◆ H18.07.26 東京地裁判決 平成16年(ワ)第3156号 国立市立国立第二小学校ピアノ伴奏拒否事件(損害賠償請求事件)     主   文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。     事実及び理由 第1 請求  被告らは,原告に対し,各自420万円及び内240万円に対する平成16年2月26日から,内180万円に対する平成17年11月18日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 事案の要旨  本件は,平成11年4月1日から平成16年3月末日まで被告国立市(以下「被告市」という。)が設置・管理するK小学校(以下「本件小学校」という。)に教員として勤務し主に音楽の授業を担当していた原告が,以下の@ないしHの行為が存在したとして,@ないしEの一連の行為及びFないしHの各行為が原告の思想・良心の自由,信教の自由,教育の自由及び表現の自由を侵害するものであり,これにより精神的苦痛を被ったなどと主張して,被告市に対しては国家賠償法1条1項に基づき,被告東京都(以下「被告都」という。)に対しては同法1条1項及び3条1項に基づき,各自,@ないしEの一連の行為について240万円,FないしHの各行為についてそれぞれ60万円,以上合計420万円の損害賠償を求めるとともに,これらに対する不法行為の後の日(@ないしEの一連の行為については訴状送達の日の翌日,FないしHの各行為については,これらを請求原因として追加した平成17年11月14日付け訴え変更申立書送達の日の翌日)から支払済みまでの民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。  原告が問題にしている事実の骨子は,次のとおりである(以下単に「@の行為」などという。)。@本件小学校平成11年度卒業式(平成12年3月開催。本訴で問題となる本件小学校の入学式及び卒業式は平成11年度から平成14年度のものであり,以下これらの入学式及び卒業式を「○○年度入学式」又は「○○年度卒業式」という。)において,当時同校校長であった訴外Aが,教職員との十分な議論も児童に対する事前の説明もせず「日の丸」(以下「国旗」という。)を掲揚した。A平成12年5月17日被告市の教育委員会(以下「市教委」という。)の担当者が原告に対して行った11年度卒業式前後における原告の言動等に関する聞き取り(以下「本件聞き取り」という。)の態様が,原告の信条を推知し,これに非難・処罰を加えようとするものであった。B同年6月29日被告都の教育委員会(以下「都教委」という。)の担当者が原告に対して行った11年度卒業式前後における原告の言動等に関する事情聴取(以下「本件事情聴取」という。)の態様が,原告の信条を推知し,これに非難・処罰を加えようとするものであった。C同年8月22日市教委が原告に対して11年度卒業式当日リボンを衣服に着用するなどの方法により国旗掲揚に反対する意思を表明したとの理由で文書による訓告(以下「本件文書訓告」という。)を行い,それに先立って十分な告知・聴聞の機会を与えなかった。DAが,原告に対し12年度卒業式及び13年度入学式での君が代(以下「国歌」という。)斉唱のピアノ伴奏を強要し,また,これにより原告を自己の信仰・信念を告白せざるを得ない状況に追い込んだ。EAが,原告に対し13年度卒業式及び14年度入学式での国歌斉唱のピアノ伴奏を指示し,これを断れば平成14年度に同人が望む音楽の授業を担当させずに学級担任をさせる旨を告げて,国歌斉唱のピアノ伴奏を強要した。F平成14年12月当時本件小学校校長であった訴外Bが,原告の授業内容について児童を対象とした調査を行うなどして原告の授業に介入した。G平成15年度の校務分掌に関し,Bが,国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復として,原告にその希望する5,6学年の音楽を担当させなかった。H平成16年4月期の異動に関し,国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復として,原告が両親の介護の必要から異動が困難であると申告していたにもかかわらず,Bが,市教委に原告の異動を具申し,都教委が,原告のS小学校への異動を発令し,また,当時市教委指導課長であった訴外Cが,S区教育委員会に対して原告が信仰に基づいて国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否していることを伝えた。 2 争いのない事実等(証拠を掲げていない事実は,当事者間に争いのない事実である。) (1)当事者等  原告は,昭和52年4月都教委によって小学校教諭に任用され,平成11年4月1日から平成16年3月末日まで本件小学校において勤務した(甲158,205)。本件小学校における原告の担当教科は,平成11ないし13年度は4ないし6学年の音楽(甲158,205),平成14年度は5,6学年の音楽及び6学年の家庭科,平成15年度は3,4学年の音楽及び5学年の家庭科であった。本件小学校の音楽の専科教員は,平成11ないし13年度は原告のみであったが,平成14年度に新規採用された音楽の専科教員(以下「本件新規採用教員」という。)が本件小学校に配置され,同年度及び平成15年度は,同教員及び原告の2名が音楽の専科教員となった。  被告都の執行機関である都教委は,被告都における教職員の任免その他の人事に関する事務を行い,被告都は,都内の市(特別区を含む。以下同じ)町村立小学校教職員の給料その他の給与を負担している(地方自治法180条の5第1項,市町村立学校職員給与負担法1条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)37条1項)。  被告市の執行機関である市教委は,被告市が設置する学校に勤務する教職員の服務を監督している(地方自治法180条の5第1項,地教行法43条1項)。 (2)主として@ないしCの行為に関する事実  本件小学校では,平成10年度までの相当期間卒業式での国旗掲揚が実施されていなかった。  Aは,本件小学校の職員会議において,平成12年3月22日11年度卒業式当日に国旗を校舎屋上に掲揚する旨の考えを示し,また,翌23日その意向を固めた旨を告げたが(甲13),原告を含む複数の教職員はAの考えに反対した。Aは,11年度卒業式当日である同月24日午前8時ころ,本件小学校校舎屋上に国旗を掲揚した。  同日午前10時ころから11年度卒業式が本件小学校体育館において挙行された(乙1)。原告を含む相当数の本件小学校教職員は,ループ状に丸めた幅約1cmの水色の布製リボンを胸元などに安全ピンでとめて,式に出席した。  Aは,平成12年3月28日付けで市教委教育長に「平成11年度卒業式実施報告書」と題する書面(以下「実施報告書」という。)を提出した(甲16の1,2)。実施報告書には,11年度卒業式で国旗掲揚を実施することについて教職員の反対があった,ほとんどの教職員が胸に「ピースリボン」を着けて同卒業式に出席した,一部の卒業生が式後校長に対し国旗掲揚についての説明や謝罪,国旗の降納を求めたなどの記載がある(甲16の1,2)。  平成12年4月5日,産経新聞多摩版に「児童30人,国旗降ろさせる校長に土下座要求卒業式直後一部教員も参加」との見出しの11年度卒業式に関する記事が掲載された(甲17)。  市教委は,同月11日,当時市教委学校指導課長であったDを担当者として,11年度卒業式前後の状況について,本件小学校教職員に対する聞き取り調査を行うことを決定し,同年5月17日本件聞き取りが行われた。  Aは,同年6月21日市教委教育長に対し「管理下における事故発生について(報告)」と題する文書を提出し,原告を含む本件小学校の教職員に11年度卒業式の指導に関して職務上の義務違反があった旨を報告した(甲61)。市教委教育長は,同月28日都教委教育長に対し「職員の服務事故について(報告)」と題する文書を提出し,原告を含む本件小学校の教職員に同卒業式に関して服務上の問題があった旨を報告した(甲62)。  都教委は,同年6月29日,当時都教委人事部管理主事であった訴外E,同F及び同Gを担当者として,11年度卒業式における服務事故に関する事情聴取であることを原告に告げた上で,本件事情聴取を行った(丙2)。  市教委教育長は,同年7月11日都教委に対し11年度卒業式前後における原告を含む本件小学校の教職員の行動が地方公務員法に抵触する疑いがあるとして,同人らに対して措置をするよう内申した(甲62,66)。被告都の教育庁は,同年8月10日,同卒業式前後における言動に関して,本件小学校の教職員6名を戒告とし,7名を文書訓告とする旨を発表した(甲69)。原告は,同卒業式前後の言動に関して,都教委から処分や措置を受けていない(弁論の全趣旨)。  市教委は,同月22日,原告に対して,Aが本件小学校の教職員に対し11年度卒業式に国旗を掲揚する判断を示したにもかかわらず原告が同卒業式当日リボンを衣服に着用するなどして反対の意思を表明したことが,全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であり,職務に専念する義務に違反し地方公務員法35条に違反するものであるなどとして,本件文書訓告をした。 (3)主としてDの行為に関する事実  Aは,平成13年1月10日本件小学校の職員会議において,12年度卒業式での国歌斉唱を音楽専科教員がピアノ伴奏することを提案した(甲88)。原告が同年2月21日本件小学校の職員会議において国歌斉唱の伴奏にピアノを用いることは音楽的見地からみて相当ではない旨述べ,加えて,国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない個人的理由を述べようとしたところ,Aは,公務であるピアノ伴奏を個人的理由によって拒絶することは認められないと述べてこれを制止した。  原告は,同月23日同僚とともに校長室に赴き,国歌斉唱のピアノ伴奏をすることは原告の信仰に反し,校長が原告にこれを指示することは原告の内心の自由及び信教の自由を侵すものであるなどと記載した書面を読み上げた。これに対し,Aは,卒業式の国歌斉唱がピアノ伴奏にならなければ市教委にその旨を報告せざるを得ないと述べた。  同年3月17日本件小学校において国歌斉唱の公開練習(授業参観)が実施された。同練習では,ピアノ伴奏は行われず,カセットテープが用いられた。そして,同月23日実施の12年度卒業式(甲103)においては,国歌斉唱がピアノ伴奏されることはなく,カセットテープが用いられた。  Aは,同年4月5日本件小学校の職員会議において,原告に対し,13年度入学式で国歌斉唱のピアノ伴奏をしてほしい旨要請した(甲114)。原告がこれを断ったところ,Aは後日職員会議議事録中の原告の当該発言に赤色の下線を引いた。13年度入学式でも国歌斉唱のピアノ伴奏はなかった。 (4)主としてEの行為に関する事実  Aは,平成13年10月本件小学校の行事委員会において,13年度卒業式でピアノ伴奏により国歌斉唱を行いたい,それまでに児童に対して国歌について十分な指導を行いたい旨述べた。  同年12月20日,Aが原告を校長室に呼び,13年度卒業式での国歌斉唱のピアノ伴奏を打診したところ,原告は,返事を留保した。また,Aは,同日原告に対し平成14年度6学年の学級担任をする意思があるかを尋ねた。原告は,平成14年1月学級担任の話を断り,同年2月国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない理由を文書でAに示した。同書面には国歌斉唱のピアノ伴奏をすることは原告の信仰に反するなどの記載がある(甲128)。  Aは,同年3月13日本件小学校の職員会議において,原告以外の教員の名を挙げ,同教員が13年度卒業式における国歌斉唱のピアノ伴奏をすることを発表した。  Aは,同月15日原告に対し平成14年度6年1組の学級担任をするよう打診したが,原告は同月18日これを断った。Aは同月29日原告と面談し,平成14年度2学年の学級担任をするよう打診したが,原告はこれを断った。なお,原告は,平成14年度校務分掌に関する希望調査に際し,第2希望として2学年の学級担任を挙げていた。同日,平成14年度の校務分掌が発表されたが,その際に原告の担当校務は発表されなかった。Aは,同日原告と再度面談し,本件新規採用教員が本件小学校に配置される,これにより入学式や卒業式等での国歌斉唱のピアノ伴奏を本件新規採用教員に任せることができ,原告の負担が軽くなる,音楽を担当したいという原告の希望を踏まえ,平成14年度は1ないし3学年の音楽を担当してもらいたいと話した。  同年4月,Bが本件小学校の新校長として赴任した。Bと原告との協議の結果,原告の平成14年度の担当は5,6学年の音楽及び6学年の家庭科になった。  14年度入学式では本件新規採用教員が国歌斉唱のピアノ伴奏をした。 (5)主としてFの行為に関する事実  原告は,平成14年11月ころまでに,5学年の児童に対し,音楽の授業において,韓国・朝鮮語の歌を指導し,併せて我が国による朝鮮半島支配の歴史を教えた。Bは,同年12月原告が休暇を取っている間に,5学年担任教員の1人(学年主任)に対して,原告の上記授業内容を児童から聴取するよう指示し,同教員が受け持つ5年1組の児童らはその授業の内容を文書にして提出した。Bは,原告の休暇明けの同月24日原告を校長室に呼び,原告の上記授業に関して児童の保護者を名乗る者からの匿名の抗議があった旨を伝え,授業でどのようなことを話したのかを尋ねた。  Bは,平成15年2月12日,原告に対し,上記匿名の保護者が名乗ってきたと告げ,その保護者から卒業式に向けた練習をする際にどういう指導がされるのか不安であるとの指摘があったことを伝えた。 (6)主としてGの行為に関する事実  Bは,平成14年10月人事考課面接において,原告に対し,6学年の音楽を担当する教員が指導の一環として卒業式で国歌斉唱のピアノ伴奏をすべきであるとの考えを示し,このことについての原告の考えを尋ねた。  原告は,平成15年2月,同人が平成14年に作成しAに渡した国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない理由を記した書面をBに渡し,原告の考えが前年と変わっていないことを伝えた。  本件小学校においては,平成15年3月13日が平成15年度の校務分掌についての希望調査票提出締切日であった。原告は,同日までに希望調査票を提出しなかったが,遅くとも同月19日にはこれを提出した。同希望調査票に記載された原告の希望は,第1希望が4ないし6学年の音楽,第2希望が6,1,2学年の音楽,第3希望が5,6,1学年の音楽であった(甲151)。原告は,同月19日本件小学校の職員会議において,専科の教員を検討するときに原告の意見を聴いてほしい旨述べた。同月20日,平成15年度の校務分掌が希望どおりにならない者がBに呼ばれたが,原告は呼ばれなかった。  Bは,平成15年4月1日原告を校長室に呼び,平成15年度1,2学年の音楽及び5学年の家庭科を担当するよう告げた。これに対して,原告は,引き続き5,6学年の音楽を担当することを希望した。最終的には,平成15年度の原告の担当は,3,4学年の音楽及び5学年の家庭科になった。  14年度卒業式及び15年度入学式では本件新規採用教員が国歌斉唱のピアノ伴奏をした。 (7)主としてHの行為に関する事実  Bは,平成15年10月の人事考課面接において,原告に異動を促したが,原告は本件小学校でもう1年勤務したい旨述べた。  Bは,同年11月,原告に対し,本件小学校では専門外である家庭科も担当しなければならないので音楽専科教員としての力を発揮するために異動してはどうかと述べた。これに対し,原告は,5学年に家庭科だけが楽しみであるという児童がいること,同児童の卒業を見守りたいことなどを理由に挙げあと1年本件小学校に残りたい旨を希望した。原告は,同月10日「この異動が具申された場合,それは「君が代」を弾かないことに関わる,「思想信条」による不当な扱いと差別であると私が受け止め,法的手段に訴えることも考えに置いて,抗議することを考えている」,「校長による,本人の異動に関する意見欄に」,「介護の事情を考慮して,都心方面や遠距離通勤にならないように,地区の希望が反映されるように」,「書いてもらうようにお願いしてある」などの記載がある文書(甲156)をBに交付した。また,原告は,異動に関する自己申告書に,介護事情を抱えるため都区内への異動や遠距離通勤が必要になる異動は避けてほしい旨記載していた。原告は,同月14日,市教委からの求めに応じ,介護事情を説明した文書を提出した。  Bは,原告の異動を市教委に具申し,市教委は原告の異動を都教委に内申した(乙2,3)。都教委は,平成16年3月4日原告に対しS小学校への異動を内示した。  Cは,同月11日,原告に対し,原告が信仰に基づいて国歌斉唱のピアノ伴奏拒否を貫いていること及び原告が信仰する宗教をS区教育委員会に伝えたことを告げた。  原告は,同月12日から同月25日までの間,胃潰瘍等によりH病院に入院した(甲229の2)。原告は,出血性胃潰瘍により今後2週間程度の入院加療が必要である旨の上記病院I医師作成同月15日付け診断書(甲229の1)を提出し,病気休暇に入った。原告は,同月22日,都教委,市教委及びBに「異動停止のお願い」と題する書面を提出した。同書面には,異動内示による精神的ストレスが胃潰瘍の原因である旨の記載がある(甲162)。原告は,同月26日までに,多発性胃潰瘍により約2週間の休養を要する旨のJ診療所L医師作成同月25日付け診断書(甲235),出血性胃潰瘍により同月26日から2週間の入院加療を要する旨のM病院N医師作成同日付け診断書(甲237)を市教委に提出した(甲239)。  市教委は,同月26日付けで原告の異動についての都教委への内申を取り下げた。都教委は,同年4月1日原告について内示どおりの異動(以下「本件異動」という。)を発令した。 (8)その他の事情  原告は,平成16年2月13日本件訴訟を提起した(顕著な事実)。 3 争点及び当事者の主張  本件の争点は次の12点であり,これらに関する当事者の主張は次のとおりである。 (1)Aが11年度卒業式当日に国旗掲揚を実施したことの違法性の有無(@の行為に関する主張)−争点(1) (原告の主張)  Aは,平成12年3月22日,11年度卒業式当日に国旗を屋上に掲揚することを突然提案し,教職員と十分な議論をせず,また,児童に対する事前の説明をせずにこれを実施した。このことは,学校教育法17条及び18条所定の小学校の目的及び小学校教育の目標並びにこれを果たさなければならない教員の責務(同法28条6項)と抵触し,教育の本質的要請である教育における信頼関係の維持に反するものであり,同法28条3項所定の校長の権限を逸脱する。  Aが国旗掲揚を提案し,これを実行したことは,国旗掲揚が強制されるべきでないという原告の教員としての信念並びに国旗に対して消極的な意見を持つ原告の個人としての信念及び信仰に反するものであり,原告の思想・良心の自由及び信教の自由を侵害する。  小学校学習指導要領のうち,卒業式に際し国旗掲揚の指導をすべきことを定める部分は法的拘束力を持たない。 (被告らの主張)  Aの行動は,学校教育法,同法施行規則,小学校学習指導要領などに基づくものである。また,校長は,教職員から十分な賛同が得られなくとも,自らの権限と責任において学校運営を行うことができる。 (2)本件聞き取りの違法性の有無(Aの行為に関する主張)−争点(2) (原告の主張)  本件聞き取りは,原告の信念を推知しようとするものであり,また,一定の信念を有することが非難・処罰の対象になり得ることを原告に感じさせ,その内心に萎縮効果を与えるものであり,同人の思想・良心の自由を侵害する。 (被告市の主張)  本件聞き取りは,事実関係を調査するために行われたものであり,原告の思想・信条に触れるものではない。 (3)本件事情聴取の違法性の有無(Bの行為に関する主張)−争点(3) (原告の主張)  本件事情聴取は,原告の信念を推知しようとするものであり,また,一定の信念を有することが非難・処罰の対象になり得ることを原告に感じさせ,その内心に萎縮効果を与えるものであり,同人の思想・良心の自由を侵害する。 (被告都の主張)  本件事情聴取は,服務事故に関する事実把握のために行われたものであり,原告の思想・信条に触れるものではない。 (4)本件文書訓告の違法性の有無(Cの行為に関する主張)−争点(4) (原告の主張)  ア 文書訓告は懲戒処分と事実上同様の性質を持つ。  イ 原告は11年度卒業式において教育公務員として果たすべき職務に専念しており,職務専念義務違反を理由とする本件文書訓告には,事実誤認がある。  本件文書訓告は,原告が国旗の強制に反対の意思を表明したことを対象にしたものであり,その思想・良心の自由及び表現の自由を侵害する。  ウ 原告は,本件聞き取りに際して,その結果が都教委に報告され処分の資料として用いられ得ることや何が処分の対象となり得る行為であるかについて知らされなかった。  本件事情聴取においては,それが服務事故に関するものであると聞かされたが,服務事故となり得る行為が何であるのかを知らされなかった。また,原告がもっと伝えたいことがあると述べたにもかかわらず,その機会が与えられなかった。  このような態様での本件聞き取り及び本件事情聴取の結果に基づき本件文書訓告をしたことは,事情聴取に当たって聴取した内容をもとに都教委への報告書を作成する旨を被聴取者に知らせるべきことを定める都教委制定の「学校に勤務する教職員の事故発生にかかる状況報告作成要領」に違反するし,憲法による適正手続の保障にも違反する。 (被告市の主張)  本件聞き取りに際しては,事前に実施報告書が原告に示されており,本件聞き取りは適正手続の保障に反しない。 (被告都の主張)  原告が援用する「学校に勤務する教職員の事故発生にかかる状況報告作成要領」は,文書作成等の事務処理に関する内部文書にすぎず,その違反は違法の問題を生じさせない。  本件事情聴取に際しては,聴取者は,あらかじめ原告に対し,服務事故について報告書が提出されていること,服務事故について任命権者である都教委が直接事実を確認するために本件事情聴取が行われること,本件事情聴取は原告が直接都教委に弁明する機会であり,原告が話したいことがあればそれを話してよいこと,聴取した内容は公表されないこと,話したくないことは話さなくてよいことを伝えた。聴取終了時には,原告に対して,記録用紙に記録者が記載した内容を読み聞かせ,原告から指摘があった点についてはその場で訂正した上で,最後に,記録内容に誤りがない旨を原告に確認し,原告の署名・押印を得た。 (被告らの主張)  ア 文書訓告は,懲戒処分ではなく,被対象者に法的不利益を課すものではないから,本件文書訓告によって原告に損害は生じない。  イ 「ピースリボン」の着用が国旗・国歌の「おしつけ」に反対する意味を持つものであることは一般に広く知れ渡っていた。11年度卒業式における原告の行為は,Aによる国旗掲揚の決定に異を唱え,国旗掲揚を伴った卒業式の円滑な実施を阻害するものであり,職務専念義務等の地方公務員法所定の義務に違反する。  本件文書訓告の対象は,原告の内心ではなく,外部行為としての表現行為である。 (5)Dの行為の違法性の有無−争点(5) (原告の主張)  ア Aは,指示に従わない場合には不利益処分も辞さないことをほのめかすなどして,12年度卒業式及び13年度入学式において国歌斉唱のピアノ伴奏をすること並びに同年3月に国歌斉唱の公開練習(授業参観)を実施することを原告に指示しており,これらは強要に当たる。  このようなAの言動は,学校教育法28条6項及び教育基本法10条1項により保障される教員の職務権限の独立を侵害し,同法1条,学校教育法17条及び18条所定の教育の目的,小学校の目的及び小学校教育の目標に反する。なお,小学校学習指導要領のうち,卒業式に際し国旗掲揚の指導をすべきことを定める部分は法的拘束力を持たない。  また,これらAの言動は,原告にその信念・信仰に反して国歌の伴奏という表現行為を強い,特定の思想を強制しようとするものであり,原告の思想・良心の自由,信教の自由及び消極的表現の自由(沈黙の自由)を侵害し,国歌斉唱の伴奏拒否を貫くことによって,自己の信仰を表現し,国歌が強制されるものではないことを児童に伝えようとする原告の積極的表現の自由及び教育の自由を侵害する。  イ 本件小学校校長として原告に対する指揮監督権を持つAが原告に対して同人の信念・信仰に反する行為を指示することは,原告に,自らの信念・信仰に反する行為をするか,指示を拒否するという態度によって自らの信念・信仰を明らかにするか,指示を拒否しつつ不利益を回避するためにその理由を説明することによって自らの信念・信仰を告白するかの選択を迫るものである。そして,自己の信念・信仰に反する行為を避けるためには,自己の信念・信仰を明らかにせざるを得ないので,Aが原告に対して国歌のピアノ伴奏を指示したことは,原告にその信念・信仰を告白することを強制したものといえ,同人の思想・良心の自由,信教の自由及び表現の自由を侵害する。  ウ Aは,職員会議等での十分な議論を経ることなく,12年度卒業式及び13年度入学式での国歌斉唱実施並びに平成13年3月の国歌斉唱の公開練習(授業参観)の実施を決めた。これは,学校運営が民主的にされることを求める教育基本法1条,2条,6条2項及び10条並びに同法の理念に反する。 (被告らの主張)  Aは原告に対し,国歌斉唱のピアノ伴奏をしてほしい旨要請したが,これは強要に当たるものではなかった。また,国歌の指導は,国旗及び国歌に関する法律,小学校学習指導要領及び各種通達等により要求されているのであって,校長が教職員に国歌斉唱のピアノ伴奏を要請することは違法ではない。Aは,原告に配慮して,国歌斉唱のピアノ伴奏をする旨の職務命令を発することを差し控えた。  Aの言動が何らかの点で原告の人権を制約するものであったとしても,その制約の程度は同人が公務員であることにより甘受すべき合理的な範囲内のものである。  校長は,教職員から十分な賛同が得られなくとも,自らの権限と責任において学校運営を行うことができる。 (6)Eの行為の違法性の有無−争点(6) (原告の主張)  ア Aは,指示に従わなければ平成14年度に本意ではない職務である学級担任をさせると告げて,13年度卒業式及び14年度入学式での国歌斉唱のピアノ伴奏をすることを原告に指示しており,これは強要に当たる。  このようなAの言動には,前記(5)の原告の主張アの第2,第3段落記載の問題がある。  イ Aが職員会議等での十分な議論を経ることなく13年度卒業式及び14年度入学式での国歌斉唱実施を決めたことは,学校運営が民主的にされることを求める教育基本法1条,2条,6条2項及び10条並びに同法の理念に反する。 (被告らの主張)  前記(5)記載の被告らの主張のほか,次のとおりである。  Aは,原告に学級担任を命じることもできたが,原告の希望を尊重し,円滑な学校運営を図るためにそれを差し控えた。  Aが原告に6学年の学級担任の話を持ちかけたのは,当時不登校の児童の中に原告を慕う者がおり,また,原告は学級担任の経験もあり,全教科の免許を持っていたためこの児童が在籍する学級の担任にふさわしいと考えたためであり,教育的配慮に基づくものである。  Aが原告に2学年の学級担任を持ちかけたのは,平成14年度に本件新規採用教員が本件小学校に配置されることが内定しており,校務分掌について原告との調整が必要であり,また,原告が異動希望票で第2希望として2学年の学級担任を挙げていたためである。本件新規採用教員を本件小学校に配置することになったのは,原告が入学式や卒業式のたびに国歌斉唱のピアノ伴奏をめぐって苦しむことがないようにするためでもあった。  Aが原告に1ないし3学年の音楽を担当してもらいたい旨話したのは,原告が音楽専科を希望してたため,本件新規採用教員と原告の担当校務を調整する必要があったためである。 (7)Fの行為の違法性の有無−争点(7) (原告の主張)  Bは,原告の授業内容を調査した。また,その調査に関連し,Bは,原告に対し,平成14年12月24日同人を校長室に呼んだ際に「座れ」と怒鳴ったり,平成15年2月12日に原告の授業内容を「取り調べる」と言ったりして原告を恫喝した。このようなBの言動は,前記教員の職務権限の独立を侵害し,また,同法1条,学校教育法17条及び18条所定の教育の目的,小学校の目的及び小学校教育の目標に反する。また,これらのBの言動は,原告が授業を通じて音楽の素晴らしさや表現の喜び,国際理解の重要性,国歌が強制されるものではないことを児童に伝えることを制約し,原告に特定の思想を強制しようとするものであり,同人の思想・良心の自由,表現の自由及び教育の自由も侵害する。 (被告らの主張)  Bが原告に対して「座れ」と怒鳴ったり,「取り調べる」と言ったことはない。  原告の授業内容に関し保護者から抗議の電話があり,校長としては,これを調査する必要があった。しかし,当時原告は休暇を取得しており,原告本人から直接事実を確認することができなかったため,Bは学年担任の1人(学年主任)に児童から事情を聞くように指示した。 (8)Gの行為の違法性の有無−争点(8) (原告の主張)  Bが原告に5,6学年の音楽を担当させなかったことは,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復であり,前記教員の職務権限の独立,地方公務員法27条1項及び教育基本法6条2項等により保障される教育公務員の身分保障を侵害し,同法1条,学校教育法17条及び18条所定の教育の目的,小学校の目的及び小学校教育の目標に反し,同人の思想・良心の自由及び信教の自由を侵害する。また,このような報復は,国歌斉唱の伴奏の拒否を貫くことによって,自己の信仰を表現し,国歌が強制されるものではないことを児童に伝えようとする原告の表現の自由及び教育の自由を侵害する。  Bが原告に平成15年度5,6学年の音楽を担当させなかったことは,原告が音楽を通じて日本の戦前及び戦中の歴史を教えることを妨げ,同人に特定の思想を強制する点で同人の思想・良心の自由,表現の自由及び教育の自由を侵害し,また,音楽の素晴らしさや表現の喜びを伝える機会を奪う点でも同人の表現の自由及び教育の自由を侵害する。 (被告らの主張)  校長は校務分掌に関する裁量権を有しているところ,Bが原告に平成15年度5,6学年の音楽を担当させなかったことは,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復ではなく,ほかに裁量権の逸脱又は濫用となるような事情もない。  Bが原告に平成15年度5,6学年の音楽を担当させなかった理由は,本件新規採用教員が平成14年度2ないし4学年の音楽を担当しており,なるべく多くの学年の指導を経験させるという見地から,同教員に平成15年度5,6学年の音楽を担当させようと考えたからである。  また,Bは,原告と協議し,同人の希望を一部取り入れ,平成15年度に原告が音楽を担当する学年を1,2学年から3,4学年に変更した。 (9)Hの行為の違法性の有無−争点(9) (原告の主張)  ア 被告都が定めた「東京都区市町村立小・中・養護学校教員の定期異動実施要綱」(以下「本件異動要綱」という)によれば,平成16年度に原。告を異動させる必要はなかった。また,介護が必要な両親を抱え,異動内示によるストレス等により体調を崩していた原告は,本件異動要綱第3,2(5)所定の個別に検討を要する者に該当し,異動の対象外とされるべきであった。仮に異動させる場合であっても,原告は,本件異動要綱第5,2所定の異動先地域の制限を受ける者ではなかったのであるから,地域選定に当たって原告の介護事情を考慮すべきであって,通勤時間が長くなり,通勤のために混雑した列車に乗る必要が生じる点で通勤の負担が重くなる区部へ原告を異動させたことは不当である。また,S小学校は,吹奏楽の指導のために音楽専科教員の時間外勤務を必要とする学校であり,介護が必要な両親を抱える原告をS小学校へ異動させたことは不当である。なお,本件異動要綱第5,2(1)ただし書きは,平成16年4月期の異動には適用されない。  本件異動は,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復としてされたものである。そして,その問題点については,前記(8)の原告の主張第1段落記載のとおりである。  加えて,本件異動は,授業を通じて音楽の素晴らしさや表現の喜びを伝える機会を原告から奪うものであり,同人の表現の自由及び教育の自由を侵害する。  イ 市教委が異動の内申を取り下げたにもかかわらず都教委が本件異動を強行したことは違法である。  ウ Cが,原告が信仰に基づいて国歌斉唱のピアノ伴奏拒否を貫いていること及び原告の信仰の内容をS区教育委員会に伝えたことは,原告の思想・良心の自由,信教の自由及びプライバシーの権利を侵害する。 (被告らの主張)  原告が信仰に基づいて国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否していたことは,原告が自発的に表明したことであり,人事上必要な情報でもあった。 (被告市の主張)  Bは,本件小学校に音楽専科の教員が2名いたことから,原告が音楽専科教員として力を発揮するためには他校へ異動した方がよいと判断し,原告の異動を具申し,併せて原告から申出のあった介護事情が十分に考慮されるよう校長所見欄にも記載したのであり,Bによる異動具申に関し裁量権の逸脱又は濫用はない。 (被告都の主張)  職員の転任処分等の人事に関する事務は自由裁量行為とされており,裁量権の逸脱又は濫用がない限り違法の評価を受けないところ,本件異動は,国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復ではなく,本件異動に関して裁量権の逸脱又は濫用はない。  本件異動は,通常の異動の一環として行われたものである。都教委は,教員として多様な経験を積ませるため,区部と市部・町村部との地域間の異動など全都的な視野に立った人事交流を促進させる必要があり,原告がそれまで市部の経験しかなく区部への異動が必要であったこと,区部の中では原告の自宅及びその最寄り駅からS区が最も近いこと,S区へは音楽専科教員としての異動が可能であったこと,原告の介護の事情などを考慮して異動を決定した。  市教委による内申の取下げは法的効力を有するものではないし,都教委は市教委による内申がなくとも任命権を行使できる。 (10)被告市の市長が選任監督権を持たない職員の行為に基づく被告市の責任の有無−争点(10) (被告市の主張)  被告市の市長は,市教委やその職員の選任監督権を持っておらず,市長が選任監督権を持たない公務員の行為については,被告市は国家賠償法1条1項による責任を負わない。 (11)損害の有無及びその額−争点(11) (原告の主張)  被告らの行為により原告が被った精神的損害を金銭で評価すると,その額は,@ないしEの一連の行為については200万円,FないしHの各行為についてそれぞれ50万円を下らない。また,本訴追行に必要な弁護士費用は,@ないしEの一連の行為につき40万円,FないしHの各行為につきそれぞれ10万円である。 (12)時効の成否及びその援用の可否−争点(12) (被告らの主張)  平成13年2月5日及びそれ以前の行為により生じ得る損害賠償責任については,消滅時効が成立しており,被告らはこれを援用する。 (原告の主張)  本件においては,平成12年3月以来国歌斉唱の伴奏強要という不法行為が継続し,それによって原告の精神的苦痛が増大しており,このような場合には消滅時効は進行しない。また,被告らによる時効援用は権利の濫用として認められない。  原告は,平成15年8月15日被告市に対し国家賠償法1条1項に基づく損害賠償の一部として10万円の支払を催告した(原告が援用しない被告市による陳述)。 第3 当裁判所の判断 1 争点(1)(Aが11年度卒業式当日に国旗掲揚を実施したことの違法性の有無)について (1)Aが教職員と十分に議論をしなかったとの主張について  原告は,11年度卒業式当日の国旗掲揚実施の違法性を基礎付ける事情として,まず,Aが平成12年3月22日に屋上での国旗掲揚を突然提案し,教職員と十分な議論をしなかったと主張する。  そこで検討すると,前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおり,同日及び翌23日の本件小学校の職員会議において,Aが国旗掲揚に関する考えを示し,この点について議論された。これに加えて,Aは,少なくとも,同年1月12日の職員会議において教育長から卒業式での国旗掲揚実施の要望があることを報告し,同月26日の職員会議において11年度卒業式の式次第に国旗掲揚を入れたいと提案し,同年2月23日の職員会議において11年度卒業式での国旗掲揚への協力を求め,同年3月1日の職員会議において11年度卒業式での国旗掲揚に理解を求めた(甲5ないし9)。また,Aは,11年度卒業式の前日である同月23日には午後11時30分ころまで職員会議を続けて国旗掲揚についての議論を継続し,国旗掲揚の態様についても,国旗掲揚の児童への悪影響を指摘する教職員の意見も考慮して,卒業式の会場である体育館内に掲揚することを避け,屋上に掲揚することを決している(甲13,270,乙1,証人A)。これらの経緯に徴すれば,Aは11年度卒業式当日の国旗掲揚実施について十分な時間をかけて本件学校教職員と議論して,その理解を得ようと努めたものというべきである。  ところで,小学校校長は,校務をつかさどり,所属教員を監督する者(学校教育法28条3項)として,小学校の事務全体を掌握・処理する任にある。これに対して,国立市立学校の管理運営に関する規則9条の3は,校長は,校務運営上必要と認めるときは,校長がつかさどる校務を補助させるため職員会議を置くことができると規定し,職員会議を校長による学校運営を補助するための機関と位置づけている(丙7)し,学校教育法その他の関連法令にも,職員会議の議決等を学校教育法28条3項所定の校長の権限行使の要件とする規定は存在しない。なお,平成12年4月1日に施行された同年1月21日文部省令3号により新設された学校教育法施行規則23条の2も,小学校には設置者の定めるところにより校長の職務の円滑な執行に資するため職員会議を置くことができ,職員会議は校長が主宰すると定めており,職員会議の議決等を校長の権限行使の要件とはしていない。  また,文部(科学)大臣は,教育に対する行政権力の不当・不要の介入にならない範囲において,学校教育法20条による小学校の教科に関する事項を定める権限に基づき,小学校における教育の内容及び方法につき,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的な大綱的基準を設定することができるものと解すべきところ(最高裁判所昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参照),小学校学習指導要領(平成元年文部省告示24号,平成10年文部省告示175号)は,その4章第2D(1)において,儀式的行事について「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるよう活動を行うこと」と定め,4章第3,3において,儀式的行事である「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めており(丙3),国旗・国歌がその字義のとおり国全体に関係するものであること,上記定めが国旗掲揚の態様や国歌斉唱の指導の方法を指定しておらず,地方の実情等にあわせた国旗掲揚の実施や国歌斉唱の指導をする余地を残していることに徴すれば,上記定めは,上記目的のための必要かつ合理的な大綱的な基準として法的効力を持つものというべきである。  これらに加えて,11年度卒業式当時,多くの公立学校において,入学式や卒業式で国旗が掲揚されており,学校における国旗及び国歌に関する指導が適切に行われるよう要請する平成11年9月17日付け文部省初等中等教育・高等教育両局長通知(丙4),同年10月1日付け東京都教育庁指導部長通知通知(丙5),平成12年1月28日付け市教委通知(丙6)も存在した。  以上の事情を総合考量すれば,平成12年3月23日に至っても国旗掲揚に反対する教職員が存在したことは前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおりではあるが,Aが最終的に校務をつかさどる者として,その責任と判断で,小学校学習指導要領にのっとって国旗掲揚を実施したことが,校長に与えられた権限の逸脱・濫用に当たると認めることはできず,このことが違法であると認めることはできない。 (2)Aが児童に説明をしなかったとの主張について  原告は,Aが児童に対する事前の説明をせずに国旗を掲揚したことが,学校教育法17条,18条及び28条6項に違反し,校長の権限を逸脱するとも主張する。  ア 学校教育法17条は,小学校の目的は心身の発達に応じた初等普通教育を施すことであると規定し,同法18条は,同法17条の目的を実現するために,小学校教育においては,自主及び自律の精神を養うこと(同法18条1号)などの目標達成に務めなければならないと規定する。そして,小学校校長や小学校教諭が,これら目的の実現及び目標の達成に資するよう同法28条3項又は6項所定の権限を行使し,職責を果たすように心掛けなければならないことは当然である。しかし,他方で,これらの目的を実現し,目標を達成するための方法は,その性質上,一義的に明らかではなく,上記権限の具体的行使の方法については,小学校の教科に関する事項を定める小学校学習指導要領の内容等も踏まえ,総合的に検討されるべき事柄であるというべきである。  これを本件についてみると,Aは11年度卒業式当日に屋上に国旗を掲揚することを事前に本件小学校の児童に告知しておらず(甲13,16の1,2),当時本件小学校に国旗掲揚に反対する児童が少なからずいたのであれば,国旗掲揚の意義等について事前に何らかの形で児童に説明をし理解させる機会を設けることが望ましかったとも考えられる。しかしながら,前記(1)認定の小学校学習指導要領の各定めなどにかんがみると,Aが児童に対して事前に説明せずに国旗掲揚をしたことが,学校教育法所定の上記目的及び目標の実現及び達成を阻害するものであるとは直ちに認めることはできず,裁量権の逸脱又は濫用に当たるとも認めることができない。  イ なお,原告は,Aの行為が学校教育法28条6項に違反するとも主張するが,これまで述べてきたところに照らすと,同主張を採用することはできない。 (3)思想・良心の自由,信教の自由の侵害の有無について  以上に加えて,原告は,11年度卒業式当日の国旗掲揚が原告の思想・良心の自由及び信教の自由を侵害するとも主張し,これは11年度卒業式当日の国旗掲揚が原告の信仰等の内心に強制を加えるものであったとの趣旨であると解される。  しかし,前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおり,11年度卒業式は本件小学校体育館で挙行されたのであるが,当日の国旗掲揚は本件小学校校舎屋上で実施されたものである。このような本件における国旗掲揚の態様等に照らすと,屋上での国旗掲揚という事実のみによっては,原告を含む11年度卒業式参列者の内心に対する強制があったとは認められないというべきである。そして,他に,11年度卒業式当日の国旗掲揚の態様が内心に対する強制と評価し得るものであったことを基礎付ける事情については,具体的な主張・立証がない。 (4)小括  そして,他に,11年度卒業式当日の国旗掲揚の実施に関し,Aに裁量権の逸脱又は濫用があったことを認めるに足る証拠はなく,Aによる国旗掲揚の実施が違憲又は違法であると認めることはできない。 2 争点(2)(本件聞き取りの違法性の有無)について (1)本件聞き取りが原告の信念を推知しようとするものであるとの主張について  本件聞き取りは,a 11年度卒業式に関する原告自身の経験について尋ねるとともに,これに加えて,b 「ピースリボン」の意味及び入手経路,c 被告市が平成12年1月に市内の小学校校長宛に卒業式での国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通知した事実の知不知を尋ねるものであった(甲53,270,乙1,4)。  このうち,上記aは,原告の職務に関する外部的行為について尋ねるものであると認められ,原告の信条を推知しようとするものであると認めることはできない。なお,この点に関する原告の主張は,11年度卒業式前後及び式中における原告の外部的行動は同人の思想・信条が発露したものであり,その外部的行動を尋ねることによって思想・信条を推知し得るとの趣旨であるとも解される。しかし,公立小学校の教諭の職務に関する行動が世界観や主義,主張,思想等と密接に関連するものであるとは一般的には認められないし,前記争いのない事実等(第2,2(1),(2))摘示のとおり,市教委が本件小学校の教職員の服務を監督する立場にあり,11年度卒業式の様子が新聞報道されたことなどに徴すれば,本件小学校教職員の11年度卒業式前後における行動は市教委にとって正当な関心事であったといえ,また,本件においては,市教委が原告の内心を推知するため殊更に同人の外部的行為について尋ねたと認めるに足りる証拠もない。これらの事情を考慮すると,上記主張は採用できない。  また,上記cは,事実の知不知を問うものにすぎず,これらに対する原告の意見を尋ねるものではないし,質問に対する回答から原告の思想・信条を推知し得るとも認められない。  上記bについても同様であり,これは原告の職務に関する外部的行動及びこれと関連する事柄についての同人の知識について尋ねるものにすぎず,本件小学校の教職員の服務を監督すべき立場にある市教委がこのような事項を調査することが原告の思想・良心の自由に対する侵害に当たると認めることはできない。 (2)本件聞き取りが一定の信念を有することが非難・処罰の対象になり得ることを原告に感じさせるものであったとの主張について  原告の上記主張は,要するに,本件聞き取りが原告の信念を推知しようとするものであることを前提として,本件聞き取りが推知の結果に基づいて原告に非難・処罰を加えようとするものであったとの趣旨であると解される。  しかし,本件聞き取りが原告の外部的行動から離れた信念を推知しようとするものであったと認めることができないことは既に述べたとおりである。そして,他に,本件聞き取りが,客観的にみて,一定の信念を有することそれ自体が非難・処罰の対象になり得ることを聞き取りの対象者に感じさせるものであったことを認めるに足りる証拠はない。  したがって,いずれにしても,上記主張は採用できない。 3 争点(3)(本件事情聴取の違法性の有無)について  原告は,本件事情聴取が原告の信念を推知しようとするものであり,また原告が一定の信念を有していることが非難・処罰の対象となり得ることを原告に感じさせるものであって,思想・良心の自由を侵害すると主張する。  しかし,本件事情聴取は,「あなたは,今回の服務事故について,どのように反省しましたか。また,どのように責任をとろうとしていますか」との質問がある点を除いては,11年度卒業式前後における原告の職務に関する経験を尋ねるものであって(丙2,15),原告の信条を推知しようとするものであると認めることはできない。そして,地方公務員法6条1項が任命権者に職員の懲戒権を与えているところ都教委は原告を含む本件小学校の職員の任命権者であり(地教行法37条1項),また,前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおり,市教委教育長が都教委に原告らに服務上の問題点があったと報告していたことに徴すれば,都教委が服務事故の存否及び懲戒処分の要否の判断資料を収集するために原告の職務に関する経験を尋ねたことが原告の思想・良心の自由に対する侵害に当たるとは認められない。また,これらの質問が,一定の信念を有していることそれ自体が処罰の対象となることを被聴取者に感じさせるものであると認められないことは前記2で説示したのと同様である。  これに対して,「あなたは,今回の服務事故について,どのように反省しましたか。また,どのように責任をとろうとしていますか」との質問は,原告の内心を尋ねるものであり,その返答が処分や措置の有無・軽重に影響を与え得ることを原告に感じさせるものであると認められるが,原告の世界観や主義,主張,思想ではなく,道徳的な反省を問うものであって,原告の思想・良心の自由に対する侵害に当たるとまでは認められない。  したがって,いずれにしても,上記原告の主張は採用できない。 4 争点(4)(本件文書訓告の違法性の有無)について (1)文書訓告の性質等について  一般に,公務員に対する懲戒処分については,懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものと解される。  ところで,地方公務員法29条1項は,懲戒処分として,戒告,減給,停職及び免職を予定しているが,文書訓告はこれらのいずれにも該当しない。また,地方公務員法その他の関連法令にも文書訓告についての明文規定は存在しない。したがって,文書訓告は,これを受けた者の法律上の地位に影響を与える懲戒処分ではなく,対象者の職務遂行上の問題点を指摘し,その改善を促すために服務監督権限に基づいてされる事実上の措置であると認められる。文書訓告のこのような性質にかんがみると,服務監督権者による文書訓告が違法と評価されるのは,懲戒処分の場合以上に,社会通念上妥当を欠き,裁量権を濫用したと認められる場合に限られるものと解するのが相当である。 (2)本件文書訓告が実体上違憲・違法であるとの主張について  ア 原告は,まず,本件文書訓告は基礎となる事実関係について誤認があると主張する。  そこで検討すると,本件文書訓告は,その原告に対する通知書(甲1)によれば,原告の職務専念義務違反を対象にしているのであり,その具体的態様は,Aが平成12年3月22日及び23日の本件小学校の職員会議において,教職員に対し,11年度卒業式当日に国旗を屋上に掲揚する旨の判断を示したにもかかわらず,原告が11年度卒業式当日リボンを衣服に着用するなどして反対の意思を表明したというものであることが明らかである。そして,Aが平成12年3月22日及び23日の本件小学校の職員会議において,教職員に対し,11年度卒業式当日に国旗を屋上に掲揚する旨の判断を示したこと,原告が11年度卒業式にリボンを着用して出席したことは,前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおりである。また,原告は,Aによる国旗掲揚が国旗の強制に当たると考え,強制があってはならないなどのメッセージを送るためにリボンを着用したのである(甲155,原告本人)。そうすると,本件文書訓告には,基礎となる事実関係について事実誤認はない。  原告の主張は,結局,a Aが国旗を掲揚したことは違法であり,これに反対することこそが正当な職務である,b 仮に校長の判断に反対することが正当な職務でないとしても,校長の判断に反対の意思を表明することによって本来すべき職務に影響が生じていない以上は,職務専念義務に違反しないとの2点を指摘するものであると解される。  (ア)このうち,上記aについては,原告は,Aによる国旗掲揚が強制に該当し違法であると主張する。しかし,このような主張を採用することができず,また,本件全証拠によっても11年度卒業式当日の国旗掲揚実施に関しAに裁量権の逸脱又は濫用が認められず,Aによる国旗掲揚実施が違法であると認められないことは,前記1説示のとおりである。したがって,Aによる国旗掲揚実施に反対することが正当な職務であるとの主張は採用できない。  なお,この点に関連して,原告は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定める小学校学習指導要領4章第3,3が法的拘束力を持たないと主張する。このような原告の主張は,前記1において説示したところとに照らし,採用できない。かえって,上記定めは,Aによる国旗掲揚実施が同人の恣意によるものではないことを基礎付け,裁量権の逸脱又は濫用を否定する事情になるものというべきである。  (イ)次いで上記bについて検討すると,職務専念義務とは,職員がその勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないことを意味するものであり,その違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではないと解すべきであり,身体活動の面だけみれば作業の遂行に特段の支障が生じなかったとしても,精神活動の面からみれば注意力のすべてが職務の遂行に向けられなかったものと解される場合には,職務専念義務違反が認められる(最高裁判所昭和52年12月13日第三小法廷判決・民集31巻7号974頁参照)。  このことに,以下の諸事情を併せ考慮すると,原告がリボンを着用して11年度卒業式に出席したことについて,市教委が注意力のすべてが職務の遂行に向けられていなかったと評価し,職務専念義務に違反すると判断して,文書訓告の対象としたことが,社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したものであると認めることはできない。すなわち,前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおり,Aが平成12年3月23日に11年度卒業式当日の国旗掲揚実施を告知したこと,前記1説示のとおり,Aが11年度卒業式当日に国旗掲揚を実施したことが違法であるとは認められないこと,証拠(甲53,60,62,160,260,丙1,2,10,証人D)によれば,原告が着用したリボンが「国旗や国歌のおしつけに反対です」との意思を表明するいわゆる「ピースリボン」に類似しており,11年度卒業式当時原告が所属する労働組合が「ピースリボン」の着用を呼びかけるビラを配布し,11年度卒業式当日も本件小学校校門付近で国旗掲揚に反対するビラや「ピースリボン」の着用を呼びかけるビラが配布されていたと認められること,上記認定のとおり,原告は,Aによる国旗掲揚が国旗の強制に当たると考え,強制があってはならないとのメッセージを送るためにリボンを着用したこと,前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおり,本件小学校の相当数の教職員が原告が着用したリボンと類似のリボンを着用して11年度卒業式に出席したこと,前記(1)説示のとおり,文書訓告が法律上の不利益を課すものではないことである。  イ 原告は,また,本件文書訓告が,思想・良心の自由及び表現の自由を侵害するとも主張する。  そこで検討すると,まず,前記ア説示のとおり,本件文書訓告は原告の職務専念義務違反を対象にしているのであり,その具体的態様は,原告がAによる国旗掲揚に反対の意思を有していたことそれ自体ではなく,原告がリボンを衣服に着用するなどの行為によって反対の意思を表明したことであるから,本件文書訓告が原告の思想・良心の自由を侵害するとは認められないし,また,本件文書訓告による表現の自由に対する制約は付随的なものであると認められる。そして,全体の奉仕者である公務員(憲法15条2項)は,表現の自由についても,職務の公共性に由来する内在的制約を受けるのであり,とりわけ,勤務時間中の表現行為に関しては制約の度合いが高いというべきであるところ,本件文書訓告によって制約される原告の表現行為は,まさに職務時間中のものである。  これらの事情に加えて,前記ア(イ)説示の各事情を併せ考慮すれば,原告がリボンを着用して11年度卒業式に出席したことについて市教委が文書訓告を行ったことが,原告の表現の自由を不当に制限するものであるとは認められず,社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したものであるとも認められない。 (3)本件文書訓告が手続上違憲・違法であるとの主張について  ア 原告は,本件文書訓告が憲法が要求する適正手続の保障を欠いたものであると主張する。  憲法31条の定める法定手続の保障は,一定の範囲で行政手続についても適用されるが,行政処分の相手方に事前に告知,弁解,防御の機会を与えるかどうかは,行政処分により制限を受ける権利利益の内容,性質,制限の程度,行政処分により達成しようとする公益の内容,程度,緊急性等を総合考量して決定されるべきものであって,常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解される(最高裁判所平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁参照)。  しかるに,文書訓告についていえば,前記(1)説示のとおり,服務監督権に基づいてされる事実上の措置であり,行政処分ではなく,また,対象者の権利に制限を加えるものでもないことに徴すれば,文書訓告に先立って告知・聴聞の機会が与えられなくとも違憲の問題は生じないと解するのが相当である。  イ また,原告は,本件聞き取り及び本件事情聴取が「学校に勤務する教職員の事故発生にかかる状況報告書作成要領」(以下「本件要領」という。)に違反すると主張する。  そこで検討すると,本件要領は,その表題及び内容から,市町村教育委員会が都教委に提出する事故報告書の作成要領を指示したものであると認められ(丙9),都教委が行った本件事情聴取については,本件要領の違反が問題となる余地はない。  これに対して,市教委が行った本件聞き取りは本件要領の対象になると認められる。そして,本件においては,本件聞き取りに基づいて市教委から都教委への服務事故に関する報告書が作成された(甲62,丙1)にもかかわらず,本件要領所定の「事情聴取に当たっては,聴取した内容をもとに都教委への報告書を作成する旨を,被聴取者に知らせること」との手続が履践されていない(証人D)のであるから,本件聞き取りの態様は本件要領の定める手続に反するというべきである。しかし,本件要領が,上記説示のとおり,飽くまでも都教委が市町村教育委員会に対して報告書の作成要領を指示したものにすぎないこと,前記争いのない事実等(第2,2(2))摘示のとおり,原告が都教委から懲戒処分等を受けていないことを考慮すれば,本件聞き取りに際して本件要領所定の手続が履践されなかったことが文書訓告を違法なものにするとは認められない。  また,本件において認められる全事情を総合考量しても,本件文書訓告について,それが社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したものであるといえるまでの手続上の瑕疵は認められない。 (4)原告のその他の主張について  なお,弁論終結が予定されていた第3回口頭弁論期日当日に提出された原告準備書面中には,以上に加えて,本件文書訓告には平等原則違反があり,また,本件文書訓告が原告の自白のみに依拠して事実を認定したことが違法である旨の記載が見られる。これらの主張,特に,平等原則違反については,被告らにおいて適切な反論・反証をするためには事実調査も必要となるのであるから,本件訴訟の審理経過及び民事訴訟法2条の趣旨に照らすと,これらは,本件の背景事情に関して記載されたものと解される。そうではなく,原告において,これらの事実を主要事実として主張する趣旨で記載したのであるとすると,上記観点に照らし甚だ遺憾であるといわざるを得ないが,念のため,当裁判所の判断を付記することとする。  まず,自白のみに依拠して事実を認定したとの点については,仮に市教委が原告の供述のみに依拠して事実を認定して本件文書訓告をしたとしても,以上(1)ないし(3)の認定説示にかんがみると,そのことが,社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したものであると認めることはできない。  次に,平等原則違反に関しては,原告は,a被告市においては,過去にリボン着用が文書訓告の対象にならなかった,b被告市以外が設置・管理する学校の教職員中に,「ピースリボン」を着用したが文書訓告を受けていない者がいる,c本件小学校の教職員を含む被告市の教職員の中にも,「ピースリボン」を着用して卒業式に出席したが文書訓告を受けていない者がいると主張する。  そこで検討すると,上記aについては,原告が指摘する書証(甲71の2)には,市教委の委員の発言として,被告市の職員組合がかつてリボン闘争を行ったが懲戒の対象とならなかったとの記載がある。しかし,そこでいうリボン闘争の具体的な状況は明確でなく,本件全証拠によっても,本件文書訓告で問題とされた原告の行為と同様の行為を行った者に対して,被告市がどのような措置をとったのかを認めることができない。してみると,原告の主張は,前提を欠くというほかない。次に,上記bについては,教育委員会は市町村毎に設置され(地教行法2条),それぞれの教育委員会は当該市町村立学校の教職員の服務を監督するものとされているところ(同法43条1項),これは,それぞれの市町村の教育委員会が,それぞれの地域の実情に応じて,その職権を行使することを期待したものであると認められる。そうすると,仮に被告市以外の教育委員会が「ピースリボン」着用について何らの措置を講じていないとしても,そのことは直ちには平等原則違反の問題を生じさせない。さらに,上記cについては,被告市が設置する学校の教職員の中に,「ピースリボン」を着用して卒業式に出席したことが確認され,なおかつ文書訓告を受けていない者が存在することに関する具体的な証拠がなく,原告の主張は前提を欠く。  そして,そもそも,文書訓告の性質及びそれが違法と評価される場合については前記(1)において説示したとおりであり,また,原告に対する本件文書訓告が社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したものであると認めることができないことは前記(2)及び(3)説示のとおりであることにかんがみると,いずれにしても,本件文書訓告が平等原則に違反するとの原告主張は採用できない。 (5)小括  そして,他に,市教委が本件文書訓告をしたことが社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したものであることを認めるに足りる証拠はなく,これが違法であると認めることはできない。 5 争点(5)(Dの行為の違法性の有無)について (1)国歌斉唱のピアノ伴奏の強要,信仰告白の強制があったとの主張について  原告は,Aが,12年度卒業式及び13年度入学式における国歌斉唱のピアノ伴奏並びに12年度卒業式に向けての国歌斉唱の公開練習(授業参観)を強要に当たる態様で原告に指示し,原告の思想・良心の自由,信教の自由,表現の自由及び教育の自由を侵害し,教育基本法1条及び10条1項並びに学校教育法17条,18条及び28条6項に違反した,また,原告に信仰等の告白を強制し,原告の思想・良心の自由,信教の自由及び表現の自由を侵害したと主張する。  ア そこで検討すると,この点に関する経緯につき,前記争いのない事実等(第2,2(3))摘示のほか,証拠(甲91,95,102,104,110,114,166,257,270,乙1,証人A,原告本人)によれば,次の各事実を認定することができる。  Aは,平成13年2月5日,原告に対し,国歌斉唱のピアノ伴奏は職務であって,個人的理由でこれを拒むことは相当ではなく,12年度卒業式では国歌斉唱のピアノ伴奏をしてもらいたいと話した。原告は,同月17日,弁護士から,「(国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない)宗教上の事情は是非表明するように」との助言を受けた。原告は,同月21日,本件小学校の職員会議において,「(国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない)個人的理由を話します」,「中身は個人的でも,それは卒業式という学校行事のことについてなのだから,私は会議の中で言い,皆にも聞いてもらいたい」,「個人的理由を何故言ってはいけないのですか」と発言した。原告は,同月23日,同僚とともに校長室に赴き,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない個人的理由を記載した書面を読み上げたが,その際に,Aに対し,12年度卒業式の国歌斉唱がピアノ伴奏にならなかったことをAが市教委に報告する場合には,原告にピアノ伴奏を拒否した個人的理由を市教委に伝えてもよいかの確認をとってほしいと述べ,Aはこれを了承した。Aは,同年3月7日職員会議において,国歌斉唱の公開練習(授業参観)の実施を求め,また,同月9日付けで「「第50回卒業式」に関する校長決定事項」と題する文書を作成し,本件小学校の教職員に対して,12年度卒業式での国歌斉唱の伴奏をどうするかについては,公開練習(授業参観)の結果を踏まえて判断すると伝えた。Aは,同月22日本件小学校の職員朝会において,12年度卒業式ではテープ伴奏によって国歌斉唱を行うことを告げ,同月23日の卒業式においてはそのとおり実施された。  Aは,同年4月5日の職員会議において原告が13年度入学式における国歌斉唱のピアノ伴奏を断ったことを受けて,同入学式においてテープ伴奏により国歌斉唱を行うことを決めた。  Aは,12年度卒業式及び13年度入学式に関して,原告に対して,国歌斉唱のピアノ伴奏をすべき旨の職務命令を発しなかった。  イ 前記ア認定の各事実及び前記争いのない事実等(第2,2(3))摘示の各事実を踏まえ,まず,国歌斉唱のピアノ伴奏の強要があったかについて検討すると,Aは,原告に対して地方公務員法所定の職務上の命令(地方公務員法32条)として国歌斉唱のピアノ伴奏を命じてはおらず,最終的にはテープ伴奏により国歌斉唱を行っているのであって,原告が個人的理由を挙げて国歌斉唱のピアノ伴奏をしたくないと述べた後も引き続き国歌斉唱のピアノ伴奏をしてほしい旨を要請してはいるが,これはあくまで説得の範囲内にとどまるものであったと認められる。こうしたことに,後記ウ説示の事情をも併せ考慮すると,Aによるピアノ伴奏要請の態様が強要に当たるものであると認めることはできないというべきである。  また,平成13年3月17日に実施された国歌斉唱の公開練習(授業参観)についても,テープ伴奏により行われているのであり,上記と同様に判断される。  ウ 次いで,信仰等の告白の強制があったかについて検討すると,前記争いのない事実等(第2,2(3))摘示の各事実及び前記ア認定の事実経過に徴すれば,原告は,Aから国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない個人的理由を言うべきではないと制止されていたにもかかわらず,あえて同僚とともに校長室に赴き,書面を読み上げる形で国歌斉唱のピアノ伴奏をすることができない個人的理由として信仰等を挙げるなどしたことが認められ,Aが原告に対して信仰等の告白を強制したものであると認めることはできない。  なお,この点に関する原告の主張は,明確ではないが,要するに,国歌斉唱のピアノ伴奏の指示に従うか又はそれを拒否するかによって国歌に対して否定的な信仰等を持っているか否かが明らかになってしまうので,国歌斉唱のピアノ伴奏を指示することは,いわば「踏み絵」として信仰等の告白を強いるものであるとの趣旨であると解される。  しかし,指揮監督権を有する者が何らかの指示等をすることが常に信仰等の告白強制に該当し,思想・良心の自由や信教の自由を侵害するものであると認めることはできないのであって,それが,信仰等の告白強制に該当し,思想・良心の自由や信教の自由を侵害するというためには,少なくとも,当該指示等が信仰等を推知するためにされたなど権限の逸脱又は濫用に当たる事情が存在することが必要であるというべきである。そして,本件においては,(ア) Aが原告の信仰等を探るために国歌斉唱のピアノ伴奏を指示したことをうかがわせる事情は認められず,また,(イ) 前記1説示のとおり,小学校学習指導要領が「入学式や卒業式などにおいては」,「国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めるところに徴すれば,Aが平成12年度卒業式及び平成13年度入学式等で国歌斉唱を実施しようとしたことが校長の権限を逸脱又は濫用するものであるとは認められないことは,前記4(2)ア(ア)で説示したのと同様であるし,(ウ) 国歌斉唱のピアノ伴奏がその性質上音楽の指導の一環とも考えられることに徴すれば,Aが国歌斉唱のピアノ伴奏をしてほしい旨を当時の本件小学校における唯一の音楽専科の教員であった原告に要請したことについても,これが権限の逸脱又は濫用に当たると認めることはできないというべきである。  そうすると,Aによる原告に対する国歌斉唱のピアノ伴奏の要請は,同人の正当な権限の行使であったと評価すべきであり,仮にAの要請によって結果として原告が自己の信仰等を告白しなければならないと感じたとしても,これが原告の思想・良心の自由又は信教の自由を侵害するものであると認めることはできない。 (2)Aによる国歌斉唱実施の決定,国歌斉唱の公開練習(授業参観)実施の決定が手続上違法であるとの主張について  原告は,Aが職員会議による十分な議論を経ることなく国歌斉唱実施及び国歌斉唱の公開練習(授業参観)実施を決定したと主張し,これが教育基本法1条,2条,6条2項及び10条並びに同法の理念等に反するとも主張するが,校長が校務運営の決定権限を行使するに際して,職員会議の決議等を得る必要がないことは,前記1説示のとおりであるし,本件全証拠によっても,Aが上記権限を逸脱又は濫用したことを基礎付ける事情は認められない。 (3)小括  そして,他に,Aが12年度卒業式及び13年度入学式での国歌斉唱のピアノ伴奏並びに12年度卒業式に向けての国歌斉唱の公開練習(授業参観)をするように原告に要請したことが,違憲又は違法であることを認めるに足りる証拠はない。 6 争点(6)(Eの行為の違法性の有無)について (1)国歌斉唱のピアノ伴奏の強要があったとの主張について  ア 証拠(甲122,133,134,135,乙1,証人A,原告本人)によれば,次の各事実を認めることができる。  Aが平成13年12月20日及び平成14年3月15日原告に対して平成14年度6学年の学級担任をするよう打診した理由としては,当時5学年に不登校の児童がおり,同児童の不登校の原因に担任教員との関係があり,担任の交代が必要であると考えられたこと,同児童が原告と良好な関係を築いていたこと(平成14年3月からは音楽室への登校を始めていた。),原告が小学校全科の指導資格を有していたこと,Aが,卒業式や入学式における国歌斉唱のピアノ伴奏を音楽専科の教員が行うのが相当であるとの考えを持っており,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒んでいたことが挙げられる。また,Aが同年3月29日原告に対して平成14年度2学年の学級担任をするよう促した理由としては,原告が小学校全科の指導資格を有していたこと,原告が平成14年度の校務分掌の希望として第2希望に2学年の担任を挙げていたこと,Aが,卒業式や入学式における国歌斉唱のピアノ伴奏を音楽専科の教員が行うのが相当であるとの考えをAが持っており,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒んでいたことが挙げられる。  イ 平成14年度の原告の担当職務に関するAの言動についての原告の主張は,要するに,Aの言動が,国歌斉唱のピアノ伴奏をしなければ音楽の授業を担当することができないことを伝えるものであり,国歌斉唱のピアノ伴奏の強要に当たると主張するものである。  ところで,学校教育法28条3項所定の校長の権限には,学校における校務分掌に関する組織を定め,所属の教職員にその分掌を命じて,校務を処理することも含まれていると解されるのであって,校長による職務分掌命令が違法とされるのは,上記権限の行使に際して裁量権の逸脱又は濫用があった場合に限られると解するのが相当である。これと同様に,校長が教職員に対して一定の校務分掌を打診することが違法となるのは,その態様が社会通念上著しく妥当性を欠く場合に限られると解するのが相当である。  これを本件についてみると,前記1説示のとおり小学校学習指導要領が「入学式や卒業式などにおいては」,「国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めていることに徴すれば,Aが卒業式及び入学式において国歌斉唱を実施しようとしたことが同人の恣意によるものではないと認められる。また,Aが,国歌斉唱の実施方法として,音楽専科教員によるピアノ伴奏を選択することが相当であると考えたことも,国歌斉唱がその性質上音楽教育の一環とも考えられること,本件小学校の卒業式において会場にピアノが設置され,国歌斉唱の伴奏以外にもピアノが用いられていたこと(甲87,121,135,270,原告本人)に徴すれば,相当な選択肢の一つであったと認められる。これらに加えて,前記ア認定のとおり,Aが原告に学級担任を打診した理由が国歌斉唱のピアノ伴奏に関わるものだけではなかったことや,原告が音楽専科教諭として都教委に採用されたわけではなく,小学校全科の指導資格を有していたこと(甲158,205,原告本人)を総合考量すると,Aが原告に対して平成14年度に学級担任をすることを打診したことが社会通念上著しく妥当性を欠いたものであると認めることはできない。  そして,他に,13年度卒業式及び14年度入学式での国歌斉唱実施並びに平成14年度の校務分掌に関するAの言動が,違憲又は違法であることを認めるに足りる証拠はない。 (2)Aによる国歌斉唱実施の決定が手続上違法であるとの主張について  原告は,Aが職員会議による十分な議論を経ることなく国歌斉唱実施を決定したと主張し,これが教育基本法1条,2条,6条2項及び10条並びに同法の理念等に反するとも主張するが,校長が校務運営の決定権限を行使するに際して,職員会議の決議等を得る必要がないことは,前記1説示のとおりであるし,本件全証拠によっても,Aが上記権限を逸脱又は濫用したことを基礎付ける事情を認めることはできない。 (3)@ないしEの行為の一連の行為としての違法性の有無について  原告は,@ないしEの行為が一連の行為として違法性を有すると主張するが,これまで検討してきたことを総合考量すると,これらの行為を一体として検討しても,被告らが国家賠償法1条1項又は3条1項に基づいて責任を負うと認めることはできない。 7 争点(7)(Fの行為の違法性の有無)について  原告は,同人の授業内容をBが調査したこと及び授業内容に関するBの原告に対する質問の態様が原告の授業に対する不当な介入に当たり,教育基本法1項及び10条1項並びに学校教育法17条,18条及び28条6項に違反し,また,これらのBの言動が原告の思想・良心の自由,表現の自由及び教育の自由を侵害したと主張する。 (1)原告の授業内容の調査について  Bが5学年担任教員の1人(学年主任)に対して原告の授業内容を児童から聴取するよう指示したこと及びBが原告自身からも同人の授業内容について聞き取りをしたことは前記争いのない事実等(第2,2(5))摘示のとおりであり,証拠(甲145,150,270,乙3,証人B,原告本人)によれば,Bによるこれらの調査に関し,次の事実を認めることができる。  原告は,平成14年12月18日(水)から同月20日(金)まで休暇を取っていた(なお,同月23日(月)も休日であった。)。その間,本件小学校の児童の保護者を名乗る匿名の者がBに電話をし,原告が行った授業について抗議を申し入れた。抗議をした者の話によれば,原告は,音楽の授業中,いわゆる邦人拉致問題に関して,朝鮮民主主義人民共和国が邦人に対して行ったことと同様のことを我が国が過去に朝鮮半島の人々に対して行った旨の発言をしたとのことであった。Bは,同月24日(火),授業内容について話を聞くために,原告を本件小学校校長室に呼び,着席を促したが,原告は着席を拒み,押し問答になった。  上記認定の各事実及び前記争いのない事実等(第2,2(5))摘示の各事実を総合考量すると,次に述べるように,本件においてBが原告の授業内容を調査したことが原告の授業に対する不当な介入に当たると認めることはできない。  すなわち,校長は所属教員を監督する権限と責任を有しているところ(学校教育法28条3項),本件においては,保護者を名乗る人物から原告の授業内容について抗議があり,抗議内容はそれ自体明らかに不当なものであるということはできないので,Bが抗議の内容に関して事実関係を調査をする必要があると判断したことには相応の合理性があったものと認められる。また,Bが行った調査は,事後的に行われたものであって,あらかじめ授業の内容を録音するなどして授業内容の適否を審査するといった態様の調査と比べると,教員に与える心理的圧迫の程度は少ないものであると認められる。こうしたことに加え,初等普通教育に携わる小学校の教諭が授業の内容を秘密にする権利・利益を保障されていると解することができる法令上の根拠は見当たらないことをも併せ考慮すると,調査方法が教育的配慮を尽くしたものであったと評価できるかどうかはともかくとして,当時原告が休暇を取得中で,翌週火曜日にならないと登校しないという事情の下におけるBの調査の態様が原告の授業に対する不当な介入に当たると認めることはできない。 (2)原告に対する質問の態様について  次いで,Bの原告に対する質問の態様について検討すると,原告作成の陳述書(甲270)には,Bが平成14年12月24日原告から授業内容を聴取した際に「座れ」と怒鳴った,平成15年2月12日原告に対し同人の授業内容を「取り調べる」と発言したとの記載があり,原告はこれらの発言が恫喝に当たると主張する。  しかし,前記(1)説示のとおり,Bが原告の授業内容を調べること自体が原告の授業に対する不当な介入に当たると認めることができないのであるから,「取り調べる」との発言があったとの記載については,仮にこのような発言があったとしても,Bの原告に対する質問の態様が不当なものであったと認めることはできない。また,「座れ」と怒鳴ったとの記載については,上記(1)認定のとおり,平成14年12月24日にBが原告に着席を求め,原告がこれを拒んだために押し問答になったことに徴すれば,その過程でBが声を荒げた可能性も否定できないが,そのことをもってBの原告に対する聞き取りの態様が不当なものであったと認めることはできない。 (3)小括  そして,他に,Bが原告の授業内容を児童及び原告本人から調査したことが,原告の授業に対する不当な介入に当たると認めるに足りる証拠はないので,Bの行為が違憲又は違法であると認めることはできない。  以上の次第であるから,原告の主張は,いずれも採用できない。 8 争点(8)(Gの行為の違法性の有無)について (1)Bが原告に平成15年度5,6学年の音楽を担当させなかったことが国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復であるとの主張について  前記6(1)説示のとおり,校長は所属の教職員に校務分掌を命じる権限を有しており,校長による職務分掌命令が違法とされるのは,上記権限の行使に際して裁量権の逸脱又は濫用があった場合に限られると解するのが相当である。そこで,以下,平成15年度の校務分掌の決定に関してBに裁量権の逸脱又は濫用があったか否かを検討する。  ア まず,証拠(甲270,乙3,証人B)によれば,次の事実を認めることができる。  Bが原告に平成15年度5,6学年の音楽を担当させなかった理由は,次のとおりであった。すなわち,Bは,本件新規採用教員が平成14年度に2ないし4学年の音楽を担当しており,多様な経験をさせるという観点から,平成15年度には本件新規採用教員に5,6学年の音楽を担当させるのが相当であると考えていたこと,本件新規採用教員は音楽教諭の免許を有するのみであったのに対して,原告が全科目を指導できる免許をもっていたこと,Bは,卒業式において国歌斉唱を実施するのが相当であると考え,また,6学年の音楽を担当する教員が卒業式において国歌斉唱のピアノ伴奏をすれば,音楽の授業の一環として国歌斉唱の指導を行うことが可能になると考えていたこと,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒んでいたこと,原告が平成15年度の校務分掌に関する希望調査票を締切りまでに提出しなかったことなどであった。  また,Bは,当初,原告に平成15年度1,2学年の音楽を担当させる意向を有しており,その旨を原告に伝えたが,その後,原告の希望を一部取り入れて,最終的には3,4学年の音楽を担当させた。  イ ところで,原告は,平成15年度に原告が5,6学年の音楽を担当できなかったことは,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏をしなかったことに対する報復であると主張する。  しかしながら,前記1説示のとおり,小学校学習指導要領が「入学式や卒業式などにおいては」,「国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めていることに徴すれば,Bが卒業式において国歌斉唱を実施しようとしたことは同人の恣意によるものではないと認められる。そして,Bが,国歌斉唱の実施方法として6学年の音楽を担当する教員によるピアノ伴奏を選択するのが相当であると考えたことも,前記6(1)説示のとおり,国歌斉唱がその性質上音楽教育の一環とも考えられ,本件小学校の卒業式において会場にピアノが設置され,国歌斉唱の伴奏以外にもピアノが用いられていたこと,また,証拠(甲4,85,87,103,104,119,121,126,146,147)によれば,本件小学校においては,1ないし4学年の児童は卒業式に出席せず,5,6学年の児童のみが卒業式に出席していたと認められることに徴すれば,相当な選択肢の一つであったと認められる。これに加えて,前記6(1)説示のとおり,原告が音楽専科教諭として都教委に採用されたわけではなく,小学校全科の指導資格を有していたこと,前記ア認定のとおり,Bは卒業式での国歌斉唱のピアノ伴奏以外の事情も考慮して平成15年度の校務分掌を決定し,また,最終的に原告の分掌すべき校務を決定するに当たっては,原告と協議し,その希望を一部取り入れていることを総合考量すれば,Bが原告に平成15年度5,6学年の音楽を担当させなかったことについて,裁量権の逸脱又は濫用があると認めることはできない。 (2)Bが原告に5,6学年の音楽を担当させなかったことが,戦前・戦中の日本の歴史を教える自由に対する侵害であるとの主張について  Bが原告に平成15年度5,6学年の音楽を担当させなかったことについて,裁量権の逸脱又は濫用があるとは認められないことは前記(1)摘示のとおりであるから,原告の上記主張は採用できない。 (3)小括  そして,他に,平成15年度の校務分掌に関するBの決定が違憲又は違法であると認めるに足りる証拠はない。 9 争点(9)(Hの行為の違法性の有無)について (1)本件異動が実体上違憲・違法であるか否かについて  原告は,本件異動が原告の実体上の権利・利益を侵害する違憲・違法なものであると主張するので,まずこれらの点について検討する。  ア 地方公務員法17条1項は,職員(一般職に属するすべての地方公務員をいう。以下同じ。同法4条1項)の任命方法として,採用,昇任,降任及び転任を挙げており,ここにいう転任とは,既にある官職に任用されている職員を他の官職に任命する行為のうち,昇任又は降任に当たらないものをいうと解されるところ,同法27条2項は,同法が定める事由によらない限り,職員はその意に反して降任又は免職されないと定めるが,転任についてはこのような規定はない。また,教育公務員特例法4条1項は,大学の教員について,一定の場合を除いては,その意に反して転任されないと定めるが,小学校の教員については,このような規定はない。以上によれば,小学校の教員の転任については,任命権者の裁量に属し,裁量権の逸脱又は濫用がある場合にのみ違法となるものと解するのが相当である。  もっとも,本件異動は,被告市での免職とS区での採用を組み合わせた行為であり,上記転任とは法的性質が異なる。しかし,市町村立学校職員給与負担法1条によれば,市町村立小学校教員の給料等は都道府県が負担するものとされている。そして,都道府県が給料等を負担する教職員(以下「県費負担教職員」という。)について,地教行法37条1項はその任命権が都道府県教育委員会(以下「都道府県教委」という。)に属すると定め,同法40条は,都道府県教委は,地方公務員法27条2項の規定にかかわらず,ある市町村の県費負担教職員を免職し,引き続いて当該都道府県の他の市町村の県費負担教職員に採用することができる旨定めている。このような規定の存在に徴すれば,市町村立小学校教員の同一都道府県内での市町村を越えた異動は,転任と同様に,任命権者である都道府県教委の裁量に属し,裁量権の逸脱又は濫用があった場合にのみ違法と評価されるものと解するのが相当である。  イ これを本件についてみると,本件異動当時,都教委が任命権を有する教員の異動は,本件異動要綱に従って行われていた(甲211の1,丙15)ところ,本件異動要綱の内容については,それが不公正・不合理であることをうかがわせる事情は認められないので,本件異動要綱にのっとって決定された異動については,特段の事情のない限り,裁量権の逸脱又は濫用はないというべきである。そこで,以下,本件異動が本件異動要綱にのっとったものであるか否かについてを検討する。 (ア)本件異動要綱には,次の各規定がある(甲211の1)。すなわち,a 現任校において引き続き3年以上勤務する者を異動の対象とする。b 現任校において引き続き勤務する年数が6年に達した者は異動するものとする。c 異動の期日現在,休職中の者,妊娠・出産休暇及び育児休業中の者,妊娠中の者及び産後6か月を経過しない者,病気休職の復帰後6か月を経過しない者,その他個別に検討を要する者は,原則として異動の対象としない。d 教員に多様な経験を積ませるため,区部と市部・町村部の地域間の異動など全都的な視野に立った人事交流を促進する。e 教員は,5校を経験するまでに,全都を12の地域に分けたうちの異なる3つの地域を経験するものとし,1校の実勤務年数が3年未満のものについては,経験とみなさない。f 異なる3つ以上の地域での経験のない者は,同一地区内での異動を認めない。g 通勤時間はおおむね60分から90分を標準とし,120分までは通勤可能な時間とする。 (イ)そこで,進んで,本件異動が上記各規定にのっとったものであるか否かについて検討する。  上記各規定のうち,上記a及びbについては,原告は,前記争いのない事実等(第2,2(1))摘示のとおり,平成11年4月1日から本件小学校に勤務しており,本件異動当時,本件小学校での勤務年数が満5年に達していたのであるから,異動が必須ではなかったが,異動対象には含まれていた。  上記e及びfについては,原告の本件異動時までの勤務経験は,7地域所在のO小学校1年間,10地域所在のP小学校12年間,9地域所在のQ小学校6年間,10地域所在のR小学校3年間,10地域所在の本件小学校5年間であり,勤務期間が3年未満であるO小学校を除くと,4校・2地域で勤務し,勤務地はすべて市部であったことになる(甲158,205,211の1)。そうすると,原告の次の勤務校は,上記fの規定により,それまでに経験した10地域及び9地域以外の地域に所在する学校ということになり,4地域にあるS小学校への異動は,その要請を満たすものであり(甲211の1),また,上記dの趣旨にも沿うものであったといえる。  上記gについては,原告のS小学校への現実の通勤経路及び通勤に要する時間は,自宅からJR中央線K駅までバス及び徒歩で合計約30分,K駅からT駅まではJR中央線を利用し,JR中央線T駅からS小学校までが徒歩約5分であり,所用時間合計は約75分であり,また,西武国分寺線U駅を利用すれば所用時間合計は約60分程度であると認められ(甲158,205,乙5の1ないし5,乙6,原告本人,弁論の全趣旨),これは本件異動要綱が定める標準的な通勤時間の範囲内である。  上記cについては,原告が,本件異動日現在,休職中の者,妊娠・出産休暇及び育児休業中の者,妊娠中の者及び産後6か月を経過しない者又は病気休職の復帰後6か月を経過しない者のいずれかに該当したとは認められない。また,原告が個別に検討を要する者に該当したか否か,仮にこれに該当した場合に,原則どおり異動対象から除外すべきか,それとも例外的に異動対象とすべきかは,個別・具体的に判断するよりほかないところ,上記説示のとおり,教員の異動については任命権者である都教委が裁量権を有しているのであり,この裁量権を前提とすれば,原告が個別に検討を要する者に該当するか否か,該当した場合に異動の対象とすべきであるか否かについては,都教委の判断が尊重されるべきである。そこで,原告が主張する両親の介護や本人の体調の問題は,後に検討する裁量権の逸脱又は濫用となる特段の事情の有無との関係で考慮することとする。  そして,他に,本件異動に関し本件異動要綱に反する事情を認めるに足りる証拠はないから,以上説示したところによれば,本件異動は本件異動要綱にのっとったものであると認められる。 (ウ)これに対して,原告は,上記bに関して,同人が必異動の対象ではなく,本件異動は本件異動要綱に反すると主張するが,異動が必須ではない者も異動の対象になることは,上記aのとおりであり,上記bに該当しなかった原告を異動させたこと自体は,何ら本件異動要綱に反するものではない。  また,原告は,平成16年4月期の異動については,3年未満の勤務は経験に算入しないとの条項(本件異動要綱第5,2(1)ただし書き)は適用されないと主張する。しかしながら,本件異動要綱には,原告が主張するような経過措置は定められておらず,他に原告の主張を裏付ける証拠もないので,原告の上記主張は採用できない。  ウ そこで,進んで,本件異動について,裁量権の逸脱又は濫用となる特段の事情があるか否かを検討する。  この点に関して,原告は,両親の介護の事情や本人の体調が考慮されておらず,また,本件異動は,原告が音楽の素晴らしさや表現の喜びを伝える機会を奪うものであるとか,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復であるなどと主張するので,以下,これらの点について順次検討する。 (ア)まず,介護に関しては,原告は,本件異動当時,要支援認定を受けた父及び要介護認定を受けた母と同居していたことが認められる(甲219,270,原告本人)。そして,原告は,本件異動について,原告を本件小学校から異動させたこと及び異動先がS小学校であったことのいずれもが原告の介護事情を考慮しない不当なものであったと主張する。  しかし,異動先の如何を問わず原告を異動させるべきではないとの主張については,それが介護とどのような関わりを持つのか明らかではなく,採用できない。なお,前記争いのない事実等(第2,2(7))摘示のとおり,原告は,本件異動の前年に,市教委の求めに応じて介護の事情を記した文書を提出したが,当該文書には,異動を望まない理由として,慣れた場所で勤務して気持ちのゆとりを持てる状態で介護に当たりたいと考えているとの記載がある(甲157の2)。このような原告の心情は理解できないものではないが,都教委がこれに応えなかったことが直ちに裁量権の逸脱又は濫用に当たるとは認め難い。  異動先がS小学校である点については,原告は,要するに本件異動が勤務時間及び通勤時間を従前よりも長引かせるものであるとして,これを問題にしている。このうち通勤時間については,S小学校への通勤に要する時間は,上記イ認定のとおり約60分ないし75分であり,本件小学校への通勤に要する時間が約50分であったこと(甲158,205)と比較すれば,本件異動は通勤時間を増大させるものである。しかし,通勤時間が片道10分ないし25分長くなることによって介護にどのような支障が出るかについては,具体的な主張・立証がなく,原告の主張は,結局,一般論として,通勤時間は短いことが望ましいというにとどまるものと解される上,平成15年4月期の異動に関してBが原告に本件小学校より自宅に近い場所にある学校への異動を打診したが原告がこれに応じておらず,また,原告が平成15年度中に介護休暇を取得していないこと(乙3,原告本人)に徴すれば,同人の介護事情が片道10分ないし25分の通勤時間の増大に耐えられないほどひっ迫したものであったとまでは認められない。こうしたことに加え,都教委が,原告の介護事情に一定の配慮をした上で,異動先を自宅から比較的近いS区に決定したと認められること(丙15,証人F)をも考慮すると,本件異動が原告の通勤時間を約10分ないし25分増大させることをもって,都教委に裁量権の逸脱又は濫用があったと認めることはできない。  勤務時間の増大についても同様であり,原告は,S小学校では吹奏楽指導のために音楽専科教員に時間外勤務が求められると主張するが,時間外勤務を断ることができないような実情にあるのか,断ることができない実情にあるとして,時間外勤務がどのくらいの頻度で求められ,どのくらいの時間の時間外勤務が必要なのか,時間外勤務が介護にどのような支障を来すことになるのかなどの事情について,何ら具体的な主張・立証をしてはいない(なお,原告は,平成16年3月5日付けの書簡(甲224)で吹奏楽の指導を断るつもりであると述べている。)ので,原告の主張は採用できない。 (イ)次いで,本件異動時の原告の体調について検討する。  前記争いのない事実等(第2,2(7))摘示のとおり,原告は,出血性胃潰瘍により平成16年3月12日からH病院に入院したが,同月25日には同病院を退院し,同日に診察を受けたJ診療所では約2週間の休養を要するとの診断を受け,翌26日にM病院において2週間の入院加療を必要とするとの診断を受けている。  これらの経緯に加えて,同月19日に原告が作成した本件訴訟での原告支援者に宛てた手紙に,「入院してからは,「病気療養のための異動停止」が適用されるかどうか,でゆっくり休んでいることができませんでした。3月15日から2週間の3月29日までの診断書しか書いてもらえなかったからです。異動停止の条件は4月1日時点での診断書があることとのことでした。」,「「異動に関わることなので,退院が早くなる見込みなどということがもしあっても,校長に伝えないように」と主治医にお願い」したとの記載があること(甲227),原告がH病院への入院中である同月20日ころテレビの報道番組の取材に応じるために外出をしたこと(原告本人),H病院の医師は,退院後に週末である同月27日及び28日に休養をとれば29日から勤務を再開することが可能であると判断していたこと(甲270),M病院の入院期間も同月26日から4月8日までであったこと(甲246)に徴すると,原告が本件異動当時胃潰瘍を患っていたことは事実であるとしても,その容態が異動に耐えられないほどのものであったとは認められない。  この点を措くとしても,M病院において平成16年4月以降も入院が必要であるとの診断がされたのは,H病院を退院した日の翌日の同年3月26日であるし,都教委がその事実を知り,また,市教委からの内申取下げを知ったのは同月29日であったと認められる(丙15,証人F)。そして,異動発令の日が同年4月1日であったことを踏まえると,仮に同年3月29日の時点で原告のS小学校への異動をとりやめたとすると,少なくとも本件小学校及びS小学校の双方で人事の調整が必要になるのはもちろん,これに伴って他の学校も巻き込んだ調整が必要が生じ得たのであり(証人F,証人C),このような状況の下において,都教委が,上記各医師の診断書に基づいて原告の病欠が長期化することはないとの予測の下に,原告が本件異動要綱の異動対象としない者(前記イ(ア)c)には該当しないと判断して,内示どおり異動することとしたことにも,相応の合理性があったものというべきである。  このような事情を総合的に考慮すれば,本件異動当時原告が胃潰瘍を患っていたにもかかわらず本件異動が発令されたことをもって,都教委に裁量権の濫用・逸脱があったと認めることはできない。なお,原告は結果的に同年12月末日まで休暇・休職のためS小学校で勤務しなかった(原告本人)が,このことは,上記認定を左右するものではない。 (ウ)以上のほか,原告は,本件異動が同人から授業を通じて音楽の素晴らしさや表現の喜びを伝える機会を奪うものであるとも主張するが,(ア)及び(イ)説示の各事情にかんがみると,同主張を採用することはできない。 (エ)また,原告は,本件異動が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことに対する報復としてされたものであると主張する。原告の主張は,要するに,本件異動が差別的なものであり,被告らが原告を差別的に取り扱った動機が,同人が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否したことにあるというものであると解されるが,国歌斉唱のピアノ伴奏及び本件異動に関し以上認定説示したところにかんがみると,原告の上記主張は採用できない。  なお,原告は,同人が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否していたために本件新規採用教員が本件小学校に配置された,そのために原告が本件小学校から転出することになったと指摘し,この点をとらえて,国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否していたために本件小学校から転出することになったと主張するもののようである。  たしかに,前記争いのない事実等(第2,2(7))摘示のとおり,Bは,平成15年10月本件小学校では原告の専門外である家庭科を担当しなければならないことを異動を進める理由の一つとして挙げており,また,原告が本件小学校において家庭科も担当することになった理由は,音楽の授業を本件新規担当教員と原告が分担していたからであると認められる(弁論の全趣旨)のであって,本件新規採用教員の存在が本件異動に一定の影響を与えていたことが認められる。また,本件新規採用教員が本件小学校に配置された理由の一つには,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏をしなくてもよいようにすることがあったのであり(乙3),原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否していたことが本件新規採用教員が本件小学校に配置されたことに一定の影響を与えていたことも認められる。そうすると,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否していたことは,一定程度本件異動に影響を与えていたものと認められる。  しかしながら,任命権者である都教委が教員の異動について裁量権を行使するに当たっては,当然に種々の事情を考慮し得るのであるから,ある事情が異動に影響を与えていたとしても,そのことをもって直ちに裁量権の逸脱又は濫用があるということはできないのであって,裁量権の逸脱又は濫用が問題となり得るのは,例えば,不利に斟酌すべきではない事情を不利に斟酌したというような場合である。しかし,本件においては,原告の処遇が,単に原告の希望に沿うものでないというだけでなく,他の教職員と比べて不利なものであったことなどについて何ら具体的な主張・立証がない。 (オ)そして,他に,本件全証拠によっても,本件異動について,裁量権の逸脱又は濫用となる特段の事情は認められず,本件異動が実体上違憲又は違法であると認めることはできない。 (2)本件異動が手続上違憲・違法であるか否かについて  原告は,本件異動が市教委の内申を欠いて行われたものであり違法であると主張する。  そこで検討すると,地教行法38条1項によれば,都道府県教委は,県費負担教職員について,市町村教育委員会(以下「市町村教委」という。)の内申をまって,その任免その他の進退を行うものとされている。これは,県費負担教職員について,都道府県教委にその任命権を行使させることにより都道府県単位における人事の適正配置と人事交流の円滑化を図る一方,これらの教職員は,市町村が設置する学校に勤務し市町村教委の監督の下にその勤務に服する者である(同法43条1項)ことから,都道府県教委がその任命権を行使するに当たっては,服務監督者である市町村教委の意見をこれに反映させることとして,両者の協働関係により県費負担教職員に関する人事の適正,円滑を期する趣旨に出たものと解され,地教行法38条1項所定の市町村教委の内申は,県費負担教職員について任命権を行使するための手続要件をなすものというべきである。しかし,このことは,県費負担教職員の任命権の行使のために市町村教委の内申が常に必要であることを意味するわけではなく,都道府県教委の適正な任命権の行使のために不可欠である場合には,都道府県教委は,県費負担教職員に関する人事行政上の目的を達成するためのやむを得ない措置として,市町村教委の内申がなくてもその任命権を行使することができると解するのが相当である(最高裁判所昭和61年3月13日第一小法廷判決・民集40巻2号258頁参照)。  これを本件についてみると,前記(1)ウ(イ)認定のとおり,都教委が市教委からの内申取下げを知ったのは平成16年3月29日であり,本件異動の発令日が同年4月1日であったことを踏まえると,仮に同年3月29日の時点で原告のS小学校への異動をとりやめたとすると,少なくとも本件小学校及びS小学校の双方で人事の調整が必要になるのはもちろん,これに伴って他の学校も巻き込んだ調整が必要になる可能性も十分に考えられるのであって,本件異動は,このような事態から生じる混乱を避け,人事行政上の目的を達成するためのやむを得ない措置であったと認められる。なお,結果的に原告が同年12月末日まで休暇・休職のためS小学校で勤務しなかったことが上記認定に影響しない点も,前記(1)ウ(イ)と同様である。  そして,他に,本件異動が手続上違憲又は違法であることを認めるに足りる証拠はない。 (3)プライバシー侵害の有無等について  原告は,CがS区教育委員会に対して原告が信仰を理由に国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否していると伝えたことが原告のプライバシー,思想・良心の自由及び信教の自由を侵害すると主張するので,以下検討する。  まず,原告が国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否しているとの事実は,職務に関わる情報であり,これをS区教育委員会に伝えることが原告のプライバシーを侵害すると認めることはできない。  これに対して,国歌斉唱のピアノ伴奏拒否の理由が信仰に基づくものであるとの事実及び原告の信仰の内容については,一般に,信仰の有無及びその内容は,プライバシーに関わる情報に当たり,自らが欲しない第三者にみだりにこれを開示されないことに対する本人の期待は法的に保護されるべきものである。  しかしながら,CがS区教育委員会に対して原告による国歌斉唱のピアノ伴奏拒否の理由が信仰に基づくものであること及び同人の信仰内容を伝えたのは平成16年3月のことである(乙2,証人C)ところ,これらの情報は,平成15年3月に原告自身が実名で出版した書物(「なぜ,「君が代」を弾かなければならないのですか」中の「多くの祈りに支えられて−ピアノを弾けない理由−」)によって既に不特定多数の者が知り得る情報となっていたし(甲166,180),また,平成16年2月25日に被告市に送達された本訴の訴状にもこれらの情報が記載されている(顕著な事実)ところ,本訴の内容及び原告の信仰の内容については同月1日付けの新聞でも実名入りで報道されていた(甲181)のである。こうした事実に徴すると,Cが,平成16年3月の時点において,本件異動計画の過程でS区教育委員会に対して上記事実を伝えたとしても,そのことが違法と評価されるべきものとは直ちには認め難いというべきである。  また,本件全証拠によっても,Cの上記行為が原告の思想・良心の自由又は信教の自由を侵害するものであると認めることもできない。 10 結論  以上によれば,その余の点について検討するまでもなく原告の請求には理由がないから,これをいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第35部 裁判長裁判官 金井康雄 裁判官 坂庭正将 裁判官 小川卓逸は,海外出張のため署名押印できない。 裁判長裁判官 金井康雄