◆199202KHK115A2L0033O
TITLE:  教育法を学校現場に生かす
AUTHOR: 尾崎 俊雄
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第115号(1992年2月)
WORDS:  全40字×33行

 

教育法を現場に生かす

 

尾 崎  俊雄

 

  教育法規について行政解釈によれば、職員会議は校長を補佐する機関、または単なる諮問機関に過ぎず、学校運営について実質的に決定することは出来ないそうだ。また、教育内容についても、それを決定するのは生徒や地域の実情について最もよく知る立場にある現場の教職員ではなく、文部省に代表される教育行政であるという。このような立場にもとづいて、文部省から各市町村の教育委員会へいたる教育行政は実施されている。これらについて、教育を受ける立場にあった頃、また教育を現実の職業として考えはじめた頃でさえ、何の疑問も抱くことはなかった。

  しかし現実の学校現場に入ってみると、実際の学校運営から見ても、教育の理念から見ても、この考え方は納得できないと感じるようになった。教師自身が正しいと信じることのできるものしか、自信をもって生徒に語ることはできないはずだ。他の人のことは知らないが、少なくとも自分はそう思った。そして、そのためには、学校全体としても教師が教育について自ら決定し、それを実行し、そのために学ぶシステムが必要だ。しかし「教育法規」はそんなことを保障するものでないような気がしていた。

  ちょうどその頃、教育本来の条理による法体系があることを兼子仁先生の有斐閣法律全集「教育法」などに教えられた。行政の効率的運営や恣意的な運用のためではなく、生徒や保護者を含む教育の当事者が、教育固有の理念にもとずいた法解釈、それと実定法などの体系が教育法であるという。実に新鮮であった。視界が一気に広くなったような気がした。そして、教育法研究や実践の成果が教科書裁判の杉本判決や旭川学力テスト事件の最高裁判決に重要な影響を及ぼしていたことも知った。教育法との出会いであり、出発点でもあった。

  先日の新聞によれば、現在、登校拒否の児童・生徒は、4万8千人にものぼる。彼らの中にはいろいろなタイプがあり、即断することは許されないが、主体的に・意識的に、また積極的な意味で、学校教育を拒否している子どもたちが存在していることには留意する必要があると思う。学校は子どもたちにとって、本当に良い場所なのだろうか。教育の理念そのものが問われているような気がする。私自身は、学校(公)教育が今後、その必要生を失うようなことはないと思う。しかし、そのためには教育法と一体のものとしての教育の理念について真摯に問い続けていくことが前提となろう。小手先の法解釈論ではなく、教育法が教育現場にとって、その輝きを失うことなく、有効に機能し続けるためには、子どもたちの存在をかけた追及に対して、教育の理念に遡って考えることも必要なことかも知れない。

 

 



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