◆ H15.12.03 東京地裁判決 平成14年(行ウ)第51号 東京都日野市立南平小学校君が代ピアノ伴奏拒否事件(戒告処分取消請求事件) 判示事項: 校長から入学式の国歌(君が代)斉唱に際しピアノ伴奏を行うよう職務命令を受けた音楽教諭がこれに従わなかったことを理由にされた戒告処分が違法ではないとされた事例     主   文 一 原告の請求を棄却する。 二 訴訟費用は原告の負担とする。     事実及び理由 第一 請求  被告が原告に対してした平成一一年六月一一日付け戒告処分を取り消す。 第二 事案の概要  本件は、原告が、被告に対し、被告が原告に対してした平成一一年六月一一日付け戒告処分(以下「本件処分」という。)は違法であるとして、その取消しを求めた事案である。 一 争いのない事実 ア 当事者 (ア)原告は、平成一一年四月一日から日野市立乙山小学校(以下「乙山小学校」という。)の音楽専科の教諭として勤務していた。  平成一一年当時、乙山小学校の校長は丙川松夫(以下「丙川校長」という。)であった。 (イ)被告は、東京都の教育に関する事務を行っており、原告に対する処分権を有している。 イ 本件処分等 (ア)原告は、平成一一年四月六日、乙山小学校の同年度入学式(以下「本件入学式」という。)において、国歌斉唱の際、ピアノ伴奏をしなかった(以下「本件行為」という。)。  このため、同入学式では、テープ伴奏により国歌斉唱が行われた。 (イ)被告は、同年六月一一日付けで、原告に対し地方公務員法二九条一項一号ないし三号により、戒告処分を行った(本件処分)。  本件処分の理由は、「平成一一年四月六日(火)午前一〇時五分ころ、丙川校長から乙山小学校入学式において、国歌斉唱の際、ピアノ伴奏を行うよう、五日の職員会議及び六日の朝に職務命令が出されたにもかかわらず、その命令に従わなかった。このことは、地方公務員法三二条及び三三条に違反する。」というものであった。 (ウ)原告は、同年七月二一日、本件処分を不服として、東京都人事委員会に審査請求を申し立てたが、同委員会は、平成一三年一〇月二六日、原告の請求を棄却する旨の裁決をした。 二 争点 (1)原告の本件行為について、地方公務員法二九条一項一号ないし三号に該当する事由があるか。 (2)本件処分は違法か。 三 争点に関する当事者の主張 (1)争点(1)について  (被告の主張) ア 職務命令違反(地方公務員法三二条違反) (ア)職務命令の存在  a 丙川校長は、平成一一年四月五日午後二時四五分ころ、職員会議の場において、音楽専科の教諭であった原告に対し、本件入学式の国歌斉唱に際してピアノ伴奏を行うよう職務命令を発した(以下「本件事前命令」という。)。  また、丙川校長は、本件入学式当日である同月六日午前八時二〇分ころ、校長室において、原告に対し、再度入学式の国歌斉唱に際してピアノ伴奏を行うよう職務命令を発した(以下「本件当日命令」といい、本件事前命令と本件当日命令を一括して、「本件職務命令」という。)。  b 後記(原告の主張)ア(ア)は全て争う。  職務命令の成立要件として、(1)立会人が発令の場に立ち会い、(2)書面によって告知され、(3)記録が取られること、が必要であるというわけではない。  また、丙川校長は教諭に対しては職務命令とそうでない場合を明確に区別して発言してきたから、本件職務命令が職務命令であるかどうか原告にとって区別が困難な状況にあったということはない。  丙川校長は、校務に関する職務遂行の一環として原告に対してピアノ伴奏を命じたのであって、このことが原告の個人としての思想・良心を否定するものではないから、原告が自らの思想・良心を理由に「君が代」のピアノ伴奏を拒絶していたからといって、本件職務命令の発出が否定されるわけではない。原告自身、本訴提起に至るまで、本件職務命令があったことを一貫して認めた上、その違法性や不当性を主張していたに過ぎない。 (イ)職務命令の適法性  a 原告の職務に関する事項であること  乙山小学校では平成七年ころから音楽専科の教諭が入学式・卒業式の国歌斉唱に際してピアノ伴奏を行ってきた。学校教育法二八条三項の規定に基づき校務をつかさどる責任者であった丙川校長は、ピアノ伴奏がテープ伴奏よりも教育的効果がある(子どもたちが歌いやすい)と考えて、本件入学式での国歌斉唱に際してもピアノ伴奏で行うことを決定し、平成一一年四月五日の職員会議においても、本件入学式においては、直前に行われた同年三月の卒業式に準じて国歌斉唱をピアノ伴奏で行う旨打ち合わせがなされた。これらからして、本件入学式における「君が代」のピアノ伴奏は、音楽専科の教諭であった原告の職務に含まれる。  なお、他校においてテープ伴奏等で入学式が行われており、それに対して被告や日野市教育委員会(以下「日野市教委」という。)が何らの指導もしていないということがあったとしても、国歌斉唱の実施方法をピアノ伴奏にするか、テープ伴奏にするかについては、当該校長の判断に任せられていたから、これをもって、本件入学式における「君が代」のピアノ伴奏が原告の職務に含まれないとはいえない。  b 憲法一九条違反であるとの主張について  (a)原告の権利侵害の不存在  上記(ア)bのとおり、丙川校長は、校務に関する職務遂行上の義務として原告にピアノ伴奏を命じたのであり、原告の個人としての思想及び良心を否定するものではない。  教育公務員である原告にも、国民個人として憲法一九条の思想・良心の自由が保障されているが、人の内面の精神的活動は外部的行為と密接不可分であるから、外部的行為の規制を通じて内心の自由が制約される場合があり、教育公務員という職にある場合は、その職務との関係で、その限りにおいて思想・良心の自由が制約されることがあり得る(地方公務員法三〇条、三二条、三五条、憲法一二条、一三条、一五条二項)。  仮に本件職務命令が教育公務員である原告の思想・良心の自由を制約することになるとしても、本件職務命令は、ピアノ伴奏の方がテープ伴奏に比較して子どもたちが歌いやすいという教育的効果があること、ピアノ伴奏は、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」、「(1)儀式的行事 学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」とする学習指導要領の規定の趣旨に沿うこと、乙山小学校では、これまで教職員との議論を経た上最終的に校務を司る校長が決定して、国歌斉唱が音楽専科の教諭によって行われていたという経緯があることからして、目的において正当なものである上、手段としても合理的であり、憲法一九条に違反しない。  (b)子ども及びその保護者の権利侵害の不存在  校務をつかさどる丙川校長が、学習指導要領に基づき、入学式において国歌を斉唱することを決定し、それを実施したからといって、また、本件職務命令を発したからといって、それらのことが入学式に出席した子供やその保護者の思想・良心の自由を侵害するものではない。  c 憲法一条違反であるとの主張について  政府の見解によれば、「君が代」の「君」とは日本国及び日本国民統合の象徴である天皇を指すから、「君が代」自体が憲法一条に違反するものではないし、また、本件職務命令が憲法一条に違反するものでもない。  d 憲法九九条違反であるとの主張について  上記c、d記載のとおり、本件職務命令は何ら憲法九九条に違反するものではない。  e 校長の管理権ないし校務掌理権の濫用であるとの主張について  本件入学式前日の職員会議において、国歌斉唱はテープ伴奏でよいとの意見が大勢となっていたが、最終的な対応は管理職に委ねるということで同会議は終了した。これを踏まえて、上記aのとおり、丙川校長は、乙山小学校の従来の慣例及びピアノ伴奏の方がテープ伴奏よりも歌いやすく教育的効果があるとの考えから、国歌斉唱をピアノ伴奏で行うことを決定し、本件職務命令を発したのであり、本件職務命令は校長の管理権ないし校務掌理権の範囲内のものである。  f 小括  以上のとおり、本件職務命令は、原告の職務の範囲内のものであり、憲法等の上位法規に違反しない適法なものである。 (ウ)原告は、適法な職務命令である本件職務命令を発せられたにもかかわらず、本件入学式の国歌斉唱に際してピアノ伴奏を行わなかったのであるから、原告の本件行為は職務命令違反に該当する。 イ 信用失墜行為(地方公務員法三三条違反) (ア)職務命令違反  原告は、丙川校長から本件職務命令を発せられたのに、これに従わず本件入学式においてピアノ伴奏を行わなかったのであるから、本件行為は、その職務を忠実に遂行すべき義務がある教育公務員としてあるまじき行為として、それ自体、教育公務員という職に対する信用を失墜させるものである。 (イ)本件入学式参加者に与えた心理的混乱  原告は、平成一一年四月六日午前一〇時ころ、本件入学式の開始に際し、新入生の入場に合わせて入場曲「さんぽ」をピアノで伴奏した。その後、教頭が、開会の辞を述べ、「国歌斉唱」と言った際、原告は、引き続きピアノの椅子に座っていた。このような原告の行動及び乙山小学校の従来の慣例から、本件入学式の参加者(新入生、在校生、保護者、来賓、教職員)は、入場曲と同様に、原告が国歌斉唱に際しても当然にピアノ伴奏を行うものと期待していたが、約一〇秒間が経過しても、原告はピアノ伴奏を行おうとしなかった。丙川校長は、最後まで原告が翻意してピアノ伴奏を行ってくれるものと期待していたが、結局は原告がピアノ伴奏を行わないと判断したことから、教頭に合図を送ってテープ伴奏に切り換えさせたのである。  このような原告の行動が本件入学式の参加者に対して、不信感や疑問を抱かせたり、不自然さを与えて心理的な混乱を生じさせたことは明らかであり、本件行為は、教育公務員という職に対する信用を失墜させる行為に該当する。このことは、本件入学式に参加した保護者が「テープ伴奏でがっかりした。」と述べたり、子どもたちが「どうしてピアノを弾かないのかなと思った。」と述べていることからも明らかである。 ウ まとめ  以上のとおり、原告の本件行為は、地方公務員法三二条及び三三条に違反するものであり、同法二九条一号ないし三号の事由がある。  (原告の主張) ア 職務命令違反(地方公務員法三二条違反)の不存在 (ア)本件職務命令の存在自体が極めて疑わしいこと  平成一一年四月五臼の職員会議では、最終的な対応を管理職に一任するのではなく、「『君が代』の扱いについてはもう一度管理職で考えて欲しい。」とだけ決定された。同日午後二時四五分の職員会議途中の段階では、丙川校長は、「君が代」をピアノ伴奏で行うことを最終的に決定していなかったから、本件事前命令は発令されていなかったことになる。  また、一般に、職務命令が発令される場合には、(1)立会人が発令の場に立ち会い、(2)職務命令が書面によって告知され、(3)記録が取られることになっているところ、本件職務命令については、丙川校長から、単に口頭で職務命令であると言い渡されたに過ぎず、文書もなく、立会人も不在であるし、「私の言うことは職務命令だと思ってくれ。」、「コピー一枚取ってもらうのも職務命令だ。」などという丙川校長の日頃の発言からすると、原告にとって何が職務命令で、何が職務命令でない単なる要請なのかの区別が困難な状況であった。  さらに、自らの思想・良心を理由に「君が代」のピアノ伴奏を拒絶している原告に対し、職務だからという理由だけで、ピアノ伴奏をしろと命じることなどあるのかと一般人であれば疑わしく思うはずである。これらからして、原告は、被告が主張する本件職務命令なるものは、基本的には丙川校長の要請に過ぎないと考えていたもので、外形上、丙川校長の「職務命令」という言葉があったとしても、それだけで本件職務命令があったとは評価できない。 (イ)職務命令の違法性  a 原告の職務外の事項であること  学校教育法や小学校学習指導要領に「君が代」のピアノ伴奏について規定した条項は一切存在しないし、管理職の締め付けが厳しい国立市の教育次長ですら「(ピアノ伴奏は)絶対条件ではない。」旨明言していること、仮に「君が代」のピアノ伴奏が職務であるならば、全ての小学校の入学式でピアノ伴奏が行われていなければならないはずであるが、本件職務命令発令当時、テープ伴奏を行っていた小学校が多数存在していたこと、乙山小学校においても、入学式・卒業式で「君が代」のピアノ伴奏が行われるようになったのは平成七年三月の卒業式からに過ぎないことからすると、入学式における「君が代」のピアノ伴奏が音楽専科教諭の職務に含まれないことは明らかである。  b 憲法一九条違反  (a)原告の権利侵害  原告は、(1)「君が代」は過去の日本のアジア侵略と密接に結びついており、これを公然と歌ったり、伴奏することはできない、(2)儀式的行事の中で自発性の告知等の思想・良心の自由を実質的に保障する措置がない場合に国歌斉唱をすること自体が憲法一九条に違反するとの学説が有力に主張されている中、「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず、かつ、自発性の告知等の思想・良心の自由を実質的に保障する措置がないままに「君が代」を歌わせるという子どもの人権侵害に加担することはできない、(3)元来、日本の伝統音楽である雅楽を基本にしながらドイツ和声を付けているという音楽的に大変不適切な「君が代」を、さらに平均律のピアノという不適切な演奏方法で演奏することは、一人の音楽家としても、子どもに良い教育を提供する見地からもできない、以上のような思想・良心を有していた。  そして、原告が、その思想・良心により、本件入学式において「君が代」の伴奏ができないということは、丙川校長も認識していた。  にもかかわらず、あえて職務命令で原告にピアノ伴奏を強要することは、原告の思想・良心の自由を侵害するものであり、明白に憲法一九条に違反する。  原告は地方公務員であるが、公務員であっても思想・良心の自由が保障されていることには変わりなく、教育が児童に自らの頭で考え、解決する力を養うことを主要な要請の一つとしていることからすれば、教育を司る教育公務員の思想・良心の自由は一般の公務員の思想・良心の自由よりも一層保障されるべきである。したがって、その制約に関する違憲審査基準は、(1)制約が重要な利益を追求した結果であること、(2)選択した制約手段が必要不可欠であること(代替手段が存在しないこと)という、思想・良心の自由の重要性に応じた厳格な合理性の基準によるべきである。この基準に照らせば、音楽的、教育的見地に照らして不適当な「君が代」のピアノ伴奏により教育的効果が上がることはないし、乙山小学校の入学式・卒業式でピアノ伴奏が行われたのはわずか五年間に過ぎない上、原告の思想・良心の自由に配慮した措置がとられていないから、本件職務命令は(1)の要件を満たしておらず、他にテープ伴奏や他教諭によるピアノ伴奏といった選択肢もあったから、(2)の要件も満たしていない。したがって、本件職務命令は憲法一九条に違反する。  仮に緩やかな違憲審査基準である合理性の基準によったとしても、学習指導要領には「君が代斉唱はピアノ伴奏で行う」とは一言も記載されていないこと、ピアノ伴奏の方がテープ伴奏より生徒が歌いやすいとはいえないこと、被告のいう乙山小学校の従前の経緯((被告の主張)ア(イ)b(a))は、事実と異なる上、「君が代」のピアノ伴奏ができないという思想・信条を持った原告の着任により状況が全く異なったこと、原告のピアノ伴奏は丙川校長の個人的な趣味に基づいて決定されたことなどから、その目的及び手段において合理性がなく、本件職務命令は同様に憲法一九条に違反する。  (b)子ども及びその保護者の権利侵害  子どもに対し、自発性の告知等の思想・良心の自由を実質的に保障する措置がとられずに、入学式等の公式行事において「君が代」斉唱を実施することは、子どもの思想・良心に対する侵害となると解すべきである。  乙山小学校においては、かかる措置はとられないまま、「君が代」斉唱が強制的に実施されており、そのような状況下で「君が代」斉唱のピアノ伴奏をすることは、子どもに対する強制に手を貸す手段ないし強制のための補助手段に他ならないから、本件職務命令は子ども及びその保護者の思想・良心の自由を侵害する具体的な実行行為を内容とするもので、憲法一九条に違反し、違法である。  c 憲法一条違反  憲法一条は、主権が国民に存することを宣言するところにその本質があり、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴でしかないことを示す規定である。  しかし、「君が代」の「君」とは天皇のことであるという政府答弁によれば、「君が代」は主権者ではない天皇を礼賛するものであることになり、主権者は国民であると宣言した同条と真っ向から衝突する違憲の歌であることになる。  したがって、原告に「君が代」という違憲の歌の伴奏を強制する本件職務命令もまた同条に違反する。  d 憲法九九条違反  公務員は、国民の思想・良心の自由を侵害したり、国民主権の原理をないがしろにしたりしてはならないという憲法擁護義務を負っているところ、本件において、被告、日野市教委及び丙川校長は、思想・良心の自由の上に「上司の命令」を平然と置くことによって、憲法体制を真っ向から否定し、憲法尊重擁護義務に根本的に違反している。  したがって、本件職務命令は憲法九九条の憲法尊重擁護義務に違反し、無効なものである。  e 校長の管理権ないし校務掌理権の濫用  校長が教諭に対して職務命令を発する根拠となるのは、学校における校長の管理権ないし校務掌理権であり、これが逸脱・濫用となるか否かは、諸事情を総合考慮して判断すべきであるが、とりわけ(1)職務命令の目的が正当といえるか、(2)目的を達するための手段として合理的内容を有しているといえるか、(3)手続的な観点から、議論が必要な事項についてきちんと職員会議等の場で議論を経たかが重要な判断材料になる。  被告は本件職務命令の目的としてピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことにより教育的効果を上げること及び従来の慣例を実施することを挙げているが、この目的は上記b(a)のとおり正当とはいえないし、上記b(a)のとおり他の選択肢もあったから、本件職務命令は目的を達するための手段として合理的とはいえない。  教育的効果を上げるためには、「君が代」に対して好意的とはいえない思想・良心を抱いている原告よりも、他の教諭にピアノ伴奏を委ねた方が子どもにとってはるかに高い教育的効果を上げることが期待できるものである。  さらに、「君が代」の伴奏方法については、小学校学習指導要領、国旗国歌法等の法令はもちろん、被告及び日野市教委においても何ら決められていなかったのであるから、丙川校長としては、どのような伴奏方法が適切であるのかについて所属教職員と議論を深めた上でその意向を十分に尊重して合理的な判断をしなければならなかったものである。しかるに、乙山小学校では、「君が代」斉唱をピアノ伴奏で行うかテープ伴奏で行うか、ピアノ伴奏によるとした場合、音楽専科教諭が伴奏するのかの点については何ら議論がされておらず、議論がなされたのは入学式の前日である平成一一年四月五日の職員会議の一回だけであり、しかもそこでの教職員の意見の大勢はテープ伴奏でよいというものであったのに、丙川校長はこれを全く尊重しなかった。  したがって、本件職務命令は丙川校長の管理権ないし校務掌理権の逸脱・濫用にあたる。 (ウ)以上のとおり、本件職務命令は、職務命令としての存在が疑わしく、仮に存在するとしても、憲法に違反するなど違法なものであったから、原告にはこれに従う義務はなく、原告の本件行為を職務命令違反ということはできない。 イ 信用失墜行為(地方公務員法三三条違反)の不存在 (ア)職務命令違反の不存在等  原告の本件行為は、上記アのとおり職務命令違反にはあたらないし、仮にあたるとしても、それが教員としてあるまじき行為であると通常の一般人が判断するとは考えられないから、本件行為が信用失墜行為であるということはできない。 (イ)本件入学式参加者に心理的混乱を与えていないこと  本件入学式においては、教頭が「国歌斉唱」と言った後、すぐに「君が代」のテープが流された。その際、原告は、入場曲の伴奏後、左隣り約三〇センチメートル付近のところにあったパイプ椅子に席を移す時間がなかったので、引き続きピアノの椅子に着席して「君が代」のテープを静かに聴いていたが、その姿は、ピアノの陰に隠れて来賓や保護者からは見えにくい状態であった。そして、原告は、「君が代」のテープが終わった後の切りのよいところで、ピアノの椅子からパイプ椅子へと移動した。  このように、本件入学式が何ら問題なく執り行われたほか、入学式の式次第に国歌斉唱をピアノ伴奏で行う旨の記載はなかったこと、テープ伴奏はごく普通のこととして多くの小学校で行われていたこと、乙山小学校での従前の経過からいえば、「君が代」斉唱の際にピアノ伴奏が行われていた期間よりもテープ伴奏が行われていた期間の方がはるかに長かったことからすれば、本件入学式の参加者において、被告が主張するような心理的混乱などは存在しなかったし、仮に存在したとしても、それは原告がピアノ伴奏しないことを熟知しながら準備不足のまま入学式に臨んだ丙川校長の怠慢によるものである。  したがって、原告の本件行為は、教育公務員という職に対する信用を失墜させる行為には該当しない。 ウ まとめ  以上のとおり、原告の本件行為は、地方公務員法三二条及び三三条に違反するとはいえないから、同法二九条一号ないし三号の事由があるとはいえない。 (2)争点(2)(本件処分の違法性)  (原告の主張) ア 本件職務命令の違法性  上記(1)(原告の主張)ア(イ)記載のとおり、本件職務命令は違法無効であるから、職務命令違反及びこれによる信用失墜を理由とする本件処分はその根拠を欠き違法である。 イ 憲法三一条違反 (ア)日野市教育長の公式答弁の存在  原告は、国立市から日野市に赴任するにあたって、同市の教育は比較的民主的であり、「日の丸・君が代」も強制されることはないと聞かされていた。また、同市の教育長は「『日の丸・君が代』は、強制すべき問題ではない。」「『日の丸・君が代』を肯定している方たちの中でも、強制すべき性格のものではない。このことに関する処分というのはありえない。」と日野市議会の定例議会で公式に答弁していた。  したがって、原告が「君が代」斉唱のピアノ伴奏について強制や処分がないと信ずるのは当然であり、その信頼は法的保護に値する。  もし、このような有権解釈に反して、強制や処分があり得るのならば、その解釈の方法が明示的な方法で利害のある教職員らに告知されなければならないが、そのようなことは一切されないまま、原告に対して本件職務命令が発せられ、本件処分が行われたのであるから、本件職務命令及び本件処分は適正手続の保障に違反する。 (イ)調査義務の懈怠  被告及び日野市教委は、「日の丸・君が代」に関し、その監督下にある教職員に対して強制や処分という重大な問題を扱う際には、教育委員会が従前どのような態度をとっていたのかを十分に調査する義務がある。にもかかわらず、被告や日野市教委は、本件処分をなすにあたって、あるいは本件処分をなすように上申するに当たって、これについて何らの調査も行わなかった。このような初歩的な調査が欠落したままなされた本件処分は適正手続の保障に違反する。 (ウ)事情聴取過程等における瑕疵  丙川校長は、平成一一年四月一五日午前中に、原告に対し、「まだ日野市教委には報告書を出していない。ぎりぎりまで出さないようにして穏便に済ませたい。」などと話をしていたが、実際には同月一四日に日野市教委に報告書を出していた。これは、丙川校長が原告に嘘を述べたか、日野市教委が丙川校長に命じて報告書の日付を改ざんさせたかのいずれかによるものである。また、丙川校長は、本件に関する事情聴取において、「君が代」を誰が歌っていたかという見てもいない事項について口々と適当に述べている。このように、原告に本件処分という不利益を課す手続の過程において、丙川校長の意識的な虚偽が介在していた上、被告や日野市教委が丙川校長の虚言を信じ込む一方で原告には糾問調の事情聴取に終始するという偏った姿勢をとっていたこと、更には事情聴取を経て本件処分を決定するにあたって、被告が原告の思想・良心の自由について全く検討していないことからすると、本件処分は適正手続の保障に違反する。 ウ 有責性の阻却  仮に本件職務命令が適法であったとしても、原告の本件行為は、その思想・良心を踏まえたものであり、およそ非難可能性がなく、実質的な害悪は発生していないことから、有責性を欠くもので地方公務員法違反に該当しない。 エ 懲戒権の濫用 (ア)処分の必要性がないこと  本件職務命令自体が違法でないとしても、処分は被処分者に対して不利益を科すものであるから、処分が必要な場合に限って行われるべきである。原告は既に平成一一年三月一七日の時点で、予め自らは思想・良心の観点から「君が代」のピアノ伴奏をすることができない旨丙川校長に告知しており、このため本件入学式当日はテープ伴奏の準備もなされ、それによって本件入学式はつつがなく式次第どおり進行・終了し、何ら実害がなかった。このような場合には、あえて本件処分をなす必要は全くなく、本件処分は上司の命令に違反した者に対する見せしめ以外の何ものでもない。 (イ)比例原則違反  懲戒処分は、その処分によって受ける不利益が事案の内容に比較して均衡を失するか、あるいは他の事例に比較して重きに失する場合には、処分権限の逸脱・濫用があったものとして違法無効とされるべきである。  本件は、代替措置をとることが極めて容易な客観的状況の中で理不尽にも職務命令が出されたのに対し、思想・良心上の理由からやむを得ずこれに従わなかったというだけの極めて軽微な職務命令違反の事案であるのに対し、原告が本件処分によって被る不利益は、処分歴として履歴に残るほか、昇給の三か月延伸、勤勉手当の一〇分の一カットとなる上、賞与の支給金額の減少や、将来受け取る退職金や年金の支給額にまで影響を及ぼす可能性があるという甚大なものである。  また、被告の懲戒分限審査委員会において本件処分と比較された減給処分の事例は、本件よりも情状が悪いことが容易に想像できる事例ばかりである上、減給処分か戒告処分かのみを問題として戒告処分以上の事案のみを検討していたというのは、当初から原告を戒告以上の重い処分に付することで結論が決まっていたのではないかとの疑念を抱かせる。  さらに、全国的に他の事例を見ても本件処分が重きに失することは明らかであるから、比例原則に違反する。 (ウ)したがって、本件処分は、懲戒権の濫用として違法無効である。 オ まとめ  以上のとおり、本件処分は違法であるから取り消されるべきである。  (被告の主張) ア 本件職務命令が違法であるとの原告の主張について  上記(1)(被告の主張)ア(イ)記載のとおり、本件職務命令は適法である。 イ 憲法三一条に反するとの原告の主張について (ア)日野市教育長の答弁について  原告の主張する日野市教育長の答弁は、当該教育長の個人的な見解を述べたものであり、また、そもそも日野市教育長は教諭に対する懲戒処分権限を有する立場にないから、その発言に対する信頼を法的保護に値するものと評価することはできない。 (イ)調査義務の懈怠について  争う。被告及び日野市教委は、原告が問題としている日野市教育長の議会答弁が存在したこと、その意味する内容については、上述のとおり、同教育長の個人的見解であることを承知していた。 (ウ)事情聴取過程等における瑕疵について  争う。丙川校長が平成一一年四月一五日に原告に対して「なるべく穏便に済ませたい。」と話したことはあるが、「まだ日野市教委には報告書を出していない。」と明言したことはない。  また、日野市教委が丙川校長に命じて報告書の日付を改ざんさせたという事実は全くない。 ウ 有責性が阻却されるとの原告の主張について  争う。原告には本件職務命令に従う義務があったから、それに従わなかった原告には非難可能性がある。原告の本件行為は、それ自体教育公務員という職に対する信用を失墜させ、かつ、本件入学式参加者に心理的混乱を与えたから、実質的な害悪も発生しており、有責性がある。 エ 懲戒権の濫用であるとの原告の主張について (ア)処分の必要性がないとの主張について  原告の本件行為は、校長の職務命令に違反するものであるとともに、信用失墜行為にも該当するのであるから、原告に対し本件処分を行う必要もあった。  なお、原告は、入学式が滞りなく終了し実害がなかったから本件処分を行う必要性はなかったと主張するが、上記(1)(被告の主張)イ(イ)記載のとおり、原告がピアノ伴奏を行わなかったことにより入学式参加者にかなりの心理的な混乱を与えたことは事実であり、入学式が滞りなく終了したとはいえない。 (イ)比例原則違反であるとの主張について  争う。原告のした本件行為は、職務命令違反及び信用失墜行為という重大な違反行為であり、戒告処分よりも軽い処分には到底該当しない。被告の教職員懲戒分限審査委員会は、適正な量定を行ったもので、原告が問題としている他県の事例と比較しても相当である。 (ウ)したがって、本件処分は、懲戒権の濫用にはあたらない。 オ まとめ  以上のとおり、本件処分は適法である。 第三 当裁判所の判断 一 認定事実  《証拠略》によれば、次の事実を認定することができる。 (1)乙山小学校では、平成七年三月の卒業式から「君が代」斉唱の際に音楽専科の教諭によるピアノ伴奏が行われるようになり、以後各年度の入学式・卒業式も同様にピアノ伴奏が行われていた。なお、それまでは「君が代」斉唱はテープ伴奏で行われていた。 (2)平成九年四月一日、丙川校長は、乙山小学校に校長として着任したが、同校長着任後も入学式・卒業式の「君が代」斉唱の際には音楽専科の教諭によるピアノ伴奏が行われていた。 (3)平成一〇年一二月ころから、丙川校長は、平成一一年三月に行われる平成一〇年度卒業式及び平成一一年四月に行われる同年度入学式(本件入学式)について、教職員との打ち合わせを始め、数回の職員会議を経て、卒業式の式次第に「国歌斉唱」を入れ、音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」を斉唱することを決定した。なお、国歌斉唱を含む卒業式と入学式とで共通の式次第については、卒業式について決めたことを入学式にも準用するものとされた。 (4)平成一〇年度卒業式では、上記(3)の決定に基づいて、音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱が行われた。 (5)原告は、平成一一年四月一日に前任地である小平市立丁原小学校から乙山小学校に転任することになっており、同年三月一七日、同校において、丙川校長と事前面接を行った。この際、丙川校長が、原告に対して「乙山小学校では、従来、入学式の際にピアノ伴奏で国歌斉唱を行ってきたので、新しく来たあなたにもピアノ伴奏をお願いしたい。」と申し入れたところ、原告は、「自分の思想・信条上それから音楽教師としてもできない。」と断った。  丙川校長は、当時原告が勤務していた丁原小学校の校長に対し、原告が「君が代」斉唱の際にピアノ伴奏をするよう指導を依頼し、同校長は原告にその旨指導したが、原告は同様に断った。 (6)原告は、同年四月一日に乙山小学校に着任することとなっていたが、差し支えのため、同月五日に初めて出勤した。  同月五日午後二時半ころから本件入学式の最終打合せの職員会議が開かれ、係の打ち合わせを進めていた際、原告は、国歌斉唱の項目について、「事前面接の時に弾くように言われたけれども、私は、思想・信条上それから音楽の教師としても弾けません。」と発言した。これに対し、丙川校長は、「校歌と同じように、国歌についてもピアノ伴奏をお願いしたい。」と言ったが、他の教諭からは「カセットテープでもいいではないか。」、「全体で考えていったらどうか。」という発言があった。丙川校長は、「本校では従来ピアノを弾いてきたので、国歌のピアノ伴奏をお願いします。これは職務命令です。」と言い、この発言時刻が同日二時四五分であることを確認し、職員会議の記録担当者に記載させた。これに対し、原告は「『君が代』の伴奏に対して職務命令が出されることは疑問です。弾きません。」と答えた。職員会議を司会していた戊田教諭は、午後三時二〇分ころ、「『君が代』の扱いについてはもう一度管理職で考えて欲しい。」と述べて議論を引き取った。職員会議終了後、丙川校長は、原告が本件入学式当日にピアノ伴奏をしない場合に備えて、甲田竹夫教頭(以下「甲田教頭」という。)と打ち合わせをした上でテープ伴奏の準備をした。 (7)本件入学式当日である同月六日午前八時二〇分過ぎころ、丙川校長は、校長室において、改めて原告に対し、「国歌について、ピアノ伴奏をお願いしたい。あなたの名前を式の中で指名はしないけれども、ぜひピアノ伴奏をお願いしたい。職務命令です。」と言ったところ、原告は「弾きません。」と答えた。 (8)本件入学式には、新入生児童、新二年生、新六年生、保護者、来賓らが参加した。同日午前一〇時に本件入学式が開始し、原告は、新入生の入場に合わせて入場曲「さんぽ」をピアノ伴奏した。新入生が着席すると、司会の甲田教頭が、開式の言葉を述べ、これに続けて「国歌斉唱」と言った。この際、原告はピアノの椅子に座ったままであったが、原告がピアノを弾き始める様子がなかったことから、丙川校長は、およそ五ないし一〇秒間待った後、甲田教頭に合図をしてテープ伴奏を行うよう指示し、この結果、テープ伴奏により国歌斉唱が行われた。国歌斉唱が行われた後、原告は、ピアノの椅子から移動して、左隣り約三〇センチメートル付近のところにあったパイプ椅子に着席した。その後、本件入学式は、校長の話、担任の紹介等と続き、新二年生は、歓迎の歌と言葉の中で、「だんご三兄弟」の歌をテープ伴奏で歌った。そして、原告のピアノ伴奏で校歌斉唱が行われ、閉式の言葉が述べられた後、原告が退場の曲をピアノ伴奏して新入生を送り出し、午前一〇時四三分ころ滞りなく終了した。 二 争点(1)について (1)職務命令違反(地方公務員法三二条違反)の有無 ア 職務命令の存否  上記一(6)、(7)によれば、丙川校長が原告に対して、平成一一年(以下、特に断りなく日付を示す場合は平成一一年の日付をいうものとする。)四月五日午後二時四五分ころ(本件事前命令)及び同月六日午前八時二〇分過ぎころ(本件当日命令)の二回にわたって、同年度入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うようにとの本件職務命令を発したことが認められる。  原告は、同月五日の職員会議では「君が代」のピアノ伴奏について管理職で再度考えて欲しい旨決定されたに過ぎないから、同日午後二時四五分の段階で丙川校長はこの件について最終的な決定をしていないはずであり、本件事前命令は発令されていなかった旨主張するが、同日の職員会議における議論の経過は上記一(6)で認定したとおりであり、職員会議での司会者の発言は校長ら管理職に対する要望に止まるものと解するのが相当である。  校長は、職員会議における教職員の意見ないし決定を尊重すべきではあるけれども、これに拘束されるものではなく、校務を司り所属職員を監督する権限に基づいて独自に職務命令を発することができるのであるから(地方公務員法三二条、学校教育法二八条三項)、上記職員会議の議論の経過を理由に本件事前命令が存在しなかったと推認することはできない。  また、原告は、発令に際して立会人が不在であること、口頭で告知されたに過ぎず書面による告知がないこと及び記録が取られていないことから本件職務命令の存在が疑わしい旨主張するが、職務命令は、権限ある上司から部下に対しその職務を遂行するに当たって発せられるものであり、原告主張の要件を具備しなければ職務命令を発することができないとする根拠はないから、原告主張のような発令の手続ないし形式がとられていないことを理由に本件職務命令が存在しなかったということはできない。  そのほか、原告は、丙川校長の日頃の発言や本件職務命令の内容からして、これが正式な職務命令なのか単なる要請なのか不明であったとも主張するが、上記一(6)、(7)認定のとおり、丙川校長は、二回にわたる本件職務命令の発令に際して、原告に対し、いずれもこれが職務命令である旨を明示的に告知しているから、本件職務命令が客観的に存在すること及び原告もそれを認識していたことは明らかである。本件職務命令の不存在をいう原告の主張はいずれも採用できない。 イ 職務命令の適法性 (ア)原告の職務に関する事項であるか否か  小学校教諭の職務は児童の教育を司ることであり(学校教育法二八条六項)、入学式等の行事も小学校における教育の一環として行われるものであるから、その行事を遂行するための行為を分担して行うことも小学校教諭の職務に関する事項である。  このことと、原告は小学校の音楽専科の教諭であって、その職務は児童の教育のうち主として音楽に関するものを司ることであることからすれば、入学式において「君が代」を含む児童の歌唱をピアノで伴奏することは、原告の職務に関する事項に含まれるというべきである。  原告は、学校教育法や小学校学習指導要領に「君が代」のピアノ伴奏について規定が存しないことを理由に「君が代」のピアノ伴奏は原告の職務に関する事項ではない旨主張するが、個々の教職員の具体的な職務についてまで必ずしも法令等に定められている必要はないし、上記のとおり、入学式を遂行するための行為を分担して行うことは教諭の職務に関する事項であること、原告の職務は主として音楽教育を司ることであることからすれば、「君が代」のピアノ伴奏につき法令等に定めがないことをもって、これが原告の職務に関する事項に含まれないということはできない。  また、原告主張のように、入学式において「君が代」のピアノ伴奏を実施していない小学校が他に多数存したり、乙山小学校においても以前は入学式における国歌斉唱をテープ伴奏により実施していたからといって、上記の説示からすれば、「それらのことを理由に、君が代」のピアノ伴奏が原告の職務に関する事項ではないということはできない。 (イ)憲法一九条違反の有無  a 原告の権利侵害の有無  《証拠略》によれば、原告は、第二の三(1)(原告の主張)ア(イ)b(a)のとおりの思想・良心を有していることが認められる。そして、丙川校長は、原告が思想・良心から、また音楽教諭としての立場からも、本件入学式において「君が代」の伴奏をすることはできないということを認識していたものである(一(5)、(6))。  もとより公務員であっても思想・良心の自由はあるから、原告が内心においてそのような思想・良心を抱くことは自由であり、その自由は尊重されなければならない。  本件職務命令は、本件入学式において音楽専科の教諭である原告に「君が代」のピアノ伴奏を命じるというものであり、そのこと自体は、原告に一定の外部的行為を命じるものであるから、原告の内心領域における精神的活動までも否定するものではない。  もっとも、人の内心領域における精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するものといえるから、「君が代」を伴奏することができないという思想・良心を持つ原告に「君が代」のピアノ伴奏を命じることは、この原告の思想・良心に反する行為を行うことを強いるものであるから、憲法一九条に違反するのではないかが問題となる。  しかし、原告のような地方公務員は、全体の奉仕者であって(憲法一五条二項)、公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げて専念する義務があるのであり(地方公務員法三〇条)、思想・良心の自由も、公共の福祉の見地から、公務員の職務の公共性に由来する内在的制約を受けるものと解するのが相当である(憲法一二条、一三条)。  学校教育法二〇条及び同法施行規則二五条に基づき規定された小学校学習指導要領は、「入学式・卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、(中略)国歌を斉唱するよう指導するものとする。」、「(1)儀式的行事 学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」としているところ(《証拠略》によって認める。)、このように、入学式において国歌(「君が代」)斉唱の指導が求められていること、「君が代」斉唱の指導を円滑に行うためには斉唱の際にピアノ伴奏をすることが一定程度有効であること(原告本人によれば、学校の音楽教育の現場では、児童に歌を斉唱させる際の伴奏はピアノ伴奏によるほうがテープ伴奏による場合よりも多いことが認められる。)からすれば、丙川校長が音楽専科の教諭である原告に対し、「君が代」斉唱の際にピアノ伴奏を命じる内容の本件職務命令を発する必要性はあったということができる。  「君が代」斉唱の伴奏方法として、「君が代」の旋律をピアノで演奏することは音楽的に見て不適切であるとの見解もあるが(《証拠略》、原告本人によって認める。)、乙山小学校では、本件入学式に至るまで五年間にわたって、入学式・卒業式においては国歌(「君が代」)斉唱の際に音楽専科の教諭によるピアノ伴奏が行われていたこと(一(1)ないし(4))からすれば、ピアノ伴奏による「君が代」斉唱指導の有効性は一概に否定できるものではないし、本件入学式では新入生の入場に当たっては入場曲をピアノ伴奏するのであるから(一(8))、これに引き続く「君が代」斉唱もピアノ伴奏で行う方が、式の流れからも自然であるということができる。  そして、音楽専科の教諭の職務が主として児童の音楽教育を司ることにあることからすれば、「君が代」のピアノ伴奏をするのは、他教科の教諭よりも音楽専科の教諭の方が適当であるということができるし、上記のとおり、乙山小学校では本件入学式に至るまでの五年間入学式・卒業式において「君が代」斉唱の際に音楽専科の教諭によるピアノ伴奏が行われていたという経緯に照らせば、職務命令の発出に当たっては、校長にその裁量権があることをも考慮すると、本件職務命令のような内容の職務命令を発出することの音楽的意義や校長の教職員に対する指導方法としての当否については様々な意見があり得るとしても、発出された職務命令自体は、その目的、手段も、合理的な範囲内のものということができる。  丙川校長は、校務に関する職務遂行上の義務の履行を求めるため、原告に対し、ピアノ伴奏を命じる内容の本件職務命令を発出したのであるところ、上記のとおり、思想・良心の自由も、公務員の職務の公共性に由来する内在的制約を受けることからすれば、本件職務命令が、教育公務員である原告の思想・良心の自由を制約するものであっても、原告において受忍すべきもので、これが憲法一九条に違反するとまではいえない。  原告は、思想・良心の自由についての違憲審査基準について縷々主張し、その基準に照らして本件職務命令は憲法一九条に違反する旨主張するが、本件職務命令の違憲性については上記のとおり判断するのが相当であり、原告の主張は採用できない。  b 子ども及びその保護者の権利侵害の有無  原告は、本件職務命令は子ども及びその保護者の思想・良心の自由を侵害するものである旨主張する。  しかし、仮に原告主張のように子どもに対し思想・良心の自由を実質的に保障する措置がとられないまま「君が代」斉唱を実施することが子どもの思想・良心の自由に対する侵害となるとしても、そのことは「君が代」斉唱実施そのものの問題であり、校長が教諭に対して「君が代」のピアノ伴奏をするよう職務命令を発したからといって、それによって直ちに原告主張の子ども及びその保護者の思想・良心の自由が侵害されるとまではいえない。原告の主張は採用できない。 (ウ)憲法一条違反の有無  原告は、主権者ではない天皇を礼賛する「君が代」は憲法一条に違反する旨主張するが、天皇は日本及び日本国民統合の象徴であるから(憲法一条)、「君が代」の「君」が天皇を指すからといって、直ちにその歌詞が憲法一条を否定することには結び付かないというべきである。  したがって、「君が代」のピアノ伴奏を命じた本件職務命令が憲法一条に違反するということはできない。 (エ)憲法九九条違反の有無  上記(イ)、(ウ)のとおり、本件職務命令は憲法に違反するものではないから、その発出が公務員の憲法尊重擁護義務を定めた憲法九九条に違反するとはいえない。 (オ)校長の管理権ないし校務掌理権の濫用の有無  原告は、本件職務命令は丙川校長の管理権ないし校務掌理権の濫用にあたる旨主張するが、職務命令は、職務上の上司が受命者の職務に関して発する命令であり、それが法律上または事実上の不能を命じるものでないときは有効であると解すべきであるから、これらを満たしている職務命令がなお命令権者の権限の逸脱ないし濫用にあたるというためには、当該職務命令が明らかに不当な目的に基づくものであるとか、内容が著しく不合理であるという場合に限定されるというべきである。  本件について見ると、これまで検討したところによれば、本件職務命令は、上記の職務命令発出の要件を満たしているといえるし、かつ、他により望ましい選択肢があるかどうかはともかくとして、本件入学式における「君が代」のピアノ伴奏を命じた本件職務命令自体が、明らかに不当な目的に基づくものであるとか、内容が著しく不合理であるとまではいえないから、本件職務命令が校長の管理権ないし校務掌理権を濫用したとまではいえない。  原告は、丙川校長が、教職員らとの議論を十分尽くさなかった上、その結論を全く尊重せずに本件職務命令を発したことをもって権利濫用にあたるとも主張するが、上記アにおいて述べたとおり、校長は、教職員らの意見を尊重すべきではあるものの、これに拘束されることなく最終的には独自の判断で職務命令を発することができるのであるし、本件入学式における「君が代」斉唱をピアノ伴奏で行うことは、原告の乙山小学校着任前に決定されていたこと、丙川校長が原告に「君が代」のピアノ伴奏をする意思がないことを初めて知ったのは三月一八日であって、四月六日に行われる本件入学式に接近した時期であったこと(一(3)、(5))からすれば、この間にいったん決定した「君が代」の伴奏方法の変更を教職員と検討する十分な暇があったとは考え難いから、四月五日の職員会議において「君が代」の伴奏方法についての教職員の意向が原告の発言に理解を示すものであったからといって(同会議の内容は一(6)のとおりである。)、本件職務命令が不当な目的に基づくとか内容が著しく不合理であるとまではいえないから、本件職務命令が権利濫用にあたるとまでいうことはできない。 ウ 小括  以上のとおり、適法に存在した本件職務命令を遵守しなかった原告の本件行為は地方公務員法三二条に違反する。 (2)信用失墜行為(地方公務員法三三条違反)の有無  原告のした本件行為は、小学校の入学式という児童、保護者、来賓等が多く出席している行事の場において、職務命令に違反し、その進行上予定されていた「君が代」のピアノ伴奏を行わなかったというものであるから、教育公務員の職に対する信用を傷つける行為にあたり、地方公務員法三三条に違反する。  原告は、テープ伴奏の実施により入学式が滞りなく行われ、出席者らの間に心理的な混乱は生じなかったから、本件行為は信用失墜行為にはあたらないし、仮に出席者らの間に心理的な混乱が生じたとすれば、それは丙川校長の不手際によるものである旨主張するが、原告の本件行為にもかかわらず結果的に滞りなく本件入学式が終了したのは、丙川校長が、このまま待っていても原告は「君が代」のピアノ伴奏を行わないであろうと判断し、その代替手段として甲田教頭にテープ伴奏を行うよう指示したことによるものであり(一(6)、(8))、このように他者の行為により結果的に混乱を避けることができたからといって、本件行為自体の信用失墜行為該当性が左右されるものではないから、原告の主張は採用できない。 (3)結論  したがって、原告のした本件行為は、地方公務員法三二条、三三条に違反するものであり、少なくとも同法二九条一号、二号に該当する。 三 争点(2)について (1)本件職務命令の適法性  原告は、本件職務命令が違法であることを前提に、これに違反したこと等を理由とする本件処分もまた違法であるから取り消されるべきである旨主張するが、上記二(1)イに述べたとおり、本件職務命令は適法であるから、原告の主張は採用できない。 (2)憲法三一条違反の有無 ア 日野市教育長の答弁の性質  原告は、日野市教育長の議会における答弁を理由に、本件職務命令及び本件処分が適正手続の保障に違反する旨主張するので検討する。  《証拠略》によれば、平成二年四月五日の日野市議会定例会において、当時の日野市教育長である乙野梅夫(以下「乙野教育長」という。)が、「『日の丸・君が代』問題について、処分権者である東京都教育委員会は指示通達を出していないが、このことは、『日の丸・君が代』は法制化・強制すべき性格のものではないという大多数の平均的な国民あるいは都民の感情を解釈に入れて、『日の丸・君が代』に関する処分はあり得ないと捉えている。」旨発言したことが認められる。  しかし、日野市教育長は、教諭の処分権を有するものではないから、上記発言は、被告が都内の市町村の教育委員会に対して「日の丸・君が代」問題に関する指示通達を出していないという事実を踏まえた乙野教育長の解釈を発表したに過ぎないものというほかはない。  したがって、このような日野市教育長の答弁が、日野市教委の上部組織であり、かつ、教職員に対して懲戒等の処分を行う権限を有している被告(地方教育行政の組織及び運営に関する法律三八条一項)を法的に拘束するものでないことは明らかであるから、原告主張のように、被告において、敢えて乙野教育長の上記解釈を否定した上で「君が代」に関する職務命令違反につき教職員を処分する場合があり得ることを告知しなければ、本件職務命令の発出や本件処分を行うことができないと解することはできない。  以上からすれば、原告の主張は採用できない。 イ 調査義務の懈怠  原告は、被告及び日野市教委が上記アの乙野教育長の発言につき調査しなかったのは適正手続の保障に違反する旨主張するが、原告に対する懲戒権の行使は、被告がその権限と責任において行うべきものであるし、上記アのとおり、日野市教育長には教諭の処分権はなく、乙野教育長の発言は個人的な解釈の表明に過ぎないといわざるを得ないから、被告及び日野市教委が乙野教育長の発言について調査しなかったからといって、本件処分に適正手続違反があるとすることはできない。 ウ 事情聴取過程等における瑕疵  原告は、(1)丙川校長が本件行為に関する報告書の提出について原告に虚偽の事実を述べたか、又は日野市教委が丙川校長に命じて報告書の日付を改ざんさせたかのいずれかがある、(2)丙川校長が事情聴取において虚偽の供述をした、(3)原告に対して糾問調の事情聴取がなされた、(4)被告は原告の思想・良心の自由について何ら検討していない、として、本件処分は適正手続の保障に違反する旨主張する。  しかし、上記(1)について、四月一五日に丙川校長が原告に対して「まだ日野市教委に報告書を提出していない。」と述べたことについては、これをいう《証拠略》は、《証拠略》に照らし、にわかに採用できない上、仮にその事実があるとしても、報告書の提出日に関する事柄に過ぎないことからすれば、そのことだけからは、本件処分を違法とするほどの重大な手続違反とまではいえない。また、日野市教委が丙川校長に命じて報告書の日付を改ざんさせたことについては、これを認めるに足りる証拠はない。  上記(2)については、《証拠略》によれば、丙川校長は、事情聴取において「君が代」を歌っていた者について同校長の認識を述べたことが認められるから、同校長が虚偽の事実を述べたとはいえない。上記(3)については、これをいうのは原告本人のみである上、原告本人の供述によっても、詰問の程度は必ずしも明らかでないから、原告に対する事情聴取のあり方が適正手続に反するとはいえない。また、上記(4)については、《証拠略》によれば、被告は、本件処分を行うにあたり原告の思想・良心の自由を侵害することがないかについても検討したことが認められる。  以上からすれば、事情聴取過程等における瑕疵をいう原告の主張は採用できない。 エ 小括  したがって、本件処分が適正手続の保障に違反するとはいえない。 (3)有責性の阻却の有無  原告は、本件行為には非難可能性がなく、実質的な害悪も発生していないから有責性が阻却される旨主張する。  しかし、当該行為の動機や結果については、処分の要否や程度を判断するにあたって考慮されるべきではあるものの、これらを理由として当然に行為の有責性が阻却されるとはいえない。のみならず、原告の本件行為に非難可能性があることは後記(4)のとおりであり、原告の主張は採用できない。 (4)懲戒権の濫用の有無  公務員に対する懲戒処分は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係の見地において、公務員としてふさわしくない非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するため科される制裁である。したがって、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員のその行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきか、を決定することができるもので、公務員につき、地方公務員法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。したがって、懲戒権者の裁量権の行使としての懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである。したがって、裁判所が懲戒処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。  この見地から本件を見るに、原告は、上記一において認定したとおり、丙川校長から、二回にわたり、本件入学式において「君が代」のピアノ伴奏をするようにとの本件職務命令を受けながら、これに従わなかったこと(一(6)、(7))、入学式には児童、保護者、来賓等出席者が多数おり(一(8))、その面前での公然とした職務命令違反を放置すれば、公務員関係の秩序維持に少なくない影響を及ぼすおそれがあることを考慮すれば、結果的に本件入学式に大きな混乱が生じなかったこと(もっとも、これは、丙川校長の配慮により国歌斉唱(「君が代」斉唱)にテープ伴奏が行われたためである。一(8))、原告は自らの思想・良心を理由に本件行為に及んだものであること、原告にはこれまで処分歴がないこと(弁論の全趣旨によって認める。)、本件処分により原告が被る不利益の程度が上記第二の三(2)(原告の主張)エ(イ)のとおりであること(《証拠略》、原告本人によって認める。)を斟酌しても、裁判所が懲戒処分の適否を審査する上記の判断基準に照らせば、戒告という、文書訓告や口頭注意よりは重いけれども懲戒処分としては最も軽い形式による本件処分が社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用したとまで認めることはできない。  なお、原告は、本件処分が他の事例と比較して重きに失する旨主張するところ、《証拠略》によれば、大阪府教育委員会は、いずれも公立学校の入学式・卒業式における国歌斉唱の際に教職員が無許可で学校の方針と異なる発言をしたなどの信用失墜行為について、一回目の行為については厳重注意又は訓告に止めていることが認められるが、教職員の行為についてどのような処分を行うかは各教育委員会に裁量権があることからすれば、これらの事例があるからといって、上記判断を左右するに足りない。 (5)小括  したがって、本件処分は違法であるとまではいえず、適法であるというべきである。 四 以上によれば、原告の請求は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 山口幸雄 裁判官 伊藤由紀子)  裁判官木野綾子は差し支えのため署名押印することができない。  (裁判長裁判官 山口幸雄)