◆ H21.07.16 横浜地裁判決 平成17年(行ウ)第41号等 国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件=神奈川・こころの自由裁判(国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件) 事案の概要: 神奈川県立学校に勤務する教諭、実習助手、事務職員、技能職員及び非常勤の嘱託員である原告らが、国旗に向かって起立して国歌を斉唱することを強制されることは、原告らの思想・良心の自由を侵害し、教育に対する不当な支配の禁止に反するなどと主張して、被告神奈川県に対し、県立高校の入学式、卒業式の式典において、国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務のないことの確認を求めた事案で、起立斉唱命令が、直ちに原告らの有する世界観ないし歴史観及び信念それ自体を否定するものと認めることはできず、原告らの思想及び良心の自由を侵害するものとして、憲法19条に反するとはいえないとし、請求を棄却した事例。 平成21年7月16日判決言渡 同日原本領収 横浜地方裁判所 平成17年(行ウ)第41号 国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件(以下「A事件」という。) 平成18年(行ウ)第5号 国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件(以下「B事件」という。) 平成18年(行ウ)第45号 国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件(以下「C事件」という。) 平成19年(行ウ)第17号 国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件(以下「D事件」という。) 平成19年(行ウ)第84号 国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件(以下「E事件」という。) 平成20年(行ウ)第61号 国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件(以下「F事件」という。) 口頭弁論終結日 平成21年2月5日     主   文  原告らの請求をいずれも棄却する。  訴訟費用は原告らの負担とする。     事実及び理由 第1 請求  原告らと被告との間において,原告らが,それぞれ,その所属する学校の入学式,卒業式に参列するに際し,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務のないことを確認する。 第2 事案の概要  本件事案の概要は,次のとおりである。  原告らは,神奈川県立高等学校及び神奈川県立特別支援学校(盲・聾・養護学校。以下,神奈川県立高等学校と併せて「県立学校」という。)に勤務する教諭,実習助手,事務職員,技能職員及び非常勤の嘱託員である。神奈川県教育委員会(以下「県教委」という。)は,同教育長(以下,単に「教育長」という。)名で,平成16年11月30日,県立学校の各校長に対し,「入学式及び卒業式における国旗の掲揚及び国歌の斉唱の指導の徹底について(通知)」(甲1,乙2。以下「本件通知」という。)を発して,県立学校の入学式,卒業式において,国旗を式場正面に掲げるとともに,国歌の斉唱は式次第に位置付け,斉唱時に教職員は起立して国歌を斉唱すること,国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり,教職員が本件通知に基づく校長の職務命令に従わない場合や式を混乱させる等の妨害行動を行った場合には,服務上の責任を問い,厳正に対処していくことを教職員に周知することなどにより,各学校が入学式,卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通知した。本件は,原告らが,国旗に向かって起立して国歌を斉唱することを強制されることは,原告らの思想・良心の自由を侵害し,教育に対する不当な支配の禁止に反するなどと主張して,原告らが被告に対し,県立学校の入学式,卒業式の式典において,国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務のないことの確認を求めた事案である。 1 争いのない事実等(争いがないか後掲証拠又は弁論の全趣旨により認められる事実) (1)当事者等 ア 原告ら  原告らは,それぞれ,別表1ないし6の原告目録の「勤務校」欄記載の各県立学校の教職員であり,被告における職種としては,同目録の「職種」欄記載のとおり,原告P1が事務職員たる副主幹(神奈川県立学校の事務職員等の職の設置等に関する規則(昭和43年神奈川県教育委員会規則17号。乙1)5条3項,7条1項),原告P2が技能職員たる技能技員(同規則2条,6条,7条),原告P3が実習助手(学校教育法60条4項。実習助手は,教育公務員特例法にいう「教員」には当たらないが(同法2条2項参照),教員の採用・昇任,給与,研修等に関する同法の規定が実習助手にも準用される(教育公務員特例法施行令10条2項)。),その余の原告が教諭(学校教育法62条及び82条が準用する同法37条11項)である。なお,原告P4は,教諭(地方公務員法28条の4及び28条の6に規定する再任用職員)の職にあったところ,平成19年3月31日付けで退職し,同年4月1日付けで非常勤の嘱託員(地方公務員法3条3項3号)となった。 イ 被告  被告は,地方自治法180条の5第1号,地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)2条に基づき,県教委を設置している。県教委は,地教行法23条3号に基づき,県立学校の教職員について,任免その他の人事に関する権限を有する行政庁であり,原告らに対する処分権者である。また,県教委は,地教行法23条1号,5号に基づき,県立学校の設置・管理・廃止,学校の組織編制,教育課程,学習指導,生徒指導及び職業指導に関する事項を管理・執行する権限を有し,教育長は,県教委の権限に属するすべての事務を統括している(地教行法16条1項,17条1項,20条1項)。 (2)関連法規等 ア 国旗及び国歌に関する法律  平成11年8月13日に公布,施行された国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号。以下「国旗・国歌法」という。)は,「国旗は,日章旗と」し,「国歌は,君が代とする。」と規定している(同法1条1項,2条1項。以下日章旗のことを「日の丸」という。)。 イ(ア)平成18年12月22日法律第120号による改正前の教育基本法(以下「旧教育基本法」という。)には,教育行政に関し,次の規定があった。 10条1項 教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 2項 教育行政は,この自覚のもとに,教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。 (イ)前記改正後の教育基本法には,教育行政に関し,次の規定がある。 16条1項 教育は,不当な支配に服することなく,この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり,教育行政は,国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下,公正かつ適正に行われなければならない。 2項 国は,全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため,教育に関する施策を総合的に策定し,実施しなければならない。 3項 地方公共団体は,その地域における教育の振興を図るため,その実情に応じた教育に関する施策を策定し,実施しなければならない。 4項 国及び地方公共団体は,教育が円滑かつ継続的に実施されるよう,必要な財政上の措置を講じなければならない。 ウ 学校教育法 (ア)学校教育法には,次の規定がある。 37条4項 校長は,校務をつかさどり,所属職員を監督する。 (同条は,同法62条で高等学校について,同法82条で特別支援学校についてそれぞれ準用されている。) 50条 高等学校は,中学校における教育の基礎の上に,心身の発達及び進路に応じて,高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。 51条 高等学校における教育は,前条に規定する目的を実現するため,次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 1号 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて,豊かな人間性,創造性及び健やかな身体を養い,国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。 2号 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき,個性に応じて将来の進路を決定させ,一般的な教養を高め,専門的な知識,技術及び技能を習得させること。 3号 個性の確立に努めるとともに,社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い,社会の発展に寄与する態度を養うこと。 52条 高等学校の学科及び教育課程に関する事項は,前2条の規定及び62条において読み替えて準用する30条2項の規定に従い,文部科学大臣が定める。 (イ)学校教育法52条を受けて同法施行規則84条は,高等学校の教育課程については,同規則第6章「高等学校」に定めるもののほか,教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとすると規定している。また、学校教育法施行規則129条は,特別支援学校高等部の教育課程については,同規則第8章「特別支援教育」に定めるもののほか,教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する特別支援学校高等部学習指導要領によるものとすると規定している(以下,高等学校学習指導要領と併せて単に「学習指導要領」という。)。 エ 学習指導要領  平成11年3月に告示された高等学校学習指導要領(乙6)は,「第4章 特別活動」の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定している(以下「国旗・国歌条項」という。)。なお,同月に告示された盲学校,聾学校及び養護学校高等部学習指導要領(乙7)の「第4章 特別活動」では,特別活動の目標,内容及び指導計画の作成と内容の取扱いについては,原則として,高等学校学習指導要領第4章に示すものに準ずると規定している。 オ 地方公務員法  地方公務員法には,次の規定がある。 32条 職員は,その職務を遂行するに当って,法令,条例,地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い,且つ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。 33条 職員は,その職の信用を傷つけ,又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。 (3)教育長通知  教育長は,平成16年11月30日,県立学校の各校長に対し,地教行法23条5号,17条1項に基づき,次の内容の本件通知を発し,県立学校における入学式,卒業式において,国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施することなどを通知し,以後,教育長は毎年同様の通知(以下「教育長通知」という。)を発している。 「入学式及び卒業式は儀式的行事であることを踏まえた形態とし,実施にあたっては教職員全員の業務分担を明確に定め,国旗は式場正面に掲げるとともに,国歌の斉唱は式次第に位置付け,斉唱時に教職員は起立し,厳粛かつ清新な雰囲気の中で式が行われるよう,改めて取組の徹底をお願いします。  また,これまで一部の教職員による式に対する反対行動が見受けられたところですが,各学校においては,このようなことのないよう指導の徹底をお願いします。  なお,教職員が校長の指示に従わない場合や,式を混乱させる等の妨害行動を行った場合には,県教育委員会としては,服務上の責任を問い,厳正に対処していく考えでありますので,適切な対応を併せてお願いします。」 (4)県立学校の各校長は,本件通知発令後に行われた入学式,卒業式の実施に際し,原告ら教職員(ただし,事務職員又は技能職員である原告らを含むかについては争いがある。以下同じ。)に対し,本件通知の内容を周知させた上,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱するよう命じた(県立学校の各校長による,このような内容の職務命令を,以下「起立斉唱命令」という。)。なお,これまで,起立斉唱命令が,名宛人を特定した文書によってされたことはない。また,県教委は,国歌斉唱時の教職員の不起立に対しては,粘り強く説得し,指導するという方針を採っているが,本件通知発令後,不起立を理由とする処分はしていない。 2 争点 (1)確認の利益の有無(本案前の抗弁) (2)原告らは,その所属する県立学校の校長から,起立斉唱命令が発せられた場合,これに従い,その所属する県立学校の入学式,卒業式に参列するに際し,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務を負うか。 3 争点に対する当事者の主張の要旨 (1)争点(1)(確認の利益の有無)について 【被告】 ア 確認対象としての紛争の成熟性を欠くこと  原告らは,本件訴訟の目的を現在の職務内容の確認請求であると主張し,実質的に学習指導要領及び教育長通知等に含まれる広義の職務命令についての違法確認を求めているものであるが,一般的,抽象的な職務内容の確認請求は確認対象としての紛争の成熟性に欠けており,不適法である。そして,原告らの本案の主張からすると,本件請求の趣旨は,将来個別に発せられる可能性のある校長の具体的な職務命令ないしそれに従わなかったことにより教育委員会により行われる可能性のある懲戒処分等の差止めという予防的請求の趣旨でされている確認請求と解するほかないところ,そう解したとしても,本件の事実関係のもとでは,やはり本件請求は紛争の成熟性に欠けており,確認の利益はない。 イ 事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情が存しないこと  予防的請求が認められるためには,当該義務の履行によって侵害を受ける権利の性質及びその侵害の程度,違反に対する制裁としての不利益処分の確実性及びその内容又は性質等に照らし,当該処分を受けてから,当該処分の取消しを求めたり,これに関する訴訟の中で事後的に義務の存否を争ったのでは回復し難い重大な損害を被るおそれがあるなど,事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合でなければならない(最高裁昭和47年11月30日第一小法廷判決・民集26巻9号1746頁。以下「長野勤評事件判決」という。)。本件においては,原告らに対して,従前文書訓告等の行政上の措置さえとられておらず,職務命令を拒否した場合に懲戒処分,再発防止研修の受講命令,定年後の再雇用拒否等がされるとの推認は成立せず,職務命令違反の度に懲戒処分等がされ,回数を重ねるごとにその程度も重くなっているとの事情もないから,原告らには事後的に義務の存否,処分の適否を争ったのでは回復し難い重大な損害を被るおそれなどの不利益は認められない。仮に,原告らに対し,行政上の措置である文書訓告等がされたとしても,これは行政訴訟の対象となる不利益処分には当たらず,また,懲戒処分がされたとしても,地方公務員法に基づき人事委員会に対する不服申立てが認められていることから(同法29条の2),事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情は存しないことが明らかである。  よって,原告らには,確認の利益がなく,本件訴えは不適法である。 ウ 事務職員又は技能職員である原告ら  事務職員である原告P1及び技能職員である原告P2は,児童・生徒に対する教育ないし指導のための式の遂行に直接に関わる職務を遂行するために入学式及び卒業式へ出席を求められるということがないから,確認判決によって除去されるべき権利又は法律的地位に対する危険又は不安定が現存しないことは明らかである。したがって,原告P1及び原告P2は,その職務上の地位との関係で本件訴訟における確認の利益を有しない。 エ 非常勤の嘱託員である原告  原告P4は,非常勤の嘱託員となり,原則として地方公務員法が適用除外になるため(地方公務員法3条3項3号,4条2項),不利益処分である分限処分又は懲戒処分がされる可能性はなく,事前の救済の必要性を認めるべきか否かについて判断する前提を欠くため,確認の利益がない。 【原告ら】 ア 原告らが,本件訴訟において選択した訴訟類型は,「公法上の法律関係に関する確認の訴え」(行政事件訴訟法4条後段)であり,確認の利益が認められるためには,〔1〕原告らの権利又は法律的地位に不安が現存し,〔2〕その不安を除去するために原告ら・被告間でその訴訟物たる権利又は法律関係の存否を確認することが有効適切であれば足り,事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情は要件とはならない。  教職員である原告らは,入学式及び卒業式における「君が代」の起立斉唱について,教育長通知に基づく職務命令及び被告の指導により思想良心の自由を侵害され,被告が行う不起立教職員の氏名収集によって,思想信条情報をその意に反して被告に保有され,また,給与の支給及び昇任昇格について不起立を理由にマイナス評価をされており,さらに,不起立・不斉唱による訓告懲戒処分のおそれがあるのであって,原告らの権利又は法律的地位に不安が現存すること(要件〔1〕)は明らかである。  そして,不起立・不斉唱による訓告懲戒処分の前提である「君が代」の「起立斉唱義務」の存否を争う方法としては,本件のような確認訴訟以外に実効性のある方法はなく,上記の不安を除去するために原告ら・被告間でその訴訟物たる権利又は法律関係の存否を確認することが有効適切であるのは明らかである(要件〔2〕)。  よって,原告らには,確認の利益がある。 イ 事務職員又は技能職員である原告らについて  教育長通知等が起立斉唱を要求する「教職員」は,教員のみならず「職員」である事務職員及び技能職員をも含む概念で,事務職員及び技能職員も,入学式及び卒業式へ出席することがあることからすれば,教育長通知により事務職員及び技能職員に対しても,起立斉唱が要求され,また,被告が,不起立であった事務職員の氏名も収集しているのは訓告懲戒処分を行う前提であると考えられることからすれば,事務職員又は技能職員である原告らについても権利又は法律的地位に対する危険又は不安定が現存し,確認の利益があることは明らかである。 (2)争点(2)(入学式,卒業式における国歌斉唱時の起立斉唱義務の存否)について 【被告】 ア 学習指導要領の国旗・国歌条項の法的拘束力  学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨は,国際化の進展に伴い,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,生徒が将来国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくために,児童・生徒に国旗・国歌に対して正しい認識を持たせ,これを尊重していく態度を育てることが重要であるから,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活への動機付けを行い,学校,社会,国家などの集団へ所属感を深める機会となる入学式や卒業式において,国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導することとしたものである。このような国旗・国歌条項による指導の趣旨は,学校教育法に定める各校種の教育の目標等(学校教育法21条3号,51条1号,72条)や,「教育は,人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と規定している教育基本法1条の趣旨に適うものである。また,国旗・国歌条項は,国旗・国歌を国の象徴として相互に尊重することが国際的な儀礼であること,児童・生徒が自国・他国の国旗・国歌を尊重する態度を育てるためには,入学式及び卒業式という重要な儀式的行事の際国旗を掲揚し,国歌を斉唱することが望ましいこと,このような国旗・国歌に対する教育は,全国的にされるべきであることなどから,教育における機会均等の確保と全国的な一定の教育水準の維持という目的のために制定されたものと考えられる。そして,国旗・国歌条項は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めるにとどまり,入学式及び卒業式を除いて国旗掲揚・国歌斉唱を行う儀式的行事を選択する余地も残されており,また,国旗・国歌条項に限らず,昭和33年に学習指導要領において国旗・国歌を扱うことが規定されて以降,一貫して,国際協調・国際理解との関係において小学校の音楽や小学校・中学校の社会における国旗・国歌の指導が定められている。以上によれば,国旗・国歌条項は,その内容が一義的であるとか,教職員に対し,国旗・国歌について一方的な一定の理論を生徒に教え込むことを強制するものとはいえず,必要かつ合理的な大綱的な基準として法的効力を有する。 イ 教育長通知及びこれに基づく校長の職務命令  国歌斉唱時の起立は,国際的に慣習として定着している万国共通のマナーであり,学校教育の儀式的行事の場においても,国歌斉唱時に起立することは,教育委員会からの通知の有無に関わりなく,社会的慣習として要請されている。県教委は,県立学校の入学式・卒業式においても学習指導要領に沿って国歌斉唱が実施されるようになったことに伴い,教職員の不起立の問題が顕在化したために,教育長通知の中で,国歌斉唱時の起立に関しては慣習として存在する社会的要請を認識し行動するよう,各学校の校長を通じて各教職員に求めているにすぎない。教育長通知による指示は,学習指導要領に規定されている国旗掲揚及び国歌斉唱については具体的な指示を行う一方,その余の事項については特に指示せず,各校長の裁量に委ねていることから,国旗及び国歌に関する社会通念に照らし相当で,教育委員会の裁量の範囲内のものであることは明らかである。  また,入学式及び卒業式は,学習指導要領の関係規定,教育委員会の通知等の範囲において,校長がその裁量により式次第等式の実施全般について決定し,決定した事項の遂行について,校長は,所属職員の監督権に基づき,必要に応じて各職員に職務命令を発することができ,その裁量を逸脱しない限り職務命令が違法となることはない。  そして,教育長通知は,県立学校の各校長に対して発せられたものであり,原告らに対して発せられたものではなく,教育長通知により原告らが直ちに国歌斉唱義務を負うことはないが,原告ら教職員は,生徒に対して国歌斉唱の指導を行うため,入学式,卒業式等において,式の参加者として式次第に従って,国歌斉唱時に起立することが職務内容の一部となっており,校長から教育長通知に基づいた起立斉唱命令を受けた場合には,国歌斉唱時に起立して斉唱する義務を負っている。  なお,管理職又は教育職員ではない職員も,学校の職員として学校行事である式に参加する以上は,その式次第に従い,運営に協力することは,広く学校職員としての職務に関連するものであり,学校職員が定められた式次第に従わないという状況は,式に参列する来賓や保護者に不信感を抱かせ,ひいては式の円滑な進行の妨げとなり得ることからすれば,管理職又は教育職員ではない職員についても,国歌斉唱時に起立をすることを求める必要性が認められ,校長から起立斉唱命令を受けた場合には,国歌斉唱時に起立して斉唱する義務を負っている。 ウ 思想・良心の自由の侵害について  儀式的行事の場における国歌斉唱時の起立は,国際的に慣習として定着している万国共通のマナーであり,学校教育の儀式的行事の場においても,教育委員会からの通知や校長の指示の有無に関わりなく,全国の学校教育の中で定着している社会的慣習である。したがって,入学式・卒業式における国歌斉唱時に起立する行為は,公立学校の教職員にとって通常想定されるものであって,客観的にみてその行為が特定の思想を有することを外部的に表明する行為であると評価することはできず,また,式における国歌斉唱時に起立すること自体が原告らの世界観,人生観等に直接結び付くものでもない。特に,県立学校においては,各学校において校長が県教委からの通知を受けて入学式・卒業式の国歌斉唱時に起立することを毎年繰り返し求めているのであるから,そうした職務上の指示ないし命令に従ってなされる行為が特定の思想を有することを外部に表明する行為であると評価することは一層困難である。そうすると,県教委による教育長通知等を受けた校長が,原告らに対して入学式の国歌斉唱時に起立するように指示ないし命令することは,原告らに対して特定の思想を持つことを強制したり,これを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要したものでもなく,児童・生徒に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制したものとみることもできない(最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁参照)。 【原告ら】 ア 学習指導要領の国旗・国歌条項,教育長通知に基づく義務について  学習指導要領の国旗・国歌条項については,入学式,卒業式の実施方法や国旗,国歌の取扱いは各学校で自由に検討すべき事項であり,全国的に共通な基準を設定する必要性がないこと,入学式,卒業式という特定の行事に,国旗を掲げ,国歌を斉唱するという特定の指導を行うべきことを定めるのは細目について詳細を定めるものであること,社会的には国旗・国歌についての消極的あるいは否定的評価が存在するにもかかわらず,国旗を掲揚し国歌を斉唱するという一方的な内容だけを指導することは中立性を欠くことからすれば,教育における機会均等の確保と全国的な一定水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を超えるものであり,法的拘束力は認められない。  教育長通知は,県教委が校長に対して発令したものではあるが,その内容は,国旗の掲揚の仕方等につき詳細を定めるほか,教職員が起立して国歌を斉唱するよう一律に求めた上,これに従わない場合には服務上の責任を問う旨言明するなど強制にわたるものである。これは,学習指導要領の国旗・国歌条項を独自に解釈して,一律かつ詳細に国旗掲揚,国歌斉唱の方法,起立等に関して指示・命令を行うものであり,これにより各学校及び教職員らがその裁量に基づいて自由に国旗掲揚,国歌斉唱に関する事柄を決定,実施する余地を奪い去るものであるから,大綱的基準の限度を超え,県教委に許容された教育内容に関する権限の限界を逸脱し,違法である。仮に,県教委が教育長通知を発令する権限を有するとしても,教育長通知は実質的にみて,県教委が教育に介入することが許される必要かつ合理的な範囲にとどまるといえず,旧教育基本法10条1項(教育基本法16条1項)が禁止する教育に対する「不当な支配」に該当し,違法である。  したがって,原告らは,学習指導要領の国旗・国歌条項,教育長通知に基づく起立斉唱命令に従って,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務を負っていない。 イ 思想良心の自由の侵害について  原告らは,それぞれ,〔1〕過去の歴史的な経緯などから日の丸,君が代を否定的に評価するという歴史観,世界観,あるいは,〔2〕公的機関が公的儀式において,参加者に国旗・国歌について一律に行動すべきことを強制することを是としない自由主義,個人主義の思想,〔3〕児童,生徒の自由で自律的な判断を保障すべき教育において,国旗・国歌を基軸とする一方的国家観を注入するべきでないとする教育信念を有し,これらはいずれも憲法19条により保護される個人の内心の核心部分であるといえる。  憲法19条は,公権力が個人に特定思想(狭義)の表明を強制することを禁じるものと解すべきであるところ,教育長通知に基づく起立斉唱命令の下での国歌の起立斉唱は,国家至上主義的な特定思想の表明行為であり,原告らの思想良心の内容を審査するまでもなく,思想良心に対する制約性がある。予備的に,教育長通知に基づく起立斉唱命令の下での国歌の起立斉唱が特定思想の表明行為でないとしても,憲法19条は,公権力が個人に敬意という内心的要素を含む行為を強制することを禁じるものと解すべきところ,教育長通知に基づく起立斉唱命令は,国旗・国歌に対する敬意を強制するものであり,原告らの内心の核心部分と衝突を生じ,原告らの内心の核心と,敬意という内心的要素の表現行為の拒否とは強い論理的な関連性があり,思想良心に対する制約性が認められる。また,原告らの思想良心の自由を保障することが,子供の学習権を侵害するという関係に立つ場合には,思想良心の自由の制約が正当化される場合もありうるが,教育長通知に基づく起立斉唱命令の下での国歌の起立斉唱は,生徒にとっても特定の意見の教授となるものである。教育長通知に基づく起立斉唱命令は,教職員に,生徒に対する特定の意見の教授を強制するものであるから,それに協力しないことが生徒の学習権の侵害にはなるとはいえず,子供の学習権侵害を理由として思想良心の制約を正当化することはできない。仮に,生徒にとって特定の意見の教授となるものではないとしても,マナー育成などの目的を達成するために教職員全員に起立させて敬意を表させることは不要というほかなく,教育長通知に基づく起立斉唱命令による国歌の起立斉唱が必要とはいえないから,思想良心の制約を正当化できない。  そして,公務員であっても人権保障が及ぶところ,かかる人権が制限されるのは人権相互の調整原理である公共の福祉による例外的な場合に限られ,職務の公共性や全体の奉仕者という抽象的な理論によって公務員に対する一般的な人権の制約を正当化することは許されない。  したがって,教育長通知に基づく起立斉唱命令による国歌の起立斉唱の強制は,原告らの思想・良心の自由を侵害するものであり,憲法19条に違反する。 ウ 子どもの権利への侵害  教師は,教育現場において直接子どもに接する者として,子どもの教育への権利(憲法26条,児童の権利に関する条約28条,29条),意見表明権(児童の権利に関する条約12条),子ども及びその父母の思想良心の自由及び信教の自由(憲法19条,20条,児童の権利に関する条約14条)を保障する重要な職責を負っているところ,起立斉唱命令により国旗・国歌に対する起立・斉唱を教師に強制することは,その職責を全うさせないようにするばかりか,子どもの諸権利を侵害する立場に追い込む効果を有しており,適法な職務命令たりえない。 第3 争点に対する判断 1 前提事実  前記争いのない事実等,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件に関し,以下の事実が認められる。 (1)国旗・国歌と学習指導要領の改訂 ア 文部大臣(現在は文部科学大臣。以下,時期を問わず「文部大臣」という。)は,昭和35年10月,「高等学校学習指導要領」(文部省告示第94号)を定めたが,当時の同指導要領中の「第2節 学校行事等」,「3 指導計画作成および指導上の留意事項」には,「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には,生徒に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに,国旗を掲揚し,君が代をせい唱させることが望ましい」と定められていた。  そして,平成元年3月,文部大臣は文部省告示第26号により「高等学校学習指導要領」を改訂し,同指導要領の「第3章 特別活動」,「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」において,国旗・国歌条項(前記第2の1(2)エ)が定められるに至り,同条項は平成11年3月の文部省告示第58号の学習指導要領にそのまま引き継がれた。(甲36の4,36の7,乙6,弁論の全趣旨) イ そして,平成11年12月に文部省が著した「高等学校学習指導要領解説」には,国旗・国歌条項につき下記のとおり解説されている。(乙8)        記  国際化の進展に伴い,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。学校において行われる行事には,様々なものがあるが,この中で,入学式や卒業式は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活の展開への動機付けを行い,学校,社会,国家など集団への所属感を深める上でよい機会となるものである。このような意義を踏まえ,入学式や卒業式においては,「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」こととしている。入学式や卒業式のほかに,全校の生徒及び教職員が一堂に会して行う行事としては,始業式,終業式,運動会,開校記念日に関する儀式などがあるが,これらの行事のねらいや実施方法は学校により様々である。したがって,どのような行事に国旗の掲揚,国歌の斉唱指導を行うかについては,各学校がその実施する行事の意義を踏まえて判断するのが適当である。なお,入学式や卒業式などにおける国旗及び国歌の指導に当たっては、国旗及び国歌に対する正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てることが大切である。 (2)本件通知発令に至る背景事情 ア 文部省ないし文部科学省(以下,時期を問わず「文部省」という。)は,平成元年以降毎年度,各都道府県,政令指定都市の教育委員会等に対し,所管する公立小・中・高等学校の入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況につき照会するとともに,同照会による結果を各都道府県等の教育委員会等に対して告知し,また,併せて学習指導要領に基づく入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導を徹底するよう通知していた。(甲2,13,乙24) イ 他方,平成元年改訂の学習指導要領に定められた国旗・国歌条項に対しては,第二次世界大戦におけるアジア侵略において「日の丸」,「君が代」が我が国の象徴として用いられたとの理解の下,国旗掲揚・国歌斉唱に反対する教職員も少なくなかった。  平成5年度卒業式及び平成6年度入学式における統計によると,一部の都道府県を除き,小学校,中学校,高等学校ともに国旗・国歌の実施率が100パーセントとなっている都道府県が多い中で,神奈川県の実施率は,どの校種においても全国平均を下回っており,高等学校における国歌斉唱の実施率は,卒業式3.0パーセント,入学式2.4パーセントにすぎなかった。神奈川県の高等学校における国旗掲揚の実施率は,卒業式86.9パーセント,入学式92.3パーセントであるものの,その実施形態は,式場外の校庭の国旗掲揚ポール等や玄関に掲揚することが多く,掲揚する時間帯や時間の長さについても,式の開始前の時間帯や短時間に限ることもあった。(甲5,乙24,32,33,40,41,証人P5) ウ 県教委は,平成元年改訂の学習指導要領の本格施行に先立ち,平成6年1月13日付けで,教育長から各県立学校長あてに,学習指導要領の本格実施にあたっての留意事項等に関する通知を行い,国旗・国歌の指導について,学習指導要領の趣旨に則った国旗・国歌の取扱いを行うことについて教職員に周知徹底を図ることなどを各校長に求めた。(甲4,乙17)  続いて,平成8年1月23日付けの各県立学校長あて教育長通知において,平成6年当時の通知と同様の旨を記載し,さらに国歌斉唱の実施率が極めて低いことにも触れ,式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施を求めた。(甲6)  平成8,9年度当時においても,教職員による国旗掲揚・国歌斉唱に対する反対運動が根強くあり,国旗掲揚・国歌斉唱の実施をめぐり職員会議での話合いは紛糾し,教職員の中には,「国旗国歌強制反対」と記載した看板を設置したり,ビラを配布したり,職員室の机に三角柱を立てたりした者がいたほか,校長,教頭等の管理職の職員が校庭の国旗掲揚ポール等に国旗を掲揚する際に複数の教職員がその周囲を囲み,日の丸掲揚反対の旨のシュプレヒコールをあげるということもあった。当時,国歌を扱う学校は次第に増加していたが,その場合も,式の中で斉唱を行うのではなく,「開式のことば」の前に録音された演奏を再生するだけにとどめるいわゆる「メロディー実施」の形態が多数を占めていた。(甲89,乙41ないし45,85,証人P5,証人P6)  平成10年10月15日付けの文部省初等中等教育局長通知において,「一部の都道府県において依然として実施率が低い状況があります」との指摘があり,平成9年度卒業式及び10年度入学式の統計においても,神奈川県の高等学校における国歌斉唱の実施率は,卒業式6.0パーセント,入学式7.1パーセントであり,全国平均実施率約80パーセントと比較して極めて低い状況にあったことなどから,県教委は,平成11年2月12日付けの各県立学校長あて教育長通知において,国旗掲揚・国歌斉唱の指導の徹底を求めた。(甲2,24,41) エ 平成11年8月13日,国旗・国歌法が公布・施行され,同法の制定に伴い,文部省から同年9月17日付けで「この法律の制定を機に,国旗及び国歌に対する正しい理解が一層促進されるようお願い致します。」との通知があった。  県教委は,国旗・国歌法の制定や文部省通知を受けて,平成11年11月5日付け各県立学校長あて教育長通知(以下「平成11年度通知」という。)において,国旗掲揚・国歌斉唱の指導の徹底を求めるとともに,「教職員が校長の指示に従わない場合や妨害行動を行った場合には,服務上の責任を問われることがあることについても周知徹底して下さい。」とした。(甲10の2,11)  その後,県教委は,国旗・国歌の指導に関する各県立学校長あて教育長通知として,平成12年12月4日付け通知,平成13年12月13日付け通知,平成14年12月16日通知,平成15年12月5日付け通知を発し,国旗掲揚・国歌斉唱の指導の徹底を求めた。なお,国旗の掲揚方法について,平成13年12月13日付け通知では,「国旗は式場正面に掲げることを基本とし」と規定され,さらに,平成15年12月5日付け通知では,「国旗は式場正面に掲げ」(基本とするとの文言が削除されている。)と規定されている。(甲14ないし16,乙47) オ 県教委は,平成11年3月,「高等学校教育課程研究集録 第9集」(以下「第9集」という。)を作成し,第9集には,「儀式的行事としての卒業式の指導例」として,「国旗の掲揚と国歌の斉唱を通じて,日本人としての自覚や国を愛する心を養うとともに,国旗・国歌を尊重し正しく認識する態度を育てる。」ことを目的に,体育館の壇上正面向かって左に国旗を,右に県旗を掲げ,国歌斉唱は式次第に位置付け,開式の言葉の後実施することなどが記載されている。(甲9) (3)本件通知発令の経緯 ア 平成11年度通知発令後,多くの県立学校の入学式・卒業式で国旗掲揚・国歌斉唱が実施されることとなり,平成11年度卒業式において国歌斉唱を実施しなかった県立学校は県立a高校を含め5校のみであり,平成12年度入学式においては国歌斉唱を実施しなかったのは県立a高校のみであった。県立a高校のP7校長は,平成12年4月3日及び同月14日に県教委から事情聴取を受け,平成12年度卒業式前には,平成13年2月27日に県教委から国歌斉唱を実施するよう指導を受け,同卒業式前日の同年3月2日付けで,教育長から,文書により「平成13年3月3日に貴校において実施する卒業式において,学習指導要領に基づき,国旗掲揚及び国歌斉唱を実施するよう,教育委員会の命により通知する。」との内容の職務命令を受けた。  結局,平成12年度卒業式及び平成13年度入学式には,全県立学校において式における国旗掲揚・国歌斉唱が実施されるようになったが,式に出席した来賓,保護者からは,国歌斉唱時の不起立等教職員の行動に対する対応を問われるようになった。(甲13,83,88,136,乙41,63ないし68,85,証人P7,証人P5,証人P6) イ その中で,東京都教育委員会教育長は,平成15年10月23日,都立高等学校長及び都立盲・ろう・養護学校長に対し,「児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てるために,学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。これにより,平成12年度卒業式から,すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校(以下,都立高等学校と併せて「都立学校」という。)で国旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが,その実施態様には様々な課題がある。このため,各学校は,国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について,より一層の改善・充実を図る必要がある」として,都立学校での入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の適正な実施を指示する旨の「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題する通達(15教指企第569号。以下「本件都通達」という。)を発し,国歌斉唱時の起立については,「式典会場において,教職員は,会場の指定された席で国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する。」ことを求めた。さらに,平成15年度卒業式及び平成16年度入学式の際,都立学校等の教職員が同通達を踏まえた校長の職務命令に従わず起立しなかった等として,同年3月末から5月下旬にかけて,小学校,中学校,都立学校の教職員232人に対し,戒告や減給の処分がされた。(甲38,乙48,49の2・3) ウ 神奈川県議会においても,平成16年9月定例会の本会議一般質問において,自由民主党の議員から,「国旗掲揚・国歌斉唱については,東京都と同様の毅然とした対応と,式後の実態調査,そして職務命令に従わなかった場合の教職員の処分等の必要があると思うが,どう考えているのか」という趣旨の質問があり,P8教育長は,「今後,各学校に対して,国歌斉唱時に起立することなども含めて厳粛に式を実施するよう,改めて通知し,指導していきたいと考えている。また,式の混乱を招くような行動に対しては勿論のこと,校長からの継続的な指導に従わない教職員については,厳正に対処していく」旨の答弁を行った。(甲18)  また,同定例会には,自由民主党,県政・県民,公明党の3会派の議員の紹介により,東京都と同様の指導の徹底(教職員は式典会場の指定された席で国旗に向けて起立し,国歌を斉唱すること,国旗掲揚・国歌斉唱の実施に当たり教職員が校長の指示に従わない場合や式典を妨害した場合は,服務上の責任を問うこと,県教委は実施要領に基づく実態調査を行い,県民に公表することなど)を求める内容の請願が提出され,同請願は文教常任委員会で直ちに採択され,その後本会議においても採択された。(甲17,乙61) エ 県教委は,前記定例会での教育長答弁及び請願等を踏まえ,平成16年11月30日,各県立学校長あて教育長通知で,入学式,卒業式において,国旗を式場正面に掲げるとともに,国歌斉唱は式次第に位置付け,国歌斉唱時に教職員は起立することなどを求める本件通知を発令した。(甲1,乙2,40,証人P5) (4)本件通知発令後の経緯等 ア 県教委は,各県立学校長にあてて,国旗・国歌の指導に関して,平成17年11月28日付けで,本件通知を添付した教育長通知を,平成18年11月30日付け及び平成19年11月30日付けで,「国旗及び国歌の指導についての基本的な考え方」という別紙を添付した教育長通知を発した。同「基本的な考え方」には,学校教育における国旗・国歌の指導は学習指導要領に基づいて行うものであること,また,「これからの国際社会に生きる児童・生徒に,国際社会で必要とされる基本的なマナーを身につけさせることは,学校教育において重要な意義をもつ」ことから,指導の一層の充実が求められていること,教職員に対しては,「学習指導要領に基づき,児童・生徒に国旗及び国歌の意義や,入学式や卒業式などの儀式的行事にふさわしい態度や行動を理解させることが求められ,指導にあたる教職員自身が範を示す必要」があり,「入学式や卒業式は,学校行事の中でも新しい生活への節目となる最も大切な行事の一つであり,児童・生徒の入学や卒業を心より祝う場となるよう取り組むことが期待」されることがそれぞれ記載されている。(甲45,99,乙54) イ 県教委が行った国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況の調査では,平成16年度卒業式及び平成17年度入学式において国歌斉唱時に不起立であった県立学校の教職員の人数は,平成16年度卒業式では75人(29校),平成17年度入学式は41人(17校),合計116人であった。(甲19ないし21の1・2,54の1・2,乙50)  平成17年3月の卒業式で教職員の起立状況の確認を行ったことに対し,県立学校の教職員6人が,思想信条に関する個人情報を取り扱っているとして,神奈川県個人情報保護条例(平成2年神奈川県条例6号。以下「個人情報保護条例」という。)に基づき,校長が指導した際のメモの廃棄と調査の中止を内容とする自己情報の取扱いの是正を県教委に申し出た。県教委は,同申出に対し,格別是正措置をとらないこととし,神奈川県個人情報保護審議会(以下「審議会」という。)に諮問したところ,審議会は,同年9月8日付けで,「県教委の収集した情報には個人を識別できる情報は含まれていないから,県教委の「是正を行わない」との結論は適当である」旨の答申を出した。(甲23) ウ 県教委は,平成17年度卒業式及び平成18年度入学式において,国歌斉唱時に不起立であった教職員の氏名や校長による指導の経過(以下「不起立教職員の氏名等」という。)の報告を求めることとし,平成17年10月24日の県立学校の校長を対象とした教育課程説明会において高校教育課長が口頭で説明した上,平成18年2月10日付け高校教育課長通知により実施し,平成18年度卒業式及び平成19年度入学式においても,同様の報告を求めた。(甲46,47,50,94,218の1ないし6,乙51,52)  県教委が,平成18年3月の卒業式,同年4月の入学式における不起立教職員の氏名等の報告を求めたのに対し,一部の教職員が,個人情報保護条例35条に基づき自己情報の利用停止を請求したところ,県教委は,いずれも利用不停止の決定(同条例38条1項)をした。教職員16人が,行政不服審査法による異議申立てを行ったため,県教委が,個人情報保護条例40条に基づき神奈川県個人情報保護審査会(以下「審査会」という。)に諮問したところ,審査会は,平成19年10月24日付けで,当該情報は,個人情報保護条例6条で原則として取扱いが禁止されている思想信条に該当する情報であり,同条ただし書に基づき,例外的に取り扱うことができる情報には該当しないが,同時に,教職員の服務に関する事務に係る情報としての側面を有することから,今後同様の情報を取り扱うときは予め審議会の意見を聴くことが相当である旨の答申を行った。(甲118) エ 県教委は,前記ウの審査会の答申を受けて,平成18年3月の卒業式以降平成19年4月の入学式までの不起立教職員の氏名等を記載した校長からの報告書を廃棄する一方,平成20年3月の卒業式以降の取扱いについて,審議会に諮問した。  審議会は,平成20年1月17日付け答申において,「条例6条ただし書において,思想信条情報を例外的に取り扱う事務の必要性について,当審議会が審議し了承することが予定されているのは,当該思想信条情報の取扱い自体は合憲であると容易に判断される場合や,その違憲性の疑いがさほど強くない場合であると解される」ところ,不起立教職員の氏名等の情報の取扱いの当否は憲法19条の思想・良心の自由の保障と深く関係しており,多様な考え方が存在し,訴訟上の争点ともなっていることから,「本件事務の正当性及び必要性を積極的に認めるという意味において,本件諮問の内容を適当とする答申を行うことはなし難い。」とした上で,本答申を踏まえて最終的にいかなる職権行使をするかは実施機関である県教委に条例上委ねられているところ,実施機関としては,既に審査会の答申内容は審議会への本件諮問によって履行されているものと考えられる旨答申した。  県教委は,同審議会の答申を受けて,平成20年3月の卒業式以降,改めて各校長に対し不起立教職員の氏名等の報告を求めた。(甲124,127,128,150,220,222,223,236の1ないし82,乙82) オ 県教委は,平成15年4月から教職員の人事評価システムを導入し,評価結果については,教職員の資質能力や意欲の向上を図り,また,能力と実績に応じた公正な処遇を行うため,研修等の人材育成や適材適所の人事配置に活用していくとともに,評価結果を蓄積して人事・給与上の処遇(昇給,勤勉手当の支給等)へも活用していくこととしているところ,県立学校の教諭の中には,「1学年担任でありながら入学式における国家斉唱時に起立しなかった。その後の校長による指導にも従わない旨を表明している。」,「儀式的行事の生徒指導面について課題が残る。」等,国歌斉唱時の不起立を理由として「学校運営」についての観察指導者の評価を「C(職務を遂行する上で通常必要な水準を満たしておらず,努力が必要)」とされた者もいる。(甲217,227,証人P6) 2 争点(1)(確認の利益の有無)について (1)ア 本件訴えは,原告らが被告に対して,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱する義務が存在しないことの確認を求める訴えであるところ,これは,「公法上の法律関係に関する確認の訴え」(行政事件訴訟法4条後段)に当たる。  確認の訴えは,確認の対象となり得るものが形式的には無限定である上,判決には既判力が認められるのみであるから,紛争について,権利の確認という解決手段が有効適切に機能するかという実効性及び解決を必要とする紛争が現実に存在するかという現実的必要性の観点から,確認の利益,すなわち,原告の権利又は法的地位に危険,不安が現に存し,その危険,不安を除去するために確認の訴えが必要かつ適切な手段といえることが必要であると解すべきである。  もっとも,公法上の法律関係の確認の訴えは,機能的には,後に予想される不利益処分等の予防的不作為訴訟の性質を有している場合もあり,そうした場合には,当該不利益処分等がされるのを待ってその適否を争わせることが合目的的であり,個人の権利救済にとってもそれで支障がないこともあり得る。また,一定の不利益処分の予防については,処分の差止めの訴えが法定され,かかる訴えが認められるためには,一定の処分等がされることにより重大な損害を生ずるおそれがあることが必要とされており(行政事件訴訟法37条の4第1項),公法上の法律関係の確認の訴えが将来の一定の処分の差止めの訴えと実質的に同視できるような場合には,差止め訴訟において「重大な損害」が要件とされていることとの均衡を図る必要もある。  そこで,公法上の法律関係の確認の訴えにおいて,確認の利益が認められるためには,行政の活動,作用等により,原告らの有する権利又は法的地位に対する危険,不安が現に存し,これを後の時点で事後的に争うより,現在,確認の訴えを認めることが当事者間の紛争の抜本的な解決に資し,有効適切といえることを要するものと解すべきである。 イ 以上を前提に,原告らに国歌斉唱時の起立斉唱義務の不存在の確認を求める利益があるか否かを検討する。  前記争いのない事実等及び前提事実によれば,〔1〕これまで,教育長通知は,県立学校における入学式,卒業式において国歌斉唱時に起立をしない教職員がいることなどを問題として,このような状況を改めるために発せられたこと(前記1(2),(3)),〔2〕これまで,県教委は,県立学校の各校長に対し,再三,教育長通知に基づき教職員に対して入学式,卒業式において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱するよう指導するよう求め,各校長はこれに従って起立斉唱命令を出したこと(前記第2の1(4)),〔3〕これまで,教育長通知には,「教職員が校長の指示に従わない場合や,式を混乱させる等の妨害行動を行った場合には,県教育委員会としては,服務上の責任を問い,厳正に対処していく考えでありますので,適切な対応を併せてお願いします。」と明記され,平成16年9月の神奈川県議会定例会の本会議一般質問において,教育長が,「式の混乱を招くような行動に対しては勿論のこと,校長からの継続的な指導に従わない教職員については,厳正に対処していく」旨答弁しており,本件通知発令前の平成8年6月19日には,県教委は,他校の卒業式で国歌斉唱時に着席したとして教職員1名及び同監督責任者1名をいずれも訓告処分としていること(前記第2の1(3),第3の1(3),甲44の1),〔4〕県教委は,平成17年度卒業式以降,県立学校の各校長に対し,不起立教職員の氏名等の報告を求め,各校長は同情報を県教委に報告していること(前記1(4)),〔5〕人事評価において,国歌斉唱時の不起立を理由にマイナス評価されることがあり,その場合には昇給や勤勉手当の支給等に影響があること(前記1(4)),〔6〕東京都では,平成15年度卒業式及び平成16年度入学式の際,本件都通達を踏まえた校長の職務命令に従わず国歌斉唱時に不起立であった都立学校の教職員に対し,戒告や減給の処分がされていること(前記1(3))がそれぞれ認められる。  上記〔1〕ないし〔6〕の各認定事実に照らすと,原告らは,今後も,県教委から教育長通知に基づく指導を受けた校長から入学式,卒業式において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱することについての職務命令を受けることは確実であり,かかる起立斉唱命令に反した場合に人事評価においてマイナス評価された場合,昇給・勤勉手当の支給に影響があり,起立斉唱命令に反して不起立が度重なれば,懲戒処分等の不利益処分を受けるおそれは相当に高いというべきであるから,原告らの権利又は法的地位に対する不安,危険は現に存在するといえる。  そして,起立斉唱命令が違法であった場合に侵害を受ける原告らの権利は,思想・良心の自由等の精神的自由権にかかわる権利であるから,そもそも事後的救済には馴染みにくい上,入学式,卒業式が毎年繰り返されることに照らすと,今後,原告らが,起立斉唱命令に反し,懲戒処分を受けたとして,その取消訴訟等の中で,入学式,卒業式において,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱する義務の存否及び当該処分の適否を争うことは迂遠というほかなく,上記義務の存否の確認の訴えを認めることが,抜本的な紛争解決に資し,有効適切であるというべきである。  よって,本件において,起立斉唱命令により原告らの有する権利又は法的地位に対する危険,不安が現に存し,これを後の時点で事後的に争うより,現時点において確認の訴えを認めることが当事者間の紛争の抜本的な解決に資し,有効適切といえ,原告らの被告に対する国歌斉唱時の起立斉唱義務の不存在確認の訴えについて,確認の利益が認められると解するのが相当である。 ウ この点について,被告は,本件訴えは,将来個別に発せられる可能性のある校長の具体的な職務命令又は同職務命令に反したことを理由とする懲戒処分等の差止めという予防的請求の趣旨でなされていると解するほかないとした上で,かかる予防的請求が認められるためには,当該義務の履行によって侵害を受ける権利の性質及びその侵害の程度,違反に対する制裁としての不利益処分の確実性及びその内容又は性質等に照らし,当該処分を受けてから,当該処分の取消しを求めたり,これに関する訴訟の中で事後的に義務の存否を争ったのでは回復し難い重大な損害を被るおそれがあるなど,事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合でなければならないところ(長野勤評事件判決参照),本件には上記特段の事情が認められないとして,本件訴えについて,確認の利益は認められないと主張する。  しかしながら,長野勤評事件判決は,教員らの自己観察表示義務の不存在確認請求について実質的には懲戒処分等の差止めを求めるものであり,予防的な無名抗告訴訟と解した上で,それが許容される要件を示した事案と解するのが相当であるところ,本件は,当事者訴訟としての公法上の法律関係に関する確認の訴えであり,その訴訟類型を異にする。また,長野勤評事件判決においては,実質的には将来の不利益処分の差止めを求める訴えと理解することが相当な事案であったのに対して,本件は,現に教育長通知に起因する職務命令により課されている国歌斉唱時の起立斉唱義務自体から生じる法的地位の不安並びに現在及び将来にわたって生じる昇格・給与上の不利益,懲戒処分等のおそれをそれぞれ除去するために国歌斉唱時の起立斉唱義務の不存在確認を求める事案であり,長野勤評事件判決とは事案を異にする。そうすると,長野勤評事件判決の射程は本件には及ばないと解するのが相当である。  したがって,この点に関する被告の主張は採用できない。 (2)事務職員、技能職員又は非常勤の嘱託員である原告ら ア 事務職員又は技能職員である原告ら  被告は,県立学校における管理職(管理職員等の範囲を定める規則(昭和41年神奈川県人事委員会規則20号)別表において校長,教頭,総括事務長,事務長等を指定。乙3)又は教育職員(教育職員免許法(昭和24年法律147号)1条)でない事務職員,技能職員である原告らは,児童・生徒に対する教育ないし指導のための式の遂行に直接に関わる職務を遂行するために入学式及び卒業式へ出席を求められるということがないから,確認判決によって除去されるべき権利又は法律的地位に対する危険又は不安定が現存しないことは明らかであり,確認の利益がないと主張する。  しかし,そもそも,教育長通知が国歌斉唱時の起立を求めているのは「教職員」であって,教諭はもちろんのこと,職員(学校教育法60条1項,同条2項,地方教育行政の組織及び運営に関する法律31条1項,神奈川県立学校の事務職員等の職の設置等に関する規則(乙1)2条)である「事務職員」,「技能職員」も当然に含まれると解される。そして,事務職員は,式の準備事務や出席者の受付等式に付随する事務に従事するため,技能職員は,式の準備又は片付け等の業務に従事するため,その職務として入学式及び卒業式に参加することがあり,式に参加する以上は,学校職員として,式次第に従い,国歌斉唱時に起立することが求められることは被告も認めるところである。実際に,本件通知発令後,県教委に対して国歌斉唱時に不起立であった教諭の氏名のみならず,事務職員である原告P1の氏名も報告されていること(甲216,甲各1032,乙72,原告P1本人)からすれば,事務職員又は技能職員である原告らについても,教諭である原告らと同様に,校長からの起立斉唱命令に反し不起立を度重ねれば,懲戒処分等の不利益処分を受けるおそれがあり,原告らの有する権利又は法的地位に対する危険,不安が現に存すると認められるから,この点に関する被告の主張は採用できない。 イ 非常勤の嘱託員である原告  被告は,非常勤の嘱託員である原告P4については,原則として地方公務員法が適用除外になるため(同法3条3項3号,4条2項),不利益処分である分限処分又は懲戒処分がされる可能性はなく,事前の救済の必要性を認めるべきか否かについて判断する前提を欠き,確認の利益がないと主張する。  原告P4は,教諭(再任用職員)の職にあったところ,退職後,非常勤の嘱託員となったのであるが,地方公務員法3条3項は,「特別職は,次に掲げる職とする。」として,同項3号で,「臨時又は非常勤の顧問,参与,調査員,嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職」とし,同法4条2項は,「この法律の規定は,法律に特別の定がある場合を除く外,特別職に属する地方公務員には適用しない。」と規定していることから,嘱託員である原告P4に対しては,原則として同法の適用がなく,同法の分限処分,懲戒処分(同法第5節)がされる可能性はない。しかしながら,教育長通知が国歌斉唱時の起立を求めている「教職員」には,嘱託員も「その他の所要の職員」(地教行法31条1項)として含まれることからすれば,嘱託員である同原告についても,教育長通知を踏まえた校長の起立斉唱命令に従わない場合には,再度の任用を希望する際等において不利益な取扱いを受けることがあり得るから,原告P4の有する権利又は法的地位に対する危険,不安が現に存すると認められる。地方公務員法上の分限処分,懲戒処分がされる可能性がないことを理由に確認の利益がないとする被告の主張は採用できない。 (3)以上検討したとおり,本件において,原告らの有する権利又は法的地位に対する危険,不安が現に存し,これを事後的に争うより,現時点において確認の訴えを認めることが当事者間の紛争の抜本的な解決に資し,有効適切といえるから,原告らの被告に対する国歌斉唱時の起立斉唱義務の不存在確認の訴えについては,いずれも確認の利益が認められる。 3 争点(2)(入学式,卒業式における国歌斉唱時の起立斉唱義務の存否)について (1)被告は,学習指導要領を踏まえた教育長通知に基づく各校長の起立斉唱命令により,原告ら教職員は,国歌斉唱時に起立して斉唱する義務を負うと主張するところ,以下,原告らの主張に即して,教育長通知に基づく各校長の起立斉唱命令の効力について判断する。 (2)原告らは,起立斉唱命令が,原告らの思想及び良心の自由を侵害し,憲法19条に反し無効であると主張するので,まずこの点につき判断する。 ア 別表1ないし6の原告目録の「陳述書」欄記載の原告らの各陳述書,甲134,134の2,135の1ないし6,170ないし172,174ないし180,214ないし216,原告P9本人,原告P10本人,原告P11本人,原告P12本人,原告P13本人,原告P14本人,原告P15本人,原告P16本人,原告P17本人,原告P1本人及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,それぞれ,〔1〕過去の歴史的な経緯などから日の丸,君が代を否定的に評価するという歴史観,世界観,あるいは,〔2〕公的機関が公的儀式において,参加者に国旗・国歌について一律に行動すべきことを強制することを是としない自由主義,個人主義の思想,〔3〕児童,生徒の自由で自律的な判断を保障すべき教育において,国旗・国歌を基軸とする一方的国家観を注入するべきでないとする教育信念を有していると認められる。  原告らの歴史観ないし世界観又は信条及びこれに由来する信念は,それぞれの人生体験,我が国の過去についての歴史認識や職業意識などにより個々の原告らにつきそれぞれ多元的に形成されたものであり,このような考えを持つこと自体は,思想及び良心の自由として憲法19条によって保障されている。 イ しかしながら,原告らが教育公務員として参加した学校行事としての入学式,卒業式において,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱することを拒否することは,原告らにとっては,上記のような歴史観ないし世界観又は信条に基づく一つの選択ではあり得るものの,一般的には,これと不可分に結び付くものではない。そして,儀式・式典の場において,何らかの歌唱を行う者が起立し,また,起立する際,会場正面に向けた体勢をとること自体は,儀式・式典において当然されるべき儀礼的行為であるところ,入学式,卒業式における国旗掲揚や国歌斉唱は,全国の公立高等学校では従来から広く実施されており,本件通知発令当時は,全県立学校においても,実施されるようになったのであるから(前記1(2),(3)),かかる式典の場において,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱すること自体は,式典の出席者等にとって通常想定され,かつ,期待される儀礼的な行為であり,これが前記第2の1(3),(4)のとおり,原告らの勤務校に所属する教職員全員に発せられる職務命令によりされるものであることを勘案すると,起立斉唱命令のとおりの行為をすることが,特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価することはできないから,起立斉唱命令が,特定の思想を強制し,又は禁止したり,特定の思想の有無について告白を強要したりするものということはできず,生徒らに対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものと見ることもできない。したがって,原告らに入学式,卒業式の国歌斉唱時に起立して斉唱することを命じる起立斉唱命令が,直ちに,原告らの有する世界観ないし歴史観及び信念それ自体を否定するものと認めることはできない(前掲最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決参照)。  また,原告らは,起立斉唱命令による国歌の起立斉唱が,国旗・国歌に対する敬意を強制するものと受け止めていると考えられるところ,国歌斉唱時の起立斉唱を命じる行為が原告らの内心領域における精神活動にも影響を与え得ることは否定できないとしても,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定め,地方公務員法は,地方公務員の地方公共団体の住民全体の奉仕者(同法30条)との特殊な地位及びこれが担っている職務の公共性にかんがみ,統一的で円滑な公務の遂行を確保する趣旨から,地方公務員による上司の職務上の命令に忠実に従うべき義務を課している(同法32条)。したがって,地方公務員法が適用される教諭,事務職員又は技能職員である原告らが上記のような義務を負うのはもちろんのこと,非常勤の嘱託員である原告も,公務員として法令等や上司の職務命令に従う義務を負っているといえる。しかも,文部大臣が学校教育法52条及び同法施行規則84条により定めた学習指導要領では,入学式,卒業式などで国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導する旨の国旗・国歌条項が置かれているところ(前記第2の1(2)),当該学習指導要領は高等学校教育における機会均等の確保と全国的な一定水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的基準を定めたものと解することができるから,基本的には法規としての性格を有するものと解され(最高裁判所昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,同平成2年1月18日第一小法廷判決・集民159号1頁参照),原告らは公教育に携わる公務員として,国旗・国歌条項にのっとった指導をする義務を負っているというべきである。この点,原告らは,国旗・国歌条項は,大綱的基準を超えており,法的拘束力がないと主張するが,国旗・国歌条項は,全国一律に規定することが相当な国旗,国歌の取扱いについて,抽象的な定めを置くにとどめており,教職員の創意工夫の余地や地方の特殊性や実情に応じた教育を排斥する内容ではないから,大綱的基準としての性質を有するものとしての法的拘束力が認められるというべきであり,原告らの主張は採用できない。そして,起立斉唱命令は,国旗,国歌に対する正しい認識を持たせ,尊重する態度を育てるという学習指導要領の国旗・国歌条項の目的にかなうものであるから,その目的,内容において不合理であるということはできない。  そして,各校長は,校務をつかさどり,所属する職員を監督する権限を有し(学校教育法62条,82条,37条4項),教育課程を学習指導要領の基準により編成し,各教職員に校務を分掌させることができる(神奈川県立高等学校の管理運営に関する規則(乙4)8条,19条,神奈川県立の盲学校,聾学校及び養護学校の管理運営に関する規則(乙5)6条,16条)。したがって,入学式及び卒業式における国旗国歌の取扱いについては,校務をつかさどり,所属職員を監督する権限を有する校長が,学習指導要領の基準に準拠してその権限と責任に基づいて行う校務というべきであるから,校長が行う国旗掲揚及び国歌斉唱に関する指示命令は,適法な職務行為に当たるというべきである。  以上のような観点からすれば,起立斉唱命令は,原告らの思想及び良心の自由を侵害するものとして憲法19条に反するとはいえない。 ウ 原告らは,起立斉唱命令は,教職員に国旗・国歌に対する起立・斉唱を強制するもので,子ども及びその父母の思想及び良心の自由,信教の自由等を保障する職責を担う教職員に,その職責を全うさせないばかりか,子どもの諸権利を侵害する立場に追い込む効果を有すると主張する。しかしながら,起立斉唱命令は,入学式,卒業式において原告らを含めた教職員が国歌斉唱時に起立して斉唱することを命ずることに尽き,直接的に生徒に対して起立等を求めるものではない。また,学校教育の現場において一定の権威的地位にある教職員が,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱することは,国旗・国歌条項に沿った指導を実践する教職員が生徒に範となる行動を示すものであって,教育の実践の面において,このような生徒の内心に対する一定程度の働きかけを伴うことは不可避であるから,これを直ちに強制と同一視し得ないことからすると,起立斉唱命令が生徒及びその父母の思想及び良心の自由等を侵害するものとはいえない。さらに,本件全証拠によっても,起立斉唱命令が宗教的な目的・趣旨を有し,また,その効果において一定の宗教を助長・援助するようなものであるとは認められないし,現時点での社会通念に照らせば,「日の丸」,「君が代」が国家神道と不可分な関係にあると認識されているともいえないから,生徒及びその父母の信教の自由を侵害するものとはいえない。  以上によれば,原告らの上記主張は採用できない。 (3)次に,原告らは,教育長通知は,旧教育基本法10条1項(教育基本法16条1項)が禁ずる教育に対する「不当な支配」に該当し,違法であり,これに基づく起立斉唱命令も違法であると主張するので検討する。 ア 教育長通知が地教行法23条5号に基づく管理・執行権限に基づいて県教委が同教委の所管する県立学校の校長に対して発するものであるのに対し,起立斉唱命令は学校教育法62条及び82条で準用される同法37条4項の校長の所属職員に対する監督権限に基づいて原告らの勤務校の校長から原告らに発せられるものであり,両者はその法的根拠を異にするから,教育長通知の違法性が当然にこれに基づく職務命令に承継されることはない。  もっとも,前記1(2),(3)で認定した事実によれば,教育長通知は県立学校の入学式,卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施方法につき,具体的な指示を定めるもので,県立学校が入学式,卒業式の式典の具体的な実施要領を決定する裁量は,教育長通知による具体的指示の範囲において制約される上,教育長通知が,各校長において起立斉唱命令を発する契機となることは明白であるから,教育長通知の違法性の有無を検討する。 イ 旧教育基本法10条1項は,戦前の我が国の教育が,国家による強い支配の下で形式的,画一的に流れ,時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があったことに対する反省に基づき,教育に対する権力的介入,特に公権力によるそれを警戒し,これに対して抑制的態度を表明したものと解され,現行の教育基本法16条1項も同趣旨であると解せられる。これらの規定は,教育本来の目的をゆがめるような不当な支配と認められる限り,地方公共団体の教育行政機関の法令に基づく行為にも適用があるというべきである。  そして,国の教育行政機関が法律の授権に基づいて普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,生徒の教育は,教師と子供との間において,弾力的に行わなければならないから,教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることを考慮した上で,教育に関する地方自治の原則(地教行法23条,32条,43条)を考慮し,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な範囲にとどめられるべきであるが,地方公共団体が設置する教育委員会が,教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,公立学校を所管する行政機関として,その管理権(地教行法23条5号)に基づき,学校の教育課程の編成や学習指導等に関して基準を設定し,一般的な指示を与え,指導,助言を行うとともに,必要性,合理性が認められる場合には,具体的な命令を発することもできると解される(最高裁昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁参照)。この点,原告らは,県教委による教育長通知も大綱的基準にとどまるべきであると主張するが,上記の国の教育行政機関と地方公共団体の教育委員会の機能の違いを考慮すれば,地方公共団体の教育委員会が,許容される目的のために必要かつ合理的と認められる定めを置くことは禁止されておらず,かつ,大綱的基準にとどめなければならないとする根拠はないというべきである。 ウ そこで,県教委が県立学校の各校長に対して発令する教育長通知が,許容される目的のために必要かつ合理的と認められる関与・介入と評価できるか否かについて検討する。  教育長通知は,学習指導要領の国旗・国歌条項に沿って,国旗,国歌の意義を理解し,それらを相互に尊重する態度を育てるという目的を実現,充実させるために発せられるものであり,この目的は,国際社会における主権国家の構成員として成長することが期待される児童・生徒らの教育目的として許容される範囲内のものということができる。そして,国旗,国歌に対する尊重の態度を養うために,入学式,卒業式という学校行事において,児童らを指導すべき立場にある教職員らが国歌斉唱時に起立して斉唱することには必要性,合理性が認められる。そして,前記1(2),(3)のとおり,平成11年度通知発令後の平成12年度卒業式及び平成13年度入学式には,全県立学校において国旗掲揚・国歌斉唱が実施されるようになったものの,式に出席した来賓,保護者からは,国歌斉唱時の教職員の不起立等の対応を問われるようになったことから,校長への職務命令として教育長通知が発せられたのであるから,本件通知及びその後の教育長通知発令についても,必要性及び合理性が認められるというべきである。  以上によれば,教育長通知は,国旗・国歌条項の内容を具体化する権限を有する県教委の権限によるもので,具体的な命令を発する必要性に基づくものとして,許容される目的に基づき,これを実現するために必要かつ合理的な関与・介入の範囲にとどまると評価するのが相当であるから,旧教育基本法10条1項及び教育基本法16条1項が禁ずる教育に対する「不当な支配」に該当するとはいえず,この点に関する原告らの主張は採用できない。 エ したがって,教育長通知は,旧教育基本法10条1項及び教育基本法16条1項が禁ずる教育に対する「不当な支配」に該当するとはいえず、これに基づく起立斉唱命令が違法であるということはできない。 (4)進んで,起立斉唱命令についての各校長の裁量権の逸脱・濫用の有無について判断する。  各校長が行う国旗掲揚及び国歌斉唱に関する指示命令が適法な職務行為に当たることは前示のとおりである。そして,学校が主催する行事(式典)において,教職員が定められた式次第に従わないという状況は,式に参列する来賓や保護者に不信感を抱かせて対外的な信用を失墜するほか,式の円滑な進行の妨げとなるおそれがあるから,校長が,入学式,卒業式に出席する教職員に対し,式次第に従って起立すべきことを命ずる必要性があることは否定できない。また,入学式,卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱は,国旗・国歌条項にかなうものである一方,式場に出席する教職員が国歌斉唱時に起立しないという状況は,上記教育効果を減殺するものであり,生徒に対する指導上も問題があることは明らかである。そうであれば,校長が教職員である原告らに対し,起立斉唱命令を発することが校長の有する裁量を逸脱・濫用するものとはいえない。 (5)以上によれば,原告らは,それぞれ,その所属する学校の校長から,生徒に対して国歌斉唱の指導を行うため,また,式の円滑な進行のため,入学式,卒業式において,式の参加者として式次第に従って,国歌斉唱時に起立する旨の起立斉唱命令が発せられた場合には,これに基づき,入学式,卒業式に参列するに際し,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務を負うものと解される。 第4 結論  以上検討した結果によれば,入学式,卒業式において,国歌斉唱時に,国旗に向かって起立し,国歌を唱和する義務のないことの確認を求める原告らの請求は,いずれも理由がないので棄却することとし,主文のとおり判決する。 横浜地方裁判所第7民事部 裁判長裁判官 吉田健司 裁判官 立野みすず 裁判官 丹下将克は,差支えにつき,署名押印することができない。 裁判長裁判官 吉田健司