◆ H18.05.30 東京地裁判決 平成16年(わ)第5086号 東京都立板橋高校卒業式威力業務妨害事件(威力業務妨害被告事件)     主   文  被告人を罰金20万円に処する。  その罰金を完納することができないときは、金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。     理   由 (罪となるべき事実)  被告人は、かつて東京都立板橋高等学校に教諭として勤務していたものであるが、平成16年3月11日午前9時42分ころから同日午前9時45分ころまでの間、東京都板橋区大谷口1丁目54番1号同校体育館において、同日午前10時に開式予定の同校主催の卒業式典に備えて用意されていた保護者席の前方中央に立ち、保護者席に着席中の同校卒業生の保護者らに向かって、「今日は異常な卒業式で、国歌斉唱のときに、教職員は必ず立って歌わないと、戒告処分で、30代なら200万円の減収になります。ご理解願って、国歌斉唱のときは、出来たらご着席をお願いします。」などと大声で呼びかけた上、これを制止した同校教頭田中一彦に対し、「触るんじゃないよ。おれは一般市民だよ。」などと怒号し、さらに、同校校長北爪幸夫が被告人のこのような言動を制止するとともに退場を求めたのにこれに従わず、保護者席の中央通路を経て同体育館出入り口付近に至るまでの間、「板橋高校の教員だぞ、おれは。何で教員を追い出すんだよ、お前。ここの教員だぞ、おれは、お前。」などと怒号して、同式典会場を喧噪状態に陥れ、北爪幸夫や田中一彦らにおいて被告人への対応を余儀なくさせるとともに、卒業生の入場の遅れにより卒業式の開式を約2分遅延させるなどの事態を生じさせ、もって、威力を用いて同校の卒業式典の遂行業務を妨害したものである。 (証拠の標目)  括弧内の甲乙の番号は、証拠等関係カードの検察官請求証拠の番号を示す。 ・被告人の公判供述 ・証人鯨岡廣隆、同加治俊之、同北爪幸夫、同田中一彦、同Q、同R及び同Pの各公判供述 ・板倉寛の警察官調書(甲51) ・被害届(甲1) ・実況見分調書(甲2。ただし、不同意部分を除く。)、証拠品複製報告書5通(甲7、9、11、15、22)、資料入手報告書(甲18)、資料入手複写報告書(甲26)、電話聴取結果報告書(甲27)、ICレコーダー再生解析報告書(甲29)、ICレコーダー分析結果報告書(甲30)、写真入手報告書(甲38。ただし、不同意部分を除く。)、資料入手報告書(甲49) ・資料(卒業式の御案内など記載あるもの)1枚(甲6)、資料(入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施についてなど記載あるもの2枚綴り)1部(甲8)、資料(都立板橋高等学校第55回卒業式実施要綱など記載のあるもの)1枚(甲10)、紙片(サンデー毎日2004.3.7東京都教委が強いる寒々とした光景などの記載あるものでB4版のもの)1枚(甲14)、式次第(平成15年度都立板橋高校、55回卒業式に関するもの)1部(甲21)、写真3枚(甲33)、用紙(A4版、写真6枚が印刷されたもの)1枚(甲37) ・押収してあるICレコーダー1台のうちAフォルダー(平成17年押第558号の4。甲25)、ビデオテープ1巻(同押号の1。甲41) (事実認定の補足説明) 第1 弁護人の主張  弁護人は、本件公訴事実に関して後記のとおり事実関係を争うと共に、被告人の一連の行為は、威力業務妨害罪の構成要件には該当せず、可罰的違法性も欠くものであるとして、被告人は無罪である旨主張し、また、被告人に対する本件起訴は、公訴権の濫用であり、公訴棄却の判決がなされるべきである旨主張する。そこで、以下、関係証拠により認められる事実関係について検討した上、順次、各主張につき説明することとする。 第2 認定事実  関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。 1 被告人の本件卒業式出席の経緯等 (1) 被告人は、大学を卒業後、昭和41年に北海道立高等学校の教員となり、昭和48年に東京都立高等学校の社会科教員として採用されて以降、平成14年3月に定年退職するまでの間、一貫して都立高等学校に勤務し、このうち平成7年4月以降の7年間は、都立板橋高等学校(以下「板橋高校」という。)に勤務していた。 (2) 卒業式等における国旗、国歌の取り扱いについては、かねてから議論があったが、平成15年10月23日、東京都教育委員会(以下「都教委」という。)教育長は、都立高等学校長等に対し、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題する通達(以下「10.23通達」という。)を発出した。同通達は、入学式及び卒業式における国旗、国歌の取り扱いに関し、都教委の方針を示すものである。すなわち、入学式及び卒業式においては、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものと定めた学習指導要領に基づいて実施することに加え、「国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、『国歌斉唱』と発声し、起立を促す」こと、「式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことなどを定めた「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国家斉唱に関する実施指針」(以下「本件実施指針」という。)に従うよう通達し、併せて、教職員が同通達に基づく校長の職務命令に従わない場合には、服務上の責任を問われることを教職員に周知することを通達している。 (3) 被告人は、在職中から、卒業式等における国旗掲揚には反対の立場であったことに加え、学校の運営事項は職員会議の議決により決定すべきと考えていたことから、退職後も10.23通達が教育現場に与える影響に関心を寄せていた。  また、被告人は、平成16年3月ころ、職場の元同僚から、同月11日に実施される板橋高校第55回卒業式(以下「本件卒業式」という。)では、被告人が在職中に生活指導等を通じて知っていた全盲の女生徒が、卒業生の合唱時にピアノで伴奏を行うこと、さらには、被告人において、卒業式等における国旗掲揚及び国家斉唱の推進派として認識していた土屋敬之都議会議員(以下「土屋」という。)が、来賓として招待されていることを聞いた。  このような経緯から、被告人は、本件卒業式の実施に関心を抱き、式への出席を希望するに至った。そうして、被告人は、平成16年3月4日ころ、板橋高校の校長である北爪幸夫(以下「北爪」という。)に電話をかけ、本件卒業式に、来賓として出席することの承諾を得た。 2 卒業式の準備状況等 (1) 北爪は、10.23通達を受け、本件卒業式については、本件実施指針に則して執り行い、国歌斉唱の際、生徒、教職員をはじめ、列席の来賓や保護者にも起立を求める旨の方針を策定し、教職員との協議を経て、平成16年3月9日、本件卒業式の式次第等を定めた実施要綱(以下「本件実施要綱」という。)を作成した。本件実施要綱には、式次第に「国歌斉唱」、「全員起立して斉唱」との記載があり、当日の時程として、卒業式に列席する在校生、保護者及び教職員は、午前9時45分に着席を完了すること、卒業生は、同時刻に体育館に隣接する格技棟廊下に整列を完了し、午前9時50分に入場を開始すること、午前10時に卒業式を開式することなどが定められていた。 (2) 同日ころ、北爪は、テレビ局から、本件卒業式に来賓として出席する土屋が、体育館に入場し、来賓席に着席するまでの様子を、テレビカメラにより撮影したいとの取材の申し入れを受け、これを了承した。  その後、教職員から、格技棟廊下に待機中の卒業生の姿が、テレビカメラにより撮影されることを懸念する意見が相次いだため、北爪は、しかるべき措置を講じる旨の約束を交わし、最終的に、卒業生の入場方法は以下のとおりとされた。すなわち、卒業生は、午前9時40分、2棟1階の生徒会室前を先頭として、組順に整列し(以下、この地点を「第1待機場所」という。)、午前9時45分ころ、連絡係において、取材を終えたテレビカメラが体育館を退出したことを確認し、卒業生を引率する担任教師に向けて合図を送ったならば、卒業生は、格技棟廊下に移動し(以下、この地点を「第2待機場所」ということがある。)、その後、卒業式入場の合図により、体育館へ入場することとされた。 (3) また、北爪は、田中一彦教頭(以下「田中」という。)から、被告人が、国旗等の取り扱いに関する都教委の方針に批判的な人物であるとの報告を受け、不測の事態を懸念し、東京都教育庁指導部にその旨報告した。この報告を受けて、教育庁指導部は、本件卒業式への出席が予定されていた指導主事2名に加え、応援要員として、鯨岡廣隆(以下「鯨岡」という。)ら3名の指導主事を派遣することを決めた。 3 卒業式当日の状況 (1) 平成16年3月11日、被告人は、午前8時15分ころ、セーター姿で板橋高校に到着すると、午前9時ころから、卒業生の教室を順に訪ね、待ち時間を過ごす卒業生に対し、国歌斉唱時の不起立を促す発言をして回った。 (2) 午前9時30分ころ、被告人は、体育館に移動すると、体育館の中央付近に配置された保護者席を歩いて回り、卒業式の開式を待つ保護者に対して、用意しておいたビラを配りはじめた。このビラには、「東京都教委が強いる『寒々とした光景』」という見出しで、本件実施指針の引用や、職務命令違反を理由に戒告処分を受けた教員の発言等を掲載した週刊誌の記事の写しが印刷されていた。  午前9時36分ころ、鯨岡は、他の指導主事1名と共に体育館に入場し、教職員席の後方に用意された自席に着いたところ、保護者席において、被告人がビラを配布していることに気付き、付近の空席に置かれたビラを手に取って見るなどしていた。なお、鯨岡は、体育館への入場に先立ち、午前9時34分ころから、胸ポケット内に携帯していたICレコーダーの録音を開始しており、以後、卒業式が終了するまでの間、この録音を継続していた。 (3) 午前9時40分前ころ、北爪及び田中は、来賓を案内して、校長室前の廊下から体育館に向けて移動をはじめていたが、そこに、佐々木哲指導主事(以下「佐々木」という。)及びP教員が相次いで駆けつけ、被告人がビラを配布している旨報告したことから、田中は、この事態に対処すべく、北爪らに先立ち、小走りで体育館へと向かった。  田中は、体育館に到着すると、保護者席内に数歩分け入って前屈みの姿勢でいる被告人の姿を見つけ、その側に近づくと、なるべく穏便に済ませるため、比較的小声でビラ配布の中止を求めた。しかし、被告人は、田中の制止を無視してビラ配布を継続し、手持ちのビラを配り終えると、田中に対し、「もう終わったよ。」などと告げて、保護者席の中央にある通路を、ステージ方向へと歩いていった。田中は、被告人の行動を見届けようと考え、その後をついていった。 (4) その後、被告人は、保護者席の最前列前方に至り、保護者席方向に向き直ると、午前9時42分ころ、列席の保護者に対し、簡単に自己紹介をした上、「今日は異常な卒業式で、国歌斉唱のときに、教職員は必ず立って歌わないと、戒告処分で、30代なら200万円の減収になります。ご理解願って、国歌斉唱のときは、出来たらご着席をお願いします。」などと大声で話した(以下、この発言を「呼びかけ」ということがある。)。その間、被告人の傍らにいた田中は、突然の出来事に困惑しながら、被告人に対し、比較的小声で、「やめてください、何やっているんですか。」などと言い、呼びかけの中止を求めた。しかし、被告人は聞き入れる様子がないことから、田中は、無理にでも被告人をこの場から移動させようと考え、上記呼びかけの終わりころ、被告人の体に手を触れた。すると、被告人は、上記呼びかけを終えた後、直ちに、「触るんじゃないよ、おれは一般市民だよ。」と大声で怒鳴った。田中は、被告人のこの態度を見て、もはや強い姿勢で臨まざるを得ないと考え、「卒業式だぞ、藤田。」などと大声を張り上げ、一時、被告人との間で怒鳴り合いになった。 (5) 一方、北爪は、午前9時41分ころ、来賓を引率して体育館に入場すると、土屋の席に置かれていた被告人の荷物を移動するなどした後、被告人らのもとに駆けつけ、身振りを交えながら、被告人に対して体育館からの退場を求めた。また、田中は、冷静さを取り戻し、被告人に対して、「卒業式なんですから。卒業生のことを考えてください。」、「おとなしくしなさい。」などと繰り返し、被告人の体を手で押すなどして、体育館の出入り口へと連れ出そうとした。これに対し、被告人は、「ここで退職した教員を何で追い出すんだよ。板橋高校の教員だぞ、おれは。」、「1年生の生活指導担当だよ、おれは。」などと怒鳴り声をあげ、退場要求の不当性を訴えながらも、徐々に体育館出入口に向けて歩いていった。 (6) そうして、出入口に近づいたころ、被告人が、田中に対し、おとなしくする旨伝えたところ、田中が被告人の側を離れたため、被告人は、体育館内を来賓席に向けて歩きはじめた。しかし、被告人は、体育館後方において、再度、北爪から制止を受け、「決めたじゃない、何にもなんないじゃない。」などと抗議し、その後、「何で教員を追い出すんだよ、おまえ。」などと、前同様に大声で退場要求の不当性を訴えながらも、前記の「触るんじゃないよ。」との怒号から約2分25秒が経過した午前9時45分ころ、体育館から退場し、格技棟廊下へと歩いていった。 (7) そのとき、被告人の言動に憤慨した保護者の男性が、「馬鹿野郎、ぶっ殺すぞ。」、「おれは保護者だよ、大事な卒業式だろ、あんた。」などと怒鳴り声を上げて被告人に詰め寄ったため、被告人は、格技棟廊下に留まって上記男性に反論した。その後、上記男性の口調は次第に和らいだものの、被告人は、上記男性や北爪に対し、退場させられたことへの抗議を止めようとはせず、北爪から更に校外へ退去するよう要請されたことにも従わないで、「おれは静かに座ってるつもりだよ。」などと繰り返し言うなどして、約4分間にわたって格技棟廊下に留まり続けた。この間、北爪及び田中においても、被告人の上記態度から、これを放置すれば再び体育館内に戻ってくるおそれがあると考え、その場に留まって被告人の対応にあたらざるを得ない状況にあった。 (8) 一方、卒業生及び各組担任教員は、第1待機場所に整列し、移動の合図を待っていた。しかし、予定の時刻を過ぎても、移動の合図がないことから、3年2組担任教員のQは、連絡係の教員に状況を確認したところ、被告人が原因で移動ができないとの返事を受け、これを放置すれば、更に入場が遅れると思い、格技棟廊下へと向かった。  午前9時49分ころ、格技棟廊下に駆けつけたQは、被告人や北爪らに向けて、「おい、何やってんだよ、始めろほら。」、「何騒いでんだ、早く出ろ、ふざけんなまったく。自分のことばっか騒いでんじゃないよ。早く出ろ、こら。」などと怒鳴りつけ、これを契機として、被告人は格技棟廊下から校外に向け退出した。このため、北爪及び田中は体育館に戻り、北爪は、体育館で列席の保護者に対し、騒動の謝罪と事情説明を行った。また、田中は、午前9時50分ころ、予定時刻に約5分遅れて教職員の着席状況の確認を済ませた。 (9) また、Qは、被告人に続いて格技棟廊下から退出すると、直ちに第1待機場所へと引き返し、卒業生に対して移動開始を指示した。卒業生は、急ぎ足で格技棟廊下に移動すると、同所において十分に体勢を整えるゆとりのないまま、午前9時53分ころ、体育館への入場を開始した、その後、午前10時2分ころ、田中により開式の辞が述べられ、本件卒業式が開式となった。 第3 事実認定上の争点 1 前記第2で認定した各事実のうち、特に、@被告人が田中に制止された時期、A被告人が体育館を退場した状況、B被告人が格技棟廊下を退出した経緯、C本件卒業式の開式時刻などについて、検察官と弁護人の主張が対立しているので、以下、これらの点について説明する。 2 田中の制止時期 (1) 弁護人は、被告人が田中から制止されたのは、保護者に対する呼びかけが終了した後である旨主張する。この点、田中は、公判廷において、被告人がビラを配布していた時点から継続して被告人を制止していたとして、前記第2の3(3)ないし(7)の認定に沿う供述をする。  田中の上記供述は、式場の混乱を招くことのないよう注意しつつ、被告人の行為を制止することに苦慮していた当時の心情を交えながら、制止した経過を具体的に述べたものである。その供述は、詳細な反対尋問によっても揺らいでおらず、その内容に特段不自然な点もない。田中が、佐々木らから、被告人がビラを配布している旨の一報を受け、北爪や来賓に先立って体育館に駆けつけたことは争いがないが、このような経緯に照らせば、田中が、体育館に入場後、直ちに被告人への対処に臨んだというのは、むしろ自然な行動といえる。  鯨岡が録音したICレコーダーからうかがわれる時間的経過をみても、田中が体育館に入場した時点では、被告人がビラを配布していた可能性が高く、その供述との間に矛盾はみられない。また、ICレコーダーによれば、被告人は、父兄に対する呼びかけとして、「ご理解願って、国歌斉唱のときは、出来たらご着席をお願いします。」と言い終えると、間髪を入れずに、一層感情を込めた声で、「触るんじゃないよ、俺は一般市民だよ。」と怒鳴り、続けて、「いいんだよ、ほっといてくれりゃ。」と発言している。このような発言の時期及び内容に照らすと、少なくとも、田中は、すでに被告人の呼びかけの間からその側にいて、被告人の呼びかけを制止する状況があったとみるのが自然であり、田中の供述とよく整合するものといえる。  そして、北爪は、来賓を案内して体育館に入場した際、被告人と田中が保護者席の中央通路上に一緒にいるところを目撃した旨供述している。また、来賓として本件卒業式に出席したRは、来賓席に着席して間もなく、保護者席の中央通路を歩く被告人と、その後を追う田中の姿を見たこと、その後、被告人が、保護者に対し、自己紹介をしたうえ、教員は国歌斉唱の際に立たないと処分される旨の話をしたこと、その際、田中は、被告人の側に立って、やめてくださいというようなことを言っていたため、被告人は1歩、2歩と中央から離れるように動きながら、自分の言いたいことを言っていたことなど、当時の状況を具体的に供述する。さらに、Pは、田中と共に体育館に戻ると、田中は、中央通路でビラを配布していた被告人のところへ向かっていき、何をしているんですか、やめてくださいというようなことを言って制止したが、被告人は従う様子がなかったこと、その後、被告人が保護者に対し話を始めた際にも、田中は、やめてくださいというような様子で制止していたことなどを供述している。このように、北爪、R及びPの各供述は、田中の供述とよく符合しており、その供述の信用性を相互に補強するものといえる。  以上によれば、田中の公判供述は、十分に信用することができる。 (2) これに対し、弁護人は、@鯨岡は、教職員席において、被告人を断続的に観察し、その状況をICレコーダーに吹き込んでいるにもかかわらず、ビラ配布を制止する田中の姿を目撃していない、A田中は、実況見分において、被告人の呼びかけを制止した際には被告人が手に何かを持っていた旨、明らかに事実と異なる指示説明をしている、B田中が被告人に対し小声で制止した旨供述する点について、遠い位置にいたR及びPがその制止文言を聞き取っているのは不合理であり、各供述間には矛盾があるなどと指摘して、その供述の信用性を弾劾する。  しかしながら、@について、鯨岡は、被告人を継続的に観察していたわけではなく、被告人がビラを配り終える様子も見届けていない旨供述しており、ICレコーダーに吹き込まれた鯨岡の発言を聞いても、田中の制止行為が行われていた可能性のある時間帯において、被告人の様子を具体的に描写するような発言はないのであって、格別その動向に注意を向けていたとはうかがわれないことからすると、鯨岡において田中を見落としていた可能性が十分にあり得るといえる。  Aについて、田中は実況見分の際の上記指示説明が勘違いであった旨説明しているところ、そのような誤りがあることによって、被告人の行為を制止した時期や状況についての供述の信用性が左右されるとはいい難い。  Bについて、R及びPは、田中の言葉を聞いた際には、田中の態度を見て被告人のビラ配布や呼びかけを制止していることを理解していたのであるから、その言葉の内容は聞き取りやすいと考えられる上、両名の記憶する田中の言葉は、被告人を非難し、その行動を制止するごく単純なものであるから、記憶が不明確ながらもそのような意味の言葉を発していた旨の両名の供述が、不自然、不合理ということはできない。  以上のほか、弁護人の指摘する種々の点を考慮しても、田中供述の信用性は揺らがないというべきである。 (3) なお、弁護側証人として公判挺に出廷したA,B,C,D及びEは、被告人が呼びかけをはじめた時点では、その付近に田中の姿は見かけなかったという限りで、一致する供述をしているものの、その前後の状況等の詳細については、相互に不自然なくい違いがみられる。また、いずれの供述も、これを裏付ける証拠はない上、以下のとおり、客観的事実との不一致や供述内容の不自然さなどもあって、その信用性には疑問があることからすると、上記田中供述の信用性を左右するものとはいえない。 ア A及びBは、いずれも、田中は、被告人が呼びかけをはじめた後に、被告人に接近してきた旨供述する。しかしながら、Aは、被告人が呼びかけを行った位置について記憶違いが認められる上、被告人の「触るんじゃないよ。」という発言について、驚ろいた感じの声だった旨供述したり、被告人の態度について、説明が終わればもう出ていくという態度であった旨供述するなど、その供述に不自然な部分があるし、全体としてあいまいな供述をする中で、田中の制止行為だけが不自然に詳細な供述をしている点も理解し難い。また、Bは、座席が会場の右端であったことや、周囲がざわついていたことなどから、被告人の呼びかけの詳細を聞き取ることはできなかった上、被告人の呼びかけの間、隣にいた妻とも話をしていたというのであり、田中が被告人に接近した時期や過程については記憶にないというのであるから、その供述の正確性には疑問があるといわざるを得ない。 イ Cは、体育館に入場すると、被告人が保護者に話しかけていたが、その話が終わった直後、田中が被告人の左側から近づいて来て、小声で、「藤田さん、やめてください。」などと言って、被告人の腕をつかんだのに対し、被告人は、何かぼそっと言い、さらに、触るんじゃないよと抗議した旨供述する。しかし、ICレコーダーによれば、被告人は、保護者への呼びかけを終えると、直ちに、「触るんじゃないよ。」と大声を上げており、その間、田中が近づいてきて言葉を差し挟んだ上、被告人が何かを言う余地があったとは考えられないのであって、Cの上記供述の信用性には疑問がある。 ウ Dは、来賓席付近にいて、保護者に話をしている被告人に気がついたとき、被告人の周りには誰もいなかった旨供述するが、その際、Dは、被告人の様子をしっかりと見ていたわけではなく、その後の移動中も被告人の方向には目をやることがなかったというのであるから、その供述の正確性には疑問が残る。また、Dは、被告人が何の抵抗をすることもなく出入り口方向に歩いていき、声を出していたということも覚えていない旨述べるなど、供述内容があいまいであり、当時の状況を十分に記憶しているとは考え難い。 エ Eは、田中は、体育館に入って教職員席に向かい、その後、被告人が保護者への話を終えるころに、教職員席から被告人のもとに近づき、話を終えた被告人に対し、「ばかやろう。」などと大声をあげ、被告人の腕をつかんだので、被告人が、「触るんじゃない。」と大声を出した旨供述する。しかし、佐々木から一報を受け、急いで体育館に駆けつけた田中が、被告人に何ら対処することなく、教職員席に向かって行ったというのは不自然というほかない。また、田中が被告人の声より大声で、「ばかやろう。」と怒鳴ったとする点は、ICレコーダーにそのような発言が録音されていないことからも、その記憶の正確性には疑問がある。 (4) 結論  以上で明らかなとおり、信用できる田中の公判供述等によれば、田中は、被告人がビラを配布している時点から、継続的に被告人の制止に当たっていたと認められる。 3 体育館の退場状況 (1) 弁護人は、被告人は、北爪から不当な退場要求を受けたために、口頭で抗議をしたものの、自ら体育館から退場しており、周囲を混乱させたこともない旨主張する。 (2) 田中及び北爪は、公判廷において、被告人が、退場要求に対し、「何で追い出すんだ。」などと、その不当性を抗議するように大声で訴え続け、容易には体育館から退場しない態度であったこと、そのため、田中において被告人の体を押したり引いたりし、あるいは、二人で繰り返し退場を求めるなどして、少し移動しては立ち止まるというような形で徐々に被告人を体育館の出入口の方に連れていき、ようやく外に連れだしたことなどを一致して供述している。  また、被告人が体育館から退場する状況は、ICレコーダーの録音内容からも、明確に聴取できる。すなわち、被告人は、保護者に対する呼びかけの終了後から数十秒間、田中との間で怒鳴り合うと、その後、「何言ってんの。ここで退職した教員を何で追い出すんだよ。」などと、退場要求の不当性を述べ、更に約25秒間にわたって大声を上げ、自分が板橋高校の元教員であることを訴え続けている。その後、被告人と田中との間で、「おとなしくする。」旨のやりとりがなされると、それから約16秒間にわたり、それまでのやりとりが途絶えるが、被告人が、「決めたじゃない、何にもなんないじゃない。」と発言したのを契機として、再び被告人は、退場要求の不当性を訴えはじめ、それ以降、体育館を退場するまでの間、約53秒間にわたり、「何で退席させようとするんだよ。」などと大声を上げ続けており、この間にも、北爪は、被告人に対し、「校外にご退席ください。」などと述べていることが認められる。このような、ICレコーダーによって認められる被告人の発言内容にかんがみると、被告人が、容易には体育館から退場しようとしない姿勢であったことが明らかであり、これと整合する田中及び北爪の上記各供述は、十分信用できる。 (3) これに対し、Dは、被告人は何の抵抗をすることもなく、出入り口の方へ歩いていったなどと供述し、Aは、被告人は体育館に残るというより、説明が終われば出ていくという態度であったなどと供述するが、いずれも上記のICレコーダーの録音内容に反しており、信用できない。 (4) なお、弁護人は、被告人が、体育館出入り口付近まで一度移動しながら、その後再び来賓席に向かったのは、田中が態度を改め、被告人の出席を許可したためと主張し、被告人もこれに沿う供述をする。しかしながら、田中は、北爪が被告人に退場を求めたことを受けて、被告人を体育館出入り口付近へと移動させていたのであり、単に被告人がおとなしくする旨の発言をしているからといって、北爪の要求を独断で変更し、被告人の出席を明示的に許可したというのは不自然である。そして、北爪や田中が強い姿勢で退場を求めていた経緯は、被告人もまた十分認識していたのであるから、被告人が出席を許可されたと本心から誤解したというのも理解し難い。また、仮に、被告人に一時このような誤解があったとしても、その直後に退場を求められた際にも、前同様にこれに応じようとしない言動に終始したことが認められるのであり、被告人が基本的に退場要求に応じようとしない姿勢であったことは明らかである。 4 格技棟廊下の退出経緯 (1) 弁護人は、被告人は、格技棟廊下で被告人に詰め寄ってきた保護者の男性をなだめると、直ちに格技棟廊下から退出を始めており、Qが格技棟廊下に駆けつけたのは、その後のことであるから、被告人は、Qに怒鳴られたために格技棟廊下を退出したのではない旨主張する。 (2) Qは、公判廷において、格技棟廊下に駆けつけると、その奥に、被告人、北爪、田中及び保護者らしき人物がいて、何か話しており、すぐには収束しそうもない様子であったので、その場に走っていき、被告人に対して退出を求めるとともに、北爪や田中には、体育館に入るように求めて大声をあげた旨供述する。  この点、ICレコーダーには、被告人が、保護者の男性又は北爪に向けて発したものと認められる発言の直後に、Qが被告人や北爪らを怒鳴りつけた声が録音されているのであるから、少なくとも、Qが格技棟廊下に駆けつけた時点において、被告人が、素直に格技棟廊下から退出しようとしていたとは認められない。また、Qの発言の中には、「早く出ろ、こら。」というように、被告人に向けた発言としてのみ理解できるものが録音されているのであって、このようなICレコーダーの録音内容と整合するQの上記供述は、十分に信用することができる。 (3) これに対し、Cは、公判廷において、Qが格技棟廊下に駆けつけたときには、被告人は、すでに、校長や教頭に対して言い返すこともなく、その場を離れて格技棟廊下を出口に向かって歩いている状況であり、Qが怒鳴った相手が被告人であるとは考えられない旨供述するが、上記ICレコーダーの録音内容に反しており、信用することができない。 5 卒業式の開式時刻  検察官は、本件卒業式は、約4分遅れで開式となった旨主張するが、ICレコーダーに記録された録音開始時刻や、本件卒業式の開始前後にわたって吹き込まれた鯨岡の発言等を総合評価すると、弁護人の主張するとおり、ICレコーダーの録音が開始されたのは、午前9時34分ころであり、本件卒業式の開始にあたる開式の辞は、午前10時2分ころに行われた可能性が高い。  以上によれば、本件卒業式は、本来予定されていた午前10時から、約2分遅れで開式となったものと認められる。 第4 被告人の供述  被告人は、公判廷において、弁護人の前記第3の各主張に沿う供述をするほか、ビラ配布は、管理権者である校長の許可を得る必要のない行為と理解していたこと、保護者への呼びかけについても、北爪や田中が来賓とともに体育館に入場する以前に終わらせるつもりであったのであり、その後は来賓として本件卒業式に出席しようと考えていたこと、したがって、本件卒業式の業務を妨害する意図は全くなかったことなどを供述する。  しかしながら、弁護人の上記主張に沿う被告人の供述が信用し難いことは、前記第3において説明したとおりである。加えて、被告人は体育館から退場する際、自ら出入口に向かっており、その際、必要もなくまとわりついてくる田中に対して、退場要求の不当性を訴えていたにすぎない旨供述するが、テレビ局の撮影した映像(弁94号証)には、体育館内において、被告人が、田中らから出入口方向に向かうよう促されているのに、出入口を背にして田中らと向き合い、素直に出入口へ向かおうとしていない様子や、その背後で不安げな表情を浮かべながら、振り返ってその様子をながめる複数の保護者の姿、さらには、田中が、格技棟廊下において、素直に退出しようとしない被告人を抱きかかえるようにして、その動きを制している様子などが撮影されているのであって、被告人の上記供述は、このような映像記録に反するものといえる。したがって、田中の供述等に反する被告人の供述部分は、信用することができない。  また、保護者への呼びかけは、来賓らが入場する前に終わらせるつもりであったため、これを制止されるとは考えていなかったとの供述は、前記認定のとおり、田中が、被告人がビラを配布している時点から、継続的に被告人の制止に当たっていた事実に反するものである。また、その供述自体、卒業式等における国旗、国歌の取り扱いについて、一部教職員と都教委ないし管理責任者との間で厳しい対立があった状況と相容れない不自然なものである。したがって、保護者への呼びかけは、平穏のうちに終えることができると思っていた旨の供述は、とうてい信用できない。 第5 威力業務妨害罪の成否について 1.弁護人は、@被告人の本件行為は、人の意思を制圧するような勢力を行使したものではなく、威力に該当しない、A被告人に帰責できる業務妨害の結果は生じておらず、その危険も発生していないから、業務を妨害したとはいえない、B被告人には、卒業式そのものを中止させ、あるいは妨害する意図はなかったのであるから、故意がないと主張する。 2.威力について (1) 威力業務妨害罪の「威力」とは、人の意思を制圧するような勢力をいい、その威力の行使によって現実に被害者の自由意思が制圧されたことを要するものではなく、犯行の日時場所、動機目的、勢力の態様、業務の種類等諸般の事情を考慮し、容観的にみて人の自由意思を制圧するに足りるものであるかを判断すべきものである。 (2) 被告人は、前記第2に認定のとおり、午前9時42分ころ、板橋高校体育館において、保護者席の前方中央に立ち、卒業式の開始を待つ保護者らに向かって、「今日は異常な卒業式で、国歌斉唱のときに、教職員は必ず立って歌わないと、戒告処分で、30代なら200万円の減収になります。ご理解願って、国歌斉唱のときは、出来たらご着席をお願いします。」などと大声で呼びかけ、この呼びかけを制止した田中に対し、「触るんじゃないよ。おれは一般市民だよ。」などと怒号し、その後も、北爪の退場要求に従うことなく、午前9時45分ころに体育館を退場するまでの間、「板橋高校の教員だぞ、おれは。何で教員を追い出すんだよ、お前。ここの教員だぞ、おれは、お前。」などと怒号したことが認められる。 (3) 高校学校学習指導要領においては、卒業式は「儀式的行事」に該当するところ、それが厳粛な雰囲気の中で円滑に執り行うよう要請されることはいうまでもない。板橋高校では本件卒業式の実施に向けて、本件実施要網を作成するなどの綿密な準備を行っていたものであり、北爪は、校長としてその卒業式を円滑に執り行う職責を負い、田中は、教頭として校長の職務を補佐する職責を負っていたものである。  これに対し、被告人は、卒業式の開式の直前であり、来賓が式場に入場する予定時刻に、上記のような、都教委の施策に反対する立場への賛同を呼びかけたものである。そして、その内容は、国歌斉唱に当たって全員に起立を求める方針でいた北爪らの立場からは、とうてい許容できない内容であるといえる。そのような呼びかけを開式直前に突然行えば、卒業式の進行に影響を与えかねないとして、北爪らにおいて、その職責上、放置することができず、これを制止するなどの対応を迫られるものであることは明らかである。加えて、被告人は、現実に田中からの制止や北爪からの退場要求があったにもかかわらず、これを無視して呼びかけを行い、あるいは、上記のような各怒号に及んだものであり、北爪らにおいて、更に一定時間継続して対応することを余儀なくされたのである。そうすると、被告人の上記行為は、卒業式を執り行おうとする北爪ら関係者の意思を制圧するに足りる勢力の行使として、威力業務妨害罪の「威力」に該当することは明らかである。 3.業務妨害について (1) 本件において、業務妨害の結果発生が肯定されるには、現実に卒業式の遂行業務が妨害されることは必要でなく、妨害の結果を発生させるおそれのある行為があれば足りる。 (2) 被告人の本件行為は、卒業式開式の直前に、保護者に大声で呼びかけ、その呼びかけを制止した田中に対して突然怒号し、その後も、北爪の退場要求に対して、大声をあげて執ように抗議したものである。このような行為自体、卒業式直前の厳粛な雰囲気を害するだけでなく、卒業式の遂行業務に携わる関係者らに対し、予期していなかった対応を余儀なくさせ、その結果、卒業式の厳粛かつ円滑な遂行を阻害するおそれがあることは明らかである。  実際にも、前記認定のとおり、北爪及び田中は、被告人が、保護者にむけて大声で呼びかけを行うなどしたため、約2分25秒間を要して、被告人を格技棟廊下に連れ出したが、その際も被告人は大声で抗議するなどしたこと、その後も被告人が格技棟廊下に留まり保護者の男性と口論をはじめたため、北爪及び田中は、被告人が格技棟を退出するまでの間、約4分間にわたり、引き続き、被告人に校外への退去を求めるなどしたこと、一方、卒業生を引率する担任教員らは、被告人が格技棟廊下に留まっていたため、卒業生を移動させることができず、Qにおいて、格技棟廊下に駆けつけて被告人らを怒鳴りつけ、被告人を同所から退出させると、急いで卒業生を格技棟廊下に移動させ、同所で十分に態勢を整えるゆとりのないまま、卒業生を体育館へと入場させたこと、その後、午前10時2分ころ、開式の辞が行われ、約2分遅れで卒業式が挙行されたことが認められる。このように式典会場を喧噪状態に陥れるとともに、これらの事態を生じさせたのは、いずれも被告人の本件行為が原因となっているのであって、本件行為との間に因果関係を有するものであるといえる。そして、これら一連の事態が発生したことに照らせば、被告人の本件行為によって、本件卒業式の遂行業務が現実に妨害されたというべきである。  したがって、被告人の本件行為によって、卒業式の遂行業務が妨害されるおそれが生じただけでなく、現実にも業務妨害の結果が生じたことは明らかである。 (3)ア これに対し、弁護人は、上記のうち、被告人が格技棟廊下に留まっていたのは、保護者の男性が、今にも被告人に危害を加えかねない気勢を示して、被告人に詰め寄ってきたからであり、やむを得ないものであったと主張する。  しかしながら、上記男性が被告人に気勢を示していたには、せいぜい当初の1分程度であり、その間も、被告人は、上記男性に対し、「静かに座ってるっていうのに何で追い出すんだよ。」などと反駁しているのであって、そもそもが体育館を退場した後も、素直に校外に退去しようとする姿勢ではなかったのである。そして、その後、上記男性が穏やかになっても、同様のことを繰り返し述べながら、その場に留まっていることからしても、被告人は、上記男性の言動が原因で格技棟廊下に留まらざるを得なかったというものではない。加えて、上記男性が被告人に詰め寄ったこと自体、被告人の行為に原因があるのであるから、格技棟廊下における諸事態の発生と、被告人の本件行為との間に、因果関係が欠けるものではない。 イ また、弁護人は、本件卒業式においては、テレビ局の取材を容認し、これに伴い卒業生の入場方法を変更したことにより、開式の遅れは必然の事態になっていたのであり、北爪自身、開式の遅れを容認していた旨主張する。  しかしながら、前記第2の認定で明らかなとおり、テレビ局が取材の対象としていた土屋は、午前9時41分ころにはすでに体育館に入場しており、仮に、被告人の本件行為が行われていなければ、遅くとも、午前9時45分ころには、テレビ局の取材陣を会場から退出させ、直ちに、連絡係を介して卒業生を第2待機場所へと移動させる態勢が整っていたというべきであり、午前10時に開式の辞を行うことは十分に可能であったと認められる。また、仮に、北爪が、開式の遅れを容認していたとしても、その趣旨は、卒業生のプライバシー確保を優先するというものにすぎず、被告人の行為に起因する開式の遅れを容認していたことにもならない。 4 故意について (1) 威力業務妨害罪の故意としては、威力を用いることの認識と、その結果業務を妨害するおそれのあることの認識があれば足り、それ以上に、積極的に人の業務を妨害する目的意思を必要とするものではない。 (2) 前記第2の認定のとおり、被告人は、田中からの制止を無視して保護者にビラを配布し、引き続き、田中から静止されているにもかかわらず、保護者に向かって呼びかけを続けるなどし、さらに、田中に対し怒号したり、北爪の退場要求に対し怒号するなどして素直に応じようとしなかったことからすれば、自己の行為が、北爪及び田中ら関係者にとって、放置することのできない行為であり、その場の状況からして本件卒業式の遂行業務を妨害するおそれのあるものであることは、当然認識していたものと推認できる。もとより、被告人は、国歌斉唱時の起立を除けば、本件卒業式が予定どおり実施されることを望んでいたものと認められるが、これをもって、業務妨害罪の故意が欠けていたことにはならない。 5 以上によれば、被告人の本件行為が、威力業務妨害罪の構成要件に該当することは明らかであり、弁護人の上記主張には理由がない。 第6 可罰的違法性を欠くとの主張について  弁護人は、被告人の本件行為は、動機、目的が不当なものではなく、法益侵害の程度も極めて軽微であるから、健全な社会通念に照らして、威力業務妨害罪として処罰するに値するほどの可罰的違法性を有しないことは明らかである旨主張する。  しかしながら、一定の意見の表明が言論の自由として保障されるとしても、そのために他人の業務を妨害してよいということにならないことはいうまでもない。特に、被告人の保護者に対する呼びかけは、前記のとおり、それ自体が威力に該当する行為であって、明らかに手段の相当性を欠くものといえる。その結果、前記のような一連の業務妨害の事態が現実に発生し、これが社会的に許されない異常事態であることは明らかであって、その法益侵害の程度は軽微なものとはいえない。  したがって、被告人の本件行為が、可罰的違法性を欠くとして違法性が阻却されるとはいえず、弁護人の上記主張には理由がない。 第7 公訴権濫用の主張について  弁護人は、本件公訴提起は、卒業式等における国旗掲揚、国歌斉唱の完全実施を施策とする都教委が、その政治目的を実現するため、被告人に対する刑事処分を反対勢力への見せしめとすることを意図し、極めて些細な出来事である本件行為を強引に威力業務妨害罪に仕立て上げて起訴したものであり、違法、不当な公訴提起であって、公訴権の濫用にあたるとして公訴棄却の判決がなされるべきである旨主張する。  しかしながら、被告人の本件行為が威力業務妨害罪に該当することは前記のとおりであり、また、その犯情にかんがみると、本件公訴提起が、公訴権の濫用と評価し得るような極限的な場合に当たらないことは明白である。また、本件公訴提起に至る過程において、弁護人の主張するような違法があると認めることはできない。  したがって、弁護人の上記主張には理由がない。 (法令の適用) 1 罰条 刑法234条、233条 2 刑種の選択 罰金刑を選択 3 労役場留置 平成18年法律第36号附則2条1号、同法による改正前の刑法18条 4 訴訟費用の不負担 刑事訴訟法181条1頃ただし書 (量刑の理由)  被告人は、東京都教育委員会が、教職員に対し卒業式等における国歌斉唱を懲戒処分をもって強制しようとしているとして強く反発するなどし、判示の行為に及んだものである。本件卒業式の開式直前において、そのような行為に及べば、厳粛であるべき式典に悪影響を与えるだけではなく、円滑な進行を妨げるおそれが多分にあったことは明らかであり、実際にその遂行業務が一時停滞したことを考慮すると、被告人に対する非難は免れない。しかしながら、被告人は、本件卒業式の妨害を直接の動機目的としたものではないこと、実際に妨害を受けたのは短時間であり、開式の遅延時間も問題視するほどのものではなく、その後、本件卒業式はほぼ支障なく実施されたこと、被告人は、熱意ある教員として、定年退職までその職責を果たしてきたものであることなどの諸事情を考慮すると、本件において懲役刑を選択するのは相当ではなく、被告人に対しては、主文のとおりの罰金刑に処するのが相当であると判断した。 (求刑 懲役8月) 平成18年5月30日 東京地方裁判所刑事第9部 裁判長裁判 官村瀬均 裁判官 永井健一 裁判官杉山正明は転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 村瀬均