◆199011KHK101A1L0072CM
TITLE:  伝習館判決と政治状況
AUTHOR: 木村 陽吉
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第101号(1990年11月)
WORDS:  全40字×72行

 

伝習館判決と政治状況

 

木 村 陽 吉

 

最高裁(一小)伝習館判決については、9月に田中紘一会員が学習指導要領の法的拘束力、10月に羽山健一会員が教科書使用義務、をめぐり、それぞれ有益な報告をされた。

私に与えられたテーマは前二者と異なり判決と「政治状況」である。従って綿密な法解釈論ではなく、今回のような判決を生みだす背景としての戦後政治と司法状況、そしてこの判例が今後の学校教育にどう影響してくるか、について私見の一端を語り、自由な意見交換の場としたい。

 

 I 伝習館判決の評価

まず、控訴審判決から6年1か月、1審へ提訴から通算約20年という点から「迅速な裁判を受ける権利」は保障されなかった。

第2に、学習指導要領の全面的な拘束力、教科書使用義務とその使用形態の勺子定規的解釈の点で一審判決より厳しい二審判決を踏み込んだ理由も示さずに是認した。学力テスト最高裁(大)判決の趣旨とするところといいながら、実質的には判例変更に等しい。

第3に、性質の異なる神戸税関事件(最3小)判決を引用して、地公法・教基法上の教育公務員の身分保障法理を無視し、一・二審判決を覆してまで行政に追随した。

第4に、「法秩序軽視の態度」として考慮したという懲戒処分歴はとは「日教組人勧スト」参加で受けた戒告・減給1月等のことである。周知のILO87号条約批准と全逓東京中郵事件最高最(大)判決等からすれば、この懲戒処分自体が違法である。その後、全農林警職法事件最高裁(大)の再度大逆転判例を踏襲し理由に加えることはアナクロニズムでしかない。

第5に、たとい学習指導要領、教科書使用義務から外れた授業であったとしても、教育行政当局の指導助言、懲戒処分に当たっての聴聞手続きを欠いたまま、いきなりの免職処分を「社会観念上著しく妥当を欠くものとはいい難く、その裁量権の範囲を逸脱したものと判断することができない」というのは、首肯し難い。

 

 II 司法反動と最高裁判例の特徴

最高裁長官以下15人の裁判官の人事権は内閣にある。憲法施行後の発足に当たっては、民主的に選出された任命諮問委員会が30名の候補者を片山首相に答申し、その中から任命された。初代三淵長官は「国民諸君への挨拶」の中で、国民の権利を守り正義と公平を実現し「真に国民の裁判所になり切らねばならぬ」「ことにこれからの最高裁判所は……国会、政府の法律・命令・処分が憲法に違反した場合には、断固としてその憲法違反たることを宣言して、その処置をなさねばならぬ」旨の使命観を述べていた。しかしアメリカの占領政策の転換に伴い、労働運動の抑制、対日講和・日米安保条約締結の吉田内閣路線に無難な反共・現実主義の田中耕太郎が民主的手続きを経ずに二代長官に任命された。彼の在任10年間の間に人権よりも秩序重視・保守硬直の最高裁の基本路線が敷かれた。ILO条約との関係もあり、三代・四代の両横田長官の時代、官公労働者の労働基本権を尊重する柔軟な憲法判例がでたが、自民党は「偏向判決」と政治問題化した。70年安保改定を前に佐藤内閣が超保守・剛直の石田和外を五代長官に指名後いわゆる人権派は小数となり、先の労働判例も元に最変更された。つまり、裁判官人事の悪用により司法反動が図られた。司法危機といわれた平賀書簡・青法協・宮本判事補理由告知なしに再任拒否・卒業式で発言の司法修習生代表の罷免と任官差別等の問題。

戦後、裁判官の戦争責任は追及されないまま、体制従属的官僚主義的体質が継続し、特に最高裁事務総局の官僚機構化が裁判官会議を無力化してきたことも司法反動・危機の要因といえる。最高裁事務総長から東京高裁長官、最高裁裁判官の経歴のある者が長官に任命されるケースが多い。また裁判官の任命も長官が推薦したものを首相が決めるという慣行が定着し、国会の承認手続きもない。従って、長期保守政権下の最高裁判例の軌跡は保守政権維持機能を如実に証明している。

〔最高裁判例の主要特徴〕

(1)安保体制維持−砂川事件等、(2)憲法第9条解釈改憲−長沼ナイキ事件等、(3)労働基本権の制限−全農林警職法事件・日教組事件等(4)資本・企業側への傾斜−八幡製鉄政治献金事件・三菱樹脂事件等、(5)学問・教育・表現の自由等の制限−教科書検定事件・公安条例事件等、(6)信教の自由・政教分離の不徹底−自衛官靖国合祀事件・津地鎮祭事件、(7)生存権保障の不徹底−朝日訴訟・堀木訴訟・大阪空港公害訴訟等、(8)民主政治実現への保障軽視−議員定数不均衡訴訟・猿払訴訟等

 

 III 司法危機から教育危機へ

最高裁は「憲法の番人」「人権保障の砦」として国民主権・平和主義・人権尊重の三味一体の憲法を尊重し擁護する義務を負っている。しかし、長期保守政権の解釈改憲を裁量権の範囲内として認め、また違憲の疑いのある立法を合憲とする判例を集積することによって、司法権独立の形骸化・違憲法令審査権の放棄により、憲法原理の空洞化と司法の危機を自ら招いた。

今回の伝習館判決もその流れに沿うものである。教育行政当局は学習指導要領の全面法規性と検定教科書使用義務について最高裁の「御墨付」を得たとして初任者研修・授業案の点検等教職員管理を強め、他方教師の側も自己規制することにより、政治的教養を培うべき主権者教育にとってマイナスの影響が懸念される。換言すれば国家教育権に基く国民のイデオロギー操作が、子どもの「教化」を通じてやりやすくなったといえよう。象徴天皇制と国家独占資本主義を基盤とする政治権力構造下における教育の危機は、つまるところ、政治の変革なしには、回避し難いのではなかろうか。

(参考資料省略)


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