◆199205KHK118A1L0145AE
TITLE:  子ども(児童)の権利条約と学校教育改革の課題
AUTHOR: 北川 邦一
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第118号(1992年5月)
WORDS:  全40字×145行

 

子ども(児童)の権利条約と学校教育改革の課題

 

北川 邦一 

 

   (一) 学校教育の改革に関する子どもの権利条約の意義

  (1) 世界の平和・民主主義と日本の教育の課題

  世界の15歳以下のこどもの人口は現在約17億人。その82%にあたる14億人は食糧、健康、住居、教育など環境不備の開発途上国に生き、直接的な生命の危機にさらされている。このような世界的な子どもの危機の基盤には、「先進国」優位の世界政治・経済構造の下での最貧国における絶対的貧困化の進行や発展途上国における土地問題や政治の非民主制の問題がある。教育の立場からみれば、子どもの権利条約は、憲法・教育基本法の平和と民主主義を基礎にし、現代世界における日本の諸課題に応えて、いっそう自覚的に子どもたち・青年たちを、世界の諸国とその国際関係の政治経済の科学的認識と世界の人々・子どもたちの生活への共感的態度とを備えた平和的民主的な国際社会の形成者へと育成していくべきことを提起している。

  (2) 日本社会の歪みの是正と子どもの健やかな育成

  今日の日本では、暴力・残虐・セックスを売りものにするマンガやビデオの氾濫など子どもをとりまく俗悪な営利主義、88年東京都綾瀬でおきた母子殺人強盗事件などにおける少年の冤罪事件など警察による少年の違法捜査・逮捕・人権侵害、養護施設での子どもの人権侵害、全国で推定年間1万件とも言われる家庭における児童虐待、91年の風の子学園における子ども虐待致死等、民間施設における子ども虐待等、広く社会全般において、子どもの権利保障の不充分・侵害がみられる。勤労者の生活と人権を犠牲にして発展している大企業とその利益擁護の政治に主導された日本社会全般が、子どもたち、青年たちを苦境、不遇、閉塞、不遇に追い込んでいる。学校の教育は、全国民的な、あるいは各人が関与する様々な局面での人々の生活と権利の向上の課題やと結び付けて、子ども・青年とその生活・発達の課題をよりよく理解し、彼らの権利を保障し彼らの心により添って行なわれる時、効果的でやりがいがあるものにすることが出来よう。子どもの権利条約はその際の有力な基準を示している。

   (二) 条約の批准と学校関係法規・制度・慣行改革の課題

  (1) 学校教育の閉塞状況と管理主義

  今日の日本の学校教育は、総体的傾向として、子どもたち・青年達の夢と希望、知恵と力を育む魅力と活気に乏しく、学校教育は一身の「栄達」ないしは「糊口」の手段としての「学力」競争と体制順応的態度育成の場へと貶めてられている。

  その直接の要因としては管理主義教育がある。管理主義教育とは、所与の教育目標を効率的に遂行することを優先させ、児童・生徒に教職員の経験則と規則とに従うことを、点検と制裁をもって強制する教育実践である。管理主義教育は、現代における人間の課題、未来に向かう子どもの学習と発達の必要、人類が獲得した科学や芸術、文化の成果に照らして、教育の意義・目的を自覚的に問い、教育の目標・手段・方法を点検・改善するという教育者に必須の真摯な努力をないがしろにする。

  管理主義教育の克服のためには、それが、@企業の選別主義的人材要求とこれに応じた受験体制・受験競争、Aこれに応じた教育の国家統制と、B教育財政・条件の選別配分・整備、全般的な劣悪、等に学校・教職員が意義・目的を問うてもどうしようもないと状態に追い込まれて生み出されきたことを理解しなければならない。

  (2) 子どもの権利に基づいた生徒、父母、教職員の協同による学校運営

  管理主義教育は言うまでもなく、受験競争・偏差値偏重教育は学校教職員だけでは克服できない。新学習指導要領の批判・撤廃等教育の国家統制の改善、学級定数減・私学助成増等の教育条件改善の課題も、学校教職員であると同時に、そもそも誰より教育を受ける子ども=児童・生徒の問題であり、父母、住民・その他一般の人々の問題である。これらの全人民的かつ構造的な問題に対しては、学校教職員だけが取り組むのでなく、個々人の人権を尊重しつつ生徒・父母、教職員、住民・一般の人々の立場の違いは認めあっての対等な集団の協力・共同によるのでなければならない。公教育制度の基礎的単位である学校に、子どもの権利を基本として子ども、父母、教職員、住民等の協力・協同の機会をつくり、これを根拠に公教育制度総体の改革をめざすべきであると考える。

  戦後日本の教育の民主化において学校における生徒・父母の権利は具体的に確認することがなされないまま、今日むしろ民主主義を抑圧する教育の全面的な制度化が進行させられようとしてきている。1970年以降、西欧・米国において成立してきた学校教育に対する生徒の権利、父母の権利の確認、それに基づいた生徒、父母の学校運営への参加制度の形成を、日本も今こそ取り入れるべきである。

  (3) 条約批准への政府方針と問題点

 今年(92年)3月13日の閣議決定によれば、日本政府は、@自由を奪われた児童の成人か

らの分離について、条約第37条(c)の規定に拘束されない権利を留保するほかは、A児童の父母からの分離(条約第9条1)について、この規定は父母が児童を虐待する場合のような特定の場合に適用されるものであり、出入国管理法に基づく退去強制の結果として児童が父母から分離される場合については適用されるものではないと解する旨の宣言、及び、B家族の再統合のための出入国(条約10条1)について、この規定にいう「積極的、人道的かつ迅速な方法」で出入国の申請を取り扱うとの義務はそのような申請の結果に影響を与えるものではないと解する旨の宣言を行って条約を批准する方針であり、「この条約の実施のためには、新たな国内立法措置を必要としない」「この条約を実施するためには、予算措置は不要である」としている(上記閣議での外務省説明書)。

しかし、学校教育直接関係事項以外でも、@相続に関する民法第900条の改正等、婚外子差別の撤廃、A少年司法における付添人保障・通訳保障の制度創設(条約第40条第2項)、B少年司法における再審請求の保障(条約第40条第3項)、C少年冤罪事件の刑事保障(同前)等は、最小限、法規の改正ないし新たな立法が必要なことは明白であると考えられる。

  (3) 学校教育における子どもの権利行使主体性保障のための制度改革課題

  学校教育に関しては、子どもの権利行使主体性保障に限っても、最小限次のような改革が必要と考えられる。@生徒規則等の制定・改廃に対する児童生徒の参加の権利の保障 A懲戒処分等における教学上の法的地位の変動を伴う場合の聴聞される権利の確認 B授業内容や教科書の採択等にも児童生徒の意見表明権を認めること C麹町中学校内申書訴訟最高裁判例の変更 D高校生の政治活動禁止の69年文部省通達の撤廃 E言論・文書配布・集会・結社に関して許可制等を定めている生徒規則の全面的改廃 F営利主義の宣伝等、学校に不適当な表現・情報の自由を制限できる合理的な規準を定める新たな立法の必要 G学校の財産・経費を用いる場合の民主的な基準の形成 H学習指導要録、内申書等の「備考」欄、「特記事項」欄等の記載の削除 I「君が代」斉唱・日の丸敬礼における強制の禁止 J私学における「宗教」の時間・宗教行事の代替授業の保障 K国・公立学校における宗教的少数者の不利益扱いの是正 L内申書、指導要録等の開示請求権、電算機個人情報保護法の改正。

  (4) 人権よりも学校の包括的権能を優先させる有権解釈是正の必要

  今日の日本の学校における子どもの権利軽視の管理主義教育の基礎にあるのは、文部省や最高裁、これらに従う教育委員会や裁判所の大略「学校は教育目的達成のため必要ならば社会通念に照らして不合理でない限り格別の法律の根拠に基づかなくても児童・生徒・学生の自由や人権を制限できる」という学校秩序に関する法解釈ないし法意識である。それらの基礎となっているのは次の最高裁判旨であると見られる。「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。」(昭和女子大学退学処分事件最高裁第三小法廷昭和49年7月19日判決)。

  これに対して、子どもの権利条約は、特にいわゆる市民的権利について明確なように、特定の場合で、しかも法律の定める場合以外、子どもの権利は制限できないとするものであり、条約批准を契機として今こそ最高裁、文部省等の従来の人権・権利の軽視を根本的に改めるべきである。

 (5) 学校における子どもの権利保障、学校の管理運営への子ども参加・父母参加を認める立法の必要

  その際、憲法・教育基本法の人権規定の存在のもとでも学校における児童・生徒・学生の人権・権利の軽視とその下での管理主義教育が進行してきたこと、今また、子どもの権利条約の明文規定の存在にも拘らず従来と同様の自由・人権・権利の制限が可能であるとの政府・文部省筋の法解釈の仕方を考えると、自由・人権の正しい理解に基づく広範な人々の協力により、子どもの権利条約の理念に沿って学校における児童・生徒・学生の権利の保障を紛れる余地なく保障する仕組みをつくりあげることが必要である。

その一つとしては、新たな立法により、学校における児童・生徒・学生の@表現・情報の自由、A思想・良心・宗教の自由、B結社・集会の自由、C教育情報を知る権利、Dプライバシーの保護と学校外生活の自由、等の保障と例外的にこれらが他の者の人権等によって制限される場合の基準と明定することである。例えば、学校教育法の総則にこのような条文を追加することが考えられる。

  二つには、これも新たな立法により学校の管理運営への生徒・学生、父母参加の制度を形成して、法律に定められた子どもの権利の各学校における適用に際して学校管理者の一方的な管理主義的解釈をチェックすることである。

   (三) 子どもの権利条約と学校教育実践の改善

  (1) 「教える」から「育てる」へ・・教育観の転換・・

  政治権力支配のもと、体制順応的な秩序の中で欧米の科学・技術の既存の成果を取り入れ効率よく伝達するためには教師は教育的価値を与える担い手であり、生徒はその受け手でよかった。しかし、科学・技術の発展、民主主義的な文化・価値の創造の為には、本来の意味での教育、「育てる」ことを基本としする教育が求められている。

  (2) 教える「対象」から育つ「主体」へ・・子ども観の転換・・

  子どもは勝手に育つのでも、大人の教えるままに学ぶのでもない。

  子どもが自発的自主的にゆとりをもって人間らしく育ちゆく時間と空間、思いやりある仲間・集団・社会を、大人が意図的につくってゆくことが必要である。

  (3) 学校における子どもの権利の優先擁護

  日常、学校において子どもの人権・権利を守りうる立場にある成人は、基本的には当該学校の教職員をおいてほかにない。学校教職員には、見識と勇気をもって学校の管理運営の都合や、学校教職員仲間の擁護よりも、子どもの権利条約の精神に従って、子どもの最善の利益を優先的に擁護することが求められる。

  (4) 権利侵害抑制の客観的条件の形成

  教職員による子どもの権利侵害に対する子ども、父母、一般の人々による批判、子ども・父母、住民等の学校参加、子どもの権利侵害に関する苦情を受け付け、処理する、個別学校・教職員集団に対しては第三者的な機関の設置などが必要である。教職員組合が専門職組織として権利侵害是正の勧告をする事等も追求するべきである。

  (5) 生徒の自主性・自治能力を育てる教育実践

  同時に、体罰や管理主義的権利侵害を克服してゆくうえで基本的に重要なことは、体罰や管理主義によらなくても、きちっと生徒を指導できるという、体罰・管理主義克服の民主主義教育の優位性を実践で示すことである。特に、ゆきとどいた配慮をもって生徒会の自治を育てること、その中で個人の人権意識を育てることこそ基本であると考える。



Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会