◆ H13.03.22 東京地裁判決 平成7年(行ウ)123号 東京都立養護学校落成式典日の丸事件(戒告処分取消等請求事件)     主   文 一 原告の請求をいずれも棄却する。 二 訴訟費用は原告の負担とする。     事実及び理由 第一 請求 一 被告東京都教育委員会が、原告に対し、一九九〇年(平成二年)六月二九日付けでした戒告処分を取り消す。 二 被告東京都は、原告に対し、二〇〇万円及びこれに対する平成七年七月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 事案の概要 一 本件は、原告が、被告東京都教育委員会(以下「被告委員会」という。)に対し、被告委員会が原告を戒告処分にしたことが違法であるとしてその取消しを求めるとともに、被告委員会の属する被告東京都(以下「被告都」という。)に対し、違法な戒告処分により精神的苦痛を被ったとして、国家賠償法一条に基づき、慰謝料二〇〇万円とその遅延損害金を請求した事案である。 二 争いのない事実及び地方公務員法(以下、単に「法」という。)等の定め (証拠によって認定した事実については、末尾に証拠を摘示した。) 1 原告は、平成二年当時、東京都立板橋養護学校(以下「本件学校」という。)に勤務していた公立学校教員(職名「教諭」)であり、当時の本件学校の学校長はA(以下「A校長」という。)、教頭はB(以下「B教頭」という。)であった。 2(一) 被告委員会は、平成二年六月二九日、原告に対し、「原告は、平成二年二月一七日、本件学校校舎落成記念式典当日午前八時四〇分ころ、同校校庭の国旗掲揚塔に、校長と教頭によって掲揚されていた国旗を引き降ろし、隠匿した。このことは、法三二条及び三三条の規定に違反する。」との理由で、法二九条一項一号及び三号により戒告する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。 (二) 被告委員会は、本件処分に至る事実認定の主たる根拠の一つとして、A校長が被告委員会あてに提出した平成二年二月二三日付け報告書(「校舎落成式典における国旗の取扱について」と題する書面。以下「本件報告書」という。)を採用した。 3(一) 法は、次のとおり規定している。 (1) 職員が左の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる(二九条一項一号、三号)。 一 この法律・・・に違反した場合 三 全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合 (2) 職員は、その職務を遂行するに当って、法令・・・に従い、かつ、上司 の職務上の命令に忠実に従わなければならない(三二条)。 (3) 職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない(三三条)。 (二) 文部大臣が告示した学習指導要領は、平成元年三月に改訂され、「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、・・・国旗を掲揚・・・させることが望ましい。」(以下、右の条項を「本件国旗掲揚条項」という。)とされていた部分は、「入学式や卒業式などにおいては、・・・国旗を掲揚する・・・よう指導するものとする。」と改められたが、その施行日は、平成二年四月一日とされたため、原告が本件処分にかかる行為をした当時の学習指導要領の定めは、本件国旗掲揚条項となる。 (三)(1) 事故発生報告等事務処理要綱(昭和四六年一○月一一日教育長決定。以下「本件事務処理要綱」という。)は、都立教育機関等において発生した異状事態の東京都教育委員会教育長への報告手続及び連絡等における事務処理手続を定め、もって異状事態の迅速な把握と適切な対応に資することを目的とするものであるが、同要綱では、@都立学校において報告すべき事項の概要が判明した場合、校長は、主管課長を経由して教育長に状況報告書を提出しなければならない、A状況報告書には、報告すべき事項の種類、発生日時、発生場所、発生の状況、対応措置を記載しなければならない、とし、校長が状況報告書を提出する場合の主管課は、学校に勤務する職員に関することは、人事部首席管理主事又は人事部職員課長としている。(甲四五) (2) 被告委員会の状況報告書作成要領(以下「本件報告書作成要領」という。)は、本件事務処理要綱に規定する状況報告書の記載上の留意点を明確にし、状況報告書作成の基準とすることを目的として作成されたものであるが、記載上の注意として、発生の状況について、「事故等については、当事者(被害者、加害者)及び関係者(目撃者等)から事故発生直後にできる限り事情を聴取し、詳細な事故発生の経緯及び事実を確認すること。なお、事情の聴取に当たっては、聴取した内容を基に東京都教育委員会への報告書を作成する旨を被聴取者に知らせること。」とし、また、「必要に応じて当事者又は関係者に記録内容の確認を求め、資料として添付すること。」としている。(甲四三) (3) また、東京都教育庁文書管理規程(昭和五八年三月二八日教育委員会訓令第一号。以下「本件文書管理規程」という。)は、教育庁に到達した文書又は主務課に直接到達した文書は、主務課長が受領し、収受しなければならず、文書主任等が収受印を押して文書授受カードに記入することとしている(一一条、一三条)。(甲四四) 3 原告は、本件処分を不服として東京都人事委員会に不服申立てをしたが、同委員会は、平成七年三月二九日、本件処分を承認する旨の裁決をし、同裁決は、そのころ原告に到達した。 4 被告都は、被告委員会の属する地方公共団体である。 三 争点 1 本件処分の対象となった原告の行為が法三二条、三三条に違反するか。 2 本件処分に至る手続に重大な瑕疵があるか。 3 本件処分に被告委員会の裁量権逸脱があるか。 第三 争点に関する当事者の主張 一 争点1(原告の行為の法三二条、三三条違反該当性)について (原告) 1 学習指導要領の法的拘束力について (一) 憲法二六条、二三条、教育基本法から導かれる、国民の教育の自由、学校教師の教育権、教育の文化的地域自治の尊重等の要請にかんがみ、国家は、教育施設の整備、教育制度の整備等の外的保障のみをその責務とするもので、国家による教育内容への介入は許されるべきではない。  学校教育法七三条の委任に基づいて文部大臣が定める「学科及び教科」の内容は、学科、教科、科目名、標準授業時間数等にとどまり、文部大臣は、教育内容にわたる法規的基準を定立することができないものである。したがって、学習指導要領が学校教育活動の内容にわたる基準を記している以上、同要領は、単に行政に対する指導助言的意味を有する文書にすぎないとみるほかなく、内容的にも法規としては不明確であるから、これに法的拘束性を認めることはできない。 (二) また、本件国旗掲揚条項にいう「儀式」とは、国民の祝日又はそれに準ずる行事に限られるとみるべきで、入学式、卒業式、落成式などの純然たる学校の行事は含まれないし、「国旗を掲揚・・・させることが望ましい。」との文言からして、道義的文言にすぎず、その法的意義は明確でないから、A校長のした日の丸旗掲揚行為は、学習指導要領に根拠を有しないものである。 (三) 国旗掲揚問題は、価値観の多様化を避けられない問題であり、国旗掲揚を法的拘束力をもって強制することは、教師に対し、一方的な一定の観念を生徒に教え込むことを強制することになるし、教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や地方による個別化の余地を損なうことになるから、国旗掲揚を行わない行為又は国旗掲揚に協力しない行為は、法的制裁を科されるべき行為には当たらない。 2 日の丸旗と国旗について (一) 本件処分は日の丸旗が国旗であることを前提にしてされているが、日の丸旗が国旗であるとする法的根拠はなく、日の丸旗掲揚行為自体が法的根拠を欠くから、これに協力しないことが違法となるものではない。 (二) 日の丸旗を国旗であると認めた法律は、本件処分に係る原告の行為がされた当時、存在しなかったし、自衛隊法、海上保安庁法、商標法にいう国旗が日の丸旗であるとする根拠はない。商船規則は、一般国民を対象とした法令ではなく、また既に廃止されているから、同規則は、日の丸旗が国旗であることの根拠とはならない。日の丸旗を国旗として扱うよう義務付けることには多数の国民が反対しているし、日の丸旗を国旗とすることを認めることは、日の丸旗が大日本帝国下において天皇主義、軍国主義、全体主義等の象徴として利用された以上、現行憲法の国民主権、平和主義、基本的人権尊重等の諸規範に抵触し、許されないから、日の丸旗を国旗であるとする慣習法が成立しているものでもない。  右のとおり、日の丸旗が国旗でない以上、学習指導要領も日の丸旗掲揚のための根拠とはならない。 3 職員会議との関係について  日の丸旗の掲揚は、その是非は別として、教育内容の全国的な指針や基準が記載されている学習指導要領にその記載がある以上、教育課程、教育内容としてすぐれて教育的意味内容を有する教育内事項である。  教育内事項を検討・協議する場は、学校内においては、全教職員が参加する教職員会議であるから、教育内事項については職員会議の審議を経なければならず、このことは学校教育現場における慣行である。  本件学校においても、全教職員で構成される職員会議や教員会議はすべての会議に優先するとされているから、日の丸旗の取扱いについては、その具体的実施について教育をつかさどる教諭らが当然関われるよう、職員会議、教員会議での協議を行うべきである。  ユネスコの「教員の地位に関する勧告」でも、「当局は、教育政策等の問題について教員団体と協議するための承認された手段を確立し、かつ定期的に運用しなければならない。」とされている。 4 原告のした行為の違法性について (一) 原告のした行為は、「原告が、平成二年二月一七日、本件学校校舎落成記念式典当日午前八時四〇分ころ、同校校庭の国旗掲揚塔に、校長と教頭によって掲揚されていた日の丸旗を引き降ろし、片付けた。」というものである。原告には、日の丸旗の所有者が分かれば返却する意思があったのであり、現実にも同日午前八時五〇分ころB教頭に直接日の丸旗を返却した。したがって、原告が日の丸旗を「隠匿」した事実はないにもかかわらず、原告が「隠匿」したとしてされた本件処分は、事実の認定を誤ったものである。 (二) 前記1、2のとおり、日の丸旗掲揚行為自体が法的根拠を欠くから、原告がこれに協力しないことは違法ではない。 (三) 原告の行為は、A校長が、本件学校の教職員の殆どが反対している中でその意向を無視し、職員会議において日の丸旗掲揚問題を議題として検討することなく、日の丸旗掲揚を強行した中で行われたものである。  法三三条にいう信用失墜行為は、明らかに法令に違反する行為か、第三者が客観的かつ明確にその職の信用・名誉を傷つけると認識した行為を対象としているところ、前記のとおり、原告のした行為当時、儀式時における日の丸旗掲揚は法的に義務づけられていなかった上、職員会議で正式に決定されて日の丸旗が掲揚されたわけではなく、また、日の丸旗は原告によって返却され、記念式典が行われている間はもとどおり掲揚されて第三者は誰も原告の行為を認識することはなかったから、原告のした行為は信用失墜行為に当たらない。 (四) 本件処分の理由では、原告の行為を法三三条及び法三二条違反としているが、法三三条に違反した者でも法三二条違反とされていない者もあるから、本件処分において原告の行為を法三二条違反としたことは、法の適用を誤ったものである。  なお、ある行為が法二九条一項三号に該当する場合は、同時に同項一号に該当するもので、同項三号が法三〇条以下の条文や法二九条一項一号と切り離して独立に懲戒処分の理由となり得るものではないから、原告のした行為が法に違反せず、法二九条一項一号に該当しない以上、同項三号に該当することはない。 (五) 以上のとおり、原告のした行為は、いかなる法令にも違反していないし、仮に形式上の違法性が認められるとしても、原告は、その後自ら日の丸旗を返還し、かつ、記念式典が行われている間同旗は掲揚されていたから、原告の行為には、処分に値するほどの違法性はない。  A校長は、意図的に教職員会議における協議を拒絶し、教職員の共通理解と周知徹底を図る努力を怠り、職員会議に諮らないまま一方的に日の丸旗を掲揚したが、これは、学校教育現場における慣行に違反し、本来公正中立であるべき公教育において、一方的な自己の考えによって、様々な思想信条を持ち得る生徒や保護者に国民の間でも是非のある日の丸旗を押しつけるものである。原告の行為は、A校長のこの違法、不当な行為に対し、これを是正するために、教育公務員としての良心と職業意識並びに義務感により行った必要やむを得ない自力救済行為であり、違法性は阻却される。 (六) 国旗及び日の丸に関する個人の思想の自由は憲法一九条で保障されている。本件処分は、原告に対し、日の丸旗掲揚に対する協力を強制するもので、思想の自由を侵害し、違憲である。 (被告ら) 1 学習指導要領について  本件処分は、本件処分に係る原告の行為が学習指導要領に違反したとしてされたものではなく、学習指導要領の法的拘束力いかんは、本件処分の適否とは直接関係しない。  もっとも、本件国旗掲揚条項にいう、国民の祝日などにおける儀式は、広く学校行事のうちの儀式的行事を指すものであり、校舎落成式典もこれに含まれるから、A校長が国旗を掲揚したことは学習指導要領からして望ましいものである。  学習指導要領は、全国的な大綱的基準として法規としての効力を有するものであるから、学校長を初めとする養護学校に携わる者が学習指導要領に従って国旗の掲揚に係る行為をしたときは、その行為は適法な職務執行行為に当たる。 2 日の丸旗と国旗の関係について (一) 商船規則(明治三年一月二七日太政官布告)は、日本国の船舶は国旗を掲げること及びその国旗は日の丸旗であることを定めている。また、自衛隊法一〇二条一項、海上保安庁法四条二項は、船舶に国旗を掲げなければならないとし、商標法四条一項は、国旗と同一又は類似の商標については商標登録を受けることができないとして、いずれも国旗が存在することを前提とする規定をおいているところ、自衛隊の使用する船舶や海上保安庁の船舶は国旗として日の丸旗を掲げているから、日の丸旗は国旗である。 (二) 本件処分に係る原告の行為がされた当時、日の丸旗が国旗であることについて明文の根拠がなかったとしても、右(一)の法令の規定の存在や、外国においても日の丸旗が日本を象徴する旗として公認されていること、国内においても日の丸旗が国旗であるとすることに大多数の国民が賛成していること、政府においても日の丸旗が国旗である旨を表明していることからして、日の丸旗が国旗であることの認識は広く国民の間に定着しており、日の丸旗を国旗として取り扱うことは、明治以来今日に至るまでの社会生活および行政上の取扱いの実際を通じて国民的確信によって支えられており、慣習法となつている。 3 職員会議との関係について  校長は、「校務をつかさどり、所属職員を監督する」権限を有する(学校教育法七六条、二八条三項)。ここにいう校務とは、学校全体の仕事を指し、学校の管理運営はもちろん、教育課程の編成も含まれるもので、校舎落成式典という特別活動たる学校行事をどのように実施するかは校長の権限内の事項であり、同式典において国旗を掲揚するか否かは、その物理的側面および教育的側面の両面において、校長がその権限に基づいて決定すべき事項である。  職員会議は、校長がその権限を行使するに際しての諮問機関としての性質を有するものであり、いかなる事項をこれに諮るかは校長がその裁量によって決定できる。職員会議は、法律上の裏付けのある組織ではなく、職員会議の手続を経由しなかったからといって、校長の権限行使が違法となる筋合いはない。 4 原告の行為の違法性について (一) 原告は、A校長が掲揚した国旗を一方的に引き降ろし、その後必要もないのに自己のロッカーにいれたまま、同校長の再三の返還要求にもかかわらずこれを拒絶し、日の丸旗の所在を明らかにすることなく、一時自己の占有下に置いて、原告が同校長の適法な権限行使を実力をもって妨害し、日の丸旗を隠匿した。 (二) 原告の行為は、教育公務員として到底許されない行為であり、当該行為が勤務時間中に校舎落成記念式典という重要な学校行事に際して行われたことからすれば、学校数育という校務の信用、職の信用を傷つけ、職員の職全体の不名誉となる行為であって、法三三条、三二条に違反する。  法三三条違反が成立するためには、当該職員の行為が職の信用名誉を傷つけるおそれがあると客観的に認められれば足り、必ずしも当該職員の行為が第三者に知られて職の信用、名誉が現実に傷つけられたという結果の発生を必要とするものではない。原告の行為は、客観的にみて都立学校教員たる職の信用、名誉を傷つけるおそれがある行為である上、原告がした日の丸旗の引き降ろしは、生徒にも学校外の来賓にも知られているから、法三三条にいう信用失墜行為に該当する。 (三) 法三二条所定の「法令」から地方公務員法を除外しなければならない根拠はないから、法三三条に違反すれば、法令に違反するものとして同時に法三二条に違反する。  なお、本件処分は、原告主張のように原告が国旗(日の丸旗)の掲揚に協力しないことを違法と評価してされたものではなく、原告が実力で国旗の掲揚を妨害した行為に対してされたものである。 (四) 以上のとおり、原告のした行為は、法三三条、三二条に違反し、法二九条一項一号に該当する。また、原告のした行為は、同時に、「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合」に当たり、法二九条一項三号にも該当する。なお、法三〇条以下の具体的な服務規程に該当しない場合でも、法二九条一項三号に該当することはあり得るもので、そのように解しないと、法二九条一項三号が同項一、二号とは別に定められた意味がない。 (五) 学校行事としての式典に日の丸旗が掲揚されたからといって、教師の内心に強制を加えるものではない上、本件処分は、原告の内心における国旗に関する思想いかんを理由にされたものではないし、憲法一九条は、自己の考えと相容れないからといって、適法な権限行使に対して実力をもって妨害することまで保障しているとは到底いえないから、本件処分は憲法一九条に違反しない。 二 争点2(本件処分手続の瑕疵)について (原告) 1 報告書作成過程における瑕疵  A校長は、本件事務処理要綱に違反し、当事者である原告に対する事情聴取を行わず、原告に本件報告書を作成する旨も知らさなかった。また、被告委員会がした原告からの事情聴取においては、後見人とされたA校長が原告の三文判を購入して事情聴取に臨む等の不正・不当な手続が行われている。 2 本件報告書の虚偽記載  本件報告書において、A校長は、日の丸旗を返還した者が原告であることを知りながら、これを偽り、「返却した者は不明である。」との虚偽の記載を行ったほか、平成二年二月一三日に行われた職員集会の呼び掛け責任者はC教諭であるのに、これをH教諭であるとするなどの事実誤認の記載をした。 3 本件報告書の改ざん、報告書受領手続における手続違背  本件報告書には、本件文書管理規程に定める主務課である東京都教育庁長人事部(以下「人事部」という。)職員課の収受印が押されていない。このことや、A校長は、平成二年二月二○日に報告書を提出したとしているのに、本件報告書は同月二三日付けで作成されているなどその掲出経緯が不明瞭であること、本件報告書には不自然な「隠匿」の用語が使用されており、右の「隠匿」の用語が使用されているのは、他には処分説明書のみであること、校長所見が記載されていない等からすれば、本件報告書は、原告に対する処分原案を文書訓告から戒告処分に替えて答申した同年六月一五日の教職員懲戒分限審査委員会以降に、戒告処分を正当化すべく、穏便な処置を求める校長具申の削除を行う必要があるために、被告委員会の主導により、A校長から当初提出されていた真実の事故報告書に差し替えて提出し直されたものである。本件報告書は、処分量定を不当、違法に加重するため、当初の報告書を隠蔽し、改ざんしたものであり、このような本件報告書に基づいてされた本件処分には、重大な手続上の違法がある。また、右のとおり、本件報告書には、本件文書管理規程に定める主務課である人事部職員課の収受印が押されておらず、本件報告書の受領手続に手続違背がある。 4 主管課ではない東京都教育庁指導部(以下「指導部」という。)心身障害教育課が関与していた事実  本件事務処理要綱によれば、職員についての非行等学校職員に関する事項は、人事部首席管理主事及び人事部職員課長とされ、事項の報告先も同様であるにもかかわらず、主管課ではない指導部心身障害教育課のN課長およびI主任指導主事が本件報告書の作成に深く関与し、指導部の指示に従って報告書の提出、手直しが決定されている。 5 以上のとおり、本件処分に至る手続には、報告書の作成過程において必要とされている慎重な事実認定作業(当事者や関係者の事情聴取)や告知の機会の付与といった手続がされていないこと、報告書が隠蔽・改ざんされていること、本件報告書に虚偽や事実誤認の記載がされていること等、本件処分の基礎となった報告書の作成過程自身に重大な瑕疵があり、また、被告委員会は、本件処分に関して適式な審理・議決を経ていないから、本件処分には手続上の違法がある。  なお、ユネスコの「教員の地位に関する勧告」では、教員の処分に関し、手続的に公平な保護を保障すべきとしており、本件処分はこれにも違反する。 (被告ら) 1 本件事務処理要綱及び本件報告書作成要領は、事故報告に際しての処分する側の内部手続を定めたもので、被処分者を保護するための手続ではないから、そもそも学校長作成の事故報告書を欠いたからといって、処分が違法となるものではないし、本件報告書の作成手続においてこれらの定めと異なる点があったとしても、本件処分の効力に影響を及ぼさない。  被告委員会は、本件処分に先立ち、原告から事情聴取を行っており、その処分手続には何らの瑕疵がない。 2 A校長は、原告の日の丸旗引き降ろし行為について本件報告書を作成したものであり、職員集会の呼び掛け人が原告主張のとおりC教諭であったとしても、そのことは本件処分の効力に影響するものではない。 3 本件文書管理規程は、訓令であって法令ではなく、教育委員会の文書管理の内部手続を定めたものであり、被処分者を保護するための手続ではないから、本件報告書の収受手続において右の定めと異なる点があったとしても、本件報告書自体が被告委員会に提出されている以上、本件処分の効力に影響を及ぼさない。 4 指導部心身障害教育指導課は、養護学校等に対する指導事務を所管する部署であり、本件学校において発生した事故に関し、同校校長に指導するのは当然であり、指導部がA校長に対し、報告書の提出を指導したのは当然である。なお、A校長は、平成二年二月二〇日に指導部に報告書を持参したが、同書面は、あて先の記載もなく、経過を記載したメモであり、正式な報告書として作成・提出されたものではない。指導部は、A校長に対し、報告書の形式について指導したが、内容自体の手直しを指示したわけではないから、指導部の指導に誤りはない。 三 争点3(裁量権逸脱)について (原告) 1 前記のとおり、本件報告書は、後日差し替えられたものであり、また、虚偽の記載がされている。このように、虚構の事実をねつ造した上でされた本件処分の判断過程は著しく合理性を欠く。 2 戒告処分を受けた者は、昇給を三月延伸されるが、原告の場合、本件処分により勤務上の履歴に記載される上、六〇歳定年までの賃金総計で計算すると一○○数十万円の損失になるから、経済的にも多大な損失を被るし、同時に学校内外における職務上の評価や信頼をおとしめられ、多大の精神的苦痛を被っている。  他方、A校長は、非民主的な学校運営を行い、職員会議を拒んで混乱を引き起こして起きながら、同校長の瑕疵や上司としての不適格な言動、教育公務員としての不適格性と不当な対応が一切不問とされているから、原告のみが過重な処分を受けることは公正とはいえない。 3 公務員に対しては、服務監督者が職務上の義務違反に対し、将来を戒め注意を喚起する実質的制裁を伴わない行政上の措置として訓告や厳重注意等の事実上の措置があるが、日の丸掲揚行為の妨害を行ったとされる事件については、神奈川県下の事件及び本件と同時期の都立立川養護学校における事件については、文書訓告の措置がとられている。  本件処分は、日の丸掲揚の強制的側面の強まった新学習指導要領(平成二年四月施行予定のもの)下の他の二事件とともに戒告処分とされており、新学習指導要領の実施に反対する学校内外の世論を制するための見せしめ的処分である、また、被告委員会は、日の丸掲揚への反対行為に関し一時に四件九名について大量の戒告処分や文書訓告の措置をとっているが、これは、被告委員会による強引な日の丸掲揚の指導が学校長に行われ、その結果各校長の強引な対応が各学校における混乱を引き起こしたもので、被告委員会の指導及び対応の方法に問題があったためで、被告委員会も責任を免れない。  仮に原告に対する行政上の措置が必要であったとしても、訓告や注意で足りたものであるのに、被告委員会は、訓告や注意、各懲戒処分の明確な執行区分や客観的基準を明らかにせず、その執行状況は、同様の事例においても本件処分より軽い文書訓告処分とされていたり、儀式時においても日の丸旗が降ろされたままで、旗の学校への返却もされていない事例が原告と同じく戒告処分とされているなど、不明瞭であって、処分の軽重は公正さを欠いており、本件処分は合理性を欠く違法不当な処分である。 4 本件処分は、原告の行為がA校長の違法不当な行為を是正するためのやむを得ないものであること、原告は自らの意思で日の丸旗を返却しており、同旗は落成式典が開催された際には再度掲揚されて、式典には何ら支障がなかったこと、当時の学習指導要領では日の丸旗の掲揚が義務づけられておらず、A校長が日の丸旗の掲揚を強行する必要性もなかったこと、他の処分事例における処分の程度といったことを考慮せずにされている。他方で、本件処分は、新学習指導要領において日の丸旗の掲揚が義務づけられたことを考慮している。このように、本件処分は、当然考慮されてしかるべきことを考慮せず、あるいは考慮してはならないことを考慮しており、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものとして違法である。  また、法三三条の解釈上、何らの法規にも違反しないが信用失墜行為には当たる行為については、訓告措置の対象とされることが予定されていると解されるから、原告のした行為は、信用失墜行為に当たるとしても、訓告措置の対象行為ではあっても、戒告という懲戒処分の対象となる行為ではない。本件処分は、その意味でも裁量権を逸脱してされたものである。 (被告ら)  懲戒事由がある場合に懲戒処分をするかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定することは、その処分が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されている。  原告は、校舎落成記念式典という重要な学校行事の日に、A校長による適法な権限行使としての国旗掲揚について、掲揚されている国旗を一方的に引き降ろして持ち去るという、実力による妨害行為を行ったもので、しかも行為後も自己の行為の正当性を主張するのみでなんら反省していないから、結果的に原告が日の丸旗を返却し、これが再掲揚されて式典に支障が生じなかったからといって、戒告という懲戒処分として最も軽い処分に付したことが、社会観念上著しく妥当性を欠くとはいえない。  被告委員会は、原告のした右の行為の態様等から戒告処分が相当としたもので、新学習指導要領を考慮したものではないし、新学習指導要領下で発生した国旗引き降ろし事案と比較したわけでもない。原告の行為は、原告が主張する他の国旗掲揚妨害行為とは、任命権者や本件が実力行為に及んでいる点等で態様を異にするから、本件処分には、何ら裁量権の行使を誤った違法はない。 第四 当裁判所の判断 一 事実経過  第二の二1、2の事実及び証拠(甲一ないし三、四の1、4、五、六、四二、五四ないし五六、五八ないし六二、六六ないし七一、八七、八八、九三、乙二ないし六、七の1ないし8、一一ないし一三、一五ないし一七、証人D、同E、原告本人)によれば、次の事実が認められる。証拠(甲六二、六七、原告本人)中、この認定に反する部分は採用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。 1 本件学校は、平成元年四月一日に開校され、同月一〇日、仮の校舎を利用して、開校式及び第一回の入学式が挙行された。  当時の教職員構成は、校長がA校長、教頭がB教頭、教諭が四六名(養護教諭一名を含む。)であり、職員はG事務長をはじめ一〇名であった。また、生徒数は、高等部一年から三年まで合計約一六〇名であった。 2 本件学校では、運営組織の構成及び分担内容等として、朝会は、全教職員で構成し、毎朝八時三〇分から一○分間、原則として連絡・報告・調整(必要に応じては協議事項も含む。)を内容として行い、職員会議は、原則として全教職員で構成し、月一回午後二時から二時間、校長の指示・伝達、連絡・報告事項、組織運営上の連絡調整ならびに全教職員の共通理解等を内容として行うとされ、職員会議は他のすべての会議に優先するとされている。また、教員会議は、校長、教頭、事務長、教員をもって構成し、職員会議に引き続いて行い、原則として、教育課程を含め、直接生徒の教育活動等に関するものを内容として行うとされている。 3 A校長は、本件学校の開校・入学式において、職員会議に諮ることなく、自己の責任で日の丸旗を仮校舎正門に掲揚したが、教職員の多くは、これに反対していた。 4 本件学校の校舎は、平成元年中の完成が予定されていたため、本件学校は、同年五月、その落成記念式典(以下「本件式典」という。)を平成二年二月一七日土曜日に行うこととした。  なお、本件学校の校舎は、平成元年一一月三〇日に完成し、同校舎の校庭には旗の掲揚塔(以下「本件ポール」という。)が設置されている。 5 指導部は、平成二年二月三日付けで「新学習指導要領の移行措置について−入学式・卒業式における国旗・国歌の扱い−」と題する書面(甲三)を都立学校の各校長に配布した。  同書面には、国旗等の扱いに関する被告委員会の基本的な考え方として、各学校の入学式、卒業式などにおける国旗の掲揚等が平成二年度から新学習指導要領に即して行われるよう、都立学校長に対して指導するなどと記載され、指導上の要点として、校長は、学習指導要領改訂の趣旨及び移行措置について教職員に周知徹底すること、学校においては、入学式や卒業式などの意義を踏まえ、学習指導要領改訂の趣旨及び移行措置に基づいて国旗を掲揚するよう指導するものとすること、国旗を掲揚するよう指導するに当たっては、校長を中心として、教職員の共通理解の下に協力して実施するようにするが、共通理解が得られず実施が困難な状況においては、学習指導要領の法的根拠を示し、校長の責任により実施すること、校長は、国旗の掲揚場所について、入学式や卒業式の意義を踏まえ、そのねらいが達成できるよう適切に定めることなどと記載されている。 6 平成二年二月五日、A校長は、東京都障害児学校教職員組合板橋養護学校分会(以下「分会」という。)との交渉において、同月一七日実施予定の本件式典における国旗の取扱いについて話合いを行った。右話合いにおいて、A校長は、「国旗を校庭のポールに掲揚し、同時に東京都のシンボル旗と校旗を掲揚したいと考えているが、地域の実情を調査して結論を出したい。反対の意見は聞くが、職員会にかけて決めるということは考えていない。」旨回答した。  同月一三日、A校長は、午後五時ころから約二時間にわたり、本件式典における国旗の取扱いについて教職員と話合いを行い、「過去の勤務先の落成式では国旗を揚げてきたし、地域の小中学校も揚げている。」、「校長の学校経営方針として、校長の責任において国旗を校庭のポールに掲揚し、同時に東京都のシンボル旗と校旗を掲揚する。」と述べた。  これに対し教職員の多くは、日の丸旗掲揚については職場の総意に基づいて判断されるべきであるとして、再度話合いを求めた。  同月一四日、A校長は、職員朝会において教職員に対し、「本件式典に際しては、校長の責任において国旗を校庭のポールに掲揚し、同時に東京都のシンボル旗と校旗を掲揚する。」と述べた。教職員の中からは、「日の丸に代わるものを揚げたらどうか。」、「日の丸を掲揚するにしても校長室に掲揚する方法はとれないか。」などの意見が出たが、A校長の容れるところとならなかった。なお、原告は、少なくともこの職員朝会には出席していた。  同月一五日、A校長は、職員朝会において、教職員に対し、同趣旨のことを述べた。なお、教職員は、同日午後、A校長との話合いを求めて、その旨の約四〇名の署名をA校長に提出した。  同月一六日、A校長は、職員朝会において引き続き同趣旨のことを述べるとともに、「署名が出たので一人一人と話し合いたい。」との意向を述べたが、教員らはこれに反対した。  同月一六日の勤務時間終了後、教員らは話合いを持ち、校長との話合いを求めることとし、A校長はこれを断ったものの、教員ら約三〇名が校長室を訪れたため、A校長は午後六時三〇分ころから約三〇分間教員らと話し合った。教員からは、「日の丸の掲揚を止めてほしい。」、「民主的な学校経営をしてほしい。」などの意見が出たが、A校長は国旗を掲揚する方針を変えず、物別れに終わった。 7 本件式典当日(同月一七日)の日程は、午前八時一五分から九時四五分までの間に、教職員全体の打合せ、会場準備、受付、式場入場等を行い、同一○時から一○時五〇分までの間に本件式典を挙行して、同一一時から来賓に校内施設を見学してもらい、この間に式典会場を祝賀会会場に模様替えし、同一一時五五分から午後一時三〇分まで祝賀会を実施し、その後教職員で内祝いをして午後四時に全日程を終了するというものであった。  本件式典当日午前七時四〇分ころ、A校長は、自ら本件ポール中央に日の丸旗を掲揚し、その際B教頭もこれを手伝った。なお、東京都のシンボル旗と校旗は、当日既に掲揚されていた。  午前八時四〇分ころ、原告は、本件ポールに掲揚されていた日の丸旗を降ろし、それを持って校舎二階にある更衣室の同人のロッカーに入れた。なお、原告は、右の行為をA校長らに知らせることなく行った。  午前八時五〇分ころ、B教頭は、C教諭から、「国旗が降ろされている。」と知らされ、直ちにA校長に報告した。A校長は、B教頭を伴って本件ポールに赴き、日の丸旗が何者かによって降ろされていることを確認した。A校長らは、本件ポールの前にある校舎一階の一年A組の教室に赴き、同組担任J教諭に日の丸旗の行方を尋ねたが、同教諭が知らないと答えたため、教室にいた同組の生徒に尋ねたところ、二名の生徒が「K先生が降ろした。」と答えた。  午前九時ころ、A校長は事務室に赴き、「K先生、校長室においで下さい。」と校内放送し、しばらく校長室で待機したものの原告が現れないため、A校長、B教頭は、原告が学級担任をしている校舎一階の一年C組の教室に赴き、原告に対し、「国旗をどうした、すぐに返しなさい。」と言ったが、原告は答えず、A校長が再度国旗の返還を求めたところ、原告は、「終わってから返します。」と述べてこれを拒絶した。  A校長は、強い口調で「今すぐに返しなさい。」と言ったが、原告は依然としてこれに応じず、そのため、A校長が、「生徒がいるから校長室で話そう。」といったところ、原告は、「廊下で話しましょう。」と言って教室を出た。  A校長らは、先頭を歩く原告を追う形で一階ホールに向かって歩いたが、その途中で分会の会長F教諭(以下「F分会長という。)とすれちがった。その際、A校長は、F分会長に「国旗を引き下ろした者がいる。」と伝えた。A校長は、一階ホール前で原告に対し国旗を返還するよう説得したが、原告はこれに応ぜずにいたところ、F分会長が、分会副分会長L教諭、同書記長M教諭らとともに一階ホールに現れ、原告に対し、「全体の意向とは違うから返したほうがよい。」と説得した。原告は、A校長らに対し、「この場から退いてくれ。」と述べたため、A校長らは、F分会長らと原告との話合いに任せてその場を離れた。  その後原告は、二階更衣室の自己のロッカーから日の丸旗を取り出し、紙に包んで職員室のB教頭の机上においた。  午前九時一五分ころ、本件式典の責任者であったB教頭は、来賓の控え室を見回るなどして職員室の自席に戻った。B教頭は、机上に紙包みが置かれていたためこれを調べたところ、日の丸旗が入っていたため、直ちに校長室に持参した。A校長は、同席していたG事務長とともに、右の日の丸旗が本件ポールに掲揚されていたものであることを確認した。  午前九時二〇分ころ、A校長、B教頭及びG事務長は、再度日の丸旗を本件ポールに掲揚した。以後本件式典は滞りなく行われたが、続く祝賀会には欠席した教職員も多くいた。 8 同月一九日、A校長は、本件式典出席のお礼のあいさつのため、指導部心身障害教育課を訪れ、N課長、心身障害教育担当のI元主任指導主事(以下「I主事という。)がこれに応対した。その際、原告の日の丸旗引き降ろしの話が出て、N課長らは、人事部の案件になるので、報告書を出すよう指導した。  同月二〇日夕方、A校長は報告書を指導部に持参したが、同報告書は、事実関係を時系列で記載したにすぎず、あて名や文書番号の記載もなく、校長の公印が押されていなかったこともあったため、N課長らは、「本件式典当日の出来事を中心に書いたらどうか。」と指導し、指導を受けたA校長は、これを持ち帰り、書き直した上、同月二三日、本件報告書(乙二)を人事部職員課を通じて、教育長あてに提出した。  本件報告書には、本件式典当日の経過について右7と同趣旨の内容が記載され、その添付資料には、国旗掲揚に至るまでの経過について、平成二年二月五日の分会との交渉、同月一三日の職場集会、同月一四日及び一五日の職員朝会、同月一六日の職員朝会と同日午後五時すぎからの職員との集会等についてのA校長からみた経過が記載されていたが、同資料では、同月一六日の職員集会はH教諭が招集したと記載されている。  なお、A校長は、原告から改めて事情聴取することなく、本件報告書を作成・提出したもので、原告に事実関係を確認することはもとより、本件報告書の教育長への提出を原告に知らせることもしていなかった。また、本件報告書には、人事部職員課の収受印は押されていない。 9 人事部管理主事D(以下「D主事」という。)、同Eは、同年三月八日午後四時二八分から午後五時まで、A校長立会いの下に、原告から事情聴取を行った。右事情聴取において、原告は、本件式典当日午前八時四〇分ころ国旗を降ろし、更衣室の自己のロッカーに保管したことは認めたが、このような事態を招いた責任はA校長にあり、原告が処分を受けることはないとして、事情聴取書に署名押印しなかった。  なお、A校長は、事情聴取に際し、原告が押印する必要がある場合に備えて、原告名義の印鑑(三文判)を購入して原告に渡していた。また、同校長は、D主事らから特に事情聴取されることはなかったが、原告に対しては寛大な処分を願う旨発言した。 10 被告委員会における、教職員に対して懲戒処分をするかどうかの決定手続は次のとおりである。 (一) 人事部管理主事が対象者から事情聴取した上、事故の概要をまとめた書類を作成し、管理主事としての処分案をこれに付記して、懲戒分限審査委員会に提出する。 (二) 懲戒分限審査委員会は、教職員の懲戒処分等について教育長の諮問に応じて審査答申する機関であり、同委員会は、右の書類を審査検討して、処分案を教育長に答申する。 (三) 教育長は、懲戒分限審査委員会の答申を受けて教育委員会を開催し、被告委員会として、処分内容を決定する。 11 原告の処分について人事部管理主事としての処分案を作成する担当者であったD主事は、前例を調査したところ、昭和六一年に、入学式当日、教員が掲揚されていた国旗を引き降ろし、その後の運動会当日、教頭が掲揚しようとして置いていた国旗を持ち去ったため、いずれも国旗が掲揚されなかった事例が戒告処分とされていたことから、原告の行為は一回の引き降ろしであるし、その後日の丸旗は掲揚されているので、文書訓告が相当であるとの意見を付することとし、平成二年四月一八日付けで「都立板橋養護学校教諭Kの事故について」と題する事故概要書(乙一五)を作成し、その中でA校長の発言を踏まえ、校長所見として「穏便な処置をお願いしたい。」と記載し、処分措置案を「文書訓告」として、懲戒分限審査委員会に提出した。もっとも、人事部管理主事らの間で検討した際には、意見が分かれ、戒告処分が相当であるとの意見もあった。  原告の事案に関する懲戒分限審査委員会は、平成二年四月、五月、六月に開かれたが、四月の委員会では継続審議となり、五月には優先案件の処理のため原告の事案は審議されなかった。六月の委員会では、原告の事案のほか、平成二年四月に発生した入学式における国旗引き降ろし事件等三件が付議されたが、まず原告の事案が審議されて戒告処分が相当であるとされた後、他の三件の事案の説明がされ、それらが原告の事案と比較検討されることはなかった。  懲戒分限審査委員会は、原告の事案について戒告処分が相当である旨を教育長に答申し、被告委員会は、同年六月二八日定例の教育委員会を開き、本件処分を議決した。なお、D主事は、右教育委員会会議の資料として、先の事故報告書(乙一五)を一部修正し、処分措置案を「戒告」とする同年六月二八日付けの「都立板橋養護学校校舎落成記念式典における事故について」と題する事故概要書(乙一六)を作成して同委員会に提出しており、右教育委員会の議決は、この事故概要書、本件報告書、原告からの事情聴取書を資料として、決定された。 二 争点1(原告の行為の法三三条、三二条該当性)について 1 学習指導要領の法的拘束力について  本件処分は、その処分理由から明らかなように、「原告が本件式典当日既に本件ポールに校長と教頭によって掲揚されていた国旗を引き降ろし、隠匿したこと。」を問責してされているもので、原告の行為が学習指導要領に違反したとしてされたものではないから、学習指導要領の法的拘束力いかんや、本件国旗掲揚条項の解釈上、本件式典における国旗の掲揚が同条項に該当するか否か、A校長のした日の丸旗掲揚行為が同条項に基づくものであるかは、本件処分の適否とは直接関係しないというべきである。  したがって、当裁判所は、これらの点について、特に判断することはしない。  なお、原告は、国旗掲揚を行わない行為又は国旗掲揚に協力しない行為は法的制裁を科されるべき行為には当たらないとも主張するが、自ら国旗掲揚を行わなず、又は他人のする国旗掲揚に協力しないのはともかく、これらと、他人が既に掲揚した国旗を引き降ろし、これを隠匿する行為とは、別個の行為であって、国旗掲揚を行わない行為又は国旗掲揚に協力しない行為の範ちゅうを超えるものというべきであり、これが法的制裁を科されるべき行為には当たらないとは到底いえないから、原告の主張は採用できない。 2 日の丸旗と国旗について  本件処分は、日の丸旗が国旗であることを前提にしてされているので、日の丸旗が国旗であるといえるかどうかについて検討する。  本件処分に係る原告の行為がされたとされる当時、我が国では、どの旗をもって国旗とするかを定めた明確な法規は存在しない。  しかしながら、商船規則(明治三年太政官布告)において、日本の船舶に掲げるべき国旗として日の丸の様式が定められていること、明治以降国の内外において日の丸旗が国旗として事実上用いられていたこと、自衛隊法(一〇二条一項)、海上保安庁法(四条二項)、商標法(四条一項一号)等において国旗を掲げることや国旗は商標登録をうけることができないと定め、我が国に国旗が存在することを前提とする規定がおかれているところ、我が国では、国旗としては日の丸旗以外に国旗と目される旗はないこと等からすれば、我が国においては、右の当時、日の丸旗を日本の国旗として認めるという慣習法が成立していたものと認めるのが相当である。 3 職員会議について (一) 養護学校高等部の校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する(学校教育法七六条、二八条三項)のであるから、本件学校の校務の運営を担当する者は校長であるA校長である。  他方、教職員会議については、これを認める法令上の根拠は存しない。  もとより、校務の運営は、できる限り、教職員の理解と納得の上で行われるのが望ましいもので、本件学校の学校経営において、職員会議を他のすべての会議に優先するものとし、校長の指示・伝達、連絡・報告事項、組織運営上の連絡調整ならびに全教職員の共通理解等を会議の内容としているのも、右の趣旨から、円滑かつ効果的な校務運営のために職員会議を設けているものと解される。  しかしながら、右のとおり、職員会議については法令上の根拠があるわけではなく、校務の運営の最終的な決定権限は校長にあるのであるから、校長がその職務を行うに当たり、職員会議の意見を尊重すべきであるとはいえても、これに拘束されるものとまではいえないし、校長の意見と教職員の意見が分かれた場合であっても、最終的な決定権限が校長にある以上、校長はその権限と責任において校務の運営を決定すべきものである。  そして、学校行事である本件式典に国旗を掲揚するかどうかは、校務の運営に関する事柄であるから、学習指導要領の法的拘束力いかんにかかわらず、本件式典に国旗を掲揚することはA校長の適法な職務遂行行為であり、A校長が、本件式典に日の丸旗を国旗として掲揚しようとしたことについて職員会議に諮らなかったからといって、そのことが違法であるとはいえない。 (二) 原告は、学校内においては、教育内事項については職員会議の審議を経なければならず、このことは学校教育現場における慣行であると主張するが、これを認めるに足りる十分な証拠はない。  また、原告は、ユネスコの「教員の地位に関する勧告」を引用するが、同勧告に我が国における法規としての効力があるとはいえないから、原告の主張は採用できない。 4 原告のした行為の違法性について (一) 前記一7で認定した事実によれば、原告は、平成二年二月一七日の本件式典当日午前八時四〇分ころ、同校校庭の本件ポールに、A校長とB教頭によって掲揚されていた日の丸旗を引き降ろし、これを自己のロッカーに入れ、同日午前九時ころからのA校長の返還要求にもかかわらず、これに応じず、同日午前九時一五分ころB教頭の机上に置くまで、日の丸旗を返還しなかったものである。  なお、証拠(甲六七、六八、原告本人)は、原告は、日の丸旗の所有者が分からず、分かれば返却する意思があったとするのが、前記一のとおり、原告は、A校長が本件式典当日に日の丸旗を掲揚する意向であることは知っていたのであるから、本件式典当日掲揚された日の丸旗がA校長ないしその意を受けた者によって掲揚されていたことを知っていたものと推認するのが相当である。  そして、原告の右の行為は、A校長らが適法な職務遂行行為としてした日の丸旗の掲揚について、これを引き降ろして実力で妨害した行為であるとともに、一時的にせよ、これを自己のロッカーに入れて占有した上、A校長の返還要求に応ぜず、日の丸旗の所在を明らかにしなかったのであるから、同旗を隠匿したものと評価されてもやむを得ない行為であるというべきであり、被告委員会がこれを「隠匿」と認定したことに誤りはない。  原告の行為は、本件式典という重要な学校行事においてされていること、その態様も、掲揚された日の丸旗を実力で引き降ろした上、これを自己の占有下におき、一時的にせよA校長からの返還要求にも応じなかったというもので、決して軽視できないものであること、現実に生徒らも原告による日の丸旗引き降ろしを見ていることからすれば、その後原告が返還した日の丸旗が再度掲揚され、本件式典がとどこおりなく行われたことを考慮しても、客観的にみて、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職員の職全体の不名誉となる行為であって、法三三条に違反する違法な行為であるといわざるを得ず、法三二条にいう「法令」に法三三条が含まれないとする理由はないから、同時に法三二条にも違反するというべきである。  右のとおり、原告の法三三条、三二条に違反した行為は、法二九条一項一号に該当するとともに、その行為態様からして、同項三号にも該当するということができる。 (二) 原告は、A校長の日の丸旗掲揚行為は違法、不当であり、原告の行為は自力救済行為である旨主張するが、A校長の日の丸旗掲揚行為が適法な職務遂行行為であることは前記3(一)のとおりであり、前記一6で認定したA校長と教職員との話合い等の内容、経過からして右のA校長の日の丸旗掲揚行為が不当ともいい難いから、これを原告のした行為の態様で妨害することが許されるとはいえず、原告の主張は採用できない。  原告は、本件処分は、思想良心の自由を侵害するものとして憲法一九条に違反するとも主張するが、本件処分は、原告がA校長らの掲揚した日の丸旗を引き降ろし、これを自己の占有下においた行為に対してされたもので、本件処分が原告に対し日の丸旗掲揚に対する協力を強制するものであるとはいえないし、A校長らのした日の丸旗掲揚行為が適法な職務遂行行為であることは前記のとおりであり、これを実力で妨害することまでを同条が保障しているとは到底認められないから、この点に関する原告の主張も採用できない。 三 争点2(本件処分手続の瑕疵)について 1 前記認定事実によれば、A校長は、本件報告書の作成及び提出に先立ち、原告に対する事情聴取を行わず、原告に本件報告書を作成する旨も知らせていなかったことが認められ、したがって、本件報告書の作成及び提出に当たり、本件事務処理要綱及び本件報告書作成要領に定めた手続は履行されていなかったものである。  しかしながら、本件事務処理要綱及び本件報告書作成要領は、その作成者及び内容から明らかなように、事故報告に際しての処分する側の内部手続を定めたもので、これらが被処分者を保護するための手続であるとはいえないから、本件報告書の作成・提出手続においてこれらの定めと異なる扱いがされたからといって、それによって本件処分の手続に違法があるとはいえない。 2 証拠(乙二)によれば、本件報告書中には、二月一三日の職員集会の呼び掛け責任者はH教諭である旨の記載があるが、同集会の呼び掛け責任者が誰であるかは前記原告の行為とは直接関係しないから、同集会の呼び掛け責任者が実際はC教諭であった(証拠(原告本人))からといって、右の本件報告書の記載をもって本件処分の手続上の瑕疵とすることはできない。なお、本件報告書(乙二)中には、原告主張の「返却した者は不明である。」との記載はない。 3 また、本件報告書には、本件文書管理規程に定める主務課である人事部職員課の収受印が押されていないが、本件文書管理規程は、被告委員会の訓令であり、被告委員会において文書管理の内部手続を定めたものであって、被処分者を保護するための手続ではないから、教育長あてに提出された本件報告書に人事部職員課の収受印が押されていないからといって、本件処分に手続上違法があるとすることはできない。 4 原告は、A校長が当初提出した報告書が被告委員会の主導によりその後本件報告書に差し替えられ、報告書が隠蔽・改ざんされたと主張するが、そのようにいえないことは、前記一8、11で認定した本件報告書の提出経緯やD主事の事故概要書作成経緯から明らかである。原告が隠蔽・改ざんされたとしてるる主張するところは、独自の推論であって採用できない。  また、原告は、指導部心身障害教育課が本件報告書の作成・提出に関与していたことが手続上違法であるとも主張するが、証拠(甲六九)によれば、指導部心身障害教育課は、養護学校等に対する指導事務を所管する部署であることが認められるから、同課員が、本件学校において発生した事故に関し、A校長に指導するのは同課の職務に範囲内といえるし、前記認定のA校長が本件報告書を最終的に提出するに至った経緯に照らせば、同課員のA校長に対する指導に違法があったとすることもできない。 5 被告委員会は、本件処分に先立ち、原告から事情聴取を行っており、所定の手続に従って、懲戒分限委員会の答申を受けた上、教育委員会を開催し、本件処分を議決しているのであるから、本件処分の処分手続に、違法があるとはいえない。  なお、被告委員会がした原告からの事情聴取に際してはA校長が立ち会っているが、同校長の立会いによって原告の事情聴取に支障があったことを認めるに足りる証拠はないし、また、A校長が原告名義の印鑑を購入して原告に渡したことによって原告の事情聴取に支障が生じたことを認めるに足りる証拠もない。 6 原告は、ユネスコの「教員の地位に関する勧告」を引用するが、同勧告は我が国における法規としての効力を有するものではない上、本件処分が所定の手続に従ってされ、その過程において原告の保護に欠けるところがあったとはいえないことは前記のとおりである。 7 以上によれば、本件処分において、その処分手続上の違法があるということはできない。 四 争点3(裁量権逸脱)について 1 本件報告書が後日差し替えられたものとはいえないこと、本件報告書中の職員集会呼び掛け責任者の記載が事実と異なるからといって、そのことは本件処分が認定した原告の行為とは直接関係しないことは、一8、三2、4のとおりであるから、本件処分の判断過程が著しく合理性を欠くとはいえない。 2 原告は、A校長が不問に付されたこととの均衡を理由に本件処分が過重である旨主張する。  しかしながら、A校長のした日の丸旗掲揚行為が適法な職務遂行行為であることは既に述べたとおりであるから、同校長が不問に付されたからといって、本件処分が過重であるとはいえない。 3(一) 原告は、日の丸旗掲揚行為に対する妨害行為についてされた措置との不均衡を理由に本件処分が過重である旨主張する。  証拠(甲一五、八〇の1ないし6、八五の1、八六の1、2、乙一四、証人D、同E)及び弁論の全趣旨によれば、@平成二年一一月一二日の即位礼正殿の儀の当日、教頭が校長の指示により国旗を掲揚しようとした際、掲揚ポールのロープを握って教頭の職務を妨害し、また、校長及び教頭からその行為を止めるよう注意されたにもかかわらず、止めなかった公立学校教員に対し、同年一二月二一日付けで神奈川教育委員会が文書訓告の措置をとっていること、A同年四月一〇日の入学式の当日、国旗を掲揚しようとした校長を取り巻き、国旗を揚げないよう威嚇するなど校長の職務遂行を妨害した都立立川ろう学校教員に対し、同年六月二九日付けで被告委員会が文書訓告の措置をとっていること、B同年四月六日の入学式当日、教頭が掲揚した国旗を引き降ろした東京都西多摩郡〈以下略〉の町立学校教員に対し、同町教育委員会が戒告処分としたこと、C同年四月、校長が国旗を掲揚するのを旗竿を握って妨害した都立高校教員に対し、被告委員会が戒告処分としたこと、なお、これらのうち、後二件は、本件国旗掲揚条項が平成元年三月に「入学式や卒業式などにおいては、・・・国旗を掲揚する・・・よう指導するものとする。」と改訂され、平成二年四月一日から施行されていた当時の事例であることが認められる。 (二) ところで、地方公務員につき、法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されており、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でないかぎり、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである(国家公務員に関する最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三七巻七号一一○一頁参照)。  前記(一)で認定した事実によれば、@の事例はそもそも被告委員会とは任命権者を異にしているし、本件処分に係る原告の行為は、実力で既に掲揚されている国旗を引き降ろしたという点で@、Aとは事例を異にするものである。また、B、Cの事例は、実力を使用して国旗掲揚行為を妨害したというその行為態様を考慮すると、これらを戒告処分としたことが社会観念上著しく妥当を欠いているとまではいえず、原告主張のように、新学習指導要領の実施に反対する学校内外の世論を制するための見せしめ的処分であるとはいえない。  これらのことと、前記認定した原告の本件式典当日の行為の態様からすれば、原告が当該行為に出るに至った経緯を考慮しても、原告の行為が法三三条、三二条に違反し、法二九条一項一号及び三号に該当するとした本件処分が、過重であって、社会観念上著しく妥当を欠き、被告委員会に与えられた裁量権の目的を逸脱し、これを濫用したものとはいえない。 (三) なお、原告は、法三三条の解釈上、何らの法規にも違反しないが信用失墜行為には当たる行為については、訓告措置の対象とされることが予定されていると主張するが、そのように解すべき理由はないから、原告の主張は採用できない。 五 結論  以上の説示によれば、本件処分は適法であるから、原告の被告委員会に対する請求は理由がないし、本件処分が違法であることを前提とする被告都に対する請求も理由がない。  よって、原告の請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第一九部 裁判長裁判官 山口幸雄    裁判官 鈴木正紀    裁判官 鈴木拓児