◆ H07.10.26 福岡高裁那覇支部判決 平成5年(う)第16号 沖縄国体日の丸焼却事件(建造物侵入、器物損壊、威力業務妨害被告事件) 判示事項: 国体ソフトボール競技会の開始式中に会場に掲揚された日の丸旗を引き降ろして焼失させた行為につき威力業務妨害罪の成立を肯定した事例     主   文  本件控訴を棄却する。  当審における訴訟費用は被告人の負担とする。     理   由  本件控訴の趣意は、弁護人三宅俊司、同前田武行、同池宮城紀夫、同儀同保、同井上二郎、同丹羽雅雄、同中北龍太郎、同太田隆徳、同松本剛、同上原康夫、同中島光孝及び同大川一夫の連名作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官新庄健二作成名義の答弁書に記載のとおりである。 第一 法令解釈の基礎となる前提事実の誤認の主張について 一 所論は、原判決は、昭和六二年に沖縄県で開催された第四二回国民体育大会夏・秋季体育大会(以下「沖縄国体」という。)のうちの少年男子ソフトボール競技会(以下「本件競技会」という。)の開始式における日の丸旗の掲揚(以下「本件日の丸旗掲揚」という。)は、主催者である読谷村実行委員会と主管者である財団法人日本ソフトボール協会(以下「日ソ協」という。)との協議により実施されたものであり、主催者らの意思決定に基づくものと認定したが、読谷村実行委員会は、日の丸旗の不掲揚を決めていたところ、本件競技会の開始式の直前に至って、日ソ協には日の丸旗の掲揚を強制する権限がないのに、日ソ協の会長A(以下「A会長」という。)から「日の丸旗を掲揚しなければ、本件競技会の会場を変更し、選手を引き揚げる。」旨の恫喝を受けたため、自由意思を抑圧された結果、日の丸旗の掲揚を決意せざるを得なかったものであり、本件日の丸旗掲揚は、A会長の違法な強制によるものであって、決して主催者らの意思決定に基づくものではないから、原判決はこの点の事実認定を誤っており、これは、被告人の本件行為が違法か否かの判断の前提となる事実の誤認であって、判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。 二 そこで、検討するのに、関係証拠によると、本件競技会の開始式において日の丸旗の掲揚がされるに至る経緯について、次の事実が認められる。 1 沖縄国体は、昭和五九年七月四日、財団法人日本体育協会(以下「日体協」という。)、文部省及び沖縄県が主催して同六二年に沖縄県において開催されることが決定され、このうちのソフトボール競技は、読谷村、恩納村、嘉手納町及び北谷町の四町村において、右主催者のほか各競技場所の町村も加わって主催し、日ソ協が主管して開催されることになった。  こうして、国民体育大会開催基準要項(昭和三〇年一月一七日日体協制定。以下「基準要項」という。)に基づき、昭和五九年七月一〇日、沖縄国体の開催のために必要な事業を行うことを目的とする沖縄県実行委員会が設立されるとともに、同月二〇日、本件競技会を運営するために読谷村実行委員会が設立され、読谷村長B(以下「B村長」という。)がその会長に就任した。読谷村実行委員会会則によると、同委員会には、総会、常任委員会及び専門委員会が置かれ、村内の各種団体関係者までを網羅する総会の構成員は三〇〇名を超え、常任委員会は約五〇名から成っていた。常任委員会は、総会から委任された事項、総会を招集するいとまがない緊急な事項等を審議し決定する権限を持ち、会長には、「総会及び常任委員会を招集するいとまがないとき、又は総会等の権限に属する事項で軽易なものについては、会長は、これを専決することが出来る。」旨の専決処分の権限が付与されていた。 2 基準要項によると、大会の開始式については、「国旗掲揚」として日の丸旗の掲揚を必ず取り入れるものとするとされていたが、各競技別の開始式については、競技の開始に先立ち簡単な開始式を行うことができ、この方法については別に細則で定めるとされ、これを受けた国民体育大会開催基準要項細則(以下「基準要項細則」という。)によると、各競技別の開始式について、「できる限り簡素なものとし、その内容は、おおむね次のとおりとする。」として、(1)競技会会長開会の挨拶、(2)会場地代表挨拶、(3)大会会長トロフィー返還の三つが定められ、「国旗掲揚」は取り入れられていなかった。  しかしながら、これまでの国体においては、各競技別の開始式でも「国旗掲揚」が行われることが慣行となっており、昭和六一年一月二四日に沖縄県実行委員会の常任委員会で決定された沖縄国体開始式・表彰式実施要項(以下「開始式等実施要項」という。)によると、基本方針として、「各競技会の開始式及び表彰式は、基準要項・同細則に基づき、会場地市町村実行委員会が当該競技団体と協議のうえ実施する。」と定められ、式典内容として、開始式の中には「国旗掲揚」が取り入れられ、実施上の留意事項として、「旗の掲揚については、原則として国旗、大会旗、競技団体旗とし、実情に応じて県旗、市町村旗を掲揚することができる。(旗の掲揚方法については、別記のとおりとする。)」とされ、別記として、掲揚柱が三本又は五本の場合にはその中央に国旗が、掲揚柱が四本の場合には向かって左から二番目の柱に国旗が掲揚されるものとされた。 3 昭和六一年七月ころ、沖縄国体のリハーサルとしてソフトボール大会が恩納村で行われたが、これに出席したA会長は、関係の役員等を集めたパーティーの席上において、日の丸旗の掲揚等について沖縄県民の間に反対があり、特に読谷村においてはこれが強く、問題が起こるかもしれないとの説明を受けたことから、B村長に対し、「沖縄国体は特別な国体ではなく、一般にやっているのと同じようになる。日の丸旗の掲揚の問題もありますが、大丈夫ですか。」などと尋ね、本件競技会の開始式で日の丸旗の掲揚等が慣行どおり行えるかどうか感触を探ってみたところ、同村長は、「いろいろ難しい問題もあるが、国体をやる以上、最大限努力します。」旨の返答をした。このことから、同会長は、本件競技会の開始式でも日の丸旗の掲揚等を慣行どおり行えるだろうと思ったが、その際、同村長に対して、そのことについて問題が生じた場合には連絡してほしい旨付け加えた。 4 B村長は、右時点においては、本件競技会を読谷村で開催するためにその開始式で日の丸旗の掲揚をすることもやむを得ないと考えていたが、昭和六一年一二月、読谷村議会において「日の丸掲揚、君が代斉唱の押しつけに反対する要請決議」が採択されたり、そのころ、読谷村内において日の丸旗掲揚や君が代斉唱の強制に反対する旨の署名が村民の三割近い八〇〇〇名余りから集められるなどし、同六二年三月には、村長自身、学校の卒業式、入学式等における日の丸旗掲揚や君が代斉唱の強制は遺憾である旨の施政方針演説を行い、こうした情勢の推移の中で、同村長も次第に日の丸旗の掲揚等をしないで本件競技会の開始式を行いたいと考えるようになった。しかしながら、他方では右意向を日ソ協に伝えて協議しても受け入れられないだろうと考え、A会長に伝えるなどの措置は講じなかった。  同年九月ころ、読谷村実行委員会において、本件競技会の開始式の式典要領案が作成され、その内容として「諸旗掲揚」と吹奏楽「若い力」の演奏が取り入れられるなどし、日ソ協の了解も得て、原案どおり式典要領が決定されたが、その過程において、「諸旗掲揚」の中に日の丸旗が含まれるのか否かについて詰めた説明や議論がされることがなく、日ソ協側としては、当然のこととしてこれを肯定的に理解していた。  また、読谷村実行委員会事務局は、本件競技会の開始式に備えて、掲揚用と入場行進用の日の丸旗を購入した。 5 本件競技会は、昭和六二年一○月二六日から同月二九日までの日程で開催されることになっていたが、B村長は、その少し前ころに、日ソ協の下部組織である沖縄県ソフトボール協会(以下「沖ソ協」という。)からの問い合わせに対し、本件競技会の開始式において日の丸旗の掲揚及び君が代の斉唱を行うことは非常に厳しい状況にある旨回答した。  A会長は、沖ソ協を通じてB村長の右のような意向を知り、リハーサル大会時の約束に反した同村長の対応に驚くとともに、いまさら上部団体である日体協の意向に反して本件競技会のみ日の丸旗の掲揚等をしないで開始式を行うことはできず、早急に結論を出す必要があったことから、同月二二日、同村長に対し、電話で、日の丸旗を掲揚しなければ会場の変更や選手の引き揚げがあり得る旨を伝えた。  これに対して、同日午後、村長をはじめ読谷村の助役、出納長、部課長、村議会議長、同副議長、与党議員、村体育協会長、住民組織の代表らの読谷村実行委員会常任委員会の有力なメンバー等が緊急に集まり協議をした結果、とりあえず沖縄県の調整を期待して、日の丸旗の掲揚及び君が代の斉唱をいずれもしないで開始式を実施する方向を示すこととし、その旨A会長にも返答した。  同月二三日午前、B村長は、沖縄県実行委員会のC事務局長と協議し、前日の協議結果を伝えたが、同事務局長からは「沖縄県実行委員会が定めた開始式等実施要項どおり実施してほしい。最終的には読谷村と日ソ協が協議して決めることである。予定どおり読谷村で本件競技会が行われるように努力してほしい。」旨の見解が示され、沖縄県による調整は不発に終わった。同日午後来沖したA会長は、記者団の質問に対し、改めて日の丸旗の掲揚等が行われない状態であれば会場の変更、選手の引き揚げを考えざるを得ないと語った。  同日午後、前日と同様、村長ら読谷村実行委員会常任委員会の有力なメンバー等が再び集まり、日の丸旗の掲揚等について協議した結果、これまで本件競技会を実施するために村民の協力を仰ぎ、選手の民宿等の準備をしてきたことなどを無にすることはできないとして、本件競技会の開始式において、君が代の斉唱はしないが、日の丸旗の掲揚は行うことを一致して決めた。そして、その日の夜、B村長は、宿泊先のホテルにA会長を訪ね、右決定の内容を伝えた。 6 同月二四日午前、読谷村役場において、B村長、A会長、D副知事、C事務局長らが集まり、最終的な協議が行われ、本件競技会の開始式において日の丸旗を掲揚すること、君が代は斉唱せず、「若い力」を演奏することなどが確認された。  なお、日ソ協は、読谷村の住民感情を斟酌して、A会長以下選手団約五〇○名が翌二五日に読谷村内の地下壕チビチリガマ(沖縄戦において住民八十数名による集団自決が行われた場所)を参拝することを表明し、同日、参拝に赴いた。しかし、被告人やチビチリガマ遺族会の一部の者は、A会長は日の丸旗の掲揚を強制するものであるとして、同会長の参拝を拒否したため、選手団のみが参拝し献花した。 7 同月二四日の協議以後、日ソ協側のE某(高知県ソフトボール協会員)と読谷村側の同村職員労働組合のF及びGとの間で日の丸旗の掲揚の仕方等について話合いがされ、センターポールに大会旗を、その隣に日の丸旗を掲揚し、あわせて非核宣言旗も掲揚することとし、A会長の了解を得ることを条件に実施することとした。しかし、非核宣言旗の掲揚については同会長の了解を得られたものの、日の丸旗の掲揚位置についてはその了解を得られず、日の丸旗は、開始式等実施要項どおりセンターポールに掲揚されることになった。この経過は、読谷村実行委員会会長のB村長、本件競技会の実施本部長である同村助役H、読谷村実行委員会事務局長Iらに報告されることはなかった。 8 同月二六日午前九時から読谷村平和の森球場において本件競技会の開始式が行われ、午前九時一三分ころ、諸旗掲揚として、まず諸旗掲揚台のセンターポールに日の丸旗が掲揚され、続いて他のポールに大会旗、非核宣言旗等の諸旗が掲揚された。 三 ところで、前記昭和六一年七月ころのリハーサル大会の際のパーティー席上におけるA会長とB村長とのやり取りについて、B村長は、原審において、「A会長とは儀礼的な挨拶を交わした程度で、A会長から具体的に日の丸旗の掲揚の点に絞って、その実施が可能かどうかの質問を受けたことはなかった。」旨供述するけれども、また、一方では、「沖縄の特殊事情、難しい問題を申し上げ、読谷村の事情も若干話しました。読谷村挙げて四、五年もかけて国体成功に向けて努力してきたのだし、ぜひ国体は成功させたいと申し上げた記憶です。」とも供述しているところ、席上、沖縄県や読谷村の特殊事情が話題となったとすれば、競技団体の最高責任者であるA会長からB村長に対し、本件競技会の開始式において日の丸旗を掲揚することが大丈夫かどうかにつき打診が行われるというのはごく自然な成り行きであり、その後、本件競技会の直前に至るまで、読谷村側から日ソ協に対し日の丸旗の掲揚をしないで開始式を実施する旨の意向が示されず、その意向を知ったA会長が昭和六二年一〇月二二日にB村長に対し、「日の丸旗を掲揚しなければ会場の変更や選手の引き揚げがあり得る。」などと強硬な申し入れをした経緯等に照らすと、A会長の原審における供述のとおり、右パーティーの席上において、B村長からA会長に対し、日の丸旗の掲揚について、「いろいろ難しい問題もあるが、国体をやる以上、最大限努力します。」旨の発言があったものと認められ、この点に関するB村長の右供述は信用できない。 四 前記二の認定事実に基づき検討を進めるのに、所論は、本件競技会の開始式において日の丸旗を掲揚することになったのは、A会長の違法な強制によるものであり、読谷村実行委員会の自由意思による決定に基づくものではないというのである。しかしながら、前記認定の経過事実を総合すると、国体の各競技会における開始式及び表彰式は、基準要項・同細則に基づき、会場地市町村実行委員会が当該競技団体と協議のうえ実施すると定められ、式典内容として、開始式の中には「国旗掲揚」が取り入れられるなどしており、昭和六一年七月ころのリハーサル大会のパーティーの際には、B村長もA会長に対し、「国体をやる以上、最大限努力します。」などと日の丸旗の掲揚に前向きの発言をしていた。ところが、読谷村実行委員会は、その後の村議会の決議や村民団体の動向、これに見られる村民感情に配慮して、内部的には日の丸旗を掲揚しないで開始式を行う意向を固めたものの、原審においてB村長自ら「勇気がなかった。」と供述するように、協議を求めても同意を得られる自信がなく、反対されることをおそれて、このことについて日ソ協に対し協議を求めようとさえしなかった。そのため、本件競技会の直前に至って、読谷村実行委員会の意向を知った日ソ協側にしてみれば、日の丸旗を掲揚しないで開始式を行うということは予期しなかったことであり、このことは、B村長の従前の発言や開始式等実施要項の定めに反することでもあることから、日ソ協の最高責任者であるA会長がこれに抗議し、強い調子で方針の転換を要求したのは当然のことであったというべきである。もっとも、このことに関する記者会見の席上あるいは読谷村関係者との折衝の場でのA会長の発言には穏当を欠く点がなかったわけではないが、もともと日の丸旗を掲揚しないこととするについては、それまでの読谷村実行委員会の態度に問題があったうえ、問題の緊急な解決が要請された当時の状況にかんがみると、A会長の右発言は、読谷村実行委員会の再考を強く求めるための駆け引きとしてされたものと理解でき、これを一方的に非難するわけにはいかないところである。他方、読谷村実行委員会は、A会長のこの強固な発言に直面して、急遽、それまでの方針を転換し、日の丸旗の掲揚に踏み切ったものである。そうであるとすれば、これをA会長の違法な強制によるとみることはできず、本件日の丸旗掲揚は、曲折はあったにしても読谷村実行委員会と日ソ協との協議により合意され実施されたものであり、それに関して、読谷村実行委員会の意思決定の自由が損なわれたということはできない。所論は採用の限りでない。  所論は、昭和六二年一〇月二三日午後に日の丸旗の掲揚等を決めた会議のメンバー構成等からして、それは読谷村実行委員会による意思決定ではないというけれども、前記認定のとおり、そもそも同委員会会則によると、このことは緊急の場合にはB村長の専決処分によっても決定することができるところ、当時、本件競技会の開始式が間近に迫り、日の丸旗の掲揚をするかどうかを緊急に検討する必要がある状況下において、読谷村実行委員会常任委員会を構成する有力メンバーである読谷村三役、部課長、村議会議長、同副議長、与党議員、村体育協会長、住民組織の代表らが集まり協議した結果、日の丸旗の掲揚等が決定されたものであるから、この決定は、B村長の専決処分としての要件はもとより、常任委員会としての決定の実質をもそなえたものであったと認められ、読谷村実行委員会の決定であったことに変わりないというべきである。所論は採用できない。  所論は、日の丸旗の掲揚の仕方について、事前に実務レベルでセンターポールに大会旗が、その隣に日の丸旗が掲揚されることになっていたのに、本件競技会の当日になって、A会長がセンターポールに日の丸旗を掲揚することを強制したというけれども、前記認定のとおり、センターポールに大会旗を、その隣に日の丸旗を掲揚するという事前の話合いは、あくまでA会長の了解を得ることを前提に行われたものであるのに、結果的にはその了解を得ることができず、開始式等実施要項のとおり、開始式においてセンターポールに日の丸旗が掲揚されたというにすぎないから、これをもってA会長の強制によるものとみることはできない。所論は採用できない。  以上の次第であるから、論旨は理由がない。 第二 訴訟手続の法令違反の主張について 一 所論は、原判決は、本件起訴は公訴権の濫用として無効であり、公訴棄却をすべきであるとの弁護人の主張を排斥したが、被告人の本件行為の根幹は、日の丸旗の焼却による器物損壊であるところ、器物損壊罪は一般的には軽微事件として起訴猶予処分が相当とされており、本件日の丸旗焼却行為については、告訴権者の処罰を求める意思が希薄であり、その動機態様も、A会長による日の丸旗の掲揚の強制に対する抗議活動としてされたものであって、これに対する制裁は、憲法で保障された表現の自由との関係で特に慎重な配慮を必要とするのみならず、もともと法的根拠もないのに日の丸旗の掲揚を強制したA会長にこそ非があることなどからすると、ことさら被告人のみを不平等に扱って起訴したものと認めざるを得ないのであり、本件起訴は公訴権の濫用として無効であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。  そこで、検討するのに、たしかに検察官の裁量権の逸脱が公訴提起を無効ならしめる場合があることは否定できないとしても、それは、公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものというべきである(最高裁判所昭和五五年一二月一七日決定・刑集三四巻七号六七二頁参照)。これを被告人の本件行為についてみるのに、関係証拠によると、原判決認定のとおり、被告人は、日の丸旗は国民を戦争に動員するのに利用された旗であり、国旗としてふさわしくなく、本件競技会の開始式において日の丸旗を掲揚すべきでないと考えており、A会長の申入れの結果、日の丸旗が掲揚されることになったことを知り、開始式で日の丸旗が掲揚されればこれを引き降ろそうと考えるに至っていたところ、その当日、会場である読谷村平和の森球場の諸旗掲揚台兼スコアボード(以下「本件スコアボード」という。)に実際に日の丸旗が掲揚されたのを見て、これを引き降ろして再掲揚を妨げるため燃やしてしまおうと決意し、これによって本件競技会の業務を妨害することになってもやむを得ないとの認識の下に、その出入口に施錠がされるなどして管理がされている本件スコアボードの側壁面をよじ登ってその屋上に故なく侵入し、センターポールに取り付けられたロープをあらかじめ準備していたカッターナイフで切断したうえ、日の丸旗一枚を引き降ろし、これに所携のライターで火をつけ、これを右球場にいる人々に掲げて見せた後、その場に投げ捨て、その半分ほどを焼失させるとともに、本件競技会の運営を混乱させ、競技会の開始を約一五分間遅延させるなどしたことが認められ、犯行の動機、手段・態様、結果等からすると、本件起訴が公訴権の濫用として無効とされるような極限的な場合に当たらないことは明白である。また、前述のとおり、A会長の読谷村実行委員会に対する日の丸旗掲揚の要求を違法ということはできないから、同会長と対比して被告人のみを不平等に起訴したものとみることはできないし、被告人の本件行為が国体関係者や社会一般に与えた衝撃の重大性にかんがみると、本件日の丸旗焼却行為を単純な器物損壊と同視できないものがあり、本件起訴を目して不当ということはできない。したがって、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。 二 ところで、所論は、本件器物損壊の事実についてのB村長の告訴は、右翼団体が連日読谷村役場前に宣伝カーを繰り出してその業務を妨害するとともに、告訴しなければ自分たちで被告人を処刑するなどと脅迫し続け、現に被告人経営のスーパーマーケットが右翼団体の襲撃を受けるなどの事件が発生する状況下において、告訴についてはB村長に任せるとの被告人の意見を徴したうえで行われたものであるから、同村長の真意に基づくものとはいえず、告訴意思には瑕疵があり、本件器物損壊の事実については有効な告訴を欠くものとして公訴棄却すべきであるという。  しかしながら、関係証拠によると、B村長は、本件の建造物侵入と器物損壊(日の丸旗焼却)の事実について、被告人を告訴することとし、本件犯行日の二日後の昭和六二年一〇月二八日に弁護士照屋寛徳に告訴手続の委任をしたこと、同弁護士は、これに基づき、本件競技会の終了した同月二九日、沖縄県警察嘉手納警察署長に対し、告訴状を提出し、告訴の手続をしたこと、同村長は、同年一一月八日に那覇地方検察庁検察官に対し、改めて右事実につき被告人を告訴する手続をとり、その告訴調書において、「この告訴は、自由な意思に基づくもので人から強制されてしたものではありません。私としては、告訴することは事件の発生したその日に既に決めておりましたが、本件競技会の円滑な進行をおもんばかってその終了後に告訴することにして、実際そうしたもので、外部の人々の意見によって左右されて告訴したものではありません。」と自らの自由意思による告訴であることを明らかにしたこと、同村長は、原審においても、右告訴状及び告訴調書のとおりの告訴意思があったことにまちがいない旨供述していることが認められ、これによると、同村長の告訴意思には何らの瑕疵もなかったことが認められる。関係証拠によると、本件犯行後の同年一〇月二七日、読谷村役場に対し男から爆破予告の脅迫電話があり、翌二八日には被告人の経営するスーパーマーケットが放火されたり、右翼関係者が村内を回るなどしていたことが認められるけれども、前記認定事実に照らすと、このような事実がB村長の告訴意思そのものに影響を与えたと見ることはできない。また、被告人は、当審において、「B村長は、勾留中の私に、告訴することについての意向を尋ねましたが、私は、村長に任せると答えました。」旨供述するところ、同村長が告訴手続をとる前に被告人と面会したかどうかということ自体定かではないが、仮にこの事実があったとしても、前記認定事実に加えて、同村長が、原審において、被告人の本件犯行に対する見方及び告訴した心情について、「私の立場は平重盛の『忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず』の心境です。目の前の現象を見るのではなく、沖縄の歴史を見て、しかも読谷村では八二名の集団自決がチビチリガマであり、それに関わってきた一人の青年が、そういう状況の中で、大きな歴史のうねりの中で、今回の事件を発生させたものと受け止めています。」「村長は公的な立場にあり、読谷村全体の立場を考えた場合、断腸の思いで告訴をせざるを得なかったのです。」と供述していることをもあわせると、被告人との面会の趣旨は、B村長が告訴するか否かを決めるために被告人の意思を確認するというものではなく、告訴するについての同村長の心情を理解してもらうためのものであったと認めるのが相当であり、もとよりこのことが同村長の告訴意思に影響することはなかったものというべきである。所論は採用できない。 第三 法令適用の誤りの主張について 一 威力業務妨害罪の構成要件に該当しないとの主張について 1 所論は、原判決は、被告人の本件行為について威力業務妨害罪が成立すると認定判断したが、本件行為は、本件競技会の業務に携わる者の一部がこれに主観的に対応したにすぎず、客観的にはそれらの者に何らかの対応を迫るものではなく、これによって会場に混乱が生じたこともないし、競技を開始しようと思えばいつでもできたものであり、本件競技会の開始が一五分ほど遅れたのは、日の丸旗の再掲揚を要求したA会長の言動によるものであって、本件行為とは相当因果関係がないから、「人の意思を制圧するような勢力」により業務妨害の具体的危険性が生じたとはいえず、また、被告人には本件競技会を妨害する意図は全くなく、本件行為を自己の表現行為と考えていて「威力」に当たるとの認識を欠いていたから、威力業務妨害の故意もなく、したがって、本件行為につき威力業務妨害罪は成立しないというべきであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがあるというのである。 2 そこで、検討するのに、威力業務妨害罪の「威力」とは、人の意思を制圧するような勢力をいい、同罪の成立には、その威力の行使によって現実に業務妨害の結果が発生したことは必要ではなく、その結果を発生させるおそれのある行為をすれば足りると解される。  これを本件についてみるのに、関係証拠によると、昭和六二年一〇月二六日午前九時、五○○○人を超える観客を迎えて読谷村平和の森球場において本件競技会の開始式が始まり、選手団入場、競技会開始宣言に続き、日の丸旗を含む諸旗掲揚が行われた直後の午前九時一七分ころ、前記認定のとおり、被告人が本件スコアボード屋上に侵入し、センターポールに取り付けられたロープを切断したうえ、日の丸旗を引き降ろし、これにライターで火をつけ、これを球場内にいる人々に掲げて見せた後、その場に投げ捨て、その半分ほどを焼失させたこと、それを見た観客の一部は席から立ち上がり、会場全体としてもざわめきか生じたこと、本件競技会実施本部長のH助役は、本件行為を目撃して、直ちに式典の場から本件スコアボードの裏側まで駆けつけ、その付近の様子を確認した後、実施本部に引き返したこと、A会長は、大会会長としての挨拶をしている最中に本件行為を目撃し、挨拶を終えた後、直ちに関係者に日の丸旗の再掲揚を指示したこと、これを受けて読谷村職員が再掲揚のための日の丸旗を準備し、H助役が数名の読谷村職員とともに再び本件スコアボードに行き、日の丸旗を再掲揚したこと、開会式は、本件行為後日の丸旗の再掲揚がないまま続けられ、ほぼ予定時刻の午前九時四〇分ころ終了したが、その後に引き続き午前一〇時三〇分に予定されていた競技会の開始は、A会長の指示により日の丸旗の再掲揚を待つなどしたため一五分程度遅れたこと、B村長は、本件行為による会場全体の動揺等をしずめる必要があると考え、日の丸旗か再掲揚された直後、予定外にマイクを握り、観客と選手団に対し、「皆で作り上げてきた国体です。このように準備は整っています。心をしずめて、皆様の理解と協力の下に国体を成功させ、競技を無事終わらせていただきたい。」旨の挨拶をしたこと等が認められる。  右認事実によると、被告人の本件行為は、日の丸旗の焼却に伴い直後の再掲揚を不可能ならしめるのみならず、大勢の観客か見守る中、多数の関係者により整然と行われていた本件競技会の開始式の運営上、極めて異常な事態として、その運営に携わる関係者らに対し、できる限り本件行為による影響をなくし、従前どおり開始式及びそれに続く競技会を整然と進行させるための対応ないし努力を余儀なくさせるものであり、現実にも右関係者による日の丸旗の再掲揚、会場を鎮静化させるための挨拶等が行われ、競技会の開始が約一五分遅れるなどしたのであるから、本件行為をもって、本件競技会の運営に携わる者の意思を制圧する勢力の行使があったというに十分であり、かつ、それによる業務妨害のおそれも生じていたことか明らかである。  開始式が本件行為後も予定どおり続行されたことは、むしろ開始式及び競技会への影響をできる限り少なくしようとした主催者及び主管者側の対応ないし努力によるものと考えられ、本件行為による影響がなかったことを示すものではない。また、A会長の指示により日の丸旗の再掲揚がされ、競技会の開始もそれを待つなどしたために遅れたことは、前述のとおり読谷村実行委員会及び日ソ協の協議により日の丸旗の掲揚が合意されていた以上、本件行為に対応する必然の経過であり、本件行為と相当因果関係を欠くものとみることはできない。 3 次に、被告人の故意の有無についてみるのに、被告人は、前記認定のとおり、A会長の申入れの結果、本件競技会の開始式において日の丸旗が掲揚されることになったことを知りながら、整然と行われている開始式の途中で本件スコアボード屋上に侵入し、掲揚されていた日の丸旗を引き降ろしたうえ、その再掲揚を妨げるためこれを焼き捨てたのであるから、このような自己の行為が、開始式の進行を妨げるおそれのあるような異常な行動であり、本件競技会の運営に携わる者をして日の丸旗の再掲揚など被告人の本件行為に対応する行動をとらせ、そのために開始式やそれに引き続く競技会に何らかの混乱を与えかねないものであることを当然に認識していたと認められ、被告人に業務妨害罪の故意が存在したことは明らかである。  被告人は、日の丸旗の掲揚の点を除けば、本件競技会の開始式とこれに続く競技会が予定どおり実施されることを望んでいたことが関係証拠上認められるけれども、本件行為の時点では、日の丸旗の掲揚の下に本件競技会の開始式が実施されることは被告人も認識していたのであるから、そのような開始式において本件行為に及んだ場合にこれが前記のとおり威力業務妨害になるとの認識認容は十分にあったと認められる。  また、仮に被告人が日の丸旗掲揚反対の表現行為として本件行為に及んだとしても、それは単に本件行為の目的にすぎず、そのような目的を有していたからといって、本件行為が「威力」に当たることの認識認容がなかったということはできない。 4 以上のとおり、被告人の本件行為は威力業務妨害罪の構成要件に該当するから、論旨は理由がない。 二 建造物侵入罪の構成要件に該当しないとの主張について 1 所論は、原判決は、被告人が本件スコアボード屋上に上がった行為をもって建造物侵入罪の成立を認めたが、本件スコアボードは、開かれた競技施設に付属するものであり、被告人の侵入態様も、当初観客も気づかなかったほどであって私生活上の平穏を定型的に害する行為とはいえないから、本件スコアボードの屋上は、いまだ建造物侵入罪が保護しようとした「建造物」の一部には該当せず、また、被告人は、日の丸旗焼却行為は正当行為であると認識しており、その正当行為の実現のために日の丸旗に近づくのであるから、被告人には「故なく」侵入するとの認識は全くなかったのであり、したがって、被告人の右行為は建造物侵入罪の構成要件には該当しないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。 2 そこで、検討するのに、関係証拠によると、本件スコアボードは、読谷村が所有し、読谷村実行委員会が管理する読谷村平和の森球場に設置されたバックスクリーン・スコアボード兼諸旗掲揚台であり、鉄筋コンクリート造りで、高さ一一・九五メートル、間口二〇・三五メートル、奥行き三・一六メートルであること、その内部は五階建てとなっており、一階の出入口の施錠付き鉄製格子戸を開けて中に入り、階段を利用して階上に上がると、五階は表側がスコアボード裏側通路、裏側が諸旗掲揚台となっており、諸旗掲揚台の上は吹き抜けとなっていて、ポールが立てられていること、屋上は右吹きぬけ部分を除いてコンクリートたたきとなっており、そこからもポールに掲揚された旗に手を触れることができる状況になっていること、本件行為当時、右一階の鉄製格子戸は施錠がされていて、関係者以外そこから出入りすることは不能となっていたことが認められる。右認定事実によると、本件スコアボードが読谷村及び読谷村実行委員会の長であるB村長が看守する「建造物」に当たることは明らかであり、その屋上部分のみが「建造物」に当たらないとする理由は全くないから、本件スコアボードの屋上も「建造物」の一部として保護されるものというべきである。  次に、関係証拠によると、本件スコアボードの屋上に立ち入るための設備は内部及び外部のいずれにも設置されていないこと、右のとおり、本件行為当時、本件スコアボード一階の出入口の鉄製格子戸には施錠がされていたため、被告人は、本件スコアボード南西側(裏側)側面の花ブロックをよじ登って本件スコアボード屋上に侵入したことが認められる。これによると、被告人の右行為は、建造物の管理・支配を定型的に害するものであることは明らかであり、被告人においても、これが本件スコアボードの管理権者の意思に反するものであることを十分に認識していたものと認められ、建造物侵入罪の故意があったということができる。また、後記のとおり、被告人の本件日の丸旗焼却行為は違法であり、このことは被告人も十分に認識していたものであるから、日の丸旗焼却行為のために建造物に侵入したからといって、その故意がないということはできない。  よって、諭旨は理由がない。 三 可罰的違法性の不存在の主張について 1 所論は、原判決は、被告人の本件行為について可罰的違法性がない旨の弁護人の主張を排斥したが、(一)被告人によって損壊された日の丸旗はわずか三五〇〇円の代物にすぎず、切断されたロープは経済的にはほとんど価値のないものであり、本件行為による本件競技会の開始式への影響は何もなく、その後の競技会が遅れたのは、A会長が本来必要のない日の丸旗の再掲揚を命じたからであって、本件行為に起因するものではなく、建造物侵入に対する管理権の侵害もほとんどないなど本件行為による法益侵害の程度は極めて軽微であり、(二)また、A会長によって侵害された読谷村、同村民、被告人らの精神的自由権を回復するためには、被告人自らの手で日の丸旗の掲揚を止めさせるほかなかったものであるから、本件行為の必要性があったといえ、(三)更に、そのために被告人が日の丸旗を焼却したのは、読谷村、同村民、被告人らの意を体現した表現行為として正当なものであり、その他の行為もこれに付随するものであって正当といわなければならず、それによって回復しようとした法益は憲法上最も保護されなければならない精神的自由権であるのに対し、侵害した利益はこれに劣後する財産権等であって右のとおりその侵害の程度も軽微であって法益の権衡が認められるから、相当性の要件も満たすというべきであり、以上によると、本件行為がいまだ可罰的違法性を帯びないことは明らかであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。 2 そこで、検討するのに、既にみたとおり、被告人の本件行為は、読谷村平和の森球場における本件競技会の開始式の最中に、本件スコアボードの屋上に不法に侵入し、諸旗掲揚台のセンターポールに取り付けられたロープをあらかじめ準備していたカッターナイフで切断して、これに掲揚されていた日の丸旗を引き降ろしたうえ、所携のライターで火をつけて焼き捨て、本件競技会の運営を混乱させ、競技会の開始を約一五分間遅延させるなどしたというものであり、これによる法益の侵害の状況は、国体の競技会場に掲揚されて現に利用されている日の丸旗及びその用具のロープが棄損され(この点について、所論は、読谷村民には日の丸旗に対する忠誠心がなく、これを忌避しようという意識のみがあったのであるから、本件日の丸旗は、国民統合の象徴としての国旗の機能を果たしておらず、布切れとしての効用しかなかった旨主張するけれども、本件日の丸旗は、主催者らにより国旗として掲揚され現に利用されている際に焼却されたものといえるから、読谷村民らに日の丸旗を忌避しようとする意識が強かったとしても、本件日の丸旗が布切れとしての効用しかなかったなどとは到底いえない。)、国体の競技会場として使用されている球場のスコアボードの屋上の平穏な管理が侵害され、国体の競技会の運営が妨害されたというものであり、日の丸旗それ自体の価値は僅少なものであっても、被告人の本件行為は決して軽微なものではない。また、本件日の丸旗掲揚は、前記のとおり、開始式等実施要項どおり、主催者の一員である読谷村実行委員会と主管者の日ソ協との協議により合意のうえで実施されたものであって、主催者らの意思決定に基づくものであり、決してA会長の違法な強制によるものではないから、これによって読谷村、同村民、被告人らの精神的自由権が侵害されたとはいえず、この精神的自由権を回復させるために本件行為が必要であったということはできない。したがって、所論は、独自の事実認識を前提とするものであって、そのいう法益の権衡による相当性の有無を論ずるまでもなく、本件行為について可罰的違法性がないと考えることはできない。論旨は理由がない。 四 正当防衛又は緊急避難の主張について 1 所論は、原判決は、被告人の本件行為が正当防衛又は緊急避難としてされたものであって違法性を欠くとの弁護人の主張を排斥したが、本件日の丸旗掲揚は、A会長の違法な強制によって行われ、その結果、読谷村、同村民、被告人らの思想・良心の自由、表現の自由及び地方自治権に基づく意思決定の自由が侵害され、本件日の丸旗掲揚が続けられている限り、被告人らの右権利に対する侵害は継続しており、急迫不正の侵害又は現在の危難が存在するというべきであり、本件行為は、右侵害された権利を防衛しようとした正当な回復行為及びそれに不可避的に付随する行為であって正当防衛又は緊急避難として違法性が阻却されるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。 2 そこで、検討するのに、前述のとおり、本件日の丸旗掲揚は、開始式等実施要項どおり、読谷村実行委員会と日ソ協との協議により合意のうえで実施されたものであり、主催者らの意思決定に基づくものであって、A会長の違法な強制によるものではないのである。したがって、これにより、読谷村、同村民、被告人らの思想・良心の自由、表現の自由及び地方自治権に基づく意思決定の自由が侵害されたということはないから、被告人の本件行為に関して、急迫不正の侵害又は現在の危難があったということはできない。もっとも、本件日の丸旗掲揚は、被告人らこれに反対する読谷村民にとっては自己の信条に反する不本意な事態であったであろうと考えられるけれども、本件競技会の開始式に観客として参加するか否かは各人の自由であり、また、参加して自己の信条として日の丸旗掲揚を認めるか、あるいはこれを無視するのかも自由であり、それによって何らの不利益も受けることはないのであるから、本件日の丸旗掲揚をもって右村民に対し特定の思想信条を強制するものということはできず、思想・良心の自由の侵害には当たらない。 3 次に、所論にかんがみ、被告人において、主観的に、本件日の丸旗掲揚をもって急迫不正の侵害又は現在の危難であると認識し、これに対する正当防衛又は緊急避難として本件行為が許されると判断したか否かについて検討するのに、関係証拠によると、被告人は、読谷村実行委員会としても正式に日の丸旗の不掲揚を決めていたわけではなく、A会長の申入れの結果とはいえ、それを受けた読谷村側と日ソ協との協議により日の丸旗の掲揚が決定された経過を認識していたこと、被告人は、捜査段階において、本件行為について、これが刑罰法規に触れ、逮捕起訴され相当の結論が出ることを理解していたことを認めており、現に本件行為後直ちに逃走したこと等が認められ、これによると、被告人は、本件日の丸旗掲揚が急迫不正の侵害又は現在の危難に当たるからこれに対して正当防衛又は緊急避難が許されるというような認識は全く持っておらず、本件日の丸旗掲揚に抗議するため、逮捕起訴され処罰されることを覚悟のうえであえて本件行為に及んだものと認めるのが相当である。 4 ところで、被告人は、公判廷(原審及び当審)において、「開始式の前日までに読谷村職員組合の人達から大会旗がセンターポールに、日の丸旗は端のポールに掲揚されると聞いていたのに、当日になってセンターポールに日の丸旗が掲揚されたために、これを焼き捨てることを決意した。センターポールに掲揚されなければ、読谷村が一生懸命努力しているのが理解できるから、日の丸旗を引き降ろしたり、燃やしたりする行為をする必要がなく、ただ抗議だけをしようと思った。」旨供述する。しかしながら、被告人の公判供述によっても、当日、日の丸旗がセンターポールに掲揚されるに至った経緯については認識していなかったというのであるから、被告人が、日の丸旗の掲揚そのものではなく、センターポールに日の丸旗が掲揚されたことをもって、A会長の強制による急迫不正の侵害又は現在の危難であると認識する余地はなかったものといわなければならない。のみならず、被告人は、捜査段階においては、「前日、日の丸旗と一緒に非核宣言旗も掲げられることを聞いた。私としては、村議会でも日の丸旗の押しつけ反対の決議がされていたし、村長としても日の丸旗反対の立場をとっていると思っていたので、例えば日の丸旗をスコアボードの端のポールに掲げるなど何らかの工夫で日の丸旗反対の意向を示す行動をしてくれることを期待していた。しかしその反面、スコアボードのセンターポールに堂々と日の丸旗が掲げられることも十分考えられることで、私としては、そうなった場合、自分の信念としてこれを阻止しなければならないと考えていた。ですから、日の丸旗の揚がり方という不確定要素はあったものの、日の丸旗を引き降ろそうと決めたのは前日の午後であった。」「当日午前八時四○分ころ球場に行った。スコアボード付近に行くと、まわりの人々が口々に日の丸旗が準備されているといっていた。揚げ方についても工夫するような話は全くなかったので、センターポールに揚がると思った。」などと右公判供述とは異なる内容の供述をしており、前認定のとおり、被告人は本件行為当日あらかじめ日の丸旗を引き降ろすために必要なカッターナイフを用意していたこと、当時の読谷村職員組合役員ら二人を当審において証人尋問したが、これによっても被告人が右役員らから前日までに日の丸旗の掲揚の位置についての情報を得たとの供述は得られていないことなどに照らすと、被告人の右公判供述はにわかに信用できず、捜査段階における供述のとおり、被告人は、前日までに日の丸旗の掲揚の位置についての情報に接しておらず、当日、センターポールに日の丸旗が掲揚されたことは、被告人の予期に反するものではなく、それを見て初めて犯行を決意したというものではなかったものと認められる。したがって、本件競技会の開始式においてセンターポールに日の丸旗が掲揚されたことについて、これをもって被告人が急迫不正の侵害又は現在の危難と誤認するようなことはなかったものというべきである。 5 以上のとおりであるから、被告人の本件行為が正当防衛又は緊急避難として違法性を欠くとの所論は理由がない。  なお、所論は、被告人は、生まれ育った読谷村の沖縄戦とのかかわりを知り、戦争体験者から語り継がれた戦争の残酷非道に怒り、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを自発的に決意し、A会長の凶暴な恫喝に基づく日の丸旗の掲揚によって読谷村民が享受している思想・良心の自由などの基本的人権が侵害された不法・違憲の状態を緊急に回復し、権力の圧政を排除し、平和を擁護するため、抵抗権の行使として本件行為に及んだものであり、これは、日本国憲法一二条以下に定める憲法原則の擁護の権利の実行又は緊急事態における憲法擁護義務の履行として違法性が阻却され、これを処罰することは日本国憲法によって許されないというけれども、前記のとおり、本件日の丸旗掲揚は、開始式等実施要項に基づき、読谷村実行委員会と日ソ協との協議による合意のうえで実施されたものであり、主催者らの意思決定に基づくものであって、A会長の違法な強制によるものではなく、読谷村民の思想・良心の自由などの基本的人権を侵害するものではないから、所論は、その前提を欠くものであり、採用の限りでない。  もっとも、関係証拠によると、沖縄は第二次大戦中国内で日本軍と連合国軍との間で地上戦が展開された唯一の地域であり、その結果、軍関係者ばかりでなく、一般住民の多くがその犠牲となったこと、とりわけ、読谷村は連合国軍による沖縄本島への上陸地点となったところであり、数多くの悲劇を生んだこと、このとき、チビチリガマと称する洞窟に避難した八〇人を超える村民が集団自決をしたことはこれを象徴する事件であること、被告人は、戦後の生まれで、直接の戦争体験を有しているわけではないが、長じて、郷土で起こったこの事件に関心を持ち、調査をするうち、日の丸旗が当時、国民を戦争へと駆り立てる用具として利用され重要な役割を果たしたとの認識を抱くに至り、戦後もなおこれを国旗とすることには強い反発を感ずるようになったことが認められる。これによると、被告人ばかりでなく、沖縄県民、とりわけ読谷村民の中に日の丸旗に対して本土の住民の中にあるより以上の強い拒否的感情が存することは十分に理解できるところであり、被告人が本件行為のような行動に走ったことの背景には右のような歴史的、社会的事実が存することは明らかである。しかしながら、このことについて広く一般の理解と共感を得るためには、誰でもが相当と認める手段・方法によって根気よくこれを説き、訴え続けることが必要なのであり、被告人の本件行為のごときはその手段・方法において民主社会の到底受け入れ難いところである。弁護人申請の原審における証人J及び当審における証人Fが、いずれも被告人の心情に理解を示しながらも、日の丸旗掲揚反対の署名集めをした村民会議議長であったJ証人は現場で被告人の本件行為を目撃して「まずいことをしてくれたと思った。」と供述し、読谷村職員労働組合委員長であったF証人は「後に職員組合としては被告人の行為は行きすぎであると評価した。」と供述するのも、これを裏付けるものである。そうであるとすると、右認定の歴史的、社会的背景事実は被告人の心情を理解するうえでは十分意義のあることであるにしても、これを被告人の行為の正当性ないしは適法性を根拠付ける事由とすることはできない。 五 象徴的表現行為の主張について 1 所論は、原判決は、被告人の本件行為は表現の自由の行使であるから正当行為として違法性が阻却される旨の弁護人の主張を排斥したが、右主張を更に敷衍するならば、被告人の本件日の丸旗焼却行為は、日の丸旗の掲揚の強制に抗議し、その不当性を社会に訴える目的でされたものであり、客観的にも右目的でされたものと受け止められたものであるから、憲法二一条で保障された表現の自由に基づく象徴的表現行為に当たり、他方、これによって公共の危険は生じておらず、侵害された法益は三五〇〇円の布切れとロープの財産権にすぎず、右布切れが日の丸旗であることは特段の意味をもたないから、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであり、また、本件建造物侵入、威力業務妨害の各行為は、日の丸旗焼却行為に不可避的に付随するものであり、これと一体として評価されるべきであり、他方、それにより侵害された法益も小さく、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであることにおいて日の丸旗焼却行為と何ら異ならないから、本件行為は全体的に象徴的表現行為に当たり、正当行為として違法性が阻却されるものであり、したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。 2 そこで、検討するのに、象徴的表現行為の法理は、アメリカの判例において形成された理論であり、我が国の憲法の下でこの法理が認められるか否かの問題はしばらくおき、理論的にみて、この法理の適用により被告人の本件行為が不処罰と解し得るかどうかをみることにする。  象徴的表現行為の法理は、おおむね次のようなことを内容とする理論と解されている。すなわち、象徴的表現行為とは、通常の文字又は言語による表出方法に代えて、通常は表現としての意味を持たない行為によって自己の意思・感情等を表出することをいい、(1)行為者が表出する主観的意図を有し、(2)その表出を第三者(情報受領者)が表現としての意味を持つものと理解することを必要とする。そして、抽象的表現行為が処罰されるかどうかの限界については、当該処罰による規制の目的が自由な表現の抑圧に関係するもの(表現効果規制)か、それとも表現の抑圧に無関係なもの(非表現効果規制)かによって結論を異にする。前者の場合には、表現の内容の規制に関するいわゆる厳格な基準によって処罰の合憲性が判断される。それに対し、後者の場合には、いわゆるオブライエン・テスト(規制する側の利益と規制される側の不利益との利益較量)によって判断され、その際、(1)規制目的・対象が表現効果に向けられていないこと、(2)当該規制が重要であること、(3)当該規制が表現行為を不当に制約していないこと、(4)代替の表現手段があることなどが考慮されなければならない。  これに従い、まず、本件行為が象徴的表現行為といえるかどうかについてみるのに、関係証拠によると、被告人は、日の丸旗について、沖縄戦の惨禍を招いた皇民化教育の象徴であり、その掲揚に反対している読谷村民の意思を押さえつけて本件競技会の開始式に日の丸旗を掲揚することはふさわしくないと考え、これに抗議するために本件行為に及んだものと認められるが、その態様は、前記のとおり、読谷村平和の森球場において本件競技会の開始式が整然と行われている最中に、本件スコアボード屋上に侵入し、日の丸旗を焼却するなどしたというものであるから、右(1)の要件にいう被告人の主観的意図が存在していたとしても、(2)の要件については、球場内の観客らにおいて、被告人の本件行為をもって、開始式における単なるハプニング又は妨害行為としてではなく、日の丸旗掲揚反対行動として理解し得たかどうか疑問なしとしないというべきである。  次に、本件行為が象徴的表現行為に該当するとしても、これに適用される器物損壊罪は個人の財産を、建造物侵入罪は私生活の平穏を、業務妨害罪は業務の安全を、それぞれ保護法益とするものであるから、右各罪による規制目的・対象は表現効果に向けられておらず、表現の抑圧とは無関係といえ、しかも、我々の社会において右のような各法益が十分に保護されることは極めて重要なことというべきである。そして、本件行為は、前記のとおり、整然と行われている本件競技会の開始式の最中に、本件スコアボード屋上に侵入し、諸旗掲揚台に掲揚されている日の丸旗を引き降ろし、これを焼き捨て、競技会の進行を妨害するなどしたというものであり、これにより、読谷村実行委員会所有の日の丸旗等の財産権、B村長による本件スコアボード屋上の平穏な管理、日体協、文部省、沖縄県及び読谷村が主催し、日ソ協が主管する本件競技会の安全な運営がそれぞれ侵害されたものであるから、これに対し右各罰則を適用することにより、被告人の表現行為を不当に規制することにはならない。日の丸旗掲揚反対の表現活動としては言論を中心に様々なことが可能であり、関係証拠によると、現に被告人は、知人らと一緒に日の丸旗掲揚反対を訴える横断幕を作り、本件行為の当日、これを平和の森球場に用意していたことが認められるが、会場周辺において許された手段により右のような横断幕を示して観客や地元住民に日の丸旗掲揚反対を訴えることも有効な表現行為であったと考えられる。  以上によると、仮に象徴的表現行為の法理に従ったとしても、本件行為は象徴的表現行為として不処罰とされるための要件を欠くものであり、これに対し右各罰則を適用することは何ら表現の自由を侵害するものではないというべきである。  所論は、被告人の本件行為について、アメリカのジョンソン事件の判決と同様に解釈して、不処罰とすべきである旨主張するので、付言するのに、ジョンソン事件の概要は、一九八四年にダラスで開かれた共和党大会の際に、レーガン政権の政策等に反対するデモ行進が行われ、その中の一人ジョンソンと称する人物が、市庁舎前で他の参加者から手渡された星条旗を灯油に浸して火をつけて燃やし、その間デモ参加者は口々に「アメリカの旗になんか唾を吐いてやる。」などと叫んでいたというものである。ジョンソンは、テキサス州刑法の国旗冒涜罪で起訴されたが、連邦最高裁判所は、一九八九年六月、ジョンソンの行為を国旗冒涜罪で処罰することは連邦憲法修正一条が保障する表現の自由を侵害することになり許されないとして、州最高裁判所の無罪判決を維持した。この事例の場合、ジョンソンは国旗冒涜罪でのみ起訴されたのであり、右事件のとき、ジョンソンがあった法的状況は、自己所有の旗を公然と燃やしたに等しいといえるのであり、まずこの点において、被告人の本件行為とは明らかに異なっている。そして、国旗冒涜行為を犯罪とすることによって擁護され得る利益としては、静穏な治安の維持と国家統合の象徴としての国旗の価値にあると考えられるが、ジョンソンの国旗焼却行為によって、秩序破壊が現実に起こったわけではないし、起こる危険が生じたわけでもなかったので、静穏な治安の維持という法益の保護は、適用違憲を判断する限りにおいては問題とならない。それに対し、国家統合の象徴としての国旗の価値の維持という利益は、明らかに言論行為を抑圧することに関連する。すなわち、州が国旗冒涜行為を犯罪として抑圧するのは、まさに冒涜行為によって人々が信じかねないメッセージを伝達させたくないからであり、それによって国旗の地位を保持せんとするからである。そうすると、この場合は、規制の目的が自由な表現の抑圧に関係するもの(表現効果規制)に当たり、表現内容の規制に関する厳格な基準によって処罰の合憲性が判断されることとなり、連邦最高裁判所は、この厳格な基準により合憲性を審査し、右のとおり判断したものである。この点においても、非表現効果規制の場合に当たる被告人の本件行為とは大きく異なっているのであり、結局のところ、ジョンソン事件と本件とを同列に論じることはできないから、所論は採用できない。  以上の次第であるから、論旨は理由がない。 3 所論は、被告人の本件行為は象徴的表現行為であるから、これに刑法所定の当該各罰則を適用するならば、その限度において右各罰則は違憲との評価を免れないから、本件行為に対し右各罰則を適用することができないというけれども、右のとおり、本件行為は、抽象的表現行為の法理によっても不処罰とされるための要件を満たしていないのであるから、所論は前提を欠くものとして採用の限りでない。  また、所論は、象徴的表現行為としての正当行為の主張とは別に、本件行為の目的、手段の相当性、法益権衡、必要性、緊急性等の総合判断からして正当行為として違法性が阻却される旨主張するけれども、既にみたようなその目的、手段・態様、結果等に照らし、本件行為を正当行為とみる余地はないというべきであるから、所論は採用できない。 第四 結論  よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担について同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 坂井満 裁判官 伊名波宏仁)