむを得ないところというべきであり、被控訴人委員会がこれを「隠匿」と認定したことに誤りは認められない。 イ 控訴人の行為は、本件式典という重要な学校行事において敢行されたものであり、その態様も、掲揚された本件日の丸旗を実力で引き降ろした上、これを自己の占有下におき、一時的にせよ丙川校長からの返還要求にも応じなかったというもので、決して軽視できない上、現実に生徒らが控訴人による本件日の丸旗引き降ろし行為や返還拒絶行為を目撃していることなどの事情に鑑みれば、その後、控訴人が本件日の丸旗を丁原教頭の机上に置いて返し、これが丙川校長らによって再度掲揚され、その後は本件式典がとどこおりなく行われたことを考慮に入れても、客観的にみて、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職員の職全体の不名誉となる行為であって、法三三条に規定する信用失墜行為に該当する違法な行為であるといわざるを得ない。そして、法三二条に規定する「法令」の中に法三三条が含まれないと解するべき根拠も認められないから、控訴人は、法三三条に違反する行為をするとともに、法三二条の法令に従わない行為をもしたものというべきである。  そして、控訴人の法三三条、三二条に違反する上記行為は、法二九条一項一号の法令違反行為に該当するとともに、その行為の態様その他その行為に関する前記認定のような諸般の事情に照らすと、同項三号に規定する全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合にも該当するといわなければならず、懲戒の対象となるべき非違法行為たるを免れない。 ウ 控訴人は、丙川校長の本件日の丸旗掲揚行為は違法、不当であり、控訴人の行為は自力救済行為として違法性を有しない旨主張するが、丙川校長の本件日の丸掲揚行為は、学習指導要領に基づく適法な職務執行行為であることは前記二、(1)のとおりであり、何らその日の丸旗に対する敬礼等を強制するような特段の事情があったと認めるに足りる証拠もないから、実力をもって本件日の丸旗を引き降ろすなどした控訴人の行為が、自力救済として許容される余地はなく、控訴人の主張は採用できない。 三 争点2(本件処分手続の瑕疵)について (1) 前記一、(1)の認定事実によれば、控訴人の主張するとおり、丙川校長は、第一次報告書及び本件報告書の作成及び提出に先立ち、控訴人に対する事情聴取を行わず、控訴人に第一次報告書及び本件報告書を作成する旨も知らせていなかったことが認められ、したがって、第一次報告書及び本件報告書の作成及び提出に当たり、本件事務処理要綱及び本件報告書作成要領に定めた手続が履行されていなかったといわなければならない。  しかしながら、本件事務処理要綱及び本件報告書作成要領は、その作成者及び内容から明らかなように、事故報告に際しての処分者側の内部手続の細目を定めたものにすぎないのであり、被処分者を保護するための適正手続を構成するものといえないことは明らかであるから、第一次報告書、さらには本件報告書の作成及び提出手続において、これらの定めと異なる扱いがされたからといって、それによって本件処分の手続が違法となるとはいえない。 (2) 控訴人は、本件報告書において、丙川校長が本件日の丸旗を返却したものが控訴人であることを知りながら、「返却したものは不明である。」との虚偽の記載をした旨主張するが、本件報告書には、そのような虚偽の記載は存在しないので、控訴人のこの点に関する主張は採用することができない。また、本件報告書には、平成二年二月一三日の職員集会の呼び掛け責任者が丁野一郎教諭である旨の記載があるところ、同集会の呼び掛け責任者は、実際は丁川梅夫教諭であったから、本件報告書の記載に誤りがあるということにはなるが、同集会の呼び掛け責任者が誰であるかは、控訴人が本件式典において本件掲揚塔に掲揚されていた本件日の丸旗を引き降ろすなどした行為についての認定ないし評価とは直接関係があるとは認められないから、同集会の呼び掛け責任者につき誤った記載があったからといって、本件処分の手続に瑕疵があるとすることはできない。 (3) 被控訴人委員会は、丙川校長が作成し、提出した第一次報告書につき、事案の内容に合致するものであるとしても、「隠匿」との用語を用いて修正し、又は、穏便な処分を願う旨の丙川校長の意見具申を削除した上、これを懲戒分限審査委員会の審議及び被控訴人委員会の本件処分決定のための資料としているのであって、その手続には若干不透明な感があることは否めないが、しかし、前記二、(2)、アのとおり、控訴人の行為が「隠匿」した行為でもあると評価されてもやむを得ないところがあり「隠匿」の用語を用いて修正したこと及びこの報告を徴して「隠匿」と認定したことに誤りはないといわざるを得ないのである。また、丙川校長のした意見具申は、地方教育行政法三六条の規定に基づくところ、同条は、「校長は意見を申し出ることができる」と規定するにとどまり、同法三八条の市町村教育委員会による内申の場合と異なり、これを懲戒処分手続を行う上での必要的要件としていないのみならず、前記のとおり、丙川校長の意見は、久野主事作成の二通の事故概要書に、「甲野太郎教諭は自己顕示欲が強く、しかも、むきになるところがあり、同僚教員の中では孤立しがちである。今回の行動は単独行動であり、幼稚なものが感じられる。若い、将来のある教員なので穏便な措置をお願いしたい。校長としても今後さらに指導していきたいと考えている」と記載されたと同内容と認められるのであり、これが被控訴人委員会に伝えられており、そのような記載をも考慮して本件処分がされていることに鑑みれば、結論的には丙川校長の意見具申がされ、それが本件処分を決定するための資料の一つとなっていると認めることができるから、丙川校長が作成した第一次報告書に「隠匿」との記載がされたことや丙川校長の意見具申が削除されたことをもって、本件処分をするについての手続に瑕疵があり、本件処分が違法となるとは到底認められない。  次に、控訴人は、第一次報告書には、控訴人が職員室において、机を挟んで丁原教頭に日の丸を返却した事実が記載されていた旨主張するが、丁原教頭作成のメモの、「しばらくして、甲野本人国旗をが職員の教頭の机上に黙っておいていた。」との記載や久野主事の事情聴取書記載の質問事項のうちの「国旗を教頭先生の机の上に返したのはなぜですか。」との部分を併せ考慮しても、控訴人が職員室において、机を挟んで丁原教頭に日の丸を返却したとの事実を認定することは困難であり、前記一、(2)のとおり、そのような事実を認めるに足りる証拠はないから、控訴人の上記主張は、上記の判断を左右しない。  さらに、控訴人は、本件報告書に、本件文書管理規程に定める主務課である人事部職員課の収受印が押されていないことをも問題とするが、本件文書管理規程は、被控訴人委員会の訓令であり、被控訴人委員会における文書管理の内部手続を定めたものにすぎず、被処分者を保護するための適正手続を構成するものではない上、文書収受印が要求される趣旨は、文書の収受を確実にし、過誤を防止するという理由に基づくと解されるから、教育長宛に提出された本件報告書に人事部職員課の収受印が押されていないからといって、そのことのみで本件処分に手続上の瑕疵があるということができないことは多言を要しない。 (4) さらに、控訴人は、教育庁指導部心身障害教育課が第一次報告書又は本件報告書の作成・提出に関与していたことが手続上違法である旨主張するが、教育庁指導部心身障害教育課は、養護学校等に対する指導事務を所管する部署であることが認められるから、同課員が、本件学校において発生した事故に関し、丙川校長を指導するのは当然同課の職務の範囲内に含まれるというべきであるし、同課員の指導内容に鑑みれば、同課員の丙川校長に対する指導に違法があったということもできない。 (5) 以上のほかにも、控訴人は、被控訴人委員会が、本件処分に関して適式な審理・議決を経ていない旨、本件処分は、ユネスコの「教員の地位に関する慣行」に反し、手続的に公平な保護を保障すべきであるとの規定にも反する旨などるる手続上の問題点を主張するが、被控訴人委員会は、本件処分に先立ち、控訴人から事情聴取を行い、所定の手続に従って、懲戒分限委員会の答申を受けた上、教育委員会を開催し、本件処分を議決しているのであるから、本件処分の処分手続に違法があるとは認められないし、その手続中にユネスコの「教員の地位に関する慣行」等に反する行為があったとも認められない。  また、被控訴人委員会がした控訴人からの事情聴取に際しては丙川校長が立ち会っているが、丙川校長の立会いによって控訴人の事情聴取に支障が生じたことを認めるに足りる証拠はないし、丙川校長が控訴人名義の印鑑を購入して控訴人に渡したことによって控訴人の事情聴取に支障が生じたことを認めるに足りる証拠もない。  そして、控訴人の手続上の問題点に関するその余の主張は、いずれも、理由がなく、採用の限りでない。 (6) 以上のとおりであるから、本件処分において、手続上の瑕疵があり、本件処分が違法となると認めることはできない。 四 争点3(裁量権逸脱)について (1) 地方公務員につき、法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。もとより、懲戒権者の裁量は、恣意にわたることが許されないものであることは当然であるが、懲戒権者が裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法となることはないものといわなければならない。したがって、裁判所が処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合かどうかを検討し、そのように認められる場合に限り違法であると判断すべきものである(最高裁判所第三小法廷昭和五二年一二月二〇日判決(民集三一巻七号一一〇一頁参照)。  そこで、このような見地に立って、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠くものと認められるかどうかについて考察する。 (2) 本件処分の対象となる控訴人の行為の態様その他その行為に関する諸般の事情は、前記認定のとおりであり、改めてその要点をふえんすると、以下のとおりである。  控訴人は、本件式典当日の平成二年二月一七日午前八時四〇分ころ、本件学校校庭に設置された本件掲揚塔に、丙川校長と丁原教頭によって掲揚されていた本件日の丸旗を無断で引き降ろしてその後その取扱いを他の教職員に全く告げることなくみだりにこれを本件掲揚塔から離れた校舎二階の更衣室の自己のロッカーに入れた上、丙川校長の返還要求を受けたにもかかわらず「落成式が終わったら返します」旨を述べてその返還を拒絶するとともに、本件日の丸旗の所在を明らかにせず、同日午前九時一五分ころ、丁原教頭の机上に置いてこれを返すまで、本件日の丸旗を自己の占有下に置き、丙川校長が本件掲揚塔に本件日の丸旗を掲揚することを実力をもって妨害したものである。そして、このような控訴人の引き降ろし行為は、少なくとも二名の生徒に目撃されたのみならず、その返還拒絶の行動は相当数の生徒の見聞きするところでおこなわれている。また、控訴人は、その行為の後も、本件処分を受けた後においても、このような事態を招いた責任は丙川校長にあり、控訴人が処分を受けることはないとして、丙川校長の適法な職務執行行為を教育公務員にあるまじく無断で実力をもって妨害した点についてすら何ら反省するところを示していない。 (3) 平成二年当時、日の丸旗の掲揚等に関して懲戒処分等が行われた例としては、次の事例が存在する。 ア 公立学校教員が、平成二年一一月一二日の即位礼正殿の儀の当日、校長の指示により教頭が国旗を掲揚しようとした際、掲揚ポールのロープを握って教頭の職務を妨害し、また、校長及び教頭からその行為を止めるよう注意されたにもかかわらず、止めなかった事案につき、神奈川教育委員会が、当該公立学校教員に対し、同年一二月二一日付けで、文書訓告の措置をとった。 イ 都立戊山ろう学校教員が、平成二年四月一〇日の入学式の当日、国旗を掲揚しようとした校長を取り巻き、国旗を掲げないよう威嚇するなどして校長の職務遂行を妨害した事案につき、被控訴人委員会が、都立戊山ろう学校教員に対し、同年六月二九日付けで文書訓告の措置をとった。 ウ 東京都西多摩郡日の出町の町立学校教員が、平成二年四月六日の入学式当日、教頭が掲揚した国旗を引き降ろした事案につき、同町教育委員会が、当該教員に対し、戒告処分とした(本件国旗掲揚条項が改正されて施行された後の事件)。 エ 都立甲田高校教員が、平成二年四月、校長が国旗を掲揚するのを旗竿を握って妨害した事案につき、被控訴人委員会が、当該教員に対し、戒告処分とした(本件国旗掲揚条項が改正されて施行された後の事件)。 (4) 本件処分の対象となった控訴人の行為と上記(3)の四件の事案を比較すると、上記(3)、ア及びイの事案は、基本的には、学校長等が日の丸旗を掲揚するのを事前に妨害したというものであり、その妨害の程度については、掲揚されていた本件日の丸旗を引き降ろしたという控訴人の行為とはその類型を異にするものであり、このような類型の違いを考慮すると、本件処分が、上記(3)、ア及びイの事案に比較して過重な処分であるとまで認めることはできない。また、上記(3)、ウの事案(ただし、懲戒手続に違法があるとして懲戒処分が取り消されている。)は、掲揚されていた日の丸旗を引き降ろしたという事案であり、本件処分の対象となった控訴人の行為に最も近いが、その処分は控訴人と同様に戒告処分となっている。上記(3)、エの事案は、国旗掲揚を妨害したという事案であるが、戒告処分とされており、これと比較して本件処分が過重な処分であるということはできない。  そして、前記(2)の控訴人行為、その後の態度及び周囲にもたらした影響等を考慮すると、控訴人の行為が法三三条、三二条に違反し、法二九条一項一号及び三号に該当するとし、控訴人につき、懲戒処分としては最も軽い戒告処分とした本件処分が、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用した処分であるとまで認めることはできない。 (5) これに対し、控訴人は、「被控訴人委員会は、控訴人につき、文書訓告とすべきところを、新学習指導要領下の他の事件と合わせて戒告処分にするとの不当な意図を持って、丙川校長作成の第一次報告書を改ざん、差し換えしたものであり、また、入学式及び運動会の二回に渡る日の丸引き降ろしにより、日の丸が実際に掲揚できなかった例につき戒告処分がされていること、本件と同種の事例につき文書訓告がされていることなどの事実に照らすと、被控訴人委員会のした本件処分は、裁量権を逸脱するものである。」と主張する。  しかし、前記(2)、(3)のとおり、被控訴人委員会が、平成二年に発生した日の丸旗掲揚をめぐる懲戒処分において、控訴人を含めて四件の懲戒処分を行っているところ、その処分内容は文書訓告と戒告とに別れているのであり、文書訓告とすべきところを、新学習指導要領下の他の事件と合わせて戒告処分にするとの不当な意図を持って控訴人を処分したとすれば、上記(3)、イの事案についても戒告をもって臨むのが自然であると思われるのに、そのような処分がされていない上、本件処分に携わった坂本清治が、本件処分と他の処分とを比較対照して本件処分がされたものではない旨証言していることに照らすと、被控訴人委員会が控訴人主張のような不当な目的をもって控訴人に対し本件処分をしたと認めることはできない。  次に、丙川校長作成の第一次報告書の内容が修正されていることは前記一、(2)で認定したとおりであるが、前記三、(3)のとおり、本件報告書の記載及び久野主事作成の事故概要書の記載に鑑みると、修正後の本件報告書の内容に虚偽はなく、また、当初、丙川校長が具申した意見も久野主事作成の事故概要書の中に記載されて被控訴人委員会に伝えられており、本件処分がされるについて、丙川校長の意見が十分考慮されているといえることを考慮すると、第一次報告書が後日修正されたからといって、これを判断の一資料にした本件処分の判断過程が合理的でないということはできないのであり、この点からも、被控訴人委員会が控訴人主張のような不当な目的をもって控訴人に対し本件処分をしたと認めることはできない。  さらに、入学式及び運動会の二回に渡る日の丸引き降ろしにより、日の丸が実際に掲揚できなかった事案につき戒告処分がされた例があるが、戒告処分は、懲戒処分としては最も軽い処分であることを考慮すると、一回の日の丸旗引き降ろし行為であるからといって、これが上記事例に比較して重すぎて社会観念上著しく妥当性を欠くものということはできない。 (6) 控訴人は、本件処分により、控訴人が多大な経済的損失を被り、学校内外における職務上の評価や信頼をおとしめられ多大な精神的損害を被るのに対し、丙川校長が不問に付されているのは、控訴人のみ過重な処分を受けることになり公正でない旨主張するが、控訴人がその主張するような多大な経済的、精神的損害を被るとしても、そのような損失のうち、本件処分を受けたことによる直接の結果に含まれるものは控訴人において甘受すべきところというべきであるし、その余は本件処分にその原因があるということはできないものである。そして、丙川校長のした本件日の丸旗掲揚行為は既にたびたび繰り返して判示したとおり適法な職務執行行為であって、何ら懲戒の対象となるべき非違行為ではないのであるから、丙川校長が不問に付されたことをもって、控訴人のみ過重な処分を受けることになり公正でないなどということはできないものである。  また、控訴人は、法三三条の解釈上、何らの法規にも違反しないが信用失墜行為には当たる行為については、訓告の対象とされることが予定されていると主張するが、独自の見解であり、そのように解すべき根拠を見いだすことはできない。 (7) 以上に見たもののほか、控訴人は、本件処分が裁量権を逸脱するものである旨るる主張するが、いずれも採用することができず、そうすると、本件処分についての裁量権の逸脱に関する控訴人の主張は、すべて理由がないことに帰する。 第四 結論  よって、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の本訴請求は、いずれも理由がなく、これを棄却すべきところ、これと同旨の原判決は正当であり、本件控訴は、いずれも理由がないから棄却し、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 雛形要松 裁判官 小林正 萩原秀紀)