◆ H19.11.30 大阪高裁判決 平成19年(行コ)第56号 枚方市不起立教員調査情報削除請求事件(非削除決定取消等請求控訴事件) 原審:大阪地方裁判所 平成17年(行ウ)第21号,同第25号 平成19年4月26日判決     主   文 1 原判決中,被控訴人に対する慰謝料請求部分を次のとおり変更する。 2 被控訴人は,控訴人Aに対し,10万円を支払え。 3 被控訴人は,控訴人Bに対し,10万円を支払え。 4 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。 5 訴訟費用中,控訴人らと被控訴人との間に生じたものは,第1,2審を通じてこれを10分し,その1を被控訴人の負担とし,その余を控訴人らの負担とする。     事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決中,被控訴人に対する慰謝料請求部分を次のとおり変更する。 2 被控訴人は控訴人らに対し,各100万円を支払え。 第2 事案の概要  本件は,被控訴人の教職員である控訴人らが,勤務先の小,中学校の入学式における国歌斉唱の際に起立をしなかったところ,枚方市教育委員会(以下「市教委」という。)が起立をしなかった控訴人らを含む教職員の氏名及びその理由等の調査を行い,その結果を文書(以下「本件文書」という。)に作成したため,控訴人らが,市教委に対しては,枚方市個人情報保護条例(以下「本件条例」という。)に基づき,市教委が行った本件文書中の控訴人らに関する上記調査結果部分(以下「本件情報」という。)を削除しないという決定の取消しを,また,被控訴人に対しては,人格権(自己情報コントロール権)に基づく本件情報の削除と,国家賠償法1条に基づく慰謝料各100万円の支払を求めた事案である。  原審は,市教委に対する非削除決定の取消しについては認容したが,被控訴人に対する削除請求は棄却し,慰謝料請求も各1万円の限度で認容し,その余の慰謝料請求を棄却したため,控訴人らが敗訴部分を不服として控訴した。なお,その後市教委において,本件文書から本件情報を削除したため,控訴人らは,被控訴人に対する本件情報の削除請求に係る訴えを取り下げた。 1 争いのない事実 (1)法令ないし条例(以下「法令等」という。)の定め  原判決の「事実及び理由」の第2の2(同3頁13行目から同7頁12行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 (2)当事者 ア 控訴人Aは,平成14年4月当時,枚方市立甲小学校に勤務する教諭であった。 イ 控訴人Bは,平成14年4月当時,枚方市立乙中学校に勤務する教諭であった。 ウ 被控訴人は,枚方市立の小,中学校及び市教委の設置者である(枚方市立小学校及び中学校設置条例(昭和41年条例第20号,地方自治法180条の5第1項,地教行法2条)。 エ 市教委は,本件条例に規定する実施機関であり,被控訴人が設置する学校に勤務する教職員の服務を監督している(本件条例2条2号,地方自治法180条の8,地教行法43条1項)。 (3)市教委による指示と調査 ア 平成14年4月1日,当時市教委の教育長であった中野一雄(現在は市教委委員長,以下「中野教育長」という。)は,同日開催された臨時校長会・園長会において,枚方市立の小,中学校の校長らに対し,同年度入学式,入園式について,以下の7点の指示(以下「本件7点指示」という。)を伝達事項として伝えた。 (ア)校長式辞,教育委員会告辞,来賓祝辞は,体育館舞台上で行うこと。 (イ)国旗については,式場内と式場外に掲揚すること。式場内での掲揚は,体育館舞台に掲揚すること。式場外での掲揚は,校門・玄関・ポールのいずれかに掲揚すること。 (ウ)教職員が国歌斉唱時に起立し,斉唱すること。また,教職員に児童生徒が起立をすることの意味や斉唱の指導を行うことを明確に指示すること。なお,教職員の起立については,起立しない場合,再度,起立の指示をすること。 (エ)国歌斉唱を式次第の中に入れ,式場及びしおり・プログラム等に明記するとともに,しおり・プログラム等には,国歌の歌詞をプリントすること。 (オ)演奏方法については,ピアノ伴奏も含め,適切な演奏方法をとること。ピアノ伴奏による国歌斉唱ができるよう努力を。 (カ)入学式における司会進行は教員が行うこと。 (キ)来賓・保護者に対して協力を依頼すること。 イ 中野教育長は,平成14年4月9日,枚方市立の小,中学校の校長に対し,平成14年度の入学式における国歌斉唱時の起立状況について,国歌斉唱時に起立しなかった教職員数及び氏名,教職員に対する国歌斉唱時の起立の指示をした日時,指示の場面及び内容,指示の仕方,当該教職員からの聴取による起立しなかった理由,当該教職員の平成13年度卒業式の国歌斉唱時の起立状況などの報告を求めた(以下「本件調査」という。)。 ウ 市教委は,本件調査における各校長からの回答に基づき,枚方市立の小,中学校の各校ごとに,起立しなかった教職員の氏名,起立しなかった理由,起立しなかった教職員が同じ学校に在勤していた場合の平成13年度卒業式の国歌斉唱時の起立状況などを一覧表で記載した「平成14年度入学式の国歌斉唱時,起立しなかった教職員調査(小学校)」「同(中学校)」と題する各文書(本件文書)を作成して保管した。 (4)控訴人Aに対する非削除決定等の経緯 ア 控訴人Aは,平成15年3月17日,市教委に対し,本件文書中の控訴人Aに関する本件情報(氏名及び起立しなかった理由の記載部分)について,本件条例16条に基づく開示請求を行った。  市教委は,同月31日,控訴人Aに対し,控訴人Aに関する本件情報の全面開示を決定し,これを控訴人Aに開示した。 イ 控訴人Aは,同年4月1日,市教委に対し,本件文書中の控訴人Aに関する本件情報について,本件条例18条に基づき,自己情報の削除請求を行った。  市教委は,同月22日,上記削除請求に対し,控訴人Aに関する本件情報の削除を行わないとする決定(以下「控訴人Aに関する本件非削除決定」という。)をした。その理由は,本件条例18条の規定による削除請求は,同7条又は8条1項,2項の規定による制限を超えた個人情報が収集された場合に認められるが,控訴人Aに関する本件情報は上記規定による制限を超えて収集された個人情報ではないというものであった。 ウ 控訴人Aは,同年6月18日,市教委に対し,控訴人Aに関する本件非削除決定について,異議申立てを行った。  市教委は,上記異議申立てについて,枚方市情報公開・個人情報保護審査会(以下「審査会」という。)に諮問したところ,審査会は,平成16年9月24日,市教委に対して,控訴人Aに関する本件情報を削除すべきであるとの答申をした。  しかし,市教委は,同年11月19日,控訴人Aの上記異議申立てを棄却するとの決定をした。 (5)控訴人Bに対する非削除決定等の経緯 ア 控訴人Bは,平成15年2月12日,市教委に対し,本件文書中の控訴人Bに関する本件情報(氏名及び起立しなかった理由の記載部分)について,本件条例16条に基づく開示請求を行った。  市教委は,同月26日,控訴人Bに対して,控訴人Bに関する本件情報の全面開示を決定し,これを控訴人Bに開示した。 イ 控訴人Bは,同月27日,市教委に対し,控訴人Bに関する本件情報について,本件条例18条に基づき,自己情報の削除請求を行った。  市教委は,同年3月28日,上記削除請求に対し,控訴人Aに関する本件情報と同様の理由により,控訴人Bに関する本件情報の削除を行わないとする決定をした(以下「控訴人Bに関する本件非削除決定」という。)。 ウ 控訴人Bは,同年5月28日,控訴人Bに関する本件非削除決定につき,異議申立てを行った。  市教委は,上記異議申立てについて,審査会に諮問したところ,審査会は,平成16年9月24日,市教委に対して,控訴人Bに関する本件情報を削除すべきであるとの答申をした。  しかし,市教委は,同年11月19日,控訴人Bの上記異議申立てを棄却するとの決定をした。 (6)本件情報の削除  原判決後,市教委は,本件情報を削除することを決定し,平成19年6月22日,これらを削除した。 2 争点 (1)市教委の本件情報の収集等に関する,本件条例7条2項違反の有無 ア 本件情報が控訴入らの思想,信条及び信仰に関する情報(本件条例7条2項1号)といえるか。 イ 市教委が,本件条例7条2項の規定による制限(法令等の定めに基づくとき)を超えて,本件情報を収集した,あるいは保管したといえるか。 (2)市教委の本件情報収集に関する,本件条例8条1項違反の有無 ア 本件情報が個人情報(本件条例2条1号)に該当するか。 イ 市教委が,本件条例8条1項の規定による制限を超えて,本件情報を収集したといえるか。 (3)市教委のその他の違法行為の有無 (4)控訴人らの損害 3 争点に対する当事者の主張(なお,以下に引用する原判決中,「(被告教育委員会の主張)」とある部分は,すべて「(被控訴人の主張)」と読み替えるものとする。また,略語の表記について当裁判所と異なる部分については,個々の訂正はしない。) (1)争点(1)ア(本件情報が控訴人らの思想,信条及び信仰に関する情報(本件条例7条2項1号)といえるか。)について  原判決12頁9行目の「ためである。」を削除し,当審における控訴人らの主張を次のとおり付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の第4の1(1)(同12頁3行目から同11行目まで)のとおりであるから,これを引用する。  「君が代」の起立斉唱をしない理由を尋ねたら,当該個人の歴史観,国家観,社会観,世界観等といった思想,信条信仰に関わる内心の内容が提示されるであろうことは誰にでも容易に予想されることである。したがって,公権力が,卒業式や入学式といった儀式的行事の場で「君が代」の起立斉唱を命じた場合,その場に参加する児童生徒,保護者,来賓,または教職員との関係で思想,良心の自由といった基本的人権に関わる緊張関係が発生することは周知の事実である。起立しないという不作為の消極的行為については,当該個人の思想,良心と極めて密接不可分の関係にある,いわば思想,良心の外部的表出ということができる。 (2)争点(1)イ(市教委が,本件条例7条2項の規定による制限を超えて,本件情報を収集した,あるいは保管したといえるか。)について  原判決18頁2行目の「ア」を削除し,同3行目から同4行目の「「法令又は条例(以下「法令等」という。)の定めに基づくとき」」を「「法令等の定めに基づくとき」」と改め,当審における控訴人らの主張を次のとおり付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の第4の1(2)(被告教育委員会の主張)アないしウ(同12頁15行目から同15頁6行目まで)及び同(原告らの主張)ア(同18頁1行目から同25行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 ア 本件条例7条2項は,もともと個人情報のうち個人の権利利益を侵害するおそれのあるセンシティブな情報について,原則として実施機関が収集等してはならないことを義務付けたものであって,目的の如何を問わず,行政機関が行う同項(1),(2)号所定の個人情報の収集等については,原則としてこれを禁止するために設けられたものである。同項の文言上も,目的による限定など加えられていない。  そもそも,実施機関が思想,信条・信仰に関する個人情報を収集する目的でこれを収集する場合は通常あり得ないと考えられる。なぜなら,そのような目的の情報収集は,憲法19条が禁止する思想調査そのものであり,そのようなことを目的として許容する法令等も存在しないはずだからである。しかし,行政事務は,住民の多様な生活実態や福祉全般に関わるものであるため,所掌する行政事務の目的を遂行するに際し,場合によっては,付随的,派生的に住民のセンシティブな個人情報が収集されることがある。そのような場合に,そのことを具体的に予定した「法令等の定め」を必要とし,また,審議会への事前諮問を行うことを義務付けているのが本件条例7条2項ただし書きである。実際,実施機関による審議会への諮問の例は少なからず存在する。  そして,収集した結果,それが思想等に関する個人情報であったことが判明した場合,それは,法令等の定めもなく,事前に審議会の許可も得ておらず,かつそのような収集等を許す特段の定めも本件条例が設けていないことに照らし,明らかな条例違反ないし憲法違反というほかない。 イ また,本件調査は,むしろ服務規律に名を借りた思想,信条・信仰に関する個人情報の収集の疑いを払拭することができない。適法収集に基づく保管であって,同時に削除しなければならない違法な保管というものは考えることができず,本件条例は,そのようなあり得ない状況を想定していない。  思想,良心についての調査が許されないことは,教職員についても変わるところはないし,職務上の義務違反があった場合でも,同様である。 (3)争点(2)ア(本件情報が個人情報(本件条例2条1号)に該当するか。)について  原判決25頁1行目の「上記1(1)」を「前記争点(1)アの」と改めるほかは,原判決の「事実及び理由」の第4の2(1)(同24頁19行目から同25頁2行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 (4)争点(2)イ(市教委が,本件条例8条1項の規定による制限を超えて,本件情報を収集したといえるか。)について  原判決の「事実及び理由」の第4の2(2)(同25頁5行目から同末行まで)のとおりであるから,これを引用する。 (5)争点(3)(市教委のその他の違法行為の有無)について  次のとおり訂正し,当審における控訴入らの主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の第4の1(2)(被告教育委員会の主張)エ(同15頁7行目から同17頁末行まで)及び(原告らの主張)イ(同18頁末行から同24頁16行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 ア 原判決の訂正 (ア)同17頁18,19行目の「被告教育委員会教育長(当時。現在は被告教育委員会委員長である。)である中野一雄(以下「中野」という。)」を「中野教育長」と改める。 (イ)同18頁末行の「イ被告教育委員会は,」から同19頁2行目の「主張しているが,」まで,及び同3,4行目の「から,被告の主張には前提に誤りがある」をそれぞれ削除する。 (ウ)同21頁16行目の「法的拘束力は」を「法的拘束力を」と改める。 (エ)同22頁13行目の「活動は,は」を,「活動は」と改める。 (オ)同24頁11行目の「無効」を「違法」と改め,同12行目から同16行目までを削除する。 イ 当審における控訴人らの主張 (ア)学習指導要領は,文部科学省が示す学校教育における教育課程(厳密には教科)の基準以上のものではなく,その指導・助言という本来の制約上,法的拘束力を有しない。本件において,本件7点指示の根拠となる学習指導要領の国旗国歌条項では「国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めるが,「日の丸」や「君が代」は現在も戦前と全く同一のものであること,特に「君が代」の歌詞については「天皇の治世が永遠に続くことを祈念する」という解釈を回避して,その解釈が様々にあり得るというものでないことから,それ自身極めて明瞭な一義的観念を含んでいる。したがって,上記国旗国歌条項が法的拘束力を有するとの評価から,教師をして,思想,良心の形成途上にある児童・生徒に対し,起立・斉唱という統一行動を強制せしめるものであるとすれば,明らかに国家の信条的中立性を逸脱して,憲法13条,19条,26条に違反するものである。  国旗国歌条項は,大綱的基準ということはできない。そして,そうであるならば,市教委の発した本件7点指示はその法律上の前提を欠き,この本件7点指示に従った市内小,中学校の各校長による全く同一の指示も違法の評価は避けられないものとなる。 (イ)仮に国旗国歌条項が大綱的基準に当たると仮定しても,本件7点指示は教育委員会による不当な支配に当たる。実態に鑑みると,結局本件7点指示以外の具体的方法は許されず,各学校の自主性や校長らの裁量の余地は本件7点指示に示されていない事柄についてのみ存在するにすぎない。そして,@なぜ,従来の各学校のやり方ではなく,本件7点指示を忠実に実行することだけが学習指導要領の趣旨に沿うことになるのか,その必要かつ合理的な理由がないこと,A君が代の起立斉唱については,児童・生徒に対し,強制ではないという適切な説明も保障されているとはいえず,同人らに対して一方的な観念を教え込むことになっていること,B式の場で思想,良心,信教の自由があることを明示するような措置が取られていないことから,本件7点指示とその強制は,大綱的基準を逸脱した明らかに不当な支配といえる。 (6)争点(4)(控訴人らの損害)について  原判決27頁13行目の「保管し続けている」を「保管し続けていた」と改め,当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の第4の4(同27頁5行目から同21行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 (控訴人ら)  控訴人らは,個人の思想,良心の自由を侵すものについて拒否をすることは,日本国憲法の精神に沿った行為であると考えているところ,本件7点指示で国歌の起立斉唱が強制されたことと,本件調査によって,思想,良心の自由が侵害され,多大の精神的苦痛を被った。  また,本件情報の収集において認められる違法は,本件条例8条1項違反に限られるものではなく,市教委には本件情報を保管する必要はなく,本件情報の保管中,これにアクセスしたのは一部の者に限られておらず,削除されたとしても控訴人らの精神的苦痛は解消されるものではない。 (被控訴人)  本件情報の保管が本件条例8条1項に違反していることを前提としても,本件情報についての非削除決定が取り消され,この情報が削除されることをもって足りるのであって,このことによって,控訴人らの本件情報を市教委が保管していたことに伴う精神的損害は,1人当たり1万円で十分である。 第3 当裁判所の判断 1 認定事実  証拠(各項に掲記)及び弁論の全趣旨によると,次の各事実が認められる。 (1)「君が代」について ア 「君が代」の元歌は,延喜5年(西暦905年)ころに編集された古今和歌集の巻第7賀の歌に収録されている,読み人知らず「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりてこけのむすまで」という長寿を祝う歌・恋歌であった。その後,安貞2年(西暦1228年)ころの和漢朗詠集の776番には「わが君は」を「君が代」と変えた歌が載っている。  「君が代」は,小石が成長するという中国渡来の説話を取り入れるとともに,万葉集228の「妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに苔生すまでに」からの影響もある。 「君が代」は,17世紀初頭に浄瑠璃,常磐津,長唄,盆踊り歌等で一般に歌われるようになった。 (甲46,47) イ 明治維新直後の明治2年,薩摩藩から派遣された軍楽練習生の指導者イギリス軍人フェントンが,国歌制定の必要性を示唆し,薩摩藩砲兵隊長大山巖が歌詞として「君が代」を選び,フェントンが曲を付けた。しかし,フェントンが作曲した「君が代」は,宮中での演奏にそぐわないとして,明治9年の天長節での演奏を最後に廃止された。そして,明治11年に宮内省が国歌作成に着手したが完成せず,明治13年,海軍省の依頼で,ドイツ人音楽教師エッケルトなどが編曲し,同年11月3日の天長節に宮中で初演奏された。(甲48) ウ 明治14年,文部省小学唱歌集初編に,「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりてこけのむすまで動きなく常盤がきはにかぎりもあらじ」という歌詞を1番とする「君が代」が載った。「君が代」の楽譜は,明治21年,大日本礼式として諸外国に配布された。  小学校祝日大祭日儀式規程公布から2年後の明治26年には,この祝祭日に歌うべき唱歌8曲が官報に告示され,「君が代」もその中に含まれていた。このころから,儀式的行事を始め学校教育の様々な場面で,教育勅語,歴代天皇表とともに「日の丸」「君が代」が重視されるようになった。  そして,明治29年,新編教育唱歌集第1集に,作歌未詳,作曲林廣守で現在の「君が代」が登場した。 (甲49,50) エ その後,「君が代」は,第二次世界大戦終了までの間,皇民化教育の一環として,天皇の治世が永久にいつまでも続くように願う歌として用いられ,皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として活用された。(甲51,52,54ないし60) オ 平成元年版の学習指導要領では,「入学式や卒業式などにおいては」「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」とされた。そして,平成11年に国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号,同年8月13日施行。以下「国旗国歌法」という。)が制定され,「君が代」は国歌とされた。  しかし,上記エ記載の歴史的事実が完全に払拭された状況にはなく,国民の中には,公立学校の入学式及び卒業式等の儀式的行事において,「君が代」を国歌として斉唱すること及び国歌斉唱時に起立することに反対する者が少なからずいる。 (甲62,63,114) (2)市教委による指示及び調査(甲139,140,控訴人A,控訴人B) ア 中野教育長は,遅くとも平成11年1月18日以降,校長会の席上で,公立学校等の入学式,卒業式において,国旗を掲揚し,国歌を斉唱することが望ましいとの意向を明確に表明し,枚方市立の小,中学校の校長らに対し,その旨指示した。さらに,中野教育長は,遅くとも平成13年11月1日以降,再三にわたり,上記校長らに対し,国歌斉唱時に教職員を起立させるよう指示した。そのうち,平成14年度入学式に先立って行われたものが前記第2の1(3)アの本件7点指示である。(甲3,22,103,107,109,114,119,128ないし135,151,155,157,乙10) イ 市教委は,教育長名で,遅くとも平成11年度の入学式以降,上記各校長らに対し,入学式や卒業式が実施される都度,具体的かつ詳細な項目にわたる,国旗掲揚,「君が代」斉唱の実施状況についての調査を行い,各校長らから報告書を市教委に提出させたが,その中には,国歌斉唱の際に起立しなかった生徒,教職員の状況等に関する事項も含まれていた。そのうち,平成14年度入学式に関して行われたものが本件調査である。  市教委は,上記各調査の後,市教委の指示どおり実施できなかった校長については,召喚や電話により事情聴取し,指示どおり実施するよう指導してきた。 (甲23ないし34,65ないし97,101ないし106,108,110,115の1・2,甲116ないし118,120ないし127,152ないし154,156,160,161,乙3,4,10) (3)控訴人Aについて(甲140,控訴人A) ア 控訴人Aが勤務する甲小学校では,平成14年度の入学式において「君が代」を斉唱することとし,式次第に「国歌斉唱」を明記した。そして,控訴人Aを含む同校の教職員らは,平成14年4月3日の職員打ち合わせの際,C校長から,国歌斉唱時に起立するように指示された。(甲4の2) イ 控訴人Aは,上記入学式において,国歌斉唱時に起立しなかった。 ウ C校長は,上記入学式の翌日,控訴人Aに対し,上記国歌斉唱時に起立しなかったことを確認した上,不起立の理由を尋ねた。これに対し,控訴人Aは,多文化共生教育の立場から,一つの価値観を学校教育の現場に持ち込むということは間違っていること,国歌斉唱時に多数の教員が起立するのは,子どもたちに対する特定の思想の押し付けであることなど,控訴人Aの考えを不起立の理由として説明した。 (4)控訴人Bについて(甲139,控訴人B) ア 控訴人Bは,昭和63年ころ,戦前の「日の丸」及び「君が代」に象徴される国家体制の下で強制連行されて来日し戦後も本名を秘匿することを余儀なくされてきた在日朝鮮人家族と出会い,同人らの思いを実際に聞くなどした結果,自身が学齢期に「日の丸」「君が代」を好意的に受け止めていたことを反面教師として,「日の丸」も「君が代」も絶対に認められない,ましてや敬意なんて表せないという考えを抱くに至った。 イ 控訴人Bが勤務する乙中学校では,平成14年度の入学式において「君が代」を斉唱することとし,式次第に「国歌斉唱」を明記した。そして,控訴人Bを含む同校の教職員らは,D校長から国歌斉唱時に起立するように指示された。 ウ 控訴人Bは,上記入学式において,国歌斉唱時に起立しなかった。 エ D校長は,入学式の翌日,控訴人Bに対し,上記国歌斉唱時に起立していなかったことを確認した上,不起立の理由を尋ね,控訴人Bは,その理由を説明した。 2 争点(1)ア(本件情報が控訴入らの思想,信条及び信仰に関する情報(本件条例7条2項1号)といえるか。)について  本件情報は,平成14年度入学式における国歌斉唱時に起立しなかった控訴人らを含む教職員の氏名及び不起立の理由として同人らがその勤務する学校の校長に対して述べた内容である。  前記1(1)のとおり,「君が代」が,第二次世界大戦終了までの間,皇民化教育の一環として,天皇の世が永久にいつまでも続くように願う歌として用いられ,皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として活用されたこと,このような歴史的経緯を踏まえ,国歌としての「君が代」に対する,歴史観,世界観に立脚し,儀式的行事において,「君が代」を国歌として斉唱すること及び国歌斉唱時に起立することに反対する者がいるところ,控訴人らについても,不起立の理由として,控訴人Aについては,前記1(3)ウのとおり校長に説明しているのであり,控訴人Bについては,校長に対して具体的にどのような説明をしたかは明らかでないが,前記1(4)アのような考えを抱いていた以上,その考えに基づく行動であった旨を説明したものと推認することができる。  したがって,控訴人らが国歌斉唱時に起立しなかったこと及び不起立の理由として控訴人らがその勤務する学校の校長に述べた内容で本件情報が構成されている以上,それは本件条例7条2項1号所定の思想,信条に関する個人情報に該当するものと認められる。 3 争点(1)イ(市教委が,本件条例7条2項の規定による制限を超えて,本件情報を収集した,あるいは保管したといえるか。)について (1)前記2のとおり,本件情報は本件条例7条2項1号所定の思想,信条に関する個人情報に該当する。  そして,前記第2の1(3)イのとおり,市教委は,国歌斉唱時に起立しなかった教職員数及び氏名,その理由を調査項目に入れて本件調査をしていること,不起立の理由を調査することは,その対象者の思想,信条に関する個人的情報の収集につながることに鑑みると,市教委が本件調査を実施したこと自体,「君が代」に対して否定的見解を有する者の存否,人数,上記見解の具体的内容などを市教委において把握する目的もあったものと推認することができる。 (2)被控訴人は,本件情報の収集は,市教委が有する教育課程等事務管理執行権限(地教行法23条5号)及び教職員に対する服務監督権限(同法43条1項)に基づくものであり,本件条例7条2項ただし書き所定の法令等の定めに基づくときに該当するものである旨主張する。  しかしながら,同項ただし書き所定の法令等の定めに基づくときとは,個人情報の内容に照らし,当該個人情報を収集等することができる旨法令等に明記されている場合,及び,法令等の趣旨・目的からみて,収集できるものと解される場合をいうものであるところ(甲45参照),被控訴人が掲げる上記地教行法の各条項は,あくまでも包括的な管理執行権限,ないし,一般的な教職員に対する服務監督権限を規定したものにすぎず,上記本件条例7条2項ただし書き所定の法令等の定めには該当しないものと解するのが相当である。けだし,仮に上記地教行法の各条項に基づき思想,信条及び信仰に関する個人情報の収集等が許されるとすると,上記各条項が,管理執行する教育事務の内容や監督する服務の内容,これらのために採り得る手段等について何ら限定を加えていないことからして,教職員に関する限り,市教委がいかなる個人情報も収集等することが可能となり,いわゆる「思想調査」も無制限に容認されることとなりかねず,そのような結論は到底採り得ないからである(なお,思想,信条及び信仰の自由の重要性に鑑みると,本件条例7条2項ただし書き所定の法令等の定めに基づくときとは,法令等に収集できることを明文で定めている場合のほか,法令等の趣旨・目的からみて,収集できるものと解される場合,例えば,職員採用に係る欠格条項の照会(地方公務員法16条),立候補の届出(公職選挙法86条)等の場合が考えられる。)。  したがって,被控訴人の上記主張を採用することはできない。 (3)また,本件証拠上,市教委において,本件調査に当たって審議会の意見を聴取した形跡も窺えない。 (4)そうすると,市教委は,本件条例7条2項の規定による制限を超えて,控訴人らに関する本件情報を収集等したものであり,違法の評価を免れないというべきである。 4 争点(2)ア(本件情報が個人情報(本件条例2条1号)に該当するか。)について  前記2のとおり,控訴人らの本件情報は,平成14年度入学式における国歌斉唱時に起立しなかった教職員である控訴人らの氏名及び不起立の理由として同人らがその勤務する学校の校長に対して述べた内容であり,個人に関する情報であって,特定の個人が識別され得るもの(本件条例2条1号)に該当することは明らかである。  被控訴人は,本件調査が地教行法23条5号,43条1項に定められた権限の行使としてされたものであるから,それによって収集された本件情報は個人情報に該当しないと主張するが,本件情報の収集が,被控訴人が主張する市教委の調査権限に基づいてされたとしても,そのことをもって本件情報が本件条例2条所定の個人情報に当たることを否定することはできない。  したがって,市教委の上記主張は失当であり,採用することはできない。 5 争点(2)イ(市教委が,本件条例8条1項の規定による制限を超えて,本件情報を収集したといえるか。)について  引用に係る原判決の「事実及び理由」の第2の2(1)エのとおり,本件条例8条1項は,実施機関は,個人情報を収集する場合は,その個人情報の収集目的及び記録項目を明らかにして当該個人から直接収集しなければならないと規定している。  しかるに,前記第2の1(3)イのとおり,市教委は,控訴人らの本件情報を,控訴人らがそれぞれ所属する小,中学校の各校長から報告を受ける形で収集しており,控訴人らから直接収集していないことは明らかであって,市教委による控訴人らの本件情報の収集は,本件条例8条1項にも違反するものというべきである。  この点について,被控訴人は,校長が控訴人らから直接聴取していること,校長による聴取において,控訴人らに収集目的及び記録目的が明らかにされているから,上記条項の目的・趣旨に沿っており,本件条例8条1項の違反はないと主張する。確かに,同条項の趣旨は,実施機関に本人からの直接の収集を義務付け,正当な理由なしに個人情報が収集されたり,不正確な個人情報が収集されたり,本人の知らないうちに個人情報が収集されたりすることを防止しようとする点にあると解されるから(乙12参照),校長が控訴人らから直接に聴取することによっても,その趣旨はある程度全うできるとも考えられる。しかし,本件情報を収集される控訴人らからすれば,本件情報収集の主体が勤務先の校長であるか,市教委であるかは,大きな違いであり,その聴取において,各校長が市教委からの調査依頼に基づく聴取であることを告げたことを窺わせる証拠はないから,本人の知らないうちに市教委によって本件情報が収集されたことになるのであって,市教委の前記収集方法は本件条例8条1項の上記趣旨に則したものとはいい難い。しかも,本件において,同条項によって収集の際に明らかにされるべき収集目的(服務監督権限に基づく調査等の目的で収集すること)や記録項目(不起立の理由を記録すること)が各校長から控訴人らに明らかにされたことを認めるに足りる証拠はない(控訴人A15頁以下,控訴人B21頁参照)ことなどを併せ考慮すると,被控訴人の上記主張を採用することはできない。 6 争点(3)(市教委のその他の違法行為の有無)について  控訴人らは,違法な学習指導要領,本件7点指示に基づき,国歌を斉唱する際に起立することを強制され,多大な精神的損害を被ったと主張するので,以下,学習指導要領及び本件7点指示が違法であるか否かについて検討する。 (1)学習指導要領について ア 憲法26条は,福祉国家の理念に基づき,国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにする趣旨で,国民の教育を受ける権利を定めており,この規定の背後には,国民各自が,一個の人間として,また,一市民として,成長,発達し,自己の人格を完成,実現するために必要な学習をする固有の権利を有するという考え方があると解される。また,教育や学習の本質は,その外的な施設ではなく,教育内容にあると考えられることなどに照らせば,憲法は,国が,子ども自身の利益の擁護のため,あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心に応えるため,必要かつ相当と認められる範囲において,教育内容についても決定する権能を認めているものというべきである。  そして,教育基本法(平成18年法律第120号による改正前のもの。以下,単に「教育基本法」という。)は,憲法の精神に則り,個人の尊厳を重んじる教育の普及徹底,ひいては,民主的で文化的な国家の建設を目的として制定されたものである(同法前文)ところ,同法10条は,教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き(同条2項),その整備確立のための措置を講ずるに当たっては,教育の自主性尊重の見地から,これに対する不当な支配とならないようにすべき旨の限定を付している(同条1項)が,これも,憲法の教育に関する上記規定やその趣旨を前提とし,行政による教育内容に対する相当な範囲における関与を認めた上で,その関与の在り方について限定を付したものと解するのが相当である。  したがって,同条2項にいう「教育の目的を遂行するに必要な諸条件」には,教育内容や教育方法も含まれると解されるのであり,国の教育に対する不当な介入は排除されるべきであるとしても,国は,教育の目的に沿う教育を実現するために,必要かつ合理的な範囲内であるならば,教育内容や教育方法等に関する事項も決定することができると解するのが相当である。また,国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,教育の自主性の尊重等教育基本法10条の趣旨のほか,教育に関する地方自治の原則をも考慮し,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なものにとどめられるべきである(最高裁昭和51年判決参照)。 イ 平成14年当時の学習指導要領における国旗国歌条項は,引用に係る原判決の「事実及び理由」の第2の2(3)ア(イ)及び同イ(イ)のとおりである。  上記国旗国歌条項は,国旗及び国歌を国の象徴として相互に尊重することが国際的な儀礼であること,日本人としての自覚を持たせ,国を愛する心を育てるためには,国旗,国歌を尊重する態度を育てることが重要であること,そのためには,入学式及び卒業式という重要な儀式的行事の際,国旗を掲揚し,国歌を斉唱することが望ましいこと,このような国旗,国歌に対する教育は,全国的にされるべきであることなどから,教育における機会均等の確保と全国的な一定の教育水準の維持という目的のために制定されたものと考えられる。  そして,上記国旗国歌条項は,@儀式的行事について「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めているにとどまり,それ以上に国旗,国歌についてどのような教育をするかについてまでは定めてはいないこと,A入学式及び卒業式を除いて国旗掲揚・国歌斉唱を行う儀式的行事の選択を残していること,B国旗掲揚の態様や国歌斉唱の指導の方法を指定しておらず,地方の実情等に合わせた国旗掲揚の実施や国歌斉唱の指導をする余地を残していることからすれば,その内容が一義的であるとか,教職員に対し,国旗,国歌について一方的な一定の理論を生徒に教え込むことを強制するものとはいえず,必要かつ合理的な大綱的な基準として法的効力を持つものというべきである。 ウ 控訴人らは,学習指導要領は,学校教育法20条,38条の「教科に関する事項」を,学校教育法施行規則により「教育課程」と拡大解釈された上で作成されており違法であると主張する。しかし,学校教育法20条や38条は,児童,生徒の発達段階及び特性を考慮して適切な教育を行うことなどの教育目的及び教育目標に従って,「教科に関する事項」を定めるという内容の規定であり(同法17条,18条,35条,36条参照),児童,生徒の発達状況や授業日数等を考慮した教育計画の作成が予定されていると解するのが相当である。したがって,上記条文に規定する「教科」は,学校の教育活動ないしは教育課程と同義であると解されるのであり(乙7参照),学習指導要領の根拠となる学校教|に照らせば,教育委員会の指示,命令は,教育機関の自主性を奪うものであってはならないというべきであり,教育委員会の上記指示,命令権限は,正当な教育目的のために必要かつ合理的と認められる範囲内で認められるというべきである。 イ 本件7点指示の内容は,前記第2の1(3)ア(ア)ないし(キ)のとおりであるところ,国歌斉唱と関連した項目は,教職員が国歌斉唱時に起立し,斉唱すること,教職員に児童,生徒が起立をすることの意味や斉唱の指導を行うことを明確に指示するものであること,教職員の起立については,起立しない場合,再度,起立の指示をすること(同(ウ)),国歌斉唱を式次第の中に入れ,式場及びしおり,プログラム等に明記し,しおり,プログラム等に国歌の歌詞をプリントすること(同(エ)),国歌斉唱の伴奏方法はピアノ伴奏も含め,適切な方法をとること(同(オ))の3項目であるが,そのうち本件で特に問題とされているのは上記(ウ)の項目であると認められる。  そして,本件7点指示の内容に鑑みると,市教委は,学習指導要領の国旗国歌条項の意義や入学式が学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような儀式的行事であるとの位置付けを踏まえ,入学式の運営が適正かつ効果的なものとなるように,式次第についての本件7点指示をしたものと解されるところ,その目的は正当なものというべきである。  また,@前記1(1)オのとおり,国旗国歌法により「君が代」は国歌と規定されたこと,A学校教育法は,18条2号で小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと」を,また,36条1号で中学校教育の目標として「小学校における教育の目標をなお充分に達成して,国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと」をそれぞれ掲げていること,B学習指導要領中に,「儀式的行事」として,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」が規定され,また,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定されていること,C儀式的行事における国歌斉唱は,我が国に限らず,起立して行うことが通例であり,教職員に対し,それに沿った行動を指示することは不合理なものではないこと,D児童,生徒に対し,国歌斉唱時に起立する理由を説明することも,それが一方的な見解を押し付けるものでない限り,国際的な儀礼を含む社会常識を教える観点からも合理的なことであること,Eまた,国歌斉唱の際の伴奏方法が適切な方法であることも当然のことを念のため指示したものと解されることなどに照らせば,本件7点指示は,大筋では学校教育法等の法律や学習指導要領の内容・趣旨に沿ったものであり,地方の実情に即した教育実現への関わりを期待された市教委の判断に基づき,入学式を厳粛かつ清新なものとするための方策として必要かつ合理的な範囲を超えるものということはできない。  さらに,前記第2の1(3)アのとおり,本件7点指示は,校長に対し法的拘束力を有する命令ではなく,臨時校長・園長会における指示としてされたものであり,これは,校長の裁量権の存在を前提として,市教委の考え方に沿って権限を行使するよう指示するもので,最終的な決定権は校長に留保されていたというべきである。  もっとも,市教委が校長の服務を監督する権限を有すること(地教行法43条1項)や,市教委が,枚方市立の小,中学校に対し,国歌斉唱の際に起立しなかった生徒,教職員の状況等について報告することを求めてきたこと(前記1(2)イ)などに照らせば,市教委による上記指示が校長の裁量権に対し,事実上,相当程度の制約を課すものであったことは推認するに難くなく,また,本件7点指示を全体として見た場合,その内容が余りにも具体的で詳細に過ぎるなど,全面的には賛同し難い点もある(市教委としては,より現場の自主性を尊重するよう配慮すべきであったと考えられる。)。しかし,前記のとおり,その指示内容は,法律や学習指導要領の趣旨に沿ったものであり,それ自体,不当・不合理なものとはいえない上,入学式の挙行に当たり,少ないながら各学校の自主的な判断に委ねられている場面も残されていることなどをも併せて考慮すれば,直ちに本件7点指示が市教委による「不当な支配」に当たるとまで解することはできない。 ウ 控訴人らは,本件7点指示による「君が代」の起立斉唱の強制は,憲法が禁止する特定の思想や信仰の強制に当たると主張する。  しかしながら,儀式的行事である入学式において,国歌斉唱の際に起立するという行為自体は,公立の小,中学校の教員にとって通常想定されるものであって,その行為が,客観的にみて,特定の思想や信仰を有することを外部に表明する行為であるとまで評価することはできない。すなわち,前記1,2のとおり,控訴人らの「君が代」に対する見解は,「君が代」に対する多様な価値観の一つを表すものであり,それに対する一定の配慮が必要であるとしても,儀式的行事の際に起立して国歌を斉唱することは,その行動自体が控訴人らの世界観,人生観及び宗教観に直ちに結び付くものとはいえない上,本件では,前記のとおり,控訴人らの勤務する学校の方針として,入学式の国歌斉唱時に起立することを求められていたのであるから上記行動をもって控訴人らが特定の思想や信仰を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難というべきである(最高裁判所平成19年2月27日第三小法廷判決・裁判所時報第1430号4頁参照)。  そうすると,本件7点指示,ないし,これを受けた校長が控訴人らに対し,入学式の「君が代」斉唱時に起立するようにと指示(校長の職務命令と認めるに足りる証拠はない。)したことをもって,控訴人らに対して,特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要したものでもなく,児童・生徒に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制したものとみることもできない。  さらに,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性に鑑み,地方公務員法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならないと規定し,同法32条は,上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならないと規定する。そして,前記のとおり,儀式的行事における国歌斉唱は,我が国に限らず,起立して行われるのが通例であることに照らすと,教職員が,国歌斉唱時に起立する行為は,儀式的行事における通常の振る舞いを示すとともに,入学式及び卒業式にふさわしい雰囲気を形成するものとして必要な行為であるというべきである。  したがって,国歌斉唱の際に起立するよう指示されることにより,控訴人らが自己の見解に反する行為を強いられたと感じたとしても,控訴人らが地方公務員として上記各規定の適用を受けることからすれば,これをもって,控訴人らの思想,良心の自由ないし信仰の自由が侵害されたと解することはできない。 エ また,控訴人らは,「君が代」斉唱に際しての不起立は「君が代」に対して敬意を払わないという意味付けがなされるものであり,憲法が保障する沈黙の自由をも侵害していると主張する。  しかし,行政機関による一定の行為が憲法19条で保障されている沈黙の自由を侵害するというためには,その行為が,その者の思想や信仰の内客を推知するためにされたものであることを要すると解すべきであるが,本件においては,儀式的行事における国歌斉唱の際の通常の行為として,起立するよう指示がされたものであって,教職員の思想や信仰の内容を推知するためにされたような事情は本件証拠上窺えないから,控訴人らの沈黙の自由を侵害するものとはいえない。 オ 控訴人らは,本件7点指示は,中野教育長が市教委に諮らずに指示したものであり,重要かつ異例の事態が生じたときは,教育委員会に諮らなければならないとする枚方市教育委員会事務委任規則2条2項に違反してされたもので無効であると主張する。  確かに,枚方市立学校長に対する事務委任規程2条は,所属学校の教育課程の編成及び取扱いに関することについて,校長に委任するとした上で,重要かつ異例の事態が生じたときは,教育長の決定にかからしめなければならないと規定していること(甲113),中野教育長自身,重要かつ異例の事態が生じたため国旗掲揚,国歌斉唱に係る指示を出したと発言していたこと(甲114),枚方市教育委員会事務委任規則2条2項は,教育長は,前項の規定にかかわらず,委任された事務について,重要かつ異例の事態が生じたときは,これを委員会に諮らなければならないと規定していること(甲112),中野教育長は市教委に諮らずに本件7点指示を出したこと(乙10)が認められる。  しかし,枚方市立学校長に対する事務委任規程の上記規定に定める「重要かつ異例の事態」と枚方市教育委員会事務委任規則の上記規定に定める「重要かつ異例の事態」とは,文言こそ同一であるものの,市教委の事務を委任された教育長と,教育長から更にその事務の一部を委任された校長では,事務の内容・重要性に自ずと差異が生じるのは当然であるから,これらの文言を同一の意味に理解する必要はないというべきである。  そして,前記1(2)アのとおり,中野教育長は,平成11年1月以降の校長会において,入学式及び卒業式に国歌を斉唱することを,特に平成13年11月以降,国歌斉唱の際,教職員を起立させることについて,繰り返し指導や指示をしているのであり,中野教育長において本件7点指示をしたことが枚方市教育委員会事務委任規則2条2項に定める「重要かつ異例の事態」に該当するとは認められない。したがって,本件7点指示は,枚方市教育委員会事務委任規則2条2項に違反するものではない。 (3)以上のとおり,学習指導要領及び本件7点指示に違憲,違法な点は認められず,本争点に対する控訴人らの主張は,いずれも採用することができない。  なお,本件7点指示が違法なものでないことは上記のとおりであるが,市教委において,各小,中学校における本件7点指示(特に教職員が国歌斉唱時に起立していたか否かの点について)の実施状況を調査する必要があると考えたのであれば,各校長に対し,国歌斉唱時に起立しなかった教職員数の報告を求めれば足り,それ以上に本件情報まで収集する必要はなかったというべきである。 7 前記1ないし5で認定,説示したところによると,被控訴人を設置者とする市教委は,本件条例7条2項及び同8条1項に違反して,違法に,控訴人らの本件情報を収集等していたこととなり,これにより,被控訴人は,控訴人らに対し,国家賠償法1条1項に基づき,同人らが被った損害を賠償すべき責任を免れない。 8 争点(4)(控訴人らの損害)について  証拠(甲139,140,控訴人A,控訴人B)及び弁論の全趣旨によると,控訴人らは,市教委によって違法に,控訴人らの本件情報を収集され,これを本件文書に記載されて保管されていたこと,しかも,市教委は,控訴人らが同人らに関する本件情報の削除を要求したにもかかわらず,これを拒否し,審査会の答申も無視して,控訴人らの異議申立てを棄却したこと,本件訴訟が当審に係属した後,市教委によって削除されるまでの相当長期間にわたって,控訴入らの本件情報は,関係者の目に触れる状態になっていたことが認められ,市教委の上記違法行為によって,控訴人らは,少なからぬ精神的苦痛を被ったものというべきである。  そして,上記違法行為の内容,程度その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すると,控訴人らの上記精神的苦痛に対する慰謝料額は各10万円を下らないものと認められる。 9 その他,原審及び当審における当事者提出の各準備書面記載の主張に照らし,原審及び当審で提出された全証拠を改めて精査しても,当審の認定,判断を覆すほどのものはない。 第4 結論  以上の次第で,控訴人らの被控訴人に対する本件慰謝料請求は,各10万円の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し,その余は理由がないので棄却すべきである。  よって,これと異なる原判決を上記のとおり変更し,主文のとおり判決する。 (平成19年8月29日口頭弁論終結) 大阪高等裁判所第13民事部 裁判長裁判官 大谷正治 裁判官 高田泰治 裁判官 西井和徒