◆ H21.09.09 大阪高裁判決 平成21年(行コ)第64号 大阪府立東豊中高校国歌斉唱時発言事件(懲戒処分取消請求控訴事件) 原審・大阪地方裁判所平成19年(行ウ)第171号 口頭弁論終結日平成21年7月8日     主   文 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は控訴人の負担とする。     事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決を取り消す。 2 大阪府教育委員会が控訴人に対してした平成14年5月16日付け戒告処分を取り消す。 第2 事案の概要等 1 事案の概要等は,当審において控訴人が次項のとおり主張したほかは,原判決「第2 事案の概要等」に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,次のとおり補正する。 (1) 原判決2頁「ウ」欄「被告は」を「府教委」と改める。 (2) 原判決9頁「@」欄4行目「職員会議が置くこと」を「職員会議を置くこと」と改める。 (3) 原判決11頁「エ」欄3行目から4行目にかけての「国歌への所属感」を 「国家への所属感」と改める。 2 当審での控訴人の主張 (1) 本件卒業式は,3年担任団の指導,援助を受けながら,卒業生が中心となってその企画,立案等に自主的に取り組んで,その準備が行われた(以下「本件準備活動」という。)。その間に,林校長が「君が代」の起立斉唱(以下「君が代斉唱」という。)を本件卒業式の式次第に「国歌斉唱」としてあげる(以下「本件式次第化」という。)との方針を打ち出した。ところが,本件式次第化について,外国籍の卒業生から,君が代斉唱をすることによって自分のアイデンティティが傷つけられるとの訴えがなされた。これに共感した卒業生が,「国歌斉唱」を本件卒業式の式次第化して,君が代斉唱をすることは個人の思想及び良心の自由との間に重要な問題が生じるとの認識をするようになった。やがて,多数の卒業生は林校長の上記方針に反対する意見を表明するに至った。控訴人は,林校長の打ち出した本件式次第化をめぐる以上の経過をみて,本件行為をしたものである。 (2) 本件行為の目的は,本件卒業式の式次第として君が代斉唱を行うことに反対する意思にもとづいてその妨害をすることにあったのではなく,卒業生の指導にあたった教諭として ,多数の卒業生の上記意見に対する自分の思いを式場で伝えることにあった。  すなわち,控訴人は卒業生のクラス担任教諭として,生徒の人権と個性を尊重し,その自発性を最大限に高めることが教育であると日頃から指導していた。多数の卒業生が林校長の上記方針に反対していることを知った控訴人は,学校の卒業式は学校行事であるとともに,最後の授業としての性質を有していることからすると,上記の指導が建前だけのものではないことを示すべきであると考えた。そこで,控訴人は,卒業生の上記意見についての理解と共感を示すメッセージを卒業生に送るとともに,本件卒業式に参列している来賓及び保護者に卒業生の上記意見に対する理解を求めることなどを目的として,本件行為をしたものである。 (3) 控訴人は,本件卒業式が式次第の「国歌斉唱」に進み,テープ演奏の開始までに設けられている多少の合間を使って,本件行為をしたものであって,それによって式場が混乱したり,式の進行が停滞するなどの事態は生じていない。  控訴人は,卒業生とともに本件準備活動に関与して,本件卒業式を整然と実施するために努力してきたものである。そのような控訴人が,本件卒業式を妨害するために本件行為をするはずがない。 (4) 本件行為は,上記の経緯と状況の下で,控訴人が教諭としての立場から行ったものであるから,本件処分をすることは許されない。 第3 当裁判所の判断 1 当裁判所も,控訴人の本件請求を棄却すべきものと判断する。その理由は,原判決「第3 当裁判所の判断」に記載のとおりであるから,次のとおり補正して引用し,事案に鑑み次項のとおり説明を補足する。 (1) 原判決22頁1行目から3行目までを削除する。 (2) 原判決23頁7行目から20行目「相当である」までを,次のとおり改める。「そうして,同学習指導要領の中で ,国旗・国歌に係る事項を定めた場合,高等学校教育における大綱的基準として,同条項は法規としての性格を有していると解される」 (3) 原判決26頁2行目「不合理とは言えない」を「,同校長の権限を逸脱していて,許されないものであるとはいえない」と改める。 (4) 原判決27頁下から4行目「妨げるものあった」を「妨げるものであった」と改める。 2 補足説明  君が代という国歌が担ってきた戦前からの歴史的役割に対する認識や歌詞の内容から,君が代に対し負のイデオロギーないし抵抗感を持つ者が,その斉唱を強制されることを思想信条の自由に対する侵害であると考えることには一理ある。とりわけ,「唱う」という行為は,個々人にとって情感を伴わざるを得ない積極的身体的行為であるから,これを強要されることは,内心の自由に対する侵害となる危険性が高い。したがって,君が代を斉唱しない自由も尊重されるべきである。本件訴訟における控訴人の主張は,以上の限りにおいて首肯しうるものを含んでいる。  しかしながら,他方で控訴人と同様な考え方を採らず,君が代を斉唱することに違和感を持たない者も存在することは容易に想像がつくところである。そうすると控訴人の主張を唯一正しいものとして,これを他に押しつけることもまた許されるものではない。そうして,本件卒業式については,学校行事の最終責任者である校長がその裁量権を行使して卒業式の式次第として君が代斉唱を決めた以上,これは学校が組織として決定した学校行事と位置づけられたものであるから,君が代斉唱に対し積極的な行動をもって妨害し,その円滑な実施を妨げることが上記思想信条の自由を根拠に容認されるものではない。  前記の認定事実によれば,本件行為がされた具体的状況は,本件卒業式が,式次第で「開式の辞」の次に設けられた「国歌斉唱」に進み,しばしの間合いが置かれたところで,突然,控訴人が式場中央に進み出て,まさに開始されようとする国歌斉唱について,学校当局が式次第で予定した態様と異なる態様を指示するとともにその理由を式場内に伝えたというものである。  そうすると,本件行為は,特段の事情がない限り,本件卒業式の式次第の一部を批判否定し,本件卒業式の一連の流れを具体的に妨害した行為であって許されないものであるといわなければならない。  以上の観点に立って,本件行為について特段の事情があるかどうかを検討する。 (1) 卒業式の意義について  高等学校の卒業式は,学校毎に異なる個別的な諸事情等に基づいて,それぞれ適切な式次第と態様で様々な形式で挙行されるものであるけれども,挙行形式が異なっても,卒業式である以上,出席者全員が,卒業生に対する祝意とその前途に対するはなむけの気持で心を一つにして,威儀を正して挙行する点に意義がある儀式的な学校行事である。したがって,卒業式の挙行中に,学校行事の本来の意義を損なう行為等をすることは許されるものではない。 (2) 本件行為の原因,動機,目的,意義及び態様について ア 前記の認定事実によると,東豊中高校の卒入学式で「国歌斉唱」として君が代斉唱を式次第化する動き及びそれに対する関係者の対応等は,次のとおりである。 (ア) 東豊中高校において,平成12年の卒業式以降,学校行事である卒入学式に君が代斉唱を取り込もうとする林校長と,これに反対する控訴人を含めた教員との間で対立が続いていたが,徐々に君が代斉唱の卒入学式への取込が進められた。 (イ) 本件卒業式について,林校長が君が代斉唱を完全に式次第化する意向を早い時期に示したので,本件準備活動に関与した卒業生及び3年担任団等は,これに反対する姿勢を取り,職員会議においてはその旨の決議をしたり,卒業生全員の間では反対意見が多数であることを確認する等して,林校長に抵抗した。 (ウ) 上記の反対者は林校長と何度も面談して,本件式次第化に関する意見表明,説得及び要請等の働きかけをした。その間において,林校長の頑な姿勢を見た3年担任団は,両者の対立状態についての詳細な説明を校内放送によって在校生に行った。 (エ) 林校長が学校長の権限に基づいて本件式次第化を強行したので,控訴人は本件行為に及んだ。 (オ) 東豊中高校のこれまでの卒入学式において,君が代斉唱が行われる間だけ,式場から退場したい教職員及び生徒は咎められることなく退入場ができて,それによる不利益を受けることはなかった。 (カ) 本件卒業式に出席する卒業生は,上記退入場に関する事実関係及び前記の対立状態の詳細な経緯を知っていたので,自分たちも同様の退入場が可能であり,それによる不利益がないことを理解していた。 (キ) 上記の卒業生中には,君が代斉唱の間は卒業式場から退場する意思をあらかじめ固めていた者が少なからずいて,司会者の「国歌斉唱」を始める旨の発言を聞いて,本件発言を聞くまでもなくすでに退場し始めていた。そして,そのような退場者が出ることは,東豊中高校の当局も予測していた。 イ 以上の事実によると,以下のようにいうことができる。  まず,林校長が本件式次第化を強行したことが,本件行為の原因であることは明らかである。  次に,東豊中高校での本件式次第化の動きは,林校長と控訴人を含めた反対者らの間で激しい対立状態を生じ,最終的には林校長がこれを強行したものであるけれども,この経緯は本件卒業式の当日までに教職員及び卒業生にとって周知の事実となっていたのであり,それによって卒業生は当日の君が代斉唱に反対であれば,その間だけ式場から退場できることをあらかじめ認識し理解していたのであり,控訴人においても卒業生が上記の認識と理解を有していることを承知していたことが認められる。したがって,控訴人は,卒業生が君が代斉唱に対して自ら態度決定をすることができる旨を本件式場内でことさらに教える必要などないことを十分にわかっていたはずである。  卒業生及び控訴人が上記の認識を有していたことによれば,卒業生が思想及び良心の自由を侵害される事態をさけるために本件発言が必要であったと,控訴人が考えていたとは認めがたい。したがって,この必要が本件行為の動機であったとは認められない。  さらに,本件発言のうち,職員会議で本件式次第化に反対する決議がなされたとの部分は,すでに,東豊中高校の職員及び生徒の間に知れ渡っている事実を述べるものである。それだけでなく,控訴人は,同決議は学校長の権限によってすでに排斥されているので,これを持ち出すことは単なる蒸し返しに過ぎないことが判っていたのであるから,司会者が本件卒業式の式次第を「国歌斉唱」に進めた直後に,控訴人が上記決議の存在を持ち出すべき必要性や意味はなかったものである。  そうすると,本件行為の目的は,君が代斉唱に関して卒業生が知らされていない事実を卒業生の前で公表して,卒業生に君が代斉唱に対していかなる行動をとるべきかを考えさせるためにされたものではないというべきである。  さらに,本件式次第化に関する対立は,本件卒業式までに林校長との間で,対立解消の余地がない膠着状態になっていて,そのことは本件卒業式当日までに卒業生に伝わっていたものであるから,本件発言内容は,本件卒業式を待つまでもなく,予め別の機会に卒業生等に伝えることが可能であり,本件卒業式場内で,本件行為によってしなければならない必然性はなかった。そうすると,本件行為は,東豊中高校の職員会議の反対決議に逆らって,本件式次第化が強行されたとの事実を,それが本件卒業式に出席する同校関係者の間では周知の事実になっているにもかかわらず,控訴人自らが本件卒業式の場において,あらためて指摘することに意義を認めてされたものであるといわなければならない。  最後に,本件行為は,司会者の「国歌斉唱」を開始する旨の発言の直後に,君が代斉唱に関して本件卒業式の主宰者内部に分裂がある事実をことさら露呈させ,司会者をないがしろにする態様で述べたものである。 ウ 以上によれば,控訴人が本件行為をしたのは,東豊中高校の卒入学式で君が代斉唱を式次第化しようとする林校長の方針に反対する活動をしてきたけれども,林校長が本件卒業式において校長の権限に基づいて「国歌斉唱」の式次第化を強行的に実施して,君が代斉唱をする事態になったので,控訴人は,君が代斉唱の開始に際して,共に反対活動を行ってきた卒業生や同僚に向けて,このような事態のもとでも自分の思いはこれまでの反対活動で表明してきたものと変わりがないことを伝える趣旨で,既に周知となっている事実を内容とする本件発言をしたものとみるよりほかはない。  そうであれば,本件行為は,正当防衛行為でも正当業務行為でもなく,控訴人がそれまでの日々の教育活動において表明してきた教員としての心情,信念を本件卒業式の出席者の前で表明して,自分の言動の首尾一貫性を示そうとした個人的行為である。そして,本件卒業式は,東豊中高校にとって儀式的学校行事であるから,控訴人が個人的意見を表明する場でないことはいうまでもないところである。 (3) 本件行為の影響について  本件全証拠をみても,本件行為によって本件卒業式が混乱した事実は認められないし,本件卒業式の進行が停滞したり,支障を生じたことも認められない。また,控訴人が本件卒業式の一連の追行を妨害する意図で本件行為をしたことを認めるべき証拠もない。  しかし,本件卒業式の挙行中に,その式次第をめぐって学校内部に激しい分裂があることを,教員がことさらに露わにすることは,その分裂が周知の事実であっても,参会者全員が前記の祝意とはなむけの気持ちで心を一つにして,式次第に従って真摯な態度で挙行すべき卒業式に,突如として異質な要素を持ち込み,その雰囲気の統一性を破るものであることは否定しようがない。  したがって,本件行為は物理的ないし時間的な関係で本件卒業式を妨害したものではないけれども,前記の意義がある卒業式の厳粛な雰囲気を損なって,その意義を傷つけた点において,これを妨害したといわなければならない。 (4) 控訴人は,本件式次第化に反対する行動をした卒業生に対する担任教諭からの応答として本件行為をしたと主張するところ,前記の認定事実によれば,控訴人が本件式次第化に関して,教諭の立場から卒業生の反対活動に関与したこと,本件発言の内容はその際の控訴人の言動と整合性があること,本件行為はそれまでの控訴人の言動に照らして唐突ではないことが,それぞれ認められる。そうすると,本件行為には,控訴人の主張する応答としての側面があったということができる。しかし,そのような応答は,控訴人と本件発言の相手方とされた者との間における教諭と生徒との応答であって,本件卒業式の式場で,式次第に関する司会者の進行発言に相当するような態様で行うべきものではない。  しかも,本件行為がなされた前後の具体的状況は前記で認定したとおりであるから,そのような状況でなされた上記の応答は,前記の意義を持つ卒業式が予定していない行為であることは明らかである。  そうすると,本件行為が,控訴人の主張する卒業生に対する応答であることによって,許容されることにはならない。 (5) 以上で検討したところによれば,本件行為について前記の特段の事由はなく,本件処分(戒告処分)は適法である。 3 以上の次第であるから,原判決は相当であって,本件控訴は理由がない。  よって,主文のとおり判決する。 大阪高等裁判所第7民事部 裁判長裁判官 永井ユタカ 裁判官 楠本新 裁判官 舟橋恭子