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TITLE:  大阪における高校教育改革 − 定時制・通信制・単位制 − 
AUTHOR: 伊藤 靖幸
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第120号(1992年7月)
WORDS:  全40字×192行

 

大阪における高校教育改革

〜定時制・通信制・単位制〜

伊 藤 靖 幸 

 

  最近、大阪でも高校教育改革への動きが急を告げている。とりわけ定時制・通信制の現場では、あまりにも性急かつ一方的な定通併修による3年制化、また通信制の桃谷高校の単位制高校化等をめぐって、文字どおり職場の存亡を賭て様々な議論が展開されている。定通制の問題はマイナーな問題として全体的な課題にはなりにくいのが実状ではあるが、今回の定通制改革の問題は、定通制のみならず高校制度全般にかかわる内容につながっていると考えられる。(現に、今回の発表を準備していた6月末に「全日制にも単位制高校を」という内容を含んだ「高校教育の改革の推進に関する会議第一次報告」が発表されている。)私自身まだ確たる展望が示せるわけではないが、とりあえず大阪の定通制を中心とした高校教育改革の現状を全体状況の中に位置づけて、定通制現場からの問題提起としたい。

 

1.高校教育改革・新タイプの高校をめぐる全国状況

 (1) 中央の動向 

  高校教育改革・新タイプの高校という発想のルーツを探ってみれば、やはり1971年の中教審答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」にたどりつく。四六答申として知られるこの答申は、いわゆる「多様化路線」を打ち出したものとしてつとに有名であるが(結局のところ臨教審を含め近年の教育改革路線のルーツは概ねこの四六答申にあるといえるだろう)、中高一貫、多様なコース制、グループ別指導、勤労者の修学年限の弾力化、学年を固定しない弾力的指導等、本稿で問題とするような内容はほぼこの答申に含まれている。これをうけて都道府県教育長協議会の高校問題プロジェクトチームおよび高校教育開発研究プロジェクトチームが1970年代の後半にほぼ同趣旨の新タイプの高校についての報告書を出している。77年に発表された「高校教育の諸問題と改善の方向」と題する前者の報告書では2種類の「新タイプの高校」が提起されている。Aタイプはすぐにも実現可能なもので、コース制・学習集団の弾力的編成等を指している。この内容は1978年告示の現行指導要領に盛り込まれすでに具体化がかなり進んでいる。もうひとつの中長期的展望で実現をめざすBタイプが狭義の「新タイプの高校」であり、中高一貫・普職一体・単位制・集合形態・全寮制・新タイプの職業高校等があげられている。その後、例の臨教審第1次答申で(85年6月)6年生中等学校・単位制高校が提起され、同第2次答申(86年4月)では修業年限の弾力化(定通3年制)、や単位制の利点の活用、また学校間の接続連携・技能連携の拡大といった点が指摘された。こういった方針をうけ、87年の末には教育改革推進大綱・高校定時制通信制教育検討会議報告・教育課程審議会答申で、課程間併修等を行なって定通制を3年以上化し、無学年制(単位制)を導入する方向が固められていった。

  法制的には、88年3月学教法施行規則が改定され(64条の(2)定通制に無学年制が正式に導入され、同年11月学教法45条の2が改訂され定通制の技能連携を拡大し、46条の修業年限も改訂され定通制が従来の4年から3年でも卒業可能となった。89年の3月に告示された新指導要領では、定通制につき実務代替(教科に関係する仕事についている場合単位として認める)・大検単位の認定の特例が認められ3年制の導入に便宜を図っていると考えられる。この結果後述のように88年度から定通制に単位制高校ができ、3年制も導入が進んできている。しかし、ことは定通制のみの問題ではなく、91年の中教審答申「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」では、改めて新タイプの高校の推進、単位制の活用の方針が示され、それをうけて、92年の6月高校教育の改革の推進に関する会議第1次報告が発表された。そこには総合的な新学科・全日制の単位制高校・専修学校、技能審査の単位認定等の内容が含まれ、定通制で特例あるいは実験的に導入された方針が全日制に拡大していく方向も指摘できる。

 (2) 全国の新タイプ高校 

  1988年に学教法が改訂されるまでは、80年代の初頭から集合タイプで生徒に多様な選択を保障するような高校が設立されている。80年の千葉幕張高校(東・西・北)高校がその嚆矢であり、83年の神奈川弥栄東・西高校、翌84年の埼玉伊奈学園総合高校もこのタイプであり、ことに伊奈学園はその壮大な規模・豪華な設備等で注目を集めた。岡山も新タイプ高校に熱心で総合選択制を取り入れた玉野光南(84年)、総社南(86年)等の高校を新設している。この他、職業科で総合選択制を取り入れたものとして埼玉の新座総合技術高校(83年)越谷総合技術高校(86年)がある。また86年開校の沖縄海邦高校は一応は理数科・英語科・芸術科を持つ高校であるが、全県学区で募集し大学進学を至上目的とした公立の「予備校」型高校とでも言うべきものである。

 東京都も早くから新タイプの高校構想に取り組んでおり、79年にすでに新タイプの高校にふれた提言を行なっている。83年には「高等学校教育改善推進本部」が設置され、85年には18タイプの中から総合選択制・単位制・6年制・国際高校・体育高校・新芸術高校・定通制独立センター校の7タイプの案を公式に提示している。この構想により89年には国際高校が、91年には単位制の新宿山吹高校が開校した。    

 

 (3) 全国の単位制高校 

  一口に単位制高校と言うがその実態はかなり多様である。現在のところ単位制高校は定時制・通信制課程の特殊な形態という位置付けであるが、実は通学が原則の定時制と自学自習が原則の通信制大きな違いがあり、したがって定時制を主とした単位制高校と通信制を主とした単位制高校では内容は基本的に異なる。また、独立の校舎を持つのか否かでも学習条件は大いに異なってくるだろう。

  1988年岩手杜陵高校・石川金沢中央高校等3校の単位制高校が発足した。杜陵高校は、従来から定時制と通信制課程を持つ独立校で文部省の定通制モデル校でもあった。88年度から、定時制課程が単位制となり、定通併修等により週5日の登校で3年で卒業できることをうたっている。定通併修とは定時制課程と通信制課程については、単位の相互乗り入れが可能なことを利用した制度であり、元来は時間的な制約の多い定通制生徒のための特例的措置であったものが、3年卒業制のための手段として脚光を浴びるようになってきたものである。定時制の1日4時間の授業で週5日であれば3年間で60単位も修得することができず(HR、必修クラブの時間もあるので)、卒業に必要な80単位には大幅に不足する。そこで登校日の1日を通信制のスクーリング(面接指導)とすれば、スクーリングの必要出席時間は定時制・全日制の授業時間に比してたいへん少ないので(例えば社会科では1単位あたり年間1時間の出席でよい)その1日だけで軽く10単位以上修得可能であり3年で80単位もクリアー可能となるのである。金沢中央高校も定時制の独立センター校からの改組であり、ここでも定通併修(ただしこの場合は実際に通信制の金沢泉丘高校に通学する方式)や技能連携(専修学校等の単位を修得単位として認めること、これも定通制の特例)また実務代替、大検の単位認定さらに課題研究等さまざまな手法を用いて3年卒業制を確保している。

 翌89年には鳥取西・埼玉大宮中央・私立向陽台高校の3校が単位制高校となっている。鳥取西は1学年1クラスのいわゆる単学級の定時制高校で杜陵や金沢中央と異なり全日制と校舎を共用する通常のタイプの定時制高校が、やはり定通併修等を導入し週5日3年で卒業できる単位制高校となったものである。単学級校の限られた人員で夜間課程のみで3年卒でしかも「多様な選択」を保障するため、甲乙の2本のカリキュラムを隔年交替でとらせる、全日制の教員に単位制を兼務させる等の涙ぐましい努力がなされている。大宮中央は大都市圏のかなり大規模な通信制独立校に新たに単位制の通信制課程と定時制課程を併置したものである。通信制部分では技能連携を行い、定時制部分では午前・昼間・夜間の3部のコースを設け、自校内で定通・通定併修を行なっている。鳥取西とは対照的に、既設の単位制でない通信制の課程を含めると総定員が6千人に及ぶマンモス校となり生徒指導面での困難が予想される。しかし、さらに大規模な単位制高校が存在する。私立の広域通信制(2府県以上にまたがる通信制)高校から発足した向陽台高校である。もともと向陽台は紡績会社等の企業内学園(各種学校)がそのままの形では高卒資格を得られないので、企業内学園の生徒をそのまま通信制の向陽台に入学させ、その授業を通信制のスクーリングとみなして高卒資格を与える形(向陽台方式と呼ばれる)の学校であった。実態は集団で学習する定時制・全日制タイプの学校を通信制と位置付けることで、少ない授業時間で高卒資格を与えることができるわけである。確かに通信制の標榜する自学自習は実はもっとも困難な学習形態であり、通常の通信制よりも集団で学習する向陽台方式の方が卒業率は高いであろう。何度も言及した定通併修のいわば極北の形態ともいえよう。その後、技能連携制度が拡大されると向陽台はいち早くこれを導入、そのままでは高卒資格の得られない各種学校・専修学校と技能連携を行い、さらに上述の向陽台方式を加えて高卒資格を与える学校として発展する。さらに、単位制高校制度が発足すると、主として高校中退者をターゲットとした「単位制による通信制普通科」と従来の技能連携校にも単位制を導入、初年度8千8百人に及ぶ超大規模となった。向陽台は技能連携・実務代替・大検単位・他の高校での修得単位(及び在籍年数)・学期ごとの単位認定などさまざまな手法で単位の認定及び累積を行い、高卒資格認定機関とでも呼びたい形の単位制高校となっている。92年に開校した私立八州学園も、規模は小さいが向陽台型のコンセプトの単位制高校であるといえよう。     

  91年に東京都が開校した新宿山吹高校、92年に大阪市が開校した市立中央高校は既設の定通制の看板を書き替えたものではなく、温水プール等の充実した施設を備えた独立校であり、とりわけ昼間の課程ではかなり高い競争率で選抜された生徒を集めマスコミ等でも好意的に報道されている。

  さて、冒頭でふれたように、文部省は全日制にも単位制高校を導入する方針を打ち出した。しかしその文部省は89年には高校教育課程研究会報告書において単位制高校についても一定の総括を行い、「生徒の学習負担は軽減する」が、「豊かな人間性を求める教育目標の形骸化」「系統学習不成立」等の欠点を指摘し、「現在の全日制高校において単位制を完全実施することは幾多の困難を伴い、学年制の利点を失う」と判断していたのである。この2年間で単位制高校をめぐる条件が劇的に変化したとも考えられないのに、まったく異なった方針が示されたことには疑問を感じる。しかし、私個人は単位制高校の構想自体が高校としては欠陥を含んでいるという単位制高校不要論には与しない。元来高校は単位制が基本であったはずであり、学年制をとることで留年が起こり、それが高校中退のひとつの原因となっているのは否定できない。また、単位制では学級集団の教育力が薄れるのは事実だろうが、学級集団の中の人間関係が原因で不登校に陥るケースも多いことも考えねばならないだろう。一定のタイプの生徒には単位制高校は悪くないと私は考える。そして現状では単位制に向かないのは全日制ではなくて、定時制であると考える。定時制では、まず総時間数の制約から単位制の売り物である「多様な選択」を保障できない。もっともこの点は3年卒業にこだわるからそうなるので、従来どおり4年制であればかなりマシなのであるが、それでも学校5日制を前提に考えれば全日制は90コマ、定時制は80コマで10コマの差があり、増して定時制が3年制ならば60コマしかなく、単位制のメリットを定時制では生かせないのは明白である。また現状では一般に定時制の生徒指導はかなり困難になってきており、多くの現場で生徒を教室に入れる指導に手をとられているのが実状である。単位制高校では原則的には個々の生徒に授業に出なくてもよい時間帯があることになるわけで、生徒指導に困難を感じている現場では、定時制にしろ全日制でも通信制でも単位制の導入は困難であると考えざるを得ない。

 

2.大阪の高校教育改革

 

 (1) 概括 

  大阪府においては新タイプの高校等の高校教育改革は他地域に比して、取り組みが遅かったといえるだろう。1987年、時の浅野教育長は「入学者選抜を考える」(高校教育研究10号)という論文を発表し、その中で文部省の示した受験機会の複数化の方針に明確に反対している。89年ごろまでは、大阪府教委は入試改革や新タイプの高校等には余り熱心ではなかった。とりあえず、「学習メニュー」の開発を提起し、習熟度別学級編成に利用されたりしていたが、これは前述したAタイプの改革であり、新タイプの高校等については「他地域のお手並み拝見」といった様子であった。しかしその後、他地域に遅れをとったと考えはじめ、急速に高校改革策を提起するようになる。一方、大阪市は早くから体育科を設置し、定時制を統廃合して単位制の第29高校(中央高校)を設置する事を計画していた。また、英語科・理数科等の新学科もいちはやく設置している。90年にいたって府教委は千里・住吉・佐野高校(学区の2番目クラスの進学校である)に国際教養科を設置することを発表、また入学者選抜制度も一部変更して新設の国際教養科に2回入試制を導入、男女比率も弾力化した。一方的な発表に組合等のの反対もあったが、結局91年度から発表どおり実施された。府教委は91年秋には「リフレッシュプラン」という高校改革案を発表するとしていたが、事前には単位制高校については「大阪市がおやりになるので府としては考えていない」とのニュアンスのコメントをしていた。しかし昨年9月に発表されたリフレッシュプランは@入試改革の進展 男女比の弾力化拡大、二回入試を全専門科に拡大、入試日の全定分離 A特色ある学科・コースとして国際教養科を全学区に1校置く、体育科の新設、情報・体育・アジア文化言語コースの設置 等の他にB大幅な定通制改革が含まれていた。

 

 (2) 大阪府の定通制改革 

  @通信制桃谷高校の単位制高校化 府下で唯一の公立通信制桃谷高校ではすでに他の定時制にさきがけて特例として3年卒業制が導入されており、昼間コースも試行的に実施されていた。そしてここで92年から昼間部を正式に発足させ、また上述の大宮中央型の通信制主体の単位制高校になることとなった。 A単学級4校を募集停止・・・廃校とすることを決定 B工業科等を除く普通科19校の定時制高校に桃谷高校と定通併修を行なうことにより3年卒業制とする。等の方針が示された。ABについては一方的で性急な決定に反対の声がつよくとりわけAについては、当該校はもちろん分裂した日教組系組合・全教系組合とも強力な反対運動を展開し当面撤回させることに成功した。しかしBの3年制導入については現場の意見は必ずしもまとまらず、府の提示した定通併修案は結局、教育内容の切り下げであるという反対論も強かったが、年々志願者が減少してきている定時制にあっては、いよいよ中卒生激減期をむかえサバイバルの為には止むを得ないとする意見も強く、結果的には19校のうち導入が10校見送りが9校とほぼちょうど2分されることとなった。

  92年度の入学状況をみれば、3年制校に志願者が集中したとまではいえないが、全体としてみれば定時制志願者の減少の中で、3年制校のほうが減り方は少なかったことは事実である。単位制中央高校の昼間部は高倍率になり、桃谷高校も志願者が増加し、約180名の志願者をおとすこととなった。3年制導入校では準備期間不足の為、走りながら考える状態であるが、来年度は工業科を含め、さらに導入校が増える見込みである。

 

 まとまらないまとめ 

  この半年というもの大阪の定時制現場では3年制をめぐってさまざまな議論が行なわれてきた。ことは定通制教育の原点にかかわっている、そもそも今の日本社会の中で定時制あるいは通信制の果たすべき役割は何なのか。勤労者の為の教育機関の理念にこだわりつづけるか、少人数となったことを奇禍として、何らかの事情で定時制の門をくぐらざるをえなかった生徒の「治療と回復の場」とするか、「全定同格」の理念にこだわるか、あるいは割り切って高卒資格付与機関と考えるか。恥ずかしながら未だ明確な結論は出すことができない。結局、定通制のみならず現代における高校教育全体の存在意義から考え直してみることが必要であろう。



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