◆ H22.04.21 東京高裁判決 平成21年(行コ)第145号 東京都八王子市・町田市立中学校不起立懲戒処分事件(戒告処分取消等、裁決取消請求控訴事件) 東京高裁判決 平成21年(行コ)第145号 平成22年4月21日判決 棄却 原審東京地裁平成19年(行ウ)第181号、同第670号     主   文 1 本件各控訴をいずれも棄却する。 2 控訴費用は,控訴人らの負担とする。     事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決を取り消す。 2 東京都教育委員会(以下「都教委」という。)が,控訴人■■及び同■■に対して平成16年4月6日付けで,並びに同■■に対して同年5月25日付けでした各戒告処分をいずれも取り消す。 3 被控訴人東京都は,控訴人らに対し,それぞれ55万円ずつ及びこれらに対する平成19年3月31日から各支払済みまで年5分の割合による各金員を支払え。 4 東京都人事委員会(以下「人事委員会」という。)が,控訴人らに対して平成19年4月26日付けでした審査請求棄却の各裁決をいずれも取り消す。 第2 事案の概要等(略語は,原判決のそれに従う。) 1 町田市ないし八王子市の市立中学校に勤務する東京都公立学校教員である控訴人ら(控訴人■■はその後に退職)は,各自の勤務する中学校の校長から,卒業式又は入学式の国歌斉唱時に起立すべき旨の職務命令(以下,控訴人■■,同■■.同■■に対する各職務命令をそれぞれ「本件職務命令@」ないし「本件職務命令B」といい,併せて「本件各職務命令」という。)を受けたが,これに従わないで起立しなかったことを理由として,都教委から,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号による戒告処分を受けた(以下,控訴人■■,同■■,同■■に対する各戒告処分をそれぞれ「本件処分@」ないし「本件処分B」といい,併せて「本件各処分」という。)。  本件は,控訴人らが,国歌斉唱時の起立を命じる本件各職務命令は,違憲,違法であるから,これに従わなかったことを理由とする本件各処分も違憲,違法なものである,すなわち,@本件各職務命令は,国旗,国歌に対する尊崇,敬意の念を表明させるものであるから,控訴人らの思想及び良心の自由を侵害し,憲法19条等に違反する,A本件各職務命令は,卒業式等における国旗掲揚,国歌斉唱について一律に定めたものであるから,学校行事の内容を自主的に決定する控訴人らの教育の自由を侵害し,憲法23条,26条等に違反する,B町田市教育委員会及び八王子市教育委員会がそれぞれ国旗掲揚及び国歌斉唱について発出した各通達は,教育現場における創造的かつ弾力的な教育の余地や地域に応じた個別化の余地を奪い,また一定の理論や観念を生徒らに教え込むことを強制し,平成18年法律第120号による改正前の教育基本法10条1項の禁止する教育に対する不当な支配に該当する違法なものであるところ,本件各職務命令はこれと一体のものとして違法であると主張して,本件各処分の取消しを求め,併せて,本件各職務命令による思想及び良心の自由の侵害並びに都教委の事情聴取及び服務事故再発防止研修を受講させられたことによる精神的損害等を主張して,国家賠償法に基づく損害賠償金及び弁済期を経過した後の日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求めるとともに,控訴人らが本件各処分の取消しを求めてした審査請求に対して,人事委員会がした審査請求をいずれも棄却するとの裁決(以下「本件各裁決」という。)の取消しを求める事案である。 2 原審は,@国歌斉唱の際の起立は,客観的にみて特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価することはできないから,本件各職務命令が特定の思想を強制又は禁止したり,生徒らに一方的な思想等を教え込むことを強制するものとはいえず,思想及び良心の自由等を侵害するものとはいえない,A控訴人らに本件各職務命令に背いて自由に卒業式を執り行うことができる権利があると解することはできないから,本件各職務命令が控訴人らの教授の自由等を侵害するものともいえない,B地方公共団体が設置する教育委員会は,必要性,合理性が認められる場合には教育の内容及び方法について具体的な命令を発することができ,上記各教育委員会が国旗掲揚及び国歌斉唱について発出した各通達は,国旗,国歌に対する尊重の態度を養うため必要性及び合理性があったといえるから,上記改正前の教育基本法10条に違反すると評価することはできないとして,本件各職務命令及び本件各処分の違憲性,違法性は認められないと判断し,また,本件各裁決に固有の手続的違法性も認められないとして,いずれの請求も棄却した。原判決を不服として,控訴人らが控訴をした。 3 前提事実,争点及び当事者の主張は,原判決を次のとおり訂正するほか,原判決の「事実及び理由」第2の1から3までに摘示されたとおりであるから,これを引用する。  (原判決の訂正) (1) 5頁21行目冒頭に「平成11年8月13日に国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が成立し,施行された後の」を加える。 (2) 6頁19行目,7頁24行目及び8頁3行目の各未尾に,それぞれ,「(この職務命令のうち国歌斉唱命令については,本件各処分の前提となっていない。)」を加える。 (3) 10頁10行目の「同人の」を「同都教委教育長の」に改める。 第3 当裁判所の判断 1 当裁判所も,本件各職務命令が違憲,違法であるとは認められず,これに従わずに,卒業式又は入学式における国歌斉唱の際に起立をしなかったとして控訴人らに対してされた本件各処分が違憲,違法であるとも認められないから。控訴人らの各請求はいずれも理由がないものと判断する。その理由は,原判決を次のとおり訂正するほか,原判決の「事実及び理由」第3の1から4までに説示されたとおりであるから,これを引用する。 (原判決の訂正) (1) 16頁22行目末尾に改行して,次のとおり加え,同頁23行目の「ア」を「イ」に,18頁20行目の「イ」を「ウ」に,19頁25行目の「ウ」を「エ」に,22頁16行目の「エ」を「オ」にそれぞれ改める。 「ア 現在の主権国家を主体とする国際関係の下においては,国旗国歌は主権国家(民主主権国家においては,その国民)の象徴として扱われ,相互にこれを尊重し,儀礼の場においても国家(国民)への一般的敬意の表示として国旗,国歌を尊重することが国際慣習となっている。船舶法7条が日本船舶の国旗掲揚義務を定めるのも当該船舶が日本船舶であることの明示であり,刑法92条によって侮辱目的での外国の国旗その他の国章の損壊,除去,汚損が犯罪とされていること(当該外国政府の施策に反対の思想,心情を表現するためであっても,損壊,除去,汚損は許されない。)も,国旗が国家の象徴であることを前提とするものであり,また,オリンピックを初めとして国内外の諸行事等,儀礼の場における国旗掲揚,国歌演奏に際して起立することも上記慣習を示すものといえる。財貨と人が国境を超えて異動し,経済の相互依存性が高まるなかで,いわゆる国民国家の意義も意識も変容してゆくことが規定されるが,このような集団の象徴に対する尊重の所作(礼儀に属する外部的行為)は,国家のみならず学校,地方団体,会社その他の社団等の場においても求められるものであり,上記説示はなお妥当するものといえる。  もっとも,上記の象徴に対する尊重の所作は,直ちに,自己の属する国家を含む集団・団体への誇り,愛情あるいは他の国,集団・団体への真意からの敬意,憧れを示すものでも,これらの集団・団体の特定の事実又は行為への賛同,礼賛を意味するものでもない。なぜなら,これらの思想,信条は,各個人における内発的かつ自発的なものであるときに内実を備えるものであり,家庭教育を含む持続的な教育活動を通じて達成されるべきものであって,これらを強制することはできないし,後記のとおり象徴の意味は象徴が用いられる場によって異なるからである。  以上によれば,国家の象徴である国旗,国歌の尊重は,真意からの敬意等の表明や特定の事実又は行為への賛同等とは異なり,国家間の相互の主権の尊重と協力との関連で,国際儀礼として,その象徴を相互に尊重するものということができ(体育競技の開始式や優勝者の表彰においてされる国旗掲揚及び国歌演奏(斉唱)は,国旗,国歌への一般的尊重を示し,あるいは,優れた選手の健闘を称え,その属する国と国民への一般的敬意を示すものであり,当該国の過去又は現在の個別的事実や行為への協賛,賛同を示すものではない。),自国の国旗,国歌についても,式典等の場においてこれを尊重する儀礼を学ぶことは,国家及び社会の形成者として,また,国際社会においても活躍し得る個人として必要とされる基本的資質を養う上でも,教育の目的に適うものということができ,その意味で,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに.国歌を斉唱するよう指導する」ことを求める学習指導要領の国旗,国歌条項は合理的なものというべきである。」 (2) 16頁24行目冒頭から17頁23行目の「原告らは」までを次のとおり改める。 「(ア) 控訴人らは,日の丸,君が代を国旗,国歌とすることについては賛否両論が存在しており,日の丸,君が代は軍国主義(帝国主義・皇国思想)や「侵略戦争」(をした日本)の象徴であるから,国歌斉唱時における国旗への起立は,日の丸,君が代への肯定的評価と受け取られる行為であって,これを公教育でどのように扱い,生徒にいかに伝えるかは思想,信条に関わる問題であり,控訴人らが本件各職務命令に従わず本件各不起立という行為に出たのは,日の丸,君が代が過去の我が国において果たした役割に係る控訴人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する信念に由来するものと主張する。  確かに,日章旗を国旗とし,君が代を国歌とすることについて異論があることは本件訴訟及び類似の訴訟が存在することからも明らかであり,日章旗,君が代をもって軍国主義や「侵略戦争」(をした日本)の象徴であるとの見解も禁止されるものではなく,また,控訴人らが,我が国が行った近代史上の出来事において日章旗,君が代が我が国を象徴する機能を営んだことを教育することも禁じられない。そして,控訴人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する信念それ自体は.憲法19条によって保障されているものである。  しかし,このような考えをもつことと,学校の儀式的行事の国歌斉唱の際に不起立に及ぶ行為とは,不可分に結びつくとはいえない。すなわち,「象徴」とは,その性質上,多義的であり,いかなる意味を有するかは,象徴が用いられる場(時,場所,目的)によって異なる。例えば,ある国の過去に甲及びこれとは反対に評価される乙という事実又は行為が存した場合において,甲又は乙を正当とする者がその思想・信条を表明するための場において国の象徴を掲げるときは,その象徴は,甲又は乙という事実又は行為に係る国又は国民を意味することになるであろうし,また,船舶に掲げられる国旗は,国際関係における主体としての主権国家を示すものであるし,我が国における儀礼的式典の多くにおける国旗,国歌は,日本及び日本国民を一般的に示すものとして機能しているということができる。したがって,控訴人らが,日章旗,君が代から軍国主義(帝国主義・皇国思想)を想起し,日章旗,君が代を「侵略戦争」(をした日本)の象徴であると意味づけることは禁じられない。しかし 卒業式,入学式といった式典は,児童生徒の属する社会(国,地域,学校等)との関係の中で,今後の学習への心構えあるいは履修した実績を確認し,児童生徒を励ますことあるいは最初又は最後の授業として児童生徒の集団としての成長を促し,確認することなどを目的とするのであって,日本の過去の特定の行為や事実を礼賛する場ではない。そして,国歌斉唱時に起立するという行為自体は,儀式における一般的所作と認識されており,その儀式の要となる国旗,国歌については,国旗国歌法が,過去の歴史をもちながらも,日本国憲法の下において,現在,国民が形成していくべき我が国の国旗,国歌として日章旗,君が代を規定しているのであり,一般的にも,日章旗,君が代は,現に存し,これから形成してゆくべき日本国の国旗,国歌と意識されているのであって,国歌斉唱時の起立が軍国主義等や「侵略戦争」(をした日本)を是認,礼賛する態度であると一般的に認識されているものではない。また,上記前提事実のとおり,全国の公立小中高等学校では,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱が従来から広く実施されていることをも考慮すれば,客観的にみて,卒業式等の国歌斉唱の際に起立する行為は,出席する教職員にとっても一般的な儀礼的所作に当たる行為ということができ,特定の思想を有することを外部に表明する行為であるとまでは評価することはできないから,本件各職務命令が,特定の思想を強制又は禁止したり,特定の思想の有無について告白を強要したりするものということはできず,また,教職員を起立させることにより,教職員をして生徒らに対して控訴人らの主張するような一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものと見ることもできない。したがって,控訴人らに卒業式又は入学式の国歌斉唱時における起立を命じた本件各職務命令が,直ちに控訴人らの有する上記世界観ないし歴史観及び信念それ自体を否定するものと認めることはできない。 (イ) この点に関し,控訴人らは,思想及び良心の自由の在り方は各人によって多様であり,第三者が客観的な見地から判断する問題ではないと主張する。  確かに,個人の内心の自由は他の人権を害しない限り保護されるべきものである。しかし,控訴人らにとって軍国主義等の象徴と感じられる国旗に向かって国歌斉唱時に起立する行為が精神的苦痛を伴うとしても,他方で,前記のとおり,国旗国歌法は,日本国を示す一般的な象徴として国旗,国歌を定めており,卒業式,入学式における国旗,国歌も,軍国主義等を示す意味合いにおいて用いられているのではなく,児童生徒が属し,また児童生徒が国民として作り上げていくべき日本国の象徴として用いられているのであり,式典等の場において,生徒らが実践としてこのような国旗,国歌を尊重する儀礼を学ぶという教育目的にかんがみれば,卒業式又は入学式に参加し,生徒らについて上記教育目的を達することができるように指導すべき立場にある教職員に対して,儀礼的所作としての起立を求めることが,違憲,違法となるものではない。すなわち,控訴人らは」 (3) 18頁15行目の「原告」を「控訴人ら」に改める。 (4) 18頁24行目末尾に改行して,次のとおり加える。  「控訴人らの主張は,教職員や生徒の自主的工夫の余地のない実施指針に基づく式典を行うことを不当とするものと解されるが,そのことから国歌斉唱時の起立を命ずる本件各職務命令が違法になるものではない。すなわち,本件各市教委通達の実施指針では卒業式における教職員や生徒の自主的工夫の余地がなく,従来から控訴人らの中学校において行ってきた生徒作品等の掲示をする方式による卒業式が実施できなかったとしても,一つの式典形式を示した実施指針の下に現に国歌斉唱がされる場面において起立という儀礼的所作を拒否する理由となるものではないから,控訴人らの希望する方式による式典が実施できなかったこと自体によって国歌斉唱時の起立を命じた本件各職務命令が当然に違法となるものではない。生徒作品等の掲示等を主体とする自主的な式典ができないことへの抗議として,控訴人らが直立を拒否したものだとしても,かかる行為は,児童生徒が式典における儀礼的所作を学ぶ効果を減殺するものであって,抗議の手段として相当なものということはできない。」 (5) 19頁17行目の「一方的な思想や理念を」を「控訴人らの主張するような思想や理念を一方的に」に改める。 (6) 20頁4行目の「該当」の次に「し,憲法26条, 旧教育基本法10条1項により制度上保障されている,教育内容を自主的に決定することができるという教職員の教育の自由を侵害」を加える。 (7) 21頁12行目冒頭から16行目末尾までを次のとおり改める。 「市教委ないし校長が上記各権限に基づいて発する命令にも,旧教育基本法10条1項の適用があり,同項にいう「不当な支配」とならないように配慮しなければならず,教育に対する行政権力の不当,不要な介入は排除されるべきことは前記のとおりであるが,国の教育行政機関の設けた基準の範囲内で,より具体的に国の実施指針の実現を図るという地方公共団体の教育委員会の機能を考慮すれば,地方公共団体の教育行政機関の定めは,国と同様の大綱的基準に限定されるものではなく,許容される目的のために必要かつ合理的と認められる命令であれば,たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても,単に個別具体的な基準を定めたものであるというだけでは.同項の禁止するところではなく,そのような命令により結果として教職員の自由な創意と工夫の余地が狭められたとしても,控訴人らの主張する教職員の教育の自由が侵害されたということはできない。」 (8) 21頁24行目の「そして」から22頁9行目末尾までを次のとおり改める。  「そして,国旗.国歌に対する尊重の態度を養う機会となる卒業式等の学校行事において,児童生徒らに範を示し,これを指導すべき立場にある教職員らが,既に説示した式典における儀礼的所作として国歌斉唱時に起立することは,必要かつ合理的な行動であって,国歌斉唱時の起立を命ずることには必要性と合理性が認められるというべきである。  もっとも,本件各市教委通達の実施指針は,式典における国旗の掲揚,国歌斉唱の一般的な方式の一つを指示するものといえるが,国旗,国歌条項の趣旨に従いながら自由な創意工夫をする余地を残さずに,式次第や国旗掲揚における壇上のレイアウトに至るまでのすべてを完全に実施することを要求するものだとすると,いささか硬直的であるとの評価も想定されるところである。しかし,そうだとしても,国歌が斉唱される式典の場において起立すること自体は一般的に行われている儀礼的所作であると考えられるから,学校の儀式的行事である卒業式等に参列した教職員に対して,少なくとも国歌斉唱時に起立することを一律に求めることは,上記各条項の趣旨に沿うものとして合理性があるということができる。したがって,本件各職務命令は,許容される目的のために必要かつ合理的なものであると認められ,旧教育基本法10条1項の「不当な支配」に当たるとも,教職員の自由な創意と工夫の余地を違法に狭め,控訴人らの教授の自由を侵害するものともいえないから,控訴人らの主張は採用できない。」 (9) 23頁2行目の「不起立の」の次に「動機は真摯なものであり,その」を加え,同頁3行目の「そのような」から4行目の「いって」までを「控訴人らが起立をしなかったことの動機が真摯なものであったとしても,式典における時宜に応じた儀礼的所作(礼儀)を学ぶべき場において,生徒の範となるべき教職員が明示された本件各職務命令にあえて反して,起立しないという態度を取ることは,客観的には,学習指導要領の国旗,国歌条項の趣旨に反するものであって,」を加える。 2 よって,原判決の判断は相当であり,控訴人らの本件各控訴は,いずれも理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第11民事部 裁判官 佐々木宗啓 裁判官 大寄麻代 裁判長裁判官富越和厚は,転補のため署名押印することができない。 裁判官 佐々木宗啓