◆ S47.04.28 大阪地裁判決 昭和40年(わ)第6110号 大阪府立阿倍野高校日の丸掲揚反対事件(公務執行妨害被告事件) 判示事項: 学校内での国旗掲揚問題に関する団体交渉の際、交渉を一方的に打ち切った校長に対する教職員組合役員の有形力行使につき、可罰的違法性を欠くとして公務執行妨害罪の成立が否定された事例 裁判要旨: 一 学校における国旗掲揚という愛国心の涵養を目的とする教育問題については、校長は職員会議で教職員と話し合い、納得を得て実施することがのぞましい。 二 教職員組合は教育専門職能団体たる性格を兼ね備えているから、国旗掲揚の是非という教育内容に関して、校長に話し合いを求めても違法・不当とはいえない。 評釈: 吉川経夫(季刊教育法5号)、星野安三郎(別冊ジュリスト64号86頁)、橋本敦(教育評論1972年7月号)。     主   文  被告人は無罪。     理   由  一、本件公訴事実  被告人は、大阪府立高等学校教職員組合の副執行委員長であって、大阪市阿倍野区阪南町中一丁目二四番地所在大阪府立阿倍野高等学校校長吉田定(当五五年)が、昭和三九年一一月一七日から毎日学校で国旗掲揚を実施したことに対し、同組合の反対運動を指導していたものであるが、該運動の一環として、同四〇年二月九日同校において開催を予定されていた同校及落判定会議に右吉田校長の出席を阻止しようと企て、同日午後四時三〇分頃、同校長が、右及落判定会議に出席するため、その会場である同校内会議室に入室しようとした際、同室入口の板戸を背にして立ち塞がり、同校長の腕を掴んで押し或は手でその胸や肩を押す等の行為を繰返して暴行を加え、同校長の右及落判定会議への出席を阻止し、もって、同校長の職務の執行を妨害したものである。  二、当裁判所の認定した被告人の具体的行為  1 被告人の当公判廷における供述、証人吉田定(第一三回、第一六回)、同遠藤政右ヱ門(第一七回、第一九回)、同高垣又太郎(第二〇回、第二一回)、同佐々木栄三郎(第一〇回、第一一回)、同A(第三七回)、同B(第三八回)の公判調書中の各供述部分、証人B、同Cの当公判延における各供述および司法警察員作成の実況見分調書を総合すると、被告人は、大阪府立高等学校教職員組合(以下、府高教という)阿倍野分会(以下、分会という)の教職員等とともに、昭和四〇年二月九日午後一時ごろから大阪市阿倍野区阪南町中一丁日二四番地所在大阪府立阿倍野高等学校長室において、国旗連日掲揚の撤回を要求して吉田定校長と交渉していたところ、午後四時三〇分頃になって、野田久雄教頭からこの日開かれる予定の三年生の卒業判定を行う及落判定会議(以下、判定会議という)の準備が整ったことを知らされた校長が、席を立って、校長室から出ようとしたので、被告人が、行き先を尋ねると、校長は便所に行くと答えたため、被告人は、校長が、判定会議に出席しようとしていることを察知して校長について行き一緒に便所を出たが、校長は校長室に入らず、そのまま校長室前の廊下を会議室に向ったので、被告人は、校長の横を通り抜けて先き廻りし、校長室の入口と会議室の入口のほぼ中央やや会議室寄りの地点(会議室の入口から約二米のところ)で校長の前に立ち、一方的な交渉打切りに抗議するとともに交渉の継続ないし続行を求めた。これに対し校長は、「どかんか。」等と大声で怒鳴ったので、校長室で待機していた府高教のA、B、D等のオルグや当日大阪府教育委員会(以下、府教委という)から同校へ派遣されていた遠藤政右ヱ門、高垣又太郎の両指導主事等が、校長の怒声を聞きつけ踵を接して校長室からとび出してきてその場が騒然となった。興奮した校長は被告人に向って詰め寄り、後退する被告人の左肩に右手をあてがい、左側へ被告人を押しのけようとする行為を繰り返したため、被告人は、校長の右上膊部を左手で押えたところ、今度は、校長が、被告人の左手を振り払おうとして右腕を上、下に振る一方、両手で被告人の左肩や左腕を左側に押す等しながら詰め寄ってきた。これに対し、被告人は、なおも交渉の継続を求める一方校長に押されまいとして両手で校長の肩や胸のあたりを数回押し、そのために校長の上体が二回程後方に傾くということがあったが、結局校長の威勢に押されて会議室の扉のところまで後退し、扉を背にして立ち止る状態となった。そのため、校長は、「公務執行妨害だぞ。指導主事よくみておけ。」と云い、後方にいた佐々木事務長に向って警察に連絡するよう指示したので、一瞬その場が静かになった。そのすきに遠藤指導主事は、会議室の扉を開けて校長を会議室に押し込んだ。このような被告人と校長のやりとりは、高々二、三分ないし三、四分間という短時間の出来事であったことが認められる。  2 そこで、前段認定の被告人の具体的行為の程度について考察するに、被告人の行為は、校長の右上膊部を抑えたり肩や胸のところを押したといっても、校長に押しのけられまいとして行なったもので、ずるずると二米余り下っているところからみても、その力は強いものではなく、二回程校長の上体が後方へ傾いたのも、被告人の押した力が強かったというよりは校長が積極的に前に出ようとしたために生じたものではないかという疑が強く、特に粗暴なものであったとは認められず、しかも二、三分ないし三、四分間のごく短時間の間に高々五、六回右のような行為があったにすぎないものと認めることができる。  3 もっとも、本件には、右の認定に反する証拠もあって、その証拠評価が、問題となるが、次に重要なものについて検討を加える。  (一) 被告人と校長とが対峙した場所および被告人の行動について  検察官は、被告人が、当初から会議室入口扉を背にして、その前に身体を扉につけるようにして立ったと主張し、被害者である吉田校長も「(用便を済まして)行った道を帰りまして、そのまま、会議室へ入ろうとしました。(被告人は、)便所から私の横を一緒に歩いてまいりましたが、校長室入口付近で私入口を通りすぎようとしました時に、私の前に走りぬけました。(そして)会議室の戸口の所に立ちました。」と供述し(第一三回公判調書中の供述部分、以下第何回公判と略称する。)、更に校長室にいた府高教側のオルグや遠藤、高垣の両指導主事等が、廊下に出て来る前にも、被告人が、校長の右上膊部を掴んだり、肩や胸のあたりを押す等の行為があった旨(前同)を述べており、府教委の指導主事であり、自ら一番最初に廊下に出たと思うと述べている遠藤証人も「証人が、校長室から出られたとき、廊下の状況はどうだったですか。」との検察官の質問に対して、「ちようど会議室の入口のとびらを背中にいたしまして、桂さんが立っておる。そして、その前に、ま正面に校長さんが、立っておるとそういうような状況でございました。」と供述し(第一七回公判)、被告人と校長との位置に関して吉田証言に副う供述をしているのであるが、一方、遠藤証人と同様指導主事であり、同証人と踵を接して廊下に出た高垣証人は、弁護人の「最初の場面見たわけですけれども、そのとき、校長さんと桂さんの位置ですが、会議室の扉からどのくらいの所におりましたか。」との質問に対し、「桂さんは、ほとんど入口に近いですね。背中がぴったりひっついているというんじゃなしに手を伸ばせば届くというような所だったと思うんです。」と供述し、更に、「初めは、少し離れておって段々その後扉のほうにより接近したということですか。」との弁護人の質問に対し、「ええ、そういう状態だと思います。」と供述しているのであって(いずれも第二一回公判)、これは、被告人の当公判廷における供述、更には、証人中条秀一、同渡辺武治、同高階近穂の当該場面の各証言ともほぼ一致し、更に、被告人の当公判廷における供述によれば、被告人が、校長の前に立ったのは、せっかく府高教の本部から交渉に来たのに全く話しがかみあわない状態のまま、一方的に話し合いを打ち切られては困るから判定会議が終った後に交渉を継続するのか、日を改めてするのか、結末をはっきりさせるためであったと云うのであって、この供述は、後述のように阿倍野高校の教職員が、判定会議への校長の出席を拒否することが確定的であったことからみて被告人の真意を語っていると考えられるから、被告人が、校長の会議室への入室を阻止するため、先回りして同室入口の扉を背にしてその前に身体を扉につけるように立つまでの必要はなかったと思われ、被告人が、このような行為に出たというのは不自然であって証人吉田、同遠藤のこの部分に関する各証言は、にわかに措信できない。また、校長室にいた者が廊下に出て来るまでの間にも被告人が校長に暴行を加えた旨の吉田証言に関しても、遠藤証人は、廊下に出た直後の状況について検察官が、「どちらも別に体の動作は、伴ってなかったんですか。」と質問したのに対し、「最初、桂さんの両手は、下に降りておったと思います。校長さんも手をポケットに入れておりました。」と供述し(第一七回公判)、校長が、手をポケットに入れていたか否かは別として、この点に関しては、証人高垣、同中条、同渡辺の各証言および被告人の供述と一致していて信用できるところであり、右のような状態の被告人と校長が、その直前に、押し合っていたとは考えられないところであるからこの部分に関する証人吉田の前記供述は信用できない。  (二) 被告人が、会議室の扉を押えたか否かの点について  遠藤、高垣両指導主事や組合オルグ等の者が校長室から会議室前の廊下に出てきてから後の状況について、遠藤証人は、「桂さんが、終わりごろには、右手で後手にドアをあかないように押えて、左手で校長さんを押すとこういうかっこうになりまた。」と供述し(第一七回公判)、高垣証人も「桂さんは、右手で自分の後の所が、ちょうど扉になっておりますので、扉の真中辺を押えまして、左手で押したり、胸を押したり、腕のほうを押したりしておったです。」と供述しており(第二〇回公判)更に、吉田証人は、「(被告人は、)右手のほうでドアを押えとったんじゃないかと思うんですが。」と供述している(第一六回公判)。  しかしながら、右の各供述中、吉田証人の供述内容はそれ自体曖昧であり、しかも事件の直接の当事者である同証人が、相対している被告人の背後の状況までも冷静に観察しえたとは考えられず、これらの点からみて吉田証言の信憑性には疑問が残るといわざるをえない。  一方、遠藤、高垣両証人は、同証人が自ら証言するごとく、指導主事として上司から判定会議が円滑に行なわれるよう校長に対し指導、助言するようにとの命令を受けて阿倍野高校にやってきたもので、後記(三)認定のところからも窺えるように、校長と被告人の間のやりとりについて、その立場上、公平で偏らない観察をなしえたかどうか疑わしいところがあり、特にその供述が被告人の外形的な行動からその内心の意図を推し量るような内容のものである場合には、その信憑力について慎重に検討する必要があるものというべきであるが、これらの点を考慮して遠藤、高垣両証人の証言をみると、右両名が、会議室の扉のところまで後退した被告人が手を後ろに下げている状況を目撃して、扉をあかないように押えていたと誤認、誤解する可能性は否定できないところといわねばならず、加えて、被告人が、目前に迫っている判定会議で校長の出席拒否が決定されることを承知しているのに、扉を押えて是非にでも校長の入室を阻止しなければならないほどの必要があったとは考えられないこと、更には、遠藤証言(第一九回)によれば、同人が扉をあけたとき、抵抗もなくさっと開いたというのであるから、これらの諸事情を併せ考えると、遠藤、高垣両証人の前記各供述は、にわかに信用できず、これらの供述をもって、被告人が会議室の扉を押えて校長の入室を阻止したとの事実を認定することは困難である。  (三) 被告人の具体的行為の程度について  校長を押した被告人の行為の程度について遠藤証人は、「(校長が、)まあ、半歩ぐらいは、ぱっとあとずさりして持ちこたえるというんですか、強いものに押されましたらこういうふうに足後ろへ一歩開きますけれども、そういうような状態です。」と供述し、「今の動作を見ますと(校長が)上体をそらすような動作をされましたが、そういう動作があったんですか。」との検察官の質問に対して「はい。」と答え(以上いずれも第一七回公判)ており、高垣証人も、「ある時は、のけぞるようなかっこうをし、あるときは、前のほうに出ていかれるというわけで前後左右に動いてられました。・・・校長は、ひ弱い方でございますので、やはり、ひょろひょろしてられました。後の方に左足か、足を半歩さげて自分の体をのけぞりながら支えるということも見ております。」と供述し、「胸を押されてよろめくような状態はありましたか。」との検察官の質問に「はい。」と答え(第二〇回公判)ているのであるが、当の校長は、被告人から肩や胸を押されたときの状況について「二回ぐらいそり返った程度のことはあったと思いますが・・・」と証言し、「足がよろめいたようなことは。」との検察官の質問に「そういうことは、ありません。」と答え(以下いずれも第一三回公判)、右の供述は、「前へも後へも横へもよろめいたというような状況は、なかったとこう聞いてよろしいですね。」との弁護人の反対尋問に「そうであります。」と明確に断言し、弁護人から「そういうやり取りであなた自身が腕が痛い、胸が痛いというような痛みを感ずるような状況は、なかったわけですね。」と念を押されたのに対し、「ありません。」と供述しているのであって(以上いずれも第一六回公判)、これらの吉田証言は、被告人と対立関係に立ち、かつ被害者の立場にある校長の供述として信用性があると考えられるばかりでなく、右認定の被告人と校長とのやりとりの経過から考えても信憑性があると思われ、前記の遠藤、高垣の各証言は措信できない。また、被告人から右上膊部をつかまれたときの程度について、吉田証人は、「私の右手相当強くつかんで、後のほうへ押えつけるようなことから・・・本気でやるかも知れんなという感じをそのとき受けました。」と供述しているが(第一二回公判)、被告人が、校長の右上膊部を押さえたのは、校長が右手で被告人を押しのけようとしたのを防ごうとしたものに過ぎないから、被告人の右所為は、ある程度力が加わっていたと考えられるにしても、右の吉田証言にいうほど強かったかは疑問が残る。  (四) その他、証人佐々木栄三郎、同野田久雄の各供述部分のうちには、前記二、1認定とは異なり、吉田証言や遠藤証言、高垣証言に副う部分もあるが、佐々木証人等が、目撃した位置関係からすると、果して証言どおりの状況を現認できたか疑わしいところもあり、その証言の内容を、前後の脈絡に照らし合わせると、校長に不利な証言を避けようとする心理的傾向も窺えなくはなく、そのまま信用するには、いささか躊躇せざるを得ない。一方、証人稲石俊輔、同中条秀一、同渡辺武治、同高階近穂の各供述部分や証言、被告人の供述も前記二、1認定と異なる部分については、客観的状況に照らして不自然、不合理な部分があって、これまた信用できない。  三、被告人の行為の法的評価  1 校長の職務の執行と被告人のこれに対する認識について  弁護人は、被告人の行為は、校長の職務執行中になされたものではないし、また、被告人には、公務の執行を妨害する意思はなかったと主張するので、この点について判断する。  被告人の行為は、校長が、判定会議に出席するため、会議場である会議室に赴く途中で行われたもので、その場所も校長室から会議室に通ずる廊下のほぼ中間で、会議室入口より約二米程のところであったことは、前記二、1認定のとおりであり、被告人の当公判廷における供述、証人吉田定(第一三回)、同野田久雄(第二二回)、同E(第三三回)の公判調書中の各供述部分を総合すると、校長が会議室へ赴こうとしたときには、会議室では、判定会議の準備も整い、既に教員は、着席し、校長が出席すれば、会議が開催できる状態であったことが認められるのであって、校長の会議室に赴く右の行為は、判定会議への出席そのものではないが、それと時間的、場所的に接着し、切り離し得ない一体的関係にあるとみられるから、まさに、判定会議への出席に着手したものというべきであり、公務員の職務行為であると解することができる。  また、被告人が、右のような行為に出た意図は、校長が一方的に交渉打切りの態度に出たことに対する抗議であると同時に今後の交渉の約束を取りつけることにあって、判定会議への校長の出席を阻止することにあったのではないことは、前認定のとおりであるが、少なくとも被告人は、校長が判定会議に出席しようとしていることを認識しながら、右職務の執行に際し、これに対し有形力を行使したものと認めることができるから、弁護人のこれらの点に関する主張は採用できない。  2 被告人の行為について  本件において、弁護人は、被告人の行為が可罰的違法性を欠くものであると主張している。  (一) 本件の背景事情  そこで、右のような可罰的違法の有無を判断するについては、法益侵害の程度、行為の動機、目的、手段、方法等の諸事情を考慮し、具体的に検討すべきものであるが、本件において、その判断の資料となる諸般の背景事情については、次の諸事実が認められる。 (イ) 国旗連日掲揚問題の発端について  昭和三八年一〇月一一日大阪府議会は、「官公庁及び各種学校において、日曜日を除く毎日午前九時から午後五時までの間、一斉に国旗の掲揚が行われるよう強く要望する」旨決議し、これに基づき、大阪府教育委員会は、同年一一月三〇日教育長名で各府立学校長宛に「国旗尊重の指導を一層徹底するために日々国旗を掲揚することが望ましいと考えるので、特に配意せられたい」旨の通達を出した。 (ロ) 校長協会の対策について  府教委の通達を受け取った学校長は、その取扱いについて校長協会(大阪府立高等学校長で組織)において一年近くに亘って対策を協議していたけれども、国旗連日掲揚の是非についての結論は得られなかったが、(1)通達の趣旨は尊重する、(2)それぞれの学校の実情に応じ、各学校を三グループに区分し、掲揚しやすい学校から順次掲揚して行く、(3)しかし、最終的には、各学校の校長の判断と責任で決定することを申し合わせた。 (ハ) 府高教の対策について  府高教においては、同年一二月初旬、国旗連日掲揚の問題につき、各学校の組合員の間で討議することを指示するとともに、翌三九年一月二二日の中央委員会で、国旗が、教育の反動化、軍国主義化の中で果した歴史的役割ならびに現場教職員の意向とは無関係に、通達が出たから掲揚するという非民主的な学校運営を批判して国旗連日掲揚反対の方針を決め、同年八月二八日の中央委員会において、国旗強制掲揚反対の決議をした。その決議に基づく対策については、直接的な行動で強行解決をはかるようなことをせず、交渉の場で教育的に解決することに決め、その方法は、各学校の教職員の自主的な判断に任せ、それを府高教が支援することにする一方、府高教自体は、府教委、校長協会と交渉した。府教委は、生徒の愛国心を涵養するため国旗の連日掲揚を実施すべきであるとの立場を崩さず、校長協会も、府高教の「日の丸掲揚に関する申入れ書」と題する質問状に対し(1)学校教育において国旗を尊敬する心情と態度を育成すべきである、(2)国旗をどのような様式で校内に掲揚するかは校長の判断に任せられるべきだと考える、(3)その際、学校長の意見と教職員の意見とが一致し、その理解と協力を得て実施することが最も望ましいが、校長の判断と責任において独自に行う場合もあり得る等を骨子とする回答を示した。このような折衝の過程にあって同年一一月以降淀川工業高等学校と阿倍野高等学校において、職員会議の反対にもかかわらず、国旗の連日掲揚が、実施され、教職員は、学校運営について校長に協力しない方針を打ち出す等校長と教職員の対立が激化し、教職員の非協力運動が、展開されるに至ったので、府高教は、同月の大阪府教職員組合臨時大会において日の丸強制掲揚反対の提案をして賛成を得、支援を取りつける一方、同月二五日の府高教中央委員会において「(淀川工業高校長)岩田林光氏は、ただちに日の丸連日掲揚を中止せよ。全府立高校長は、権力的教育行政の走狗にされてはならない。全教職員は、民主教育防衛のために団結しよう。」との特別声明を発して国旗連日掲揚反対運動を強化し、淀川工業高校の岩田校長、阿倍野高校の吉田校長に対し、被告人等府高教の役員等が、直接交渉に加わり、国旗連日掲揚の撤回と学校運営の正常化を要求するに至った。 (ニ) 府立高校の国旗掲揚の状況について  国旗連日掲揚の通達の趣旨を受けて、同年一二月ごろには、府内六七校のうち、淀川工業高校、阿倍野高校をはじめとして主に新設校においてではあるが、二〇校前後が、国旗連日掲揚を実施していたが、そのうち数校は、校長との交渉の結果、掲揚を中止し、現在でも連日掲揚しているのは箕面高校、藤井寺工業高校の二校にすぎず、淀川工業高校の岩田校長は、同四〇年四月成城工業に転勤したが、同校では、初めから全く掲揚しないし、阿倍野高校の吉田校長も、転勤先の住吉高校では、やはり初めから全く掲揚していない。阿倍野高校では、吉田校長が転勤した後、同四四年四月から掲揚を中止するに至った。 (ホ) 阿倍野高校における国旗連日掲揚の経緯と反対運動の状況について  府教委から国旗連日掲揚の通達を受けた吉田校長は、同三八年末ごろ、職員会議の議事原案の作成や運営をつかさどる運営委員会に府教委から国旗連日掲揚に関する通達が出された旨紹介したが、そのときは、格別、連日掲揚の意向を示すようなこともなかった。しかし、翌三九年一一月二日の運営委員会において、校長は、突然、国旗を連日掲揚する意思を明らかにし、校長協会においても一年近く討議した結果、同年九月末に掲揚することに決定していると発言するに至った。これに対し、運営委員からは、国旗掲揚を強行するのは好ましくないから自重されたい旨の意思も出されたが、運営委員会全体としては、聞き置いたにすぎなかった。そこで校長は、同月五日、職員会議に国旗の連日掲揚を提案し、職員会議は、この案件について討議を重ねたが、校長の十分考慮されたいとの要望により継続審議し、同月一二日の職員会議に持ち越し、二回に亘って三時間程度審議した。校長の提案理由は、(1)国旗連日掲揚に関する府教委の通達、府の文教政策を尊重する。(2)日の丸を国旗として生徒に認識させ、国旗尊重の気風を養いたい。(3)国旗掲揚を通じて、国民意識の高揚に資したい。国旗掲揚は、愛国心教育の一つの手段と考える。というのであったが、職員からは、「教育基本法の精神などに則って職員の意見を十分聞いてそれを尊重してほしい。通達も命令でないから、校長の立場からもそれは、十分行えるはずである」「国旗尊重の気風を育てるということについては、ともかく、毎日掲揚するのは異常ではないか。これは決して自然とはいえない」「国旗尊重ということは、祖国を愛するという、いわば、愛国心の結果として生れて来るという筋道を大切にすべきである」「日の丸問題については、政治勢力特に、憲法改定を考えている政治勢力が、音頭をとって掲揚運動を推進している中で、大阪でも出て来たんだから慎重に配慮する必要があるだろう」「文部省、教育委員会に連なる文教政策の中で愛国心教育が、教師の目から見れば、決して好ましい方向に行っているとはいえない」「軍国主義的な教育を助長する危険性がある」等の反対意見が出された。校長は、これらの反対意見に対して種々説得を試みたが、校長提案に賛成の意見を述べた者は、唯一人で、それもアメリカでは、連日、国旗を掲揚しているから日本でも行ってもよいとの理由からであって、結局、校長提案は、一二月の職員会議で無記名投票の方法により採決することになり、開票の結果、賛成三名、反対三八名で否決されるに至ったが、校長は、「職員会議で否決されたけれども、日の丸掲揚は、提案の考えどおり行いたい」と発言し、職員の意見には、自分の信念を変えさせるだけのものはなかったし、学校の責任者として自分の責任において行えるから国旗の掲揚を行うとの理由で職員会議の意思を無視した。このような校長の発言に対処するため、分会は、翌一三日緊急分会々議を開催し、国旗連日掲揚問題を討議し、次の三つの方針を決定した。(1)日の丸が、あがるあがらないということに目を奪われないで、今後も分会内でも校長との間でも粘り強く話し合いを行うこと、(2)職員会議の採決無視という非民主的な学校運営に対決して学校運営の民主化を進めていく、(3)日の丸に象徴される反動的な文教政策に対決して民主的な教育を推進すること、そして、この方針に基づいて(1)国旗掲揚問題の再考を促すため校長と交渉する、(2)日の丸掲揚の労務提供を拒否する、(3)独裁的な学校運営には非協力の態度で臨む、(4)この問題について生徒、保護者の理解を求める、(5)府議会、教育委員会にアピールする、(6)府高教の本部、支部、他学校の分会に実情を訴えるという六つの具体的な行動を展開することとし、翌一四日、府高教の執行委員に来てもらい、校長と交渉したところ、校長は、一旦は、一六日から掲揚する方針は考え直すと発言したが、結局一日延期しただけで、同月一七日から教職員の多数の反対を押し切って連日掲揚を実施するという異例の事態となった。そこで、分会は、国旗の掲揚を担当している野田教頭と佐々木事務長に対し、掲揚を取止めるよう説得活動を行う一方、同年一二月初めの分会々議で職員会議への校長の出席拒否を決定するとともに成績一覧表の提出拒否、終業式での校長の式辞拒否を行う等具体的な行動を起し、同月一二日の職員会議においては、「校長は、会議の決定を最大限に尊重する」との条項を含む職員会議規則を定めた。このため校長は、同月一六日から職員会議には出席しなくなっていたが、翌四〇年一月二一日の昭和四〇年度の教育計画を決定する職員会議には出席した。しかし、退席を求める動議が出され、校長自ら退席するといった一幕もあり、校長不在の職員会議が続く異常な事態になった。  しかし、校長は、一向にその態度を変えず、被告人等や分会員が、再三に亘って、学校運営正常化のため国旗掲揚の中止を要求しても、これに応ぜず、府高教のオルグが話し合いを求めてきても表面的にはこれに応じながら、内心では組合は交渉相手にならないとして、これを無視する態度をとるなどして、国旗の掲揚を続けた。そこで、分会では、同年二月八日分会々議を開き、(1)翌日の三年生の判定会議への校長の出席を拒否する、(2)同年三月中旬に行われる一、二年生の判定会議への校長の出席を拒否する、(3)学習指導要録の提出を拒否する、(4)成績一覧表の提出を拒否する、(5)教務部協議会への校長の出席を拒否する、との五項目の対策を決め、判定会議においてはまず、校長に対し国旗を降ろして話し合うことを要望し、それが、聞き入れられない場合には、校長の判定会議への出席を拒否する。校長が退席しないならば、職員が退席し、独自の判定会議を行うことにし、すぐさま、校長に対して右の五項目を伝える一方、府高教本部に対し、明日、二月九日に行う校長との交渉にオルグの派遣を要請した。これに対し、校長は、右のような五項目にわたる分会の申し入れがあったことを府教委の指導課長に連絡し、翌二月九日の朝、府高教オルグらの妨害により判定会議を行えなくなることを懸念して、予め、「二月一〇日午後三時三〇分から校長室における判定会議に出席されたい」旨の職務命令書を作成するとともに佐々木事務長に対し、警察連絡について指示を与えた。 (ヘ) 二月九日の校長との交渉の経緯と被告人の行為について  分会の要請に基づき、同月二日府高教から派遣された被告人は、午後一時ごろから阿倍野高校々長室においてE分会長、F分会員等数名とともに、国旗連日掲揚を巡る同校の異常事態を解決するため校長と交渉を行い、被告人側が、国旗連日掲揚と愛国心の問題について話し合いを求め、この異常事態は、校長が職員会議の意思を無視して国旗を掲揚したため生じたものであるから国旗掲揚を中止して話し合う必要があると主張したのに対し、校長は、前日の分会々議で決定した五項目事項や職員会議の規則の問題等を持ち出し、互に譲らなかったため、話し合いはかみ合わず、同じ主張の繰り返しとなって交渉は、進展しなかった。午後三時過ぎごろから府高教側から今宮工業高校のA、B、吹田高校のD、泉南高校のC等が交渉に加わり、総数十数名となる一方、府教委から派遣された遠藤政右ヱ門、高垣又太郎指導主事が、校長側に加わった。指導主事が派遣されたことで、交渉は、これまでと異なって緊迫したものとなり、被告人との間に感情的な言葉のやりとりが行われ、交渉は難航した。分会は、午後三時半ごろから校長の承諾を得て分会々議を開き、既に、前日の分会々議で決った判定会議への校長の出席拒否の方針を確認し、被告人は、E分会長からその旨を知らされる一方、校長は、野田教頭から分会々議が終って、判定会議の準備が整ったことを耳打ちされ、その後、被告人と校長との間で、前記二、1で認定したやりとりが行われ、その際、被告人は、前記二、1で認定した行為に及んだ。 (ト) その後の状況について  判定会議は、とにかく、校長が、出席して開催されたが、開会冒頭E教諭から校長に対し、「学校運営の正常化のために、まず日の丸を降ろして話し合いを始められるかどうか」質問がなされた。これに対し、校長が「降ろす気持は、ない」と答えたので、E教諭から「校長の退席を要求する。校長が、退席されない場合には、我々が、退席して別の場所で独自に会議を行う」旨の動議が出され、無記名投票で採決された結果、右動議は可決された。しかし、校長が、退席を拒否したため、教職員の方で退席することとなったが、このとき、校長は、三学年の組担任の教員九名と教務部長に前記の職務命令書を手渡した。会議室から退席した教職員は、校長が、校長室に戻ったので、再び会議室に集まり、校長を除いて、判定会議を行い、出席日数が、基準に達しない生徒を卒業保留としたほか、全員卒業の判定をし、校長に対しては、翌日、右の職務命令によって召集された教務部長等の教職員から判定会議の結果が、報告され、校長もその結果を承認した。  (二) 当裁判所の判断 (イ) 国旗掲揚の問題は、国旗を掲揚するという物理的な側面と愛国心の涵養を目的とする教育的な側面を持ち、前者は、学校の管理、運営の問題ということができるが、その教育的な側面と切り離し得ない不可分の関係にあって、教育的側面を抜きにしてこの問題を論ずることはできない。そして、この教育的側面は、主に愛国心涵養の是非、国旗掲揚の方法によることの当否というすぐれて教育的な性格を有する問題である。  ところで、一般的には、愛国心の涵養を目的とする国旗掲揚の是非については、各人の持つ感情、経験、価値観等によってそれぞれ異なる考え方があり、本件においても吉田校長と職員との間に鋭く意見が対立していたことは前説示のとおりであるが、一概にその教育的効果の是非を結論づけることはできないと思われるので、吉田校長の考え方にも一理あるが、被告人の考え方にも相当の理由があるという判断に止めることとする。ただいえることは、このようないずれの見解が是か非か容易にきめ難い教育内容に関する問題については、校長が、教職員とよく話し合って、納得のうえで実施することが望ましいということである。 (ロ) ところが、阿倍野高校においては、吉田校長は、職員会議に国旗の連日掲揚を提案し、教職員の間でその是非について色々な角度から討議を重ねたが、教職員の大多数はこれに反対し、校長も反対意見に対し説得を試みたものの、職員会議の大勢を左右することはできなかったのに、教職員の大多数の反対を押し切って国旗の連日掲揚を強行する措置に出たもので、右の措置は、校務を掌る立場(学校教育法五一条、二八条三項)にある校長が自らの判断と責任においてなしうる事項であるか否かの法的評価はともかくとして、異例の措置であることは否めないところであって、阿倍野高校の教職員が校長の執った措置に反発したのも肯けないわけではない。 (ハ) 府高教の副執行委員長の地位にあった被告人は、前記三、2、(一)、(ホ)で認定したような阿倍野高校における異常な学校運営を正常化するため、分会の要請に基づき、校長に対し、国旗の連日掲揚を中止するよう要求するため、事件当日、阿倍野高校に赴き、校長に対し交渉したのであるが、このような目的をもつ被告人の交渉要求が、地方公務員法五五条にいう勤務条件およびこれに付帯する事項に関するものといえるかは疑問であるとしても、府高教は、実質的には労働組合であるとはいいながら、一面において教員の組織体としての専門職能団体たる性格を兼ね備えていることは否定できないから、愛国心の涵養を目的とする国旗の連日掲揚の是非という教育内容に関して、校長に話し合いを求めたからといって、これを直ちに違法、不当なものということはできないと解せられる。 (ニ) ところで、前示認定の如く、吉田校長は、被告人の右交渉要求に表面的には応じたものの、被告人ら府高教オルグが実力で判定会議の開催を妨害するであろうとの予断のもとに、あらかじめ職務命令を用意し、或は事務長に警察への連絡方法について指示を与えるなど、話し合いに臨む態度は必ずしも真摯なものとはいえず、府教委から派遣された遠藤指導主事もいたずらに対立を煽るような発言を繰り返しており、校長側には、当初から事態を解決しようとする意思は全くなかったのではないかとも窺えるのである。そればかりか、校長は便所に行くと称して交渉の席をはずし、一方的に判定会議に出席しようとしたので、被告人は、これに抗議する目的で、校長の前に立ち、交渉の継続を求めたが、校長はこれを無視して強引に会議室に入ろうとしたため、被告人は、なりゆき上これに対抗しようと前示二、1認定のような行動に出たものであり、阿倍野高校における国旗連日掲揚をめぐる諸般の情勢に鑑みると、被告人の本件行為の動機、目的を、あえて違法、不当なものということはできないものと思われる。 (ホ) しかも、被告人の行為はすでに認定したごとく、殴る蹴る等の粗暴なものではなく、校長が被告人を押しのけようとするのに対して、その上膊部を抑え、後退しながら五、六回これを押す程度に留まるものであるうえ、これによって妨害された公務の執行も校長の判定会議への出席が、高々、二、三分ないし三、四分遅延したというに過ぎないのであって前記三、2、(一)、(ト)で認定したように当日の判定会議においては、実質審議を行うことができず、翌一〇日、職務命令によって召集された判定会議は、教務部長と三学年の組担任の教員だけで変則的に行われたが、このことについては、もとより被告人に責任はなく、いずれの点においても法益侵害の程度は、極めて軽微である。 (ヘ) 以上説示のごとき事件の背景事情、被告人の行為の動機、目的および手段、方法、法益侵害の程度などの諸事情を考慮するならば、被告人の行為は、健全な社会通念からみて、未だ公務執行妨害罪として処罰に値するほどの可罰的違法性を具備していないものと認められる。  四、結 論  以上のところから明らかなように、被告人の行為は、可罰的違法性を欠くものとして罪とならないので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し、無罪の言渡をすべきものである。  よって主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 松浦秀寿、裁判官 井上廣道、円井義弘)