◆ H20.05.29 東京高裁判決 平成18年(う)第1859号 東京都立板橋高校卒業式威力業務妨害事件(威力業務妨害被告事件) 事案の概要:  平成16年3月に行われた都立I高等学校の卒業式において、2年前まで同校に勤務していた元教諭である被告人が、威力を用いて、同校校長らによる卒業式典の遂行業務を妨害したとされる威力業務妨害被告事件の控訴審において、被告人の「呼びかけ」及び退場要求に対する「抗議」が業務妨害罪の構成要件である「威力」に該当するとした原判決の判断に誤りはないとし、また、憲法21条は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のために必要的かつ合理的な制限に服することを是認するものである等として、本件において、被告人の保護者に対する呼びかけについて刑法234条を適用してこれを処罰したとしても、憲法21条に違反するものではない等として、控訴を棄却した事例。     判   決 無職 a 昭和16年○月○日生  上記の者に対する威力業務妨害被告事件について,平成18年5月30日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し,被告人から控訴の申立てがあったので,当裁判所は,検察官奥村淳一,同吉松悟各出席の上審理し,次のとおり判決する。     主   文  本件控訴を棄却する。     理   由  本件控訴の趣意は,弁護人加藤文也(主任),同大迫惠美子,同小沢年樹,同横山恵美子,同大山勇一,同只野靖,同猿田佐世,同田場暁生,同津田二郎及び同平松真二郎連名作成名義の控訴趣意書(その1)及び控訴趣意書(その2),弁護人加藤文也(主任),同小沢年樹,同大山勇一,同田場暁生,同津田二郎及び同平松真二郎連名作成名義の控訴趣意書補充書,弁護人加藤文也(主任),同小沢年樹,同大山勇一,同只野靖,同田場暁生,同津田二郎及び同平松真二郎連名作成名義の控訴趣意書補充書(2)並びに弁護人加藤文也(主任),同大迫惠美子,同小沢年樹,同横山恵美子,同大山勇一,同只野靖,同田場暁生,同津田二郎及び同平松真二郎連名作成名義の控訴趣意補充書(3)に,これに対する答弁は,検察官奥村淳一作成名義の答弁書及び答弁書補正書に,それぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。 第1 事実誤認の主張について  論旨は多岐に渡るが,判断の基礎となるべき事実関係にも争いがあるので,検討の便宜上,まず,事実誤認の主張(なお,控訴趣意書(その1)では,「コピー配布制止,呼びかけ制止行為はなかったとする主張」は「理由不備・理由齟齬」としても,また,「構成要件要素等が存在しないとする主張」は「理由不備・理由齟齬」として主張するが,いずれもその実質は事実誤認の主張と理解する。)について検討する。 1 コピー配布制止,呼びかけ制止行為はなかったとする主張について (1)論旨は,要するに,原判決は,本件卒業式の会場であるb高校体育館内において,被告人の保護者に対する呼びかけに先立つ週刊誌コピー配布をc教頭が制止し,引き続き,cは,保護者席前方に移動した被告人のそばについて一緒に移動した上,被告人の保護者への呼びかけをその冒頭から制止し続けたとの事実を認定したが,現実には,cによるコピー配布制止及びこれに引き続く呼びかけ制止は存在せず,原判決には,この点で,判決(構成要件該当性判断及び違法性阻却事由に関する判断についての法令適用の誤り)に影響を及ぼす事実の誤認がある,というのである。  しかし,原判決挙示の関係各証拠によれば,cが,被告人によるコピー配布を制止し,引き続き,保護者席前方に移動した被告人のそばについて一緒に移動した上,被告人の保護者への呼びかけをその冒頭から制止し続けたとの事実を優に認定することができ,また,原判決が(事実認定の補足説明)の「第3 事実認定上の争点」の「2 cの制止時期」の項で認定説示するところも正当として是認することができ、この結論は当審における事実取調べの結果によっても変わらないから,原判決に事実誤認があるとは認められない。所論にかんがみ,以下,補足して説明する(以下,特に限定しない限り,「供述」は「原審公判供述」を指す。)。 (2)前提として,本件卒業式に向けての準備状況等については,原判決が(事実認定の補足説明)の「第2 認定事実」の「1 被告人の本件卒業式出席の経緯等」及び「2 卒業式の準備状況等」の項で認定説示するとおりであって,この点については,特に当事者間で争いもない(なお,当審判決も,原判決にならい,「10.23通達」,「本件実施指針」,「本件実施要綱」等の略称を用いる。)。 (3)cは,被告人によるコピー配布を制止し,被告人の保護者への呼びかけをその冒頭から制止した状況について,原審公判で,次のように供述する(記録7冊391丁〜)。 ア 本件卒業式の1週間ほど前に,d校長から,被告人を卒業式に招待するという話を聞いたとき,被告人は在職当時から,都教委の方針にはことごとく反対の立場を採る人だったので,わざわざ招待状を送ってほしいと頼むということは,卒業式で何かやる魂胆があるのかなと心配して,dにその旨言った。dが都教委と相談した結果,通常は2名が参加する指導主事を5名派遣することになったようである。 イ 本件当日,午前9時40分に校長室を出て,dとともに,来賓を案内して卒業式会場である体育館に向かったところ,校長室のある校舎1棟から2棟に至る渡り廊下の入口辺り(記録7冊476丁)で,駆けて来たe指導主事と遭い,eは私に,「被告人がビラをまいている。すぐやめさせてください」と伝えてきた。当然,問題行動だろうと思い,eとともに,すぐに体育館の方へ,小走りで向かった。全速力で向かわなかったのは,卒業式で,たくさんの保護者も来ているという人目もあり,混乱している様子を見られたくなく,目立つことはしたくないという発想があったからである。途中,会場にいたf教員も走ってきて,被告人がビラをまいていると告げてきた。 ウ 会場に入って,被告人を捜したところ,すぐに被告人を見付けた。中央通路の(ステージに向かって)左側後ろの保護者席に,二,三歩入ったところで,前屈みになって,何やらやっている状況で,ビラを配っているんだろうと思った。すぐに止めさせようと,「何やっているんですか」と,被告人の耳元で,被告人に聞こえる程度の声で言った。卒業式の前だったので,混乱させないように,なるべく穏便にと考えた。被告人がなかなか出てこなかったので,手か肩かを触って,通路の方に引き出そうとしたが,被告人は,「いてて,何するんだよ,乱暴するなよ」などと言って抵抗していたが,しばらくして通路の方に出てきた。しかし,今度は反対側(中央通路の右側後ろ)の保護者席の方に分け入って,同じように前屈みになって,ビラを配るような仕草をしていた。同様に,被告人を通路の方に出そうとし,被告人はしばらくして,「もう終わったよ」と言いながら出てきた。 エ そこで,「何やっているんですか。止めてください」と言うと,被告人は,そのままステージの方に歩き出した。そのまま終わるかどうか見届けたいという気持ちもあり,被告人にくっついて行ったところ,被告人は,保護者席の一番先頭の中央部分で振り返り,いきなり,保護者の方に向かって演説を始めた。保護者全員に聞こえるような,かなり大きな声だったと記憶している。被告人が演説を始めたとき,自分は被告人のすぐ脇にいた。びっくりして,「止めてください」と言って止めようとした。保護者の前であり,混乱を避けたいという気持ちから,大声ではなく,被告人に聞こえる程度の声で言った。私の知っている被告人は,強く言えば,必ず大声で怒鳴り返してくる人なので,混乱を避けるため,穏やかに,小さな声で言った。しかし,被告人は演説を止めなかった。そこで,どう対応したらよいか,困惑していたところ,「国歌斉唱時にご着席ください」と訴えかけたので,ここまで学校の方針に反することを言われたら駄目だと思い,被告人の体に触れた。この場から移動させようという気持ちだった。 オ それに対し,被告人は,「触るんじゃないよ」と大声で威嚇するように怒鳴った。どの時点で来たのかは分からないが,その後,dの「退出してください」という声で,dがすぐそばに来ているのに気付いた。被告人が大声を出した以上,強い姿勢で制止しなければならないと思い,私も,大声で,「この卒業式は卒業生のためのもので,止めてくれ」という内容のことを言い,被告人も,大声で言い返してきた。 (4)このcの供述内容は,次の理由により,その信用性は高いというべきである。 ア 供述内容の具体性,自然性 (ア)cは,被告人によるコピー配布の状況,それに対するcの制止の態様,被告人が保護者席前に移動して呼びかけを始めた経緯,それに対するcの対応等について,具体的に供述している。 (イ)また,g指導主事が録音したICレコーダーからうかがわれる時間的経過等に照らすと,cは被告人がコピーを配布している真最中に体育館に到着したものと見て何ら差し支えなく,そうだとすれば,cが,体育館に到着後,直ちに被告人のコピー配布の制止に及んだのは,極めて自然であるというべきである。  すなわち,gが来賓らの体育館入場に気付いたのは,ICレコーダーのカウンターで7分14秒の時点(以下,〔7:14〕などと表示する。)であり,そのころ,dの先導で来賓が体育館に入場したと認められるところ,校長室から体育館まで徒歩で3分程度と認められること(dの原審公判供述・記録6冊243丁,250丁),cが校長室を出て間もない時点から小走りで体育館に駆け付けたことなどの事情に照らし,cが体育館に到着したのは,およそその1分半程度前(〔5:44〕ころ)と推認して差し支えないであろう(実況見分調書(原審甲2)添付の見取図1(記録5冊736丁)により,同見取図8の体育館の測定結果を基準に,校長室から体育館まで及び校長室からcの述べるeと遭遇した位置までの各距離を測ると,前者は約150メートル,後者は約40メートルとなる。これを前提に検討すると,まず,dは,校長室から体育館まで約3分を要した旨供述しているところ,校長室から体育館までの距離は上記のとおり約150メートルなのであるから,dらは,この間を時速約3キロメートル(秒速約0.833メートル)で進んだことになる。この速度は,さほど広くない廊下や段差もある渡り廊下(同添付の写真3,29ないし33参照)を,複数の来賓を案内して進んだ速度として不自然とはいえないであろう。次に,cは,eと遭遇するまでdらと一緒に歩いていたのであるから,この間の距離約40メートルの歩行速度は時速約3キロメートルと考えてそう不正確でないであろう。cがその後の約110メートルをどの程度の速度で進行したかは明確でないが,「早足」「急ぎ足」でなく「小走り」であったというのであるから(なお,cが小走りで体育館に向かっていたのは,hによっても目撃されている(同人の原審公判供述・記録7冊・681丁)。),今これを時速約9キロメートル(秒速約2.499メートル)と仮定すると(ちなみに,「図解交通資料集」(交通実務研究会編集 発行元立花書房)全訂版18頁では,普通人が小走りした場合の100メートルの所要時間は35ないし40秒位(時速8.5ないし10キロメートル位)とされている。),cは校長室を出発して約92秒(前者の所要時間約48秒と後者の所要時間約44秒の合計)で体育館に到着した計算となる。そうすると,正確な資料に基づいていないので,あくまでおよその数値として理解しなければならないが,cの体育館到着時刻とdらのそれとの間には,1分半程度の差があったことになるのである。)。一方,gの供述(その信用性に特に疑いはない。)によれば,gが指定された教職員席の一番後ろの座席(体育館右側の壁際で前方の保護者席の中程の右横に位置する。記録6冊108丁の図面〔A〕の位置)に座った後,〔2:42〕ころ「卒業生の席と保護者席の間の通路のちょうど真ん中辺り」,すなわち,前方の保護者席中央辺りで被告人がコピーを保護者に配布していたこと(記録6冊18丁)が認められ,その後,gは,「すぐそばの保護者席の空席にもコピーが配られたので,一緒にいたi指導主事がすぐそれを手に取って見ている」(同19丁)ところ,被告人がgのすぐそばの保護者席,すなわち,前方の保護者席の右端の中程辺りにコピーを配布したのはICレコーダーにg又はiの「1枚もらって」との発言が現れる〔4:42〕の直前ころと推認できる。そして,被告人が保護者席前方で保護者に対する呼びかけを始めたのは〔8:02〕ころと認めるべき(ICレコーダーによると,被告人の呼びかけ内容が聴き取れるのは〔8:07〕ころに至ってからであるが(ICレコーダー聴取結果報告書・原審弁107・記録5冊763丁),それ以前の〔8:02〕ころから,内容は聴き取れないものの,被告人の発言する声が聞こえる。)であり,かつ,被告人は,まず前方の保護者席に最左翼のブロック(なお,保護者席は,前方,後方とも,中央通路を挟んで,左右に2ブロックずつある。)から最右翼のブロックに向かってコピーを配布し(その旨の被告人の原審公判供述(記録8冊967丁)については,その信用性を否定すべき理由は特に見出せない。),次いで後方の保護者席に移ってコピーを配布し,そのまま(被告人も原審公判でこのことを自認する(記録8冊970丁)。)保護者席前方に移動して呼びかけを始めたと認めることができるところ,以上の事実関係を合わせて考えると,gのすぐそばの保護者席にコピーが配布されたころ(〔4:42〕の直前ころ)というのは,前方の保護者席にコピーを大方配布してしまったころであり,それから1分くらい経過した,cが体育館に到着したと推認できる〔5:44〕ころ(被告人が保護者席前方で呼びかけを始める2分18秒前ころ)というのは,被告人が後方の保護者席でのコピー配布を行っている真最中であったと見て差し支えないというべきである(なお,被告人がコピー配布しているのを発見して校長室に急ぎ向かい,その途中で体育館に急ぎ向かうcに会ったfが原審公判で供述する,同人が被告人のコピー配布行為を発見した時点における被告人の位置(記録8冊882丁)からすると,既に同時点では,被告人は後方の保護者席へのコピー配布を始めていたとうかがえる。同人は,〔4:42〕の直前ころよりも少し後の時点の被告人の配布行為を目撃して校長室に急ぎ向かったものと考えられる。)。  そして,そうだとすれば,在職当時から都教委の方針に反対の立場を採ってきた被告人が卒業式で何かやる魂胆があるのかなと心配していたところに,被告人が会場でビラをまいているとの知らせを受け,10.23通達の実施に積極的なj都議会議員や都教委の指導主事を含む来賓に先立って体育館に駆け付けたcとすれば,被告人が,国歌斉唱時に起立を求めることとした本件実施要綱に従って行われる予定の本件卒業式を妨害する行為をしているのではないかと考え,被告人によるコピー配布を直ちに制止するという行動に出ることは極めて自然である。また,その際,卒業式開式の約20分前という状況を合わせ考慮すれば,会場にいる保護者等への配慮と,被告人を刺激しないために,小声で制止したというのも,また,極めて自然である。 イ 他の証拠との符合 (ア)d供述との符合  dは,原審公判で,来賓を案内して体育館に入場した際,被告人とcが保護者席の中央通路上に一緒にいるところを目撃した旨供述する(記録6冊250丁)ところ,この供述内容は,dの捜査段階の供述(平成16年3月26日付け員面調書・当審弁書139・記録書証4冊998丁)から一貫しておりその信用性に疑いはない。原判決も指摘するとおり,c供述は,この信用性に疑いのないd供述とよく符合している。 (イ)f供述との符合  fは,原審公判で,cと共に体育館に戻ると,cは,中央通路でコピーを配布していた被告人のところへ向かって行き,「何をしているんですか,止めてください」というようなことを言って制止したが,被告人は従う様子はなく,その後,cは被告人にくっついて保護者席の前の方に移動し,被告人が保護者に対し話を始めた際にも,cは,「止めてください」というような様子で制止していた旨供述する(記録8冊883丁)ところ,この供述も,捜査段階の供述(同年4月30日付け員面調書・当審弁書143・記録書証4冊1037丁,10月29日付け検面調書・当審弁書145・同1064丁)から一貫しておりその信用性に疑いはない。c供述は,やはり原判決が指摘するとおり,この信用性に疑いのないf供述ともよく符合している。 ウ 供述の一貫性  さらに,cの供述内容は,実況見分時における指示説明内容(同年3月26日実施・原審甲2・記録5冊728丁),員面調書(同日付け・当審弁書140・記録書証4冊1012丁),検面調書(同年10月8日付け・当審弁書144・同1045丁)を通じて,「まず左側後ろの保護者席で,次いで右側後ろの保護者席で被告人のコピー配布を制止し,その後も被告人に付いて保護者席前方へ移動し,被告人による呼びかけの当初から被告人のそばにおり,呼びかけの最後に大声で制止した」という根幹部分で基本的に一貫している。なお,実況見分時に「呼びかけを制止した際,被告人が手に何かを持っていた」と指示説明した点について,原審公判では,そのような事実はなく,その指示説明は勘違いであった旨供述しており,供述内容に変遷がみられるが,その直前に被告人がコピーを配布するのを目撃し,制止していたcが,呼びかけ時にも被告人は手に何かを持っていたと勘違いすることも不自然ではないと考えられるのであるから,供述の変遷に関するcの説明に疑問はなく,少なくとも,この点についての勘違いが,制止行為の時期や状況に関する供述部分の信用性に影響を与えるものではない(なお,TBS報道特集写真52葉(原審弁96)中29番の写真(記録3冊118丁)には,保護者席前方で被告人がc及びdから呼びかけを制止されている場面が写っているが,これによれば,被告人は手に何も持っていないことが明らかである。ちなみに,被告人は,原審公判で,コピー配布中に用意したコピーが無くなり,後方の保護者席の一部にはコピーが配布できなかった旨述べている(記録8冊970丁)。)。 エ c供述の信用性の結論  以上と同旨の理由により,制止行為に関するc供述の信用性を肯定した原判決に,誤りはない。 (5)所論  これに対し,所論は,次のように主張する。 ア ICレコーダーの録音内容やg供述との矛盾  原判決が有罪認定の有力な証拠としたICレコーダーには,cの供述によれば存在したはずの,cによるコピー配布制止発言や呼びかけ当初からの呼びかけ制止発言,コピー配布制止に対する被告人の発言は一切録音されていないばかりか,被告人の呼びかけは,中断や言いよどみが一度もなく,cによる制止に抵抗する発言も全く録音されていない。また,被告人の動向に対応するために派遣されたg(及び一緒にいたi)は,コピー配布を制止するcの姿を目撃しておらず,制止の際の発言も聞いていないばかりか,ICレコーダーには呼びかけ終了から約10秒後にようやく「教頭か」というg(又はi)の発言が録音されている。コピー配布を制止し,呼びかけ当初から制止したとするcの供述は,これらの証拠と矛盾する。 イ 原審の5人の弁護側証人の供述内容との矛盾  原判決は,コピー配布制止及びこれに引き続く呼びかけ制止が存在しなかったことを示すk,l,h,m及びnの各原審公判供述について,〔1〕裏付け証拠がなく,〔2〕相互に不自然な食い違いが見られ,〔3〕客観的事実との不一致があるとか供述内容が不自然であるなどとして,その信用性に疑問があり,cの供述の信用性を左右するものではないとするが,〔1〕これら5人の供述は,呼びかけの際に付近にcがいなかったとの点で相互に裏付け合うとともに,ICレコーダーやg供述がこれを裏付ける関係にあり,〔2〕すべての状況について詳細に一致する方がむしろ不自然である上,「食い違い」とされるのはいずれも些細な事柄にすぎず,〔3〕「不一致や不自然」とされる点は,いずれも些細な事実関係に関するものか,「c供述の信用性を前提にする不自然さ」にすぎず,これら5人の供述は信用できる。 ウ 当審弁護側証人の供述内容との矛盾  当審で弁護側証人として証言した卒業生の母親であるoは,「左側後ろの保護者席に座って,自分の目の前でコピーを配布する被告人を目撃していたが,cが1回だけ近寄り,一言二言,挨拶するような感じで話しかけて,すぐに離れていった以外は,誰も被告人に近寄らず,被告人は,コピー配布を終えると,一人で保護者席の前方に向かって行き,そこで保護者への呼びかけを始めた。その後,dが近付いて一言二言声を掛けたが,話自体が終わったような感じだったので,被告人は特に反応はしていない。その後,cがやってきて,被告人の腕を掴んで声を荒げる感じで『止めろ』というようなことを言ったので,被告人は,そちらの方に激しく反応した」旨供述するところ,この供述は信用できるから,c供述は,このo供述と矛盾し信用できない。 エ c自身の検面調書における供述内容との矛盾  cは,原審公判では,コピー配布制止時や呼びかけ制止時の発言は「あえて小声で行った」と供述するが,こうした特徴的な供述は,捜査段階の検面調書(当審弁書144)には全く現れておらず,ICレコーダーやg供述との矛盾を回避するための後知恵的弁明で,信用できない。 オ jの員面調書における供述内容との関係  cは,実況見分時には,「被告人が保護者への呼びかけの際に手にコピーを持っていた」と指示説明しているところ,これは勘違いではなく,jの本件直後の,「被告人は,校長の制止を受けた後も,手にコピーを持ったままICレコーダーに録音された保護者への呼びかけを行った」との,客観的事実とは異なる認識(原審弁42・記録4冊452丁,当審弁書134・記録書証4冊950丁)を土台として創作されたものである疑いが濃厚である。 (6)所論に対する検討  しかし,上記所論は,次の理由により,いずれも採用することができない。 ア ICレコーダーの録音内容やg供述との矛盾について (ア)まず,cによるコピー配布制止発言や呼びかけ当初からの呼びかけ制止発言がICレコーダーに録音されず,また,gに聞こえなかったという点について検討すると,既に述べたように,cが,会場にいる保護者等への配慮や被告人を刺激しないことを考えて,これらの制止を「小声で行った」というのは,卒業式開式の20分程度前だったという当時の状況や,cの認識していた被告人の性格等に照らし,極めて自然であるから,中央通路付近で小声で行われたこれらの制止発言が,壁際の席にいたgやiに聞こえず,gが所持していたICレコーダーに録音されなかったとしても,何ら不思議はない。 (イ)次に,cによるコピー配布制止や呼びかけ制止に抵抗する被告人の発言が録音されておらず,被告人の呼びかけに中断や言いよどみが一度もなかった点について検討すると,被告人がコピーを配布した週刊誌記事及び呼びかけの内容に照らせば,被告人は,コピー配布の段階から,卒業式会場にいる保護者に対し,まず,週刊誌記事のコピーを配布し,次いで,呼びかけを行うことを企図していたとしても何ら不自然ではなく,そうだとすれば,cによるコピー配布制止や,呼びかけ途中の制止に対し,呼びかけを終了して当初の目的を遂げたと考えられる後に現に行われたような,卒業式会場を騒然とさせてdらから行為の中止や会場からの退出を求められるおそれのある目立った行動は避けようと考えたとしても,何ら不自然ではない。結局,コピー配布と呼びかけを終える前の段階で,cによる制止行為に対して抵抗する被告人の発言がICレコーダーに録音されていないことが,cによる制止行為があった事実と矛盾するものではないと解するのが相当である。 (ウ)さらに,g(及びi)が,コピー配布を制止するcの姿を目撃しなかった点について検討すると,ICレコーダーによれば,〔2:42〕から〔3:35〕にかけては,gらが被告人を観察していた様子がうかがわれるが,既に述べた,cが体育館に到着して被告人のもとへ赴き,コピー配布を制止していたと推認できる時間帯(〔5:44〕から2分程度)は,被告人に関する描写がなく,〔6:42〕の「サンデー毎日の写しを配布していたんだな,あれ職員」との発言も,少なくとも,被告人を継続して観察していたことをうかがわせるものではないところ,gが原審公判で供述する,「会場の様子を把握するためにいろいろな所を見ていた」(記録6冊121丁)のは自然な行動であって,信用性に疑いがないことも合わせ考慮すると,gらは,cがコピー配布を制止していたと推認される時間帯は,被告人以外のものに関心を奪われていたとしても,何ら不思議ではない(〔4:42〕から〔5:11〕にかけての録音内容に照らすと,この時間帯,gらは,手元にあるサンデー毎日の記事の内容に関心を奪われていた可能性もある。)。結局,cが被告人によるコピー配布を制止している姿をgらが目撃しなかったとしても,何ら不自然はない。 (エ)最後に,ICレコーダーには呼びかけ終了から約10秒後にようやく「教頭か」というg(又はi)の発言が録音されているとの所論について検討すると,所論指摘の発言は所論指摘のとおりのものとは聞き取れないが(「教頭さん」と言っているように聞こえる。その後に言葉が続いているのか,どのような言葉が続いているのかは不明。),いずれにしても,聴取できる言葉が短か過ぎることなどのために,この時の発言の趣旨等を一義的に解釈することは困難であり,少なくとも,この発言を根拠にして,被告人が保護者に対する呼びかけを始めたころになってもcはなお被告人の近くにいなかったことが裏付けられているなどということができないことは明らかである。この発言によってc供述の信用性は弾劾されない。 イ 原審の5人の弁護側証人の供述内容との矛盾について  所論のうち,すべての状況について詳細に一致する方がむしろ不自然であるとの点は是認できるとしても,呼びかけの際に付近にcがいなかったことについてICレコーダーやg供述がこれを裏付ける関係にあるといえないことは既に述べたとおりである。以上を前提に,5人の各供述について検討する。 (ア)k供述について  k供述中,呼びかけを行った被告人の位置に関する部分は,kの着席位置,目撃姿勢からして不自然でないことは所論指摘のとおりである。しかし,コピー配布の状況を継続的に見ていたわけではないのに,「止めているというような声は聞こえなかったから,配布制止はなかった」と不自然で強引な供述(記録8冊743丁)をしたり,「被告人は,説明が終わればもう出ていくという態度であった」旨,ICレコーダーの録音からうかがわれる当時の状況に明らかに反する供述(同734丁)をするなど,その供述の信用性は低いというべきである。 (イ)l供述について  所論は,座席が右端であったことや,周囲がざわついていたことなどから,被告人の呼びかけの詳細を聞き取ることができなかったとしても,その点は,「被告人が呼びかけを開始した当初に被告人が単独で立っていたか,近くに他の人物がいたか」に関する目撃供述の正確性,信用性には影響ない旨主張する。しかし,lの供述は,被告人のコピー配布行為やcの動き,呼びかけの内容等を含め,全体的に極めて曖昧であり,その供述内容自体からして,同人の観察が甚だ不十分なものであったことをうかがうことができるのであるから、その供述の正確性に疑問があるとした原判決に誤りはない。 (ウ)h供述について  所論は,h供述中,「体育館に入ったときに被告人が保護者席前方で保護者に話をしており,その後,被告人の左側からcが接近してきた」との印象的な出来事を目撃した体験は,視覚的記憶として鮮明に残るのが一般的であるから,信用できる旨主張する。しかし,hは,その印象的な出来事を目撃するに至った経緯について,「受付にいたところ,来賓案内役の教頭が小走りに来たので,何か問題でもあったのかなと思って,何十秒か後に付いていって,体育館入口で目撃したところ,被告人が演説していた。校長と来賓が体育館に来たのには気付かなかった」旨供述する(記録7冊681丁,694丁)ところ,何かと思いながら体育館に向かったのは何十秒か後というのは不自然であるし,目撃したという場所と時刻に照らし,校長と来賓の入場に気付かなかったというのも極めて不自然である。のみならず,ICレコーダーの録音内容によれば,被告人が呼び掛けを開始した時刻(〔8:02〕ころ)の約48秒前にdらが入場した(〔7:14〕ころ)ことが明らかであるから,通常,1分よりは相当程度短い時間を意味する「何十秒か後」に「cに付いていったところ,被告人が演説をしていた」とするh供述は,cがdより遅れて(あるいは同時刻ころ)体育館に来たことを意味することになるが,このような事態があり得ないことは既に述べたところから明らかである。これらに照らし,hの体育館内での目撃内容に関する供述が甚だ信用性を欠いたものであることは明白である。 (エ)m供述について  所論は,被告人の様子をよく見ていたわけではなく,観察の正確性に疑問があるとした原判決の認定を論難するが,mが自ら認めるように,被告人に対する観察が不十分であったことは,「(呼びかけの後)被告人は,普通に,何の抵抗もすることなく出入口の方に歩いて行き,声を出していたということも覚えていない」旨,明らかに事実に反する供述ないしは,普通に観察していれば当然記憶に残るはずの出来事について記憶がないとの供述(記録8冊851丁)をしていることに照らしても明確である。原判決の認定に誤りはない。 (オ)n供述について  所論は,「cは,体育館に入って(被告人の所へではなく)教職員席に向かい,被告人が保護者への呼びかけを終えるころ,教職員席から被告人のもとへ近付いた」とするn供述を,「eから一報を受け,急いで体育館に駆け付けたcが,被告人に何ら対処することなく,教職員席に向かっていったというのは不自然というほかない」とした原判決に対し,それはcが体育館に入った時点で未だ被告人がコピー配布を継続していることが前提であるところ,そのような供述は,c自身とfのみがしているのであって,まさにその供述の信用性が争われている本件において,一方の供述の信用性を論理的前提に置くのは相当でない旨主張する。しかし,被告人がコピー配布をしていた真最中にcが体育館に入ってきたと見て差し支えない十分な情況が存することは既に述べたとおりであるし,ある供述が自然でその信用性が極めて高い場合,それに反する供述の信用性が減殺されるのは当然であって,所論は採用できるものではない。  結局,これら5人の供述の信用性には疑問があり,c供述の信用性を左右するものとはいえないとした原判決に誤りはない。 ウ oの当審公判供述の内容との矛盾について  oは,同時に,「cは,被告人が資料を配るのを制止する素振りを見せずにそのままやらせ,被告人が呼びかけを始めたときも,室内にいながら,すぐには止めないで終わるころになっていきなり止めろという矛盾した行動を採っており,誰か偉い人に見せるのではないかと感じた」「dとcが来て無理やり連れ出そうとするまでは,騒ぎになることもなかった」旨供述する(当審記録2冊供述部分13丁)。しかし,本件実施要綱に沿って卒業式を施行しようと計画していたdを補佐すべき立場にあるcが,dの方針に反する行動を採っている被告人に対し,それと知りながら殊更に放置するとか,いわんや,jを含む来賓らに殊更に見せようとするなど,到底考えられないことである。加えて,「dとcが来て無理やり連れ出そうとするまでは,騒ぎになることもなかった」などという評価が,ICレコーダーの録音から明らかな,被告人が,体育館全体に聞こえるような,明らかに,卒業式の開式を待つ雰囲気とは相容れない保護者への呼びかけを行い,それを終えるや,間髪を入れずに「おい,触るんじゃないよ」と,明らかに,その場の雰囲気と異質の怒鳴り声を挙げているという客観的事実に反することも,極めて明らかである。これらの点に照らし,o供述は,到底,信用できるものではない。 エ cの検面調書における供述内容との矛盾について  cの検面調書(当審弁書144・記録書証4冊1045丁)に,制止発言を「小声で行った」との供述部分が存在しないことは所論指摘のとおりであるが,呼びかけ終了後の制止を「大声で訴えた」と明示的な記載があるのに対し,コピー配布の制止はそのような記載はなく,小声で行ったことと矛盾するものではない。そして,既に述べたように,制止を小声で行うことが自然と考えられる本件において,「小声で」との制止態様を「特徴的」と評価するのは相当ではなく,所論指摘の点が,「制止発言を小声で行った」とするcの原審公判供述の信用性を減殺するとは考えられない。 オ jの員面調書における供述内容との関係について  所論は,必ずしも明瞭ではないが,cらに対して強い影響力を持つjが,本件後間もなく,「被告人が校長の制止命令にもかかわらず,コピーを配布したり,呼びかけを行ったりして式典を妨害した」という認識を示したため,cらにおいて,それに合わせるべく,真実は存在しない「制止命令にもかかわらずコピー配布等を行った」という事実を創作したのであって,実況見分時における「被告人が呼びかけの際に手にコピーを持っていた」とのcの指示説明は,c供述が客観的に事実と異なるj認識を土台として創作されたものである疑いを端的に示すものであると主張するものと理解できる。  しかし,jは,本件後間もなく,コピー配布制止を行ったのは校長であり,また,被告人はコピーを配布しながら大声を出していたとの認識(これらも客観的な事実に反する。)を示していたにもかかわらず,cは,ビデオや録音に接する前の,したがって,自己の記憶に基づいて供述しているとしか考えられない3月26日に作成された員面調書から,被告人のコピー配布を制止したのは教頭である自分であり,被告人は,コピー配布の後,保護者席前方に移動して呼びかけを行った旨,jの認識に明らかに反する供述をしている(当審弁書140・記録書証4冊1012丁)のであって,こうした供述内容・供述経緯に照らし,コピー配布時の制止を含め,cが,自己の記憶とは別に,jの認識に合わせる形で供述をしたと評価するのは相当ではない。加えて,呼びかけ時に被告人が手に何かを持っていたという点は,既に述べたように,cにとって記憶違いがあったとしても不自然ではなく,こうした事情に照らせば,cは終始,自己の記憶に従って供述していたと評価するのが相当である。 (7)その他,所論は,〔1〕cが体育館に入った時には,既に,被告人はコピー配布を終了していた可能性が高いとか,〔2〕cが目撃したとする「前屈みになって」というコピーの配布方法は,gが目撃した「回してくださいという感じでどさっと配っていた」というそれと異なっているとか,〔3〕c供述と符合するf供述は,「小声」であるためにgに聞こえず,ICレコーダーにも録音されなかったはずの,cによるコピー配布制止時及び呼びかけ制止時のc発言を聞いたと供述するなど不自然であるとか,種々主張をしてc供述の信用性を論難する。しかし,〔1〕被告人がコピーを配布していた際にcが体育館に到着したと見て差し支えない十分な情況が存することは,既に検討したとおりであり,〔2〕gが目撃したのは,コピー配布の早い段階(前方の保護者席に対するコピー配布と認められる。)であり,cが目撃して制止したのは,コピー配布のより後の段階である後方の保護者席に対する配布(既に述べたとおり,gは,その段階は目撃していないと考えられる。)であって,時期を異にする配布方法が異なったとしても,特に不自然はないというべきであり,〔3〕fは,cの行動を追って目撃しており,cの態度を見て,被告人のコピー配布や呼びかけを制止していることを理解していたのであるから,その言葉の内容は聞き取りやすいと考えられる上,fの,cの制止時に関する供述内容は,「aさん,何をしているんですか,止めてくださいとか,そんなことを言っていたと思います」「もう止めてくださいというような様子で,必死に制止しておりました」というものであって,必ずしもcの発言内容を耳で聞き取ったのではなく,cの態度と合わせて,そのような発言内容と了解したとも理解できるのであって,fの了解したcの発言内容が,gに聞こえず,ICレコーダーに録音されなかったとしても不自然とはいえない。  c供述の信用性を論難するその他種々の主張を逐一検討してみても,c供述の信用性を減殺するものではい。所論はいずれも採用できない。 (8)結論  信用性が高いと認められるc供述に従い,cが,被告人によるコピー配布を制止し,引き続き,保護者席前方に移動した被告人のそばに付いて一緒に移動した上,被告人の保護者への呼びかけをその冒頭から制止し続けたとの事実を認定した原判決に,事実誤認はない。 2 構成要件要素等が存在しないとする主張について  論旨は,要するに,原判決は,〔1〕被告人の行為には業務妨害の結果を発生させるおそれがあり,〔2〕現に業務妨害の結果を発生させ,〔3〕被告人の行為と開式の2分間の遅れという業務妨害の結果との間に因果関係があり,〔4〕被告人に,業務妨害の故意がある,という事実を認定したが,これらの事実はいずれも存在しないにもかかわらず,これらを肯定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。  しかし,原判決挙示の関係各証拠によれば,上記〔1〕ないし〔4〕の各事実の存在を優に認めることができるのであって,原判決に誤りはない。所論にかんがみ,以下,若干補足して説明する。 (1)業務妨害のおそれについて  所論は,「被告人の本件行為は,それ自体として卒業式直前の厳粛な雰囲気を害するだけでなく,卒業式の遂行業務に携わる関係者らに対し,予期していなかった対応を余儀なくさせ,その結果,卒業式の厳粛かつ円滑な遂行を阻害するおそれがある」と認定した原判決に対し,〔1〕本件行為がなされた体育館内の状況は,もともと「厳粛な雰囲気」とはほど遠く,〔2〕被告人の呼びかけは制止を受けていないから,それ自体として卒業式の円滑な遂行を阻害するおそれはなく,また,〔3〕d,cらが被告人に対応した時点では呼びかけは基本的に終了しているから,それ以降も呼びかけが継続的に関係者の対応を余儀なくさせるとの関係になく,〔4〕被告人による「怒号」「抗議」は,cが被告人の体を掴んだことや,dらによる不当な退場要求に対して後発的,防御的になされたもので,dらが自らの行為によって招来した事態であるから,被告人の行為には,業務妨害のおそれは存在しなかったなどと主張する。  しかし,まず,1で述べたように,cは,コピー配布から呼びかけに至るまで,被告人を制止していた事実が認められるから,この事実に反する所論(上記〔2〕)は前提を欠く。  また,本件卒業式は,校長であるdが,10.23通達に従って,国歌斉唱時には卒業生,保護者を含む全員に起立を求めることを含め,その権限に基づいて作成した本件実施要綱に従って行われることが予定されており,被告人も,そのことは十分承知していたところ,被告人は,呼びかけで,保護者に対して,本件実施要綱に従って間もなく始まる卒業式が「異常な卒業式」であると主張し,国歌斉唱時の着席を求めるなど,本件実施要綱に反する行動を保護者に呼びかけ,呼びかけが終わるや,間髪を入れずに「触るんじゃないよ。おれは一般市民だよ」などと怒号し,制止するdらの対応に対し,「こういう状態ですよ,みなさん」と,卒業式会場にいる保護者らにdらの対応を批判する訴えかけを殊更にしているのであって,被告人は,コピー配布,呼びかけ,怒号,抗議を通じて,一貫して本件実施要綱に反対する態度を示していることは明らかである。この一連の行為を,「呼びかけ」と「その後の防御的行為」に分断し,後者はdらが招来した事態であるなどとする所論(上記〔4〕)は,到底,採用できない。そして,cがコピー配布の段階から被告人を制止していたことが明らかであり,また,保護者に着席を求める呼びかけが,その内容及び態様等に照らし,dらにとって容認できないものであることも明らかであるから,被告人の一連の行為が,卒業式の遂行業務に携わるdやcらに対し,予期していなかった対応を余儀なくさせたとの評価に誤りはない。  さらに,開式前の卒業式会場が静寂な状況でなかったことは所論指摘のとおりであるとしても,卒業式を間近に控えた「厳粛な雰囲気」であると認められる上,被告人の呼びかけ,怒号,抗議の一連の行為が,この厳粛な雰囲気を害するものであったことも,また,極めて明らかである。  結局,被告人の本件行為に業務妨害のおそれを認定した原判決に,事実誤認はない。 (2)業務妨害の結果について  所論は,業務妨害の結果として「式典会場を喧噪状態に陥れ,dやcらにおいて被告人への対応を余儀なくさせ,卒業式の開式を約2分遅延させた」と認定した原判決に対し,〔1〕本件行為当時の体育館内は,被告人の行為とは無関係に「騒然」とした状態にあった一方,被告人の呼びかけ,抗議は「喧噪状態」といえるほどのものではなく,〔2〕呼びかけに対する制止はなく,したがって,その時点ではcらの対応はなく,また,呼びかけ終了後の抗議は,保護者への呼びかけを終了した被告人に対するdらによる退場要求に対して後発的・防御的になされており,内容的にみても,それ自体としてdらが対応を余儀なくされる性質の発言ではなく,また,〔3〕都立高校の卒業式の開式が2分程度遅れることは,社会通念上,「業務が妨害された」と評価すべき異常事態ではない,などと主張する。  しかし,開式前の卒業式会場が静寂な状況ではなかったとしても,騒然とした状態にあったとまではいえず,被告人の呼びかけ,怒号,抗議という一連の行為により「喧噪状態」になったことは明らかである。また,既に述べたように,被告人の一連の行為が,卒業式の遂行業務に携わるdやcらに対し,予期していなかった対応を余儀なくさせたとの評価に誤りはない。そして,次に述べるように,被告人の一連の妨害行為により開式が2分遅れたと認められる以上,開式の遅れを業務妨害の結果と認定した原判決に,誤りはない。 (3)因果関係について  所論は,原判決は,被告人が用いた「威力」は,体育館内の本件行為(呼びかけ及び抗議)であるとしつつ,「被告人が体育館退場後に保護者の男性と口論を始めたこと,d及びcが約4分間にわたって被告人に校外への退去を求めたこと,被告人が格技棟廊下にとどまっていたため卒業生を移動させることができなかったこと,そのため卒業式の開式が約2分遅れたことといった『一連の事態』は,本件行為との因果関係を有するから,被告人の本件行為によって開式が遅れ,卒業式の遂行業務が現実に妨害された」とするが,体育館内で終了した本件行為と体育館退場後の「一連の事態」との間には因果関係はなく,被告人の本件行為と開式遅れとの間に相当因果関係はない旨主張する。  しかし,本件起訴にかかる行為が体育館内の行為であり,したがって,原判決の認定がそれにとどまるとはいえ,被告人は,体育館内から,間口約8.75メートル,奥行き約2.15メートルのコンクリートたたき部を挟んで隣接する格技棟廊下(間の鉄製ドアの1か所が約1.8メートルの広さに全開されていた。)に至った後も,dらの校外への退去要求に素直に従うことなく,大声で抗議するなどし,また,保護者の男性と口論を始めるなどしてその場にとどまり,そのために,dらがその場でも約4分間(ICレコーダーのカウンターで〔11:00〕ころから〔15:22〕ころまでの間)にわたって被告人に校外への退去を求めることを余儀なくされたことは,ICレコーダーの録音内容から極めて明らかである。そして,格技棟廊下における被告人の発言内容や態度に照らせば,被告人の体育館内における本件行為と格技棟廊下での行為とは,同じ意図に基づく一連の行為と理解するのが相当である。なお,所論は,保護者が既に体育館を退場した被告人に詰め寄るといった事態は被告人にとっては全く予見不可能な特殊事情であり,むしろ,このような保護者を説得して体育館内に戻すのは校長であるdらの職責であるにもかかわらず,こうした職責を果たさなかったdらの不作為が「一連の事態」のうち保護者の滞留をもたらしたと主張するが,保護者が被告人に詰め寄ったのは,体育館内における被告人の本件行為によって被告人自ら招来した事態であるし,被告人がdらの要求に従って素直に格技棟廊下から退去していればこの保護者が滞留することもなかったのであって,この点に関する所論が採用できないことは極めて明らかである。  そして,被告人が以上のような行動により格技棟廊下に止まっていたため,卒業生を移動させることができなかったと認められるのであるから,被告人の本件行為と原判決のいう「体育館退場後の一連の事態」との間に因果関係があり,したがって,被告人の本件行為と卒業式の開式が約2分遅れたこととの間に相当因果関係があるとした原判決は相当であって,所論指摘のような事実誤認はない。 (4)故意について  所論は,「cの制止を無視して保護者にコピーを配布し,引き続き制止されているにもかかわらず保護者に向かって呼びかけを続けるなどし,さらに,cに対し怒号したり,dの退場要求に対し怒号するなどして素直に応じようとしなかったことからすれば,自己の行為が,d及びcら関係者にとって放置できない行為であり,卒業式の遂行業務を妨害するおそれのあるものであることは,当然認識していたものと推認できる」として故意の成立を認定した原判決に対し,〔1〕cによるコピー配布の制止及び引き続く呼びかけ制止の事実は存在せず,〔2〕呼びかけ終了後の「怒号」は受動的な抗議であって「威力」に該当しないから,〔3〕被告人には,自己の行為がdらにとって放置できない行為であるとの認識はなく,かつ,〔4〕そもそも被告人の抗議によって業務妨害の客観的おそれはないから,被告人の主観においてもその危険性の認識はない旨主張する。  しかし,〔1〕,〔4〕の主張が事実に反するもので前提を欠くことは既に述べたとおりである。また,被告人は,cによる継続的な制止を無視して,コピー配布,呼びかけを行い,dによる退場要求にも素直に応じずに怒号しているのであるから,このような被告人の一連の行為に照らし,被告人に業務妨害の故意があったことは極めて明らかである。所論は,到底,採用できるものではない。 3 事実誤認の論旨は理由がない。 第2 法令適用の誤りの主張について 1 構成要件該当性判断に関する主張について (1)論旨は,要するに,原判決は,開式前の体育館にいた保護者に対する被告人の「呼びかけ」並びにd及びcによる退場要求に対する「抗議」は,いずれも業務妨害罪の構成要件である「威力」に該当すると判断したが,これら被告人の行為はいずれも「威力」に該当しないというべきであるから,原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある,というのである。 (2)そこで,検討すると,業務妨害罪の「威力」とは,原判決も正当に指摘するとおり,人の意思を制圧するような勢力をいい,その威力の行使によって現実に被害者の自由意思が制圧されたことを要するものではなく,犯行の日時場所,動機目的,勢力の態様,業務の種類等諸般の事情を考慮し,客観的にみて人の自由意思を制圧するに足りるものであるかを判断すべきものである。  これを本件についてみると,原判決挙示の関係各証拠によれば,まず,既に争いのない事実として述べたように,b高校の校長として本件卒業式を円滑に執り行う職責を負うdは,同校の教職員との協議を経て,都教委教育長から発出された10.23通達に定められた本件実施指針に則り,「国歌斉唱の際,生徒,教職員をはじめ,列席の来賓や保護者にも起立を求める」ことを含む本件実施要綱を作成するなど,本件卒業式に向けての綿密な準備をしてきたことが認められ,また,本件当日,被告人は,午前9時42分ころ,卒業式会場である同校体育館において,保護者席の前方中央に立ち,午前10時に予定された卒業式の開式を待つ保護者らに向かって,「今日は異常な卒業式で,国歌斉唱のときに,教職員は必ず立って歌わないと,戒告処分で,30代なら200万円の減収になります。ご理解願って,国歌斉唱のときは,出来たらご着席をお願いします」などと大声で呼びかけ,この呼びかけを制止したcに対し,「触るんじゃないよ。おれは一般市民だよ」などと怒号し,その後も,dらの退場要求に従うことなく,午前9時45分ころに体育館を退場するまでの間,「b高校の教員だぞ,おれは。何で教員を追い出すんだよ,お前。ここの教員だぞ,おれは,お前」などと怒号したことが認められる。  この認定事実によれば,被告人は,都教委の指導主事を含む来賓の入場予定時刻(午前9時45分)に近い,卒業式開式の直前に,都教委の施策に反対する,また,d及び教頭として校長の職務を補佐する職責を負うcらの立場からは,到底,許容できない呼びかけを行ったのであるから,dやcにおいて,卒業式の円滑な進行に影響を与えかねないとして,その職責上,放置することができず,これを制止するなどの対応を迫られるものであることは明らかである。加えて,被告人は,現実にcからの制止やdからの退場要求があったにもかかわらず,これを無視して呼びかけを行い,あるいは,怒号に及んだものであり,dらにおいて,更に一定時間継続して対応することを余儀なくされたことも,また,明らかである。そうすると,被告人の一連の行為は,卒業式を円滑に執り行おうとするdら関係者の意思を制圧するに足りる勢力の行使として,威力業務妨害罪の「威力」に該当すると評価することができる。これと同旨の原判決の判断に誤りはない。 (3)所論について  これに対し,所論は,次のように主張して,原判決の判断を論難する。 ア 原判決は,被告人が単独で本件行為に及んでいること,被告人の立場は部外者ではなく正式の来賓であること,被告人が来賓として来校した動機目的は卒業式そのものの妨害・破壊ではなく,10.23通達の実施状況に関心を持ち,在職時に知っていた全盲女生徒のピアノ伴奏を見届けようとしたからであり,国歌斉唱時の起立・斉唱の問題を除けば,本件卒業式が予定通り実施されることを望んでいた,との事実を認定しているところ,これらはいずれも「威力」の成立を否定する方向の要素であるにもかかわらず,原判決はこれら消極要素を全く考慮していない。 イ 原判決は,被告人の保護者への呼びかけを「大声」とし,d・cの退場要求への抗議を「怒号」と認定した上で,それぞれが「威力」に該当するとしたが,具体的な「威力」性判断に際しては,被告人の声量,発言時間,保護者らに与えた心理的影響などは全く考慮要素に入れていない。 ウ 原判決は,被告人の本件行為及びd・cの制止行為・退場要求を「威力」性判断の「積極事情」としている。しかし、10.23通達は教職員の思想・良心の自由を侵害する違憲・違法ないし極めて不当な政策的行政であり,d・cの制止行為・退場要求はこれを貫徹しようとしてなされた職務行為であるから,被告人の本件行為は,dらによってもたらされた違憲・違法ないし極めて不当な状態に対する抵抗であって,これらの事情が被告人の行為の「威力」性判断に関する消極事情であることは明白である。また,仮に10.23通達について客観的な法規範評価のレベルでは違憲・違法ないし極めて不当であるとの法的評価を前提としないとしても,本件当時,10.23通達の妥当性をめぐって教育現場でも一般報道の上でも様々な意見が提出され議論されていたのであるから,被告人の保護者への呼びかけが10.23通達に反対する立場のものであったことを,一方的に「威力」性を肯定する「積極事情」と評価することはできない。 (4)所論に対する判断  しかし,所論は,次のような理由により,いずれも採用できない。 ア 本件行為に被告人が単独で及んでいることが「威力」を認定するに当たって消極方向に働く一事情になることは所論指摘のとおりであるとしても,本件卒業式の会場である体育館は,ステージ部分を除くフロアー部分の間口約23.3メートル,奥行き約34.65メートルの屋内施設であり,しかも,被告人が呼びかけを行った保護者席は,その体育館の後半分のうちの前半分の範囲に配置されているに過ぎないのであり,その上,このころというのは卒業式開式直前の厳粛さが保たれるべき時間帯であったのであって,こうした事情に照らし,単独である点はさほど強く考慮するまでもない事情に過ぎない。また,被告人が正式の来賓として本件卒業式に招待されたことは事実であるとしても,被告人は,来賓への案内状(原審甲6・記録3冊16丁)にその旨記載され,さらには当日もdから誘われた(記録6冊247丁)にもかかわらず,来賓の集合場所である校長室に立ち寄ることもなく,かえって,卒業式前の卒業生を教室に訪ねて,国歌斉唱時の不起立を促す発言をして回っているのであって,来賓として行動していないことが極めて明らかであるから,来賓であることを,所論指摘のように,「威力」の認定に当たって消極事情とすることは相当ではない。さらに,被告人は,本件卒業式を中止させるまでの企図は持っていなかったにしても,卒業式前の卒業生を教室に訪ねて,国歌斉唱時の不起立を促す発言をして回り,次いで卒業式会場である体育館に赴いて卒業式開式を待っている保護者らに「いよいよ卒業式『日の丸・君が代』押し付け反対で教職員10人戒告 東京都教委が強いる『寒々とした光景』」とのタイトルの週刊誌記事のコピー(原審記録3冊34丁)を渡して回り,さらに,保護者らに対して,「今日は異常な卒業式で,国歌斉唱のときに,教職員は必ず立って歌わないと,戒告処分で,30代なら200万円の減収になります。ご理解願って,国歌斉唱のときは,出来たらご着席をお願いします」などと呼び掛け,これら一連の行為により,国歌斉唱の際に卒業生,保護者が起立しないという,本件卒業式の主催者であるdの方針に反する事態を生じさせ,dが本件卒業式に国歌斉唱を組み込んだ目的(教職員全員が起立して国歌を斉唱し,列席している保護者や来賓にも起立して国歌を斉唱することに協力してもらい,卒業生や列席している在校生に対して手本を示すことにより,国歌を尊重する態度を育てることなど(dの原審公判供述・記録6冊・233丁)。なお,高等学校学習指導要領は,第4章(特別活動)の第2(内容)のC(学校行事)において,「学校行事においては,全校若しくは学年又はそれらに準ずる集団を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,集団への所属感を深め,学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと」との柱書を置き,(1)で,儀式的行事について,「学校生活に有意義な変化や折り目をつけ,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」と定め,第3(指導計画の作成と内容の取扱い)の3において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」との定めを置いており,これらの定めは,法規たる性質を有すると認められるところ,dが本件卒業式に国歌斉唱を組み込んだ目的が,同要領のこれらの定めの趣旨と合致するものであることは,文部(科学)省作成の「同要領解説」中の「日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗及び国歌に対して正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。学校において行われる行事には,様々なものがあるが,この中で,入学式や卒業式は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活の展開への動機付けを行い,学校,社会,国家など集団への所属感を深める上でよい機会となるものである。このような意義を踏まえ,入学式や卒業式においては,「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」こととしている。(後略)」との解説(原審記録3冊240丁)などに照らしても明らかである。)の実現を阻もうとの企図を有していたことは明らかであって,被告人がこのような動機目的で本件に及んだことが「威力」の認定に当たって消極事情になるなどとは解することができない。 イ 原判決は,被告人の本件行為について,上記のような体育館内で,上記のような保護者席にいる,子供の卒業式を見届けるために臨場し,卒業式の開式を待つ保護者に対し,接近した場所から「大声」で呼びかけをし,d・cからの退場要求に対して「怒号」して抵抗した旨,呼びかけ文言,呼びかけや怒号の時刻を含めて認定しているのであるから,具体的な「威力」性判断に際して,被告人の声量,発言時間,保護者らに与えた心理的影響などを全く考慮要素に入れていないとの所論が失当であることは,明らかである。 ウ 最高裁平成19年2月27日第3小法廷判決は,市立小学校の校長が音楽専科の教諭に対し入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うよう命じた職務命令について,思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえない旨判示するところ,この判決の趣旨は,都立高校等の卒業式等において,国歌斉唱に当たり,教職員は,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すべきものとした10.23通達や,これに従ってdが都立b高校校長として,同高校の教職員に対して発した,本件卒業式において,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱するよう命じる職務命令にも及ぶと解すべきであり(「君が代」のピアノ伴奏と起立斉唱の違いは結論に差異をもたらすものとは解されない。),したがって,これらが思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するということはできない。もっとも,所論が指摘するように,同通達が憲法19条に違反するとする下級審裁判例が存在することも事実であり,本件当時,同通達の妥当性をめぐって議論がされていたことも,また,所論指摘のとおりである。しかし,議論があることが,直ちに,威力業務妨害罪の「威力」性判断に関する消極事情となるものでないことは,所論指摘の裁判例が,「国民は,憲法19条により,思想・良心の自由を有するところ,宗教上の信仰に準ずる世界観,主義,主張等を全人格的にもつことは,それが内心の領域にとどまる限りはこれを制約することは許されず,外部に対して積極的又は消極的な形で表されることにより,他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反する場合に限り,必要かつ最小限度の制約に服すると解するのが相当である」と判示するところからも明らかである。  これを前提に本件について検討すると,既に述べたように,本件卒業式を執り行う職責を有するdは,教職員との協議を経て,10.23通達に従い,「国歌斉唱の際,生徒,教職員をはじめ,列席の来賓や保護者にも起立を求める」ことを含む本件実施要綱を作成するなどして本件卒業式に向けて準備を整えてきたのであるから,本件実施要綱に基づき本件卒業式を円滑に執り行うことがdの権利,すなわち,被告人にとって,所論指摘の裁判例にいう「他者の権利」に該当することは明らかである。そして,被告人は,本件卒業式開式の直前に,その会場で,前述のような動機目的の下に,保護者に対して大声で呼びかけ,これを制止し,被告人に退場するよう要求するdらに対し,怒号で抗議するという,「外部に対する積極的な表現行為」を行ったのであるから,呼びかけ,怒号という被告人の本件行為及びd・cの制止行為・退場要求を「威力」性判断の「積極事情」とした原判決に誤りはないというべきである。 (5)結論  被告人の「呼びかけ」及び退場要求に対する「抗議」が業務妨害罪の構成要件である「威力」に該当するとした原判決の判断に誤りはない。  また,所論は,本件においては,〔1〕客体として保護されるべき「業務」の要件が欠けるとか,〔2〕被告人は威力を「用いて」いないとか,〔3〕業務「妨害の結果」ないし「妨害発生の現実的危険性」がないとか主張するが,〔1〕b高校の校長であるdがその職責により作成した本件実施要綱に基づく同校の卒業式典の遂行業務が威力業務妨害罪で保護されるべき「業務」に該当することは明らかであり,〔2〕被告人が威力を用いたことは,ICレコーダーの録音内容等に照らし極めて明らかであり,また,〔3〕被告人の本件行為は「業務妨害の現実的危険性」がある行為であり,かつ,開式の約2分遅れを含め,現に「業務妨害の結果」が発生したことは,前記第1の2で「構成要件要素等が存在しないとする事実誤認の主張」に対する判断で述べたとおりである。  原判決に,構成要件該当性判断に関する法令適用の誤りはない。 2 違法性阻却事由に関する主張について (1)論旨は,要するに,原判決が認定した被告人の本件行為(保護者への呼びかけ,dらへの抗議)が,仮に威力業務妨害罪の構成要件に該当するとしても,卒業式等に出席する教員らを,正面壁面に貼り付けた日の丸に正対させて座らせ,君が代斉唱時には全員が起立して歌うよう,校長より職務命令を発し,違反者を懲戒に付すことを骨子とする10.23通達は,教職員の思想良心の自由を侵害する違憲・違法な行政行為であり,また,仮に客観的法規範のレベルで違憲・違法とまで断定できないとしても,その政策的妥当性に重大な疑問を抱かざるを得ない高度に不当な行政行為であるから,そのような10.23通達の違憲・違法・高度の不当性の下では,被告人の本件行為は,以下に述べるように,刑法上の正当行為ないし正当防衛に該当するので,これら違法性阻却事由の判断を誤った原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある,というのである。 ア 保護者への呼びかけは正当行為に該当するとの主張  被告人の保護者への呼びかけは,〔1〕10.23通達の問題性を保護者に説明するとともにこれに抗議し,将来的にはこれを解消させることを目的としているのであって,その目的は正当であり,〔2〕卒業式開式前で,保護者・在校生らが自由に談笑し,式主催者側から特に静粛も求められておらず,到底「静穏」とはいえない状況下で,ごく短時間(約30秒)のうちに10.23通達の問題性を説明する口頭の意見表明であって,その手段は社会的相当性を備えており,〔3〕その実現しようとする法益である被告人の表現の自由(憲法21条)ないし教職員らの思想良心の自由(憲法19条)の要保護性が,その侵害しうべき法益である10.23通達を実施しようとするdらの業務の要保護性より高度であることは明らかであって,その利益衡量の各側面からみて,刑法35条の正当行為に該当する。 イ 保護者への呼びかけは正当防衛に該当するとの主張  被告人の保護者への呼びかけは,〔1〕その当時,10.23通達を実施するために,教職員に対する国歌斉唱時の起立・斉唱を法的に強制するとともに,保護者に対する起立・斉唱を事実上強制する状況が発生する事態が差し迫っていたのであって,これは,教職員及び保護者の思想良心の自由を侵害する都教委及びdらによる急迫不正の侵害であり,〔2〕都教委の政策の不当性を多くの保護者に知らせるとともに,保護者にとっても不起立の自由があることを再確認してもらう説明であって,教職員及び保護者の思想良心の自由を,都教委及びdらによる侵害行為から防衛するためになされたものであり,〔3〕本件当時,10.23通達の問題性は必ずしも一般に広く知られているとはいえず,週刊誌コピーの配布や口頭での説明といった方法以外には,国旗・国歌強制政策の存在と問題性を保護者らに知らせ,教職員・保護者の思想良心の自由を防衛する手段を講ずることは困難であった状況下で,開式前の短時間,配布済みの週刊誌コピーの説明を行い,最後に「ご理解願って,国歌斉唱の時は,できれば着席をお願いします」と控えめに呼びかけたに過ぎないのであって,必要性,社会的相当性も備えている上,呼びかけによる防衛法益である教職員・保護者の思想良心の自由(憲法19条)が,その被侵害法益である10.23通達を貫徹しようとするdらの業務より優越することは明らかであって,法益権衡性の要件も満たし,正当防衛に該当する。 ウ dらへの抗議は正当防衛に該当するとの主張  dらによる退場要求に対する被告人の抗議は,被告人の表現の自由(憲法21条)及び被告人の卒業式参列の利益を守るための正当防衛である。すなわち,〔1〕dらによる退場要求は,被告人の保護者への呼びかけという10.23通達に反対する意思表明としての,憲法上保障される表現行為に対し,その表現内容自体を問題視し,かかる表現を行った被告人の卒業式参列を拒否して物理的に会場から排除することを目的としており,被告人の表現の自由に対する急迫不正の侵害である。また,被告人は正式の来賓として招待されたb高校教員OBであり,参列の目的は10.23通達の実施状況を見届けるとともに,自らが現役時代に関与した最後の学年に当たる卒業生を祝福することにあって,被告人には卒業式に参列する法的利益があったのであるから,被告人の参列を拒否する退場要求は,被告人の卒業式参列の利益に対する急迫不正の侵害である。〔2〕dらによる退場要求に対する被告人の抗議は,自己の表現の自由を防衛するためになされたものであるとともに,自己の卒業式参列の利益を防衛するためになされていることが明らかである。〔3〕dらによる退場要求を受け,後方から押されるように体育館出入口付近まで歩かされた被告人にとっては,口頭で退場要求の不当性を保護者らに訴え,dらに抗議しなければ,そのまま体育館から退場させられ,卒業式参列が不可能となる状況であった。また,被告人は,不当な退場要求に対しても暴力的抵抗は一切行わず,あくまで言論による抗議に徹しており,その時間も比較的短く,特にcの冷静さを失った怒鳴り声に比べれば,対抗的な言論の域を出ておらず,被告人の抗議はその態様の点で社会的相当性を備えている。さらに,被告人の抗議による防衛法益である被告人の表現の自由(憲法21条)及び卒業式参列の利益に対し,被告人の抗議が向けられたdらの退場要求は違憲・違法ないし極めて不当な10.23通達を実施しようとする職務の一環としてなされたものであり,前者が後者に優越する法益であることは明らかであって,法益権衡性の要件も満たし,正当防衛に該当する。 (2)そこで検討すると,次の理由により,違法性阻却事由の存在を主張する所論は,いずれも採用できない。 ア 呼びかけは正当行為に該当するとの主張について  既に述べたように,被告人の保護者に対する呼びかけが行われた場所は,さほど広くない体育館という屋内施設の会場内であり,その時期は,卒業式開式の約20分前で,来賓入場の予定時刻に近いという,開式の直前の時期である。したがって,所論指摘のように,静穏とはいえない状況下であったとしても,卒業式の開式を待つ厳粛な状況にあったことに疑いはない。被告人は,そのような状況下で,開式を待つ保護者に対し,近い距離から,間もなく始まる卒業式を「異常な卒業式」と決めつけた上で,一定時間にわたって大声で呼びかけを行ったものであって,現にその結果,会場内が,ICレコーダーの録音内容から明らかなような喧噪状態に陥っているのであるから,その手段が社会的相当性を欠くことは明らかである。  そして,そうである以上,他の要件について検討するまでもなく,被告人による本件呼びかけが正当行為に該当するということはできない。 イ 呼びかけは正当防衛に該当するとの主張について  所論は,被告人の保護者に対する呼びかけは,「教職員及び保護者の思想良心の自由を,都教委及びdらによる侵害行為から防衛するためになされたもの」である旨主張する。しかし,まず,「保護者の思想良心の自由」について検討すると,そもそも保護者は,本件卒業式の国歌斉唱時において,起立・斉唱することを,「都教委及びdら」から,法的にはもとより事実上も,強制されるような関係にはなく,保護者が,自らの思想良心に従って起立・斉唱しなかったとしても,「都教委及びdら」から,法律上はもとより事実上も,いかなる意味でも不利益等を受けることは一切あり得ないのであるから,「保護者の思想良心の自由」に対して,所論が主張するような「都教委及びdらによる侵害行為」は全く存在しないというほかない。そして,次に,「教職員の思想良心の自由」について検討すると,もとより,他人の権利を防衛することも正当防衛の対象となるものではあるが,所論が主張する「侵害行為」の主体は「都教委及びdら」であって,卒業式に出席している保護者でないことはいうまでもない上,保護者は,今述べたように,「都教委及びdらによる侵害」を受ける関係にもなく「侵害行為」の客体でもないのであるから,「都教委及びdらによる侵害」といかなる意味でも関係を持たない保護者に呼びかけてみたところで,所論が主張する「侵害行為」から「教職員の思想良心の自由」を防衛することにはなり得ないというべきである。言い換えれば,保護者に対する本件呼びかけは,防衛行為としての適性を欠くといわざるを得ない。したがって,保護者との関係でも教職員との関係でも,その余の要件について検討するまでもなく,被告人の保護者に対する呼びかけが正当防衛に当たるとする所論が採用できないことは明らかである。 ウ 抗議は正当防衛に該当するとの主張について  上記のように,被告人の保護者に対する呼びかけは,威力業務妨害罪の構成要件に該当する上,正当行為とも正当防衛とも認められず,したがって,違法な行為である。そして,被告人がdやcから退場要求を受けたのは,被告人が,cの制止にもかかわらず,上記のとおり,違法な保護者への呼びかけを行ったことによるのであるから,dらの退場要求は,被告人が自らの違法な行為によって招いたものと評価するのが相当である。結局,dらによる退場要求は,仮にそれが被告人の何らかの権利・利益に対する「侵害」であるとしても,被告人が自ら招いたものであるから急迫性を欠くことは明らかである。よって,その余の要件について検討するまでもなく,被告人のdらに対する抗議が正当防衛に当たるとする所論は採用できない。  なお,所論は,原判決は,被告人の保護者に対する呼びかけについて,その表現内容自体を問題視していると論難するが,原判決は,表現内容にとどまらず,表現の外的事情,すなわち,卒業式開式直前に,子供の卒業式の開式を待つ保護者に対し,体育館という屋内施設で近い距離から大声で呼びかけたという,時期,相手方,方法,態様なども総合考慮していることは明らかであって,所論は前提を誤るものである。 (3)被告人の保護者への呼びかけ及びdらへの抗議について,これが刑法35条の正当行為あるいは刑法36条の正当防衛に該当すると認めなかった原判決に誤りはない(なお,弁護人は,当審弁論において,被告人の上記行為は,目的の正当性,手段の相当性,法益の均衡,補充性のいずれをも充足しているから,一般的正当行為として超法規的に違法性が阻却されるというべきであり,原判決はこれを認めなかった点でも誤りを犯しているとの主張を追加してなしているが,上記(2)アで述べたのと同じ理由で違法性阻却の要件としての「手段の相当性」を欠くことが明らかであるから,この主張も到底採用できない。)。 3 憲法21条違反の主張について (1)論旨は,要するに,「最高裁判所は,最高裁昭和45年6月17日判決(刑集24巻6号280頁)において,表現行為につき『その手段が他人の財産権,管理権を不当に害する』場合には犯罪が成立し得ることを明らかにしているところ,表現の自由の優越的地位にかんがみれば,被告人の呼びかけ行為が『他人の財産権,管理権を不当に害する』として刑罰法規の適用が憲法上許容されるのは,〔1〕呼びかけ行為が卒業式の円滑な運営を阻害する行為を扇動する意図であったこと,〔2〕呼びかけの内容が差し迫った卒業式の円滑な運営を阻害する行為を生じる蓋然性があったこと,〔3〕表現内容が客観的に卒業式の円滑な運営を阻害する行為を助長するものであったことの3点を満たす場合に限られるというべきである。しかるに,被告人が保護者に呼びかけた表現内容は、10.23通達による教職員への国歌斉唱時の起立・斉唱強制政策の内容説明及び『ご理解願って,国歌斉唱のときは,出来たらご着席をお願いします』との控えめな不起立の呼びかけであって,その対象はあくまでも保護者に限定されているところ,校長が保護者に対し,国歌斉唱時に起立・斉唱を強制する法的根拠はないのであって,仮に保護者が国歌斉唱時に着席しても何ら違法ではないから被告人の呼びかけは違法行為の扇動・助長ではあり得ず,また,仮に呼びかけ内容が実現されたとしても卒業式の円滑な進行が妨害されることにはならないから呼びかけ内容に卒業式の円滑な運営を阻害する危険性が存在しないことも明らかである。結局,被告人の保護者に対する呼びかけ行為は,dらの『管理権を不当に害する』ものではないから,刑罰法規の適用を伴う制約は許されない。それにもかかわらず,被告人の保護者に対する呼びかけについて,その表現内容を理由として刑法234条を適用した原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある」というのである。 (2)そこで検討すると,憲法21条の保障する表現の自由が優越的地位を有することは所論指摘のとおりであるとしても,憲法21条は,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の財産権,管理権等の権利を不当に害することは許されないといわなければならない。そして,既に述べたように,b高校の校長であるdは,学校教育法51条で準用する28条3項,東京都立学校の管理運営に関する規則7条等(いずれも本件当時)が規定する職責に基づき,「国歌斉唱の際,生徒,教職員をはじめ,列席の来賓や保護者にも起立を求める」ことを含む本件実施要綱を作成するなどの準備を整えた上,本件当日,その定められた時程に従って,卒業式の業務に携わっていたのであって,dは,本件実施要綱に基づき本件卒業式を円滑に執り行う法律上の権利を有していたものである。そして,被告人は,本件卒業式開式の直前に,その会場で,前述したような動機目的の下に,卒業式の開式を待つ保護者に対して,明らかにその場の状況にそぐわない大声で呼びかけを行い,卒業式会場を喧噪状態に陥れたばかりか,d,cらに対して予期していなかった対応を余儀なくさせ,卒業式の円滑な進行を現に阻害したのであるから,被告人の保護者に対する呼びかけについて刑法234条を適用してこれを処罰しても,憲法21条に違反するものではないというべきである。  なお,所論は,原判決は,被告人の保護者に対する呼びかけについて,その表現内容を理由として刑事罰を科していると論難するが,原判決は,表現内容にとどまらず,表現の外的事情をも総合考慮していることは既に述べたとおりであって,所論は前提を誤るものである。 (3)被告人の保護者に対する呼びかけについて刑法234条を適用した原判決に,誤りはない。 第3 刑訴法378条2号違反の主張について 1 論旨は,要するに,原審は,原審弁護人が公訴権濫用論に基づいて公訴棄却の主張をしたのに,本件公訴を棄却しなかったが,本件捜査及び公訴提起については,本件卒業式での大多数の生徒不起立という衝撃を最小限に抑えるとともに,国旗国歌強制政策の推進者で本件卒業式に参列していたj都議の失われた政治的威信を回復すべく,社会的には何ら問題に値しない被告人の些細な行動を事後的に取上げ,被告人に刑事処罰を加えて国旗国歌強制に反対する勢力に打撃を与えるという政治的動機に基づき,都教委やj都議の「日の丸君が代強制」という特定の政治目的を十分理解した捜査機関が,これに反対する被告人の行動を弾圧するために,本来捜査の必要性が欠けている本件について,嫌がらせ及び見せしめとしての捜査を敢行し,不法に公訴を提起したという実態が存することが明らかであるから,本件公訴提起は無効というほかなく,したがって,本件公訴を棄却しなかった原審は,公訴を不法に受理するという誤りを犯したものである,というのである。 2 そこで検討すると,原判決が正当に指摘するとおり,被告人の本件行為が威力業務妨害罪に該当することは,これまで検討してきたとおり明白であり,また,その犯情にかんがみると,本件公訴提起が,公訴権の濫用と評価し得るような極限的な場合に当たらないことも,極めて明白である。また,所論にかんがみ検討してみても,本件捜査・公訴提起の過程において,所論の指摘するような違法があると認めることはできない。原審が本件公訴を棄却しなかったことに誤りは存しない。 3 この点に関する論旨も理由がない。 第4 結論  よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,当審における訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととして,主文のとおり判決する。 平成20年5月29日 東京高等裁判所第10刑事部 裁判長裁判官 須田賢 裁判官 秋吉淳一郎 裁判官 横山泰造