◆200002KHK188A1L0240OJE
TITLE:  21世紀の教育と法への視点と法使用
AUTHOR: 馬場 健一
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第188号(2000年2月)
WORDS:  全40字×240行

 

21世紀の教育と法への視点と法使用

 

馬 場 健 一 (神戸大学)

 

  本報告は教育法の報告らしく、「理論編」と「実践編」とからなるものであった。理論編では世紀の変わり目の今日において、教育法と学校教育の直面する問題状況を概観した。実践編では報告者が神戸市教委と兵庫県教委を相手に行っている体罰事故情報公開請求と異議申立について紹介し、若干の分析を行った。

 

  第一部(理論編) 21世紀の教育と法への視点

1.教育法と学校教育の直面する現在の問題状況

  教育法と学校教育の直面する現在の問題状況には、ある高法研会員からの電子メールの賀状にあるように、国旗・国歌法の制定、勤務評定や職階制の復活、職員会議の権限の否定、ひいては教育の中立さえも脅かされ、また管理職による教員や教育内容の統制も行われていくというような、戦後の学校教育をめぐる動きの延長線上にある保守化傾向、教育の国家管理傾向があることは否定できない。こうした継続的状況としては他にも例えば兵庫の学校事故問題や龍野体罰自殺事件等で見られ、また後述の報告者の情報公開活動の経験の中でもかいまみられるような学校、教育委員会の官僚的体質の継続とか、また個々人や個々の家族がアトム化しており、地域・PTA・父母「集団」への期待が困難であることや、いわば役人化、サラリーマン化した教師の「集団」への期待の困難さといったものもある。

  しかし2000年台を迎えた今日の学校教育と教育法とが対峙せねばならない状況には、こうしたものにとどまらない各種の新しい流れが存在している。それは例えば「自由化」「個性尊重」、市場原理の導入・規制緩和、地方分権、情報化、国際化、多元化等々と括られる多様な社会的、経済的、政治的傾向であり、そこには新科目を学校の裁量で行っていけとする文部省にマニュアル作成を要求したり、PC導入への抵抗を示したりする教師だとかにみられるように、それについていけない教育行政、学校現場という実状があり、他方で教育法研究もまた、こうした新傾向に紋切り型でない深い認識と洞察を加えてきたかというと疑わしい。またより具体的な政治に密着した側面では、ポスト55年体制という、労組やプロテスト型市民運動といった既存の組織的運動の退潮傾向、官僚主導社会の変化の兆し、文部省と日教組の関係の変化、政権交代・連立政権時代の継続、共産党以外の全政党の政権担当経験といった大きな変化が生じている。また学校の<相対化>の進行ともいうべき学校に対する親や子どもの期待の変容も生じており、少子化、定員割れ、多様化、大衆化等といった言葉と相関して語られる受験の競争的状況の変化が生まれ、また学歴信仰、受験社会に緩和(制度疲労?)の兆しも見られる。同時に子どもたちの多くは、「よい子」として優等生的に権利の主張などはしないものの、学校に管理され、従順であるというわけでもない。

 また日本社会には近年「広義の民主化」ともいうべき事態が進行しているようにも思われる。情報公開の進展はじめ各種の行政監視の強まり、迷惑施設等における地域住民の直接参加要求がかなり強くいわれ、また実効性も持つことが多くなってきている。同時に従来「専門職」の権威の上に安住してきた医師、法律家、大学教員でさえ「アカウンタビリティ」が要求され、いわゆる教育法の「教師専門職論」にも外部から深刻な反省が迫られる状況が生まれている。またこの民主化と同時進行しているのが社会における各種<法化>ともいうべき状況であり、紆余曲折や各種の副作用を伴いつつ人々の権利意識の高まりが見られる。PL法の制定、個人レベルの労働訴訟の増加、医療過誤やセクハラ問題そして学校関連紛争等々、それまでは法や権利で語られなかったり、社会的制度的壁に阻まれて泣き寝入りを強いられてきた人々が声をあげ、それがしばしば大きな社会的影響を持つようにもなってきている。(もちろんまだ不十分な点や問題点は多々あるにしても。)

  こうした新旧あいまった、なおかつ多くの要因や側面が複雑にからみあった錯綜した現在の社会や政治のありようは、時代状況と教育法状況とをきわめて「見えにくい」評価の難しいものとしている。もっともこれまでが、もともと複雑な問題を単純化して考えることができただけで、そういう安易な発想では立ちゆかなくなっただけだともいえるわけで、上記の各論点はそれぞれこれまで以上に教育法研究の重要性を示唆するものだともいえる。すなわち現在、以上に述べたような現代的状況をリアルにかつ包括的に見据えた法と教育をめぐる規範的法理論の必要はいやまして増大しているといえるのではなかろうか。

2.教育法理論研究のこれまで

  とすれば若干お定まりの感もあるがこれまでの教育法研究の流れの概観も必要であろう。

  60、70年代におけるそれは、詳細は略すが教育権論争と革新運動・民主化運動としての教育法紛争に特色づけられたものであったといえる。しかしそれは運動の退潮と時代状況の変化のなかで行き詰まりを見せていくことになる。次に80年代においては、一方で社会や教育状況の保守化が定着するとともに、各種の学校における個人主義的自由権の主張がみられることになる。第一の時代が組織的な教育法状況だったとすると、ここでは「法の個人化」とでもいうべき傾向が出てきたといえるように思われる。この時代は、いわゆる管理教育批判の流れで、少年法関係の活動を行ってきた弁護士の問題発見と積極関与が見られ、またいわゆる第二の教育法関係論というかたちで、そうした動きを背景に、それまでの教育法論に内在的な批判が加えられた。同時に憲法学からは、教育法の固有性を否定していくような議論も見られ、この時代の教育法をめぐるこうした議論に関しては、現在も決着を見ているとはいいがたい。しかしこの時代に見られた教育法や子どもの人権をめぐる関係者の活動も、現在では当時の活発さを失っているように見える。それはやや楽観的な見方かも知れないが、こうした子どもの人権保障を求め、管理教育を批判的に見る視線が社会的にも一定の定着を見、また少子化その他の上記の時代状況もあって、極端な管理が当時ほどは激しいものではなくなっていることがあるのかもしれない。いずれにせよ現在こうした問題に対する社会的関心が当時ほどではないことは確かであり、そういう意味でこの時期の議論も現在ある種の行き詰まりを迎えているといえるかもしれない。

  そして90年代に至ると、「子どもの権利条約」をめぐる議論が隆盛する。先の法の個人化に対応して、ここでは「法の国際化」ともいうべき現象に関心が向かう。第一の時代が国家法レベルに関心が集中していたことが、次期を追うに従って、いわば上下に法をめぐる議論の枠が徐々に広がっていくのである。これは教育法に限らず、より大きな法の現代的状況、あるいは最初に述べた日本社会の変化と連動した過程というべきであり、興味深い。しかしこの権利条約への関心は、他方で教育権論や教育法関係をめぐるそれまでの議論を、そしてそれゆえ80年代に教育法研究がもっていた緊張感と岐路・危機をすべて棚上げするような効果を持ち、それゆえ教育法研究はほぼ十年にわたって「延命」を果たすことができたと同時に、議論を深化させることを怠り、それゆえ停滞することにもなった。事実国際条約が一つできたところで学校の状況が一朝一夕に改善されるものではなく、権利条約へのバブル的な社会的関心がしぼんでしまった現在、このテーマも行き詰まりを迎えているというべきであろう。いよいよ現在、教育法研究はそのつけを払わされる状況にあるのかもしれない。他方同じ90年代においては、教育問題に関しても情報公開、個人情報保護制度の利用、訴訟がきわめて活発に行われ、注目すべきことに例外的ともいうべきめざましい成果をあげていることを挙げねばならない。しかしこれは教育法研究の成果というよりは、こうした自治体の制度を用いる活動、例えば市民オンブズマン活動などが成功を収めていることと連動した過程である。

  そういうわけでいよいよ2000年代を迎えた現在、教育法研究にはこれまでの以上の流れを総括することが迫られている。報告者には現在は教育法研究はそれに失敗し、いよいよ安楽死の時代を迎えるか、それとも新しいブレーク・スルーをなし得るのかの岐路、それも退路を断たれた岐路にあるように感じられる。実際、現在の各種教育法研究コミュニティの活動実態は、具体的に書くのはいろいろ差し障りもありはばかられるのであるが、ある種「惨状」に近い状態にあるのではないだろうか。それゆえ我々はすべてこの現状に目をつぶることもなく、しかしだからといって必要以上に悲観することもなく、こうした研究活動の現状を冷静に見つめ、新しいステップを踏み出すべきではなかろうか。

  もちろん研究の沈滞というのは総体としてみた場合の話であって、個々の研究や報告活動にはそれなりに見るべきものがあり、一定の水準を維持したものが出続けている。特に現場をふまえた高法研メンバーの報告には近年でも教えられるものが多い。しかし他方でやはりそうした個別研究を統合もしくは俯瞰しうるような理論的視座の必要性も感じられるところであり、やはりある種原点に返った教育法理論研究の必要が高まっているのではなかろうか。またこうした危機意識をもった議論が正面に出されることなく、漫然とこれまでのパラダイムや議論の枠にしがみつくような「お定まりの議論」も残念ながらまま見られるところであり、はっきりいってそういうものに接すると憂鬱で鬱陶しい気分になる。特にこの点における大学研究者の責務は重大である。

3.教育の理論と法の理論

  以下、羅列的になるが現在教育法の理論で論ずべき論点を報告者の思いついたままに挙げていく。

  教育法の理論ではそれが教育と法とのクロス・オーバー研究であることから、教育についての理論と法についての理論とが考究されるべきである。前者の教育の理論については、特に近年、教育諸学において近代公教育・学校教育を過度に理想主義的に捉えることなく、その本質的抑圧性ともいうべき契機にも着目し、リアルに認識していこうという流れが強くなり、教育法研究においても先の80年代の議論以降、そうしたリアリズムの一定の浸透がみられるように思われる。いずれにせよこちらについては今回は深入りせず、報告者の専門により近い法の理論について、断章的に議論を提出することとしたい。

  この法の理論については、教育法では先の教育権論や子どもの人権論、憲法学からの問題提起を期に、一時深まるかの様相もみせたが、実質的に放置されている状況である。そうした論争のレビューはあえてここでは繰り返さず、多少視点を変え、問題を別の角度から捉え返してみたい。

  報告者は「教育権論」であれ「学習権論」であれ「子どもの人権論」であれ、その「内実」や「起源」を思弁的、超越的、あるいは自然権的、もしくは歴史的に考察し、さらにそうした観念から演繹的に議論を展開するようなスコラ的教育法論はもうたくさんという気分である。なぜなら上記のようにそうした議論が裁判闘争なり、学校現場での民主化運動なり、子どもの人権保障のために大きな力を持った時期は過去のものになりつつあり、他方で新しい状況が生まれつつある中でこうした議論は、これまでの議論の総括と現状認識に立脚しない以上なんら新味がないからである。こうした議論は現在まず、「なぜ今これを議論すべきなのか、こうした議論にどのような機能があるのか」を自問すべきであろう。他方報告者には、それに加えて現在、自分たちのイデオロギーや価値観に都合のいい部分だけをつまみ食いすることなく、教育の場における法・権利・法制度(立法、行政、司法)の機能の規範論的・法理学的分析をリアルに行っていく必要があると感じている。こうした制度はなんらかの絶対的な線引をしてあちらとこちらに分け、向こうは反動的、政治的、反人権的、反教育的であり、こちら側が民主的、教育保障的、人権保護的というように単純かつ都合よく分けられるようなものではなく、もっとダイナミックかつ微妙なものだと見る感性を持って、法理的にも事実認識としても慎重かつ説得的な議論と観察とを重ねていくべきであろう。いうならば教育権だの人権だのという青龍刀でぶった切るような議論ではなく、一度に切れる範囲は小さいながらも鋭いメスで徐々に切り込み、結果として大きな効果を持つような切れ味のよい議論が必要である。視点を変えればこれは、一定の抽象概念から議論を展開する演繹型大陸法的教育法から、個々の判例やミクロな議論や実践に依拠する帰納型コモンロー的教育法ともいうべきものへと重心を移していくことだといってもよいのかもしれない。

  また教育と法について語るとは、教育法について語るとはいかなる営為なのかという点について、教育法研究者は現在より自覚的であるべきであろう。かつてのように国の教育政策に対抗していくという目的がより不明確になった現在、「国家介入の阻止」「子どもの健全な発達」という用語はいわば印籠であり、錦の御旗であって、それを持ち出せば実質的にはなんら議論が深まってもいないのに、意味あることをいったかのように思わせる一種の思考停止機能をもっていることに思いを馳せるべきであろう。また教育法学は「法学」と名が付きながら、例えば教育条理論、教育基本法の準憲法論、法による教育内容非拘束論、国家介入は排除するが教育法的司法判断は歓迎する等々といった議論にみられるように、一般の法律学にとっては理解不能なジャーゴンを振り回してわけのわからない結論を正当化するものという悪い印象がある。これは教育法学はHLA・ハートのいう「法の内的視点」(「距離を置いた」それを含め)を法学としてどこまで共有しているのかという深刻な問題を提起する。今後は他の法学研究者との交流を深め、法の一般理論や法律学方法論を真剣に考えて対話の道を探るべきであろう。また教育法学は運動論、政策論と法律論との関係を混同させているという、これはありがちな批判があるが、問題の本質はそうした表層的な政治性の批判ではなく、教育法においてこの両者を峻別するメルクマールは何かを十分に議論しているかどうかという点である。筆者の理解では法律学が価値中立などというのは大嘘であって、それは規範論である以上なんらかの価値判断抜きには不可能な営為である。ただ法律学は政策論と相対的に異なる「固有性」をもつべきものであり、それを突き詰めて考え、賢慮を働かせることに学としての意味がある。(こうした点には特に憲法学が敏感である。)例えば教育法学は、判決や解釈学説の法的正当性はどのように判定、正当化されるべきなのか、親、子、教員、行政、国家の間や子ども間、教員間で対立する具体的な諸利害はどのように法的に調整されるべきなのか、教育法学の議論は誰に向かって語っているのか、教育法学における法実務とは何か、さらにそもそも教育法学にとって法律学とは何なのか、何をしておりまた何をすべきなのか、といった広狭の原理的問題にあらためて真剣に考察の目を向けるべきである。ジャーゴンの通じる狭いサークルの中に閉じこもっていたのではブレークスルーはないのであって、初心に帰って広く法学や教育学、また社会科学一般を呼び込み、またそこに出かけていって自己の議論の土俵を相対化させてみるべきであろう。また近年注目されているマクロな社会的・規範的法理論、例えば田中成明の法の三類型モデルやセルズニック&ノネの「応答型法」、トイプナー「自省型法」他教育法理論にとっても示唆に富む議論から知見をくみ取るべきでもある。

 

  第二部(実践編) 学校情報公開請求運動と法使用

  後半は、報告者が北九州市、神戸市および兵庫県の情報公開制度を利用して行ってきた学校体罰関係の事故報告書その他の情報公開請求と、その非公開部分をめぐって神戸市および兵庫県に対して申し立て、現在審理が進行中の行政不服審査請求活動を対象としたものである。報告者はこうした活動の経過やその中で入手した情報、またこの活動に対する関係機関の対応などを素材に具体的な検討を行い、さらに社会運動論や法の社会理論の知見を借りつつ、他方でそこに寄与しうる可能性をも探ろうと考えている。

  細かい事実経過は略さざるをえないが、北九州市と神戸市においては、この公開請求により、教師の非常識な暴力で子どもに大けがをさせるなどきわめて重大な結果を生じたいくつもの事件を含め、かなりの体罰行為が発生しており、またそれらはたとえ教育委員会に報告されるに至ってさえもきわめてずさんに処理されており、ほとんど処分らしい処分もされずに放置されている実態が明らかにされた。どちらもそれはマスコミに大きく報道され、両市議会で問題にされ、教育長が答弁、陳謝するなど教育行政に激震を走らせることになる。しかしその教委の動揺は、加害行為・処分の甘さに対するものではなく、処分の手続が進行していなかったとか文部省に報告すべきことを怠っていたとかという、行政の対応のミスの指摘によってもたらされたものである。ここには学校体罰そのものは特異なものでない限り現在でもニュース性が高くないという環境要因が存在しており、問題提起者(公開請求者)のアジェンダ設定はずらされていってしまう。しかし少なくとも情報公開制度という法により一般市民にもアジェンダ設定が可能になるだけの権力資源は提供されるようになったと評価しうる。なお兵庫県に関しては、非公開部分のあまりの広さゆえ、そもそもニュース性をもつかどうかといった内容の検討さえ不可能な状況であった。

  他方行政不服審査に関しては、兵庫県においては年間数万件に及ぶ膨大な数の公開請求があるにもかかわらず、その提起数がきわめて少ない(報告者が申し立てた時点で審議中のものは2件のみ)ことが特徴的である。それゆえもあってか、その対応はきわめて不慣れでずさん、かつ非−法的である。しかしそれはまたこちらの側に一定の勝機をもたらす状況をももたらしている。他方神戸市の側はより「形式合理的」であり官僚的であるといいうる。異議申立の少なさから手続の進行は兵庫県のほうがはじめは早かったが、弁護士の補佐を申請しては「対審構造ではないですよ」と驚かれ、審査会の答申後半年経っても県教委からは音沙汰なしであり、やる気のなさに呆れている。神戸市は審査会の手続がとんでもなく遅く、異議申立後一年以上経つのにいまだに聴聞さえされていない。

  法的論点としては、教育法プロパーの問題ではないが、異議申立しても保存期間の経過した対象文書は破棄されてしまう(執行不停止原則?)こと、市民の側は異議申立期間、反論書提出期間、提訴期間など各種手続に短期の期限が付されるのに、行政の側は引き延ばし放題で均衡を欠くこと、こうした期間設定や聴聞の日時については行政の側が一方的に決められる部分が大きいこと、同種の条例をもちながら非公開部分に大きな差異があることは、「地方の自主性」で合理化できるのかどうか、といったことの問題性を実践の中で身をもって感じることができた。やはり象牙の塔にこもっていてはダメである。また情報公開では行政側はプライバシー保護と業務の支障を公開阻止の常套手段として振り回すが、特に前者の壁の厚さをどう越えていくかが課題でもある。

  また上述のように市教委よりも県教委のほうが非公開部分が広い一般的傾向があり、一つの事件についての文書量も多く、形式的な統一に欠けており、弁解も多い。非公開理由説明書もプライバシーその他の極端な拡張的理解に加え、事実上教委の自由裁量を認める内容であるだけでなく、脇の甘さや意味不明な支離滅裂な部分を含み、いかにも法的知識のない担当役人の作文であり、経験の蓄積の欠如を感じさせる。単なる県の他部局の同種文書の引き写しとも思われるところもある。神戸市は公開文書の様式や非公開部分が一貫性を有しており、既述のように「そつがなく」必要最小限のもので済ませている。広域権力、集権制のもつ一般的特性なのか、たまたま兵庫県のほうがより非民主的・前近代的というだけなのか、県にはその下に市町村教委の存在があるため、より慎重・保守的になったり考慮事項が多いため(中間管理職的存在)だろうか、などと考えていたが、当日の参加者から、県教委のほうが人事異動が頻繁でノウハウの蓄積に劣ることが大きいのではとの指摘もあり、なるほどと納得した。やはり大阪高法研の参加者はレベルが高く、こちらが教えられることが多く有意義であると再確認した。

 二一世紀も大阪高法研の息の長い活動が続いていくことを祈念し非力ながら応援したい。(終)


Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会