◆ H18.12.26 東京高裁判決 平成18年(行コ)第117号 東京都立大泉養護学校入学式絵付きブラウス事件(戒告処分取消請求控訴事件) 判示事項: 都立養護学校の入学式に赤い丸に斜線を引いたマークの入ったブラウスを着用して出席した女性教諭に対する戒告処分について懲戒権の逸脱、濫用は認められず、適法であるとされた事例     主   文 一 本件控訴を棄却する。 二 控訴費用は控訴人の負担とする。     事実及び理由 第一 控訴の趣旨 一 原判決を取り消す。 二 被控訴人が控訴人に対して平成一四年一一月六日付けでした戒告処分を取り消す。 三 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。 第二 事案の概要 一 本件は、東京都公立学校教員である控訴人が、被控訴人から、「(1)控訴人は、平成一四年四月九日に行われた東京都立乙山養護学校(小学部、中学部及び高等部が置かれている。)の入学式において、右胸に黒枠内に赤く塗りつぶした丸を描きそれに斜線を入れた図柄一本件図柄(1))と背中にハートに鎖を描いた図柄等(本件図柄(2))とが入ったブラウス(本件ブラウス)を着用したままで出席しようとし、同校校長から本件ブラウスの上に上着を着用するよう命じられた(本件職務命令一)のに、これに従わないで、本件ブラウスを着用したままの姿で入学式に出席した(本件甲行為)。(2)控訴人は、同年八月七日、同校長から上記(1)の行為に関する事実確認のために校長室に来るよう命じられた(本件職務命令二)のに、これに従わなかった(本件乙行為)。(3)控訴人の本件甲行為及び本件乙行為は、地方公務員法(以下「地公法」という。)三二条及び三三条に違反する。」として、平成一四年一一月六日付けで、地公法二九条一項一号、二号及び三号に基づき控訴人を戒告するとの懲戒処分(以下「本件処分」という。)を受けたが、「上記(1)の控訴人が入学式で本件ブラウスを着用しようとした行為は、上司の違法・不当な職務行為に対する抗議の意思を表明するものとして相当な方法・態様によるものであり、憲法一九条の思想・良心の自由や同二一条の表現の自由により許容されるものであるから、同校長の本件職務命令一は社会観念上著しく妥当を欠き違法・無効であり、控訴人に職務命令違反はない。上記(2)の本件職務命令二は、同校長の違法・無効な本件職務命令一を前提とするものであるから、控訴人の本件乙行為も職務命令違反とはならない。したがって、本件処分は処分事由を欠き懲戒権を逸脱・濫用した違法なものである。」などと主張して、本件処分の取消しを求めた事案である。  原審が「上記(1)の本件甲行為を理由とする本件処分は適法であり、上記(2)の本件乙行為を理由として懲戒処分を行うことは懲戒権を濫用するものであって違法であるが、結局のところ、本件処分は上記(1)の本件甲行為を理由とするものとして適法である。」として、控訴人の請求を棄却したので、控訴人が控訴した。 二 前提となる事実は、原判決の「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」の「一 前提となる事実」に記載のとおり(原判決二頁四行目から三頁一七行目まで)であるから、これを引用する。ただし、原判決二頁一九・二〇行目の「縦約一○センチメートル、横約一五センチメートルの黒の枠」を「縦一一・三センチメートル、横一二・五センチメートルの黒の枠」に改める。 三 争点及び争点に関する当事者の主張の要旨は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決の「事実及び理由」欄の「第二事案の概要」の「二 争点」及び「三 争点に関する当事者の主張の要旨」に記載のとおり(原判決三頁一八行目から一〇頁一六行目まで)であるから、これを引用する。 (1) 原判決四頁七行目の「国歌掲揚」を「国旗掲揚」に改める。 (2) 原判決七頁七行目末尾に次のとおり加える。  「そして、丙川校長は、職員会議の決定に反して本件入学式で「日の丸」の掲揚と「君が代」の奏楽を強行するという違法・不当な行為をしようとした。」 (3) 原判決七頁末行の「強行したという」を「強行するという違法・不当な行為をした」に改める。 (4) 原判決八頁一三行目の「争う。」を次のとおり改める。  「原告による本件甲行為が形式的には本件職務命令一に違反したとしても、これによる実害は全く発生していないのであり、もともと本件職務命令一を発した側にも国旗掲揚・国歌斉唱を強行したという問題があったのであるから、被告が原告を懲戒処分である戒告処分にすることは不当に重すぎ、その裁量権を著しく濫用・逸脱するものであって、本件処分は無効である。また、原告は、丁原前校長の在任中、平成一三年四月の入学式と平成一四年三月の卒業式に本件図柄と類似した手描きの絵入りブラウスを着用したが、それについて丁原前校長からは何ら注意も指導もされず黙認されていたのであるから、丙川校長が少なくとも事前に基準を変更したことを何ら告知しないまま本件職務命令一を発し、原告が本件職務命令一に違反したとして被告が原告をいきなり懲戒処分に付するのは、憲法三一条に照らしても裁量権を逸脱した違法なものである。」 第三 当裁判所の判断 一 認定した事実  当裁判所の認定した事実は、原判決の「事実及び理由」欄の「第三 当裁判所の判断」の「一 認定した事実」に記載のとおり(原判決一〇頁一九行目から一五頁一一行目まで)であるから、これを引用する。 二 争点(1)(本件甲行為を理由とする本件処分は違法か否か)について (1) 本件職務命令一に裁量権の逸脱・濫用があったか否かについて ア 丙川校長が控訴人に対して本件職務命令一を発したことは引用に係る原判決の「前提となる事実」の(2)アのとおりである。  学校教育法七六条により養護学校にも準用される同法二八条三項によれば、校長は「校務をつかさどり、所属職員を監督する」地位にあるとされているから、校長は、所属職員である教諭の職務活動に対して必要な範囲で職務命令を発し得る権限を有するものと解される。そして、このような校長の権限行使は、事柄の性質に応じてその裁量に委ねられていると解されるが、かかる裁量権の行使も、裁量権の範囲を超え又はその濫用がある場合には違法となるものである。そこで、本件職務命令二に裁量権の逸脱・濫解があったか否かにつき検討する。 イ 国旗掲揚・国歌斉唱の実施について  まず、その前提として、丙川校長が本件入学式において国旗掲揚・国歌斉唱を実施しようとしたことが違法・不当であるか否かを検討する。 (ア) 本件入学式が行われた平成一四年四月当時、学校教育法七三条は、盲学校、聾学校及び養護学校の高等部の学科及び教科は高等学校に準じて文部科学大臣がこれを定めるものとし、学校教育法施行規則七三条の一〇は、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程については、同規則に定めるもののほか、文部科学大臣が教育課程の基準として別に公示する「盲学校、聾学校及び養護学校高等部学習指導要領」によるものとしていた。当時、これに基づいて定められていたものは、「盲学校、聾学校及び養護学校高等部学習指導要領」(平成元年文部省告示第一五九号。以下「現行学習指導要領」という。)であるが、特別活動の指導については、平成一一年文部省告示第一三二号により特例として「盲学校、聾学校及び養護学校高等部学習指導要領」(平成一一年文部省告示第六二号。以下「新学習指導要領」という。)が適用されていた。そして、新学習指導要領では、「第四章特別活動」において、「特別活動の目標、内容及び指導計画の作成と内容の取扱いについては、高等学校学習指導要領第四章に示すものに準ずるほか、次に示すところによるものとする。」と定めているところ、学校教育法四三条、学校教育法施行規則五七条の二に基づき定められ平成一一年文部省告示第一三〇号により特別活動について特例として適用されていた「高等学校学習指導要領」(平成一一年文部省告示第五八号)は、「第四章 特別活動」の「第二内容」の「C 学校行事」において、「学校行事においては、全校若しくは学年又はそれらに準ずる集団を単位として、学校生活に秩序と変化を与え、集団への所属感を深め、学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと。」と定め、「学校行事」のうちの「(1) 儀式的行事」については、「学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定め、さらに、「第四章特別活動」の「第三 指導計画の作成と内容の取扱い」の三は、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(国旗・国歌要領)。そして、国旗及び国歌に関する法律によれば、国旗は日章旗(「日の丸」)とし(一条)、国歌は「君が代」とする(二条)旨が定められている。 (イ) ところで、高等学校学習指導要領(当時適用されていた平成元年文部省告示第二六号及び特例的に一部が適用されていた平成一一年文部省告示第五八号)は、文部科学大臣が、学校教育法四一条及び四二条がそれぞれ定める高等学校の目的及び教育目標に従って、高等学校の学科及び教科に関する事項を定める権限に基づき、高等学校教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために定めたものであり、全体としては、この目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的基準を設定したものと解することができ、教諭に対して一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点はないから、基本的に法規としての性質を有するものと解され(最高裁大法廷昭和五一年五月二一日判決・刑集三〇巻五号六一五頁、最高裁第一小法廷平成二年一月一八日判決・裁判集民事一五九号一頁参照)、これと同様に、「盲学校、聾学校及び養護学校高等部学習指導要領」(当時適用されていた現行学習指導要領及び特例的に一部適用されていた新学習指導要領)も基本的に法規としての性質を有するものと解される。 (ウ) そこで、さらに新学習指導要領が準用する高等学校学習指導要領の中の国旗・国歌要領も法規としての性質を有するか否かについてみると、その規定は、前記のとおり、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」というものであるところ、この趣旨につき、文部科学省は、「国際化の進展に伴い、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、生徒が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくためには、国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。学校において行われる行事には、様々なものがあるが、この中で、入学式や卒業式は、学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活の展開への動機付けを行い、学校、社会、国家など集団への所属感を深める上でよい機会となるものである。このような意義を踏まえ、入学式や卒業式においては、「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」こととしている。」と説明し、その指導に当たっては、「国旗及び国歌に対する正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てることが大切である。」としている(乙一九。文部省が平成一一年一二月に出した「高等学校学習指導要領解説 特別活動編」)。  これによれば、国旗・国歌要領は、教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的なものと認められ、また、その文言は一般的大綱的な基準を示すにとどまり、具体的にどのように国旗を掲揚するかどのように国歌を斉唱するかなどの指導内容の詳細な細目までを明示しているものではなく、もとより教諭に対して国旗・国歌の歴史的な背景等について一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するようなものでもないから、国旗・国歌要領も法規としての性質を有するものというべきである。 (エ) したがって、丙川校長が、校務をつかさどり全校の儀式的行事である入学式の実施責任者として、法規としての性質を有する国旗・国歌要領に従って本件入学式において国旗掲揚・国歌斉唱を実施する方針を決定しこれを実施しようとしたことは、たとえこれに反対する教職員が多数いたとしても、なお適法・正当なものとして是認することができ、何ら違法・不当なものではない。 ウ(ア) これに対し、控訴人は、「「日の丸」や「君が代」は歴史的に軍国主義や天皇絶対主権国家の象徴として使われてきたから、現憲法下での国旗や国歌には適しない。したがって、学校教育現場で「日の丸」の掲揚、「君が代」の奏楽を強行、強制することは憲法に違反し許されない。」旨を主張する。  確かに、「日の丸」や「君が代」が戦前の我が国において時に軍国主義的又は極端な国家主権的傾向を帯びた時代背景の中でその象徴として使用されてきたという歴史的な事実があること自体は否定できないものの、他方、「日の丸」や「君が代」が平和主義や象徴天皇制を採用する戦後の現行憲法下においても既に半世紀有余にわたり我が国の国民の間で国旗及び国歌として定着してきたことも事実であり(ただし、これに反対する者が少なからず存在することも事実である。)、こうした中で平成一一年に国旗及び国歌に関する法律が制定され、これによって「日の丸」及び「君が代」は法律上も国旗及び国歌とされたものである。したがって、「日の丸」及び「君が代」が現憲法下において国旗及び国歌ではないあるいは国旗及び国歌として適していないということはできず、本件において、丙川校長は法規の性質を有する国旗・国歌要領に従って国旗掲揚・国歌斉唱を実施すべきであったのであり、公立学校の入学式において国旗掲揚・国歌斉唱を実施すること自体が憲法に違反するとは解されないものである。 (イ) また、控訴人は、「丙川校長は、職員会議の決定に反して本件入学式において国旗掲揚・国歌斉唱を強行するという違法・不当な行為をした。」旨を主張する。  しかしながら、丙川校長は、上記のとおり、校務をつかさどり全校の儀式的行事である入学式の実施責任者として、法規としての性質を有する国旗・国歌要領に従って本件入学式において国旗掲揚・国歌斉唱を実施する方針を決定しこれを実施しようとしたものであるから、たとえ、丙川校長が職員会議における管理職を除く教職員の多数意見に反してこの実施をしようとしたとしても、職員会議は校務をつかさどる「校長の職務の円滑な執行に資するため」に設置者の定めるところにより置かれることができる機関にすぎないのであるから(学校教育法施行規則七三条の一六・二三条の二)、丙川校長の上記行為に違法・不当の問題が生じることはないというべきである。 エ 控訴人に対する本件職務命令二の発出理由について (ア) しかるところ、控訴人は、教育課程の一環として行われる儀式的行事たる本件入学式において丙川校長が適法に決定した国旗掲揚・国歌斉唱を実施するとの方針に反対してそれに抗議する意思を積極的に表明するため、その手段として、本件図柄が入学式の出席者に見えるようにするために上着を脱ぎ本件ブラウスを着用したままの姿で本件入学式に出席しようとしたのである。 (イ) 確かに、本件ブラウスに描かれた本件図柄(1)のうち、長方形様の四角い枠とその枠内の赤く塗りつぶされた丸の部分それ自体は、国旗及び国歌に関する法律一条で定められた日章旗(「日の丸」)とは制式が異なっており、日章旗そのものではないが、しかし、外形的にみて、これが日章旗をイメージさせるものであることは明らかであるし(控訴人本人も、この図柄が日章旗にデフォルメを施したものであることを認めている。)、本件図柄(1)のうちの斜線部分も、社会通念上斜線が否定ないし禁止の意を示す印と捉えられていることを考慮するならば、それが日章旗を否定ないし禁止する趣旨のものであると客観的に理解されるものである(現に、本件図柄(1)を見た戊田教頭及び丙川校長は、本件図柄(1)が国旗を否定する趣旨のものであると認識している。)。さらに、本件図柄(2)も、ハートの図柄に鎖がかけられ、しかも、擬人化されたハートが困惑した表情で涙を流している姿が描かれている(甲二〇)ことからすると、これを外形的にみれば、内心の自由に対する拘束・束縛に対して抗議する趣旨の図柄であると読み取れるのである。すなわち、本件図柄は、外形的にも、国旗掲揚・国歌斉唱の実施に抗議する意思を表明する趣旨が読み取れるものである(控訴人自身も、国旗掲揚・国歌斉唱の実施に抗議する趣旨で本件ブラウスを着用したと主張しているのである。もっとも、控訴人は、本件図柄は一見してその趣旨が見て取れるものではない旨を主張するが、本件図柄は上記のとおりに読み取れるものであって、採用することができない。)。 (ウ) そうすると、たとえ本件入学式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施については本件学校内の教職員間で意見の対立があったとしても、教育課程の一環として行われる儀式的行事たる本件入学式において丙川校長が適法に決定した国旗掲揚・国歌斉唱を実施するとの方針に反対してそれに抗議する意思を積極的に表明するために本件図柄が描かれた本件ブラウスを着用することは、儀式的行事である入学式の趣旨に反するばかりか、本件学校内の教職員間における国旗掲揚・国歌斉唱に関する対立状況をそのまま児童、生徒、保護者及び来賓の面前に持ち込むものであって、これにより、入学式の出席者に不快感や不信感を生じさせ、さらには、控訴人が国旗掲揚・国歌斉唱を拒否することを入学式の出席者に煽っているものと捉えられかねないことにもなって、本件入学式の円滑な進行に対する妨げや混乱を招くおそれがあることも否定できないのであり、後記のとおり、教育公務員たる控訴人の職責に抵触するものといわざるを得ない(一般職に属する地方公務員たる控訴人は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念すべき義務を負っている(地公法三〇条)。)。 (エ) したがって、控訴人の着用する本件ブラウスに描かれた本件図柄が外形的にも国旗掲揚・国歌斉唱の実 に抗議する意思を積極的に表明する趣旨が読み取れるものである以上、直接これが本件入学式の出席者の目に触れないようにするため、丙川校長が控訴人に対して上着の着用を求める本件職務命令一を発したことは、裁量権の行使として正当であったというべきであり、裁量権の逸脱・濫用はないというべきである。 オ これに対し、控訴人は、「(1)公務員という地位にあっても、抗議の意思を表明することは、その態様が相当なものである限り、憲法一九条の思想及び良心の自由や同二一条の表現の自由により許容されるものである。(2)本件甲行為の態様は、入学式という式典性・祝祭性に合致したもので、一見しても国旗掲揚・国歌斉唱の実施への抗議意思を表明する趣旨が見て取れるものではないから、権利行使として必要かつ相当な方法によるものである。」として、丙川校長の本件職務命令一はその裁量権を逸脱・濫用したものとして違法であると主張する。  しかしながら、上記(1)の点に関しては、控訴人に対して本件入学式に出席する間は上着を着用するよう命じた本件職務命令一は、そのこと自体が控訴人の思想及び良心の自由を直接に侵害するものとはいえず、また、表現の自由は民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものであり、これをみだりに制限することは許されないが、そのような自由といえども国民全体の共同の利益のために合理的でやむを得ない制限を受けることは、憲法自体がこれを許容するところである。そして、上記エ(ウ)のとおり、控訴人が本件ブラウスを着用したままの姿で本件入学式に出席することは、本件入学式の円滑な進行を妨げ混乱を招くおそれがあり、また、教育公務員たる控訴人の職責に抵触する行為であったといわざるを得ないことからすると、丙川校長が適法に決定した国旗掲揚・国歌斉唱を実施するとの方針に反対してそれに抗議する意思を積極的に表明するために本件図柄が描かれた本件ブラウスを着用したままの姿で本件入学式に出席しようとする控訴人に対して本件ブラウスの上に上着を着用するよう命じることはやむを得ない合理的な制限というべきであって、したがって、本件甲行為が控訴人の思想・良心に基づいてなされた行為であり、かつ、控訴人としては本件入学式の式典性や祝祭性に意を払っていたとしても、憲法一九条や二一条により正当化されるような行為ということはできず、控訴人の上記主張は採用することができない。上記(2)の点に関しては、その主張が採用できないことは、上記エ(イ)のとおりである。 (2) 本件甲行為の地公法三二条違反について  以上によれば、控訴人の本件甲行為は、上司である丙川校長の本件職務命令一に忠実に従わなかったものであるから、地公法三二条に違反すること(職務命令違反)は明らかである。 (3) 本件甲行為の地公法三三条違反について  次に、控訴人による本件甲行為が地公法三三条に違反する(信用失墜行為)か否かを検討する。 ア 教育公務員(教諭)がつかさどる教育(学校教育法二八条六項)は、一面において教育における創意工夫の余地を尊重しなければならないという面もあるが、他面においては、それが行政事務である以上、統一的な運営が行われることが必要であり、それがひいて住民の学校や教育公務員に対する信頼・信用の基礎となるものである。  ところが、控訴人の本件甲行為は、教育課程の一環として行われる儀式的が行事である本件入学式において丙川校長が適法に決定した国旗掲揚・国歌斉唱を実施するとの方針に反対してそれに抗議する意思を積極的に表明するため、丙川校長の適法な本件職務命令一に従わないで、本件図柄が描かれた本件ブラウスを着用したままの姿で本件入学式に出席したものであり、それは、前記のとおり、本件入学式の円滑な進行を妨げ混乱を招くおそれのある行為であったのであり、そうとすれは、本件甲行為は、本件学校における教育の統一的な運営に対する保護者や住民の信頼・信用を害するものと評さざるを得ないものである。  したがって、本件甲行為は、一般職に属する地方公務員(職員)としての「職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為」に当たり、地公法三三条に違反するものというべきである。 イ これに対し、控訴人は、「本件甲行為が地公法三三条の禁止する行為に当たるというためには、当該行為により東京都の教育公務員に対する信用が害されたことが具体的に主張・立証されなければならない。本件職務命令一ないし本件甲行為の存在は、本件学校の管理職以外の教職員や入学式の出席者には認識されていなかったし、本件ブラウスの着用によっても本件入学式には何らの支障も生じていなかった。」旨を主張する。  しかしながら、地公法三三条は「職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。」と定めるだけであって、控訴人主張のような具体的な信用失墜の結果が生じたことを要件とはしていない。また、同条は、一般職に属する地方公務員(職員)が「全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない」地位にあり(地公法三〇条)、それゆえに、地方公務員には一般の国民以上に厳しいかつ高度の行為規範に従うことが要求されることに鑑み、かかる行為規範を法律上の規範として定めたものと解される。そうすると、問題となる当該行為を公務員の社会的地位や国民感情を踏まえて客観的にみた場合にそれが公務に対する信用・信頼を害するおそれのある行為と評価される行為であれば足り、たとえ当該行為により具体的に何らかの支障等が生じなかったとしても、それが地公法三三条に違反するものであることの判断を左右することはないというべきである。これを本件についてみると、本件甲行為が本件学校における教育の統一的な運営に対する保護者や住民の信頼・信用を害するものと評さざるを得ないものであることは上記アのとおりであるから、本件甲行為は地公法三三条に違反するものというべきである。  また、地公法三三条の違反性を上記のように解するならば、実際の行為の時点においてその行為をどの範囲の者が認識していたかは、問題とならないものである。  したがって、控訴人の上記主張も採用することができない。 (4) 本件甲行為を理由とする本件処分について ア 以上のとおり、控訴人の本件甲行為は地公法三二条及び三三条に違反する行為であるから、同法二九条一項一号ないし三号の懲戒事由に該当することは明らかである。そして、以上で述べたような行為の態様等からすると、本件甲が為の情状は決して軽視されるべきものではなく、本件処分が懲戒処分としては最も軽い戒告の処分であることを勘案すると、本件甲行為を理由とする懲戒権の行使たる本件処分には裁量権の逸脱・濫用は認められないというべきである。 イ これに対し、控訴人は、「控訴人による本件甲行為が形式的には本件職務命令一に違反したとしても、これによる実害は全く発生していないのであり、もともと本件職務命令一を発した側にも国旗掲揚・国歌斉唱を強行したという問題があったのであるから、被控訴人が控訴人を懲戒処分である戒告処分にすることは不当に重すぎ、その裁量権を著しく濫用・逸脱するものであって、本件処分は無効である。また、控訴人は、丁原前校長の在任中、平成一三年四月の入学式と平成一四年三月の卒業式に本件図柄と類似した手描きの絵入りブラウスを着用したが、それについて丁原前校長からは何ら注意も指導もされず黙認されていたのであるから、丙川校長が少なくとも事前に基準を変更したことを何ら告知しないまま本件職務命令二を発し、控訴人が本件職務命令一に違反したとして被控訴人が控訴人をいきなり懲戒処分に付するのは、憲法三一条に照らしても裁量権を逸脱した違法なものである。」旨を主張する。  しかしながら、地方公務員につき地公法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、平素から当該地方公務員の所属庁内の事情に通じ職員の指導監督の任に当たる懲戒権者の合理的な裁量に委ねられているものというべきであり(懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の上記行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を総合的に考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを、その裁量的判断によって決定することができると解される。)、したがって、裁判所が上記の処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断しその結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き裁量権の範囲を逸脱してこれを濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきである(最高裁第一小法廷平成二年一月一八日判決・裁判集民事一五九号一九頁参照)。本件職務命令一に違反する控訴人の本件甲行為は、前記のとおり、教育課程の一環として行われる儀式的行事たる本件入学式において丙川校長が適法に決定した国旗掲揚・国歌斉唱を実施するとの方針に反対してそれに抗議する意思を積極的に表明しようとするものであって、本件入学式の円滑な進行を妨げ混乱を招くおそれがあり、また、教育公務員たる控訴人の職責に抵触する行為であったといわざるを得ないのであるから、本件甲行為の情状は決して軽視されるべきものではなく、仮に控訴人が指摘するように丁原前校長の在任中の入学式や卒業式において控訴人が本件図柄と類似した手描きの絵入りブラウスを着用しても丁原前校長からは何ら注意も指導もされなかったという事情があったとしても、被控訴人が本件甲行為を理由として控訴人を戒告処分したことにつき裁量権の逸脱・濫用があったものとは認められないものである(事前に懲戒処分に付する旨の警告をしなくとも憲法三一条に違反するものではない。)。  したがって、控訴人の上記主張も採用することができない。  三 争点(2)(本件乙行為を理由とする本件処分は違法か否か)について  当裁判所も、本件乙行為を理由とする本件処分は懲戒権についての裁量を逸脱したものとして違法であると判断する。その理由は、原判決の「事実及び理由」欄の「第三 当裁判所の判断」の「三 争点(2)について」に記載のとおり(原判決二二頁二五行目から二五頁一〇行目まで)であるから、これを引用する。この判断は、上記二(4)イで説示した裁判所の行政処分に対する審査の在り方を踏まえて検討しても、変わらない。  四 まとめ  以上のとおりで、本件処分は、本件乙行為を処分理由に加える点においては裁量権を逸脱したものといわざるを得ないが、本件甲行為を処分理由とする限りにおいて適法なものとして是認できるから、結局、本件処分は適法というべきであり、控訴人の本件請求は理由がないものというべきである。  五 結論  よって、控訴人の本件請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 原田敏章 裁判官 気賀澤耕一 渡部勇次)