◆ H16.05.27 東京地裁八王子支部判決 平成13年(ワ)第443号 八王子市立石川中学教諭国旗・国歌批判授業訓告処分事件(損害賠償請求事件) 平成16年5月27日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 寺田昌玄 平成13年(ワ)第443号 損害賠償請求事件 口頭弁論終結日 平成16年3月4日     主   文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。     事実及び理由 第1 請求の趣旨(原告) 1 被告は,原告に対し,金100万円及びこれに対する平成11年8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払をせよ。 2 訴訟費用は被告の負担とする。  との判決並びに仮執行の宣言を求めた。 第2 事案の概要  本件は,被告の設置する中学校の教諭である原告が,その授業内容等に関して八王子市教育委員会(以下「市教委」という。)から訓告を受けたことが違法であると主張して,国家賠償法1条による損害賠償金と遅延禎害金の支払を求めている事案である。 1 争いのない事実等 (1)原告は,平成3年4月から,八手子市立石川中学校(以下「石川中学校」という。)の家庭科担当教諭として勤務していた者である。 (2)石川中学校では,平成11年2月10日開催の職員会議において,卒業式の運営に関する案が議論された。平成10年4月から石川中学校の校長の職にあった秋山f(以下「秋山校長」という。)は,卒業式の開式のことばの後に,君が代の演奏を行い,また,日の丸旗を校旗と並べてスタンドに設置する旨を述べたが,原告はこれに反対する意見を述べた。 (3)原告は,同年2月15日,秋山校長及び石川中学校の教頭である佐藤純一(以下「佐藤教頭」という。)に対し,「石川中で『日の丸』を掲揚すること・『君が代』を斉唱することに反対する理由,および考えるための資料」と題する7枚綴りのプリント(乙1。以下「本件資料プリント」という。)を手渡し,「これは,職員会議の資料として昨年私が作り皆さんに配ったものですが,今年度いらしたお二人にも読んでから職員会議に参加して欲しい。」と述べた。本件資料プリントの7枚目には,地下鉄サリン事件の実行犯であるオウム真理教の信者に関する新聞記事を複写し,その下部に原告が手書で文章を付加した書面(以下「本件プリント部分」という。)が綴られていた。そして,原告は,秋山校長に対して,本件プリント部分を開いた上,日の丸・君が代について授業で触れることを告げ,意見を求めた(もっとも,その際の具体的な会話の内容については,後記のとおり争いがある。)。 (4) 石川中学校では,同年2月15日からの1週間,3学年の生徒に対する最後の通常の授業がされたが,原告は,本件プリント部分を一部修正した別紙のプリント(甲2。以下「本件教材プリント」という。)を使用した授業を行った(以下「本件授業」という。)。原告は,本件授業において,「あなたたちは良いことか悪いことかを考えずに,この記事のように,指示や命令に従ってしまった体験はなかっただろうか。」「私は学校や社会の中で判断を迫られることがあり,そのときはいいことか悪いことかをひとつひとつ考える。これは大変なことであり,時には勇気や決意が必要となることもあるが,私は自分の頭でよく考えておかしいと思ったことはやらず,正しいと思えば一人でも行動しなければと思っている。」「これは思想・信条の問題であって,どちらが良いとか悪いとかいう問題ではなく,考えずに指示に従う姿勢についていいことかどうかを考えよう。」などと話し,プリントの新聞記事の部分や手書部分を読み上げた。また,原告は,卒業式について,「校長先生は職員会議で『日の丸を舞台に三脚で置く。君が代は奏楽で流す』と言っている。」と生徒に伝えた。 (5) 市教委は,同年8月30日,原告に対し,以下の内容を記載した文書を交付する方法により訓告をした(以下「本件訓告」という。)。  「あなたは,平成11年2月16日から19日にかけて,八王子市立石川中学校の当時の3学年全学級の家庭科の授業時間にあって,校長による国旗・国歌に関する指導が,オウム真理教と同じマインドコントロールされた命令服従の指導であるとしたプリントを配布し,職員会議の内容を生徒に示し,校長の学校運営方針を批判するに等しい授業を行った。かかる行為は地方公務員法に抵触する,教育公務員たるにふさわしくない行為であって,学校及び職の信用を著しく傷つける誠に許し難いものである。よって,今後かかることのないように文書をもって厳に訓告する。」 (6) なお,中学校学習指導要領は,「第4章 特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。文部省が発行した「中学校指導書特別活動編」は,上記の国旗掲揚等の意義について,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗及び国歌に対して正しい認識をもたせ,それらを専重する態度を育てることは重要なことであること,また,入学式,卒業式は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活への動機付けを行い,学校,社会,国家等の集団への所属感を深める上で良い機会となるものであることを指摘している。(以上の事実は,当事者間に争いのない事実か,証拠[甲1,7,69,乙1,8,9]及び弁論の全趣旨によって認められる。) 2 争点及び当事者の主張 (1)原告の主張 ア(ア) 教育委員会が,個々の教師の個々の授業内容に直接介入してその当否を判断し,授業内容を理由として処分をすることは,教育行政による教育内容に対する違法不当な支配介入であり,教育基本法10条1項の禁止する「不当な支配」に定型的に該当する。したがって,本件訓告は,教育基本法10条1項に違反し,憲法23条,26条にも違反する。また,原告が本件授業で生徒に伝えたかったことは,上からの押し付けを一方的に鵜のみにしてしまうのではなく,自分の頭で考え行動できる人間になって欲しいという内容であったところ,この内容を捉えて処分を行うことは,憲法13条,21条に反し,「教育は自主的精神に充ちた国民の育成を期して行わなければならない。」と定めた教育基本法1条にも反し,許されない。  さらに,学校教育法28条6項は,「教諭は,児童の教育をつかさどる。」と規定し,この規定は同法40条により中学校の教諭についても準用されているところ,同条項は,教育の自主性の原理を表現するものであるというべきであるから,本件訓告は,これにも反する違法なものである。  (イ) 学校行事は,職員会議で論議の上,決定し実施するべきものであるが,行事が近くなると,行事に関し生徒が質問したり教員から話したりしながら進めるのが一般的であるところ,原告は,本件授業の中で卒業式に関する生徒の質問に答えて,秋山校長の職員会議での発言の内容を事実として述べたにすぎない。したがって,このことをとらえて処分の対象とすることは,「不当な支配」に当たるものとして違法である。  (ウ) 原告は,本件教材プリントを使用した授業を行うことにつき事前に秋山校長から了承を得ていた。  すなわち,原告は,平成11年2月15日に秋山校長に対して本件資料プリントを渡した際,本件プリント部分を指し示して,「今週は3年生最後の授業である。明日からこのプリントを使って生き方の問題について話をする。」「教員に向けて書いた部分は削り,子ども向けに書き換えて使う。」「誤りはないつもりであるが,もしこのプリントに事実誤認があれば指摘して欲しい。誤りがあれば直す。」などと述べた。また,原告が「生徒から,日の丸・君が代を校長先生はどうするのかという質問が出た場合,生徒たちに答えてくれるか。」と問うたところ,秋山校長が「答えない。」と言ったことから,「校長が実施すると言っている事実を話すが,問題はないか。」と確認を求めたのに対し,秋山校長は,「事実を言うことは問題ない。良識に沿ってするように。」と述べた。そして,その後,秋山校長からは本件教材プリントに関して何の指摘もなかった。こうした経過に照らせば,後になって市教委が本件訓告をすることは,原告に対する不意打ちであり,手続の適正を欠くものである。  (エ)  被告は,本件授業が学習指導要領に逸脱しており,公立学校の教育活動はあくまで学習指導要領の枠内で行われるべき旨主張するもののようである。しかしながら,学習指導要領は,法的拘束力(法規性)を有するものではなく,学習教育内容に関する国の指導助言的基準が公示されたものにすぎないと解すべきであるから,学習指導要領に逸脱したことがなんらかの法的制裁の理由となるものではない。また,学習指導要領の文面を絶対視しその文面を狭く解釈し,その範囲のみでしか公立学校での教育活動を許容しないという方針は,学校教育法36条が中学校の教育目標の一つとして「公正な判断力を養うこと」を挙げている趣旨に反するものである。  本件授業は,教育における「思考力の訓練」の側面についての教師の専門的裁量の行使としてなされたものであり,本件授業が学習指導要領の枠を超える偏向教育であるという被告の主張は誤りである。 イ 市教委が本件訓告を強行したのは,一部の政治勢力と結託し,原告を問題教員に仕立て上げ,教育現場から排除しようとする目的に基づくものであるから,本件訓告は市教委の裁量権を逸脱し権限の濫用に当たる違法なものというべきである。 ウ 一般に,訓告は,訓告を受けた者が昇給欠格該当者とされるなどの実質的な不利益を与えるように機能するものである。そして,原告は,本件訓告により,教員としての適格性を欠くとの評価を受けたに等しく,また,後に受けた処分において本件訓告が悪情状事実として挙げられているなど,著しい精神的苦痛を被った。これを金銭に評価すれば金100万円を下らない。 (2)被告の主張 ア(ア) 教育に対する行政権力の不当な介入は排除されるべきであるとしても,許容される目的のために必要かつ合理的と認められるものは,たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても,教育基本法10条の禁止するところではない。  しかるところ,原告がした本件教材プリントに基づく本件授業は,法的根拠のある学習指導要領を尊重してなされた校長による教育課程の管理について,あたかもオウム真理教と同じく心理的にマインドコントロールされた命令,服従による指導であるという内容を含み,このような誤った前提のもとに,全国の校長に対する誤った批判や石川中学校の校長の学校運営に対する批判をするものに等しい。また,このような本件授業は,学校教育法35条,36条に規定する公正な判断力を養う教育から大きくはずれ,完全には判断能力が備わっていない中学生に対して認められるようなものとはいえない。以上のとおりであるから,本件教材プリントを使用した授業は,学習指導要領の趣旨を逸脱し,公立中学校教員としてふさわしくない行為というべきであり,原告の行為は,学校及び職に対する信用失墜行為にあたる。  (イ) 本件授業当時,石川中学校においては,卒業式における日の丸旗・君が代に関する取扱いについて教職員間で議論中であり,職員会議でも確定していない状態であったところ,原告は,確定されていない職員会議の内容を生徒に示し,校長の学校運営方針を批判するに等しい授業を行ったものである。原告のこの行為は,学校教職員という組織の一員の行為としてふさわしくないばかりでなく,学校及び職の信用を著しく傷つける行為である。  (ウ) 秋山校長は,原告が,本件教材プリントを生徒に配り,さらに,校長の学校運営について批判めいた指導をすることを了承したことはない。また,職員会議の内容を示すことを秋山校長が了承した事実もない。したがって,本件訓告を市教委がすることは,何ら原告に対する不意打ちとはならない。  (エ) 以上のとおり,本件訓告は,本件授業が公立中学校教員と、して不適切な行為であることを理由としてなされたものであり,このことは,教育基本法10条で規定する「不当な支配」に当たらない。したがって,本件訓告は,教育基本法10条1項はもとより,憲法23条,26条,教育基本法1条に違反するものではない。  なお,被告は,日の丸・君が代の問題を家庭科の授業で扱うことが不当である旨主張するものではない。また,本件訓告は,学習指導要領の個々の内容に反していることを理由とするものではなく,本件授業が全体として学習指導要領の趣旨を逸脱した授業であり,原告が授業で配布したプリントの内容が,学校及び職の信用を著しく傷つけたことを理由とするものである。 イ 市教委は,地方教育行政の組織及び運営に関する法律43条1項の規定により,服務の監督に関する権限を有しているから,石川中学校の教諭である原告に対して訓告を発する権限を有する。そして,訓告を発するかどうか,及びどのような内容の訓告を発するかは,市教委の裁量に属するというべきである。 ウ 訓告は,職務上の義務に違反した場合などに指揮監督の権限を有するものが,当該職員の職務遂行の改善向上のために行う制裁的実質を伴わない注意を促す服務上の措置であり,懲戒処分としての戒告等の行政処分と異なり,硬訓告者は昇給延伸などの不利益を受けないものである。 第3 当裁判所の判断 1 認定事実  争いのない事実等,証拠(甲2,69,乙14,原告本人,証人秋山 岸のほか,文中指摘のもの。ただし後記認定に反する部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 (1)本件授業以前の経緯 ア 平成11年(以下,特に断りなく日付を示す場合は平成11年の日付をいうものとする。)2月10日,石川中学校において,職員会議が開催され,席上,教員によって組織された儀式的行事委員会から,卒業式の運営に関する案が提案された。秋山校長は,卒業式の開式のことばの後に,君が代の奏楽をすること,日の丸旗を校旗と並べてスタンドに設置することを述べた。これに対し,原告は,反対意見を述べたところ,司会者は,「この件に関しては,別に会議の時間をとる。」と述べ,後日,継続して議論することとなった。 イ 原告は,2月15日午後,秋山校長及び佐藤教頭に対し,本件資料プリント(乙1)を手渡した。本件資料プリントには,学校教育における日の丸・君が代の変遷や,近隣諸国が日の丸をどう見ているかについて各種資料が掲載されているほか,「日の丸・君が代で国際化というけれど」「日の丸・君が代を通して狙うほんとうのところ」「石川中職員が積み上げてきたものを壊さないために」「法と命令に従うという校長のことばだが・・・」との標題のもとに,原告が学校教育において日の丸旗の掲揚等を行うことに反対している理由や,校長が原告と一緒に行動することを期待する内容が記載されていた。  原告は,秋山校長に渡した本件資料プリントをめくり,7枚目の本件プリント部分を開き,教員に関わる部分を除いて,君が代・日の丸について授業でとりあげることを述べ,秋山校長に対して意見を求めた。これに対し,秋山校長は,良識に沿った話をして欲しいとの発言をした。 ウ この点,原告は,上記の会話において,秋山校長に対し,本件プリント部分を一部変更したものを生徒に配布すること,秋山校長が職員会議において国旗掲揚・国歌演奏を実施すると述べていることを生徒に話すことを言明し,秋山校長から,そのことについて了解を得たと主張し,それに沿う原告本人の供述部分がある。  しかしながら,原告の上記供述部分についてはこれを裏付けるに足りる客観的な証拠はなく,また,秋山校長が示された本件資料プリントには,日の丸旗・君が代に関する学校教育の変遷等に関する資料が多数添付されていることや,後記(3)イ認定のとおり,秋山校長は,その後改めて原告が本件授業で使用した本件教材プリントの提出を原告に対して求めていることに照らすと,秋山校長が,イの会話当時,原告が行おうとしていた本件授業の具体的内容を十分に了解し,その上で本件授業を行うことを了承していたとは断定し難い。そして,このことと,この点に関する証人秋山fの供述を併せると,秋山校長が原告の授業内容を事前に了承していたとする原告の主張事実を認めることはできない。 (2)本件授業の内容等 ア 本件教材プリントの上半分には,地下鉄サリン事件の実行犯の一人である被告人豊田の裁判に関する新聞記事が複写されており,記事には,「かつて『指示待ち』,今,教祖を『告発』」との見出しが付されている。  また,当該記事は,同人について,「自分で考えて行動しようとせず,周りや上からの指示に黙々と従うことで身の安全を保とうとして,結局自分を失ってしまう現代日本の人間像」の典型であると指摘し,同人の証言として,「『やりたくないという気持ちはありました。しかし,指示された以上はやるしかない,と思いました』『正しいとか,間違っているかと考えるのではなく,上からの指示は自分で判断するべきでない,無条件に従うべきもの,という思考が徹底していたのです』『なぜとは考えなかった。なぜかを考えるより,指示があれば,それを遂行するのがすべてであり,その理由や背景は知るべきではなく,また知る必要もないという考えがありました』」,「『指示を実行することで頭がいっぱい,真っ白の状態』で『被害者のことなど考える余裕がない』」とした部分を引用したうえ,「なぜ私たちの社会は,このような『指示待ち人間』を育ててきたのだろう」,「程度の差はあれ同じような人物を,戦後の私たちの社会はせっせと拡大再生産しては来たのではなかったか。」,「自ら考えることまで放棄してしまっていたのである。」と述べている。 イ 本件教材プリントの下半分には,下記のとおり,原告の手書の文章が記載されている。  (ア)「豊田被告のことばをあなたはどう捉えますか。『卒業・入学式に『日の丸』を掲揚せよ,『君が代』を斉唱させよ』と,教委から指導された全国の校長のことばと同じに聞こえませんか。思考は同じ,だと思いませんか。」  (イ) 「確かに,『日の丸・君が代』だけで即,殺人には繋がらないでしょう。でも,オウム信者だって初めから殺人を目的にしていたわけではないかもしれませんし,また麻原が目的としていたとしても他は知らされていなかっただろうと思います。マインドコントロールが完了してから,本当の目的が明かされたのではないでしょうか。」  (ウ) 「恐いのは,『指示』や『指導』『命令』をする・される関係が成立すると(これがマインドコントロール),どんなに罪悪なことだって抵抗せずに,やがてすすんで実行してしまうことです。平時は絶対してはいけないと思うことでも,命令服従の関係が成立すると,やってしまうのが人間なのです。オウムに限らず,歴史をみれば,どの時代,どこの場所にも共通して見られることです。日本の侵略戦争でもしかり。」  (エ) 「現在だってそうです。厚生省・製薬会社ぐるみのエイズ隠し,大蔵省,金融,証券会社の不正などなど,命令服従の体質が起こしたことでしょう。」  (オ) さて,『日の丸・君が代』の歴史や意味,また揚げたり歌ったりすることの『意義』を校長先生から説明もされぬまま,あなたたち子どもが見させられたり,歌わされたりすることを,あなたは,どう思いますか。卒業式の主人公はあなたがたです。」 ウ 本件授業において,原告は,本件教材プリントを生徒に配布した上,「生きていく上で私が一番大切にしていること,そしてみんなにもこれからの生活の中で考えていって欲しいことを今日は話したい。」と前置きをしてから,本件教材プリントの新聞記事を読み,「あなたたちは良いことか悪いことかを考えずに,この記事のように,指示や命令に従ってしまった体験はなかっただろうか。」と問いかけた。また,原告は,生徒に対し,「私は学校や社会の中で判断を迫られることがあり,そのときはいいことか悪いことかをひとつひとつ考える。これは大変なことであり,時には勇気や決意が必要となることもあるが,私は自分の頭でよく考えておかしいと思ったことはやらず,正しいと思えば一人でも行動しなければと思っている。」などと話し,プリントの手書部分を読み上げた。さらに,原告は,「これは思想・信条の問題であって,どちらが良いとか悪いとかいう問題ではなく,考えずに指示に従う姿勢についていいことかどうかを考えよう。」と話した。  また,原告は,生徒から,卒業式に校長が日の丸を掲げるかどうかについて問われたことから,「校長先生は職員会議で,『日の丸を舞台に三脚で置く。君が代は奏楽で流す。』と言っています。」と伝えた。 エ 2月16日,本件授業を受けた女子生徒3名が昼休みに校長室に来て,秋山校長に対して「校長先生はどうして卒業式に君が代の演奏と日の丸の旗を設置するのかその理由を聞きたい」と尋ねた。これに対して,秋山校長は,学習指導要領に基づいて行う旨の話をした。 (3)市教委による訓告に至る経緯 ア 2月18日開催の石川中学校職員会議において,卒業式の運営に関する案についての話し合いがされた。儀式的行事委員会が提出した原案は,日の丸旗はいかなる場所にもいかなる時間にも掲揚せず,また,君が代の演奏を行わない旨の内容であり,これが採決に付されたところ,原案に賛成する者22名,反対する者2名であった。  イ 2月19日,市教委から,原告が授業中に配布した『日の丸・君が代』に反対する書面について問い合わせがあったことから,佐藤教頭は,秋山校長の指示を受けて,原告から本件教材プリント(甲2)の交付を受けた。佐藤教頭は,原告に対し,「いつ授業をしたのか。どのクラスに配ったのか。」,「学習指導要領にないのだから,止めるように伝えてくれと校長先生から言われた。」と述べた。これに対し,原告は,「予め校長に話し,何も言われなかったのだから今になってこのように言われても納得できない。もうすべてのクラスで授業を終えました。」と述べた。 ウ 2月20日,秋山校長は,原告に対し,本件教材プリントを使用した授業はやめるように口頭で指示した。これに対し,原告は,「すでに3年生の全組で授業を終えた。」,「本件教材プリントは事前に校長の判断を仰いだが,校長からの指摘はなく承認されたものである。」と話した。 エ 3月6日,秋山校長は,PTA運営委員会において,原告が授業で本件教材プリントを使用したことが市教委で問題とされていることを報告した。 オ 3月8日,高木順一八王子市議会議員(以下「高木議員」という。)は,八王子市議会予算特別委員会において,原告の行った授業の内容に批判的な質問をした(甲77)。 カ 3月10日付け読売新聞は,本件授業に関し,「『全国の校長,上へただ服従』『日の丸・君が代問題』『中学教諭が批判の授業』『オウム信者になぞらえて』」といった見出しを付した記事及び「教諭自身が生徒をマインドコントロールしようとしたことにならないか。」との教育評論家の意見を掲載し(乙2),同月11日付け産経新聞は,本件に関し,「校長はオウム信者と同じ」などの見出しを付した記事を掲載した(乙3)。 キ 市教委学校教育部付主幹の和田信行(以下「和田主幹」という。)は,3月12日及び15日に,原告に対する事情聴取を行った。 ク 秋山校長は,卒業式前日の3月18日,3年生の学年集会において,「三脚で日の丸を,奏楽で君が代を実施する。」と生徒に伝えた。その後,卒業式の実行委員の生徒たちが校長室を訪ね,秋山校長に対して,日の丸旗掲揚と君が代演奏に反対する意見を述べ,話し合いは午後8時ころまで続いた(甲79)。 ケ 3月19日の卒業式当日,秋山校長の指示により,卒業生が入場する前に君が代の演奏が流され,卒業生が入場する時点で校庭のポールに日の丸旗が掲げられた(甲79)。 コ 秋山校長は,3月31日付けで,本件授業に関する経過や自身の見解を記載した報告書(乙13)を市教委宛に提出した。市教委は,4月から6月にかけて,都教委に対し,原告に対する懲戒処分を求めたが,′都教委は,7月ころ,懲戒処分には至らない旨の判断をした。都教委は,その判断の理由の一つとして,和田主幹に対し,秋山校長による原告に対する適切な職務命令がなかったため,その職務命令違反の点を問えないためである旨告げた(証人和田信行)。 サ 本件訓告後,和田主幹は,朝日新聞の取材に対して,「卒業式などの国旗掲揚・国歌斉唱は学習指導要領に明記されている。考えましょう,と生徒に呼びかけるのは指導要領に異を唱えることで,受け入れられない。」と答えた(甲35)。 2 検討 (1)地方公務員法33条は,「職員は,その職の信用を傷つけ,又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。」と規定しているところ,市町村の教育委員会は,市町村立学校の教職員のうちいわゆる県費負担職員に同条に該当する行為があった場合,地方教育行政の組織及び運営に関する法律37条,43条1項に基づき,その服務監督権限を行使して文書による訓告を行うことができると解される。そして,本件訓告が,前記法条に基づいてされたことは,前記認定のところから明らかである。  もっとも,教育基本法10条1項が,「教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と規定していることに照らし,市町村の教育委員会に認められる上記の服務監督権限の行使に関する裁量は,教育に対する不当な支配とはならない範囲において認められる趣旨のものと解すべきである。 (2)本件授業に先だって行われた石川中学校の職員会議においては,学習指導要領に則り,卒業式では日の丸旗を掲揚し君が代を演奏しようとしていた校長と,それに反対する者との意見が対立し,本件授業の当時にはその運営について決着がついていない段階であったこと,原告は卒業式における日の丸旗掲揚・君が代演奏には反対する意見を有しており,校長に対して翻意を求めていたこと,そのような状況のもと,原告は,本件授業において,本件教材プリントを使用して,教育委員会から日の丸旗の掲揚と君が代の斉唱を指導されている全国の校長は,地下鉄サリン事件という重大な犯罪行為を実行したオウム真理教の信者と同じ思考をしており,指示・指導・命令をする・される関係のもとでどんな罪悪なことでも抵抗をせずにすすんで実行してしまうこととなる旨の論評を行い,そのことを記載したプリントを生徒に配布したこと,さらに,原告は,当該プリントの配布に加えて,秋山校長が職員会議において卒業式では国旗掲揚と国歌演奏を行う旨発言していることを述べたこと,以上の事実は前記1で認定したとおりである。また,前記第2の1(5)で認定したとおり,本件訓告は,原告が上記のプリントを生徒に配布し,職員会議の内容を示し,二校長の学校運営方針を批判するに等しい授業を行った点を訓告の理由としている。 (3)ところで,原告は,教育委員会が個々の教師の個々の授業内容に直接介入してその当否を判断し,授業内容を理由として処分をすることは,それ自体,教育基本法10条1項が禁止する「不当な支配」に該当する旨主張する。また,原告は,本件授業の目的は,生徒たちに,自分の頭で考えて行動する人間になって欲しい旨を伝えることにあり,それを禁止する措置は,自主的精神の育成を期することを定めた教育基本法1条に反するほか,教諭の教育の自主性を尊重する旨を定めた学校教育法28条6項,40条にも反する旨主張する。  そこで検討するに,教育基本法は,教育に対する不当な支配を排する趣旨の規定(10条1項)に続けて,「教育行政は,この自覚のもとに,教育の目的を遂行するのに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と規定し(同条2項),教育に対する教育行政の関与を認めていることに照らすと,同法10条1項は,教育行政機関が教育の方法に対して何らかの制約を課することを全面的に禁止する趣旨ではなく,教育の目的を遂行するために必要かつ合理的と認められる措置であれば,それを許容する趣旨であると解されるところであり(最高裁昭和43年(あ)第1614号・昭和51年5月21日大法廷判決・刑集第30巻5号615頁参照),このことは,自主的精神の育成について定めた同法1条や,教諭が教育をつかさどることを定めた学校教育法28条6項,40条についても同様であると解される。したがって,教育行政機関が教師の授業の方法に是正すべき部分があるとして服務監督上の措置をとることも,上記の趣旨に反しない限りにおいて許されるというべきである。  しかるところ,前記1(1)(2)で認定したところによれば,原告は,卒業式における日の丸旗掲揚と君が代演奏に強く反対する意見を有し,その思想信条において対立する立場にある全国の校長について,重大な犯罪を犯した宗教的組織の一員と同じようにマインドコントロールされた状態下にある者であるといわんばかりの内容の教材を作成し,これを中等教育課程に就学中の生徒に配布したものであるところ,校長らを犯罪者に比肩するこのような本件授業の方法が,原告の目指した自主性の尊重という教育の目的を達成するのに通常必要となる手段であると評価することは到底困難である。そして,原告が,上記のような教育手段を採用したことに関して教育行政から事後的に訓告という措置を受けたとしても,他の教育手段によって原告の目指す教育を行うことは何ら妨げられるものではない。また,本件授業に対して市教委がした本件訓告は,地方公務員法に基づく懲戒とは異なり,被訓告者である原告に対して直ちに法的な不利益をもたらさない指導監督上の措置であることが明らかである。  これらの事情を併せ考慮すると,市教委が上記のような原告の授業方法に是正すべき点があるとして服務監督上の措置として本件訓告を行うことは,不相当なものとは言い難く,本件訓告は教育基本法10条1項の趣旨に反するということはできないし,また,本件訓告により原告指摘の他の規定の趣旨が損なわれたということもできない。  よって,原告の上記主張は採用できず,本件訓告は,教育に対する不当な支配を排除することを規定した教育基本法10条1項や,原告指摘の他の規定の存在を考慮したとしても,市教委に認められた服務監督権限の行使に関する裁量を逸脱するものと解することはできないというべきである。 (4)また,原告は,学校行事に関する職員会議の内容を生徒に告げることは何ら違法ではない旨主張する。  しかしながら,原告は,全国の校長の思考のあり方を批判する内容を有する本件教材プリントに基づく指導と同一の機会において,秋山校長の職員会議における発言を取り上げたことは前記1(2)認定のとおりであるから,市教委が,本件授業内容を構成する一要素としてこの点を考慮したとしても,市教委が服務監督権限に関する裁量権を行使するに当たって考慮すべきでない事項を考慮して本件訓告をしたとまでは言い難い。そうすると,本件訓告は,市教委に認められた裁量を逸脱したものとして違法であるということはできない。 (5) さらに,原告は,秋山校長から,本件授業の内容及び職員会議の内容を生徒に示すことについて,事前に了承を得ていたのに,後になって市教委が本件訓告をすることは,原告に対する不意打ちであり,手続の適正を欠く旨主張する。  しかしながら,秋山校長においては,原告が行う予定であった本件授業の具体的内容を十分に了解していたと認めることができないことは,前記1(1)ウで判断したとおりである。もっとも,原告は,秋山校長に対して,予め本件資料プリントを交付し,授業で卒業式における日の丸・君が代の問題を取り上げることについて言及していたのであるから,秋山校長には,原告が行う授業内容について何らかの指導を行う契機があったということはできる。しかしながら,前記認定の事実関係のもとでは,秋山校長が事前の指導をしなかったという不作為が,後になされた市教委による本件訓告について手続的な違法をもたらす程度のものであるとまで解することはできないことは,前記(3)で説示したところから明らかであって,原告の主張は採用できない。 (6)また,原告は,本件訓告は一部の政治勢力と結託して原告を教育現場から排除しようとする目的に基づいてなされたものであり,市教委は裁量権を逸脱濫用したものであると主張する。  しかしながら,前記(3)で説示したとおり,本件訓告は,教育基本法10条1項に定める不当な支配に該当しないと解すべきことに加え,原告に対してされた本件訓告は,地方公務員法上の懲戒ではなく,服務監督上の措置にとどまっており,その不利益は原告所論のように大きなものではなく,原告を教育現場から排除するような内容のものでもないことや,校長らを犯罪者に比肩する内容の本件授業に対する服務監督上の措置として均衡を失するものとは言い難いことを考慮すれば,本件訓告は原告主張のような目的に基づいてなされたものと断じることはできず,市教委に認められた服務監督権限の行使に関する裁量を逸脱し又はこれを濫用したものと判断することはできない。  したがって,本件訓告が違法であるとする原告の主張は採用できない。 3  結論  以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告の本訴請求は理由がないから,これを棄却する。 東京地方裁判所八王子支部民事第3部 裁判長裁判官 園部秀穂 裁判官 谷口豊 裁判官 山田直之