◆ H19.06.20 東京地裁判決 平成16年(ワ)第12896号、平成17年(ワ)第15415号 東京都不起立教員再雇用取消事件(地位確認等請求事件) 判示事項 都立高校に教職員として勤務していた原告らが、本件職務命令に違反して卒業式における国歌斉唱時に起立、斉唱をしなかったことから、都教委により原告らの再雇用職員採用選考の合格を取り消されたため、再雇用職員たる地位にあることの確認及び未払報酬の支払並びに国賠法1条1項に基づく損害賠償を求めた事案で、再雇用職員の勤務関係の法的性質は、公法上の任用関係と解するのが相当であって、労働契約という私法上の法律行為によって生ずるものとはいえず、また、本件職務命令は、公務員の職務の公共性に由来する必要かつ合理的な制約として許容されるものと解され、原告らの思想及び良心の自由を侵害するものとして憲法19条に反するとはいえないなどとして、請求を棄却した事例。 平成16年(ワ)第12896号(甲事件) 平成17年(ワ)第15415号(乙事件) 口頭弁論の終結日 平成18年12月27日 裁判結果:棄却     主   文 1 甲事件原告ら及び乙事件原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は甲事件原告ら及び乙事件原告の負担とする。     事実及び理由 第1 請求 1 甲事件原告X1(以下「原告X1」という。)を除く甲事件原告ら(以下「原告X2ら」という。)及び乙事件原告(以下「原告X3」といい,原告X2らと併せて,以下「原告ら」という。)の請求 (1)主位的請求 〔1〕原告らが被告に対し,再雇用職員たる地位を有することを確認する。 〔2〕被告は,原告らに対し,それぞれ,原告X2らにつき平成16年4月から,原告X3につき同17年4月から本判決確定の日まで毎月15日限り,別表1「請求金額等整理表」の「原告名」欄に対応する「賃金」欄記載の各金員を支払え。 〔3〕被告は,原告らに対し,各300万円及びこれに対する原告X2らにつき平成16年3月30日から,原告X3につき平成17年3月30日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2)予備的請求  被告は,原告らに対し,別表1「請求金額等整理表」の「原告名」欄に対応する「請求金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成18年9月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告X1の請求 (1)主位的請求 〔1〕原告X1が被告に対し,講師たる地位を有することを確認する。 〔2〕被告は,原告X1に対し,平成16年4月から本判決確定の日まで毎月15日限り16万5200円を支払え。 〔3〕被告は,原告X1に対し,300万円及びこれに対する平成16年3月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2)予備的請求  被告は,原告X1に対し,547万8000円及びこれに対する平成18年9月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要  甲事件原告ら及び原告X3(以下「全原告ら」という。)は,東京都立高等学校(以下「都立高校」という。)に教職員として勤務していた者である。後記1,(1),ウのとおり,甲事件原告らは平成15年度の東京都再雇用職員の採用選考に,また,原告X3は平成16年度の東京都再雇用職員の採用選考に合格した。しかし,上記合格後に実施された卒業式ないし卒業証書授与式(甲事件原告らについては平成15年度,原告X3については平成16年度のそれである。以下「本件卒業式」という。また,卒業式ないし卒業証書授与式を併せて,単に「卒業式」ということがある。)に先立ち,全原告らはそれぞれの勤務校の校長から,本件卒業式において国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することを命ぜられた(以下「本件職務命令」という。)が、本件卒業式での国歌斉唱時にいずれも起立,斉唱をしなかった。  そこで,上記東京都再雇用職員の任用権者である東京都教育委員会(以下「都教委」という。)は,原告らの再雇用職員採用選考の合格を取消した(以下「本件合格取消し」という。)。  また,原告X1は上記の合格後にこれを辞退し,以後,同人の当時の勤務校であった東京都立工芸高等学校(以下「都立工芸高校」という。)は,同人を同校の講師として採用する手続を進めたが,結局,原告X1は講師に採用されなかった。  本件は,〈1〉.原告らが被告に対し,本件合格取消しが違憲・違法であるとして,主位的に再雇用職員たる地位にあることの確認及び未払の報酬の支払並びに国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づく損害賠償(慰謝料)及び遅延損害金を,また,予備的に,国賠法1条1項に基づく損害賠償(報酬相当の財産的損害及び慰謝料。ただし,一部請求である。)及び遅延損害金(なお,予備的請求に係る遅延損害金の起算日は予備的請求を追加した準備書面送達の日の翌日である。)の支払を求め,〈2〉.原告X1が被告に対し,被告が原告X1を講師に採用しなかったことが違憲・違法であるとして,主位的に講師たる地位にあることの確認及び未払の報酬の支払並びに国賠法1条1項に基づく損害賠償(慰謝料)及び遅延損害金を,また,予備的に国賠法1条1項に基づく損害賠償(報酬相当の財産的損害及び慰謝料。ただし,一部請求である。)及びその遅延損害金(遅延損害金の起算日は上記と同様である。)の支払を求める事案である。 1 前提となる事実(後掲の証拠により認められるもののほかは,当事者間に争いがないか,弁論の全趣旨により認められる。) (1)全原告ら ア(ア)平成16年3月当時,甲事件原告X2(以下「原告X2」という。),同X4(以下「原告X4」という。),同X5(以下「原告X5」という。)及び原告X1は,それぞれ別表2「本件職務命令に関する個別事項整理表」(以下「別表2」という。)の「勤務校」欄記載の都立高校に勤務する教諭であったが,定年に達したため平成16年3月31日に退職した。 (イ)上記当時,甲事件原告X6(以下「原告X6」という。),同X7(以下「原告X7」という。),同X8(以下「原告X8」という。),同X9(以下「原告X9」という。)及び同X10(以下「原告X10」という。)は,嘱託員(後記(3)の再雇用職員の職名である。)として,別表2の「勤務校」欄記載の都立高校に勤務していた。なお,上記当時の同人らの嘱託期間(雇用期間)は平成15年4月1日から同16年3月31日までであった。 イ 平成17年3月当時,原告X3は別表2の「勤務校」欄記載の都立高校に勤務する教諭であったが,定年に達したため平成17年3月31日に退職した。 ウ(ア)平成15年10月1日,都教委教育長は都立高校の校長あてに,平成15年度東京都公立学校の再雇用職員等の採用選考につき,その実施の要領等(申込みの方法,面接の実施予定日及び申込みに当たり提出を要する選考関係書類の種類・内容など)を通知した。(甲12)  上記通知を受けて,甲事件原告らは所定の手続に従って再雇用職員採用選考の申込みをし,そして,平成16年1月23日ころ,同人らは勤務校の校長を通じて平成15年度東京都公立学校の再雇用職員の採用選考に合格したとの通知を受けた。なお,原告X2,同X4,同X5及び同X1は新規の申込みであり,また,原告X6は4度目の更新,同X7は最初の更新,同X8は4度目の更新,同X9は4度目の更新及び同X10は最初の更新の申込みであった。(甲1の4,甲2の2,同の6,甲3の3,同の7,同の13の1〜4,甲4の2,同の3,甲6の7,甲7の4,甲8の2・2頁,甲9の3,同の5) (イ)平成16年3月2日,原告X1は再雇用職員の採用選考合格を辞退し,以後,都立工芸高校では同人を平成16年度の講師(非常勤)として採用する手続を進めた。(甲5の7,同の9,乙30,証人E,同F,原告X1) (ウ)原告X3は,平成16年度の東京都公立学校の再雇用職員採用選考に申し込み,平成17年1月24日ころ,勤務校の校長を通じて上記選考に合格したとの通知を受けた。なお,原告X3の上記申込みは新規のそれであった。(甲17の6) (2)被告及び都教委 ア 被告は,地方自治法180条の5第1項1号,地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)2条に基づき,都教委を設置する地方公共団体である。 イ 都教委は,都立高校ほかの公立学校(以下「都立高校等」という。)の職員の任免その他の人事に関する権限(地教行法23条3号),都立高校等の設置,管理,廃止(地教行法23条1号)及び学校の組織編制,教育課程,学習指導,生徒指導及び職業指導(地教行法23条5号)などに関する事項を管理・執行する権限を有する行政庁である。また,都教委は地教行法18条1項所定の事務局として東京都教育庁(以下「教育庁」という。)を置いている。 ウ 教育長は都教委に置かれる機関であり(地教行法16条1項),都教委の指揮監督の下に,教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどり(地教行法17条1項),また,教育庁の事務を統括し,所属の職員の指揮監督を行う権限(地教行法20条1項)を有している。 (3)東京都の再雇用職員制度 ア 昭和60年4月,地方公務員に定年制が施行されたことに伴い,被告は,退職者の知識や経験を活用するとの趣旨より,定年退職者などを地方公務員法(以下「地公法」という。)3条3項3号所定の非常勤の特別職として採用するという再雇用制度を導入した。このうち,都立高校等の教職員につき,都教委は「東京都公立学校再雇用職員設置要綱」(59教人職第554号教育長決定。以下「本件要綱」という。)を定めた。また,同要綱に基づく運用の細則として「東京都公立学校再雇用職員設置要綱の運用について」(59教人職第554号の3。以下「本件運用内規」という。)が定められた。(甲16の2,乙1,3) イ 本件要綱には下記のような定めが置かれている。(乙1)        記 (範囲) 第2 再雇用職員とは,以下に掲げる者のうち,地方公務員法……第3条第3項第3号に定める特別職の非常勤の職の職員として,都立学校……において第4の1に定める職に雇用されている者をいう。 (1)職員の定年等に関する条例……の適用を受ける職員(以下「正規職員」という。)で,定年に達したことにより退職した者(定年に準ずる理由で退職した者を含む。)又は勧奨を受けて退職した者。 (2)……(略)…… (職名等) 第3 再雇用職員の職名は,嘱託員とする。 2 ……(略)…… (任用) 第5 嘱託員は,次に掲げる要件を備えている者のうちから,選考の上,東京都教育委員会……が任命する。 (1)正規職員を退職……する前の勤務成績が良好であること。 (2)任用に係る職の職務の遂行に必要な知識及び技能を有していること。 (3)健康で,かつ,意欲をもって職務を遂行すると認められること。 2 ……(略)…… 3 嘱託員の任用は,第2に定める事由により退職することとなった日又は任期の末日に,原則として引き続いて行う。ただし,嘱託員の職への任用を拒否する者(第6の2に定める更新において嘱託員の職への任用を拒否する者を含む。)については,その任用を保留する。 4 3のただし書の規定により任用を保留した場合において,1年を経過したときは,その者を嘱託員の職に採用しないものとする。 (雇用期間) 第6 嘱託員の雇用期間は,1年以内とする。 2 委員会は,次に掲げる要件を備えている嘱託員について,その雇用期間を4回に限り,満65歳に達する年度の3月31日まで更新することができる。……(略)……。 (1)雇用期間内の勤務成績が良好であること。 (2)第5の1の(2),(3)に該当すること。 (3)人事部長(注・教育庁人事部長)が別に定める更新基準の要件に該当しないこと。 3 ……(略)…… 4 第5の3ただし書きにより任用を保留され,1年間任用されなかった者に係る雇用期間の更新については,更新可能な回数から1を減じる。 (解職) 第7 嘱託員が,次の各号のいずれかに該当するときは,委員会は,その職を解くことができる。 (1)嘱託員が退職を願い出た場合 (2)勤務成績が良くない場合 (3)心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合 (4)(2)及び(3)に規定する場合のほか,その職に必要な適格性を欠く場合 2 ……(略)…… (服務) 第8 嘱託員は,職務の遂行に当たっては,全力をあげてこれに専念しなければならない。 2 嘱託員は,職務の遂行に当たっては,法令等及びこの要綱の定めるものを除くほか,上司の命令に忠実に従わなければならない。 3 嘱託員は,その職の信用を傷つけ,又は嘱託員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。 4,5 ……(略)…… (公務災害等の補償) 第13 嘱託員の公務上の災害又は通勤による災害に対する補償は,東京都非常勤職員の公務災害補償等に関する条例(昭和42年東京都条例第114号)及び労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号)に定めるところによる。 (社会保険等) 第14 嘱託員の社会保険等の適用については,健康保険法(大正11年法律第70号),厚生年金保険法(昭和29年法律第115号)及び雇用保険法(昭和49年法律第116号)に定めるところによる。 (学習及び教科の指導を行う者の取扱い) 第20 学習及び教科の指導を職務の一部として行う嘱託員は,学校教育法(昭和22年法律第26号)に定める講師を兼ねるものとする。 ウ また,本件運用内規には下記のような定めが置かれている。(乙1)。        記 1 第1関係(目的)  法令等は,労働基準法等が該当する。 3 第5関係(任用) (1)嘱託員の選考方法は次による。 ア 退職……前の勤務実績,適性及び健康状況について,所属長の推せん書及び希望者の申込書を徴する。 イ 希望者の意欲及び意向を確認するため,面接を行う。 ウ 面接,推せん書及び申込書により希望者を総合的に判定し,採用を決定する。 (2)選考は採用選考要綱に基づき実施する。 (3)退職……に引き続かずに任用する場合は次の事由による。 ア 本人の責に帰しえない事由により引き続いて採用されない場合 イ 傷病等やむを得ない事情により引き続いて採用されない場合 ウ 要綱第5の3ただし書により任用を保留されたため引き続いて採用されない場合 (4)発令様式については,別途定める。 4 第6関係(雇用期間) (1)……(略)…… (2)雇用の更新に当たっては,前年度の勤務成績を考慮するため,所属長の推せん書を徴する。ただし,3回目の更新に当たっては,面接を行う。 (3)雇用の更新基準は次のとおりとする。 ア 傷病欠勤等の欠勤日数(公務災害等の認定を受けた傷病欠勤日を除く。)が所定の年間日数の2分の1以上ある者は,原則として雇用の更新を行わない。ただし,傷病欠勤の場合は,雇用期間満了時において,概ね3月以内に回復する見込みがあり,かつ,それ以降正常に勤務することが可能であると所属長が判定したときは,雇用を更新することができる。 イ ……(略)…… ウ ……(略)…… (4)本件合格取消しに至る経緯等 ア 平成15年10月23日,都教委教育長は都立高校校長及び都立盲・ろう・養護学校長に対し,「児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てるために,学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。これにより,平成12年度卒業式から,すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが,その実施態様には様々な課題がある。このため,各学校は,国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について,より一層の改善・充実を図る必要がある」として,都立高校等での入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の適正な実施を指示する旨の「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題する通達(15教指企第569号。以下「本件通達」という。)を発した。(乙20の3)  本件通達の内容は下記のとおりであり,また,同通達に添付された「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」(以下「本件実施指針」という。)の内容は別紙2のとおりである。        記 1 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること 2 入学式,卒業式等の実施に当たっては,実施指針(注・本件実施指針)のとおり行うものとすること。 3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり,教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は,服務上の責任を問われることを,教職員に周知すること。 イ 別表2の「原告名」欄に対応する「勤務校」における「校長名」欄記載の各校長は,全原告らに対し,同表「職務命令が発せられた日」欄の日に,本件通達及び地公法32条に基づいて,同表の「職務命令の内容」欄記載のとおりの本件職務命令を発した。しかし,全原告らは,別表2の「卒業式が実施された日」欄の日に実施された各勤務校における平成15年度卒業式(甲事件原告ら),又は,平成16年度卒業式(原告X3)で,国歌斉唱時に起立しなかった(以下「本件不起立行為」という。)。 ウ(ア)平成16年3月30日,都教委は原告X2,同X4,同X5及び同X1に対し,同人らの本件不起立行為が地公法32条の上司の職務命令に対する違反及び同法33条の信用失墜行為に該当するとして,地公法29条1項1号ないし3号により懲戒処分(戒告)をした。(甲1の2,同の3,6の2,同の3,7の2,同の3,乙30)  また,併せて,同日,都教委は原告X2らに対し,要旨,〔1〕原告X2,同X4及び同X5につき上記の戒告処分を受けたため,正規職員を退職する前の勤務成績が良好とは認められず,本件要綱第5,1,(1)所定の要件を欠くに至ったとして,また,〔2〕原告X6,同X7,同X8,同X9及び同X10につき上記イの服務事故(本件不起立行為)があったことにより,雇用期間内の勤務成績が良好とは認められず,本件要綱第6,2,(1)所定の要件を欠くに至ったとして,平成15年度東京都公立学校再雇用職員(教育職員)選考の合格を取り消した(本件合格取消し)。(甲1の4,2の2,3の3,4の2,6の7,7の4,8の2,9の3) (イ)また,平成16年4月2日,都立工芸高校の教頭E(以下「E教頭」という。)は教育庁に特認解除の措置(都教委作成の講師候補者名簿登載者以外の者から,都教委が特に認めて講師として任命するため,学校において当該講師候補者と交渉することを認めること)を得るために教育庁に赴き,同解除につき了承を得た。しかし,その際,E教頭が教育庁職員に,卒業式での職務命令違反に関する処分を受けた元教諭を講師として任用することが可能かどうかを尋ねたところ,否定的な見解が示されたため,都立工芸高校は原告X1の講師採用の手続を進めることを断念した。(甲5の7,乙30,証人E) (ウ)平成17年3月30日,都教委は原告X3に対し,本件不起立行為が地公法32条の上司の職務命令に対する違反及び同法33条の信用失墜行為に該当するとして,地公法29条1項1号ないし3号により懲戒処分(戒告)をした。また,併せて,同日,都教委は原告X3に対し,要旨,同人が上記戒告処分を受けたため,正規職員を退職する前の勤務成績が良好とは認められず,本件要綱第5,1,(1)所定の要件を欠くに至ったとして,平成16年度東京都公立学校再雇用職員(教育職員)選考の合格を取り消した(本件合格取消し)。(甲17の3,同の4,同の6) (5)本件で問題となる法規等 ア 国旗及び国歌に関する法律  平成11年8月13日に制定・施行された国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号,以下「国旗・国歌法」という。)は,「国旗は,日章旗と」し(1条1項),「国歌は,君が代とする」(2条1項)と定めている(以下,日章旗を「日の丸」ということがある。)。 イ 学校教育法,学校教育法施行規則及び文部省告示第58号の高等学校学習指導要領 (ア)学校教育法41条は「高等学校は中学校における教育の基礎の上に,心身の発達に応じて,高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする」とし,同法42条は,上記の41条の目的を実現するため「高等学校の教育は,中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて,国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」(1号),「社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき,個性に応じて将来の進路を決定させ,一般的な教養を高め,専門的技能に習熟させること」(2号),「社会について広く深い理解と健全な批判力を養い個性の確立に努めることなどの目標の達成に努めなければならない」(3号)と定める。  そして,学校教育法43条は,高等学校の学科及び教科に関する事項は「同法41条,42条に従い,文部科学大臣が定める」とし,これを受けて同法施行規則57条の2は「高等学校の教育課程については,この章(注・同規則第4章「高等学校」)に定めるもののほか,教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする」と定めている。 (イ)学校教育法43条,学校教育法施行規則57条の2により定められ,平成11年3月に告示された「高等学校学習指導要領」(文部省告示第58号。以下「学習指導要領」という。)には下記のような定めが置かれている。(甲54)        記 (第4章(特別活動)第2のC)  学校行事においては,全校若しくは学年又はそれらに準ずる集団を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,集団への所属感を深め,学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと (第4章(特別活動)第2のCの(1))  儀式的行事 学校生活に有意義な変化や折り目をつけ,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと (第4章(特別活動)第3の3)  入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする(以下「国旗・国歌条項」という。) ウ 児童の権利に関する条約  我が国が平成6年に批准した「児童の権利に関する条約」には,下記のような定めがある。        記 第12条 締約国は,自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において,児童の意見は,その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。 2 ……(略)…… 第13条 児童は,表現の自由についての権利を有する。この権利には,口頭,手書き若しくは印刷,芸術の形態又は自ら選択する他の方法により,国境とのかかわりなく,あらゆる種類の情報及び考えを求め,受け及び伝える自由を含む。 2 ……(略)…… 第14条 締約国は,思想,良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。 2及び3 ……(略)…… 第28条 締約国は,教育についての児童の権利を認める……(略)……。 2 締約国は,学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。 3 ……(略)…… エ 経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約  我が国が昭和54年に批准した「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約」(以下「A規約」という。)には下記のとおりの定めがある。        記 第13条 この規約の締約国は,教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は,教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に,締約国は,教育が,すべての者に対し,自由な社会に効果的に参加すること,諸国民の間及び人種的,種族的又は宗教的集団の間の理解,寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。 2ないし4 ……(略)…… 2 争点 (1)再雇用職員に関する地位確認請求について ア 東京都における再雇用職員の勤務関係の法的性質及びこの勤務関係につき労働契約法理が適用ないし類推適用されるか否か。 イ 本件合格取消しが無効か否か。 (2)講師に関する地位確認請求について ア 原告X1が平成16年度の講師に内定していたか否か。 イ 都教委の原告X1に対する採用拒否(以下「本件採用拒否」という。)が無効か否か。 (3)損害賠償請求について ア 本件職務命令が憲法及び国際条約に違反し,無効か否か。 イ 都教委がした本件通達の発出及び各校長に対する監視・指導などが平成18年法律第120号による改正前の教育基本法(以下「旧教基法」という。)10条1項が禁ずる教育に対する「不当な支配」に当たるか否か,また,これに当たるとした場合に本件職務命令もまた違法となるか否か。 ウ 本件合格取消し及び本件採用拒否(以下「本件合格取消し等」という。)につき,都教委に裁量の逸脱・濫用があったか否か。 3 争点に関する当事者の主張の要旨 (1)争点(1),ア(東京都における再雇用職員の勤務関係の法的性質及び再雇用職員の勤務関係に労働契約法理が適用ないし類推適用されるか否か)について (原告らの主張) ア 再雇用職員は特別職の公務員ではあるものの,地公法が適用されず,労働基準法(以下「労基法」という。),労働組合法などの私法関係を規律する労働関連法規が適用される。また,教育庁人事部が作成した再雇用職員の手引書(乙1)には,再雇用職員の勤務関係が「雇用契約」である旨が明示され,さらには,勤務関係の成立を示す用語として,労働契約関係を意味する「採用」の語が用いられている。したがって,再雇用職員の勤務関係の法的性質は労働契約とみるべきである。  被告は,地公法は一般に地方公共団体が労働契約を締結することを禁止していると主張するが,国家公務員法にはその旨の定めがあるものの(同法2条6項,同条7項),地公法にはそのような定めはないのであるから,そのように解することはできない。 イ したがって,再雇用職員の勤務関係は労働契約法理により規律されることになるが,そうであれば,原告らの勤務関係については最高裁昭和54年7月20日第二小法廷判決が示したいわゆる「採用内定の法理」が適用される。すなわち,再雇用職員の採用選考の申込みが労働契約の申込みであり,これに対する合格通知が労働契約の承諾に当たるから,都教委から原告らに対し合格通知が発せられたこと(以下「本件合格通知」という。)により,同人らと被告との間に労働契約が成立する。よって,本件合格取消しは本件要綱第7の「解職」に当たる。 ウ また,原告X6,同X7,同X8,同X9及び同X10は本件合格取消し当時,既に再雇用職員であったが,再雇用職員制度が定年制導入の代償措置として導入された経緯からも明らかなように,65歳までの継続雇用が再雇用制度の制度趣旨であり,それゆえ,従前,再雇用職員の採用を希望する者は原則として全員が採用され,また,同採用は65歳まで更新されていた。加えて,再雇用職員の雇用期間の更新(本件要綱第6,2)も通算5年間の雇用継続を予定している。したがって,上記原告らとの関係でいえば,本件合格取消しは「更新拒絶」に当たるものであり,最高裁昭和49年7月22日第一小法廷判決が示した有期の労働契約の雇止めに関する解雇権濫用法理の類推法理が適用される。そうだとすれば,本件合格取消しは,本件要綱第7の「解職」に準じるものとして評価されるべきである。 エ 仮に,再雇用職員の勤務関係が労働契約関係でなく公法上の任用関係であるとしても,既述のような再雇用職員の特殊性や東京都における再雇用職員の制度趣旨や運用状況などに照らせば,その成立・終了については,採用内定の法理や解雇権濫用の類推法理などの労働契約法理が適用ないし類推適用されると解すべきである。 (被告の主張) ア 東京都の再雇用職員の地位は,地公法3条3項3号の特別職たる非常勤の地方公務員であるから,その地位は行政処分である「任命」がされることにより発生し,労働契約により発生する余地はない。このことは,〔1〕地教行法34条の規定や,〔2〕地公法上,地方公共団体が労働契約を締結して私人を雇用することを禁じていることからも明らかである。したがって,原告らの主張は立論の前提を誤るものである。 イ よって,再雇用職員たる地位の発生原因である「任命」行為ではない本件合格通知によって再雇用職員の地位が発生することはなく,また,都教委は原告らを再雇用職員に任命する処分をしていない以上,本件合格取消しの効力如何にかかわらず,原告らが再雇用職員の地位を得ることはあり得ない。 ウ もとより,再雇用職員の勤務関係が公法上の任用関係である以上,これと異質な私法上の労働契約法理を再雇用職員の勤務関係に適用ないし類推適用する余地もない。 (2)争点(1),イ(本件合格取消しが無効か否か)について (原告らの主張) ア 本件合格取消しは,「解雇」たる性格を有する本件要綱第7の「解職」に当たる。そうであれば,これが適法かつ有効であるというためには,これをなすことが客観的に合理的と認められ,社会通念上相当として是認することができるものでなければならない(労基法18条の2)が,本件合格取消しは,次のとおり客観的合理性を有しないから,解雇権を濫用したものとして無効である。 (ア)原告らは,「日の丸」,「君が代」の歴史的な背景,それぞれの個人的な思想及び体験,また,教師としての責務から,「日の丸」,「君が代」,「教育の在り方」についての固有の思想,信条を有し,このような思想,信条から本件不起立行為に及んだのである。したがって,本件不起立行為を理由としてされた本件合格取消しは,原告らの思想及び信条を理由にした差別にほかならず,労基法3条が禁ずる差別的取扱として無効となる。 (イ)都教委は,本件通達発出以前においては,卒業式などでの教職員の不起立を全く問題視していなかったが,本件通達の発出後,突如,教職員の不起立を問題視し始め,これを「職務命令違反・服務規律違反」,そして,「勤務成績の不良」として評価するようになった。このように,都教委は本件通達の発出を契機に従来の取扱いを変更したのであるが,このような場合,信義則上,事前にその旨の予告・説明をしなければならないはずである。特に,再雇用職員の採用選考の合格を取り消すことは,向後の職の剥奪という重大な結果をもたらすのであるから,明確な事前の通知が必要である。しかしながら,本件合格取消しに先立って,原告らには上記のような通知はされなかった。  よって,このような事前の通知をせずにされた本件合格取消しは解雇権の濫用に当たり,無効である。 (ウ)本件不起立行為の後,都教委は原告らに対する事情聴取を実施しようとしたが,その際,同人らが求めた弁護士の立会いやメモの録取を拒否するなど,その弁解・防御の機会を保障しようとしなかった。よって,本件合格取消しは弁明・聴聞手続を経ていないものであるから,解雇権の濫用に当たり,無効である。 (エ)上記(イ)のとおり,都教委は,本件通達発出後,突如として職務命令違反を問題視し,職務命令違反があったことを理由として「勤務成績が良好」でないとみなして,再雇用職員の採用選考の合格を取り消すようになったが,従来,正規職員を退職する前に職務命令違反などの非違行為を犯し,懲戒処分を受けた者であっても,特にこの点は問題視されることなく,再雇用職員に採用されていた。このように,都教委の取扱いは従前の取扱いと比しても均衡を失している。また,都教委は本件不起立行為に係る服務事故の発生をもって「勤務成績不良」であるとするが,そもそも,本件要綱第5,1,(1)や第6,2,(1)所定の「勤務成績」とは出勤実績のことを意味する。よって,上記服務事故の発生をもってしては「勤務成績不良」と評価することはできない。 (オ)本件不起立行為は消極的・受動的な行為であって,卒業式の進行・運営に対し何ら具体的な支障を生ぜしめるものではないし,実際,本件不起立行為により本件卒業式の進行は何ら妨げられていない。特に,本件不起立行為のように,原告らの思想,良心の自由に基づく行為である場合には,具体的な支障の有無が問われるべきである。  しかし,本件合格取消しは上記のような配慮を全く欠いているのであるから,相当性を欠いていることは明らかであり,解雇権の濫用に当たる。 イ 原告X6,同X7,同X8,同X9及び同X10に対する本件合格取消しは本件要綱第7の「解職」に準ずるものとなるから,本件合格取消しが適法かつ有効であるためには,客観的に合理的と認められ,社会通念上相当として是認することができるものでなければならない。そして,本件合格取消しが客観的合理性を有しないことは上記ア,(ア)ないし(オ)のとおりである。 ウ 仮に,再雇用職員の勤務関係が公法上の任用関係であるとしても,私法上の労働契約法理が適用ないし類推適用されるべきであるから,本件合格取消しについては上記ア,イと同様のことが妥当する。よって,本件合格取消しは無効である。 エ よって,本件合格取消しは無効であるから,原告らは再雇用職員としての地位を有する。 (被告の主張) ア 再雇用職員の勤務関係が公法上の任用関係であることは既述のとおりであり,そうであれば,本件合格通知がされた後の原告ら・被告間の法律関係に私法上の労働契約法理が適用ないし類推適用される余地はない。 イ 仮に,再雇用職員の勤務関係が労働契約であるとし,かつ,採用内定の法理が適用ないし類推適用されるとしても,再雇用職員に就くということは,公務員たる地位の取得を伴うものであり,それゆえ,再雇用職員の採用に当たっては,辞令交付という方式による採用の意思表示が予定されている。そうだとすると,本件合格通知が発せられたことをもって,直ちに労働契約が成立したとみることはできない。 ウ さらに,仮に,本件合格通知により労働契約が成立するとした場合でも,同契約では,新規採用の者については本件要綱第5,1の,また,採用更新の者については同要綱第6,2の定める各採用基準を具備しなくなった場合には,被告において同契約を解約できる旨の合意が上記契約の付款となっていたとみるべきである。  そうであれば,本件合格取消しはかかる付款により留保されていた解約権の行使に当たるところ,原告らは本件合格通知後に本件不起立行為という服務事故を起こしているのであるから,原告らは結局,本件要綱が定める各採用基準を具備しなくなったのである。よって,上記解約権の行使は有効である。 エ 原告らは,本件合格取消しが無効であると主張するが,この主張は次のとおり理由がない。 (ア)本件合格取消しは,原告らの職務命令違反を問題としたのであって,同人らの思想及び信条を問題にしたものではない。よって,労基法3条違反が問題となる余地はない。 (イ)そもそも,本件要綱は,退職前ないし雇用期間内の勤務成績が良好であることを,再雇用職員の採用基準として明記しているから,非違行為に及んだにもかかわらず,当然に再雇用職員に任用されると期待することの方が不合理である。また,都教委は平成16年2月24日付けで都立高校の校長に対し,再任用又は再雇用職員の選考合格者が退職日までに服務事故を起こした場合には,在職期間中の勤務成績不良として任用しないことがあるので,所属の合格者に対して改めて服務指導等を行うよう通知しており,原告らもこのことは十分認識していた。 (ウ)都教委が原告らに対して実施しようとした事情聴取は法令上の義務規定に基づくものではなく,校長からの事故報告書に基づいて事実確認を目的として行っているものである。また,事情聴取は職務として命じているのであるから,弁護士の立会いやメモの録取を保障すべき理由はない。 (エ)原告らは,従来,懲戒処分を受けた履歴がある者も再雇用職員に任用されている事例があったことを根拠として,本件合格取消しが均衡を失していると主張するが,本件は,公教育を担う教育公務員が,卒業式の場において,公教育の根幹である学習指導要領に基づき,教育課程を適正に実施するために発出された校長の職務命令に違反するという重大な非違行為を行い,しかも,それが生徒,保護者等の面前でされたという特徴を有する。したがって,かかる点を重視してされた本件合格取消しには何ら裁量の逸脱・濫用はない。  また,原告らは,本件要綱第5,1,(1)及び第6,2,(1)所定の「勤務実績」を出勤実績の意であると主張するが,そのように解すべき根拠は全くない。 (オ)原告らは,本件不起立行為は消極的なもので具体的な支障は生じていないと主張するが,これは単に物理的な妨害行為とはならなかったというだけのことである。本件不起立行為は国歌斉唱の指導を行う教育公務員としての職責を放棄するものであるばかりか,同行為は生徒等の面前で行われたものであって,国旗・国歌条項による指導効果を著しく阻害する。 オ 仮に,原告X2らにつき平成16年4月1日以降,また,原告X3につき平成17年4月1日以降,再雇用職員としての地位を観念する余地が存するとしても,本件要綱第6,1(前提となる事実(3),イ)によれば,それは雇用期間1年という有期のものとなるから,原告X2らについては平成17年3月末日,原告X3については平成18年3月末日で,その地位は終了する。よって,原告らの再雇用職員たる地位の確認並びに原告X2らにつき平成17年4月以降の,また,原告X3につき平成18年4月以降の未払報酬の請求は理由がない。  取り分け,本件要綱の第6,2(前提となる事実(3),イ)によれば,再雇用職員の更新は回数を4回,満65歳に達する年度の3月31日までとされているのであるから,平成16年度の再雇用職員の更新回数が4回となる原告X6,また,平成17年3月末日までに年齢が満65歳に達する原告X8及び同X9につき平成17年4月以降の再雇用職員たる地位が発生する余地はない。 (3)争点(2),ア(原告X1が平成16年度の講師に内定していたか否か)について (原告X1の主張)  前提となる事実(1),ウ,(ア)のとおり,都立工芸高校は原告X1を講師として採用する手続を進めており,平成16年3月16日,原告X1は同校のインテリア科長であったF(以下「F科長」という。)から,平成16年度の講師として採用されることが決まった旨伝えられた。  よって,これにより,原告X1は講師として採用されることが内定した。 (被告の主張)  否認ないし争う。  原告X1の場合,同人は特認講師(都教委の「講師一覧」に登載されていないが,都教委が特に認めて講師に採用された者)として採用されるべきものであるが,特認の解除がされるまでの間,各学校は講師候補者と直接折衝することはできないし,また,特認の解除がされた場合でも,各学校は講師候補者と直接折衝することはできても,任用の権限は都教委にあるから,内定を約束することは認められない。しかるに,本件で都立工芸高校に対する特認の解除がされたのは平成16年4月2日のことであるから,それ以前に原告X1が講師として内定するということはあり得ない。 (4)争点(2),イ(本件採用拒否が無効か否か)について (原告X1の主張) ア 平成16年3月中旬ころには,原告X1は平成16年度の講師として採用されることが内定していたのであるから,この時点で原告X1・被告間に労働契約が成立した。そして,原告X1は平成16年4月2日に都立工芸高校を通じて,平成16年度の講師として採用されない旨の通知を受けたが(本件採用拒否),これは「解雇」にほかならない。 イ そして,本件採用拒否が原告X1の本件不起立行為を理由としてされたことは明らかであるが,そうだとすると,これが無効であることは前記(2),(原告らの主張),アで述べたのと同様である。よって,都教委が原告X1に対してした本件採用拒否は無効である。 ウ また,仮に,講師の勤務関係が公法上の任用関係であるとしても,その成立・終了については,採用内定の法理や解雇権濫用の類推法理などの労働契約法理が適用ないし類推適用されると解すべきことは再雇用職員の場合と異ならない。よって,都教委が原告X1に対してした本件採用拒否は無効である。 (被告の主張)  否認ないし争う。 (5)争点(3),ア(本件職務命令は憲法及び国際条約に違反し,無効か否か)について (全原告らの主張) ア 本件職務命令は,卒業式などの式典において「日の丸」に向かって起立し,「君が代」を斉唱することを強制するものであるから,全原告らの思想及び良心の自由(憲法19条)の侵害となる。また,「日の丸」,「君が代」は,その歴史的経過に照らせば,国家神道という宗教と強い関連性を有することは明らかであるから,「日の丸」に向かって起立し,また,「君が代」の斉唱を強制することは,全原告らの信教の自由(憲法20条1項)を侵害し,憲法20条2項にも違反する。さらに,本件不起立行為は消極的・受動的な態様での表現行為であるから,憲法21条1項の表現の自由の侵害ともなる。 イ 本件職務命令は憲法23条,26条1項及び13条,旧教基法6条2項,学校教育法51条により準用される同法28条6項で保障された全原告らの教育の自由ないし教員としての職責を侵害する違憲・違法な行為である。 ウ さらに,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することを強制することは生徒の思想及び良心の自由の侵害となる。また,本件職務命令は,児童の権利に関する条約第12ないし第14条,第28条,A規約第13条にも違反する。 (被告の主張) ア 地方公務員は,全体の奉仕者であって,公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては,全力を挙げて専念する義務があるから,思想及び良心の自由等も公務員の職務の公共性に由来する内在的制約を受ける。そして,全原告らは公教育に携わる教育公務員であるから,学校教育法,同法施行規則に基づき規定された学習指導要領の国旗・国歌条項に基づいた教育活動をなすべき責務を負う。よって,本件職務命令は正当な理由のあるものであり,全原告らの思想及び良心の自由,信教の自由,表現の自由,教育の自由などの侵害となるものではない。 イ 本件職務命令は何ら生徒の権利,自由を侵害するものではない。また,仮に,本件職務命令に生徒の権利,自由を制約する側面があったとしても,それは教育に内在する不可避なものというべきであるから,これが憲法や国際条約違反となるものではない。 (6)争点(3),イ(都教委がした本件通達の発出及び各校長に対する指導が旧教基法10条1項が禁ずる教育に対する「不当な支配」に当たるか否か,また,これに当たるとした場合に本件職務命令もまた違法となるか否か)について (全原告らの主張) ア 本件通達及び本件実施要領は,都立高校等が行う卒業式などの式典の実施方法・手順などを詳細に定め,そこには,各都立高校等の有する裁量や教員の創意,工夫が作用する余地は全く認められていない。しかも,都教委は本件通達を遵守させるべく,各校長に本件通達にのっとった対応をしない場合の制裁を背景にして,本件通達を遵守するよう圧力をかけ,さらに,各校長の対応を事細かに監視するなど,事前・事後の圧力をかけて,本件通達の実施を強制した。したがって,本件通達は旧教基法10条1項が禁止する教育に対する「不当な介入」に当たる。 イ したがって,本件通達によって形成された違法状況下で発せられた本件職務命令もまた,違法・無効となる。 ウ 国旗・国歌法は,国旗掲揚・国歌斉唱を強制する根拠とはならない。また,学習指導要領の定める国旗・国歌条項についても,学校教育法43条により付与された文部大臣の教育課程の基準の策定権限は,教科課程,すなわち,教科の名称や時間数を法定するにとどまり,それ以上に教科内容などを詳細に規定することは許されないところ,国旗・国歌条項はこれを詳細に定め,大綱的な基準という範疇を超えている点で違法・無効となるから,国旗掲揚・国歌斉唱を強制する根拠とはならない。 (被告の主張) ア 本件通達は卒業式の一部分,すなわち,国旗掲揚と国歌斉唱の部分のみを定めたものにすぎないから,都立高校等が有する教育裁量を奪うものではない。また,都教委は各校長に本件通達の遵守につき指導,助言をしただけで,事前・事後の圧力をかけたことはない。そもそも,都教委は各校長に対する監督権能に基づいて,具体的な命令を発し得るのであるから,この命令が強制の要素を帯びるとしても,それは,許可された目的のための必要かつ合理的なものであるから,旧教基法10条1項が禁ずる教育に対する「不当な支配」となるものではない。 イ 本件通達の効力と本件職務命令の効力は別個の問題であるから,仮に,本件通達が旧教基法10条1項が禁止する不当な支配に当たるとしても,本件職務命令はいずれも校長の独自の判断で発せられたものである以上,同命令が違法,無効となることはない。 ウ 本件職務命令は,国旗・国歌法を根拠とするものではないし,学習指導要領を直接の根拠とするものでもない。国旗・国歌条項により適正指導が求められている事項につき,これを適正に実施するために本件職務命令が発せられたのである。もとより,国旗・国歌条項は文部大臣が定めた大綱的な基準でしかなく,違法・無効なものではない。 (7)争点(3),ウ(本件合格取消し等につき都教委に裁量の逸脱・濫用があったか否か)について (全原告らの主張) ア 本件職務命令が違法・無効である以上,全原告らの本件不起立行為が服務事故を構成することはない。よって,本件不起立行為が服務事故であることを前提としてされた本件合格取消し等は,その基礎を誤るものであり,違法である。 イ 仮に,本件職務命令が適法であるとしても,本件合格取消し等は全原告らが教壇に立つ途を閉ざすばかりか,生活の手段を奪い,さらには,学校現場に混乱をもたらすものであって,教育上の配慮を欠いている。よって,本件合格取消し等は都教委の権限を逸脱・濫用して行使されたものとして違法である。また,本件合格取消し等は,職を奪うに等しいという意味では解雇に匹敵するものといえるから,懲戒処分と同様の適正手続が必要であるし,また,裁量権の行使に当たっては,その基礎となった事実と裁量権行使の結果との均衡性が要求されるべきものであるが,本件合格取消し等には,前記(2),(原告らの主張),アで指摘したような事情が存在した。よって,本件合格取消し等は裁量を逸脱・濫用してされたものというべきであり,国賠法1条1項所定の「違法な公権力の行使」に当たる。 ウ 全原告らは,上記のような都教委による違法な本件合格取消し等により,原告らは別表1の「請求金額等整理表」の「残雇用期間賃金相当額」欄及び「慰謝料」欄各記載の各損害を被り,また,原告X1は,〔1〕平成16年4月から1年間に相当する報酬相当金198万2400円,〔2〕慰謝料300万円,〔3〕弁護士費用49万8240円の合計548万0640円の損害を被った。  よって,全原告らは上記損害の内金の支払を求める。 (被告の主張)  否認ないし争う。  既述のとおり,本件職務命令は違法でない以上,本件不起立行為が服務事故となることは明らかである。また,本件は,公教育を担う教育公務員が,卒業式の場において,公教育の根幹である学習指導要領に基づき,教育課程を適正に実施するために発出された校長の職務命令に違反するという重大な非違行為を行い,しかも,それが生徒,保護者等の面前でされたという特徴がある。したがって,かかる点を重視してされた本件合格取消しに何ら裁量の逸脱・濫用はない。 第3 当裁判所の判断 1 再雇用職員の勤務関係の法的性質等(争点(1)) (1)原告らが平成15年度ないし同16年度の再雇用職員の採用選考に申込みをし,都教委が原告らに本件合格通知を発したことは前提となる事実(1),ウのとおりであるが,原告らは,再雇用職員の勤務関係の法的性質が労働契約関係であるとの理解を前提として,都教委が原告らに本件合格通知を発したことにより,原告らと被告との間で労働契約が成立したと主張するので,この点につき検討する。 (2)再雇用職員は地公法上の特別職たる非常勤職員に該当し(地公法3条3項3号),それゆえ,再雇用職員には法律に特別の定めがある場合を除いて地公法の適用はなく(同法4条2項),また,その勤務関係については労基法,労働組合法,最低賃金法などといった労働契約関係を規律する労働関係法規が適用される(地公法58条参照)。しかしながら,上記のように,特別職である地方公務員には原則的には地公法の適用がないとしても,そもそも,地公法は,その勤務関係が公法上の法律関係として規律される一般職たる地方公務員についても,労働契約関係に適用される労基法や労働安全衛生法などが原則的には適用されるべきものとし,ただ,そのうちの一定の規定につき適用を除外するという仕組みを採用している(地公法58条2項,3項。それゆえ,例えば,一般職の地方公務員であっても,免職処分に当たっては労基法20条の解雇予告手当の規制が及ぶ。)。そうだとすると,再雇用職員の勤務関係につき,労基法,労働組合法,最低賃金法などといった労働契約関係を規律する労働関係法規が広範に適用されるとしても,このことから直ちに,再雇用職員の勤務関係の法的性質を決することはできないといわざるを得ない。  そして,本件で問題となる再雇用職員は,都立高校等における学習及び教科の指導を職務の一部として行う類型(健全育成指導)のものであるところ(乙1・9頁),学習及び教科の指導を職務の一部として行う嘱託員については,本件要綱第20により,学校教育法所定の「講師」(学校教育法50条4項,同法施行規則65条1項,48条の2)を兼ねるものと位置づけられているのであるから(前提となる事実(3),イ),この嘱託員については,地教行法34条により,都教委の所管に属する学校等の職員として,教育長の推薦により都教委が「任命」すべきこととなる。そして,同法34条にいう「任命」が一般職の地方公務員についての任用の定めである地公法17条1項所定の「任命」と同義であることは明らかである。  また,本件要綱第5は,嘱託員の任用につき都教委が「任命」するものとしていることは前提となる事実(3),イのとおりであり,さらに,証拠(甲3の7,4の15,9の4,71の3,同の4,乙1・61〜64頁)によれば,都教委は,雇用期間の始期の日付をもって,再雇用職員として任用する者に対し採用及び勤務場所の指定,雇用期間などを明示した辞令を発するとの処理をしていることが認められる。他方、採用選考に関する合格通知については,本件要綱・本件運用内規には何らの定めもなく,ただ,再雇用職員(嘱託員)の任用事務の手引(乙1)という内部的な資料において,採用選考の合格結果の通知として位置づけられているにすぎないのである(乙1・12,13頁)。  してみれば,原告らとの関係で問題となる再雇用職員の勤務関係は,都教委による任命という行政処分によって成立・発生するといわざるを得ず,したがって,採用選考の合格通知は,任命とは全く別個の,単なる採用選考の合格結果の通知であって,これによって再雇用職員たる地位が生ずることはないというべきである。  よって,再雇用職員の勤務関係の法的性質が労働契約関係であるとの理解を前提とする原告らの主張は採用することができない。 (3)以上につき,原告らは,地教行法31条3項は「前二項に規定する職員の定数は,この法律及び他の法律に特別の定めがある場合を除き,当該地方公共団体の条例に定めなければならない。ただし,臨時又は非常勤の職員については,この限りでない。」と定めていることからすると,同法31条1項所定の「教員……その他の所要の職員」には,非常勤である再雇用職員は含まれず,それゆえ,地教行法34条の教育委員会の任命対象となる職員等にも再雇用職員は含まれないから,再雇用職員については地教行法34条は適用されないと主張する。しかしながら,地教行法34条は,その文言上教育委員会の任命対象となる職員等を何ら限定していないばかりか,そもそも,地教行法31条3項の法意は,地方自治法172条3項と同様に,公務員の採用に伴って会計年度を超えて固定的に発生する人件費につき,地方議会による民主的コントロールを及ぼすことにあると解され(その逆に,会計年度を超えないで勤務関係が終了する臨時又は非常勤の職員は,かかるコントロールを及ぼすまでの必要がないとの立法政策に立つものといえる。),そうであれば,財政上の観点から設けられた定めである地教行法31条3項の規定が学校その他の教育機関の組織の編成・組織の権限についての定めである地教行法34条の解釈に影響を及ぼすと解することはできない。  なお,原告らは,教育庁が作成した再雇用職員の手引書(乙1・32頁)に,再雇用職員の勤務関係が「雇用契約」である旨が明示されているとする。しかしながら,上記のような検討結果によれば,教育庁の内部的な資料でしかない上記手引書に上記のような記載があるとしても,この記載を根拠として再雇用職員の勤務関係の法的性質を決することはできないといわざるを得ない。  よって,原告らの上記主張は採用することができない。 (4)以上によれば,再雇用職員の勤務関係の法的性質は公法上の任用関係と解するのが相当である。してみれば,再雇用職員たる地位は任用権者による「任命」がされることにより初めて生ずるものであって,労働契約という私法上の法律行為によって生ずるものとはいえないから,原告らの私法上の雇用契約に基づく再雇用職員たる地位の確認請求は,この点ですでに理由がない。  なお,原告らの再雇用職員たる地位の確認請求が,公法上の地位の確認請求をも含んでいるとしても,原告らは都教委から平成16年度以降の再雇用職員に任命されていない以上(当事者間に争いがない),原告らが公法上の再雇用職員の地位を取得することはないというほかないから,本件で公法上の法律関係の確認請求が可能であるとしても,やはり理由がないものといわざるを得ない。  上記につき,原告らは,再雇用職員の勤務関係が公法上の任用関係であるとしても,再雇用職員は一般職の地方公務員と異なるのであるから,最高裁昭和54年7月20日第二小法廷判決(民集33巻5号582頁)が示す採用内定の法理や最高裁昭和49年7月22日第一小法廷判決(民集28巻5号927頁)が示す雇止めに関する解雇権濫用の類推適用の法理が適用ないし類推適用されると主張する。しかしながら,上記の採用内定の法理は,飽くまでも,採用内定通知がされた時点で労働契約の成立を認めることを前提とする法理であるから,上記のとおり,再雇用職員の勤務関係が公法上の任用関係であって,いまだ任命行為がない時点では,原告らと被告との間に公務員任用に係る法律関係は形成されない以上,労働契約関係の成立を前提とする採用内定の法理を適用ないし類推適用して,再雇用職員としての地位を認める余地はないというほかはない。  さらに,雇止めに関する解雇権濫用の類推適用の法理についても,これは再雇用職員の勤務関係とは性質を異にする労働契約関係を前提とするから,これを適用ないし類推適用する基礎を欠くというべきである。加えて,非常勤職員については,前記(3)で判示したように,会計年度を超えて勤務関係が継続しないため,議会によるコントロールの対象外とされている(予算定数の対象とされていない。)ところ,仮に,同法理を非常勤職員である再雇用職員に適用ないし類推適用するとすれば,会計年度を超えた勤務関係が生じ得ることになりかねず,地方自治法172条3項,地教行法31条3項の構造と明らかに抵触することになるから,再雇用職員につき雇止めに関する上記法理を適用ないし類推適用することはできないというべきである。 (5)以上によれば,本件合格取消しの適否を検討するまでもなく,本件において,原告らが再雇用職員たる地位にあるということはできないから,再雇用職員たる地位の確認を求める原告らの請求はいずれも理由がない。 2 原告X1・被告間の講師任用の内定の成否等(争点(2)) (1)前提となる事実(1),ウ,(イ)及び(4),ウ,(イ),証拠(甲5の2,5の4〜7,乙30〜33,証人F,同E,原告X1)によれば,原告X1の講師採用に関する経緯等につき,次の事実が認められる。 ア 原告X1は平成15年度の再雇用職員の採用選考に合格したものの,本件合格通知の後に勤務予定校として連絡を受けた蔵前工業高校には,原告X1が専門とする教科(インテリア)が開講されておらず,また,同人が担当することができる教科の調整もつかなかった。そこで,平成16年3月2日,原告X1は都立工芸高校校長Gに,上記採用選考の合格を辞退する旨を伝えた。 イ ところで,都立工芸高校が開講する教科「インテリア」は,全国的にも同科目を開講する学校が極めて少ない特殊な科目であり,そのため,同校インテリア科は,原告X1が退職した後の欠員の補充につき強い危惧感を抱いていたが,上記のとおり,原告X1が再雇用職員の採用選考の合格を辞退したことから,都立工芸高校ではインテリア科が中心となって,原告X1が講師として引き続き同校に勤務できるよう,講師採用の手続を進めた。そして,その結果,平成16年3月5目,都教委が作成する講師候補者名簿に記載された者への交渉が解除され,また,同月23日には兼業・兼職講師への交渉が解除された。  なお,原告X1は平成16年3月当時,現職の教諭であることから上記の講師候補者名簿に登載されていなかったため,同人が講師として採用されるには,上記の講師候補者名簿に記載された者への交渉,次いで,兼業・兼職講師への交渉を経た上で,特認講師への交渉が解除される必要があった。もっとも,平成16年3月中ごろから,都立工芸高校,特にインテリア科(取り分け,F科長)は,原告X1が特認講師として採用されることはほぼ確実であると考え,同人が平成16年度の講師として採用されることを前提とした時間割の作成などに着手した。 ウ 平成16年4月2日,E教頭は,都立工芸高校につき特認講師への交渉の解除措置を得ることを求めて教育庁に赴き,同日,教育庁は都立工芸高校に同措置を講じた。もっとも,その際,E教頭が担当職員に対し,卒業式での職務命令違反に関する処分を受けた元教諭を講師として任用することが可能であるかどうかを尋ねたところ,都教委にはこのような者を講師として採用する意向がないことを知るに至った。そこで,E教頭は原告X1にその旨を告げ,その後,都立工芸高校は原告X1を講師として採用するための手続を進めなかった。 (2)上記によれば,都立工芸高校は,平成16年3月2日以降,原告X1を平成16年度の講師として採用する手続を進め,また,平成16年3月中旬ころからは,同人の講師採用はほぼ確実であるとの認識の下,次年度の時間割を組むなどの手続を進めていたことが認められる。また,上記(1),イのとおり,原告X1が「特認講師」というやや例外的な取扱いによる講師採用とならざるを得なかったことからすると,都立工芸高校が事前に教育庁の担当職員との間で特認講師の採用の可否につき調整を進めていたとみるのが自然であり,そうであれば,上記(1),イのような都立工芸高校による,原告X1が講師として採用されることを前提とした動きは,同校から受けていたであろう講師採用に関する事前調整の申出に対し,教育庁側も否定的な態度をとっていなかったことを推測させる。  しかしながら,このような都立工芸高校の動き(ないし認識)は,同校が講師採用の権限を有しない以上(この点は弁論の全趣旨より認められる。),都立工芸高校側が原告X1の講師採用を確実であると考えたとしても,それは単なる主観的な期待にとどまるし,そもそも,本件全証拠によっても,上記のような都立工芸高校から教育庁にされたであろう事前調整の申出が,原告X1を講師として採用するものとして特定・具体化していたと認めるに足りる証拠もない。そして,上記に併せて,特認講師への交渉が解除されたのは平成16年4月2日であったことに照らせば,上記のような教育庁側の態度も,都立工芸高校が特認講師採用の手続をとれば,特段これを拒否することなく,手続を進めるという程度のものであったとみるのが相当である。 (3)してみれば,本件において,再雇用職員についての採用選考合格通知がされたのと同様な意味で,原告X1が平成16年度の東京都の講師として内定していたとは認められない。そうであれば,その余の点を判断するまでもなく,原告X1が被告に対する関係で講師たる地位を取得することはないから,原告X1が講師の地位にあることの確認を求める請求は理由がないこととなる。 3 争点(3)に関する判断の順序等について  以上のとおり,全原告らの地位確認請求及びこれを前提とする報酬請求はいずれも理由がない。そこで,全原告らの国賠法1条1項を理由とする損害賠償請求の当否につき判断を進めるが,全原告らの主位的請求のうちの損害賠償を請求する部分と予備的請求とは,いずれも,国賠法上の違法を構成する行為として本件合格取消し等を措定する点では共通であり,ただ,損害の対象を異にするにすぎないから,併せて検討するのが便宜である。そこで,次項以下では,本件合格取消し等の効力に関連する事実を認定した後(後記4)に,本件職務命令の効力(後記5)及び本件合格取消し等の国賠法上の違法性の有無(後記6)につき判断する。 4 認定した事実  当事者間に争いのない事実,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件合格取消し等に関し,以下の事実が認められる。 (1)国旗・国歌と学習指導要領の改訂 ア 文部大臣(現在は文部科学大臣。以下,時期を問わず「文部大臣」という。)は,昭和33年10月,学校教育法施行規則57条の2により「高等学校学習指導要領」を定めたが,当時の同指導要領中の「学校行事等・指導計画作成および指導上の留意事項」には,「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には,生徒に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに,国旗を掲揚し,君が代を斉唱させることが望ましい」と定められていた。  そして,平成元年3月,文部大臣は告示第26号により「高等学校学習指導要領」を改訂し,同指導要領の「特別活動・指導計画の作成と内容の取扱い」において,国旗・国歌条項(前提となる事実(5),イ,(イ))が定められるに至り,同条項は平成11年の文部省告示第58号の学習指導要領にそのまま引き継がれた。(乙40,41,54,弁論の全趣旨) イ そして,平成11年12月に文部省が著した「高等学校学習指導要領解説」には,国旗・国歌条項につき下記のとおり解説されている。(乙38)        記  国際化の進展に伴い,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。学校において行われる行事には,様々なものがあるが,この中で,入学式や卒業式は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活の展開への動機付けを行い,学校,社会,国家など集団への所属感を深める上でよい機会となるものである。このような意義を踏まえ,入学式や卒業式においては,「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」こととしている。入学式や卒業式のほかに,全校の生徒及び教職員が一堂に会して行う行事としては,始業式,終業式,運動会,開校記念日に関する儀式などがあるが,これらの行事のねらいや実施方法は学校により様々である。したがって,どのような行事に国旗の掲揚,国歌の斉唱指導を行うかについては,各学校がその実施する行事の意義を踏まえて判断するのが適当である。なお,入学式や卒業式などにおける国旗及び国歌の指導に当たっては,国旗及び国歌に対する正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てることが大切である。 (2)本件通達発出に至る背景的事情 ア 文部省ないし文部科学省(以下「文部省」という。)は,平成元年以降毎年度,各都道府県,政令指定都市の教育委員会等に対し,所管する公立小・中・高等学校の卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況につき照会するとともに,同照会による結果を各都道府県等の教育委員会等に対して告知し,また,併せて学習指導要領に基づく入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導を徹底するよう通知していた。(甲83・39頁,乙10の1,12の1,14・3〜4頁,15の1,45,46,証人H・3頁,弁論の全趣旨) イ ところで,上記調査の結果によれば,東京都の都立高校(全日制)の場合,平成10年の調査(平成9年度卒業式及び同10年度入学式を調査対象とする。)では,国旗掲揚率は平成9年度卒業式が84パーセント,同10年度入学式が85パーセントで,いずれも全国最低であり,国歌斉唱率も平成9年度卒業式が3.9パーセントで全国最低,同10年度入学式が3.4パーセントであり,三重県の1.6パーセントに次ぐ低い実施率となっていた。また,平成11年に行われた調査(平成10年度卒業式及び同11年度入学式を調査対象とする。)では,都立高校の国旗掲揚率は平成10年度卒業式が92.3パーセント,同11年度入学式が95パーセントであり,同入学式についてみれば三重県の91.9パーセント,奈良県の93.3パーセントに次ぐ低い実施率であり,国歌斉唱率は,平成10年度卒業式が7.2パーセント,同11年度入学式が5.9パーセントと同入学式についてみれば三重県の3.2パーセントに次ぐ低い実施率で,全国平均85.2パーセントを大きく下回った。(乙10の1,12の1)  そこで,平成10年11月20日,教育庁指導部長は都立高校の校長に対し,「入学式及び卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について(通知)」(10教指高第161号)を発し,学習指導要領及び別紙3の内容の実施指針(以下「平成10年実施指針」という。)に基づき入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導を徹底するよう求めた。また,〔1〕平成11年6月23日,教育長は教育庁次長を本部長とする都立学校卒業式・入学式対策本部を設置して,都立高校における入学式及び卒業式の適正実施に関して検討・協議を行うとともに,〔2〕教育庁指導部長は,平成11年10月1日,都立高校の各校長に対し,「学校における国旗及び国歌に関する指導について(通知)」(11教指企第212号)を発して,入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導を一層徹底するよう通知し,さらに,〔3〕教育長は,平成11年10月19日,都立高校の各校長に対し,「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)」(11教指高第203号)を発して,学習指導要領及び平成10年実施指針に基づき,別紙4のとおり,入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱を実施するよう指導する(以下「平成11年通達」という。)などの措置を講じた。(乙11,12の2,13,14,48)  以上の結果,平成13年の調査(平成12年度卒業式及び同13年度入学式を調査対象とする。)では,都立高校(全日制)の国旗掲揚率及び国歌斉唱率は平成12年度卒業式及び同13年入学式いずれも100パーセントに達した。(乙15の1) ウ 他方,前記(1),アのとおり平成元年改訂の学習指導要領に定められた国旗・国歌条項に対しては,第二次世界大戦におけるアジア侵略において「日の丸」,「君が代」が我が国の象徴として用いられたとの理解の下,国旗・国歌条項の実施に対する異論の声も教職員の間には根強く存在した。そのようなこともあり,平成11年通達発出後,多くの都立高校の入学式・卒業式で国旗掲揚・国歌斉唱が実施されることとなったが,職員会議の場などで国旗掲揚及び国歌斉唱と思想・信条との関係が議論になり,そのため,国旗が式場外や,式場内の目立たない場所に三脚で掲揚されることもあり,また,国歌斉唱を実施しても,それに先立って,起立するかしないか,また,歌うか歌わないかは参加者個人の判断に任せられる旨のいわゆる内心の自由についての説明が行われることも多く,その結果,国歌斉唱時に起立する教員もいれば,起立しない教員もいるなど統一性に欠ける面があった。また,中には,国歌斉唱に抗議する趣旨で国歌斉唱が終了した後に式場に入る教職員や,平成11年通達を厳格に実施しようとした校長に対し,式場内での抗議アピールをする教職員もいた。(甲1の14・9頁,3の12・8頁,4の3・5〜6頁,6の11・13〜14頁,17の8・3頁,56の1・2頁,57の1,75〜77,乙26・1頁,27・1頁,44,証人I・2,29頁,証人J・2〜4頁,証人H・3頁,証人K・2〜4,13〜18頁,原告X2・3頁,同X6・10頁,同X7・5〜6頁,同X9・7〜9頁,同X10・4〜5,29頁,同X8・7〜8頁,同X4・22頁,同X5・8〜9頁) (3)本件通達発出の経緯 ア 平成15年3月6日,文部省からの照会通知(上記(2),アの調査)を受けて,都教委は都立高校等の実態をより詳細に把握するために,文部省の照会に係る調査項目に都教委独自の調査項目を付加して,都立高校長及び区市町村教育委員会教育長あてに,平成14年度卒業式及び同15年度入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況につき報告を求めたところ,次のような状況であったことが判明した。(甲35・2,3,6,7丁目,乙8・8〜9頁,9・2〜4頁,18の1) (ア)平成11年実施指針に違反して国旗を舞台檀上正面に掲揚していない学校がある。 (イ)式をフロア形式で実施している学校がある。 (ウ)式次第に「国歌斉唱」と記載しない学校がある。 (エ)司会が国歌斉唱時に「起立」と発声しない学校がある。 (オ)国歌斉唱時に起立しない教職員がいる。 (カ)司会が開式前に「内心の自由」について説明する学校がある。 イ 上記調査結果は都教委の定例会議において報告されたが,同報告に問題意識を抱いた都教委は,平成15年6月25日,学習指導要領に基づき卒業式及び入学式をより適正に実施するため,都立学校等卒業式・入学式対策本部(以下「本件対策本部」という。)及び幹事会を設置した。そして,本件対策本部及び幹事会は,平成15年7月9日,第1回対策本部及び第1回幹事会を開催したが,同会合では,平成14年度卒業式及び同15年度入学式の問題点として,上記アのような問題・課題があることが報告され,これを受けて,本件対策本部は,平成15年8月26日に第2回幹事会,同年10月1日に第2回対策本部及び第3回幹事会,同月9日に第4回幹事会,同月17日に第3回対策本部をそれぞれ開催し,入学式及び卒業式等における国旗掲揚,国歌斉唱を適正に実施するための方策を検討し,その後,その検討結果を踏まえて本件通達の原案を取りまとめ,平成15年10月23日,都教委の同年第17回定例会において,これを報告した。(甲35・2,8〜20丁目,乙8・9〜10頁,9・4頁,17,18の1〜3,証人H・5頁)  そして,都教委は,平成15年10月23日,H教育長(以下「H教育長」という。)名で都立高校の各校長に対し,本件通達を発した(前提となる事実(4),ア)。なお,都教委は,同日,2年間の業績評定が下位評定であること,戒告以上の懲戒処分を2回以上受けたことなどの要件に該当する教育管理職(校長,副校長及び教頭)について,研修実施,降任勧告等の措置を講ずるとの「適格性に課題のある教育管理職の取扱いに関する要綱」を定めた。(甲33) ウ(ア)本件通達が発せられた平成15年10月23日,都教委は東京都庁に都立高校の校長らを招集して,「教育課程の適正実施にかかわる説明会」(以下「本件説明会」という。)を開催した。都教委は本件説明会の全体会において,都立高校の校長らに対し本件通達を配付したうえ,H教育長,教育庁人事部L(以下「L人事部長」という。)及び教育長指導部長M(以下「M指導部長」という。)は,それぞれ要旨次のとおりあいさつ・趣旨説明等をした。(甲84の5,84の11・2〜10頁,103,115の1・25〜29頁,乙8・11〜12頁,9・4〜5頁,20の1,2) a H教育長は,冒頭,〔1〕教育改革は進んでいるが,日本人としてのアイデンティティの課題が残っている,〔2〕卒業式,入学式などで着席のままの教員がいるが,これは運営の妨げである,〔3〕(卒業式,入学式等の適正実施は)儀式的行事の問題にとどまらず,学校経営の問題であるなどとあいさつした。 b L人事部長は,都立高校の校長に対して,本件通達に基づく入学式,卒業式の適正実施方につき,要旨下記のとおりの説明をした。        記 〔1〕教員を職務命令に従わせることが大事である。 〔2〕職務命令を出すに当たっては,いつ,どこで,誰に向かって発したか記録すること。 〔3〕国旗は舞台壇上正面に掲揚すること。 〔4〕式典の妨害があった場合には職務命令で排除すること。 〔5〕屋外の国旗掲揚の時間帯は,始業時から終業時まで,すなわち,全日制であれば8時15分から17時ころまでとすること。 〔6〕教職員には国旗に向かって起立して国歌を斉唱させること。 〔7〕教職員の座席を指定すること。 〔8〕教職員が起立しない場合,現認確認をし,都教委に報告をすること。都教委は報告を受けて,服務上の責任を問う。教育庁を挙げて体制を作る。 〔9〕国歌斉唱時に座っている人にその場で職務命令を出すのは難しいから,必ず事前に職務命令を出すこと。 〔10〕教職員が国歌を斉唱していない場合,その現認は難しい。起立,不起立はわかりやすい。 〔11〕国歌斉唱のピアノ伴奏については,会場にピアノがあればピアノで伴奏すること。ピアノがない場合は,運び込むか考えること。やむを得ない場合はCD伴奏による。ピアノ伴奏は専科の教員に命令すること。いつ,誰に,どこで命令したのかを記録すること。弾きたくないとの意思を示した教員には,職務命令違反として現認し、報告すること。 〔12〕会場設営については,児童生徒が正面を向くようにすること。 〔13〕教職員が会場を設営しない場合,職務命令で行わせること。 〔14〕教職員の服装は礼服がよい。礼服でないとしてもスーツにネクタイがふさわしいと都教委は考えている。体育着上下とかポロシャツ,セーター,ジーパンはふさわしいとは考えていない。問題のある場合には,教職員の服装を現認し,報告すること。 〔15〕職務命令についてはマニュアルを作成するので,それに従うこと。 (イ)上記(ア)の全体会に続いて学区ごとの連絡会が開催され,主任指導主事らは都立高校の校長に対し,本件通達に関する指導を行った。そのうちの5学区の連絡会では,担当のX10主任指導主事が,校長らに対し,要旨下記の内容の指導を行った。(甲84の5,84の11・8〜10,31頁,115の1・28〜29頁,140)        記 〔1〕国旗の「舞台壇上正面」とは,壇上正面の壁面を指す。上からつり下げる場合を含む。三脚は不可である。 〔2〕本件通達の法的根拠は,学習指導要領に基づくものである(なお,学校教育法28条3項,地教行法23条5号にも言及があった。)。 〔3〕国旗,都旗は各学校の予算で早急に購入すること。国旗のサイズは,中型が1メートル四方,大型が1.5メートル四方で3000円から4000円程度,都旗は2万円程度。都旗は,イチョウのものはシンボルマークであって都旗ではない。正式な都旗を使用すること。「松本徽章工業」という業者があるので,電話番号と担当者名をメモすること。注文後,10日程度で届く。貸出しはない。 〔4〕国旗,都旗,校旗の3枚を掲揚する場合は,正面に国旗,向かって左に都旗,向かって右に校旗とすること。 〔5〕国歌斉唱時に起立している状況を作ればよい。入場,一同起立,開式の辞,国歌斉唱の順に起立のまま通して行うことでよい。 〔6〕内心の自由の説明をすることによって,起立,斉唱しにくい状況を作らないこと。したがって,実施指針にも「起立を促す」とある。 〔7〕教員はできる限り会場内に入れること。可能な限り最大限の人数を入れること。会場外の受付,警備の係は必要最低限の人数とすること。会場内の人数は指導部で把握する。 〔8〕起立しない教職員の現認方法は,追って指示する。 〔9〕ピアノがある学校は,当然ピアノ伴奏をすること。ピアノを会場に持ち込むことが可能な学校も同様である。伴奏者のいないところでピアノ伴奏が不可能な場合は,ピアノ伴奏ができない理由を都教委に文書で提出すること。音楽専任教員のいない学校は伴奏可能な教員に伴奏を命ずること。伴奏可能な教員が誰もいない学校はCD等で伴奏を流す場合もあるので,都教委に相談すること。 〔10〕教職員の服装は,式典にふさわしいものとする。何が式典にふさわしいかは,社会通念上の判断である。 〔11〕本件通達にいう「入学式,卒業式等」の「等」とは,周年行事,開校式,閉校式,落成式等の儀式的行事である。 〔12〕平成16年3月の卒業式には全都立高校に教育庁職員を必ず派遣する。課長級以上(主任指導主事,統括指導主事)が1名,他に1名ないし数名の指導主事を派遣する。 〔13〕今後,職務命令を出す方法と手順について手順書を示すので,それにのっとって行うこと。 (4)本件通達発令後の経緯等 ア 本件通達発令後の平成15年10月から11月にかけて,都立足立西高等学校ほか6の都立高校で周年行事式典が開催されたが,これらの高等学校においては同式典に先立って校長から教職員に対し,式典会場で会場の指定された席で国旗に向かって起立し,国歌を斉唱するよう求める職務命令が文書で発せられた。(甲110,111の2) イ 平成15年11月11日,M指導部長は,都立高校校長連絡会の講話において,〔1〕入学式,卒業式等の実施態様について課題を指摘されている,都議や都民からいつまでこういう状態なんだと批判が来ている,〔2〕本件通達は校長への職務命令である,本件通達を校長のツールとして活用していただきたい,〔3〕卒業式や入学式について,まず形から入り,形に心を入れればよい,形式的であっても,教員や生徒が国歌斉唱時に立てば一歩前進であるなどと述べた。(甲84の11・11頁,104の2)  また,教育庁高等学校教育指導課長N(以下「N指導課長」という。)は,同年12月9日,都立高校校長連絡会全体会において,同月3日に当庁において言い渡された公立小学校の音楽専科の教員が入学式の国歌斉唱時にピアノ伴奏をしなかったことに関して受けた戒告処分の取消訴訟の判決に言及して,〔1〕職務命令は,口頭でも立会人不在でも有効だが,訴訟対応上,必ず書面で立会人をつけて行うこと,〔2〕教務主任研修会で本件実施指針が憲法違反ではないかとの発言をした教務主任がいるが,教務主任の発言として不適切であり,当該教務主任を選任した校長の責任であるから指導してもらうこと,〔3〕校長から不協和音を出さないことなどを指導した。さらに,同課長は,平成16年1月13日,都立高校校長連絡会全体会において,校長らに対し,同年3月中に平成16年度入学式について職務命令を出しておくように指導した。なお,このような指導主事からの指導は,すべての学区の連絡会において行われた。(甲84の11・11〜14頁,104の3,同の4,乙16,弁論の全趣旨) ウ 平成16年1月30日,N指導課長は,本件対策本部が本件通達の実施につき策定していた「平成15年度卒業式及び平成16年度入学式の適正実施に向けた日程(案)」にのっとって,5学区の臨時校長連絡会を開催した(なお,他の学区においても,同様の会合が開催され,N指導課長らから本件通達に関して同様の説明がされた。)。(甲84の4,84の11・14〜18頁,甲90・12丁目) (ア)同会において,N指導課長は,校長らに対し,本件通達に関する想定問答集と「卒業式・入学式の実施に当たって(A高校の周年行事の実施例)」と題する資料を配付して実施の要領を説明し,同実施例のとおりに入学式,卒業式を実施するように指導をするとともに,「職務命令には,『実施要項に従って業務を行うこと』と書く」,「司会者に対しては,『進行表により司会を行うこと』と付け加える」,「職務命令書は,一人一人に手渡すこと」,「何日かかっても手渡すこと」,「例えば学校で受け取らなかった教員に,それでは家に行って手渡すと言ったら次の日の朝に学校で受け取ったという例もある。そのぐらいねばり強くやりなさい」,「教頭は(国歌斉唱の)5分くらい前に不起立教員の現認の準備の配置に付きなさい。国歌斉唱自体は約40秒ぐらいだが,その間に教頭が現認をすること。教育委員会職員はあくまで補助である」,「『(実施指針にある)国旗に向かって起立し』とは,要するに,国旗にケツ向けるなということである」,「国旗国歌について説明はしていいが,『歌わなくて良い』などとは言ってはいけない」などと述べた。 (イ)なお,上記の想定問答集には,〔1〕教職員は可能な限り全員式場に入れること,〔2〕教員の参列状況及び国歌斉唱時の起立状況を確認するため座席指定が必要であること,〔3〕司会等は主幹等の教員が行い,教頭は行わないこと,〔4〕国歌斉唱時の不起立の確認は管理職が行い,教育委員会職員は補助であることなどが記載されていたが,上記会合終了後に回収された。また,上記「卒業式・入学式の実施に当たって(A高校の周年行事の実施例)」と題する資料には,〔1〕2週間前までに式の実施要項(会場図,座席表,式次第,役割分担表等を含む。)を作成すること,〔2〕1週間前までに教職員全体に対して口頭で包括的な職務命令を発令すること,〔3〕前日までに教職員個人に対して文書で職務命令を発令すること,〔4〕式当日は国歌斉唱状況を確認し,不起立等の職務命令違反があった場合には,校長が当該教職員に事実を確認し,報告書を作成することなどが記載されていた。 エ 上記ウの会合から約10日しか経過していない平成16年2月10日,N指導課長は都立高校校長連絡会全体会を開催し,校長らに対して指導を行うとともに,本件通達に反対する都民が都教委に要請文を持ってきたが,何を言われようと一切方針を変えるつもりはない旨を述べた。また,上記全体会に続いて開催された学区ごとの会合において,5学区担当指導主事及び主任は,校長らに対し,職務命令は文書で一人一人に手渡すよう指導するとともに,前記ウ,(ア)で触れた想定問答集の内容を変更したものを配付したが,1月30日の会合で交付した想定問答集に従うよう指示した。  なお,上記変更後の想定問答集には,〔1〕教職員を全員式場に入れるか否かについて,学校の状況に応じて校長が判断することではあるが,できるだけ多くの教職員が,生徒の門出を心から祝福できるようにしてほしい,〔2〕座席指定は行わなければならないか否かについて,本件実施指針には「教職員は,指定された座席で国旗に向かって起立し」とあるので,座席指定を行わなければならないなどと記載されており,司会を誰が行うのか,どのように国歌斉唱時の不起立を現認するのかなどについては項目自体が削除されていた。 (甲78,84の11・18〜20頁) オ そして,平成16年2月から3月までの間,教育庁所属の学区担当指導主事らは都立高校の校長らに対し,平成15年度卒業式につき,直接又は電話,電子メールなどで継続的な指導を行い,事前に卒業式実施要項(式場図,進行表,教職員の座席一覧等)を提出させるとともに,生徒に対する不適正な指導を行わないよう指導することを求める通知や,卒業式及び入学式が終了次第,電話や所定の様式の書面により実施状況等を報告する旨の依頼を発した。また,都教委は,都立高校の校長らに対し,卒業式で国歌斉唱時の不起立等の服務事故が発生した場合,速やかに都教委人事部担当管理主事に対し電話連絡をするとともに,同人事部職員課に事故報告書を提出することなどを指示した。(甲56の4,57の3の1,甲84の6,同の11・11,13,20〜22頁,98,106) (5)都立高校における平成15年度卒業式の実施状況 ア 平成16年3月実施の卒業式に先立ち,ほぼすべての都立高校(都立西高等学校,同新宿高等学校では口頭による職務命令のみが発せられた。)で,本件通達に基づき,校長から各学校に所属する教職員にあてて,文書により,卒業式の式典において定められた席に着席し,国歌斉唱時には国旗に向かって起立して,国歌を斉唱するよう指示する旨の職務命令が発せられた。(甲115の2,3,5〜11,13〜15,甲116,136,乙9・27〜28,46頁,51)  また,都立高校の平成15年度卒業式では,本件通達及び本件実施指針にのっとった会場設営がされ,生徒の座席はすべて正面の日の丸に向かって並べられ,卒業生と在校生が対面する形となるフロア形式の設営はされなかった。(甲84の11・22頁,乙9・27,28,46頁) イ 都教委は,平成16年3月に実施された都立高校の卒業式にそれぞれ複数の職員を派遣した。派遣された都教委職員は,1名が設置者としてあいさつし,他の職員は教職員の座席の後に座り,「国歌斉唱」の式次第への記載の有無,「国歌斉唱」,「起立」の号令の有無,国歌斉唱時の教職員,生徒及び保護者の起立,不起立の状況等を監視し,都教委に報告した。そして,国歌斉唱時に起立しなかった教職員,ピアノ伴奏をしなかった教職員がいた都立高校では,校長及び教頭が,都教委の指示に従って,式典当日に当該教職員に対し起立を促すなどしたうえ,不起立ないしピアノ伴奏拒否の事実確認をするとともに,都教委人事部学区担当管理主事に対し,電話で服務事故発生の報告をした。(甲40の1,57の3の2,乙26,27,証人H・26〜27頁) ウ そして,卒業式での国歌斉唱時に起立しなかった教職員や,ピアノ伴奏をしなかった教職員がいた都立高校では,校長が予め用意されたひな型を使用して,服務事故報告書を作成し,これを都教委人事部職員課に提出した。なお,都教委人事部職員課は,校長から提出された服務事故報告書の案文につき修正を指示するなどした。また,都教委は,上記服務事故報告書の提出を受けた後,指導主事らによって国歌斉唱時に起立しない教職員がいた学校の校長等から事情聴取をし,全原告らについても同様の処理がされた。(甲84の8,同の11・22〜26頁,甲115の6・No.516,同の15・No.492〜499,乙26,27,証人K,同J,弁論の全趣旨) (6)職務命令違反を理由とする懲戒処分 ア 都教委は,平成16年3月30日,同月31日及び同年5月25日,同15年度卒業式において,式典会場に入場しなかった教職員,国歌斉唱時に起立しなかった教職員,国歌斉唱時のピアノ伴奏を拒否した教職員の計171名(原告X2,同X5,同X1及び同X4がこれに含まれる。)につき,職務命令違反及び信用失墜行為を理由に懲戒処分(戒告)をした。また,都教委は,平成16年4月6日,同15年度卒業式の国歌斉唱時に起立しなかったことが職務命令違反及び信用失墜行為に当たるとして,東京都の公立小・中学校,東京都立ろう・養護学校の教職員19名について戒告処分,2度目の懲戒処分となる養護学校教員1名について1か月間同人の給料10分の1を減じるとの懲戒処分をした。 (前提となる事実(4),ウ,(ア),甲13の2,乙4) イ 平成16年5月25日,都教委は同年度入学式において,国歌斉唱時に起立しなかった都立高校の教職員33名,東京都の公立小・中学校の教職員4名に対し,職務命令違反及び信用失墜行為を理由として戒告処分を行い,2度目の懲戒処分となる都立高校等の教職員3名について1か月間同人らの給料10分の1を減じるとの懲戒処分をした。(甲56の5,弁論の全趣旨)  さらに,平成16年5月には,生徒が卒業式に出席しない,教職員が生徒に事前に不適正な指導をしていた,さらに,大多数の生徒が国歌斉唱時に起立しないなどの事情が認められた都立高校の校長や副校長などの管理職のほか,当の教諭に対して教育庁指導部長から個別注意がされた。(甲36の2〜23,118の1,同の2) (7)本件通達に関する被告側関係者の発言 ア 東京都知事石原慎太郎は,上記(5),(6)の一連の動きの直後に開催された平成16年4月9日の教育施策連絡会において,「今度,私よりも非常に熾烈ではっきりしているH教育長が,教育委員の皆さんと頑張ってくれて,当然のことですけれども,国旗・国歌というものを公立の学校の中での入学式,卒業式に,一つの規範として,ルールとしてうたっていただく。」と述べた。また,都教委教育委員鳥海巌は,上記教育施策連絡会において,入学式,卒業式等の式典の国歌斉唱時に起立しない教職員らについて,「あいまいさを改革のときには絶対残してはいけない。この国旗・国歌問題,100%やるようにしてくれということを事務局にも教育長にも言っているわけなのですけれども,一人の人,あるいは二人の人だからいいじゃないのと言うかもしれませんけれども,改革というのは,何しろ半世紀の間につくられたがん細胞みたいなものですから,そういうところにがん細胞を少しでも残すと,またすぐ増殖してくるということは目に見えているわけです。徹底的にやる。あいまいさを残さない。これは非常に重要なことだと思っております。」と述べた。(甲28) イ H教育長は本件通達に関し,次のように発言している。 (ア)H教育長は,平成15年7月2日開催の東京都議会本会議において,東京都議会議員O(以下「O都議」という。)の質問に対し,次のとおり答弁した。(甲46・2,5頁) O都議:「国歌斉唱時に,内心の自由があるからと事前に説明する必要はないと思いますが,都教委の見解を伺いたい。また,今後こうした行為に関してどのように対応するのでしょうか。また,国歌斉唱時に起立もしない教職員がいまだに存在することについて,見解を求めます。」 H教育長:「国歌斉唱時に関し内心の自由を説明することについてでございますが,卒業式や入学式等におきましては,学習指導要領に示された意義を踏まえまして,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう児童生徒に対して指導しなければならないものでございます。卒業式や入学式等は,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活の展開への動機づけを行うための儀式的行事でございまして,国歌斉唱に当たって,司会者が教員に対し内心の自由について説明することは,極めて不適切であると考えております。今後,都教育委員会は,学習指導要領に基づく卒業式,入学式等の適正実施に向けて,新たな実施指針を策定し,各学校及び区市町村教育委員会を指導してまいります。」,「国歌斉唱時に教職員が起立しないことについてでございますが,卒業式,入学式において,児童生徒に我が国の国旗,国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育成すべき教員が,国歌斉唱時に起立しないということは,あってはならないことでございます。都教育委員会は,今後,卒業式,入学式における国歌斉唱の指導を適正に実施するよう,各学校や区市町村教育委員会を強く指導してまいります。」 (イ)H教育長は,平成16年3月16日開催の東京都議会予算特別委員会において,O都議の質問に対し,次のとおり答弁した。(甲23・5,7頁) O都議:「卒業式などでクラスの大半が国歌を歌えない,歌わない状態であった場合,教師の指導力に不足があるか,あるいは教師による誘導的な指導が行われていたかということになると思いますが,いかがでしょうか。」 H教育長:「学習指導要領に基づきまして国歌の指導が適切に行われていれば,歌えない,あるいは歌わない児童生徒が多数いるということは考えられませんし,その場合は,ご指摘のとおり,指導力が不足しているか,学習指導要領に反する恣意的な指導があったと考えざるを得ません。」 O都議:「これは肝心なことなので確認をしたいんですが,例えば5クラスあって,そのうちの4クラスでは生徒が起立をし,国歌を斉唱したが,1クラスのみ生徒が起立せず,国歌も斉唱しなかったとしたら,そのクラスは学習指導要領に基づく指導がなされていないと考えていいんでしょうか。」 H教育長:「そのとおりでございます。」 O都議:「その場合,そのクラスの指導を担当した教員は,処分対象と考えてよろしいでしょうか。」 H教育長:「おっしゃるような措置をとることになります。」 (ウ)H教育長は,平成16年6月8日開催の東京都議会の同年第2回定例会において,東京都議会議員P(以下「P都議」という。)の代表質問に対し,次のとおり,答弁した。 (甲50・2,5枚目) P都議:「仮に,研修センターでの研修を数日あるいは1日受講する際に,当初から教育公務員としての反省の態度が全く見られず,また成果も上がっていない場合,研修の延長,あるいは再研修を命じるべきであります。重要な法令違反を犯し,反省もしていない者を教員として教壇に戻すことはあってはならないと考えますが,いかがでしょうか。」,「教職員組合などが盛んに,生徒の内心の自由を使うことが反撃のポイントといっている以上,生徒の政治的利用を許さない点からも,軽微な処分を繰り返すのではなく,職務命令として,学習指導要領規定の遵守を出すべきと考えますが,いかがでしょうか。」 H教育長:「処分を受けた教員の研修についてですが,卒業式,入学式等におきまして,校長の職務命令に違反し,処分を受けた教員に対しまして,再発防止の徹底を図っていくことは重要でございます。これらの教員等に対しまして,服務事故再発防止研修を命令研修として受講させ,適正な教育課程の実施及び教育公務員としての服務の厳守などについて,自覚を促してまいります。なお,受講に際し,指導に従わない場合や成果が不十分の場合には,研修修了とはなりませんので,再度研修を命ずることになりますし,また,研修を受講しても反省の色が見られず,同様の服務違反を繰り返すことがあった場合には,より厳しい処分を行うことは当然のことであると考えております。」,「今後,校長の権限に基づいて,学習指導要領や通達に基づいて児童生徒を指導することを盛り込んだ職務命令を出し,厳正に対処すべきものと考えております。」 5 本件職務命令の効力(争点(3),ア及びイ) (1)まず,本件合格取消し等のうちの本件合格取消しにつきみると(本件採用拒否については後述する。),同取消しの理由とされているのは,前提となる事実(4),ウのとおり,本件職務命令に対する違反行為(本件不起立行為)であるから,本件合格取消しが国賠法上,違法な公権力の行使となるか否かを判断するに当たっては,まず,本件職務命令の効力を検討する必要がある。そこで,以下,全原告らの主張に即して,本件職務命令の効力につき判断する。 (2)全原告らは,本件職務命令が憲法(19条,20条1項,2項,21条1項,23条,26条1項)及び国際条約(児童の権利に関する条約及びA規約)に反し無効であると主張するので,まず,この点につき判断する。 ア 本件職務命令と憲法19条の思想及び良心の自由との関係については次のとおりである。 (ア)証拠(甲1の14・1〜4頁,2の6・3〜7頁,3の12・14〜15頁,4の3・8〜12頁,6の11・2〜5頁,7の23・5〜8頁,8の2・8〜13頁,9の5・4〜6頁,17の8・6〜9頁,原告X2・5〜7,9〜11頁,同X6・9〜12頁,同X7・6〜7頁,同X4・18〜20頁,同X8・9〜11頁,同X5・3〜6頁,同X10・9〜11頁,同X9・10〜12頁,同X3・8〜11頁)によれば,原告らが本件不起立行為に及んだ理由・動機は必ずしも一様ではないが,これを大別すると,〔1〕「日の丸」,「君が代」が大日本帝国憲法下において,天皇制に対する忠誠のシンボルとして用いられ,また,これらが先の大戦において大きな役割を果たしたことに対する抵抗感や嫌悪の情,〔2〕先の大戦時において時の為政者により教育が支配され,そのため,ほかならぬ教員が多くの生徒を戦場に送り込むことに寄与する結果となったことに対する反省の念,〔3〕本件通達をめぐる都教委の一連の動きが,学校の教育自治の原理を一切否定する強権的なものであり,是認し難いという職業的な信念とに分類することができる。  以上のような全原告らの感情,信念,信条は,それぞれの人生体験,我が国の過去についての歴史認識や職業意識などにより個々の全原告につきそれぞれ多元的に形成されたものであり,これらは社会生活上の信念を形成しているとみられるから,このような精神活動それ自体を公権力が否定したり,精神活動それ自体に着目して,その内容の表明を求めたりすることは,憲法19条が保障する思想及び良心の自由を侵害するものとして許されないことはいうまでもない。 (イ)そして,本件につきみると,全原告らが教育公務員として参加した学校行事である卒業式において,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することを拒否することは,全原告らにとっては,上記のような社会生活上の信念に基づく一つの選択ではあり得るものの,一般的には,これと不可分に結び付くものではないから,本件職務命令が全原告らの上記のような精神活動それ自体を否定するものとはいえない。また,卒業式において,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することも,卒業式という式典の場において,何らかの歌唱を行う際に歌唱を行う者が起立し,また,起立する際,会場正面に向けた体勢をとること自体は,儀式・式典において当然されるべき儀礼的行為であり,しかも,これが前記4,(5),アのとおり,全原告らの勤務校に所属する教職員全員に発せられた職務命令によりされるものであることを勘案すると,本件職務命令のとおりの行為をすることが,その者が有する特定の思想などの精神活動自体の表明となるものではないというべきである(最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決・裁判所時報1430号52頁)。  また,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱するという本件職務命令の命ずる行為が全原告らの内心領域における精神活動にも影響を与え得ることは否定できないとしても,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない」と定め,地公法は,地方公務員の地方公共団体の住民全体の奉仕者(地公法30条)との特殊な地位及びこれが担っている職務の公共性にかんがみ,統一的で円滑な公務の遂行を確保する趣旨から,地方公務員に上司の職務上の命令に忠実に従うべき義務を課している(地公法32条)。したがって,本件不起立行為の当時,地公法が適用される教員(教諭)であった原告X2ほかが上記のような義務を負うことはもちろんのこと,上記当時,既に再雇用嘱託員であった原告X6ほかも,上記と同様の趣旨より定められたと解される本件要綱第8,2により,上司の職務命令に忠実に従うべき責務を負っていたのである。しかも,文部大臣が学校教育法43条及び同法施行規則57条の2により定めた学習指導要領では,卒業式などで国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導する旨の国旗・国歌条項が置かれていることは前提となる事実(5),イ,(イ)のとおりであるが,この文部大臣が定めた学習指導要領は高等学校教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的基準を定めたものと解することができるから,基本的には法規としての性格を有するものと解され(最高裁昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,同平成2年1月18日第一小法廷判決・裁判集民事159号1頁参照),それゆえ,全原告らは公教育に携わる公務員として,どの程度の指導義務を負うかはともかくとしても,国旗・国歌条項にのっとった指導をする責務を負っているというべきである。そして,このことに併せて,前述したような,〔1〕前記4,(1),イで認定した国旗・国歌条項の趣旨や,〔2〕卒業式という式典の場において,何らかの歌唱を行う際に歌唱を行う者が起立し,また,起立する際,会場正面に向けた体勢をとること自体は儀式・式典における儀礼的な行為であること,そして,〔3〕国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること自体は,一般的には内心の精神活動と不可分に結び付くものとまではいえないことを勘案すると,本件職務命令は国旗・国歌条項により全原告らが指導の責務を負う事項につき,儀式・式典における儀礼的な行為を命ずる限りでこれを具体化したものとみるのが相当である。  してみれば,本件職務命令は,公務員の職務の公共性に由来する必要かつ合理的な制約として許容されるものと解され,全原告らの思想及び良心の自由を侵害するものとして憲法19条に反するとはいえない。 (ウ)これに対し,全原告らは,国旗・国歌条項は,教育内容への国家関与が必要かつ相当と認められる範囲,すなわち,大綱的基準を超え,教育課程の細目に及んでいるため,同条項を法規とみて法的拘束力を観念することは許されないと主張する。しかしながら,学習指導要領が大綱的基準を定めるものにとどまるか否かは同要領全体を勘案して判断されるべきであり,同要領中の個々の条項ごとにこれを考察するのは適切でないばかりか(前掲最高裁昭和51年5月21日大法廷判決),この点を措くとしても,国旗・国歌条項自体は,その文言に照らしても一般的普遍的な基準を示すにすぎず,具体的にどのような教育をするか,また,どのように国旗を掲揚するかなどの指導内容の詳細までをも明示するものではない。そして,このことは,国旗・国歌条項は平成元年3月に告示された学習指導要領において定められるに至ったところ(前記4,(1),ア),それ以降も,都立高校等において一律に卒業式等の式典において国旗掲揚・国歌斉唱が実施されていたわけではなく(弁論の全趣旨により認められる。),また,平成11年通達発出後の国旗掲揚・国歌斉唱の実施方法も一様でなかったこと(前記4,(2),ウ)からも裏付けられる。したがって,国旗・国歌条項それ自体は,教育における機会均等の確保及び全国的な一定水準の維持を図るための大綱的な基準を定めたものであって,これを超えるものということはできない。 (エ)また,全原告らは,本件職務命令は教職員全員を起立させて国歌を斉唱させるもので,その結果,生徒も起立せざるを得ない状況を作り出すものであるから,「日の丸」,「君が代」に対する嫌悪の情などを有する生徒の思想及び良心の自由を侵害するものであるとも主張する。しかしながら,本件職務命令は,本件卒業式において全原告らを含めた教職員が国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することを命ずることに尽き,直接的に生徒に対して起立等を求めるものではない。また,学校教育の現場において一定の権威的地位を有する教員が,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することは,国旗・国歌条項に沿った指導を実践する教職員が生徒に範となる行動を示すものと理解されるところ,このような行動自体が生徒の内心に対する一定の働きかけとなることは否定できないものの,それは正に行動の手本を示すものであって,教育の実践の面において,このような生徒の内心に対する一定程度の働きかけを伴うことは不可避であるから,これを直ちに強制と同一視し得ないことからすると,本件職務命令が生徒の思想及び良心の自由を侵害するものとはいえない。  なお,原告X3については,他の原告らと異なって,別表2の「職務命令の内容」欄のとおり,「学習指導要領に基づき,適正に生徒を指導すること」との命令が含まれており,同命令は,単に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること以上の生徒への働きかけを求めるものとなっている。しかし,このような命令の内容は,正に国旗・国歌条項により教職員が責務として負うところであり,教育の実践の面において教育効果を得るために教職員が生徒の内心に対して働きかけることは当然のこととして許容されると解されることからすると,上記の内容の命令についても,これが生徒の思想及び良心の自由を侵害するものとはいえない。 (オ)以上によれば,本件職務命令が憲法19条に反するとはいえない。 イ 次に,本件職務命令と憲法20条1項,2項の信教の自由,同21条1項の表現の自由との関係につき判断すると,本件全証拠によっても,本件職務命令が宗教的な目的・趣旨を有し,また,その効果において一定の宗教を助長・援助するようなものであるとは認められないし,また,現時点での社会通念に照らせば,「日の丸」,「君が代」が国家神道と不可分な関係にあると認識されているともいえないから,同命令が憲法20条1項及び2項に反するとはいえない(もとより,全原告らは本件職務命令が自己の宗教心と抵触するものだとは述べていない。)。  また,本件職務命令と憲法21条1項が保障する表現の自由との関係については,後述するように,全原告らの本件不起立行為が本件職務命令に対する抗議の意思表明をも含む面があるといえるが,卒業式のような学校行事の場において,このような表現行為が保障される理由は見いだし難いから,本件職務命令が憲法21条1項が保障する表現の自由を侵害するものとはいえない。 ウ さらに,全原告らは,本件職務命令が憲法23条,26条1項等が保障する教員の教育の自由や教員としての責務を侵害すると主張するので判断すると,憲法上,教師は,高等学校以下の普通教育の場でも,授業等の具体的内容及び方法についてある程度の裁量が認められるという意味において,一定の範囲での教育の自由が認められるものの,普通教育の場では,高等学校の場合においてもなお教員が生徒に対して強い影響力,支配力を有することや,教員を選択する余地も乏しく教育の機会均等を図る必要があることなどを勘案すると,普通教育における教員に完全な教育の自由を認めることはできないと解される(前掲最高裁昭和51年5月21日大法廷判決)。また,上記に加えて,卒業式が,高等学校における「教育課程」の一部である特別活動として実施されるものではあるが,教科等における授業と異なり,学年及び学級の区別なく全校をあげて実施されるもので,全卒業生が参加するほか,保護者や種々の学校関係者の協力を得て行う儀式であり,事柄の性格上,本来的に各教員において個別に又は独自にこれを行うことが困難,不適当な性格のものであることを勘案すると,本件職務命令が全原告らの教育の自由を侵害するものとはいえない。したがって,本件職務命令が憲法23条,26条1項等が保障する教員の教育の自由等の侵害になるということはできない。 エ 最後に,本件職務命令と国際条約との関係につき判断すると,全原告らは本件職務命令が児童の権利に関する条約第12ないし第14条及び第28条並びにA規約第13条に反すると主張するが,これまでに判示したところによれば,本件職務命令が上記各条約に反するとはいえない。 (3)次に,全原告らは,本件職務命令は,旧教基法10条1項が禁ずる「教育に対する不当な支配」に該当する違法な本件通達に基づいてされたものであり,違法・無効であると主張するので,この点につき判断する。 ア 本件実施指針に従った国旗掲揚・国歌斉唱を求める本件通達が都教委から校長に対する職務命令として発せられたことは当事者間に争いがないところ,本件通達は地教行法23条5号に基づく管理・執行権限に基づいて都教委が同教委の所管に属する都立高校の校長に対して発したものであるのに対し,本件職務命令は学校教育法51条により準用される同法28条3項の校長の所属職員に対する監督権限に基づいて原告らの勤務校の校長から原告らに対してそれぞれ発せられたものであるから,両者はその法的根拠を異にし,法的にはそれぞれ別個のものというほかない。したがって,後者が前者を受けて発せられたとの関係があるとしても,そこには校長の判断が介在しているのであって,前者の存在及び有効性が後者の効力要件となるものではなく,本件通達が本件職務命令につきいわゆる「先決関係」にあるとはいえないから,本件通達の効力いかんにより本件職務命令の効力が左右される関係にあるということはできない。したがって,本件通達の違法が当然に本件職務命令に承継されるとの全原告らの主張は採用することができない。  もっとも,前記4,(3)ないし(5),(7)で認定した事実や証拠(甲84の11・7〜8頁,115の1,115の3,115の7ないし9)を総合すると,本件通達及び本件実施指針は都立高校等の卒業式などの式典における国旗掲揚・国歌斉唱の実施の仕方及びこれに関連する事項を定めたものであるが,これらは国旗や都旗を掲げる位置や式典の配置などの式典の基本的な構成についての定めを含むため,都立高校が卒業式等の式典の具体的な実施要領を決定する裁量は,同通達によって相当の範囲において制約される結果とならざるを得なかったことが認められる。しかも,本件職務命令を含めた平成15年度卒業式の実施状況は都教委の企画・立案,そして,積極的な指導の下に実現されたという関係にあることは明らかであり,このような状況の下でされた前述のような内容の本件通達は,各校長において職務命令を発するについて大きな契機となっていることは明白であるから,原告らの職務命令違反の非違行為の性質,程度を検討する上でも,本件通達の性質とその効力を検討することが必要であると考えられる。そこで,以下,この点につき更に検討を進めることとする。 イ 旧教基法は,憲法の精神にのっとり,民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献するためには,教育が根本的重要性を有するとの認識の下に,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに,普遍的で,しかも個性豊かな文化の創造をめざす教育が今後における我が国の教育の基本理念であるとしているが,これは,戦前の我が国の教育が,国家による強い支配の下で形式的,画一的に流れ,時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があったことに対する反省によるものであり,同法10条1項はこのような戦前における教育に対する過度の公権力の介入,統制に対する反省から,教育に対する権力的介入,特に行政権力によるそれを警戒し,これに対して抑制的態度を表明したものと解される。しかしながら,同条項が教育に対する権力的介入を一切排除すべきことを求めていると解するのは相当でなく,教育の自主性尊重の見地から,教育に対する行政権力の不当,不要の介入は排除されるべきであるとしても,許容される目的のために必要かつ合理的と認められる関与・介入は,教育の内容及び方法に関するものであっても,必ずしも同条項の禁止するところではないと解される(前掲最高裁昭和51年5月21日大法廷判決)。 ウ そして,本件における問題は,東京都の教育に関する事務を管理・執行する教育委員会である都教委による関与・介入であるところ,都教委は,都立高校等を所管する行政機関として,その教育課程,学習指導,生徒指導などに関する管理,執行権限に基づき(地教行法23条5号),その基準を設定し,一般的な指示を与え,指導,助言を行うとともに,特に必要な場合には具体的な命令を発することもできると解される(前掲最高裁昭和51年5月21日大法廷判決参照)。  これに対し,全原告らは,都教委が地教行法23条5号により発する通達ないし職務命令についても,旧教基法10条1項の趣旨である教育に対する行政権力の不当,不要の介入の排除,教育の自主性尊重の見地から,大綱的なものに止められるべきであると主張する。しかしながら,国の教育機関が法律の授権に基づいて普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定するという場面では,教師による創意工夫の尊重等や教育に関する地方自治の原則との関係から全原告ら主張の理が妥当すると解されるけれども,本件はそのような場面での問題ではないことに加えて,〔1〕そもそも,旧教基法では,前述のような教育に対する権力的介入を排除する制度として教育委員会制度が設けられるに至ったこと(乙53,54・130〜133頁),〔2〕そして,都道府県教育委員会はその所管する学校等の職員の任免その他人事に関する権限を有し(地教行法23条3号),また,地教行法23条5号は都道府県委員会がその所管する学校等に対して有する管理,執行権限につき,文部大臣が都道府県等を通じて行う学校の教育課程等その他学校運営についての関与・介入を指導及び助言の限度で付与する地教行法48条2項2号のような限定を加えていないことを勘案するならば,都教委の所管に属する都立高校等への関与が大綱的なものにとどめられるべき理由はないというべきである。よって,全原告らの上記主張は採用することができない。 エ してみれば,本件で問題となるのは,都教委が都立高校の各校長に対して国旗・国歌条項の適正実施を命じた本件通達(本件実施指針も当然に含まれる。)及び同通達にのっとった平成15年度の卒業式の実施についての関与・介入が「特に必要な場合」のものとして,許容される目的のために必要かつ合理的と認められる関与・介入と評価できるか否かとの点であるところ,これにつきみると,次のとおりである。 (ア)前記(2),ア,(イ)のとおり,国旗・国歌条項が法規としての性質を有する以上,その指導の方法,内容及び手順等をどのように具体化するかの問題は残されているにせよ,公教育に携わる教育公務員は国旗・国歌条項にのっとった指導をすべき責務を負うところ,国旗・国歌条項が定められた平成元年以降,文部省は同条項に基づき卒業式などの式典において国旗掲揚・国歌斉唱を指導するよう求めていたにもかかわらず,都立高校では平成10年ころに至っても国旗掲揚及び国歌斉唱の各実施率は全国的にみても極めて低く,しかも,平成11年通達発出後は,都立高校の卒業式などの式典における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施率は改善されたものの,それも表面的なものにすぎず,その実態は,国旗が参列者に認識されるような形で掲揚されず,また,国歌も参列する教職員による斉唱はされておらず,さらには,国歌斉唱時に多くの教職員は起立しない,国歌斉唱の終了後に教職員が入場する,式場で教職員が国旗掲揚・国歌斉唱に対する抗議のアピールをする,などといった状況にあったことは,前記4,(2),アないしウ及び(3),アのとおりである。  そして,このような国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況が,国旗・国歌条項の前記4,(1),イの趣旨に合致しないことは明らかであり,そのため,国旗・国歌に対する敬意を自然のうちに育むための教育機会を逸する結果となっていたともいえる。しかも,上記のような状況は,都立高校の校長の自主的な判断裁量を尊重する方向で発出されたと解される平成11年通達の後に発生しているのである。加えて,前記4,(2),ウの状況を踏まえるならば,上記のような国旗・国歌条項の実施状況につき何らの措置をも講ずることなく,事態の好転を期待することは困難であったことは明らかである。 (イ)以上のとおり,本件通達及び本件実施指針の定めは,都立高校の卒業式等の式典の実施に関する裁量を相当に制約するものであり,また,式典の画一化を招くおそれや,教育現場の自主的な創意工夫の余地を減少させるなどの批判の余地を免れないものではある。しかしながら,前述したように,国旗・国歌条項に基づく指導の方法,内容等の具体化を含む教育課程に関する事項につき管理,執行権限(地教行法23条5号)を有する教育委員会が,その所管に属する学校等での教育課程の統一的な実施を図る観点から,特別活動としての指導事項の定めである国旗・国歌条項の内容を具体化する権限に基づいて発した本件通達は,その内容に照らしても国旗・国歌条項の趣旨や内容を逸脱するものと解することはできない。また,上記のような国旗掲揚・国歌斉唱の実施をめぐる教育現場の状況は,都立高校の教職員に対する指揮命令系統が機能していない状況を来賓等外部からの参列者が参加する式典の場面で露呈する結果となっていたというほかないから,本件通達にのっとった実施を実現するには,同通達発出後も都立高校を強く指導し,その履行状況を監督・監視することもやむを得ないことであったといわざるを得ない。  以上によれば,本件通達及びこれをめぐる一連の都教委の都立高校に対する関与・介入は,国旗・国歌条項の内容を具体化する権限を有する都教委の権限によるもので,具体的な命令を発する必要性に基づくものとして,その政策的な意味での賛否について議論の余地があるのは別として,法的には,許容される目的に基づき,これを実現するために必要かつ合理的な関与・介入の範囲にとどまると評価するのが相当である。 (ウ)よって,都教委による本件通達の発出,そして,都教委による都立高校の卒業式などの式典における監督・監視・指導が,旧教基法10条1項が禁ずる教育への不当な支配に該当するとはいえない。 オ したがって,本件職務命令が,旧教基法10条1項が禁ずる「教育に対する不当な支配」に該当する違法な本件通達に基づいてされたものであるということはできない。 (4)進んで,本件職務命令についての各校長の裁量権の逸脱・濫用の有無につき判断する。  既述のように,学校が主催する行事(式典)において,教職員が定められた式次第に従わないという状況は,式に参列する来賓や保護者に不信感を抱かせて対外的な信用を失墜するほか,式の円滑な進行の妨げとなるおそれがあるから,校長が,卒業式に出席する教職員に対し,式次第に従って起立すべきことを命ずる必要性があったことは否定できない。また,卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱は,国旗・国歌条項に適うものである一方,式場に出席する教員が共に斉唱しないという状況は,上記教育効果を減殺するものであり,生徒に対する指導上も問題があることは明らかである。そうであれば,校長が教職員である全原告らに対し,本件職務命令を発したことは校長の有する裁量を逸脱・濫用するものとはいえない。 6 本件合格取消し等の裁量逸脱・濫用の有無(争点(3),ウ)  上記5の検討を踏まえて,本件合格取消し等の裁量の逸脱・濫用の有無につき判断する。 (1)まず,上記5の検討結果によれば,本件職務命令が無効とはいえないから,全原告らの本件不起立行為は同人らの上司である校長が正当に発した本件職務命令に反するものとして,地公法32条ないし本件要綱の第8,2違反に当たる。 (2)ところで,前記のとおり,再雇用職員たる地位は行政処分の性格を有する任命がされることにより初めて発生する法的地位であるから,任命行為ではない本件合格通知によって原告らが再雇用職員たる地位を取得することはなく,また,これによって都教委が同人らを再雇用職員として採用すべき法律上の義務を負うものではないと解される(最高裁昭和57年5月27日第一小法廷判決・民集36巻5号777頁参照)。よって,本件合格取消し当時においても,都教委は原告らを再雇用職員として採用するか否かにつき一定の裁量を有していたといわざるを得ない。  もっとも,前提となる事実(3),ア,証拠(甲1の5〜10,2の4,6の5,6の18〜24,17の5,68の1〜4)及び弁論の全趣旨によれば,〔1〕昭和60年の再雇用職員制度の導入後,東京都では,定年に至った教職員が再雇用職員として多数採用されてきたが,この間,健康上の問題であるとか,教員としての技能・資質に特に問題があるといった特段の事情がない限り,定年に達する(ないしこれに準ずる)教職員が採用選考を申し込んだ場合,その選考結果はほぼ合格となっていたこと,〔2〕採用選考の合格通知が発せられると,合格者には翌年度における勤務予定校が示され,その後は勤務予定校と合格者との間で,翌年度の担当科目やスケジュールなどの調整がされ,また,翌年度以降の正式採用に向けて諸手続(通勤届,社会保険関係等)が進められていたこと,〔3〕昭和60年の再雇用職員制度の導入から本件合格取消しがされるまでの間,採用選考に合格した者が正式任用とならなかった事例はなかったことが認められ,以上の事実によれば,本件合格通知が発せられることにより,原告らが平成16年度ないし同17年度の再雇用職員への採用に強い期待を抱くことは無理からぬものというべきであり,かかる期待は国賠法上も保護するに値するということができる。してみれば,都教委が原告らを再雇用職員として任命するか否かにつき裁量を有するとしても,その任命の拒否が相当な理由を欠くなど,社会通念上著しく不合理であって,その裁量を逸脱・濫用してされたものと認められる場合には,本件合格取消しも国賠法上,違法な公権力の行使に該当するというべきである。  ただし、原告X1については,前記2で判示したように,そもそも再雇用職員についての採用選考合格通知がされたのと同様な意味で平成16年度の東京都の講師として内定していたとは認められないから,上記のような原告X1につき国賠法上も保護に値する期待が生じていたとは認められない。したがって,原告X1については,同人が講師として採用されなかったこと(本件採用拒否)につき国賠法上の問題は生じない。 (3)そこで,本件合格取消しにつき検討すると,本件要綱の第5,1ないし第6,2所定の新規採用の基準要件ないし更新の基準要件は,その文言に照らせば,再雇用職員の現実の採用時,すなわち任命時において上記各基準要件の具備を求めるものと解される(そうでなければ,合格通知以後どのような非違行為があったとしても,採用せざるを得ないことになり,明らかに不合理な結果をもたらすことになる。その意味で,採用選考における合格判断というのも暫定的なものでしかない。)から,合格通知を発した後の事情により当該合格者が本件要綱の上記新規採用ないし更新の基準要件を欠くに至ったと認められる場合に合格を取り消すことは,正当な人事裁量権の行使というべきである。  そして,上記のような上司による職務命令の違反の有無は,新規採用の基準要件の一つである「正規職員を退職する…前の勤務成績が良好であること」(本件要綱第5の1,(1)),更新の基準要件の一つである「雇用期間内の勤務成績が良好であること」(本件要綱第6,2,(1))における「勤務成績」すなわち勤務内容・態度の評価を左右する事情に当たると解するのが相当である。この点につき,原告らは,証拠(甲134や証人Q・5〜6頁)を根拠として,この「勤務成績」とは勤務内容の評価を含まない出勤実績の意であると主張するが,「勤務成績」の通常の用例や,本件要綱第7,1,(2)の解職の事由として「勤務成績」の語が用いられていること(なお,同要綱第7,1の各項の定めは,地公法28条1項1号ないし3号に倣ったものであり,(2)項の定めは地公法28条1号に対応するものと解される。)を勘案すると,原告ら主張のように解すべき根拠は見いだし難い。  してみると,本件職務命令に反してされた原告らの本件不起立行為が同人らの勤務内容の評価を低下させるものとなることは否定し難いから,都教委が本件不起立行為をもって,勤務成績が良好であることとの要件に欠けると判断したことが不合理ということはできない。 (4)ア これに対し,原告らは,〔1〕本件不起立行為は約40数秒程度の短い時間に,ただ起立せずに指定された席に着席し続けたというだけで,卒業式の進行を妨害したものでもないのに対し,本件合格取消しが再雇用職員としての職を奪うのに等しい効果を招来するものであるから,上記行為の存在のみをもって,本件合格取消しをなすことは均衡を失している,また,〔2〕一般職の地方公務員として在勤していた時期に懲戒処分を受けた教職員であっても,再雇用職員として採用された者がおり,例えば,原告X10は,平成7年に停職5日,また,同10年に停職1日の懲戒処分を受けたが,同人は平成12年4月に再雇用職員に採用され,また,その後も3回の再雇用の更新がされていることと比較すると,1回だけの職務命令違反行為をもって,直ちに採用選考の合格を取消して,再雇用職員たる地位を奪うのは均衡を失しているなどとして,本件合格取消しが都教委の裁量を逸脱・濫用してされたものであると主張する。 イ 確かに,再雇用職員の制度は,これが発足した契機が前提となる事実(3)のとおり地方公務員の定年制の導入にあったことからすると,定年後の勤務保障の意味合いも含まれていることがうかがわれるところ,ただ一度の短時間の不作為にすぎない本件不起立行為によって,その後の勤務の機会を奪われる事態に至ることは,社会通念に照らしていささか過酷であると見る余地もあり,被告代表者が記者会見において,教職員の義務違反に対し「何もいきなりクビにするわけじゃないけれども」と語っている(甲41)のも,一度の非違行為により職を失うことに対する違和感を裏付けるものと見ることができる。 ウ しかしながら,本件不起立行為の態様が原告らの主張するようなものであったとしても,前述したような国旗・国歌条項の趣旨に照らせば,一部の教職員が起立しないことそれ自体が卒業式などの式典における国旗掲揚・国歌斉唱の指導効果を減殺するものである。加えて,そもそも,証拠(甲1の14・1〜4頁,2の6・3〜7頁,3の12・14〜15頁,4の3・8〜12頁,6の11・2〜5頁,7の23・5〜8頁,8の2・8〜13頁,9の5・4〜6頁,17の8・6〜9頁,原告X2・5〜7,9〜11頁,同X6・9〜12頁,同X7・6〜7頁,同X4・18〜20頁,同X8・9〜11頁,同X5・3〜6頁,同X10・9〜11頁,同X9・10〜12頁,同X3・8〜11頁)を通覧すると,原告らが本件不起立行為に及んだ大きな動機は,本件通達をめぐる都教委の一連の動きが,学校の教育自治の原理を一切否定する強権的なものであり,是認し難いとの点にあるとみられることからすると,本件不起立行為は国旗・国歌条項の実施についての都教委の関与・介入に対する抗議としての一種の示威行動とも評価し得るものであるから,本件不起立行為の態様が消極的・受動的なものにすぎないとする原告らの主張〔1〕は,本件不起立行為の一側面のみを取り上げるものであって,採用し難い。  また,証拠(甲4の9〜11,71の1〜4,73)によれば,原告らが主張するように,原告X10は,平成7年及び平成10年にいずれも在籍専従休職中にストライキ遂行の唆しなどに関して,それぞれ停職5日,停職1日の懲戒処分を受けたこと,また,平成3年の卒業式に当たり国旗の掲揚を妨害したことなどにより戒告処分とされた都立高校教職員が,平成16年の定年後再雇用され,翌年も更新されたことが認められる。しかしながら,前者については,先にされた懲戒処分に係る非違行為は,事柄の性質上再度の非違行為に及ぶおそれは低いものであり,また,後者については,懲戒処分から13年を経ているなどの事情があり,本件不起立行為とは,その内容はもとより,非違行為がされた時期を異にするなど,その基礎とする事情が異なるのであるから,これらを同列に論ずることはできない。よって,原告らの主張〔2〕も採用することができない。 エ さらに,原告らは,〔1〕本件不起立行為を理由としてされた本件合格取消しは,原告らの思想及び信条を理由にした差別である,〔2〕都教委は本件通達の発出を契機に再雇用職員の採用選考の合格者の取扱いを変更したが,取扱いを変更する旨を事前に通知せずにされた本件合格取消しは適正手続を欠く,〔3〕本件合格取消しは原告らに対する弁明・聴聞手続がされていないため,この意味でも適正手続を欠くなどとして,本件合格取消しが違法であるとも主張する。しかしながら,本件合格取消しは本件不起立行為を理由としてされたのであり,原告らの思想及び良心を理由としたものではないから,上記〔1〕の主張は理由がない。また,都教委が再雇用職員の採用選考につき従前の確立した取扱いを変更したものと認めるべき根拠はない上,本件通達の発出により,教職員が校長の職務命令に従わない場合は,服務上の責任を問われることは周知されていたばかりでなく,原告らは勤務校の校長からの説明などにより,本件不起立行為以前に職務命令違反をした場合には,採用選考の合格が取り消される可能性自体は認識していたとみられ(前提となる事実(4),ア及び甲2の6・2頁,7の23・9頁,証人K・7〜8頁,原告X2・26頁,同X5・23頁,同X9・5頁,同X3・11頁,弁論の全趣旨),仮に,原告らが主張するような事前通知がされなかったとしても,このことをもって本件合格取消しが直ちに違法となるものではないから,上記〔2〕の主張も理由がない。さらに,証拠(甲1の14,2の6,3の12,4の3,6の11,7の23,8の2,9の5,17の8)によれば,原告らは本件不起立行為の後に都教委から事情聴取の機会が与えられたが,原告X6,同X10,同X9,同X7,同X3については,同人らが弁護士の立会いやメモの録取を求めたが,都教委側がこれを拒否したため,現実には事情聴取が行われなかったことが認められるところ,この事情聴取で弁護士の立会いやメモの録取を認めなければならない法的根拠は見いだし難いから,本件合格取消しにつき原告らに対する弁明・聴聞手続がされなかった違法があるとはいえず,上記〔3〕の主張も理由がない。 オ そして,以上を総合すると,原告らがいったん再雇用職員の採用選考に合格したとしても,その後に生じた事情として新たに職務命令に反する非違行為があった以上,これをも勘案して改めて採用の可否を判断することはもとより許されるところであり,原告らの非違行為が,その信念に根ざすものであることからすると,新年度の入学式や翌年の卒業式においても更に繰り返される可能性も高いこと,再雇用制度に定年後の生活保障の意味合いがあるとしても,それは飽くまでも1年ごとの任命であって,一般の教職員の地方公務員としての身分保障とは本質的に異なること,その他上記判示の諸事情を総合考慮すれば,本件合格取消しにより原告らが職を失うこととなったとしてもやむを得ないとすることが,なお合理性に欠けるとまで断ずることは困難であり,したがって,本件合格取消しに至った都教委の裁量判断が,社会通念に照らして著しく不合理であるとまでいうことはできない。 (5)以上によれば,本件合格取消しは都教委の裁量を逸脱・濫用してされたものとは認めるに足りないから,これが国賠法上の違法を構成するとはいえず,それゆえ,その余の点を判断するまでもなく,原告らの国賠法に基づく損害賠償請求は理由がない。 第4 結論  以上の次第で,全原告らの請求はいずれも理由がないから,棄却することとし,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第11部 裁判長裁判官 佐村浩之 裁判官 篠原淳一 裁判官 土田昭彦は,転官のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 佐村浩之 ------------------------------------------------------------ (別紙1)当事者等目録 略 (別紙2) 入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針 1 国旗の掲揚について  入学式,卒業式等における国旗の取扱いは,次のとおりとする。 (1)国旗は,式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。 (2)国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合,国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左,都旗にあっては右に掲揚する。 (3)屋外における国旗の掲揚については,掲揚塔,校門,玄関等,国旗の掲揚状況が児童・生徒,保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。 (4)国旗を掲揚する時間は,式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。 2 国歌の斉唱について  入学式,卒業式等における国歌の取扱いは,次のとおりとする。 (1)式次第には,「国歌斉唱」と記載する。 (2)国歌斉唱に当たっては,式典の司会者が,「国歌斉唱」と発声し,起立を促す。 (3)式典会場においては,教職員は,会場の指定された席で国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する。 (4)国歌斉唱は,ピアノ伴奏等により行う。 3 会場設営等について  入学式,卒業式等における会場設営等は,次のとおりとする。 (1)卒業式を体育館で実施する場合には,舞台壇上に演台を置き,卒業証書を授与する。 (2)卒業式をその他の会場で行う場合には,会場の正面に演台を置き,卒業証書を授与する。 (3)入学式,卒業式等における式典会場は,児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。 (4)入学式,卒業式等における教職員の服装は,厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。 以上 (別紙3) 都立高等学校における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針 1 国旗の掲揚について  入学式や卒業式などにおける国旗の取扱いは,次のとおりとする。なお,都旗を併せて掲揚することが望ましい。 (1)国旗の掲揚場所等 ア 式典会場の正面に掲げる。 イ 屋外における掲揚については,掲揚塔,校門,玄関等,国旗の掲揚状況が生徒,保護者,その他来校者に十分に認知できる場所に掲揚する。 (2)国旗を掲揚する時間  式典当日の生徒の始業時刻から終業時刻までとする。 2 国歌の斉唱について  入学式や卒業式などにおける国歌の取扱いは,次のとおりとする。 (1)式次第に「国歌斉唱」を記載する。 (2)式典の司会者が「国歌斉唱」と発声する。 以上 (別紙4) 平成11年通達の内容 1 教職員に対しては,入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の意義について,学習指導要領に基づき説明し,理解を求めるよう努めるとともに,併せて,国旗・国歌法制定の趣旨を説明すること。 2 生徒に対しては,国際社会に生きる日本人としての自覚及び我が国のみならず他国の国旗及び国歌に対する正しい認識とそれらを尊重する態度が重要であることを十分説明すること。 3 保護者に対しては,学校教育において,生徒に国旗及び国歌に対する正しい認識やそれらを尊重する態度の育成が求められていること,学校は入学式及び卒業式において国旗掲揚及び国歌斉唱の指導を学習指導要領に基づき行う必要があることなどを時機をとらえて説明すること。 4 校長が国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり職務命令を発した場合において,教職員が式典の準備業務を拒否した場合,又は式典に参加せず式典中の生徒指導を行わない場合は,服務上の責任を問われることがあることを教職員に周知すること。 以上 (別表1)請求金額等整理表 略 (別表2)本件職務命令に関する個別事項整理表 略