◆ H17.02.10 東京高裁判決 平成16年(ネ)第3374号 八王子市立石川中学教諭国旗・国歌批判授業訓告処分事件(損害賠償請求控訴事件) 平成17年2月10日判決言渡・同日判決原本受領 裁判所書記官 廣川由紀子 平成16年(ネ)第3374号 損害賠償請求控訴事件 (原審・東京地方裁判所八王子支部平成13年(ワ)第443号) (口頭弁論終結の日 平成16年12月2日)     主   文 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は控訴人の負担とする。     事実及び理由 第1 当事者の求める裁判 1 控訴の趣旨 (1)原判決を取り消す。 (2) 被控訴人は,控訴人に対し,金100万円及びこれに対する平成11年8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3)訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。 (4)仮執行宣言 2 控訴の趣旨に対する答弁 (1)主文同旨 (2)仮執行免脱宣言 第2 事案の概要  本件は,被控訴人の設置する中学校の教員である控訴人が,平成11年8月30日八王子市教育委員会(以下「市教委」という。)から訓告を受けたので,被控訴人に対し,同訓告は違法でありそのため精神的損害を被ったとして,国家賠償法1条に基づき,慰謝料100万円及びこれに対する同日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める事案である。  原審は,控訴人の被控訴人に対する本件請求を棄却したので,控訴人がこれを不服として控訴した。 1 争いのない事実等(末尾に証拠等を掲げた事実のほかは,当事者間に争いがない。)  次のとおり付加・補正するほか,原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」の「1 争いのない事実等」記載のとおりであるから,これを引用する。 (1) 原判決2頁12行目冒頭から同13行目末尾までを,以下のとおり改める。 「(1)ア 控訴人は,平成3年4月から,八王子市立石川中学校(以下「石川中学校」という。)の家庭科担当教員として勤務し,平成11年8月30日当時,同中学校の2年生(3学級),3学年(全学級)の家庭科の授業を担当していた。イ 被控訴人は,市教委が所属する地方公共団体である。」 (2) 同頁19行目「同年2月15日」を「平成11年2月15日」と改める。 (3) 同3頁4行目の末尾に「(甲3,7,69,乙1,13,14,いずれも原審における控訴人本人,証人秋山f)」を加える。 (4) 同19行目末尾に「(甲2,3,7,8,69,乙1,13,14,いずれも原審における控訴人本人,証人秋山f)」を加える。 (5) 同4頁14行目末尾に「(乙8,9,原審における証人和田信行)」を加える。 (6) 同頁15行目冒頭から同16行目末尾までを全部削る。 2 争点及び当事者の主張  次のとおり付加・補正するほか,原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」の「2 争点及び当事者の主張」記載のとおりである・から,これを引用する。 (1) 原判決4頁22行目「定型的に該当する。」の次に以下のとおり加える。  「すなわち,教育行政機関が教育の方法に対して何らかの制約を課することができるとしても,それは「許容される目的のために必要かつ合理的と認められる」限度にとどまるところ,教育行政機関が教員の授業内容に直接介入する場合には,それがもたらす教育現場に対する萎縮効果等を考慮すれば,体罰などの強度の違法性を有する場合に限定されるというべきである。そして,控訴人の本件授業内容は,それ自体違法なものではなく,控訴人の目指した自主性の尊重という教育の目的を達成するのに通常必要となる手段として適当であったかどうかが問題とされるにすぎないので,教育委員会が訓告という懲戒的意味合いを含む権力的行為をもって介入することは,教育現場の自由な雰囲気を失わせ,教員と生徒らとの生き生きとした交流を不可能とするから,市教委の本件訓告はその裁量を逸脱した違法なものである。」 (2) 同5頁3行目末尾に以下のとおり加える。  「仮に,控訴人が「自分の頭で考える」ことの重要性を教えることを目的として行った本件授業において,その授業(オウム真理教と「日の丸・君が代」を強行する全国の校長の姿を関連させたこと)の適不適を事後的に考える必要性(目的の許容性)が認められるとしても,その手段としては,秋山校長の指導助言を通じ,控訴人との話し合いの中で両者が考えて行くという教育的に適切な方法をとるべきであったにもかかわらず,市教委の本件訓告という事実上の懲戒的手段(権力的行為)が取られたので,本件訓告は「許容される目的のために必要かつ合理的と認められる措置」の基準を大幅に逸脱したものであって,教育基本法10条に違反する。」 (3) 同頁7行目「いうべきであるから,本件訓告は,」を「いうべきであり,本件訓告は,訓告の次に「戒告」へとつながる処分体系の一環であって,その教育の自由を奪うものであるから,」に改める。 (4) 同6頁3行目の次に行を改めて,以下のとおり加える。   「 すなわち,秋山校長は,本件授業に先立ち,本件教材プリントの内容を控訴人から見せられて説明を受けており,授業内容を了知していたにもかかわらず,同校長は事前に何らの指導や指摘及び注意も行わなかった。  仮に,控訴人の秋山校長に対する上記説明によっても秋山校長がその内容を十分に理解していなかったとしても,不明瞭な点は控訴人に質問して内容を確認することは容易にできたにもかかわらず,そのような質問をした事実は一切ないので,控訴人において,秋山校長が本件授業について問題がないと事前に認めたものと理解したことには正当な理由がある。」 (5) 同頁18行目の次に行を改めて,以下のとおり加える。  「 すなわち,本件授業は,日の丸・君が代に反対するよう生徒に呼びかけたものではなく,常識と思われていることも今一度自分の頭で考えてみよう,上からの指示を鵜呑みにするのではなく,その意味を自分の頭で考えてみようというところにあった。その例として,卒業式が近づいている時期で生徒に関心の高かった教育委員会・校長と日の丸・君が代の問題を取り上げて,更に薬害エイズと当時の厚生省,金融問題と当時の大蔵省・証券会社の問題を取り上げて,自分の頭で考えることの重要性を指摘したものである。そして,控訴人の本件授業を受けた生徒らは,本件授業の趣旨を自分なりに受け止め,咀嚼し,自分なりに深めているので,極めて教育的成果の高い授業であった。更に,本件授業において取り上げた全国の教育委員会の日の丸掲揚と君が代斉唱の強制は,処分や降格,失職を振りかざした強迫を伴う常軌を逸した状況にあり,その中で自ら判断することを放棄し考えずに動いてしまう校長の姿を問題にしたことは,現在全国で現実に起きている事態を率直に反映したものであって,その内容は事実の裏付けを有する。このような校長の状態は,まさに,教育委員会の指示について,自らの判断や良心を放棄し,その理由や背景を何ら考えることなく従うだけの状況であり,これは,控訴人が本件教材プリントで使用したオウム真理教の信者の態度と何ら変わることがない。  そして,教員が社会の中で現実に起きている事象について,生徒にこれを「考えさせる」教育を行うことは,極めて広く行われていることであり,生徒の思考力判断を養う上でむしろ必要なことであるから,本件授業は,生徒が自主的な判断力を養うために「必要かつ合理的な授業」であって妥当なものである。また,本件授業は,3年生の最後の授業であるので,その生徒たちが,卒業式を目前に控え,自分たちの卒業式を「自主的に」自分たちの手で創り上げたいと準備を熱心に行い,全国の校長の日の丸・君が代の実施という問題に直面していたのであるから,次世代を担う生徒たちのために,その自主性を尊重し,自主的な判断を支援する教育として,まさに「必要」とされる正当な授業であった。  したがって,本件授業は,その教育的意図,その方法及び内容のいずれをみても,教育的に評価されこそすれ,市教委という教育行政機関が,訓告という懲戒的意味合いを有する権力的手段を用いて,管理・統制する筋合いのものではなく,控訴人が例示として日の丸・君が代をめぐる全国の校長と教育委員会の実態を示したことも「適正」なものであった。」 (6) 同7頁13行目「等しい。」の次に以下のとおり加える。  「すなわち,マインドコントロールというのは,「物理的・身体的に強制的な方法を用いずに,本人にもまた周囲の人々にも,それとは気づかれないうちに個人の精神構造に影響力を及ぼすような,洗練された社会心理学的テクニックである」ところ,控訴人は本件教材プリントで「指示」や「指導」及び「命令」をする・される関係が成立することを「マインドコントロール」とし,そのことにより,どんな罪悪なことも抵抗せずにやがて進んで実行してしまうとしているから,心理的なテクニックとは別物である「指示」「指導」「命令」を「マインドコントロール」としている点で正確な用語の使用法とはいえない。そして,この不正確な言葉の使用をもとにしたプリントの授業は,校長による国旗・国歌に対する指導が,あたかもオウム真理教と同じマインドコントロールされた命令・服従の指導であるという内容を含んでいることから,本件教材プリントに記載された内容は,重大な事実誤認があり,それをもとにしてなされた本件授業は,@全国の校長に対する誤った批判が含まれており,A石川中学校の学校運営に対する批判が含まれているものである。」 (7) 同頁19行目の次に行を改めて,以下のとおり加える。  「 なお,控訴人は,全国の校長を取り上げた本件たとえ話しに根拠があると主張するが,控訴人が全国の校長すべてに関して調査をしたわけではなく,法的根拠のある学習指導要領を尊重して行動している全国の校長を,あたかも麻原元教祖とオウム真理教の信者との関係と同じ心理的なマインドコントロールとして捉えて,控訴人の独断で,全国の校長に対する判断をしているのであるから,この点の控訴人の主張は失当である。また,控訴人の本件授業の目的が,仮に,生徒が自分の頭で考えてみようというところにあったとしても,本件教材プリントを使用して授業をする以上,本件教材プリントの内容について,十分吟味した上で使用すべきであった。本件教材プリントの内容は,上記のとおり不適切な内容を含んでおり,それ自体が問題とされるべきである。」 (8) 同8頁3行目「事実もない。」の次に以下のとおり加える。  「すなわち,控訴人が秋山校長に対し,平成11年2月15日,本件プリント部分を指し示して「誤りはないつもりであるが,もしこのプリントに事実誤認があれば指摘して欲しい。誤りがあれば直す。」と問うたことはない。そして,秋山校長は,控訴人に対し,本件教材プリントを使用した授業を許可したことはなく,むしろ「事実を教えるのは結構だが,偏った教育はしないで下さい。」と指導しているので,控訴人が本件教材プリントを配布して本件授業をし,日の丸・君が代について触れるとともに,秋山校長の学校運営について批判めいたことを生徒に指導するとは思いもよらなかった。しかも,控訴人の秋山校長に対する本件教材プリント呈示の方法及び説明が不十分であったので,同校長が控訴人の行う授業内容について更に具体的に何らかの指導を行わなかったことは不当ではない。」 (9) 同頁6行目冒頭から同10行目末尾までを,以下のとおり改める。  「(エ) 以上のとおり,被控訴人の執行機関である市教委が控訴人に対し,地方公務員法33条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律37条,43条1項に基づき,本件教材プリントを使用した本件授業が公立中学校教員として不適切な行為であることを理由に,制裁的実質を伴わない矯正措置としての本件訓告をなしたことは,適法かつ正当であって,教育基本法1条,10条1項,学校教育法28条1項,40条に反しないのはもとより,憲法13条,21条,23条,26条にも違反しない。」 (10) 同頁25行目の次に行を改めて,以下のとおり加える。  「 もっとも,控訴人は,懲戒的意味合いを含む権力的行為をもって介入することは,授業内容の適不適が問題とされる本件事案において許されるものではないと主張するが,訓告は,裁量権の濫用等で違法とされる以外は,職員の監督権限を有するものに広く認められるので理由がない。また,本件訓告の内容は,本件教材プリントを配布し,職員会議の内容を生徒に示し,校長の学校運営方針を批判するに等しい授業を行ったことについて,地方公務員法に抵触し,教育公務員たるにふさわしくない行為であるので,今後かかることのないよう文書をもって厳に訓告するというものにすぎない。そして,そもそも,教員は,教育内容,教育方法について,地方公務員として,全体の奉仕者として職務に専念すべきものであるから,教育内容について,教育委員会が介入できないとすれば,偏ったあるいは間違った教育がなされても是正されないことになるし,生徒に対する影響や職の信用が保たれなくなってしまうことになる。このような場合には,教育委員会の適切な指示により,健全な教育がなされることとなるのであるから,学校教育法もそのような趣旨から解釈されるべきである。」 第3 当裁判所の判断  当裁判所の判断は,次のとおり付加・補正するほか,原判決「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」記載のとおりであるから,これを引用する。 1 原判決9頁26行目「良識に沿った話をして欲しい」を「事実を教えるのは結構だが,偏った教育はやらないで下さい」に改める。 2 同10頁4行目「それに沿」から同15行目末尾までを,以下のとおり改める。  「それに沿う甲7,9及び69の各記載部分並びに原審における控訴人の供述部分がある。  しかし,上記各記載部分及び供述部分を客観的に裏付ける証拠はなく,そして,上記のとおり,上記会話の際,秋山校長は「事実を教えるのは結構だが,偏った教育はやらないで下さい。」と話しており,また,後記のように,秋山校長は2月20日に控訴人に対し,「校長は学習指導要領の範囲内で学校運営を行っている。オウムを引き合いに出して,マインドコントロールによって行わされているというような一方的な私見を授業で述べること自体が学習指導要領に逸脱しており,偏向教育である。」旨述べているから,このような事実に照らすと,秋山校長が上記のような了解をしたというのは,不合理である。そこで,このような事実と乙13,14及び原審における証人秋山fの証言に照らすと,甲7,9及び69の上記各記載部分並びに控訴人の上記供述部分は採用することはできない。かえって,甲2,3,乙1,13,14並びに原審における証人秋山fの証言によると,(ア)秋山校長は,2月15日,控訴人から「石川中では日の丸・君が代に関してはこのような考えでいきますので目を通しておいて下さい。職員会議で配った資料です。」「このプリントの教員にかかわる部分を除いて,生徒に君が代日の丸について授業でふれます。何かあったら指摘してください。」と説明され,本件資料プリントの交付を受けたこと,(イ)その際,秋山校長は,上記のとおり「事実を教えるのは結構だが,偏った教育はやらないで下さい。」と話したが,控訴人からは本件資料プリントのうち本件プリント部分を一部修正した本件教材プリントを控訴人の家庭科の授業で配布するとの説明は受けなかったこと,(ウ)そのため,秋山校長は,控訴人が本件教材プリントを配布して本件授業をし,秋山校長の学校運営について批判めいたことを生徒に指導することは予想外であったこと,(エ)後記のように,同月19日,保護者から市教委に対し,控訴人が授業中に生徒に本件教材プリントを配布したことにつき苦情が寄せられ,市教委は石川中学校にその旨通知し,事実関係につき照会したこと,そこで,当日校長会に出席していた秋山校長は,佐藤教頭からその連絡を受け,その後佐藤教頭を通じ,初めて本件教材プリントを入手したこと,(オ)後記のように,同月20日,秋山校長は,控訴人と応対し,「校長は学習指導要領の範囲内で学校運営を行っている。オウムを引き合いに出して,マインドコントロールによって行わされているというような一方的な私見を授業で述べること自体が学習指導要領に逸脱しており,偏向教育である。」旨述べ,本件教材プリントを使用した授業をやめるように口頭で指示したことが認められる。以上の事実によれば,控訴人は,秋山校長に対し,同月15日に本件資料プリントを示したが,本件教材プリントそのものは交付しておらず,生徒に本件教材プリントを配布すると説明せず,また,職員会議における秋山校長の発言を生徒達に話すとは述べなかったので,秋山校長は,控訴人が生徒に本件教材プリントを配布することや秋山校長の学校運営について批判めいたことを指導することを予想せず,したがって,控訴人に対し,控訴人が生徒達に本件教材プリントを配布すること及び秋山校長が職員会議において国旗掲揚と国歌斉唱を実施すると述べたことを話すことを了解したことはないと認められる。」 3 同13頁8行目「市教委から」から同9行目「あったことから,」までを「保護者から市教委に対し,控訴人が授業中に生徒に本件教材プリントを配布したことにつき苦情が寄せられ,そこで,市教委は石川中学校にその旨通知し,事実関係につき照会したことから,」に改める。 4 同頁16行目「原告に対し,」の次に「「校長は学習指導要領の範囲内で学校運営を行っている。オウムを引き合いに出して,マインドコントロールによって行わされているというような一方的な私見を授業で述べること自体が学習指導要領に逸脱しており,偏向教育である。」旨述べ,」を加える。 5 同16頁6行目「「不当な支配」に該当する旨主張する。」を「「不当な支配」に該当し,更に憲法23条,26条に違反する旨主張する。」に改める。 6 同頁8行目「それを禁止する措置は,」の次に「憲法13条,21条に反するとともに,」を加える。 7 同頁26行目冒頭から同17頁22行目末尾までを次のとおり改める。  「前記1(1)(2)の事実によれば,本件教材プリントは,地下鉄サリン事件を犯したオウム真理教の信者は教祖からマインドコントロールされており,どんなに罪悪なことでも抵抗せずにやがて進んで実行してしまうとの記述を前提として,「卒業・入学式に「日の丸」を掲揚せよ。「君が代」を斉唱させよ」と教委から指導された全国の校長のことばと同じに聞こえませんか。思考は同じだと思いませんか。」と記載しており,控訴人は,その授業において,本件教材プリントを使用し,これを読み上げるとともに,「校長先生は職員会議で「日の丸を舞台に三脚で置く。君が代は奏楽で流す。」と言っています。」と述べて,職員会議の内容を生徒に告げたものである。すると,卒業・入学式に「日の丸」の掲揚や「君が代」の斉唱を実施しようとする全国の校長は,教祖からマインドコントロールされ地下鉄サリン事件を犯したオウム真理教の信者と同じであるとするものであるが,甲87ないし92によっても,全国の校長が教育委員会からマインドコントロールされていると認めることはできず,他に同事実を認めるに足りる証拠はなく,また,乙8ないし10によれば,卒業・入学式に「日の丸」を掲揚し,「君が代」を斉唱することは,学習指導要領に依拠するものであって違法行為とは認められないから,控訴人が生徒に対し,地下鉄サリン事件のような凶悪な犯罪を犯した者と卒業・入学式に「日の丸」の掲揚や「君が代」の斉唱を実施する校長を,ともにマインドコントロールされた者として同一視し,しかも,職員会議における秋山校長の発言を示し,校長の学校運営方針を批判するに等しい授業を行ったことが不適当であることは,明らかである。そして,控訴人が生徒達に自主性の尊重ということを教える目的であったとしても,このように事実に反して他者の信用を毀損することは,教師の授業に関する裁量の範囲を越えるものであって,「必要かつ合理的な授業」ということはできず,許されないものというべきである。したがって,控訴人の上記行為は,地方公務員法33条に違反し,教育公務員にふさわしくない行為であり,学校及び職の信用を傷つけるものと認められる。  そして,訓告は,法令,規則に定められている処分ではなく,職員が職務上の義務に違反した場合に,任命権者又は上司が当該職員に対する指揮監督権に基づいて上記義務違反について注意を喚起し,将来を戒めるための事実行為にすぎず,職務遂行の改善向上のために行う制裁的実質を伴わない職務上の措置にとどまるものであって,法的地位に変動を生じさせず,また,何らの法的効果をも伴わない矯正的措置である。  そこで,以上の事実を併せ考慮すると,市教委が上記のような控訴人の授業方法が地方公務員法に抵触し,教育公務員にふさわしくない行為であり,・学校及び職の信用を傷つけるものとして,これを是正させるため,控訴人に対し,上記行為につき注意を喚起し,将来を戒めるために本件訓告をしたことは,合理的な理由があり,服務監督上の相当な措置であって,教育の目的を遂行するため必要かつ合理的と認められる措置であるというべきである。したがって,本件訓告が教育基本法10条1項,憲法13条,21条,23条,26条の趣旨に違反すると解することはできない。  もっとも,控訴人は,仮に,控訴人の授業の適不適を事後的に考える必要性(目的の許容性)が認められるとしても,その手段としては,秋山校長の指導助言を通じ,控訴人との話し合いの中で両者が考えて行くという教育的に適切な方法をとるべきであったにもかかわらず,市教委は本件訓告という事実上の懲戒的手段(権力的行為)を取ったから,本件訓告は「許容される目的のために必要かつ合理的と認められる」措置とはいえないから,教育基本法10条1項に違反すると主張する。しかし,上記のように本件訓告は制裁的実質を伴わず,何らの法的効果を伴わない事実行為にすぎないから,控訴人の上記主張は,その前提を欠くものであって,失当というべきである。  また,控訴人は,本件授業は,その教育的意図,その方法及び内容のいずれをみても,教育的に評価されこそすれ,市教委という教育行政機関が,訓告という懲戒的意味合いを有する権力的手段を用いて,管理・統制する筋合いのものではなく,控訴人が例示として示した日の丸・君が代をめぐる全国の校長と教育委員会の実態は思考停止せざるをえないという点などにおいて「適正」なものであったと主張する。しかし,先ず,本件訓告は,控訴人の本件授業における教育的意図をその対象とするものではないから,控訴人の教育的意図は本件訓告の当否と関係がないというべきである。次に,本件授業の方法が事実に反し,校長の学校運営方針を批判するに等しいものであって,不適当であることは,上記説示のとおりであるから,控訴人の本件授業の方法及び内容が適正であったとの控訴人の主張も採用することができない。」 8 同18頁1行目「前記1(2)認定のとおりであるから,」を「前記1(2)認定のとおりであり,控訴人は,卒業・入学式に「日の丸」の掲揚,「君が代」の斉唱を実施する全国の校長はオウム真理教の信者と同様に,教育委員会からマインドコントロールされている旨述べた上,秋山校長が職員会議で「日の丸を舞台に三脚で置く。君が代は奏楽で流す。」と言っています。」と述べたのであるから,」に改める。 9 同18頁11行目冒頭から同20行目末尾までを,以下のとおり改める。  「しかしながら,上記1(1)(本件授業以前の経緯)認定のとおり,秋山校長が控訴人に対し,本件授業の内容及び職員会議の内容を生徒に示すことを事前に了承したとは認められないから,控訴人の上記主張は,その前提を欠くものであって,採用することはできない。  なお,控訴人は,秋山校長が控訴人の行う本件授業の内容を十分に理解していなかったとしても,不明瞭な点を控訴人に質問して内容を確認することは容易にできたにもかかわらず,そのような質問をしなかったので,控訴人において,秋山校長が本件授業について問題がないと事前に認めたものと理解したことには正当な理由があると主張する。しかし,秋山校長は,控訴人から本件資料プリントの交付を受け,授業で卒業式における日の丸・君が代の問題を取り上げることについて言及されたが,控訴人は秋山校長に本件教材プリントを交付していないから,秋山校長が本件資料プリントのうち本件プリント部分を一部修正した本件教材プリントを授業で配布し学校運営について批判めいたことを生徒に指導することまでは予想することはできず,そして,秋山校長は控訴人に対し偏った教育はしないように注意をしているから,秋山校長が控訴人に対し,その授業の具体的な内容について質問しなかったとしても,控訴人が秋山校長が本件授業の内容を承認したと理解するにつき正当な理由があったと認めることはできない。」 第4 結論  よって,控訴人の被控訴人に対する本件請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却すべきところ,これと同旨の原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,控訴費用の負担について民訴法67条,61条を適用して,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第24民事部 裁判長裁判官 大喜多啓光 裁判官 水谷正俊 裁判官 河野清孝