◆ H21.03.26 大阪地裁判決 平成19年(行ウ)第171号 大阪府立東豊中高校国歌斉唱時不規則発言事件(懲戒処分取消請求事件) 原告 □□□□ 被告 大阪府 同代表者兼処分行政庁 大阪府教育委員会 同委員会代表者委員長 生野照子     主   文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。     事実及び理由 第1 請求  大阪府教育委員会が原告に対してした平成14年5月16日付け戒告処分を取り消す。 第2 事案の概要等 1 事案の概要  本件は,大阪府立東豊中高等学校(以下「東豊中高校」という。)の教諭として勤務していた原告が,同校の平成13年度の卒業式(以下「本件卒業式」という。)において,国歌斉唱の際に行った言動について,大阪府教育委員会(以下「府教委」という。)から,地方公務員法33条の信用失墜行為に当たる等として,懲戒処分である戒告処分(以下「本件処分」という。)受けたため,被告に対し,その取消しを求める事案である。 2 前提事実(ただし,文章の末尾に証拠等を掲げた部分は証拠等によって認定した事実,その余は当事者間に争いがない。) (1) 当事者等 ア 原告は,昭和61年4月,大阪府立公立学校教員として採用され,平成4年4月1日から平成15年3月31日まで,東豊中高校の教諭として勤務してきたところ,平成13年度(同年4月1日から平成14年3月31日までの期間)は3年2組の担任を務めていた。 イ 林校長は,本件卒業式の当時も含めた平成10年4月1日から平成14年3月31日まで東豊中高校の校長であった(乙72)。 ウ 被告は,原告に対する懲戒権限を有する行政機関である。 (2) 本件卒業式とその際の原告の言動  東豊中高校において平成14年2月22日,本件卒業式が行われた。原告は,3年2組の担任として同卒業式に出席し,「開会の辞」に引き続いて,司会である同校教頭が,国歌斉唱を始めるに当たり,「只今より国歌斉唱を行います。全員ご起立願います。」と発言したところ,その直後に,事前に校長の許可を得ることなく,式場中央寄りに歩み出て,「本校の職員会議で君が代は実施しないと決議されています。歌う歌わない,退出するしないは,皆さんの良心に従って判断して下さい。」という趣旨の発言を行った(以下,原告の以上の行為を「本件行為」といい,その中の発言内容を「本件発言」という。)。 (3) 本件処分に関する経緯 ア 府教委は,原告に対し,平成14年4月3日,本件行為等について,事情聴取を行った(乙82)。 イ 府教委は,原告の本件行為が教育公務員としてその職の信用を著しく失墜させるものであり,他方,地方公務員法33条に違反し,同法29条1項1号に該当すると判断し,大阪府教育委員会会議の決議を経て,原告に対し,同年5月16日付けで同項の規定に基づいて戒告処分(本件処分)を行った(甲1,3)。  なお原告に交付された本件処分にかかる同日付けの処分説明書(甲2)には,同処分の理由として,以下の内容が記載されている。 「あなたが勤務する府立東豊中高校において,平成14年2月22日(金曜日)に平成13年度卒業式が行われ,あなたは,3年生の担任として式に出席していた。  同卒業式において,「開会の辞」に引き続いて,教頭が『ただ今より国歌斉唱を行います。全員ご起立願います。』と発言したところ,あなたは,事前に校長の許可を得ることなく,式場中央寄りに進み出て,『本校の職員会議で君が代は実施しないと決議されております。歌う歌わない,退出する,しないは,皆さんの良心に従って判断してください。』という趣旨の発言をした。  同卒業式におけるあなたの発言は,国旗を掲揚し,国歌を斉唱するという学校の方針と異なる職員会議の決議内容を発表することにより,学校の方針に反対する意思を表明したものと言わざるを得ず,また,学校の方針に基づいて式を遂行することを妨げる発言である。  あなたは,平成12年9月20日に府教委教育長から平成12年度入学式のあなたの不適切な発言について,今後かかる行為を行わないよう厳重に注意していたにもかかわらず,今回も不適切な発言を繰り返したものである。  このようなあなたの発言は,生徒や保護者をはじめ府民の学校教育及び教育公務員への信用を著しく失墜させるものであり,地方公務員法33条に違反するものである。  よって,同法29条1項1号に該当するものとして,戒告する。」 ウ 原告は,本件処分を不服として,平成14年7月11日付けで大阪府人事委員会(以下「府人事委員会」という。)に不服申立てをしたが,同委員会は,平成19年3月26日,本件処分を承認する旨の裁決をした(甲3)。 工 原告は,平成19年9月25日,当裁判所に本件訴えを提起した。 (4) 本件に関連する法令等の規定 ア 国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号,平成11年8月13日制定・施行) (ア) 国歌は,君が代とする。(2条1項) (イ) 君が代の歌詞及び楽曲は,別記第二のとおりとする。(同条2項) (別記第二は省略) イ(ア) 学校教育法(平成19年6月27日法律第96号による改正前のもの。以下,同法をいう場合は特に断らない限り,同改正前のものをいう。) @ 高等学校は,中学校における教育の基礎の上に,心身の発達に応じて,高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。(41条) A 高等学校における教育については,前条の目的を実現するために,次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。(42条前文)  a 中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて,国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと(同条1号)  b 社会において果たさなければならない使命の自覚に基き,個性に応じて将来の進路を決定させ,一般的な教養を高め,専門的な技能に習熟させること(同条2号)  c 社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い,個性の確立に努めること(同条3号) B 高等学校の学科及び教科に関する事項は,前二条の規定に従い,文部科学大臣がこれを定める。(43条) Ca 小学校には,校長,教頭,教諭,養護教諭及び事務職員を置かなければならない。(28条1項本文)  b 校長は,校務をつかさどり,所属職員を監督する。(同条3項) D ・・28条3項・・の規定は,高等学校に,これを準用する。(51条) (イ) 学校教育法施行規則(平成19年12月25日文部科学省令第40号による改正前のもの。以下,同規則をいう場合は特に断らない限り,同改正前のものをいう。) @ 同法43条の規定を受けて以下の定めがある。  高等学校の教育課程については,この章(第4章 高等学校)に定めるもののほか,教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする。(57条の2) A 上記 (ア)のCDに関連した規定として以下の定めがある。  a 小学校には,設置者の定めるところにより,校長の職務の円滑な執行に資するため,職員会議を置くことができる。(23条の2第1項)  b 職員会議は,校長が主宰する。(同条の2第2項)  c ・・23条の2・・の規定は,高等学校に,これを準用する。(65条) ウ 学校教育法43条,同法施行規則57条の2に基づいて定められた高等学校学習指導要領(平成11年文部省告示第58条)  第4章(特別活動)の第3(指導計画の作成と内容の取扱い)において,以下のとおり定める(以下,単に「国旗・国歌条項」という。)。なお,同定めは従前の定めと同様であった。  入学式や卒業式等においては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。 エ 教育基本法(ただし,平成18年12月22日法律120号による全部改正前のもの。以下,同法をいう場合は,特に断らない限り,同全部改正前のものをいう。) (ア) 教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきである。(10条1項) (イ) 教育行政は,この自覚のもとに,教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。(同条2項) 3 争点  本件処分は,懲戒事由が認められるか,懲戒事由が認められたとしても裁量権の逸脱又は濫用に当たるか。 4 争点に関する当事者の主張 (被告) (1) 本件処分は,以下のとおり地公法29条1項1号に該当する懲戒事由があり,裁量権の逸脱又は濫用がなく適法である。 ア 本件処分に至る経緯 (ア) 原告は,平成13年度,東豊中高校の教諭として勤務し,3年生の担任を務めていたところ,本件卒業式において,事前に校長の許可を得ることなく本件行為(前提事実(2))を行った。 (イ) 府教委は,原告に対し,平成14年4月3日,大阪府庁において,事情聴取を行い,弁明の機会及び意見を述べる機会を与えた。その際,原告は,本件行為について,反省の意思を表明することがなかった。  府教委は,上記事情聴取の内容や東豊中高校の林校長の報告等の資料を検討した上で,本件処分の対象事由となった本件行為に関する事実を認定した。 (ウ) ところで,原告は,平成12年度の入学式においても,本件行為における発言と同様の発言をして,平成12年9月30日,同校の林校長から厳重注意を受けていた。 (エ) 府教委は,原告の本件行為が,教育公務員としてその職の信用を著しく失墜させるものであり,地方公務員法33条に違反し,同条29号1項1号の規定に該当すると判断し,府教育委員会会議の決議を経て,原告に対し,平成14年5月16日付けで戒告処分(本件処分)をした。 イ 本件処分の適法性について (ア) 本件行為当時,適用されていた高等学校学習指導要領は,法規としての性質を有する(参照・最高裁判所昭和51年5月21日大法廷判決)ところ,それには入学式,卒業式等において,国旗の掲揚及び国歌の斉唱をするように指導する旨定めていた(前提事実(4)ウ)。  林校長は,同定めに基づいて本件卒業式において,式次第に国歌斉唱を記載し,これを実施することを決定し,実施した。  原告は,同校の教諭として,国歌斉唱の実施について,林校長の同実施方針に従い,その実施に当たり,同校教頭が開会の辞に続いて「只今より国歌斉唱を行います。全員ご起立願います。」と発言した際,卒業式の進行を妨げる行為を厳に慎むべき職務上の義務を負っていたにもかかわらず,本件行為をして,この職務上の義務に違反した。また,原告は,上記ア (ウ)のとおり本件行為と同種行為によって厳重注意を受けている。  府教委は,以上のような諸事情を総合的に考慮して,原告の本件行為について,懲戒処分を行うことが相当であると判断し,かつ処分として戒告を選択した上で,本件処分を行った。 (イ) 本件処分は,その裁量権の行使が社会通念上著しく妥当を欠き,これを濫用したとは認められず,適法というべきである。 (2) 原告の主張に対する反論等 ア 正当防衛行為の主張について (ア) 本件卒業式における国歌斉唱は,林校長が上記(1)イ (ア)で記載したとおり当時適用されていた高等学校学習指導要領の規定に基づいて決定し,実施したものであって,正当な学校教育活動である。したがって,同国歌斉唱は生徒の思想良心の自由を侵害するものではない。 (イ) ところで,現行の学校教育法51条1号は,高等学校における教育の目標として,義務教育として行われる普通教育の成果をさらに発展拡充させて,豊かな人間性,創造性及び健やかな身体を養い,国家及び社会の形成者として必要な資質を養うことを定め,同法21条3号は,義務教育として行われる普通教育の目標として,我が国の郷土の現状と歴史について,正しい理解に導き,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに,進んで外国の文化の理解を通じて,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うことを定めている。そして,同法52条,学校教育法施行規則57条2に基づき,定められた高等学校学習指導要領は,第4章(特別活動)の第3(指導計画の作成と内容の取扱い)において,「入学式や卒業式等においては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定する。  学校における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導は,以上の各規定からも明らかなように児童生徒にわが国の国旗と国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てるとともに,諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるために行われるものであって,児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものではなく,あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味している。入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱は,その一環として行われるものである。 (ウ) 以上によれば,本件卒業式において国歌斉唱を実施することは,生徒の思想良心の自由を侵害することはなく,不当な侵害行為に当たらない。  したがって,原告の本件行為が正当防衛行為である旨の主張は理由がない。 (エ)@ 学校教育法28条3項,51条は,高等学校の校長が,校務をつかさどり,所属職員を監督することができる旨定め,学校教育法施行規則23条の2,65条は,高等学校には,設置者の定めるところにより,校長の職務の円滑な執行に資するため,職員会議が置くことができること,職員会議は校長が主宰すると定める。このように,職員会議は,校長の補助を目的とする機関であり,校長の決定を拘束したり,職員会議の多数の議決により校長の決定を覆すようなことは許されない。  ところで,林校長は,職員会議において,本件卒業式において国歌斉唱を実施するかについて,議論を経た上で,国歌斉唱を実施することを決定し,そのことを事前に職員に表明していた。したがって,職員会議において原告が主張するように,仮に同校長の決定に反するような決議が多数決でされていたとしても,同決議は,学校教育法37条4項,62条,学校教育法施行規則23条の2,65条の趣旨に反するものであって,法的には何らの意味もないというべきである。そうすると,原告が主張する同職員会議の決議があったとしても,それによって原告の本件行為の非違行為性は何ら影響を受けるものではない。 A 本件卒業式において,教頭が国歌斉唱の号令をかけた後,テープ演奏が開始されるまで,20秒間とられていたところ,この20秒間は,全員が起立するのを待って,テープ演奏の準備に要する時間をとるための時間である。仮に同20秒間が原告が主張するように国歌斉唱を忌避する者が退出するための時間を保障するためにとられていたものとしても,原告が同時間の際に行った本件行為は本件卒業式の進行を妨げるものであって,信用を失墜させたものであった。仮に同時間の趣旨が原告主張のような趣旨であったとしても,このことによって原告の本件行為の非違行為性は何ら影響を受けるものではない。 B 林校長の平成12年度の卒業式の際の「式に先だって国歌斉唱を行いますが,この場に止まることを強制するものではありません。」との発言は,同校長が高等学校学習指導要領の上記規定に基づいて定めた指導方針に則り,卒業式の主宰者としての立場,権限に基づいて規則的に行ったものである。しかし,原告の本件行為は,同学習指導要領に基づいて同校長が定めた指導方針に反して,何ら発言等の許可も与えられていないにもかかわらず,式次第を無視するものであって,式次第を妨害するものであった。したがって,林校長の同発言をもって,原告の本件行為の非違行為性は何ら影響を受けるものではない イ 正当業務行為の主張について  本件卒業式において,教頭が「国歌斉唱を行います。全員ご起立願います。」と発言したこと及び国歌斉唱の実施は,上記アで記載したとおり生徒の思想良心の自由を侵害するものではない。本件行為は,高等学校学習指導要領の規定に基づき林校長が定めた指導方針に反して,原告の思想信条に関する独自の価値観に基づき,生徒らのみならず,卒業式に出席していた保護者,来賓等が在席する場において行われたものであって,生徒に対する権利を擁護し,その安全を配慮する義務の履行として行ったものと解することはできない。  したがって,原告の本件行為が正当な業務行為である旨の主張は理由がない。 ウ 教育基本法10条1項でいう不当な支配の主張について  地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)23条は,教育委員会が管理,執行する教育に関する事務として,学校その他の教育機関の管理(同条1号),教育委員会及び学校その他の教育機関の職員のその他人事に関すること(同条3号),学校の組織編成,教育課程,学習指導,生徒指導及び職業指導に関すること(同条5号)等を定めているところ,府教委は,地教行法の同各規定に基づいて高等学校学習指導要領に規定された入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について,府立学校長らに対して指導を行う権限を有している。  府教委が,地教行法に基づいて正当な権限の行使として,府立学校長らに対し,法規としての性質を有する高等学校学習指導要領に規定された入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に関して,必要な指導をすることは,憲法に適合する有効な他の法律が命じるところをそのまま執行する教育行政機関の行為であって,教育基本法にいう「不当な支配」に当たらない。  したがって,府教委による本件卒業式での国歌斉唱実施に対する校長への指導が教育基本法10条1項でいう「不当な支配」に当たる旨の原告の主張は理由がない。 エ 本件卒業式の進行を妨げていない等の主張について  入学式,卒業式等は,学校生活に有意義な変化や折り目をつけ,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活への動機付けを行い,学校,社会,国歌への所属感を深める上でよい機会とされているところ,原告の本件行為により,このような雰囲気が妨げられ,生徒らに対して好ましくない影響を与えることになり,また,式の遂行が妨げられた。  したがって,原告の本件行為によって本件卒業式の進行を妨げていない旨の主張は理由がない。 (原告)  本件処分は,本件行為が以下のとおり服務違反や非行や非違行為に該当せず,何ら違法でなく,地公法29条1項1号ないし3号に該当しないにもかかわらず,恣意的に懲戒権行使として行われたものであって,裁量権の逸脱又は濫用に当たり,違法である。 (1) 正当防衛行為 ア 国旗・国歌が国家の政治的シンボルであり,個々人がこれらに対してどのような行動,態度を取るかは当該個人の政治的信条及びアイデンティティに係わるすぐれて思想良心の問題であって,したがって,国旗に敬礼したり,国歌を斉唱することは,国家への帰属意識を直戴に表明する積極的な行為であって,特に国歌はその歌詞が国民統合の中心的価値は何かという政治的イデオロギーが言語化されているうえ,国歌である「君が代」が果たした役割等を踏まえると,それの斉唱を求めること,しかも,本件のような学校行事である卒業式等,公的行事の中でそれを求めること(斉唱の実施)は思想信条の自由に対する侵害行為となる危険性が高い。  東豊中高校のような高等学校の卒業式において国歌斉唱が正当化されるためには,少なくとも同斉唱前に生徒に対して自分の意思で歌う歌わないの選択をする自由がある旨の告知等,自由意思に基づくことが保障されなければならない。 イ ところで,本件卒業式の企画立案等するため3年生の生徒によって構成されていた卒業行事委員会は,同卒業式に先立って全体会議の中で卒業式で「国歌斉唱」を実施しないよう求めるアピールを採択し,学年集会で賛同署名を呼びかけることを決議したり,3年生の過半数の署名を集めて林校長に持っていき,国歌斉唱をしないよう話し合いをした。  このよう状況下で林校長は,本件卒業式において,国歌斉唱を行うことを決め,それに従って東豊中高校の教頭が同卒業式の際,「ただ今より国歌斉唱を行います。全員ご起立願います。」と発言して国歌斉唱について号令をかけた。 ウ 同号令は,生徒において,本件卒業式において自らの思想信条と関わりなく起立して国歌を斉唱しなければならないと誤解し,又はこのような誤解がなくても卒業式という周囲への同調を暗黙のうちに求められ,極めて強い精神的な拘束を受ける場において,生徒が自らの思想信条に従った行動を現実に取ることを困難にするもので,生徒に対して自らの思想信条と関わりなく起立して国歌を斉唱することを実質的に強制するものであり,生徒の思想良心の自由を不当に侵害するものである。そこで,原告は,生徒の人権を守るため,正当防衛行為としてやむなく本件行為を行ったものである。 エ 本件行為が正当防衛行為として相当な行為であったことは以下の事情から明らかである。 (ア) 東豊中高校の職員会議において,平成13年12月20日,本件卒業式の式次第について,平成13年度に3年生を担任していた教諭ら(以下「3年担任団」という。)が提出した国歌斉唱の記載のないものとする旨可決され,平成14年2月13日,同内容のものが賛成多数で可決された。原告の本件発言は職員会議の各決議に沿うものであった。 (イ) 林校長は,平成12年2月の平成11年度の卒業式において,国歌斉唱に当たり,「式に先だって国歌斉唱を行いますが,この場に止まることを強制するものではありません。」と断っていた。原告の本件発言は,校長の同発言と同趣旨のものであった。 (ウ) 本件行為は,本件卒業式の進行を妨げるものではなかった。そのことは以下の事情から明らかである。  本件行為は,本件卒業式において採られていた20秒ルール(国歌斉唱を忌避する者の退出を保障するため,同校教頭が国歌斉唱の号令をかけた後,テープ演奏が開始されるまで20秒間をとること)の間に行われた。 (2) 正当業務行為 ア 原告が,学校教員として生徒の身体,権利を擁護し,その安全に配慮する義務を負っている。 イ 原告は,教頭の上記国歌斉唱に係る号令が行われた際,生徒において自らの思想信条に従った行動をとることをできるようにして,同義務を履行するため,本件行為を行ったものであって,その発言の内容及び態様において,正当な業務行為であった。 ウ 原告の本件行為が正当な業務行為として相当な行為であったことは上記(1)エ記載のとおりである (3) 教育基本法10条の「不当な支配」について ア 府教委は,原告の本件行為当時の高等学校学習指導要領が大綱的基準に過ぎず,法的拘束力が認められなかったため,校長らに対して国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に関して指導を行う権限を有していなかった。 イ しかし,府教委は,国旗及び国歌に関する法律の制定後,教育職員に対する国旗掲揚,国歌斉唱に関する指導方針を大きく転換し,府立高等学校の校長に対し,高等学校学習指導要領に基づき,高等学校の入学式,卒業式において,国歌斉唱の実施について強制ともいうべき内容で指導するようになったが,同指導は,教育に対する「不当な支配」(教育基本法10条1項)に当たる。同指導に基づいた林校長の原告に対する国歌斉唱に係る方針(職務命令)は違法無効である。 (4) 本件行為は,本件卒業式の進行を妨げるものではなく,原告が行う教育公務員としての職に対する府民の信頼を失墜するものではない。  なお,同進行を妨げるものでなかったことは,本件行為が本件卒業式において採られていた20秒ルール (前記(1)エ (ウ))の間に行われたことからも明らかである。 第3 当裁判所の判断 1 認定事実  前提事実,証拠(乙36,37,44,45の@ないしB,46の@A,47,49ないし52,54の@A,56,57の@A,60の@ないしB,68,72ないし80,82,原告)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 (1) 東豊中高校の入学式及び卒業式における国歌斉唱に関する従前の状況 ア 東豊中高校の入学式又は卒業式において,国歌斉唱は,平成11年4月に行われた平成11年度入学式まで,式場内で行われることはなかった(乙77)。 イ 平成12年2月に行われた平成11年度卒業式において,国歌斉唱は,卒業式が始まる前に同式場内で行われた。  林校長は,この国歌斉唱に当たり,参列者に対して「この場にとどまることを強制するものではない。」旨を説明し,国歌斉唱を一人で行った。その際,原告は,突然「校長,やめなさい。これは学校としてやっているものではありません。私は退席します」等と発言した。(乙56,74,79) ウ 平成12年4月に行われた平成12年度の入学式,平成13年2月に行われた平成12年度の卒業式,平成13年4月に行われた平成13年度の入学式において,いずれも式次第に国歌斉唱が記載され,それぞれの式の中で国歌斉唱が行われた(乙72,79,80)。 エ(ア) 原告は,平成12年度入学式において,入学式の中で行われた国歌斉唱に当たり,突然,「これは学校として行っているものではありません。立つ立たない,歌う歌わないは,皆さんの良心に従って行動して下さい。」等と発言した後,式場から退出した。  府教委教育長は,原告に対し,同年9月20日,入学式での同発言に対して口頭で厳重注意をした。(乙79,原告) (イ) 原告は,平成12年度の卒業式,平成13年度の入学式において,各式の中で国歌斉唱が行われた際,黙って席を立って各式場からそれぞれ退出した(乙80,原告)。 (2) 平成13年度の卒業式(本件卒業式)に至るまでの経緯 ア 3年担任団は,本件卒業式の企画,立案,進行を担当していたところ,本件卒業式の実施について,3年生生徒に主体的・自主的に取り込ませ,生徒自らが式次第等を定めるように指導する方針をとった。それを受けて3年生の生徒有志は,平成13年10月,本件卒業式等の準備を行うために,卒業行事委員会を結成した。  原告は,3年担任団における本件卒業式等の準備の主な担当者として,卒業行事委員会の顧問として本件卒業式の企画立案を含めた準備に積極的に関与し,生徒に対する指導,他の担任教諭に対する役割分担,本件卒業式に関する準備等に従事する役割を担っていた。 イ 卒業行事委員会は,平成13年10月,3年生全員に対して本件卒業式の式次第や方式についてのアンケートをとり,同アンケート結果を踏まえて同委員会がとりまとめた内容案についてクラス討議等を行ってもらい,同年11月,式次第の中に国歌斉唱を含まない同卒業式の概要を定めた。(上記ア,イにつき,乙45の@ないしB,75,78,原告) ウ 3年担任団は,卒業行事委員会が計画した卒業式の概要に基づき,同月ころ,本件卒業式の式次第案(式次第の中に国歌斉唱が含まれていないもの)を定め,同年12月20日開かれた職員会議に,同式次第案を提出したところ,同式次第案が賛成多数で可決された。ところで,林校長は,同職員会議の中で教職員に対し,学校の方針として高等学校学習指導要領等に基づいて本件卒業式で国歌斉唱を行う旨を伝え,教職員に対して同式次第の中に国歌斉唱を記載するよう指示した。林校長は,職員会議での同可決後も,教職員に対し,本件卒業式で国歌斉唱を行う旨を機会ある毎に伝えた。(乙46の@,72,82,原告) エ 3年担任団は,平成14年1月17日,3年生に上記職員会議での状況(同会議での議論の状況とともに林校長が本件卒業式において国歌斉唱を行う方針であること等)とともに林校長が国歌斉唱にこだわっていることを説明するため,ロングホームルームの時間に3年学年主任を通じて一斉放送の形式で説明をした。さらに,林校長に対し,同月21日付けの「申し入れ書」で,本件卒業式について,3年担任団が作成し,職員会議で決定した形式(式次第等)で実施すること,生徒(特に「在日」の生徒)の良心の自由等に配慮すること等を申し入れた。これに対し,林校長は,重ねて高等学校学習指導要領に基づいて本件卒業式において国歌斉唱を実施する意向を伝えた。(乙46のA,51,72,弁論の全趣旨) オ 同月24日,職員会議において,職員は,同和教育推進委員会が企画,提案した教職員同和研修の実施を提案した。同研修は,国歌斉唱に対する批判的検討を含むものであった。林校長は,同研修を実施することが高等学校指導要領の内容に反する等として反対したが,職員は,管理職の介入を許さない等として,同研修の実施について賛成多数で可決した。  林校長は,同職員会議において,職員に対し,本件卒業式において国歌斉唱を行う意向を伝えた。(乙47,74) 力 卒業行事委員会の生徒は,上記エの3年学年主任の放送等を聞き,林校長に「本件卒業式の式次第に国歌斉唱を入れないように」との再考を促すため,3年生全員に対して卒業式の式次第等に関する「卒業行事委員会から国旗・国歌について」(乙50)と題する要望書の署名を集めることとし,その署名の結果(3年生の生徒の過半数)を踏まえて,平成14年2月上旬,同月15日,その後もう一度,林校長に再考を申し入れたところ,林校長は,いずれの機会にも高等学校学習指導要領に基づいて本件卒業式において国歌斉唱を実施する意向を話した。なお,同話し合いの場には林校長の同方針に強く反対する3年学年主任と卒業行事委員会の顧問の原告が立会ったことがあった。  ところで,同要望書のへの署名の説明は3年学年主任や原告ら3年担任団らの教員がいる学年集会の場で卒業行事委員会の生徒から説明されたところ,同要望書には「卒業式で国歌斉唱をすることを卒業行事委員会としては反対します。」「私達は林校長先生に,私達の卒業式において,国歌斉唱を式次第から省くことをお願いします。」等と記載されていた。また,同要望書の回収には原告ら林校長の上記意向に反対する3年担任団が関与している。(乙47,49,50,51,72,75,原告) キ 同年2月13日,職員会議において,3年担任団は,林校長に対し,本件卒業式の式次第を教職員の提案どおりにすることを求めた。林校長は,高等学校学習指導要領に基づいて本件卒業式の式次第に国歌斉唱を入れる意向を伝えたが,職員は,国歌斉唱に反対する提案を賛成多数で可決した。(乙52,72,74), (3) 本件卒業式の状況 ア 本件卒業式は,平成14年2月22日,職員,生徒,保護者ら関係者が参列した中,同校教頭の司会で行われた。  本件卒業式では林校長が出した方針通り国歌斉唱を実施することとされ,本件卒業式の参列者等に配布された式次第には,「開会の辞」の次に「国歌斉唱」が記載されていた。この式次第は,本件卒業式の数日前までに作成されていた。(乙68,原告) イ 司会の教頭は,本件卒業式において,開会の辞を終えた後,「国歌斉唱」を行うに当たり,「ただいまより国歌斉唱を行います。全員ご起立願います。」と発言した。この発言が終わった後,国歌斉唱のテープ伴奏が開始されるまでの間,それまでの入学式や卒業式の際と同様に国歌斉唱をしないで退出する者のための退出時間として20秒程度の時間を開けることが予定とされていた。(乙44,73,75,79,原告) ウ 原告は,本件卒業式において,3年生の担任として所定位置に着席していたが,教頭の上記国歌斉唱に係る発言が終わった直後,式場の中央寄りに歩み出て,「本校の職員会議で君が代は実施しないと決議されています。歌う歌わない,退出するしないは,皆さんの良心に従って判断して下さい。」旨,参列者に呼びかけるような態様で発言し(本件行為),その後直ちに式場から退出し国歌斉唱が終わった後,式場内に戻った。(乙79,82,原告) エ(ア) 原告の本件行為の後,参列者が起立して,国歌斉唱が実施された。  参列していた生徒又は保護者の中には,教頭が国歌斉唱を行う旨発言した後に式場から退出した者や,教頭の同発言後,起立せずに,国歌斉唱の間も着席している者がいた。  なお,卒業行事委員会の委員であった生徒は,予め,同国歌斉唱の際には退出することを決め,そのことを周りの者に言ったりしていたこともあった。 (イ) 本件卒業式の終わりころ,在校生の送辞,卒業生の答辞が終わった後,司会の「壁画制作委員会委員長からアピールがあります。」との発言を受けて,卒業行事委員会の壁画制作委員会代表であった3年生は,壁画制作担当者がピカソの「ゲルニカ」の絵を平和のシンボルとして作成した経緯について発言した。  これに続いて,本件卒業式の式次第には入っていなかったが,卒業行事委員会の委員であった3年生が,以下の趣旨の発言をすることがあった。 「ぼくたち東豊中高校には,日本国籍以外にも,外国籍をもった人たちがたくさんいます。ぼくたちは,この友だちを大切にするために,卒業式委員,国歌斉唱を取りやめてもらうために,3年で署名を集め,過半数が集まり,それを持って校長先生のところへ何回も行きました。しかし,認めてもらえませんでした。  ぼくたちの活動は,形として跡を残すことはできませんでした。でも,この活動が来年,再来年の東豊中に何らかの影響を与えることができたならば,この活動は意味のあったことだと思います。  こういう考えをもった高校生がいるということを,教育委員会の皆さん,保護者の皆さん,理解してもらいたいです。」 (以上につき,乙56,57の@A,75) (4) 本件処分に至る経緯 ア 府教委は,原告に対し,平成14年4月3日,本件行為等に関して事情聴取を行った(乙82)。  原告は,同事情聴取において,以下の内容を述べた。 (ア) 本件発言をした理由は,以下の三点である。 「@平成12年度の卒業式以降,国歌斉唱の前に退出する時間を保障するため,20秒間を入れることになっていたが,管理職から間が持たないと言われ,間をもたすために何らかの発言があってもいいと思ったからである。A本件卒業式の進行係は自分が一切やっていて,林校長は進行内容について一切承知していない,知ろうと思えば知れたはずだが,林校長は式次第に「国歌斉唱を入れる」ということを理由をいわずに言っただけだった。B職員会議で決議されたのは事実であり,自分は事実を言っただけである。」 (イ) 本件発言につき林校長が事前に了承していなかったことについて,以下のとおり述べた。 「卒業式における行事の細部については,従前から個別に校長の承諾をとってやるものではなく,事実,林校長は,自分の分担するところ以外については,進行の細部に何ら関与しないことが通常であった。林校長には,こちらの指示に従ってやってもらっている。」 イ 府教委は,原告に対し,平成14年5月16日付けで,本件処分を行った(前提事実(3)イ)。 (5) 高等学校学習指導要領における規定の内容 (乙36,弁論の全趣旨) ア 文部大臣(現在の文部科学大臣)は,昭和35年,高等学校学習指導要領を定めたところ,その「第二節 学校行事等」「三 指導計画作成および指導上の留意事項(七)」の中で「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には,生徒に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに,国旗を掲揚し,君が代をせい唱させることが望ましい。」と定めていた。 イ 文部大臣は,平成元年,高等学校学習指導要領を改訂したところ,その「第三 指導計画の作成と内容の取扱い 三」の中で「入学式や卒業式においては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めており,この規定は,平成11年に改訂された前提事実(4)ウ記載の高等学校学習指導要領に引き継がれた。  ところで,同規定の趣旨は生徒の日本人としての自覚を養うことや国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくため,国旗や国歌を尊重する態度を育てようとするところにある。 (6) 府教委の指導 ア 府教委は,少なくとも林校長が東豊中高校の校長に在籍していた平成10年4月から平成14年3月までの当時,毎年1月初旬ころ,府下の府立高校の校長を集め,校長会を開き,そこで,卒業式における国旗の掲揚や国歌の斉唱について指導したりしている。 (乙37,72) イ 林校長は,東豊中高校に赴任した当初には,学校行事としての入学式や卒業式の際における国旗の掲揚や国歌の斉唱が遅々として実施されていなかったこともあって,府教委から個別に「きちんとするよう」等厳しく高等学校指導要領に基づいて実施するよう指導されたり,卒業式の直前に指導されたりしたことがあった。林校長は,府教委からの同指導等について,厳しく感じたことがあったものの同学習指導要領に従って実施をすべきものと考えていたこともあって当然のことと受け止めていた。 (乙37,72,弁論の全趣旨) (7) 卒業式等での国歌斉唱の実施状況等  平成12年当時,大阪府下の学校でも卒業式の際,国歌斉唱を実施するところが増加し,70%を超え,全国でも8割程度が実施している(乙60の@ないしB,弁論の全趣旨 )。 2 本件行為の懲戒事由該当性  前提事実及び上記1の認定事実を踏まえて,原告の本件行為が,地方公務員法33条で禁止された信用失墜行為に当たり,同法29条1項1号の懲戒事由である法令違反に該当するか,以下,検討することとする。 (1) 高等学校学習指導要領の性質について  国旗及び国歌に関する法律2条は,国歌は君が代にするとして,君が代の歌詞及び楽曲の内容について定めているところ,高等学校学習指導要領は,学校教育法43条及び学校教育法施行規則57条の2に基づいて,第4章(特別活動)の第3(指導計画の作成と内容の取扱い)の中で,高等学校の「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定める。  そこで,まず,同学習指導要領の中で国旗・国歌に係る条項を定めることの成否であるが,生徒の日本人としての自覚を養うことや国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくため,国旗や国歌を尊重する態度を育てようとする国旗・国歌条項の趣旨を踏まえると,高等学校の教育の中で国旗・国歌について全国的に一定の規定に基づいて対処することには合理性があり,また,教育の機会均等,全国的な一定の教育水準の確保という趣旨からしても,文部(科学)大臣が同学習指導要領の中でそのような定めをする必要性があり,合理性もあるというべきである。そこで,国旗・国歌条項であるが,同条項は,上記前提事実(4)ウで記載したとおり国歌斉唱に関する指導の内容及び方法について具体的な定めまでは定めず,国歌斉唱を実施する各校の実情等にあわせた指導をする余地を残している。以上の事情を踏まえると,同条項は,高等学校教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的な大綱的基準として,法規としての性格を有していると解するのが相当である(参照・最高裁判所昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,同平成2年1月18日第1小法廷判決・裁判集民事159号1頁 )。 (2) 国歌斉唱と思想良心の自由との関係等 ア 原告は,国旗・国歌が国家の政治的シンボルであり,個々人がこれらに対してどのような行動,態度を取るかは当該個人の政治的信条及びアイデンティティに係わるすぐれて思想良心の問題であって,したがって,国旗に敬礼したり,国歌を斉唱することは,国家への帰属意識を直戴に表明する積極的な行為であって,特に国歌はその歌詞が国民統合の中心的価値は何かという政治的イデオロギーが言語化されていること,国歌である「君が代」が果たした役割等を踏まえると,それの斉唱を求めること,しかも,本件のような卒業式等,公的行事の中でそれを求めることは不当な思想良心の自由に対する侵害となる旨主張する。  確かに,原告が主張するとおり生徒を含めて国歌たる「君が代」に対して個々人らの有する感情,信念,信条は,それぞれの経験や我が国の過去に対する歴史観や平和に対する意識等,様々なことを踏まえて形成されたものである。このような人の感情,信念,信条(思想や良心)は外部行為と密接な関係を有しているところ,このような精神的活動の核心的部分を否定するような外部的活動を強制したり,少なくとも,思想や良心の自由に対する事実上の影響を最小限に留めるような配慮を欠き,必要性や合理性がないのに,思想や良心の自由と牴触するような行為を強制するときは憲法19条違反となる余地があるが,これらに該当しない場合には,仮に外部行為が要請されたとしても同条違反になることはないと解するのが相当である。 イ そこで,本件であるが,@本件卒業式当時,大阪府立の高等学校を含めて大阪府下の学校でも国歌としての「君が代」を斉唱することがかなりの学校で行われていた上,A全国の公立の高等学校でも卒業式において,国歌斉唱が広く実施されていたところ,以上のような事実からすると,卒業式に国歌斉唱をすることは卒業式の出席者にとって通常想定されていたことといえ,国歌斉唱をもって,これを行う教職員や生徒が特定の思想を有することを外部に表明するものであるとまでいうことはできない。特に,本件卒業式のような校長の高等学校学習指導要領に基づいた国歌斉唱の指示の場合には,より一層,国歌斉唱をもって特定の思想信条を有することを外部に表明するものとまでいうことはできない。  ところで,林校長による本件卒業式の中での国歌斉唱の方針・指示ないしそれに沿うような行動を求める内容は,職務命令とも言うべきものであるところ,それは教職員に対しては国歌斉唱ないしそれに沿うような行動を命じるものであるが,上記説示したとおりそれをもって特定の思想や良心の有無や内容についてその表明を強制したり,強要したりするものではなく,また,生徒に対しても一方的に思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない(参照・最高裁判所平成19年2月27日第三小法廷判決民集61巻1号291頁 )。 ウ さらに,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかんがみ,地方公務員法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し,同法32条は,上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務命令に忠実に従わなければならない旨規定しているところ,原告は,東豊中高校の教諭であって,上記国旗及び国歌に関する法律や国旗・国歌条項を含めた法令等や校長からの職務命令には従わなければならない立場にあり,林校長から同校の学校行事としての本件卒業式に関して上記のような性質を持つ高等学校学習指導要領に従って国歌斉唱を行う旨指示を受けていた。そして,本件卒業式のような学校行事においては「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」(小学校学習指導要領第4章第3の3)が要請され(乙36),国旗・国歌条項に従って国歌斉唱が指導されていることを踏まえると,林校長の本件卒業式において国歌を斉唱するとの指示は国旗・国歌条項を含む上記各法令の趣旨に照らしてその目的及び内容において不合理とは言えない。 エ そうすると,原告は,本件卒業式における国歌斉唱について,少なくとも林校長が定めた国歌斉唱の実施及びその方法によって国歌斉唱を円滑に遂行することを妨げないという職務上の責務を負っていたと認めるのが相当である。 (3) 本件行為の懲戒事由の成否 ア 林校長は,平成13年度の卒業式における国歌斉唱について,卒業式の式次第に含めて実施する方針を決め,同年度の職員会議において,教職員に対し,この方法により国歌斉唱を実施する旨を伝えていた。  しかし,原告は,上記1(3)ウで認定したとおり本件卒業式において,司会者である教頭が国歌斉唱を行うことを発言した後,突然,式場の中央寄りに歩み出て,参列者に向かって「本校の職員会議で君が代は実施しないと決議されています。歌う歌わない,退出するしないは,皆さんの良心に従って判断して下さい。」等と,参列者に呼びかける態様で発言した(本件行為)。  原告の本件行為は,本件卒業式において,生徒,保護者及び学校関係者が整然と参列する中で,卒業式としての意義を踏まえ,国歌斉唱をその意義を踏まえて厳粛な雰囲気の中で実施することを妨げるものと認められ,したがって,校長が定めた実施方法による国歌斉唱の円滑な遂行を妨げないという,地方公務員かつ教育職員としての職務上の責務に反するものというべきである。 イ 原告の本件行為は,上記のとおり職務上の責務に反する行為で,その職の信用を傷つけ,又は職員の職全体の不名誉となる行為として,地方公務員法33条で禁止する信用失墜行為に当たると認められ,同法29条1項1号の法令違反に当たるものというべきである。 3 懲戒事由該当性に関する原告の主張について (1) 本件行為が正当防衛行為であるとの主張について ア 原告は,本件卒業式において,生徒らから本件卒業式において国歌斉唱をしないよう求めた要望書等が提出されていたりしていたのに同卒業式の中で教頭が国歌斉唱について号令をかけたことは,生徒の思想良心の自由を不当に侵害するものであり,本件行為は,この生徒の人権を守るための正当防衛行為である旨主張する。 イ 確かに,上記1(2)で認定した本件卒業式に参列した生徒各自の出自や生活状況,君が代に関する歴史観,世界観又は信条等を踏まえると,本件卒業式に参列した生徒の中に,本件卒業式で国歌斉唱を実施することに反対し,国歌斉唱に参列しない(退席する),あるいは国歌斉唱の際に起立しないとの意向を有していた者がいた。  しかし,原告の本件行為が正当防衛行為というためには,その前提として本件卒業式における国歌斉唱がそれに参列した生徒との関係で違法行為とならなければならないところ,本件卒業式での国歌斉唱は上記2で認定説示したところからして違法行為とまで言うことはできない。また,本件卒業式における林校長の高等学校学習指導要領に基づいた国歌斉唱の方針,指示は,上記2(2)イで認定説示したとおり国歌斉唱をもって特定の思想信条を有することを外部に表明するものとまでいうことはできない。 ウ また,本件行為が上記2(3)アで認定したとおり本件卒業式において,生徒,保護者及び学校関係者が整然と参列する中で,卒業式としての意義を踏まえ,国歌斉唱をその意義を踏まえて厳粛な雰囲気の中で実施することを妨げるものあったことからすると,その相当性にも問題があったというべきである。 エ そうすると,原告の本件行為は,本件卒業式に参列した生徒の思想良心の自由を守るための正当防衛行為であったとは認められず,原告の上記アの主張は理由がない。 オ ところで,上記1で認定したとおり東豊中高校の多くの教職員が,平成13年度当時,本件卒業式における国歌斉唱の実施について,生徒の意向等も踏まえて,反対する意向を有していたこと,また,平成13年12月20日開かれた職員会議において,3年担任団から提出された国歌斉唱の記載のない式次第が承認され,平成14年2月13日の職員会議においても同内容について多数決で承認されていること,同卒業式の行事について検討を重ねてきた卒業行事委員会のメンバーも含めて生徒らの中にも卒業式での国歌斉唱に反対し,それに係る要望書の提出もあったところ,以上の事実を踏まえると,同卒業式における国歌斉唱の実施については,教職員及び生徒(特に3年生)との間で意向の調整が図られることが,本件卒業式を,円滑に実施し,かっ,より意義のあるものにするためにより望ましい側面があったとはいえる。しかし,上記1(2)で認定したとおり林校長は,本件卒業式における国歌斉唱の実施に反対する職員又は生徒との間で,国歌斉唱の実施に関して話し合いをする機会を重ねたが,なお双方の意向を調整することが困難な状況であって,林校長が同校校長としての職務上の責務に基づいて本件卒業式において国歌斉唱の実施を決め,実施したことについて,不当であり許されない違法な行為とまでいうことはできない。また,上記職員会議での承認であるが,学校教育法51条,28条3項によれば,林校長は,平成13年度当時,東豊中高校の校長として,その校務をつかさどる職務上の責務を担っていたところ,学校教育法施行規則65条,23条の2によれば,林校長は,その職務を円滑に遂行するために,職員会議を主宰する権限を有していたものと解される。  そして,上記2(2)で認定説示したとおり林校長が本件卒業式において国歌斉唱を実施すること及びその実施方法について定めること自体は,国歌斉唱に関する法令又は高等学校学習指導要領の規定に沿うものであって,違法又は不当なものとはいえない。  また,林校長が平成12年2月の平成11年度の卒業式において,国歌斉唱に当たり,「式に先だって国歌斉唱を行いますが,この場に止まることを強制するものではありません。」と断っていたことがあるが,同発言は,上記1(1)イで認定したとおり卒業式を開始する前に行う予定であった国歌斉唱の前に行われているのに対し,原告の本件行為は,国歌斉唱が,本件卒業式の式次第に含まれる形で,儀式としての厳粛な雰囲気の中で今まさに行われようとする直前の状況において,これを妨げる態様で行われたものであり,その性質及び態様で大きく相違しているものであって,林校長の同発言との比較からしても,原告の本件行為の違法性は解消されず,正当防衛行為の主張が認められるものではない。また,本件行為が本件卒業式において採られていた20秒ルール(国歌斉唱を忌避する者の退出を保障するため,同校教頭が国歌斉唱の号令をかけた後,テープ演奏が開始されるまで20秒間をとること)の間に行われたからといって,今まさに国歌斉唱が行われようとしていた際の行為であって,原告の本件行為の違法性は解消されず正当防衛行為の主張が認められるものではない。 (2) 本件行為が正当な業務行為であるとの主張について ア 原告は,原告が学校教員として生徒の権利を擁護し,その安全に配慮する義務を負っているところ,教頭の上記国歌斉唱に係る号令が行われた際,生徒において自らの思想信条に従った行動をとることをできるようにして,同義務を履行するため,本件行為を行ったものであって,その発言の内容及び態様において,正当な業務行為であった旨主張する。 イ しかし,上記2(3)ア,イで各認定説示したとおりの事情からして,原告の本件行為が正当業務行為として違法性が阻却されることはありえず,かえって,同行為は違法性を有していると言わなければならないし,また,国歌斉唱に関する法令及び高等学校学習指導要領の各規定に基づいて行われた本件卒業式の国歌斉唱によってそこに参列していた生徒の思想良心の自由を不当に侵害したものともいえない。  そうすると,原告の上記アの主張は理由がない。 (3) 教育基本法10条の「不当な支配」について ア 原告は,本件行為当時の高等学校学習指導要領が大綱的基準に過ぎず,法的拘束力が認められなかったため,府教委が校長らに対して国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に関して指導を行う権限を有していなかったのに,国旗及び国歌に関する法律の制定後,教育職員に対する国旗掲揚,国歌斉唱に関する指導方針を大きく転換して,林校長を含む府立高等学校の校長に対し,高等学校学習指導要領に基づき,高等学校の入学式,卒業式において,国歌斉唱の実施について強制ともいうべき内容で指導するようになったが,同指導は,教育に対する「不当な支配」(教育基本法10条1項)に当たる旨,また,同指導に基づいた林校長の原告に対する国歌斉唱に係る方針(職務命令)は違法無効である旨主張する。 イ しかし,国旗・国歌条項が法規としての性格を有することは上記2(1)で説示したとおりである。  ところで,地教行法23条は,教育委員会が管理,執行する教育に関する事務として,学校その他の教育機関の管理(同条1号),教育委員会及び学校その他の教育機関の職員のその他人事に関すること(同条3号),学校の組織編成,教育課程,学習指導,生徒指導及び職業指導に関すること(同条5号)等を定めているところ,府教委は,同規定に基づき,高等学校学習指導要領に規定された入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に関して,府立高等学校の学校長に対して指導を行う権限を有するというべきである。  そこで,府教委が林校長に対して国旗掲揚及び国歌斉唱の実施方について指導を行い,林校長が原告らを含む教諭らと話をした際,その実施について厳しく指導をしていたことがあるが,そのことをもって直ちに同指導が強制にわたったものであるとまで認めることができず,その他,それを認めるに足りる証拠はなく,かえって,林校長は,卒業式での国歌斉唱を実施すべきとの指導について当然のことと受け止めていた。そうすると,府教委が林校長に対して行った国歌斉唱に関する指導について,教育基本法10条1項で禁止された教育に対する「不当な支配」に当たるとは認められない。  ところで,同認定判断は,府教委における教育職員に対する国旗掲揚,国歌斉唱に関する指導方針が,国旗及び国歌に関する法律の制定後に変更されたか否かによって,何ら左右されるところではない。 ウ 以上によれば,原告の上記アの主張は理由がない。 (4) 本件行為による信用失墜行為について ア 原告は,本件行為によって本件卒業式の進行を妨げるものではなく,原告が行う教育公務員としての職に対する府民の信頼を失墜するものではない旨主張する。 イ 確かに,原告の本件行為は,教頭が国歌斉唱の号令をかけた後,テープ演奏が開始されるまで20秒間の間に行われた上,同20秒間は国歌斉唱に当たり,これに参加しない参列者が式場から退出することを考慮したものであった。しかし,同行為は,上記2(3)で認定説示したとおり本件卒業式において,生徒,保護者及び学校関係者が整然と参列する中で,卒業式としての意義を踏まえ,国歌斉唱をその意義を踏まえて厳粛な雰囲気の中で実施することを妨げるものであって,校長が定めた実施方法による国歌斉唱の円滑な遂行を妨げないという教育職員としての職務上の責務に反するものであった。 ウ ところで,本件卒業式に参加した職員,生徒又は参列者の中に,本件卒業式で国歌斉唱を実施することに反対する意向を有する者がいたが,そのような事情もまた,上記イの各認定説示を左右するものではない。 エ 以上によれば,原告の本件行為は,上記2(3)で認定説示したとおりその職の信用を傷つけ,又は職員の職全体の不名誉となるような行為に当たり,地方公務員法33条で禁止する信用失墜行為に当たるというべきである。  そうすると,原告の上記アの主張は理由がない。 4 本件処分における裁量権の逸脱,濫用の有無について  地方公務員について地方公務員法違反の懲戒事由がある場合に,懲戒処分をすべきかどうか,また,懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを決するについては,懲戒権者の裁量に任されており,懲戒権者がその裁量権の行使として行う懲戒処分は,それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合でない限り,その裁量権の範囲内にあるものとして,違法にならないものと解される。  これを本件についてみると,上記1ないし3で認定説示したとおり,原告の本件行為は,地方公務員かつ教育職員としてなすべき職務上の責務に反する行為であって,職員としての職の信用を傷つけ,又は職員の職全体の不名誉となる行為というべきであり,決して軽視されるべきものではない。  加えて,原告は,平成12年4月の平成12年度入学式において,国歌斉唱に当たり,突然,「これは学校として行っているものではありません。立つ立たない,歌う歌わないは,皆さんの良心に従って行動して下さい。」等と発言し,この発言について,府教委委員長から口頭で厳重注意を受けていた(上記1(1)エ)。  以上によれば,原告が,長年にわたり府立高等学校の教員として勤続しており,この間,本件処分の他に懲戒処分を受けたとは認められないこと等を考慮しても,原告に対する本件処分(戒告処分)が,懲戒権者である府教委における裁量権の行使として,社会通念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したものであるとは認められない。  したがって,原告に対する本件処分は適法というべきである。 5 結論  以上の次第で,本件処分が違法であるとして,その取消しを求める原告の本訴請求は,理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第5民事部 裁判長裁判官 中村哲 裁判官 細川二朗 裁判官 足立堅太