◆ H23.03.10 東京高裁判決 平成21年(行コ)第181号 東京都立学校不起立処分事件(懲戒処分取消等請求控訴事件) 原審・東京地方裁判所平成19年(行ウ)第68号 平成21年3月26日判決 口頭弁論終結日平成22年10月15日     主   文 1 原判決を次のとおり変更する。 (1)東京都教育委員会が別紙処分一覧表「処分日」欄記載の日付けで控訴人□□を除く各控訴人引控訴人□□については訴訟被承継人亡□□に対して行った同一覧表「処分」欄記載の各懲戒処分をいずれも取り消す。 (2)控訴人□□の請求及びその余の控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを2分し,その1を控訴人らの,その余を被控訴人の負担とする。     事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決を取り消す。 2 主文1(1)と同旨 3 被控訴人は,控訴人らに対し,各55万円及びこれに対する平成19年2月24日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 本件は,都立学校(高等学校又は養護学校)の教職員である控訴人ら(うち一部の者は既に退職。)が,平成15年10月23日に東京都教育委員会(都教委)委員長が「入学式,卒業式等における国歌斉唱はピアノ伴奏等により行い,教職員は国旗に向かって起立して国歌を斉唱すること」等を内容とする「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題する通達(本件通達)を発した後,同年11月8日から平成16年4月9日までに都立学校で行われた卒業式,入学式又は創立周年記念式典(卒業式等)に際して,事前に,控訴人らの所属する各学校の校長から,「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること」又は「国歌斉唱に際しピアノ伴奏をすること」を内容とする職務命令(本件職務命令)が発せられていたにもかかわらず,これに従わなかったため,これを理由として,都教委から,別紙処分一覧表「処分日」欄記載の日に,同表「処分」欄記載の懲戒処分(以下,個別に又はまとめて「本件処分」ということがある。)を受けたことに関し,@ 本件通達及び本件職務命令は,平成18年法律第120号による改正前の教育基本法(旧教育基本法)10条1項にいう「不当な支配」に該当し,控訴人らの思想及び良心の自由を侵害するなど,違憲,違法なものであったから,都教委が控訴人らに対して行った懲戒処分も違憲,違法であるなどと主張して,本件処分の取消しを求めるとともに,A 違憲,違法な本件通達に基づく各校長による本件職務命令を受け,引き続きこれに違反したことを理由とする本件処分を受けたことにより精神的苦痛を被ったと主張して,都教委の設置者である東京都に対して,国家賠償法に基づき,それぞれ慰謝料50万円及び弁護士費用5万円の賠償を求める事案である。 2 控訴人らは,本件処分の取消し理由として,以下のように主張した。 (1)本件通達,本件職務命令及び本件処分は,控訴人らの思想及び良心の自由を侵害し.憲法19条,20条に違反する。  控訴人らは,いずれも,@ 日本の近代の侵略の歴史において日の丸,君が代が果たした役割等といった歴史認識から,かつての天皇制国家の象徴である日の丸・君が代を日本国の象徴とすることに賛成できない,Aこれまでの教育実践の中で,正義を貫くこと,自主的判断の大切さを強調していたのに,これに反する行動はできないなどの思いから,国旗に向かって起立し,国歌斉唱できないという信念を有するものである.このような信念は,控訴人らの人格形成の核心をなす信仰それ自体として,又は信仰に準ずる思想・信条として憲法19条,20条の絶対的保障を受けるものである.本件通達及びこれに基づく本件職務命令は,控訴人らのこのような信念を否定し,控訴人らの沈黙の自由を侵害し,控訴人らに自らの思想と抵触する行為を強制するものであって,憲法19条,20条に違反するものである.憲法19条の絶対的保障は,内心それ自体だけでなく,自己の思想及び良心の自由に不可欠な一定の外部的表出をも一体的にその保障対象として含むと解すべきであるから,本件通達及び本件職務命令によって思想及び良心の自由又は信教の自由を制約する行為が強制される場合に,防衛的,受動的に取られる拒否の外部的表出には,内心に対する保障と同等又はこれに準じる絶対的保障が与えられるべきであり.仮に一定の制約が許される場合があるとしても,人権における思想及び良心の自由の優越的地位からすると,その制約には極めて厳格な違憲審査基準が妥当し,その制約は,他者の人権との矛盾,衝突がある場合に限られ,具体的根拠が必要であるところ,控訴人らの不起立行為,ピアノ伴奏拒否(以下,まとめて「不起立行為等」ということがある。)は,他者の人権に対して何ら現実的,具体的な害悪をもたらすものではないから,これを制約する理由はない。  教育公務員である控訴人らが子どもたちの学習権にこたえる責務を負っているということにかんがみれば,職務の公共性や全体の奉仕者性を理由に控訴人らの思想及び良心の自由の制約を正当化することは許されない。  本件処分は,職務命令違反を口実に行われているが,その実は,控訴人らの有する,自らの世界観・歴史観・教育観等からどうしても起立(ピアノ伴奏)できないという思想・信条を理由として行われた不利益取扱いにほかならない。 (2)本件通達及びその後に都教委が各校長に行った指導は,旧教育基本法10条1項にいう「不当な支配」に該当し,違法である。  旧教育基本法10条が制定された経緯・趣旨に照らせば,教育行政機関による教育の内的事項(内容及び方法)に関する介入が「不当な支配」に該当しないためには,当該介入が,許容される目的のために必要かつ合理的な大綱的基準の設定にとどまるものであることが必要である。教育委員会は,教育の自主性との関係では,国家権力の一部と扱われることは明らかであるから,教育委員会による教育への介入についても大綱的基準にとどまるものであることが必要である。  都教委による本件通達及びその後の各校長に対する一連の指導名下の強制は,卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱の具体的実施方法等について各学校ごとの弾力化・個別化・創意工夫の余地を奪い,目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を逸脱しているから,「不当な支配」に該当するものとして違法である。  そして,本件職務命令は,各校長が都教委による「不当な支配」を受け,完全に裁量の余地を奪われた状況で発令されたものであるから,本件通達等と一体の不当な支配として,旧教育基本法10条1項に違反する違法なものである。 (3)控訴人らは,憲法23条,26条に基づき,教職員としての専門職上の自由(教育の自由)を有しているところ,本件通達は,創意工夫や裁量の余地を奪い.卒業式等の内容について学校現場の教師の専門的判断を一切認めない点で,教師の専門職上の自由(教育の自由)を侵害するものである。 (4)本件通達は,思想及び良心の自由等を保障する市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)18条,児童の権利に関する条約12条,14条に違反し無効であるから,これに基づく本件職務命令も同条に違反し無効である。 (5)控訴人らの不起立行為等は地方公務員法(地公法)32条,33条に反しない。  旧教育基本法10条及び学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)28条6項,51条,76条の解釈によれば,校長に教師の教育活動の内容にかかわる職務命令を出す権限はないから,本件職務命令は違法であり,また,上記のとおり本件職務命令は憲法19条,20条,自由権規約及び児童の権利に関する条約等に反する違憲.違法なものである.このように違憲,違法で無効な職務命令に服従する義務はないから,控訴人らの不起立行為等は地公法32条が定める職務命令に従う義務の違反に当たらない。  また,地公法33条が定める信用失墜行為は,具体的には,酒の上での大げんか,交通事故,乱闘騒ぎなどがその例であり,控訴人らの不起立行為等はこれらとは明らかに性質を異にし,卒業式等において君が代の起立斉唱を強制することには反対の考えのほうが国民の間でも多く,不起立行為等は決して世間のひんしゅくを買っているわけではないから.信用失墜行為に当たらない。 (6)本件処分には適正を欠く手続の違法がある。  憲法31条の適正手続の保障は,刑事手続に限定されるものではなく,その趣旨に照らして,公務員に対する懲戒処分についてもその手続的な適正・公正が確保されなければならないところ,本件処分に先立つ都教委の事情聴取では告知・聴聞の機会が十分になかった.また,本件処分は拙速に行われ,特に教職員懲戒分限審査委員会の会議は行われず,回覧協議で体裁が整えられ,処分の審査の過程で個別の事情が一切考慮されず,一律・画一の処分になっているから,手続的適正を欠いている。 (7)仮に,本件通達及び本件職務命令が違憲,違法でないとしても,本件処分は社会観念上著しく妥当を欠く過酷なものであって,行政裁量の恣意的な行使であり,比例原則にも反し,裁量権を逸脱した違法なものである。 3 被控訴人は.本件処分を受けた後,原審口頭弁論終結時までに退職した控訴人らには,本件処分の取消しを求める訴えの利益がないという本案前の主張をしたほか,控訴人らの上記主張に対し,以下のように主張した。 (1)本件通達,本件職務命令及び本件処分は,以下のとおり,控訴人らの思想及び良心の自由を侵害するものではなく,憲法19条,20条に違反しない。 ア 憲法19条による思想及び良心の自由の保障は.国民がいかなる世界観,人生観を持っていても,それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり,公権力が,特定の思想を内心に抱くことを強制したり,思想の露見を強制することは許されないことなどを内容とする.本件通達及び本件職務命令は,卒業式等の国歌斉唱時に,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱し,又はピアノ伴奏をするという外部的行為を命ずるものであって,控訴人らの内心における精神活動の自由や信仰を否定したり,その思想及び良心に反する精神活動を強制したり,控訴人らの考え方や思いの告白を強制したり,特定の思想の表明や宗教的行為を迫るものではないから.憲法19条,20条に違反するものではない。 イ 仮に,外部的行為についても,思想及び良。しの自由の保障が及ぶ場合があると解するとしても,外部的行為である以上,それは絶対的保障ではなく,一定の制約を受けることは明らかであり,信教の自由についても同様である。 (ア)まず,控訴人らは全体の奉仕者である地方公務員であり(憲法15条2項)、公教育という公共の利益のため,職務の遂行に当たっては,全力を挙げてこれに専念すべき義務を負っているから(地公法30条),本件職務命令を受け,これに沿った義務を負うことで,その思想及び良心の自由が制約されるとしても,職務の公共性に由来する内在的制約として,当然受忍すべきものである。 (イ)また,控訴人らの不起立行為等は,児童・生徒に国旗・国歌に対する正しい知識を持たせ,これを尊重する態度を育てるという学習指導要領の教育目標を阻害しているほか,児童・生徒が学校教育法や学習指導要領に基づく教育,指導を受けられないという意味で,児童・生徒の教育を受ける権利を侵害し,卒業式等に参列する来賓や保護者等に不信感を抱かせるなど,他者の権利,利益を著しく害しているのであるから,公共の福祉(憲法12条,13条)の観点からの内在的制約として,本件職務命令による思想及び良心の自由の制約を受忍すべきである。 (ウ)さらに,控訴人ら教育公務員は,教育の全国一定水準の確保と教育の機会均等という強い要請から,法規たる学習指導要領やその具体化として発せられた本件職務命令を遵守すべきことが強く要請され,これらの義務を履行することは,教育公務員の法律関係の存立目的に照らし必要不可欠のことであり,その義務の履行により思想及び良心の自由が制約されても,それは自らの自由意思でそのような法律関係に入った控訴人らにとって,やむを得ない制限であり,受忍すべきものである。 ウ 本件処分は,職務命令違反及び信用失墜行為を理由として行われたものであり,その思想・信条に基づく不利益取扱いではない。 (2)本件通達及びその後に都教委が各校長に行った指導は,旧教育基本法10条1項にいう「不当な支配」に該当しない。 ア 国の教育行政機関と異なり,学校設置者たる地方公共団体の教育委員会にあっては,教育の地方自治の原則の下,国の設定した大綱的な基準の範囲で,より具体的かつ詳細な基準を設定し,必要な場合には具体的な命令を発して,普通教育の内容及び方法を決定できるのであり,その限界は,子ども自身の利益擁護のため,また子どもの成長に対する地域社会公共の利益と関心にこたえるため,必要かつ合理的と認められる範囲であって,大綱的基準であることをその限界とするものではない。 イ 卒業式等における国旗・国歌の指導は,子どもの学習権を充足する上からも,また明日の我が国を担う子どもの成長の上からも,重要な教育活動であり,その適正な実施を図ることは正に許容された目的である.それにもかかわらず,当時,都立学校では卒業式等における国旗・国歌の指導が適正にされていなかったから,その改善を図るため,都教委教育長において本件通達を各都立学校の校長に対して発する必要も十分に存していた。  また,本件通達の内容も.ごく常識的かつ自然な指導方法であり,これが児童・生徒に一方的な理念や観念を教え込むことにならないことは明らかである.したがって,本件通達やその後に都教委が本件通達に関して校長に行った指導は,旧教育基本法10条1項にいう「不当な支配」に該当しない。 ウ なお,仮に本件通達が違法であるという控訴人らの主張を前提としても,校長が本件通達に応じてその内容に沿った卒業式等の実施内容を決定し,これを各教職員に分掌させた上,その実施に必要な職務命令を発した場合には,法律的にみれば,それは各校長が自らの判断と考えに基づき実施に関する職務命令を発したということに帰着し,手続上も実質上も違法とはならないから,これに基づく本件職務命令が当然に違法となるというものではない。 (3)控訴人らには,教育の専門家として,一定範囲の教授の自由が認められるにすぎず,教育の内容については,教育の機会均等と全国的な一定水準を確保するため,学校現場の教師としては,学習指導要領の内容に従って子どもたちに対して教育を行う責務がある。本件通達は,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施を適正にするために発出されたものであって,卒業式等の運営実施の全般に関して発出されたものではない.その意味において,卒業式等のその他の運営実施方法等に関して,学校現場における創意工夫や裁量の余地が残されており,上記の意味での教授の自由を侵害するものではない。 (4)本件通達は,思想及び良心の自由,信教の自由を侵害するものでないと同様,自由権規約18条に違反しない.児童の権利に関する条約に違反するとの主張は,控訴人らの権利・利益を保護する趣旨で設けられたのでない法規違反をいうものであって,本件各処分の取消事由として主張することはできない(行政事件訴訟法10条1項)。  仮に本件通達が条約に違反して無効であっても,校長は学校教育法上認められた固有の権限に基づいて本件職務命令を発したのであるから,本件通達が無効であることによって本件職務命令が無効となるいわれはない。 (5)控訴人らの不起立行為等は地公法32条,33条に反する。  学校教育法51条,76条,28条3項は,高等学校及び養護学校における校務はその校長がつかさどるものとしており,その「校務」とは,教諭のつかさどる教育を含む学校の果たすべき仕事全体すなわち学校教育の事業を遂行するため必要とする一切の事務を指し,学校教育法施行規則等を受けて制定された学習指導要領に基づく教育課程の計画及び実施についての責務と権限も当然に含まれるものである.控訴人ら教職員は,「教育をつかさどる者」(学校教育法28条6項,51条,76条)として,児童・生徒に対し,国旗掲揚・国歌斉唱に関する指導を行う義務を負うから,控訴人らの所属校の各校長は,校務の一環として卒業式等の具体的実施内容を決定し,その実施のための諸活動を各教職員に分掌させて本件職務命令を発したのであり,控訴人らは,当然に当該職務命令に従って職務を遂行しなければならず,これに従わなかった控訴人らの行為は地公法32条に違反する。  また,同法33条が「その職の信用を傷つけ,又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない」と規定する趣旨は,公務員が全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき地位にあり,そこから公務員に高度の行為規範を求め,それを法規範として定めたことにあることに照らせば,信用失墜行為に当たるか否かはその行為自体を社会観念に照らして判断すれば足り,具体的に失墜された結果が生じることは要件ではなく,控訴人らの不起立行為等の非違行為は,校長の教育課程にかかわる職務命令に違反して,卒業式等の重要な学校行事において児童・生徒,保護者,来賓の面前で行われたものであり,教育公務員の職に対する信用を傷つける行為であるから,同条の信用失墜行為に該当することは明らかである。 (6)本件処分には適正を欠く手続の違法はない。  公務員の懲戒処分については,刑事手続に関する憲法31条の保障が直接的に及ぶものではないし,行政手続法の聴聞ないし弁明の機会の付与に関する規定は適用除外とされており,地公法等に告知,聴聞の規定はなく,公務員の懲戒処分の手続は任命権者の裁量に委ねられている。都教委は,本件処分を行うに当たって事情聴取を行うなどしており,手続は公正に行われた。控訴人らの中には,事情聴取における弁護士の立会等に固執し,結果として事情聴取ができなかった者もあったが,事情聴取を行った者の聴取書は事実確認及び量定案検討の資料となり,これを踏まえて個々の処分がされた.処分発令までの期間が短いことや,結果として控訴人らについて基本的に同内容の処分量定となったことをもって,処分が違法になるものではない。 (7)控訴人らが行った職務命令違反は,公務の適正な遂行を妨げるものであり,職場内の秩序維持の観点からも看過できない非違行為であり,本件処分の処分量定は適正であり,比例原則にも反さず,裁量の逸脱はない。 4 原審は,被控訴人の本案前の主張については,退職した控訴人らは,本件処分が取り消されれば,昇給予定時期に昇給することが期待できた地位や再任用されることを期待し得る地位を回復することになり,これらの地位は,一定の法的保護に値するものであり,退職によって当然に失われるものとはいえないから,退職した控訴人らについても本件処分の取消しを求める法律上の利益があるというべきであると判断した上,本案について以下のように判断して,控訴人らの請求をいずれも棄却した。 (1)以下のとおり,本件通達,本件職務命令及び本件処分は,控訴人らの思想及び良心の自由を侵すものではなく,憲法19条,20条に反するとはいえないと解するのが相当である。 ア 控訴人らが不起立行為等をするに至った思いや信念は,「日の丸」や「君が代」が過去に我が国において果たした役割に係る,控訴人らの歴史観ないし世界観又は教職員としての職業経験から生じた信条及びこれに由来する社会生活上の信念であるといえるものであり,このような考えを持つこと自体は,思想及び良心の自由として保障されることは明らかである。しかしながら,一般に,自己の思想や良心に反するということを理由として,およそ外部行為を拒否する自由が保障されるとした場合には,社会が成り立ち難いことは明らかであり.これを承認することはできない。  もとより,人の思想や良心は外部行為と密接な関係を有するものであり,思想や良心の核心部分を直接否定するような外部行為を強制することは,その思想や良心の核心部分を直接否定することにほかならないから,憲法19条が保障する思想及び良,0の自由の侵害が問題になるし,そうでない場合でも,思想や良心に対する事実上の影響を最小限にとどめるような配慮を欠き.必要性や合理性がないのに.思想や良心と抵触するような行為を強制するときは,同条違反の問題が生じる余地があるといえるが,これらに該当しない場合には,外部行為が強制されたとしても,同条違反とはならないと解される。 イ これを本件についてみると,本件職務命令は,直接的に控訴人らの歴史観ないし世界観又は信条を否定する行為を命じたり,思想や良心の内容を確かめるための行為を命じるものではなく,また,卒業式等の儀式の場で行われる式典の進行上行われるピアノ伴奏又は出席者全員による起立及び斉唱を命じるものであることから.前記のような歴史観ないし世界観又は信条と切り離して,不起立行為等には及ばないという選択をすることも可能であると考えられ,一般的には,卒業式等の国歌斉唱時に不起立行為等に出ることが,控訴人らの歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結び付くものということはできない.加えて,本件職務命令が発出された当時,客観的にみて,卒業式等の国歌斉唱の際に「口の丸」に向かって起立し,「君が代」を斉唱するという行為やピアノで伴奏する行為は,卒業式等の出席者にとって通常想定され,かつ,期待されるものということができ,一般的には,これを行う教職員が特定の思想を有するということを外部に表明するような行為であると評価することは困難であるから,本件職務命令は,控訴人らに対し,特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもない。 ウ もっとも,一般的には,本件職務命令が控訴人らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定するものといえないにしても,控訴人ら自身は,本件職務命令が,控訴人らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定し,思想及び良心の核心部分を否定するものであると受け止めたとも考えられ,そうだとすると,本件職務命令は,控訴人らの思想及び良心の自由との抵触が生じる余地がある。  しかしながら,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であつて,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地公法30条,32条によれば,都立学校の教職員である控訴人らは,法令等や上司の職務上の命令に従わなければならない立場にあり,校長から学校行事である卒業式等に関して,それぞれ本件職務命令を受けたものであること,卒業式等に参列した教職員が,国歌斉唱時に国旗に向かって起立して,国歌を斉唱するということ,国歌をピアノ伴奏することは,日の丸を国旗とし,君が代を国歌とする旨を明確に定めた国旗及び国歌に関する法律(国旗・国歌法)や学校教育法43条,73条等に基づき定められた学習指導要領の趣旨にかなうものであること,本件職務命令は卒業式等の儀式を行うに際して発出されたものであり,このような儀式においては,出席者に対して一律の行為を求めること自体には合理性があるといえるし,卒業式等における国旗掲揚や国歌斉唱は,全国的には従前から広く実施されていたものであること等の事情を総合すると,本件職務命令には.その目的及び内容において合理性,必要性が認められるというべきである。 エ したがって,控訴人ら自身としては,本件職務命令をもって,思想及び良心の核心部分を直接否定するものであると受け止めたのだとしても,そのことによって直ちに,本件職務命令が控訴人らの思想及び良心の自由を制約するものである,あるいはその制約は許されないものであるということはできない。 (2)以下のとおり,本件通達及びその後に都教委が各校長に行った指導は,旧教育基本法10条1項にいう「不当な支配」に該当するとは認められない。 ア 本件職務命令は,学校教育法51条,76条により準用される同法28条3項の,校長の所属職員に対する監督権限に基づいて発せられたものである。他方,本件通達は,地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)23条5号の,教育委員会の教育課程に関する管理,執行権限に基づいて発せられたものであり,本件職務命令とは異なる法的根拠を有する別個の行為であって,本件通達の違法性は,当然に本件職務命令に承継されるものではない。  しかしながら,本件については.形式的には,本件職務命令を発すべき必要性の判断は各校長がしていたとしても,事実上,本件通達やその後に都教委が行った指導により,校長にその裁量を働かせる余地はなく,本件職務命令を発することを余儀なくされていたものと評価するのが相当であるから,本件職務命令の発出は.実質的には都教委が行ったものと評価することができ,本件通達やその後に都教委が各校長に対して行った指導と一体のものということができるから,本件通達の発出が旧教育基本法10条1項にいう「不当な支配」に該当するか否かは,本件職務命令の違法性に影響する余地があるというべきである。 イ そこで,以下,本件通達の発出が「不当な支配」に該当するかどうかを検討する。 (ア)憲法上の国の権能及び旧教育基本法が制定された経緯,趣旨に照らすと,旧教育基本法10条1項は,国の教育統制権能を前提としつつ,教育行政の目棟を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き,その整備確立のための措置を講ずるに当たっては,教育の自主性尊重の見地から,教育が国民の信託にこたえて自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があるもので,許容される目的のために必要かつ合理的と認められる介入は,たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても,必ずしも同条の禁止するところではなく,排斥しているのは,教育が国民の信託にこたえて自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であり,そのような支配と認められる限り,その主体のいかんは問うところでないので,ここには,教育行政機関や地方公共団体も含まれると解するのが相当である。 (イ)そして,国の教育行政機関が,法律の授権に基づいて,義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,子どもの教育は,教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ,子どもの個性に応じて弾力的に行わなければならないから,教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることを考慮した上で,教育に関する地方自治の原則を考慮し,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な範囲にとどめられるべきものであるが,地方公共団体が設置する教育委員会が,教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,公立学校を所管する行政機関として,その管理権に基づき,学校の教育課程の編成や学習指導等に関して基準を設定し,一般的な指示を与え,指導,助言を行うとともに,必要性,合理性が認められる場合には,適正かつ許容される目的のために必要かつ合理的と認められる範囲内において,具体的な命令を発することもできると解される。このことは,文部科学大臣が地教行法48条2項2号により学校の組織編制や教育課程等について指導,助言又は援助をすることができるとされているのに対し,教育委員会は同法23条5号により学校の組織編制,教育課程,学習指導等に関して管理,執行するとされていることからも根拠づけられる。 (ウ)本件通達について,これを発出すべき必要性,合理性があったと認められるか否かを検討すると,以下のとおり,必要性は認められ,合理性を欠くとはいえない。  認定に係る本件通達を発出するに至った経過に照らせば,学習指導要領に基づく卒業式等を実施するよう改善,充実を図るという本件通達の目的には合理性があるといえるし,これを実現するため,卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施方法等を定める通達を特に発すべき必要性もあったといえる.また,その内容も,卒業式等において教職員が国旗に向かって起立をし,国歌を斉唱し,又はピアノで国歌を伴奏するようにするため,この通達に基づいて各校長に対して職務命令を発出することを求めることを内容とするものであるが,このような職務命令が思想及び良心の自由を侵害するものとはいえないことは,前に説示のとおりであるし,本件通達は,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針のみを定めるものであって,教職員が児童・生徒に対して「日の丸」・「君が代」に関する歴史的な事実等を教えることを禁止するものではなく,教職員に対し.国旗・国歌について,一方的に一定の理論を児童・生徒に教え込むことを強制するものとはいえず,後記のとおり,教職員に認められる教授の自由ないし教職員としての専門職上の自由(教育の自由)を侵害するともいえないし,教育活動を阻害するとも認められないので,合理性を欠くとはいえない。 (エ)よって,本件通達は,旧教育基本法10条1項にいう「不当な支配」に該当するとは認められない。 (3)控訴人らには一定の範囲で教職員としての専門職上の自由(教育の自由)が認められるが,本件通達及び本件職務命令がこれを侵害するとは認められない。  高等学校等の普通教育の場面においても,教師について,一定の範囲における教授の自由が保障されるべきであるといえるが,大学の教育の場合には,学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し,普通教育においては,児童・生徒にこのような能力はなく,教師が児童・生徒に対して強い影響力,支配力を有していることや,普通教育では,児童・生徒の側に学校や教師を選択する余地が乏しく,教育の機会均等を図る上からも全国的に一定の水準を確保すべき要請があることなどからすると,普通教育において,教師に完全な教授の自由を認めることはできないと解するのが相当である。  そして,「日の丸」や「君が代」に係る歴史観ないし世界観については,様々な意見があることは公知の事実であるが,公立学校の卒業式等の儀式的行事において,教職員に対して,国歌斉唱時に「日の丸」に向かって起立し,「君が代」を斉唱することを求めることが,児童・生徒に対して特定の思想のみを教授することを強制する性質を有するものであるとはいえないし,教職員や児童・生徒,保護者や来賓等多数の人が参列する集団的行事である卒業式等において,校長がその権限に基づき,国歌斉唱を含む式次第やその進行をあらかじめ一律に定め,これを実施しようとすることは,儀式としての性質上その必要性はあるといえるから,本件通達及び本件職務命令が,控訴人らに認められる教授の自由ないし教職員としての専門職上の自由(教育の自由)を侵害するものであるとは認められない。 (4)本件通達及び本件職務命令が国際条約(自由権規約,児童の権利に関する条約)に違反して無効であるとはいえない。  本件通達及び本件職務命令が,憲法19条,20条に違反するところがないことは前に判断したとおりであるから,これらが自由権規約18条に違反するとの控訴人らの主張は採用できない.また,本件通達に基づく国旗・国歌の指導が,児童・生徒の思想及び良心の自由,信教の自由を侵害するものでないこと,国旗・国歌について一方的な一定の理論を児童・生徒に教え込むことにはならないことは,前示の判断に照らしても明らかであるから,児童の権利に関する条約12条,14条にも違反しない。 (5)控訴人らの不起立行為等は地公法32条,33条に反する。 ア 地公法32条は,「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と規定しているところ,本件職務命令は,学校教育法51条,76条により準用される同法28条3項の校長の所属職員に対する監督権限に基づいて発せられたものであり,前に説示したとおり,本件職務命令は,憲法19条,20条に違反するものではなく,教師の専門職上の自由を侵害せず,国際条約に違反するものでもなく,適法なものというべきであるから,控訴人らが,このような職務命令に従わず,不起立行為等に及んだことは,地公法32条違反の行為というべきである。 イ 控訴人らは,不起立行為等はひんしゅくを買う行為ではないとして,地公法33条違反に当たらないと主張する.しかし,控訴人らが,教育公務員として,学習指導要領に沿った指導を行うべきであるにもかかわらず,上司である校長が控訴人らに対して学習指導要領の「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする.」という条項(国旗・国歌条項)の趣旨にかなった指導を命じた本件職務命令に,公然と,しかも,児童・生徒及びその保護者の面前で違反したことは,その職の信用を傷つける行為であることは明らかであり,同条に違反する行為である。 ウ したがって,控訴人らが本件職務命令に従わず不起立行為等に及んだことは,地公法32条,33条に反する行為といわざるを得ない。 (6)以下のとおり,本件処分に手続的違法はない。 ア 行政手続法3条1項9号は,公務員又は公務員であった者に対してその職務又は身分に関してされる処分については,告知,聴聞の機会を与える規定(同法13条,15条),聴聞に関する一切の行為をすることができる代理人を選任できる旨を定めた規定(同法16条)の適用を除外しているから,被処分者に対しそのような機会を与えなければならないものではない上,事情聴取に弁護士代理人の立会いを認めなければならないものではない.また,地公法上の処分に先立つ事実確認のための事情聴取に憲法31条の要請する適正手続の保障が及ぶ余地があるとしても,事実関係の確認のための事情聴取において,弁護士の立会いを求めることやメモをとることが同条によって当然の権利として認められるものではない。  本件処分については,控訴人らに対して事前に都教委による事情聴取が行われており,実質的に告知と弁明の機会が与えられていたというべきであるし,前記のとおり,控訴人らには弁護士代理人の立会いを求める権利やメモを取る権利はないから,都教委がその立会いを認めなかったことに違法はなく,メモをとることを許さなかったとしても違憲,違法の問題は生ぜず,手続は公正・適正に行われたというべきである。 イ 処分に先立つ教職員懲戒分限審査委員会への諮問,答申は,法令,条例,規則等に定められたものではなく,処分する側の内部手続であるから,同審査が回覧協議で行われたことがあったとしても,手続上の違法事由とはいえない。 ウ 本件処分発令に至る手続の経緯に照らしても,手続が拙速に行われたといった批判は当たらない.また,控訴人らは,控訴人らに対する処分量定が同一であることをもって,個別の事情が一切考慮されていないと批判するが,控訴人らそれぞれについて事実確認のための事情聴取が実施されていることから,個別の事情が一切考慮されていないとは認められず,後に説示するとおり,同一内容の職務命令違反行為について,過去に処分歴等がない控訴人らについて,懲戒処分のうち最も軽い処分である戒告処分という同一の処分量定となることは理由があると考えられ,論理的にも処分量定が同一であるから個別の事情が一切考慮されていないといえるものでもないから,控訴人らの上記批判は採用できない。  その他本件処分の手続の違法を窺わせる事情は見当たらない。 (7)本件処分に裁量の逸脱はない。 ア 公務員に対する懲戒処分は,公務員としてふさわしくない非違行為がある場合に,その責任を確認し,組織内部の秩序を維持するために科される制裁である。このような懲戒処分制度の趣旨に照らすと,懲戒権者には,懲戒事由に該当すると認められる行為の原因等諸般の事情を考慮して,懲戒処分をすべきかどうか,懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかについて裁量権が認められ,当該処分が社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法と判断すべきものである。 イ 地公法によれば,懲戒処分は,軽い順に,戒告,減給,停職及び免職の4種類であるところ,本件処分は.控訴人番号72を除く控訴人らについては,いずれも最も軽い戒告処分である。  同控訴人らは,ただ静かに座席に座っているという消極的な対応に対して,文書訓告,注意等を選択することなく,経済的不利益を伴う戒告処分を科すのは不利益の程度が重すぎると主張するが.前に説示したとおり,上司である校長が控訴人らに対して学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨にかなった指導を命じた本件職務命令に,公然と,しかも,児童・生徒及びその保護者の面前で,違反したことは,相当に非難される行為であるから,控訴人番号72を除く控訴人らに過去に処分歴がないことを考慮しても,懲戒処分の中で最も軽い処分である戒告処分を科したことが,過酷であるとか過重であるとはいえず,比例原則や平等原則等に反すると窺われる事情もなく,裁量権を濫用したものとは認められない。  また,控訴人番号72の控訴人は,平成14年4月9日に開催された平成14年度入学式の際に,その服装に関する校長の職務命令及びその後の事実確認に関する校長の職務命令に従わなかったため,これが職務命令違反及び信用失墜行為に当たるとして,同年11月6日に戒告処分を受けていることから,同控訴人に対しては,過去に非違行為を行い懲戒処分を受けたにもかかわらず,再び同様の非違行為を行った場合には量定を加重するという処分量定の考え方により,本件処分として1か月間給料10分の1を減じる懲戒処分(減給10分の1・1月)を科したことが認められる。  同種の非違行為による懲戒処分が重ねて行われる場合に,過去の懲戒処分歴に応じ,より重い懲戒処分を科すという考え方は相当と認められ,選択されたより重い処分も,戒告処分の次に軽い減給処分であり,量定として1日以上6月以下の範囲で給料及び暫定手当ての合計額の5分の1以下を減ずることができる(職員の懲戒に関する条例3条)という幅のある減給処分の中でも,1か月間の給料の10分の1を減ずるという比較的軽い処分であり,処分による不利益は過酷なものとはいえないことにかんがみれば,同控訴人に対する本件処分も,比例原則に反しているものということはできず,社会観念上著しく妥当を欠き裁量を逸脱したものとまではいえない。  なお,控訴人らは,他の地方公共団体に比較して,東京都のみが突出して処分が多いとして,本件処分が社会観念上著しく妥当を欠く過酷な処分であると主張するが,他の地方公共団体における事実関係について何ら明らかでない以上,控訴人らの主張は議論の前提を欠くもので採用できない。 5 以上のような原判決に対し,これを不服として,控訴人らが控訴した(ただし,□□は当審係属中に死亡し,□□子が同人を承継した。)。なお,原審原告は172名であったが,うち□□子,□□及び□□の3名は控訴せず,また,□□は控訴したが当審で訴えを取り下げたため,当審口頭弁論終結時における控訴人は168名である。 6 前提事実,争点及びこれに関する当事者の主張は,原判決14頁16行目の「思想及び良心の自由を」を「思想及び良心の自由の制約を」と,同18頁7行目の「本件職務命令」を「本件通達」と,同22頁24行目の「不十分でなく」を「十分でなく」とそれぞれ改め,後記7のとおり当審における控訴人らの主張を,後記8のとおり当審における被控訴人の主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」欄の第2の1ないし3に記載のとおりであるから,これを引用する。 7 当審における控訴人らの主張 (1)本件における控訴人らの主張の中核は,「日の丸」・「君が代」が今でもその評価に多くの議論が伴うものであって,政治的・宗教的に価値中立的なものとはいえないのであるから,このように価値中立的ではない「日の丸」・「君が代」に対する起立・斉唱を,本件通達のようなやり方で一律に学校に導入し,個々の教職員や生徒に強制することは許されないということである。  卒業式や入学式などの学校の儀式的行事において,国旗に向かって起立して国歌を斉唱することを求めることは,一般的客観的に,国旗や国歌が,国家に対する政治的統合のシンボルとして,国民に国家への統制や国家に対する忠誠を求める政治的機能を有しており,国民の歴史観ないし世界観又は信条に基づく行為と不可分に結び付くものであって,職務命令によりこれを強制することは,国家に対する忠誠と愛国心を強制するもので,特定の思想(国家に対する忠誠や愛国,し)を持つことを強制したり,これを有することを外部に向かって表明することを強制する行為であり,このようなことは,儀式における儀礼的行為であるがゆえに,むしろその意味を増すものである。  これらの点に関する原審の判断は誤っている。原審は,国旗・国歌が,近代国家成立とともに始まり,ナショナリズムを鼓舞して,国民に国家への同一意識,統一の意識を生み,国家に統合する政治的シンボルとして政治的に活用されてきたという歴史的事実から認められる,国旗・国歌が持つ国民の国家統合及び国家忠誠への思想的政治的機能を見落としている。  特に,我が国の歴史において,「日の丸」及び「君が代」がどのように利用されてきたかという事実を認識する必要がある。戦前においては,「日の丸」・「君が代」を国旗・国歌とする法律は存在しなかったが,学校教育を通じて,「日の丸」が国旗であり,「君が代」が国歌であるという概念が,国民の間に広められていった。そして,学校儀式を中心とする学校教育が,皇国思想及び軍国主義思想を定着させる機能を果たし,「日の丸」・「君が代」がその精神的支柱の役割を担った。戦後は,学校において「日の丸」を掲揚し,「君が代」を斉唱することはなくなり,その状況がしばらく続いたが,昭和33年の小中学校学習指導要領において,「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には・・・国旗を掲揚し,君が代を斉唱させることが望ましい。」と規定され,平成元年に改定された学習指導要領により,「国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と改められ,国旗掲揚・国歌斉唱の指導が徹底されるようになった。しかし,その後も,国民世論は義務づけに反対し,教育現場では強制に伴う危険性を回避する工夫が行われていた。そのような中で,本件通達は,国旗・国歌を強制することにより,入学式,卒業式等を新たな国民教化の場にして,皇室を国民統合の中心とする国家への国民の忠誠を求める役割を果たさせようとしているものである。 (2)本件は,国旗・国歌という国家的シンボルの強制が問題になっている事案であり,種々の法的論点が検討される場合にも,漠然と,「思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することができるか」などという一般的な問題設定をしたのでは,本件とはおよそ無縁な議論に陥ってしまうことが意識されなければならない。  国家的シンボルの強制という点に焦点を絞った検討をするに当たっては,日本国憲法とその基本構造や基本原理を共通とする連邦憲法を有するアメリカの憲法判例が参考とされるべきである。アメリカ連邦裁判所は,1943年以来,国家的シンボルとしての国旗・国歌に対する特定の行為(国旗に対する起立や敬礼,忠誠の誓いや国歌の斉唱等)の強制については,これを強制された当該個人の思想・良心,信仰の内容の妥当性や適切性の問題に立ち入ることなく,その「国家的シンボルの強制」という事実に着目して,連邦憲法修正1条に違反するとの判断を貫いている。それは,国旗・国歌には,1つの国家の下に国民を統合する機能があり,この国家的・国民的統合機能は,当然に一定の思想性,政治性と不可分とならざるを得ないことから,国旗・国歌に対する儀礼的行為を儀式として実施することは許容されるとしても,これを「強制」することは本来的に個人の思想・良心,信仰の自由を侵害することにならざるを得ないことによるのである。  原審が,起立斉唱命令の拒否やピアノ伴奏命令拒否と個々人の思想,信条,良心,信仰との間の「不可分の結び付き」を否定し,これらを切り離した判断をしたことと,アメリカ憲法判例が,拒否の理由や適法性を審査することなく,したがって拒否と思想との「一般的な不可分の結び付き」を検討することもなく,その強制が思想・良心の自由の侵害になることを一貫して認めてきたこととの違いは,民族性や国民性の違いで説明できるものではない。それは,原審が,本件事件を,ただ単に,「日の丸という嫌な旗に向かって君が代という嫌な歌を歌うことを強制された事件」ととらえ,「国家的シンボルの強制の拒否」であることに焦点を絞りきれなかったことの顕れであり,このような理解は誤っている。  被控訴人は,教職員は生徒と異なり職務命令に服する義務等を負うから,教職員は思想・良心の自由への制約を受忍すべきであると主張するが,全くの誤りである。アメリカの憲法判例は,全く対極の考え方に立ち,憲法の権利は生徒のみならず教師にも認められるべきものであることを繰り返し確認してきた。また,公務員にも思想・良心の自由が認められることは,我が国の判例でもある。 (3)原審は,国旗・国歌法の制定経過やその趣旨に何ら目をやることのないまま,「国旗・国歌法は,日の丸を国旗とし,君が代を国歌とする旨明確に定め,また,学校教育法43条及び同法73条等に基づき定められた学習指導要領は『入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。』と定めているところ,卒業式等に参列した教職員が,国歌斉唱時に国旗に向かって起立して,国歌を斉唱するということ,国歌をピアノ伴奏することは,これらの規定の趣旨にかなうものである。」と判示し,国旗・国歌法の存在が本件通達を正当化する根拠の1つであるかのように述べているが,同法の立法経緯を詳細に検討すれば,同法が決して本件通達を正当化するものとなり得ないことは明らかである。そればかりか,同法は,国旗・国歌が政治的な機能を有しているがゆえに持つ国民の思想信条を侵害する危険性に配慮し,立案過程で存在していた尊重を義務づける条項をあえて入れておらず,制定時の政府答弁も,「政府としては,今回の法制化に当たり,国旗掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず,したがって,国民の生活に何らかの影響や変化が生ずることとはならないと考えている」,「学校における国旗と国歌の指導は・・・義務づけを行うことは考えておらず,したがって,現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」(小渕恵三内閣総理大臣),「人によって,式典等においてこれを,起立する自由もあれば,また起立しない自由もあろうかと思うわけでございますし,また,斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあると思うわけでございまして,この法制化はそれを画一的にしようというわけではございません。」(野中広務内閣官房長官),「本法案は,これによって国旗・国歌の指導にかかわる教員の職務上の責務について変更を加えるものではございません。」(有馬朗人文部大臣)というものであったことからすれば,同法の制定前と後で,異なる「指導」,「責務」を教育現場に課することは許されないことになる。したがって,本件通達は,国旗・国歌法の立法趣旨に完全に逆行するものであって,原審が,国旗・国歌法により本件通達が正当化されるように認定したことが誤りであることは明白である。 (4)原審は,まず平成元年の学習指導要領改訂から筆を起こし,これを受けて文部科学省や都教委が出した日の丸・君が代の扱いに関する通知や実施状況調査の結果を時系列的に沿って挙げ,本件通達発出に至る経緯及びその後の都教委の指導について認定し,それらの認定事実から,本件通達が思想,良心の自由に抵触するか否かについての法的評価や,不当な支配の判断における本件通達の目的の合理性・必要性を導いている。  しかしながら,本件通達発出に至る経緯は原審が認定するようなものではない。原審の認定は,都教委の立てた,「控訴人らは,平成元年学習指導要領改訂後に強まった教職員組合による国旗・国歌反対闘争を引き継ぐものであり,教育現場にイデオロギーを持ち込むものである。」との決めつけを前提とした,「平成元年学習指導要領改訂後,国旗・国歌条項の適正実施のために,文部科学省ないし都教委は様々な指導や通達を行ったが,教職員組合を中心とした現場教職員の激しい抵抗により適正実施に至らなかったため,やむを得ず本件通達を発して詳細な指導をせざるを得なかった。」というストーリーに引きずられたもので,誤っている。  本件通達前の文部省なり都教委による「指導」は,決して本件通達のように,個々の教職員や生徒の「集団行動への参加」を問題にしているわけではなく,あくまでも各学校ごとに集団行動としての「国旗掲揚・国歌斉唱」を実施するということであり,このような「指導」により,都立学校における国旗掲揚・国歌斉唱の「実施率」は,平成12年度卒業式以降100%となっており,都教委は,これを平成13年4月の教育委員会定例会で誇らしげに報告していたのであって,本件通達の約2年前までは,個々の教職員が立つとか立たないとか,ピアノ伴奏については,「課題」だとは考えていなかったのである。しかるに,都教委は,平成15年4月ころからの委員や一部都議会議員らの追及や政治的圧力によって,これに迎合する形で都教委の方針を転換し,@ 都教委から校長,教師,そして果ては生徒にまで至る「命令」,「上意下達」の教育現場を作り上げ,A 命令に従わない教職員らを廃除し,B それらにより教職員から生徒に至るまでの思想を統制,支配することを目論み,本件通達を出したのであり,その後の指導や処分も含め考えれば,教育現場において「個別に命令を出させること」自体が目的の1つであったのであり,個々の教職員を「職務命令違反」で懲戒処分するための前提事実を作るためのものであるとともに,上からの命令によって管理職,教職員から最後は生徒まで従わせるという仕組みの構造だったのである。  都教委は,本件通達による国旗掲揚・国歌斉唱という行為の強制により,一部都議会議員の持つ特殊なイデオロギーを実現するために,本件通達を発出したのであって,実際には,都教委が立てたストーリーとはかけ離れた経過であったことは明らかであり,本件通達の違憲,違法は,このような経過を前提に判断されなければならない。 (5)本件職務命令の根拠は本件通達であり,都教委が本件通達の合法性の根拠とするのは学習指導要領の国旗・国歌条項である。しかし,学習指導要領が定め得るのは大綱的基準に限られること,及び「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するように指導するものとする」と定めており,「しなければならない」という明確な義務を表す用語とは区別された用語を用いていることに照らせば,学習指導要領の国旗・国歌条項は,法的拘束力がないか,あっても,その義務の程度は明らかに低く,原則としてはすべきであるが,合理的な例外を認める趣旨である。したがって,裁判所は,本件職務命令に従わなかったことが合理的な例外に当たるかどうかを審理しなければならず,その場合,怠惰からではなく,自己の思想・良心を理由にこれに従うことができないとする者は,合理的な例外に当たると解すべきである。  本件通達は,「別紙実施指針のとおり行うものとすること」として,例外を認めることなく全都一律に画一的な国旗・国歌の強制を行っている。しかし,憲法41条は,国民の権利を制約するには,国会で成立した法律によることを要するとしており,これを潜脱する白紙委任は許されない。本件通達の根拠である学習指導要領は,学校教育法43条に基づくものであるが,ことを国旗掲揚・国歌起立斉唱・ピアノ伴奏による教育に限定する限り,同法において,文部科学大臣に国旗・国歌の強制を定めることは委任されていないというほかない。少なくとも,思想・良心に反することを理由として国旗・国歌の強制を受け入れ難いとする教員にも義務づけるという,例外を許さない定めを置くことまで,同法から読み取ることは不可能である。学習指導要領に法律の授権による国旗・国歌の強制があり得ないことは,国旗,国歌法が国民に対する一切の義務づけがないものとして制定された趣旨からも根拠づけられる。法律ではない下位の法形式の学習指導要領が,いかなる態様であれ,国旗・国歌を国民に義務づけることは背理である。したがって,「ものとする」という文言を一律強制が可能との趣旨と読めば,学習指導要領に法律の授権がないことにより,本件通達は根拠を欠き,その法的効果を失うのである。 (6)本件では,論理的先後関係として,まず,最初に判断されなければならないことは,本件通達とそれに基づく本件職務命令が旧教育基本法10条1項の「不当な支配」に当たるか否かである。なぜなら,それらが「不当な支配」に当たり違法であれば,控訴人らに対する個別の人権侵害の問題を検討するまでもなく,控訴人らのこれに従うべき義務の不存在を確認でき,控訴人ら個人の教育の自由や思想・良心の自由の問題,また,それに対する公共の福祉による制約の問題を論ずる必要はないからである。原審は,判断の順序を根本的に誤っている。 (7)本件通達及び本件職務命令は,旧教育基本法10条1項の禁止する「不当な支配」に当たるものであって違法であり,かつ重大・明白な瑕疵があるものとして無効でもある。 ア 以下のとおり,旧教育基本法10条1項によれば,教育委員会による教育の内容や方法に関する介入についても大綱的基準によるべきところ,本件通達はこれに反している。 (ア)原審は,「国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,子どもの教育は,教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ,子どもの個性に応じて弾力的に行われなければならないから,教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることを考慮した上で,教育に関する地方自治の原則を考慮し,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な範囲にとどめられるべきものであるが,地方公共団体が設置する教育委員会が,教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,公立学校を所管する行政機関として,その管理権に基づき,学校の教育課程の編成や学習指導等に関して基準を設定し,一般的な指示を与え,指導,助言を行うとともに,必要性,合理性が認められる場合には,適正かつ許容される目的のために必要かつ合理的と認められる範囲内において,具体的な命令を発することもできると解される。」とし,教育委員会による教育の内容や方法に関する介入を大綱的基準の設定にとどめるべき理由がないことの理由として,教育委員会は,地教行法23条5号により,学校の組織編制,教育課程,学習指導等に関して管理,執行するとされているのに対し,文部科学大臣は,同法48条2項2号により,学校の組織編制や教育課程等について指導,助言又は援助をすることができるとされているにとどまることを指摘する。 (イ)しかしながら,国の教育行政機関が基準を設定するのは大綱的な範囲にとどめられるべきなのは,第1に,子どもの教育について,教師の自由な創意と工夫の余地が要請されるからであり(最高裁昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁(以下「最高裁学テ大法廷判決」という。)),そのことは,国であろうと地方であろうと,教育行政機関一般について,その介入を制限する根拠となる。また,地教行法48条は,文部科学大臣が教育関与権限がある事務について,同大臣と教育委員会との関係を定めたものであり,指導,助言又は援助となっているのは,同大臣と教育委員会が行政組織的に上下関係にはないからであり,同大臣の教育内容の介入権限について根拠となる規定は,小学校については現行学校教育法33条,中学校については同法48条,高等学校については同法52条であり,地教行法48条ではない。現行学校教育法33条等に基づき,同法施行規則52,74条で委任立法が具体化され,その再委任により学習指導要領が定められているのである。原判決における対比は根本的に誤っており,誤った条文を比較して教育委員会の介入権限が同大臣より広いとする原判決は,教育法制に対する理解を根本的に誤ったものであり,教育委員会による教育の内容及び方法に対する介入についても,大綱的基準にとどまると解すべきである。 (ウ)また,教育委員会は,教師に対する人事権を有することにより,国の教育行政機関が抽象的なレベルで教育内容基準を策定するよりも,一層直接に介入し得る危険があるのであるから,教育委員会の介入に関する「不当な支配」の審査基準が,国の介入の場合のそれより緩和される理由は全くないのである。 (エ)設置者の執行機関として学校を管理する教育委員会と学校との関係を規律している地教行法33条1項は,「教育委員会は,法令又は条例に違反しない限度において,その所管に属する学校その他の教育機関の施設,設備,組織編制,教育課程,教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について,必要な教育委員会規則を定めるものとする。」と規定している。これは,各学校の判断によって自主的・自立的に特色ある学校教育活動を展開できるようにするという学校の裁量権限拡大の観点から,同法23条5号に列挙された事項についての第一次的な裁量権は教育機関である学校(校長)にあり,教育委員会が関与できるのは,あくまで「基本的事項」や「基本方針」といった大綱的基準に限られることを示している。 (オ)最高裁学テ大法廷判決が「教育に関する地方自治」を挙げた趣旨は,国の教育行政機関の介入を「教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的」な「大綱的な」基準にとどめることによって,国の介入を制限し,各地方の実情に適応した学習権を子どもに保障する根拠となるものであって,これを地方教育行政機関の介入を拡大する根拠とするのは誤りである。また,国旗・国歌の指導に関し,地域性などはない。 イ 本件通達とそれに基づく本件職務命令は,特別活動として一般教科以上に学校ごとの創意工夫が要請される卒業式等の実施について,学校ごとの「創造的かつ弾力的な教育の余地」及び学校ごとの「特殊性を反映した個別化の余地」を「十分に」残したものとはなっておらず,また,国家を肯定的に受容するのか,あるいは,批判,否定するのか,又は,無関心となるのかは,各人により,様々なスタンスがあり得,そのような国家観と関連して,国家のシンボルである国旗や国歌に対する考え方も,人によって多様であるにもかかわらず,教職員に対し,一方的な一定の理論ないし観念を生徒に教え込むことを強制するものであり,かつ,教育内容決定が具体的レベルにまで達しており,それが事前に決定されているという点で,非常に強制度が強いものであるから大綱的基準の範囲にとどまらないものとして違法である。 ウ(ア)最高裁学テ大法廷判決は,教育委員会は「特に必要な場合には」具体的な命令を発することができるとしている。しかし,原審が説示するように,教育委員会は「必要性,合理性が認められる場合には,適正かつ許容される目的のために必要かつ合理的と認められる範囲内において,具体的な命令を発することもできる」とするのは,同判決に反する。本件通達及び本件職務命令による教育活動への甚大な影響にかんがみれば,「必要かつ合理的」というだけで,具体的命令を発することができるとするのは,誤りである。 (イ)仮に,原審の判断基準を前提にしても,これが旧教育基本法10条1項の「不当な支配」に該当するか否かの審査基準としては,次の@〜Fなどの点に照らして決すべきである。 @ 具体的な命令の目的が,教育委員会の所掌とされている事項と合理的関連性を有するか。 A 是認される目的達成のために,命令の必要性を肯定することができるか。 B 教育活動そのものに対する具体的な命令として,教育行政主体の教育活動となるものではないか。また,教育活動そのものではないとしても,教育活動と一定のかかわりを有する場合に,指導・助言的性格を超えて,教師に一定の教育活動を強制する性質を有するものではないか。 C 具体的な命令による教育内容及び方法に対する介入が,日常的教育活動に重大な影響をもたらすものではないか。 D 具体的な命令が,学校及び教師に学習指導要領等の教育内容に係る基準の遵守を直接間接に強制するものではないか。 E 具体的な命令が,教師の自由で創造的な教育活動を阻害するおそれはないか。 F 教師に対し一方的な理論ないし観念を生徒に教え込むことを強制するものではないか。特定の意見(政治的見解)の教授を教師に強制するものではないか。 (ウ)そうすると,次の@〜Cのとおり,本件通達とそれに基づく本件職務命令は旧教育基本法10条1項の「不当な支配」に該当し,具体的命令を発する必要性及び合理性は認められないものとして違法である。 @ 国家のシンボルである国旗・国歌の問題が,その指導に関して,地方の実情に適応した子どもの学習権を保障するために,全国的一定水準としての学習指導要領の国旗・国歌条項より個別具体的な指示を出す必要性及び合理性が存するということは考えられないから,本件通達発出の必要性及び合理性を「教育に関する地方自治の原則」に求めることはできない。 A 学習指導要領の国旗・国歌条項は,国旗掲揚及び国歌斉唱の具体的在り方を何ら指示するものではないところ,本件通達発出当時,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施率が100%となっていたのであるから,「学習指導要領に基づく卒業式等を実施するよう改善,充実を図る」必要性も合理性もなかった。 B 学習指導要領の定めは,国旗・国歌条項のほかには,「儀式的行事」の「内容」に関する「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」という定めのみであり,卒業式等は,学校ごとの創意工夫を生かすとともに,学校の実態や生徒の発達段階及び特性等を考慮したものでなければならないのに,本件通達及び本件職務命令は,創造的かつ弾力的な教育の余地及び学校ごとの特殊性を反映した個別化の余地を十分には残していないものである。 C 校長が個々の教職員に対し,起立斉唱又はピアノ伴奏の職務命令を発するか否かは,校長の裁量権の範囲内に属することであり,教育委員会が,すべての教職員に職務命令を発出するよう命令する必要性及び合理性は何ら存しない。国旗・国歌法制定当時の政府答弁は,教育委員会が校長に対し,すべての職員に職務命令を発出するよう命令することなど全く想定しておらず,本件通達は明らかに国旗・国歌法の立法者意思を超えている。 (8)本件通達及び本件職務命令は憲法19条,20条に違反する。 ア このうち憲法19条違反についての控訴人らの主張は,次のとおりである。 (ア)控訴人らは,「日の丸」・「君が代」の持つ戦前の軍国主義,皇国思想のシンボルとしての「負の歴史」に対する反省,あるいは教職員として有する教育観又は職業上の信念等を理由として,「日の丸」に向かって起立し「君が代」を斉唱できないとの信念を有しているのであるから,本件職務命令で起立斉唱(ピアノ伴奏)を強制することは,控訴人らの思想及び良心の自由を直接に侵害するものである。 (イ)起立・斉唱しなかった控訴人らに懲戒処分を行うということは,控訴人らが有する「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思想」を貫いたがゆえに制裁を科しているのであって,これは思想・信条を理由とした不利益取扱いであり,憲法19条に違反する。 (ウ)国歌の起立斉唱(ピアノ伴奏)命令は,思想及び良心ゆえに起立を拒む教職員をあぶり出す効果を有しており,教職員に対して「踏み絵」としての意味を持っており,公権力が個人の「思想」を推知することを禁じた憲法19条に違反する。 イ 原審は,憲法19条の解釈を誤り,また,違憲審査基準を誤り,さらに,控訴人らに対する思想・良心の自由の制約を正当化する根拠の判示は,違憲審査基準の定立とその具体的検討のいずれにおいても失当であり,破棄を免れないものである。 (ア)原審は,憲法19条が保障する「思想」のとらえ方を誤っている。 @ 原審は,控訴人らについて「教師としての思い,良心から国旗に向かって起立し,国歌斉唱できない,又はピアノで国歌の伴奏ができないという信念を有するものであると認められる。」と判示し,控訴人らが「日の丸」・「君が代」ないしその強制に関して,控訴人ら主張のような考えを持つことは思想及び良心の自由として保障されることを認めているだけでなく,控訴人らの「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」も憲法19条の「思想」として同条の保障の対象となることを明言しながら,「思想や良心の核心部分を直接否定するような外部的行為を強制することは,その思想や良心の核心部分を直接否定することにほかならないから,憲法19条が保障する思想及び良心の自由の侵害が問題になるし,そうでない場合でも,思想や良心に対する事実上の影響を最小限にとどめるような配慮を欠き,必要性や合理性がないのに,思想や良心と抵触するような行為を強制するときは,憲19条違反の問題が生じる余地があるといえるが,これらに該当しない場合には,外部行為が強制されたとしても,憲法19条違反とはならないと解される。」とした上で,控訴人らの不起立行為等については,「卒業式等の儀式の場で行われるピアノ伴奏又は出席者全員による起立及び斉唱である」ことを理由として,「歴史観ないし世界観又は信条とは切り離して,不起立行為等には及ばないという選択も可能であると考えられ」ると断じ,「一般的には,卒業式等の国歌斉唱時に不起立行為等に出ることが,原告らの歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結びつくものということはできない」から,「本件職務命令は,原告らの思想及び良心の核心部分を直接否定するものとは認められない」と結論づけた。  しかしながら,卒業式等の儀式的行事にあっては,その進行に際して統一的な行動が望まれるとしても,当該行為が一定の思想に基づくものである限り,当該行為を強制することは,なお,思想の強制(一定の思想に基づく行為の強制)の禁止を含意する憲法19条の問題を生じることになるのであり,儀式における起立斉唱(ピアノ伴奏)であることが,思想及び良心と外部的行為の結び付きを断絶させる理由にはならない。  控訴人らの,人格的核心に根ざした,真摯な理由による,都教委による「日の丸」・「君が代」の強制に従うことができないという思い,すなわち,「卒業式・入学式等において国旗に向かって起立し,国歌を斉唱できないという考え」あるいは,「卒業式・入学式等の国歌斉唱時にピアノ伴奏できないという考え」は,それ自体が,控訴人らの内心の核心に根ざしたものであって,その「考え」は,その理由を形成する世界観,人生観,歴史観,教育観等の思想あるいは信条とは別途,憲法19条の保障が及ぶ「思想・良心」である。そして,控訴人らの内心の根底にある思想・信条と「起立できない(ピアノ伴奏できない)思い」は不可分一体の関係にあるのである。 A 原審は,控訴人らの不起立行為等という外部的行為が,「思想及び良心の核心部分を否定したものであるかどうか」を判断するに当たり,「一般的には,卒業式等の国歌斉唱時に不起立行為に出ることが,原告らの歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結び付くものということはできない。」,あるいは,「一般的には,本件職務命令が原告らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定するものとはいえない」と述べている。  このような判示は,精神活動の自由が,生命・身体の自由と並んで人間の尊厳を支える基本的な条件であって,民主主義存立の不可欠の前提であることを看過しているといわざるを得ない。  憲法19条が「思想及び良心の自由」を保障したのは,各人によって,その思想及び良心に多様性があることを認めた上で,その多様性を尊重すべきであるからである。各人によって,思想及び良心の「核心部分」は異なっているのであって,「一般的には・・・結びつかない」としても,その人にとって「核心部分」と結び付くならば,憲法19条の保障が及ぶと解する必要がある。「一般的には」論は,「多数者から見た場合にどうか」を問題とした議論であり,そのような「一般的には」論では,人権は多数者の人権であれ少数者の人権であれ等しく平等に保障されるという人権保障の原理と正面から衝突することになる。そして,少数者の思想・良心に基づく選択が,同様の思想・良心を多数者ないし一般人が共有していない場合や,多数者から見てそのような選択が首肯できるものでない限り保障されないとすれば,人権保障の原理は根底から崩れ去ることになってしまい人権保障が全うできないことになってしまうのである。  原審は,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を憲法19条が保障する「思想信条」に該当することを認めながら,その「思想信条」に従った態度をとることを「一般的には・・・結びつかない」として,「思想信条」自体が思想及び良心の自由の保障の対象とならないという矛盾を犯しているのである。 (イ)原審は,その外部的行為を強制すること自体が内』しに反する行為を強制することになるにもかかわらず,内心に反する行動を選択することが可能であるとして,内心と外部行為を分断している点で,憲法19条の解釈を誤っている。 @ およそ人の内心には国家権力が立ち入るべきではないということは近代民主主義国家の基本的理念に基づくものであり,人の内心における精神的活動は他の利益と抵触することはないから,憲法19条で保障された思想・良心の自由は,憲法上最も強い保障を受けるものであって絶対的自由である。  そこで,憲法19条は,思想・良心の自由を保障するため,以下のような侵害を禁止したものと解される。すなわち,同条は,(i)特定の思想を持つ,又は持たないことを理由とする制裁等の不利益処遇の禁止,(ii)特定の思想を持つ,又は持たないことの強制の禁止,(iii)現に持つ思想の告白(開示)の強制又は現に持つ思想と異なる内容の告白強制の禁止,(iv)思想・良心と密接不可分な外部的行為を行うことの強制又は禁止の禁止である。  思想・良心の自由の保障が,内心限りにとどまるか,それとも内心と密接不可分の外部的行為をも保障するものであるか問題となるところであるが,内心と外部的行為は不可分であり,これを形式的に分けることは不可能であるし,いかなる外部的行為を命じても内心を侵害することはないと解するのでは,憲法19条は全く無内容なものになってしまい,思想・良心の自由を保障した憲法の趣旨は画餅に帰することになるから,一定の外部的行為,すなわち,思想・良心とのつながりが明らかに推知され,切り離して考えられないような不可分の外部的行為,あるいは自己の思想・良心が侵害されようとしている場合に,防衛的・受動的にとる拒否の行為(不作為)には,内心領域に対する保障と同等の絶対的保障が及ぶと解すべきである。  公権力が,特定の思想や価値観ないし事物の是非・善悪の判断を正統なものとし,国民に対してそれに従うべきことを強制することは禁止される。個人の尊厳を基本原理とする憲法の下では,人の「思想」,「価値観」,「是非・善悪の判断」が公権力により強制・干渉されることなく形成されるべきであることは,近代民主主義の基本的前提条件であるからである。  また,特定思想に結び付いた行為の強制も,その思想を支持できない者にとっては,自己の思想と抵触する行為を強制されることにほかならないから,思想・良心の自由の侵害に当たり,憲法19条が禁止するところである。 A 原審は,自己の「思想及び良心」に反することを理由に外部的行為を拒否することができないとの結論を示し,その根拠として,これをできると解した場合には,「社会が成り立ち難い」ことが明らかであると述べる。これは,佐藤幸治教授著「憲法(第3版)」(488頁)に基づく解釈によったものと思われるが,判示は佐藤教授の見解を都合よく引用するものであり,曲解したものである。  また,原審が,「思想及び良心」の内容及び課せられる外部的行為の性質等を検討することなく,「思想及び良心」に基づく外部的行為の拒否は認められないと判断したことは,「社会が成り立ち難いことが明らか」というほか理由が示されていない点は措くとしても,粗雑な憲法解釈である。 (ウ)原審は違憲審査基準を誤っている。  控訴人らの思想及び良心の自由に対する「制約」の違憲審査においては,控訴人らの思想及び良心の自由の実現により侵害される他者の人権(対立価値)の内容と,これについて具体的にいかなる現実的・具体的害悪が生じるのかく害悪の重大性,急迫性)を明確にした上で,制約目的が必要不可欠であるか,制約の手段・方法等が必要最小限であるか,より制限的でない他の選び得る手段がないかなどについての厳格な審査がされる必要がある。  にもかかわらず,原審は,対立価値の内容と対立価値について生じる害悪の重大性・急迫性の内容を明確にせず,単に職務命令の目的・内容の必要性・合理性のみを判断して違憲審査を行っており,その判断枠組自体が失当である。 (エ)原審が挙げた本件通達及びこれに基づく各校長の職務命令の必要性・合理性を肯定する事情は,制約が憲法上許容される根拠とならない。 @ 「全体の奉仕者」,「職務の公共性」等の抽象的概念から思想及び良心の自由の制約を正当化できないこと  原審は,憲法15条2項から「地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するもの」であり,「このような地方公務員の地位の特殊性や職務の公共性にかんがみ」規定された地公法30条及び同法32条から,「控訴人らは,いずれも都立高等学校の教職員等であって,法令等や上司の職務上の命令に従わなければならない立場」にあることが,本件職務命令の合憲性を基礎づける事情となる旨を判示している。  しかし,公務員であっても,「職務の公共性」や「全体の奉仕者」という抽象的概念によって人権制約が一般的・抽象的に正当化されることはない。本件で,国歌の起立斉唱命令による控訴人らの思想及び良心の自由に対する制約の合憲性を判断するに当たっては,当該公務員の人権の実現により,具体的に子どもらのいかなる学習権についてどのような現実的・具体的害悪が生じるのかを検討し,そのような対立価値との関係において,国歌の起立斉唱命令の目的が必要不可欠であるか,手段・方法等が必要最小限であるか(より制限的でない他の選び得る手段がないか)が厳格に審査されなければならないにもかかわらず,原審はその検討をしておらず,失当である。  特に,旧教育基本法6条1項は,「法律に定める学校は,公の性質をもつ」とした上で,2項で「法律に定める学校の教員は,全体の奉仕者であって,自己の使命を自覚し,その職責の遂行に努めなければならない」と定めており,「法律に定める学校」には,公立学校だけではなく,私立学校も含まれることからすれば,公立学校の教員だけでなく,私立学校の教員も「全体の奉仕者」として自己の使命を自覚し,その職務の遂行に努めなければならないとされているのである。そうすると,公務員関係を念頭に定められている憲法15条2項と旧教育基本法6条2項の「全体の奉仕者」は同一の概念ではなく,後者は教員が公教育を行う主体であること自体から定められているものと解されなければならないのであるから,同条を含む法体系全体にかんがみれば,教育公務員である教員と一般公務員とでは法が定める「全体の奉仕者」の趣旨も異なっているのであり,控訴人らの人権について,一般公務員と同一の根拠で人権制約を正当化することはできないというべきである。 A 本件職務命令の必要性を肯定した原審の誤り  原審は,国旗・国歌法が「日の丸」を国旗,「君が代」を国歌と明確に定めていること,高等学校学習指導要領が「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めていることから,卒業式等に参列した教職員等が,国歌斉唱時に国旗に向かって起立して,国歌を斉唱するということは,これらの規定の趣旨にかなうものであることを,本件職務命令の必要性を肯定する事情に挙げている。  しかしながら,前記のとおり,国旗・国歌法は,日の丸を国旗,君が代を国歌と規定するのみであって,国旗掲揚・国歌斉唱の実施方法等に関しては何ら規定を置いておらず,また,同法の条項及び立法趣旨に照らせば,同法が教員に対して起立斉唱(ピアノ伴奏)義務を課すものと解する余地はなく,同法により控訴人らの思想及び良心の自由の制約の必要性が肯定されると解し得ないことは明らかである。また,学習指導要領の国旗・国歌条項については,前記のとおり,校長や教職員に対して法的拘束力を有するものとはいえず,その有する意味はせいぜい「一般的指針」にとどまるものと解され,仮に,国旗・国歌条項に一定の法的効力が認められるとの解釈があり得るとしても,教員に対して国歌起立斉唱義務を課す根拠となり得るものでない。  したがって,学習指導要領の国旗・国歌条項及びその趣旨に照らしても,控訴人らに対して起立斉唱(ピアノ伴奏)義務を一律に課す必要性が肯定されると解する余地がないことは明らかであり,これらによって制約の必要性を認定した原判決は失当である。 B 本件職務命令の合理性を肯定した原審の誤り  原審は,本件職務命令の合理性について,卒業式等の儀式においては,出席者に対して一律の行為を求めること自体に合理性があること,及び卒業式等における国旗掲揚や国歌斉唱が全国的には従前から広く実施されていたものであることを根拠に,これを肯定する。  しかし,本件職務命令の合理性は,究極目的たる子どもの学習権の充足を図る利益(又はこれを前提とする中間目的としての卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の指導)を達成する上で合理的か否かという点において検討がされなければならず,そのような観点を捨象して,単に「儀式においては,出席者に対して一律の行為を求めること自体には合理性がある」と判示する原判決は失当である。そして,子どもの学習権の保障という究極目的に照らせば,教育の場である卒業式等において,なお国民の間で宗教的,政治的にみて価値中立的なものと認められるまでには至っていない日の丸・君が代について,教職員に対して思想及び良心の自由を制約してまで起立斉唱(ピアノ伴奏)を一律に強制することに合理性があるということはできない。 C そもそも,学校としての統一的な意思決定にすべて従うことが教師の職責とされるわけではなく,学校行事一般が厳粛に行われるべきであるといった問題を超えて,「学校行事」だから学校としての統一的行動が求められるというのだとすれば,それは,戦前の学校儀式から脈々と続いている,いわゆる「伝統的」な「儀式・儀礼とはかくあるべし」という観念に縛られたものにほかならず,学校行事における「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱という場面において,学校行事における儀礼,儀式は統一的であるべきであるとか,組織としての学校の秩序を維持すべきであるなどといった観念的な理由により,控訴人らの思想・良心の自由の制約を正当化することは,許されてはならない。 D 被控訴人は,「卒業式等において国旗に向かって起立せず国歌を斉唱しない教職員がいるときは,その指導を受ける生徒としては,国歌斉唱の際に,国旗に向かって起立してもいいし,しなくてもいい,国歌を斉唱してもいいし,しなくてもいいと受け取ってしまうのであり,かくして児童・生徒は国旗・国歌について正しい認識を持ち,国旗・国歌を尊重する態度を学ぶことができなくなり,児童・生徒の学習権を侵害するものである。」と主張する。  しかし,子どもの学習権という視点でとらえるならば,一方的に「真理」や「結論」を押しつけ,教え込むのではなく,子どもたちが疑問を持ち,問いを続け,問いが深まり,自分という存在と,自分とは異なる他人という存在の違いや,お互いに認め合うことの意義を理解できるようになるための教育が求められることになるのであり,控訴人らの不起立行為等という,控訴人ら自らの思想・良心に従ってやむを得ずとった行動を見た子どもたちが,思想・良心によって起立する人もいれば起立できない人もいるのだと感じることはあるにしても,それ以上に,起立斉唱する子どもたちを阻害するものではなく,かえって,子どもたちに「日の丸」や「君が代」について多様な考えがあることを前提に,「日の丸」や「君が代」についての事実を学び,自ら考え,決定するという機会を与えるものであって,控訴人らの行為は,子どもたちの学ぶ権利の充足に資するものであり,子どもの学ぶ権利を阻害するものではない。 (オ)本件通達,本件職務命令及び本件処分は憲法19条に違反する。 @ 都教委は,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ教員を排除する目的を持っていたこと  本件通達発出の真の目的は,「生徒に起立をさせて国歌を歌わせる」ことにあり,この目的の根底にある価値観,思想は,「自分の国を愛することの象徴」としての「国旗・国歌を尊重する態度」が必要であるというもので,本件通達及びその後の校長に対する一連の指導は,教職員に対し,懲戒処分の威嚇によって起立斉唱を強制し,「都教委の方針に従わず,自己の思想・信条に基づいて,日の丸に向かって起立し,君が代を斉唱しない教職員」をあぶり出した上で,これを徹底的に排除することによって,教職員の起立斉唱の完全実施を実現し,次いで生徒に対して国歌の起立斉唱を強制し,その上で「形に心を入れる」,すなわち生徒に国旗・国歌を尊重する態度を強制的に注入する目的でされたものである。  いかに被控訴人が言いつくろったところで,本件処分は,形式的な「職務命令違反」とか「地公法違反」という理由によるものと評価することはできず,控訴人らが,都教委の方針に従順に従わず,都教委の進めようとする「自分の国を愛することの象徴」としての「国旗・国歌を尊重する態度」の生徒への一方的な教え込みの道具となることを拒否し,自らの世界観・歴史観・教育観等に基づき,「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよ」という職務命令を拒否したがゆえに,控訴人らに科されたものと評価すべきである。  そして,控訴人らは,例えば,平和思想を有し,過去の戦争への反省に基づき,新たな戦争への協力につながりかねない行為に協力することはできないという信念から,あるいはまた,教師として,生徒1人1人の思想・良心の自由を最大限保障しなければならない,生徒への一方的な一定の観念の教え込みはしてはならないという信念から,起立斉唱の職務命令に従わなかったものである。  このような一連の都教委の施策に関する事実経過や「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する」という行為を強制することの性質,効果にかんがみれば,都教委が控訴人らに懲戒処分を科したことは,実質的には,控訴人らが「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する」ことができない思想・信条を有していることによりされた,思想・信条に基づく不利益取扱いにほかならない。  したがって,「職務命令が違憲無効であるから,これに違反したことを理由とする本件処分も違憲,違法である」という論理によらなくとも,本件処分自体が,思想・信条に基づく不利益取扱いとして,それ自体直ちに憲法19条に違反しているのであり,本件処分は直ちに取り消されるべきなのである。 A 国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する行為は,自らがその国旗や国歌が象徴する国家の一員であり国民の1人であるということを示すことであり,このような,国旗・国歌によって象徴される国家に忠誠を示すという行為は,まさに「国家」に積極的な価値を認める「思想」の表明にほかならないこと  このことを明確に自覚しないままに国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する人が少なくないとしても,国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為が国家に対する忠誠を示す意味を内包しているのは,客観的事実である。したがって,「国家」に積極的な価値を認めない「思想」を有する人にとっては,国旗に向かって起立し国歌を斉唱するという行為は,自己の思想と矛盾する行為であるから,自覚的にこれを忌避することになるのである。「国家」に積極的な価値を認めるか否かは,まさに権力から独立した個人の自立的な判断に委ねられるべき事柄であり,権力によって強制されるべき事柄ではない。そして,少なくとも「国家」に積極的な価値を認める「思想」が唯一絶対の真理ではないことは周知の事実である。  「日の丸」が国旗,「君が代」が国歌であることを法定する国旗・国歌法を制定したこと自体,日の丸・君が代を国旗・国歌とすることに反対する「思想」を否定し,日の丸・君が代を国旗・国歌として肯定する「思想」を権力的に勧奨する意味を帯びることは否めないが,同法がわずか2か条の条文を置くのみとなり,勧奨効果は最小限度にとどめられることになったのは,反対論者の思想・良心の自由が損なわれることのないように警戒することが求められた国家的議論の結果と理解されるべきである。  加えて,「君が代」の起立斉唱は「国家」を賛美する性質だけでなく,君が代の歌詞の解釈によっては「天皇」を賛美する性質を帯びることにもなるのである。  本件通達及び各校長の職務命令は,控訴人らに対し,これに従わなければ「服務上の責任を問う」ことによって,卒業式等において国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを強制しているのであり,これは,都教委及び都立学校の校長という公権力が,一定の「思想」に基づく行為を教職員に強制しているものなのである。  このような,都教委による「『日の丸』・『君が代』に対する肯定的『思想』」,あるいは,「『国家』に積極的な価値を認めるべきだとする『思想』」という一定の「思想」に基づく国歌の起立斉唱の強制は,公権力による一定の「思想」の強制・勧奨を禁じた憲法19条に違反するものであることは明らかである。  そして,本件通達及びこれに基づく本件職務命令に従わなかったとして懲戒処分を科すことは,本件通達及びこれに基づく各校長の職務命令が前提としている「『日の丸』・『君が代』に対する肯定的『思想』」,あるいは,「『国家』に積極的な価値を認めるべきであるとする『思想』」という一定の「思想」の強制であり,憲法19条に反することになるのである。 B 「君が代」の起立斉唱の強制は,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ者を推知する効果があり,憲法19条に違反すること  憲法19条が「踏み絵」を絶対的に禁止していることに異論はない。いわゆる「踏み絵」とは,公権力が「思想」的な意味をもつ発言や行為を求め,特定の「思想」を有する者をあぶり出すことをいう。これには,公権力の主観的意図にかかわりなく,具体的な状況の下で一定の思想を有する者をあぶり出す効果を持つものが含まれる。  「踏み絵」は,イエス像を踏むという一定の行為を強制されるものであり,強制に従いイエス像を踏んだ者がどのような宗教を信仰しているか,あるいは信仰していないかを知ることはできないが,キリスト者に対し,イエス像を踏むというその信仰に反する行為を強制すること,そしてキリスト者がそのような行為を拒否することによって,その者が「キリスト者」であるという信仰を外部に示すことになる。本件の起立斉唱あるいはピアノ伴奏の強制も,同様に,起立斉唱している者,あるいはピアノ伴奏している者の内心がどのようなものであるかを知ることはできないが,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ者にとっては,自己の思想に従えば「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない」結果,その者が「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」という思想,信条を有していることが外部に示されることになるから,これによって,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ者があぶり出されることになるのである。  なお,いわゆる「踏み絵」は,公権力によって不都合な「思想」をあぶり出す効果があれば足り,当該「思想」を持つ者すべてを選別できなければならないわけではない。逆に,あぶり出された中に当該「思想」を有しない者が含まれていたとしても,あぶり出し効果が損なわれるわけではない。  したがって,「君が代」の起立斉唱の強制に従わない教職員が,必ずしも「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ者だけではなく,中に他の理由で従わない者が存在したとしても,本件通達及びこれに基づく各校長の職務命令による「君が代」の斉唱の強制は,「『君が代』を起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つものをあぶり出す機能を持っているといえるのである。  そして,都教委側の主観的意図が「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ教職員をあぶり出して排除する意図がなかったとしても,「あぶり出し効果」は否定できないのであるから,教職員に対する「踏み絵」としての意味を否定することはできないのである。  したがって,本件通達及び本件職務命令は,教職員に対して「踏み絵」としての意味を持つのであり,公権力が個人の「思想」を推知することを禁じた憲法19条に違反する。 (9)本件通達及び本件職務命令は,自由権規約18条に違反する。  本件通達及び本件職務命令は,実際上,生徒に対して,一律に日本の国旗・国歌を強制する機能を果たしており,外国籍の生徒など文化的アイデンティティが異なる生徒に対しては,その文化的アイデンティティを侵害する機能を果たしている。控訴人らは,多様な国籍を有する生徒がいる都立高校の実態から,一律強制に従えないと考えたものであり,控訴人らに一律に「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること」を命じ,それに従わなかったことを理由に懲戒処分に付したことは,自由権規約18条に違反する。  本論点については,原審においては判断が示されていないので,控訴審において具体的な判断を求めるべく,重ねて主張する。 (10)仮に本件処分を違憲,違法といえないとしても,本件処分は裁量権の逸脱・濫用に当たり,違法である。 ア 法は,「権利の濫用は,これを許さない」(民法1条3項)と宣言する。法が創設する権利の行使が,その実質において権利創設の目的や理念に背馳する場合に,当該権利行使の法的効果が否定されるべきことは当然である。すべての権利には,本質的に権利行使の限界が内在するのである。被控訴人が地公法上の職員に対する懲戒権の行使に関して裁量権を有しているにせよ,あらゆる権利に本質的に内在するのと同様,その権利の行使が権利創設の根拠法の立法趣旨に照らして濫用にわたることは許されず,裁量権の範囲を超え,又はその濫用があった場合には,その処分は違法なものとなり,裁判所はその処分を取り消すことができるのである。  処分権者の裁量権の範囲を超えるか否かの判断基準となるのは当該処分が「社会観念上著しく妥当を欠く」か否かであり,ここでいう「社会観念」とは,単純に現にある社会の多数者を念頭に置いた社会の「通念」を意味するものではなく,憲法的な価値判断の視点に立脚した「規範としてあるべき良識」でなくてはならない。いうまでもなく,基本的人権という法概念は,多数決原理の限界を画するものである。社会の多数の意思によっても奪うことができない憲法価値として確立された人権が,社会「通念」という社会の多数派の意思によって奪われることがあってはならない。「処分が著しく妥当を欠く」か否かの判断の局面においても,人権や憲法的秩序などの理念の擁護をどこまで徹底するかという優れて憲法的な価値判断が求められる。 イ 裁量権濫用の判断基準  裁量権の限界を見極めるためには,まずもって法が当該権利を創設した目的や理念を確定し,その上で,当該の権利行使が,いかなる動機や目的で行われているかを,形式的にではなく実質において見極め,以下のような場合には,裁量権の行使を誤ったものとして,その処分が社会観念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したと認められるときは,違法であると判断されるべきである。 (ア)裁量処分が,制度の目的と関係のない目的や動機に基づいてされた場合 (イ)考慮すべき事項を考慮せず,考慮すべきでない事項を考慮して処分理由の有無が判断された場合 (ウ)処分理由の有無の判断が合理性を持つものとして許容される限度を超えた場合 ウ 本件処分は,以下の点に照らせば,被控訴人における裁量権の逸脱・濫用に当たるものとして違法を免れない。 (ア)処分目的逸脱による裁量権濫用 @ 公務員法上の懲戒処分が,懲戒権者に処分権限を付与した立法の趣旨に反して,法の想定を逸脱した目的ないし動機に基づいて行われた場合には,形式的には懲戒権の行使であっても,裁量権の逸脱・濫用として違法となる。また,あからさまに法の目的に違反したものとの認定にまでは至らずとも,当該処分が法の処分権限創設の目的との十分な整合性や関連性を欠くことを認定できれば,あえて基本権の尊重という憲法の理念や公務員の身分保障を無視して処分を適法とすべき理由はない。 A 地公法が被控訴人(都教委)に付与した「公務員関係の秩序の維持のための懲戒権」の行使は,「生徒の教育を受ける権利を十全に保障する公務員秩序」の維持を目的とする限りにおいて,立法趣旨に沿うものとして合法性を有するものであるところ,被控訴人が本件通達の発出と懲戒処分の濫発をもって,都立の全校に強制したものは,国旗・国歌の尊重を個人の思想・良心の自由に優先し,国旗・国歌という国家象徴への忠誠宣誓に等しいと理解する余地のある行為の権力的強制にほかならず,あるべき公務員秩序を維持するためのものではない。本件の処分対象となった不起立行為等の原因,動機,性質,態様,結果,影響等を吟味すれば,合理的な思考からは,これが懲戒処分をもって禁圧しなければならない秩序素乱行為に当たらないことが一見明白である。にもかかわらず,本件のごとき過酷な処分に至っているのは,被控訴人の側に「公務員秩序の維持」を超えた不当な教育支配の意図あればこそなのである。  本件処分は,形式的には「公務員秩序の維持」を目的とするもののごとくでありながら,実は教育への不当な支配を目的とする本件通達以下一連の行為の一環としての懲戒権の行使である。少なくとも,その実質において「憲法的な視点における教育現場のあるべき公務員秩序」形成に背馳するものといわざるを得ない。 (イ)比例原則違反  懲戒処分の適法性判断においては,処分事由とされた非違行為の程度と,制裁措置としての懲戒処分の不利益の程度との,軽重の権衡の保持が必要であるところ,以下のとおり,本件各処分は著しくその権衡を失するものとして,裁量権の逸脱・濫用に当たり違法である。 @ 処分事由とされた本件非違行為の類型は職務命令違反であるから,非違行為の軽重は何よりも職務命令の内容に照らして吟味されなければならない。職務命令が一見明白に違法であれば,これに従う義務のないことに異論はない。  控訴人の主位的な主張は,本件通達に基づいて各校長に強制された本件各職務命令は一見明白に違憲,違法なもので,これに従う法的義務を欠くという意味で無効というものであるが,かろうじて違憲,違法あるいは無効の評価を免れたとしても,憲法や教育基本法の趣旨に違背した不当な内容であることは明らかというべきであり,その職務命令違反を非違性重大と評価することはできず,むしろ,生徒の教育を受ける権利に奉仕すべき教員の責務からは,教育者としての真摯な動機からの命令への不服従は憲法的保護を受け得るものであり,少なくとも非違性の程度は極めて軽度というべきである。 A また,非違行為の軽重は,各人の職務命令違反に至った動機における真摯性によって判断されなければならない。  「非違行為」とは,通例は,犯罪行為,違法行為,破廉恥行為,職務懈怠行為を意味する。しかし,控訴人らは違法な行為に及んだものでも,破廉恥な行為を行ったものでも,教員としての職務を懈怠したものでもない。むしろ,真摯に自らの生き方を探り,教員としての良心に忠実になろうとして,本件通達や本件職務命令と義務の衝突を自覚し,これを受け入れ難いとしたものなのである。 B さらに,控訴人らの処分対象行為は,その性質・態様において,自らの思想・良心の自由を防衛する以上の積極的行為を伴わない消極的なものにすぎず,控訴人らの本件各行為によって,具体的に卒業式等の進行に支障が生じたり,式典が混乱したなどという影響は現実に皆無である。すべての者の斉一的な行動に美的感覚を有する者の目には,多少の不快感という影響があることが考えられる。しかし,憲法的観点からは,そのような感覚は価値観の多様性の尊重というより高次の憲法理念に席を譲らざるを得ない。 C 一方,制裁措置としての懲戒処分の不利益の程度は極めて重い。まず,何よりも本来保障されるべき憲法上の思想・良心の保護を剥奪されたこと自体の不利益が甚大である。  控訴人らは,自己の信条に忠実になろうとすれば懲戒という不利益を受けざるを得ず,この不利益を回避しようとすれば自己の信条に反する行為を余儀なくされるという矛盾と葛藤を余儀なくされた。そのことによる精神的苦痛は極めて大きい。  さらに,経済的な不利益も極めて大きい。懲戒のうちで,戒告は最も軽微なものだから,経済的な打撃を考慮する必要はないということは大きな誤りである。1回の戒告処分がもたらすものは,精励手当のカットのみではなく,3か月の昇給延伸をもたらすものであるところ,この措置の影響は生涯ついて回ることになる。もちろん,退職金にも年金にも影響することになる。履歴として刻印され,転勤にも昇進にも影響する。のみならず,たった1回の戒告処分が定年後の再雇用や再採用拒否事由とされる。この不利益は人生設計に誤算をもたらす大きさを持つものである。 D さらに,本件処分の不利益性を考慮する際には,同様の処分が例年繰り返され,累積され加重されるという特異性が考慮されなければならない。  本件処分の本質が,控訴人らの思想・良心そのものを対象とするものである以上,各控訴人が真摯な思想や良心を保持し続ける限りは,毎年の繰り返しの処分を避けることができない。「転向」か「改宗」か,あるいは屈服して面従腹背の屈辱を甘受するに至るまで,懲戒は幾度でも繰り返され,累積されて加重されることになる。戒告にとどまるのは最初の1回のみである。累積された処分は確実に加重され,停職から免職に至るものとなる。この不利益は計り知れない。  処分の累積加重は,当然に反省すべき行為者に対して,反省の足りないことに対する是正措置として有効であり,是認可能である。しかし,良心に従った行動をとる控訴人らにおいては,「反省」とは無縁であり,「是正の効果」もあり得ない。そうであるにもかかわらず,処分は繰り返され,服務事故再発防止研修受講が強制され,さらに,見せしめとして,定年後の嘱託職員としての再雇用拒否を確実にもたらす。この不利益は限りなく甚大である。 (ウ)要考慮事項・不可考慮事項の判断を誤った違法  懲戒処分を科すに際しては,考慮すべき価値的事項と,考慮してはならない非価値的事項とを厳密に区別し,かつ,適切に軽重を評価することが必要であるところ,都教委が本件処分をするに当たってした判断は,一方で,@ 生徒や教職員の精神・信仰の自由を尊重し,A 教育に対する不当な支配を抑制することによって生徒の教育を受ける権利を擁護するという,本来最も尊重すべき事項を不当かつ安易に軽視し,他方,@ 知事や一部の都議会議員などの意向という,本来考慮に入れるべきでない事項を考慮に入れ,かつ,A 卒業式の進行が妨害される抽象的可能性という,本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価した結果として,精神の自由や教育の自由という憲法的要請と,卒業式等における教育上の必要性とをいかに調和させるべきかの手段・方法の探求において,当然尽くすべき考慮を尽くさないものであり,この点の判断につき,裁量判断の方法ないし過程に過誤があるものとして,違法なものと認めざるを得ない。 (11)控訴人らに生じた損害 ア 裁量権の濫用にわたる処分は国家賠償法上の違法行為となり,これにより各被処分者に損害が生じた場合には,慰謝料請求認容の根拠となるべきものである。 イ 控訴人らは,本件通達及び本件職務命令によって,自らが有する,卒業式等において国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること(ピアノ伴奏すること)ができない思いに反する行為を強制され,これに従わなかったために,本件処分を科された結果,自らの教師としでの職業倫理を傷つけられ,あるいは破壊させられる岐路に立たされることになったものであって,これにより多大な精神的苦痛を被った。これを慰謝するには,少なくとも50万円を下ることはない。  そして,上記自らの精神的苦痛に対する慰謝料の支払を求めるために弁護士に依頼して本件訴訟を提起せざるを得なくなったものであるから,相当因果関係のある損害となる弁護士費用は,上記損害額の1割である5万円を下らない。 8 当審における被控訴人の主張 (1)本案前の主張  本件処分はいずれも「戒告処分」であるところ,「戒告処分」とは「その責任を確認し,及びその将来を戒めるもの」であるから,当該公務員が公務員として在職していることが前提となっているものである。よって,本件口頭弁論終結時までに退職した控訴人ら(別紙処分一覧表「退職」欄に●と記載されている者のほか,同欄に○と記載されている原審口頭弁論終結後に退職した控訴人23名も含む。)については,「戒告処分」は既に法的効力を有しないものとなっているから,同控訴人らには本件処分の取消しを求める訴えの利益はない。 (2)「日の丸」・「君が代」について ア 日本国憲法においては,平和主義,国民主権の理念が掲げられ,天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であることが明確に定められているのであるから,国旗・国歌法において「日の丸」・「君が代」が国旗・国歌として定められたということは,「日の丸」・「君が代」に対して,憲法が掲げる平和主義,国民主権の理念の象徴としての役割が期待されているということである。すなわち,国旗・国歌は国の象徴であり,我が国の在り方を定めた憲法が平和主義,国民主権を理念として掲げ,これを基本原理としている以上,憲法下において国民主権の原理に基づく代議制民主主義により国会が国旗・国歌法を制定したことは,主権者である国民が,「日の丸」・「君が代」に対して憲法が掲げる平和主義,国民主権の理念の象徴としての役割を期待したものと解されるのである。 イ 国際化の進展に伴い,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,児童・生徒が,将来国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てることが重要である。  学校において行われる行事には様々なものがあるが,この中で,卒業式等は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で新しい生活の展開への動機付けを行い,学校,社会,国家など集団への所属感を深める上でよい機会となるものである。  このような意義を踏まえ,学習指導要領は,入学式や卒業式等においては,「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定している。卒業式等における国旗及び国歌の指導に当たっては,国旗及び国歌に対する正しい認識を持たせ,それを尊重する態度を育てることが大切である。  ここでいう「国旗及び国歌に対する正しい認識」とは,次のことを理解することである。 @ 国旗と国歌はいずれの国も持っていること。 A 国旗と国歌は,いずれの国もその国の象徴として大切にしており,相互に尊重し合うことが必要であること。 B 我が国の国旗と国歌は,永年の慣行により「日章旗」が国旗であり,「君が代」が国歌であることが広く国民の認識として定着していることを踏まえて,法律により定められていること。 C 国歌である「君が代」は,日本国憲法の下においては,日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念した歌であること。  そして,「国旗・国歌を尊重する態度」とは,いずれの国においても国旗・国歌をその国の象徴として大切にしているので,我が国の国旗・国歌を国の象徴として大切にするとともに,諸外国の国旗・国歌も同様に大切にするということである。 ウ したがって,本件通達及び都教委の一連の指導並びに本件職務命令において,学校行事で国旗掲揚・国歌斉唱を実施しようとすることは,生徒らに対し,こうした国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,それを尊重する態度を育てるためのものであり,教育である以上,教職員が一定の教育目標に向かって子どもらを導く作業としての側面は有するが,教職員をして生徒らに日の丸・君が代について特定内容の理論や観念を教え込むものではない。  そして,その内容は,教職員に対しても敬礼や宣誓等を求めるものではなく,国旗に対する起立と国歌の斉唱,ピアノによる伴奏を求めるなど,儀式的行事における常識的・一般的な行為を求めるものであり,控訴人らのいうような「一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制すること」ではない。  国旗掲揚・国歌演奏の際に起立することは,単に我が国における慣習であるばかりでなく,国際的な慣習というべきものである。このことは,いわば一般的な社会常識であり,国旗・国歌に対して尊崇,敬意の念を強制するというものではない。他国の状況について指摘すると,我が国が位置するアジア圏についていえば,例えば中国では特定の曜日における国歌斉唱が義務づけられているし,韓国では入学式,卒業式等の学校行事において国歌斉唱がされているのである。 エ 「日の丸」・「君が代」について個々人の歴史認識や歴史観から多種多様な解釈や異なる思いが存するのは当然であり,被控訴人としてもこれを否定するものではない。しかし,各々の多種多様な解釈や思い.と,現行憲法下において国旗としての「日の丸」及び国歌としての「君が代」に対し期待される役割及び国旗・国歌を尊重する態度を養おうとすることとは,本来別個の事柄である。  都教委は,平和主義,国民主権の理念を掲げる日本国憲法下において,「日の丸」を国旗,「君が代」を国歌とする慣習法があり,しかも平成11年に制定された国旗・国歌法により「日の丸」を国旗,「君が代」を国歌とすることが明文をもって規定されたのであるから,公教育の場においては「日の丸」・「君が代」を上記ア及びイで述べた位置づけで,上記イで述べた目的のために,児童・生徒に指導することとしているのである。 (3)本件通達及び本件職務命令は,憲法19条(思想・良心の自由)に反しない。 ア 思想・良心の自由と外部的行為について (ア)憲法19条が保障する「思想及び良心」とは,世界観,人生観などの個人の内面的な精神活動を指すものであり,事物の是非,善悪の判断などは含まない。後者を含めるときは,内面的な精神活動の自由の中でも最も根本的なもので絶対的なものであるという高位の価値を希薄にし,その自由の保障を軽くするからである。控訴人らが主張する「不起立等の信念」が,その根底にある控訴人らの思想・良心や歴史観・教育観とは別に,同条の「思想・良心」として保護されるべきかどうかについては,それらが思想・良心の核心部分とは解されないから,同条のいう「思想・良心」に該当しないというべきである。 (イ)思想・良心の自由を「侵してはならない」とする意味は,国民がいかなる世界観,人生観を持とうとも,それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり,特定の思想を内心に抱くこと自体を禁止することができないということを意味するほか,国家権力が思想の露顕を強制することは許されず,人の内心を強制的に告白させることはできないという,思想についての沈黙の自由を保障するものである。  しかし,思想が内部にとどまらず,外部に行動となって現れたときは,そのような外部的行為の規制の問題は,少なくとも憲法19条が保障する思想・良心の自由の問題ではない。  確かに,外部的行為といっても,人の内心領域の精神活動と密接な関連を有することは否定できないが,外部的行為を制約することによって,人の人格の核心を形成する世界観,人生観を持つこと自体を禁止することはないのであるから,思想・良心の自由を制約するものではないのである。法律が一定の作為,不作為を命じるときに,それに服しないことは内心にとどまらない外部的な行動となるのであり,思想・良心の自由固有の問題ではない。 イ 本件職務命令と控訴人らの思想・良心の自由  本件職務命令は,卒業式等において,児童・生徒に対し,国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,尊重する態度を育てるために,教職員に対し,国旗に向かって起立して国歌を斉唱し,そのピアノ伴奏をするよう命じるというものであり,そのこと自体は,一定の外部的行為を命じるにとどまるものであって,控訴人らの内心における精神活動を否定したり,その思想・良心に反する精神的活動を強制するものではないし,いかなる思想を抱いているかを露顕することを強制する,いわゆる「踏み絵」などと称されるものでもないから,控訴人らの思想・良心の自由を侵害するものとはいえない。  仮に,その根底にある思想・良心に対して思想・良心の自由の保障が及ぶとしても,控訴人らによる不起立行為等は,1つの外部的行為であると考えられるので,次に公共の福祉による制約との関係が問題となる。 ウ 思想・良心の自由と公共の福祉との関係について  控訴人らは,全体の奉仕者である地方公務員であって(憲法15条2項),その職務である公教育を行うという公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては,全力を挙げてこれに専念する義務(地公法30条),職務に専念する義務(同法35条)並びに法令等及び上司の職務上の命令に従う義務(同法32条)があり,服務の宣誓(同法31条)をして,全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を遂行することを約している。このように,控訴人らは,教職員として,児童・生徒に対し,国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,尊重する態度を持たせるよう指導すべき立場にあるから,本件通達に基づいた本件職務命令を受け,卒業式等の式典の会場に指定された席で国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,国歌斉唱時にピアノ伴奏をする義務を負うことにより,控訴人らの思想・良心の自由が制約されるとしても,これは控訴人らにおいて受忍すべきものであり,憲法19条に違反するものではない。 エ 自由意思による義務  さらに,控訴人らは,自らの自由意思で公立学校教職員という特別な法律関係に入った者であることを忘れてはならない。基本的人権も絶対的なものではなく,自己の自由意思に基づく特別な公法関係上又は私法関係上の義務によって制限を受けるものである。教育公務員は,法令(学習指導要領もこれに含まれる。)に基づき職務を遂行する義務を負い,かつ,上司の職務上の命令を遵守する義務を負うのであるく地公法32条)。この義務は,公務員としての基本的義務であり,学校教育が組織として行われる以上,教育公務員においても同様に基本的義務である。そして,法規たる学習指導要領が,教育の全国一定水準の確保と教育の機会均等という強い要請から制定されている以上,学習指導要領及びその具体化として発せられる校長の職務命令を遵守すべきことが強く要請されるものである。そのような義務を教育公務員が履行することは,教育公務員の法律関係の存立目的に照らして必要不可欠のことであり,上記義務の履行により控訴人らの思想・良心の自由が制約されても,それは自らの自由意思によってそのような法律関係に入った控訴人らにとってやむを得ない制限であり,受忍すべきものである。本件通達に基づく本件職務命令は,学習指導要領に基づき入学式・卒業式等の式典における国旗・国歌の指導を適正に実施すべく発せられたものであり,しかもそれは敬礼など特別の行為を求めるものではないから,仮にこれにより控訴人らの思想・良心の自由が制約される点があったとしても,それは自らの自由意思によって教育公務員という特別な法律関係に入った控訴人らにとってやむを得ない制限であり,憲法19条に違反するものではない。 オ 児童・生徒の国歌斉唱について指導を受ける権利の侵害  国旗掲揚・国歌斉唱に関する指導を行う義務を負う控訴人らが不起立行為等をするということは,控訴人らが国歌斉唱の指導を行うという義務を履行しないということであるから,仮に,同人らの行為が消極的な形で行われ,式典が滞りなく終了したとしても,国歌斉唱を妨害する行」為に該当する。そして,国歌斉唱の指導を行うべき教職員の中に不起立行為等をする教員がいた場合,その指導を受ける生徒としては,国歌斉唱の際に,国旗に向かって起立してもいいし,しなくてもいい,国歌を斉唱してもいいし,しなくてもいいと受け取ってしまうのであり,かくて,児童・生徒は,国旗・国歌について正しい認識を持ち,国旗・国歌を尊重する態度を学ぶことができなくなるのであるから,不起立行為等は,学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨である,国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,これを尊重する態度を育てるという教育目標を阻害し,児童・生徒の学習権を侵害するものである。 カ 沈黙の自由との関係  本件通達及び本件職務命令は,卒業式等の儀礼的行事において行われる国歌斉唱に際し,国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること,ピアノによる伴奏を行うことを命ずるものであって,控訴人らに対して,特定の思想や価値観の有無について,あるいは,控訴人らが主張するそれぞれの「考え方」や「思い」を告白することを強要するものではなく,控訴人らが主張するような,特定の思想の表明を迫るものではない。 (4)本件通達及び本件職務命令は旧教育基本法10条に反しない。 ア 控訴人らは,教育委員会がする教育の丙的事項に関する条件整備も,旧教育基本法10条により,大綱的基準に限られ,教育委員会は,学校や教師が法規や学習指導要領の定めに明白に違反した場合には,違反の是正のために具体的命令を発することができるが,教育内容を決定するための具体的命令を発することはできないのであるから,本件通達及び本件職務命令は違法であると主張している。  しかしながら,以下のとおり,教育委員会が教育の内容及び方法に関して基準を設定する場合には,国の場合とは異なり,大綱的基準の範囲にとどめなければならない理由はなく,控訴人らの上記主張は失当である。 (ア)旧教育基本法10条は,教育と教育行政との関係についての基本原理を明らかにした規定であり,その文言からすれば,国民全体に対し直接に責任を負えなくなった場合に,当該介入が同条1項の「不当な支配」に当たることになるから,同項の規定する「不当な支配」とは,国民全体ではない一部の勢力による介入を意味し,具体的には,政党,官僚,政界,労働組合などによる介入をいうことになる。そして,これらを介した,現実的な一般政治上の意思とは別に,国民の教育に対する意思を教育に直結して反映するような組織が必要とされることから,そのような組織として,それぞれの地方に固有の権限を有する教育委員会が設置されているのである。  ところで,現行法制上,教育行政機関としては,国にあっては文部科学大臣,地方にあっては都道府県教育委員会,市町村教育委員会があるが,公立学校における教育に関する権限は,当該地方公共団体の教育委員会に属するとされ(地教行法23条,32条等),地方自治に関する原則が採用されている。これは,各地方の実情に適応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づくものであって,このような地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の1つを成している。  以上を踏まえて検討するに,教育の内容に関しても,方法に関しても文部科学大臣が基準を設定する場合においては,大綱的基準にとどめることが要請されているものであるが,公立学校を設置する地方公共団体の教育委員会は,上記地方自治の原則の下に,国が設定した大綱的基準の範囲で,より具体的かつ詳細な基準を設定することができ,また,それが要請されているものである。公立学校を設置する地方公共団体の教育行政機関たる教育委員会(本件で問題とされている都立学校にあっては都教委)は,子ども自身の利益の擁護のため,また子どもの成長に対する地域社会,公共の利益と関心にこたえるため,必要かつ合理的と認められる範囲で,教育の内容及び方法に関して,国に比してより具体的な基準を設定し,必要な場合には具体的な命令を発する固有の権限を有し,その責務を負っているのであり,教育の内容及び方法に関して基準を設定する場合,国の場合とは異なり,大綱的基準の範囲にとどめなければならないものではないのである。 (イ)また,地教行法23条5号は,学校の組織編制,教育課程,学習指導,生徒指導及び職業指導に関することを教育委員会の職務権限の1つとしており,教育委員会は,上記事項について管理し,執行することができると規定し,同法17条1項は,教育長は,教育委員会の指揮監督下に,教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどると規定しており,教育長は,教育課程等に関する事項に関して,通達等により校長に対して職務命令を発することができる。職務命令は,個別具体的な職務の遂行について命ずるものであり,その内容は,ある程度細目にわたり,詳細なものでないと,遂行すべき職務が特定されないものである。  したがって,旧教育基本法10条1項の「不当な支配」については,地教行法23条5項及び同法17条1項との理論的整合性からしても,教育委員会がその権限の行使として発出する通達ないし職務命令に関する限り,大綱的基準にとどまるべきものと解することはできないのである。 (ウ)控訴人らは,地教行法33条1項が「教育委員会は,法令又は条例に違反しない限度において,その所管に属する学校その他の教育機関の施設,設備,組織編制,教育課程,教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について,必要な教育委員会規則を定めるものとする。」と規定していることを根拠に,教育委員会の関与は基本的.事項(大綱的基準)に限られると主張している。  しかしながら,地教行法33条1項は教育委員会規則という法形式をもって定めるべき対象事項を「基本的事項」としているだけのことであって,教育委員会の関与・介入の限度を「基本的事項」に限定しているものでは全くない。 イ 控訴人らは,仮に都教委の出す通達については大綱的基準に限られないとしても,本件通達を発する必要性及び合理性は認められないから,本件通達は旧教育基本法10条1項の「不当な支配」に該当し,違法であると主張する。  しかしながら,以下のとおり,本件通達には,これを発する必要性及び合理性が認められ,本件通達も本件職務命令も適法なものである。 (ア)本件通達及び本件職務命令の各適法性の関係  本件は,控訴人らが各所属校の校長から受けた職務命令に違反したことを理由としてされた懲戒処分の取消訴訟であり,懲戒事由該当性の判断に当たって直接問題となるのは,校長の職務命令の適法性であって,本件通達の適法性ではない。  ところで,控訴人らは,本件通達が旧教育基本法10条1項に違反するから,本件通達に基づきされた校長の職務命令も違法であるというものである。  しかしながら,本件通達が違法でないことは後述のとおりであり,控訴人らの主張はその前提を欠くものであるし,仮に控訴人らの主張を前提としても,そのことから校長の職務命令が違法となるものではない。すなわち,校長は,校務をつかさどり所属職員を監督する権限を有しているのであるからく学校教育法28条3項,51条,76条。),教育課程の編成等すべての校務を決定し,これを各教職員に分掌させ,必要な指導を行い,職務命令を発することができる(地公法32条)。この校務の中には卒業式等の実施が含まれるものである。校長は,本件通達や都教委の一連の指導等によって初めて本件職務命令を発出する権限を付与されたわけではなく,校長らは,学習指導要領に基づく適正な学校行事を実施するために考えられる方策を検討したところ,現状を踏まえると,これまでの教職員に対する指導によるだけでは,卒業式等において,学習指導要領にのっとった国旗・国歌の指導を教職員に求めることは困難であり,職務命令を発するしか方法がないと判断したため,この権限に基づいて,自らの責任に基づき本件職務命令を発しているのであるから,本件通達や都教委の一連の指導等が仮に控訴人ら主張のとおり旧教育基本法10条1項に違反して違法であっても,これにより本件職務命令が手続的にも実質的にも違法となるものでは全くない。 (イ)本件通達の目的 @ 学習指導要領は,既に主張したとおり,小学校,中学校,高等学校,盲・ろう・養護学校のいずれについても,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」としている。これは既に主張したとおり,児童・生徒に国旗・国歌に対して正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てるため,学校における普通教育の場において,国旗・国歌の指導をすべきものとしているのである。  この点について,控訴人らは,'学習指導要領のうち,少なくとも国旗・国歌条項については法的拘束力が認められないと主張しているが,根拠がない。また,控訴人らはこの学習指導要領の「指導するものとする。」との用語について,合理的な例外を認める文言であると主張するが,この用語は,「『・・・しなければならない』,『・・・とする』というような用語で表すのを適切とするのに近いが,さりとて,これらの用語を使うとニュアンスが少しどぎつく出すぎる,もう少し緩和した表現を用いる方が適当であると考えられるような場合」に用いられるものであり,一定の行為を義務づける場合に用いられるものである。  本件通達は,国旗・国歌に関する条項についていえば,都立学校において学ぶ児童・生徒に国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てるという目的の下,普通教育において指導すべき国旗・国歌に関する基礎的知識を指導するため,また,その余の条項についていえば,卒業式,入学式などの学校行事(儀式的行事)を学習指導要領に則して適正に実施するために発せられたものであって,まさに学校管理機関としての都教委がその権限を行使する.「許容された目的」の下に発せられているものである。 A 控訴人らは,学習指導要領の国旗・国歌条項は,国旗掲揚及び国歌斉唱の具体的な在り方を何ら指示するものではないし,個々の生徒や教師に起立斉唱を義務づけるものではないから,本件通達の目的には合理性がないと主張している。  しかしながら,学習指導要領は,上記@のとおり,小学校,中学校,高等学校,盲・ろう・養護学校を通じて,特別活動として,入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとしている。これは,学習指導要領の国旗・国歌条項は,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,児童・生徒が,将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗・国歌に対して正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てることが必要であり,また,学校における卒業式等は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活への展開への動機付けを行い,学校,社会,国家などへの所属感を深める上でよい機会となるものであることから,これらの学校行事式典において,国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導することとして設けられているものである。  地教行法23条5号により都立学校の教育課程等に関する権限を有する都教委が,学習指導要領の国旗'・国歌条項の具体化として,卒業式等の学校行事における国旗・国歌の指導の内容,方法を校長に指示できるのは当然のことであって,それはまさに許容された目的である。 (ウ)本件通達の必要性及び合理性  その実施指針において,卒業式等の式典の実施方法について定めている本件通達は,以下のとおり,必要かつ合理的なものである。 @ 卒業式等の式典は,特別活動のうち儀式的行事として実施されるものであるが,学習指導要領は,儀式的行事について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の発展への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定め,また,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。 A 本件通達は,そのような学習指導要領の趣旨,すなわち,入学式や卒業式,あるいは周年行事などの学校生活の重要な節目において,学校生活に有意義な変化や折り目を付けるために儀式的行事を行い,これによって,児童・生徒が厳粛で清新な気分を味わい,それまでの学校生活を振り返るとともに新しい生活への出発の決意と希望の意識を高められるようにし,併せて国旗・国歌について学ぶことができるようにするため,それに適した場所的環境や式の進行を定めるものであり,学習指導要領の趣旨に沿って入学式・卒業式などを実施する上で,必要かつ合理的なものである。 B 本件で特に問題となる項目は,「国歌斉唱に当たっては,式典の司会者が,『国歌斉唱』と発声し,起立を促す。」,「式典会場においては,教職員は,会場の指定された席で国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する。」の2項目であるが,これらは,前記のとおり,学習指導要領中に,「儀式的行事」として,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」が規定され,また「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定されていること,儀式的行事における国歌斉唱は起立して行うことが国際儀礼上の常識であって,我が国に限らず通例であり,教職員がそれに沿った行動をとるものとしても不合理なものではないことからすれば,いずれも学習指導要領の内容・趣旨に沿ったものであり,地方の実情に即した教育の実現を期待された都教委が,その判断に基づき,管理する学校について,卒業式等の式典を厳粛かつ清新なものとし,併せて国旗・国歌の指導をするための方式を示したものとして,必要かつ合理的な範囲を超えたものといえないことは,明らかである。 (エ)本件通達の必要性が立証されていないとする控訴人らの主張について @ 控訴人らは,本件において都教委が具体的命令として本件通達を発する必要性が立証されていないと主張する。  しかしながら,都教委が本件通達を発出するに至った経過としては,都立学校における国旗・国歌の指導に係る次のような不適切な実態があった。  本件通達当時,都立学校にあっては,実施率こそ100%となっていたとはいえ,卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施に関しては,職員会議において教職員から校長の決定に対して実力行使も辞さない発言が繰り返され,午後3時か4時に開始した会議が夜10時,11時まで7,8時間も続いたり,教職員が「職員の意向は,国旗・国歌を実施しないというものである。このようなことなら職員会議をやる意味がない。」と述べて職員会議への出席を拒否したり,また朝の打ち合わせを2か月ボイコットして,教職員だけで別室で打ち合わせを実施する,教職員全員で「管理職が二度と国旗を掲揚しないと約束したら解除する。」と宣言し,職員室にある生徒の出席状況を記載する総計黒板に生徒の出席状況を記載しない,日直業務を拒否するなどの抗議行動を行ったり,教職員が「国旗・国歌をやるようなら式場設営をしない。」と宣言し,校長・教頭・事務長だけに3時間かけて会場設営させ,その後,「校長・教頭が並べた生徒席は整理されていなくて,生徒が座りづらそうだった。」,「職員席が足りなかった。」などと批判を述べるなど,入学式・卒業式等の実施に関し様々な実態があった。そして,このような実態から,校長が学習指導要領に沿って国旗・国歌の指導を含む適正な卒業式等の実施を具体的に決定して,これを教職員に指導ないし指示して実施しようとしても,それができず,現実の実施状況としては,国歌斉唱時に職員が起立しない,三脚で国旗を掲揚して舞台の袖の見えないところに設置する,音楽の教員がいるのに国歌のピアノ伴奏をしない,式次第に国歌斉唱と明記しない,国歌斉唱が終わってから教員が式場に入場するなど,卒業式等における国旗・国歌の適正な指導がされていない状況が引き続いていた。  このような事態にかんがみ,卒業式等における国旗・国歌の指導は,子どもの学習権を充足する上からも,また明日の我が国を担う子どもの成長の上からも重要な教育活動であることから,その指導が適正に行われるよう,儀式的行事の在り方を明確に示す必要があったのである。 A 控訴人らは,学習指導要領の国旗・国歌条項は,国旗掲揚及び国歌斉唱の具体的在り方を何ら指示するものではないから,舞台壇上正面に掲揚された国旗に正対して,国歌を斉唱することを指示したり,個々の教師に起立斉唱を義務づける必要性は全く存しないと主張する。しかしながら,学習指導要領は,教育の地方自治の原則から大綱的基準を示しているのであって,教育の地方自治を担う教育委員会(都教委)がこれを具体化するのは当然のことであり,また,それは現行の教育法制上,本来的に予定された教育委員会の責務であって,控訴人らの上記主張は失当である。 B 控訴人らは,特別活動については「学校の創意工夫」を生かし,「学校の実態や生徒の発達段階及び特性等を考慮」して行われなければならないことが学習指導要領で定められているのであるから,教育委員会が特別活動の内容を決定する具体的命令を発しなければならない必要性は全く存しないと主張している。  特別活動のみならず,すべての教育活動において,生徒に生きる力をはぐくむことを目指し,各学校には,創意工夫を生かし,特色のある教育活動を展開することが求められるのは当然のことである。しかしながら,その前提として,それが法令及び学習指導要領に基づくことは論をまたないところ,前記のとおり,本件通達発出時には,国旗及び国歌の扱いを軽視し,生徒が受けて然るべき学習指導要領に示されている学習内容が保障されていない現状があったのであるから,本件通達を発する必要があったし,本件通達によっても,学校には創意工夫の余地が十分にあり,現に様々な創意工夫がされているのであるから本件通達は,内容の合理性を欠くものでもない。 C 控訴人らは,本件通達が「教師に対し一方的な理論ないし観念を生徒に教え込むことを強制するもの」であるから合理性がないとも主張する。  しかしながら,国旗・国歌の指導は,前述のとおり児童・生徒に国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てるために,国旗・国歌に関する基礎的知識を指導するものであって,我が国の国旗・国歌のみを尊重する態度を育てるために行われるものではなく,偏狭な「愛国心」や「ナショナリズム」とはおよそ無縁の,国際社会で生きる日本人として学んでおくべき基礎的知識のための指導である。都教委は,教職員の不起立行為等は,児童・生徒に国旗・国歌を指導すべき教職員が,その指導の場である卒業式等に職務として参加しているにもかかわらず,その指導に反する行動をとることを問題にしているのであって,個人的な思想信条を問題としているものではないことはもとより,個人の私生活において国旗・国歌に対してどのような態度をとるかも問題としているものではないから,上記主張は理由がない。 (5)国際条約違背の主張は理由がない。  控訴人らは,本件通達は自由権規約18条所定の思想・良心の自由,宗教の自由を侵害するものであると主張しているが,本件通達が思想・良心の自由,宗教(信教)の自由を侵害するものではないことと同様,理由がない。(6)行政の裁量との関係について ア 控訴人らは,次のような前提主張をして,本件処分が行政の裁量権の逸脱・濫用に当たると主張するが,それらの前提主張はそれぞれの箇所で述べたとおりいずれも誤りであるから,同主張は失当である。控訴人らの主張は,生徒と教師の立場を同列に論じるものであるが,生徒が授業の履修を拒否することと公立学校の教師が教育課程の実施に関する職務命令を拒否することとは,全く性質を異にするものである。 (ア)控訴人らは,職務命令及び本件通達は違憲,違法であると主張するが,それらが違憲,違法でないことは既に上述したとおりである。 (イ)控訴人らは,国旗・国歌に対する多様な見解のうち,特定の考えのみに基づいて本件処分を科すことは,行政の裁量権の恣意的な行使であると主張するが,我が国の教育公務員が国旗・国歌を指導することは当然のことであって,そのことが特定の考えとして非難されるべきものではない。  また,控訴人らは,「国旗・国歌条項は,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し斉唱すること,ピアノ伴奏を行うことを義務として求めていない.」と主張するが,学習指導要領の国旗・国歌条項は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定しているし,国歌を斉唱するときは起立して斉唱することは当然の社会常識であるし,ピアノがあればそれにより伴奏することについてもごく常識的かつ自然な指導方法である。このようなことから,校長が,卒業式等について,国歌斉唱時に教職員が起立して斉唱し,音楽担当の教員がピアノ伴奏をすることを行事実施の方針として採用したからといって,そのことが,「特定の考え」あるいは「一定の理論や観念」として非難されるようなことにはなり得ないものである。 イ(ア)控訴人らが行った職務命令違反は,公務の適正な遂行を妨げるものであり,職場内の秩序維持の観点からも見過ごすことができないものであって,公務員の服務の根幹にかかわる重要な非違行為である。したがって,本件の控訴人らの非違行為は相当に重いものであり,本件処分の処分量定は適正なものである。  この点に関する控訴人らの主張は,職務命令違反の重大性を理解していないといわざるを得ない。どこの組織体においても,上司の命令を部下が拒否するようなことがあっては適正に業務が実施できず,それこそ命取りになってしまうのである。すなわち,上司の職務命令に違反する行為は,公務の適正な遂行を妨げるものであって,国民,都民に対する重大な背信行為であり,また,当該職場にとっても職場内の秩序維持の観点から深刻な問題を惹起するものであって,決して看過することができないものである。そのことは,教育部門においても,何ら変わるものではない。公立学校の教師は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務するのであり,その職務の遂行に当たっては,自己の思想・良心又は信教を優先させるべきものではなく,いかにそれが真摯なものであったとしても,職務より自己の個人的事情を優先させたということになる。  控訴人らは,あたかも,「信念から職務命令違反をする場合は軽く処分されるべきである」と言わんばかりであるが,これは到底通らない議論である。信念に基づこうが,基づくまいが,職務命令違反により適正な公務の遂行が阻害されることは同じであって,信念に基づけば罪が軽くなるというような理屈はあり得ないものである。 (イ)判例は,裁判所が懲戒処分の適否を審査するに当たっては,懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し,その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではないとしている(最高裁昭和52年12月20日第三小法廷判決・民集31巻7号1101頁)。  控訴人らの非違行為は相当重いものであり,本件処分が社会観念上著しく妥当を欠くものではないことが明らかであるから,これを取り消すことはできない。 (7)控訴人らの被った損害について  控訴人らは,損害について,野田正彰作成に係る診察意見書と同人の証言を全面的に踏まえて主張しているが,野田作成の診察意見書(甲477)及び同人の証言にはそもそも証人自身の中立性が欠落しており,また,意見書作成に係る調査が粗雑であるなど重大な問題点があり,到底措信できないものである。  控訴人らの損害の主張は,結局のところ,本件通達及び本件職務命令が違法であることを前提としているものであり,これらに何ら違法はないから,理由がない。 第3 当裁判所の判断 1 本件通達が発出される前における卒業式等の特別活動における国旗や国歌の指導についての学習指導要領の内容を始め,原判決が「事実及び理由」欄の「第3当裁判所の判断」の1で認定した事実については,当裁判所も,同様の理由で同事実があると認めるので,原判決の同部分を引用する。 2 証拠によれば,その他,国旗,国歌法制定に関連した事実,平成12〜15年度の都立学校における卒業式及び入学式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況及び平成14,15年の教育委員会等において都教委のした説明等に関し,以下の事実が認められる。 (1)国旗・国歌法の第145国会における審議の過程において,小渕恵三内閣総理大臣,野中広務内閣官房長官及び有馬朗人文部大臣は,次のとおりの政府答弁をした(甲2,168,169,554,555)。 ア 小渕恵三内閣総理大臣による答弁  「教育現場での教職員や子供への国旗の掲揚等の義務づけについてお尋ねがありましたが,国旗・国歌等,学校が指導すべき内容については,従来から,学校教育法に基づく学習指導要領によって定めることとされております。学習指導要領では,・・・国旗・国歌について子供たちが正しい認識を持ち,尊重する態度を育てることをねらいとして指導することといたしておるものであります。・・・教職員や子供たちにも国旗の掲揚等を義務づけはできないのではないかとのお尋ねでありますが,国旗・国歌等,学校教育において指導すべき内容は学習指導要領において定めることとされており,各学校はこれに基づいて児童生徒を指導すべき責務を負うものであります。・・・国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが,政府といたしましては,国旗・国歌の法制化に当たり,国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって,現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」 (平成11年6月29日,衆議院本会議)  「学習指導要領に基づいて,校長,教員は,児童生徒に対し国旗・国歌の指導をするものであります。このことは,児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものでなく,あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。」 (同年7月21日,衆議院内閣委員会) イ 野中広務内閣官房長官による答弁  「児童生徒が・・・国旗・国歌をひとしく敬意を表する態度を育てるというのは,教育上当然のことではないかというように思うわけでございます」 (平成11年7月1日,衆議院内閣委員会)  「学校現場におきます内心の自由というものが言われましたように,人それぞれの考え方があるわけでございまして,・・・それぞれ,人によって,式典等においてこれを,起立する自由もあれば,また起立しない自由もあろうと思うわけでございますし,また,斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして,この法制化はそれを画一的にしようというわけではございません。」  「政府といたしましては,法制化に伴いまして,国民に対し,国旗の掲揚,国歌の斉唱等に関し,義務づけを行うことは考えておらないわけでございまして,現在の運用に変更が生ずることにはならないわけでございます。法制化によりまして,先ほど申し上げましたように,内心の自由との関係で問題が生ずるとは承知をいたしておりません。」 (同月21日,衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会)  「少なくとも,しかし教育公務員として公務員法に基づいて職責を得られる方は,我が国の法律に忠実であるべきだと考えております。」 (同日,衆議院内閣委員会)  「政府といたしましては,法制化に当たりまして,国旗の掲揚及び国歌の斉唱に関しまして義務づけを行うようなことは一切考えていないところでございまして,各人の内心にまで立ち入って国旗・国歌に対する思いを強制するものではないという亀井委員の御指摘はまさにそのとおりでございます。」 (同年8月2日,参議院国旗及び国歌に関する特別委員会) ウ 有馬朗人文部大臣による答弁  「文部省といたしましては,法制化が行われた場合においても,学習指導要領に基づき,学校におけるこれまでの国旗・国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではないと考えており,今後とも,学校における指導の充実に努めてまいります。」 (平成11年6月29日,衆議院本会議)  「教員に対しても国旗に敬意を払い国歌を斉唱するよう命ずることは,学校という機関や教員の職務の特性に考えてみれば,社会通念上合理的な範囲内のものと考えられます。そういう点から,これを命ずることにより,教員の思想,良心の自由を制約するものではないと考えております。」  「校長及び各教員は,このような学習指導要領に基づきまして,国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っていると考えております。」 (同年7月21日,衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会)  「本法案は,国歌・国旗の根拠について,慣習であるものを成文法として明確に位置づけるものでございます。これによって国旗・国歌の指導にかかわる教員の職務上の責務について変更を加えるものではございません。」  「指導要領を変えずに現在のままで,ただ説得するというようなことは,これはもちろん今までと同じようにさせていただくことがありますが,内心の自由まで立ち入らずにちゃんとやっていきたいと申し上げている次第であります。」  「教職員指導の強化を意味するものではない・・・と思いますが,それでよろしゅうございますでしようか。」という質問に対し,「おっしゃるとおりであります。それで結構です。」  「校長先生が学習指導要領に基づいて法令の定めるところに従い,所属教職員に対し本来行うべき業務を命ずることは当該教職員の思想,良心の自由を侵すことにはならないと私は思います。」 (同年8月2日,参議院国旗及び国歌に関する特別委員会) (2)国旗・国歌法制定直後の平成11年9月17日付け文部省初等中等教育局長及び高等教育局長の各都道府県教育委員会教育長等に対する通知(乙4の1)は,「学校・・・における国旗及び国歌の指導については,児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てるとともに,諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるために,学習指導要領に基づいて行われているところであり,この法律の施行に伴って,このような学校におけるこれまでの国旗及び国歌に関する指導の取扱いを変えるものではありません。学校における国旗及び国歌の指導については,これまでも適切な指導が行われるようお願いしてきたところですが,この法律の制定を機に,国旗及び国歌に対する正しい理解が一層促進されるようお願いします。」としている。 (3)平成13年4月12日,都教委の第6回定例会で,指導部長は,平成13年度の都立学校の入学式において国旗掲揚,国歌斉唱の実施率がほぼ100%という形を実現できたことを報告し,委員からは成果を評価する発言があったが,この時点において,教職員の不起立やピアノ伴奏など更に修正すべき「課題」があることについての説明はなかった(乙66)。 (4)都教委は,「各都道府県及び各指定都市教育委員会にあっては,引き続き,各学校において,学習指導要領に基づく国旗及び国歌に関する指導が一層適切に行われるよう指導をお願いします。」という記載のある平成13年5月25日付け文部科学省初等中等教育局長通知(乙8の1)を受けて,同年6月12日,都立学校長等に対し,「平成12年度卒業式及び平成13年度入学式においては,一定の改善が図られましたが,今後とも,各学校における国旗及び国歌の指導が一層適切に行われますよう指導の徹底をお願いします。」との記載のある「学校における国旗及び国歌に関する指導について」という通知(乙8の2)を出した。 (5)平成14年4月11日,都教委の第6回定例会で,指導部長は,都立学校の平成13年度の卒業式と平成14年度の入学式で完全に国旗・国歌の実施ができたことを報告したが,その際,併せて,「実施上の課題については,昨年度よりはかなり改善はされておりますけれども,まだ残っているというのが現状でございます。」とした上,その例として,都立学校において国歌斉唱時に起立をしなかった学校が数校残っていること,国歌斉唱時に一部の職員や生徒が起立をしなかったという実態が残っていることや小・中学校において音楽の教師がピアノ伴奏を拒否するということも一部に起こっていることを報告し,「今後解決すべき課題が,まだかなり残っている」が,今後とも指導の徹底を図っていきたいと発言した。これに対し,委員から,子どもが見ていることなので,不起立の教員についてはきちんとした警告を発するとか,実名を公表するとかして,指導を徹底するように求める発言があり,これに対し,都教委の教育長は,「ここまで形が整った以上は,今度は中身の問題で,個別に相当強力に指導していかなければならないと考えている」旨の回答をした(乙67)。 (6)平成14年11月1日,都教委は,都立高等学校の各校長に対し,指導部長名で「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について」という通知を出しているが,これには,都立学校の平成13年度の卒業式と平成14年度の入学式の国旗掲揚及び国歌斉唱の実施結果がほぼ全校での実施に至ったことを述べた上,国旗掲揚及び国歌斉唱の実施態様については,平成11年10月19日付け通達(平成11年通達)に即していない学校もあったので,平成14年度卒業式及び平成15年度入学式においては,平成11年通達に基づき,より一層の改善を図るよう願いますとの記載があった(乙33)。 (7)平成15年3月6日,都教委は,文部科学省からこれまでと同様の国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況についての調査依頼があった際,初めて,同省からの調査依頼事項に加え,式典会場内の国旗掲揚場所が壇上正面か三脚か,式次第に「国歌斉唱」と記載されているか,トラブルの有無・内容・これに対する校長の対応について,都立学校全校に対する一斉調査を行った(乙9の1,2)。 (8)平成15年4月10日,都教委の第7回定例会で,指導部長から,冒頭に,上記の聞き取り調査についての報告がされたが,その中で,指導部長は,国旗・国歌についてはすべての学校で実施できたが,実施上の課題はいくつか残っているとした上で,その主だったものとして,国歌斉唱時一部の教員や生徒が起立しないことを挙げ,聞き取り調査では,昨年度よりはかなり改善はしたが,まだ依然として残っており,これは,式の前等に,司会者から「国歌斉唱については憲法で保障されている内心の自由があるので,個人の判断でお願いします。」というような一言を添える学校が一部にあることから生じていると考えていると述べ,「この問題につきましては教育指導上の課題といたしまして,これまでも各学校に対して指導してきたところでございますけれども,依然としてこうした実態がございますので,大きな課題として受け止めまして,今後とも引き続き指導の徹底を図ってまいりたいと考えております。」と報告した(甲9)。 (9)都教委の教育長は,都教委が都立学校卒業式.入学式対策本部(対策本部)を設置した1週間後である平成15年7月2日,都議会本会議で,都議会議員から,卒業式や入学式の国歌斉唱時に起立しない教職員の存在について,都教委の見解を問われるとともに,自分としては式典運営指針などを制定すべきであると考えるが,具体的方策はあるのかを問われたのに対し,「あってはならないことなので,今後,卒業式,入学式における国歌斉唱の指導を適正に実施するよう,各学校や区市町村教育委員会を強く指導していく。対策本部を適正実施が図られるまで設置し,実施指針を新たに作成するなどして,卒業式等が学習指導要領に基づいて適正に実施されるよう取り組んでいく。」旨を答弁した(甲88)。 (10)平成12,15年度の卒業式及び入学式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況は以下のようなものであった(乙42の1・2,62,70,72〜76,79,84〜87)。 ア 平成12,13年度の実施状況  形式的に実施率100%となったが,次のような状況があり,学習指導要領の国旗・国歌条項の目的が十分に達成されたという状況ではなかった。 (ア)国旗掲揚に関しては,会場外の人目に付かない場所に掲揚する,壇上三脚に掲揚する,カーテンの陰に隠れるように設置する,いすに座った参列者に見えないように壇上の奥や隅の方に設置する,正面掲揚と称して壇下の正面に三脚で掲揚する,ピアノの陰に三脚で掲揚するというような学校があった。式典当日に参列した保護者がいる前で校長と教頭が壇上に国旗を掲揚しているところに教員がなだれ込んできて反対し,保護者からざわめきが起こる,掲揚塔に掲揚した国旗が引き降ろされるという事態が発生した学校もあった。 (イ)国歌斉唱に関しては,式次第に明記せず,開式の前に国歌のメロディを流すだけなどの形式的な実施というような状況であり,校長は,それをもって「斉唱した」として,都教委に報告せざるを得ない学校があった。また,式典の中で国歌斉唱を行っていても,国歌斉唱時に教員が起立しない,国歌斉唱が終わってから式場に入場する教員がいる,音楽科教員がいて校歌の伴奏はするのに国歌のピアノ伴奏はしない,国歌演奏はCDやテープレコーダーで行う,卒業式の最中に司会が国歌斉唱と発声したときに教員がやめてくださいと抗議するなどの状況がみられ,また,式典の予行演習時に生徒に対して,あるいは式典の直前に参列者に対して,国歌を歌う自由,歌わない自由があるなどということを説明する例が多くみられた。 イ 平成14年度の実施状況  都立学校における国旗掲揚・国歌斉唱の実施率は100%と定着していた。しかし,都立高校の入学式・卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況は,依然として,前年度と同様,以下のようなものであった。  国旗掲揚・国歌斉唱が実施された学校においても,国歌斉唱時に起立する教職員は少なく,全員が起立しない学校,国歌斉唱終了後に教員が入場してくる学校,当初の実施案では式場配置図に国旗が記載されず,式次第に「国歌斉唱」と記載されていないため,校長が指示なり職務命令を出して訂正させ,ようやく実施したという学校もあった。また,ピアノ伴奏はされずに録音テープによる学校が多数あった。そして,適正に実施しようとする校長の中には,卒業式前日の夕方から,式典当日の朝5時,6時まで教員からの交渉を強いられたという学校もあり,多くの学校で式典の前に国歌を歌う自由,歌わない自由があるなどという説明がされ,それにより生徒が立たないという状況があった。 ウ 平成15年度入学式の実施状況  平成15年度の入学式においても,基本的に平成12,13年度と同様,入学式の実施案の式場配置図に「国旗」が,式次第に「国歌斉唱」が記載されておらず,校長が職務命令(口頭)で訂正を指示した,国歌斉唱時にほとんどの教職員が入場しないか,式場後方に立って教職員席が空席であった,多くの教職員ないし全教員が起立しない,国歌斉唱をピアノ伴奏ができずに録音テープによる,国歌を歌う自由,歌わない自由があるなどという説明をする学校があるなどの状況が続き,状況の改善は進まなかった。 3 当裁判所は,前記引用に係る原判決摘示の「前提事実」及び上記1,2の事実に基づき検討した結果,後記4以下に述べる理由により,被控訴人の本案前の主張は理由がないものと判断した上,本件通達,その後に都教委が各校長に行った指導及び本件職務命令をもって違憲,違法ということはできず,控訴人らの不起立行為等は地公法32条及び33条に反すると認められるが,本件処分は懲戒権の逸脱・濫用に当たり違法であると解されるから,これらをいずれも取り消すべきであり,しかしながら,損害賠償請求はこれを認めないのが相当であると判断する。 4 本案前の争点について  当裁判所も,被控訴人の本案前の主張には理由がないものと判断する。その理由は,原判決の「事実及び理由」欄の「第3 争点に対する判断」の2(2)に記載のとおりであるから,これを引用する。 5 本件通達,その後に都教委が各校長に行った指導及び本件職務命令の違法性について (1)本件処分は,控訴人らの不起立等の行為が本件職務命令に違反することを理由とするものである。本件職務命令は,学校教育法51条,76条により準用される同法28条3項に規定する校長の所属職員に対する監督権限に基づいて発せられたものであり,本件通達は,地教行法23条5号に規定する教育委員会の教育課程に関する管理,執行権限に基づいて発せられたものであるから,本件通達と本件職務命令とは異なる法的根拠を有する別個の行為であって,仮に本件通達が違法なものであったとしても,本来,その違法性が当然に本件職務命令に承継されるものではない。したがって,控訴人らの主張の当否を判断するに当たっては,一般的には,本件職務命令の違法性のみを問題とすれば足りるものである。  しかしながら,当裁判所も,形式的には,本件職務命令を発すべき必要性の判断は各校長がしていたが,事実上,本件通達やその後に都教委が行った指導により,校長にはその裁量により本件職務命令を発しないという行為をする余地はなく,本件職務命令は実質的には都教委が行ったものと評価することができると判断する。その理由は,原判決44頁8〜22行目に記載のとおりであるから,これを引用する。これによれば,本件通達の発出という都教委の行為は,基準を策定し,一股的指示をするにとどまらず,各学校長に対する職務命令の実質を有するだけでなく,各学校長を通じて各教師に対し具体的な職務命令を発することを義務づける実質をも有するものというべきである。  そうすると,本件通達の発出が違法であれば,本件職務命令も違法になるという関係があるというべきであるから,本件においては,まず,本件通達が旧教育基本法10条1項の規定する「不当な支配」に該当するか否かを検討する必要がある。 (2)ア(ア)旧教育基本法の前文及び10条の趣旨・解釈については,当裁判所も,原判決46頁22行目及び同47頁12行目の「義務教育に属する」を削り,同7行目の「必要性」から同8行目の「範囲内において」までを「特に必要な場合には」に改め,同19行目の「管理,執行する」から同22行目の「異なる」までを「管理,執行するとされている」に改めるほか,原判決45頁3行目〜同47頁23行目に記載のとおりであると判断するので,これを引用する。 (イ)この点につき,控訴人らは,設置者の執行機関として学校を管理する教育委員会と学校との関係を規律している地教行法33条1項が,「教育委員会は,法令又は条例に違反しない限度において,その所管に属する学校その他の教育機関の施設,設備,組織編制,教育課程,教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について,必要な教育委員会規則を定めるものとする。」と規定しているのは,各学校の判断によって自主的・自立的に特色ある学校教育活動を展開できるようにするという学校の裁量権限拡大の観点から,同法23条5号に列挙された事項についての第一次的な裁量権は教育機関である学校(校長)にあり,教育委員会が関与できるのは,あくまで「基本的事項」や「基本方針」といった大綱的基準に限られることを示したものであるとして,これを根拠に,教育委員会の関与は基本的事項(大綱的基準)に限られると主張する。  しかしながら,教育委員会の権限については,地教行法23条5号により,学校の組織編制,教育課程,学習指導等に関して管理,執行するとされているのであり,同法33条1項は,教育委員会規則という法形式をもって定めるべき対象事項を「基本的事項」としているものであって,教育委員会の関与・介入の限度を「基本的事項」に限定しているものではないから,上記主張は失当である。 (ウ)また,控訴人らは,国の教育行政機関の教育への介入が大綱的な範囲にとどめられるべきなのは,第1に,子どもの教育は,教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ,子どもの個性に応じて弾力的に行われなければならず,教師の自由な創意工夫の余地が要請されるからであり,このことは,国であろうと地方であろうと,教育行政一般に当てはまるし,教育委員会は,教師に対する人事権を有することにより,国の教育行政機関が抽象的なレベルで教育内容基準を策定するよりも,一層直接に介入し得る危険があるのであるから,教育委員会の介入に関する「不当な支配」の審査基準が,国の介入の場合のそれより緩和される理由は全くないと主張する。  確かに,教師の創意工夫の尊重等は,教育委員会による介入との関係においても考慮すべきであり,各学校における教師の創意工夫の余地を全く奪うような細目的事項について,教育委員会が基準を設定し,指示を与えるなどすることは,「不当な支配」に当たることがあり得るというべきである。しかじながら,国の教育行政機関が法律の授権に基づいて普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,各地方の実情に適応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づき,現行教育法制における重要な基本原理となっている教育に関する地方自治の原則を考慮しなければならないことから,その内容が必要かつ合理的であると認められるだけでなく,大綱的な基準にとどめられなければならないとされるのに対し,地方公共団体の設置する教育委員会が当該地方公共団体内における教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,そのような考慮は不要であるというべきである。むしろ,教育委員会は,教育に関する地方自治を担う機関として設置されているものであり,その管理執行権限に基づき,国の教育行政機関との対比において,より細目にわたる事項についても,教師の創意工夫の余地を残しつつ,必要かつ合理的な範囲内で,基準を設定し,一般的指示を与えるなどすることができ,特に必要であれば具体的な命令を発することができると解すべきである。  控訴人らは,国旗・国歌の指導に関し地域性などはないと主張するが,地域性の有無にかかわりなく,地方自治の原則上,国の介入は大綱的な範囲にとどめられるべきものであり(そのように考えなければ,地域性のない事項については,細目にわたり国が介入することができると解すべきことになる。),より細目にわたる事項は,地域性のない事項であっても,地方公共団体ごとに決すべきであると解する支障になるものではない。  控訴人らの上記主張は採用することができない。 (エ)なお,控訴人らは,原審が,教育委員会による教育の内容や方法に関する介入を大綱的基準の設定にとどめるべき理由がないことの理由として,教育委員会は,地教行法23条5号により,学校の組織編制,教育課程,学習指導等に関して管理,執行するとされているのに対し,文部科学大臣は,同法48条2項2号により,学校の組織編制や教育課程等について指導,助言又は援助をすることができるとされているにとどまることを指摘した点につき,同条は,文部科学大臣が教育関与権限がある事務について,文部科学大臣と教育委員会との関係を定めたものであって,指導,助言又は援助となっているのは,文部科学大臣と教育委員会が行政組織的に上下関係にはないからであるから,これを比較して教育委員会の介入権限が文部科学大臣より広いとすることはできないと主張する。  この点については,当裁判所も上記指摘は相当であると考えるので,原判決を引用するに当たり,前記のとおり改めた。 イ そこで,次に,本件通達についてこれを発することが特に必要であったと認められるか否かを検討する。 (ア)都教委が本件通達を発出するに至った経過は既に認定したとおりであって,その概要は次のとおりである。  平成元年に学習指導要領が改定され,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定められ,都教委は都立学校長に対して卒業式等がこの学習指導要領に即して行われるように求めていたが,実施率が低く,文部省の調査によれば,平成9年度卒業式,平成10年度入学式においては,ほぼ全国最下位であったことから,都教委指導部長は,平成10年11月20日付けで,「式典会場の正面に国旗を掲揚すること」,「式次第に『国歌斉唱』と記載すること」,「式典の司会者が『国歌斉唱』と発声すること」などを定めた卒業式等の実施指針を示す通知を発した。その結果,平成10年度卒業式,平成11年度入学式についての文部省の調査によれば,その実施率は改善したものの,なお全国平均と比較して低かった。そこで,東京都教育庁は,都立学校の卒業式,入学式における国旗掲揚・国歌斉唱に伴う問題への様々な対応や学校長に対する支援を図るためとして,教育庁次長を本部長とする「卒業式・入学式対策本部」を設置し,国旗・国歌法が制定,施行された後も協議を重ね,都教委教育長は,その協議の結果を踏まえ,平成11年通達を発するとともに,都教委指導部においては,リーフレットを作成して都立学校の全職員にこれを配布し,学習指導要領に基づく卒業式等の実施をするように更に指導に取り組んだ。その結果,平成12年度卒業式以降,都立学校での国旗掲揚・国歌斉唱の実施率は100%となった。しかしながら,各学校へのアンケート調査の結果によれば,実際の実施状況は,「実施指針」で定められた方針どおりに国旗掲揚を行った都立学校は全体の半分にも満たず,目に付かない場所に国旗を掲揚したり,「国歌斉唱」を式次第に明記しなかったり,国歌斉唱時に教員が起立せず,司会者が起立を発声しないという学校があったというものであった。そこで,都教委は,平成15年6月25日,教育庁理事を本部長として,「都立学校等卒業式・入学式対策本部」(対策本部)を設置し,都立学校における卒業式等が学習指導要領に基づき実施されるための対応策を検討することとし,対策本部は,上記状況をもって学習指導要領に基づき本来実施すべき国旗掲揚・国歌斉唱の適正な実施がされていないと認識して,対応について検討を重ね,これを踏まえて,都教委教育長は,これらの課題を解決するためには,各学校で,国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について,より一層の改善,充実を図る必要があるとして,本件通達を発出した。 (イ)本件通達が発出された経緯は以上のとおりであって,上記のような国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況に照らせば,学習指導要領に基づく卒業式等を実施するよう改善,充実を図るという本件通達の目的には合理性があるといえるし,校長を通じて実施指針の徹底を指導したにもかかわらず,これが行われない実態が広く見られたことに照らせば,これを実現するため,卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施方法等を定める通達により具体的な命令を発することが特に必要であると判断されたことにも,相応の根拠があったということができる。 (ウ)この点につき,控訴人らは,学習指導要領には,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」という国旗・国歌条項があるが,同条項は,「指導するものとする」という表現からも明らかなとおり,法的拘束力がないか,あっても合理的な例外を認める文言であるし,国旗掲揚及び国歌斉唱の具体的在り方を何ら指示するものではないところ,本件通達発出当時,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施率が100%となっていたのであるから,「学習指導要領に基づく卒業式等を実施するよう改善,充実を図る」必要性も合理性もなかったと主張する。  しかしながら,学習指導要領は,学校教育法43条,同法施行規則84条に基づいて文部科学大臣が定めて公示したものであって,その定めには法的効力があるところ,「指導するものとする」という文言は,「指導しなければならない」よりは緩やかではあっても,指導することを義務づける趣旨と解すべきである(甲585の1〜4。なお,法令ではなく「要領」であることも,義務づけであっても緩やかな文言を用いる理由になっていると解される。)。そして,学習指導要領の国旗・国歌条項が,「日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,児童・生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗・国歌に対して正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てることが必要であり,また学校における入学式や卒業式は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で,新しい生活の展開への動機付けを行い,学校,社会,国家などへの所属感を深める上でよい機会となるものであることから,これらの学校行事式典において,国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導するものとする」こととして設けられていること(甲501),既に認定したとおり,平成元年3月15日,従前の学習指導要領では「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には,児童・生徒に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに,国旗を掲揚し,国歌を斉唱させることが望ましい。」と定められていたのを,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するものとする。」と改訂していることに照らせば,同規定は法的拘束力を及ぼす趣旨であると解すべきものである。そして,この定め自体は,大綱的基準を定めるものとして,「不当な支配」に当たるものとは解されない。  学習指導要領の国旗・国歌条項は,国旗掲揚及び国歌斉唱の具体的在り方を指示していないにれは,教育の地方自治の原則から大綱的基準を示しているものであることによると解される。)ところ,実施率は100%となってはいても,その具体的実施状況は既に認定したようなものであったことに照らせば,地教行法23条5号により都立学校の教育課程等に関する権限を有する都教委が,学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨に基づき,これを具体化して,入学式等の学校行事における国旗・国歌の指導の内容,方法を校長に指示したことをもって,必要性も合理性もなかったということはできない。そして,儀式的行事に際して国旗を掲揚し国歌を斉唱するに当たって,国旗に向かって起立するということは,広く承認された儀礼と認められる(乙34)から,学習指導要領の国旗・国歌条項に基づく具体的指導内容ないし方法として「教職員は,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する」と定めることは,国旗・国歌条項の趣旨に沿う合理的なものということができる。また,音楽科担当教員がいて会場でピアノを使用し得る場合に,参加者が国歌斉唱を行うに際して,ピアノ伴奏をするのは,ふさわしいことと考えられるから,「国歌斉唱は,ピアノ伴奏等により行う。」との定めも,同様に合理的であるということができる。 (エ)また,控訴人らは,学習指導要領の定めは,国旗・国歌条項のほかには,「儀式的行事」の「内容」に関する「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」という定めのみであり,学習指導要領中,「特別活動」の中の「学校行事」として位置づけられる「儀式的行事」は,学校ごとの創意工夫を生かすとともに,学校の実態や生徒の発達段階及び特性等を考慮したものでなければならないとされていることに照らせば,本件通達の実施指針の指示内容は,明らかに国旗・国歌法の立法者意思を超える内容を盛り込んだものであり,これを発する必要性及び合理性は存しないと主張する。  しかしながら,確かに,学習指導要領には,特別活動の指導計画の作成に当たっては,「学校の創意工夫を生かすとともに,学校の実態や生徒の発達段階及び特性等を考慮するように配慮すること」が示されているが,併せて,これと別に,特別活動のうちの1つである儀式的行事のの(ママ)中に位置づけられる卒業式等については,特に,「その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」としているのであるから,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動」が行われている限り,入学式や卒業式の内容については各学校に任せておけばいいというのが学習指導要領の規定する趣旨であると解することはできないのであって,上記(ア)に示したような,卒業式等において国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱することによって子どもに学ばせようとした意義が適正に実現できない実情があった以上,本件通達を発する必要性及び合理性がなかったということはできない。  また,国旗・国歌法は,その法文と前記認定に係る制定時における政府答弁の内容に照らせば,日の丸を国旗と,君が代を国歌としただけで,これを制定することによってそれ以上の規範を教員を含む国民に与えたものではないと解されるが,学習指導要領の国旗.・国歌条項を否定する趣旨も含んではいないことが明らかである。したがって,上記のように学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨を実現する上において生じている必要性が,国旗・国歌法によって消滅することはないし,国旗・国歌法によって国旗及び国歌に法的根拠が備わったことにより,これらを尊重する態度を育てることの意義がより明らかになったというべきであるから,国旗・国歌法の立法者意思をもって,本件通達を発する必要性,合理性がなかったという理由にはならない。 (オ)控訴人らは,入学式,卒業式は教育活動の一環であるところ,本件通達は,入学式,卒業式に関する学校の創意工夫の余地を奪うものであるから,本件通達には合理性がないと主張する。  しかしながら,本件通達の定める実施指針(あるいは,前記認定の実施指針に基づく都教委の指導)のうちには,教育現場における創意工夫の尊重という点から考えて,いささか詳細にすぎるとみる余地のある事項が含まれているものの,教職員が国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること及び国歌斉唱はピアノ伴奏等により行うことを定める部分については,学習指導要領の国旗・国歌条項をより具体化したものであって,合理性を否定すべき理由はない。仮に実施指針等のその余の内容に詳細にすぎるところがあるとしても,本件職務命令の適否には影響のないことというべきである。 (カ)さらに,控訴人らは,都教委は,本件通達の約2年前までは,各学校ごとの集団行動としての「国旗掲揚・国歌斉唱」を実施することを指導しており,都教委自身,平成12年度卒業式以降その実施率が100%となったことをもって満足していたのであって,本件通達発出時において国旗掲揚・国歌斉唱の指導が実施できないほどに教職員の抵抗が激しかったということはなく,したがって,本来は,本件通達を発出する必要はなかったが,委員や一部都議会議員らの追及や政治的圧力に迎合して,「上意下達」の教育現場を作り上げることを目論んで本件通達を発出したものであって,これを発出する必要性があったとはいえないと主張する。  確かに,前記認定事実によれば,都教委としては,平成13年ころまでは,各学校ごとの集団行動としての「国旗掲揚・国歌斉唱」を実施することを指導しており,教職員の不起立やピアノ不伴奏を問題として挙げ,これを指導の対象とすることはしていなかったことが認められる。しかしながら,都教委がそのような対応であったのは,前記認定のように,従前,「国旗掲揚・国歌斉唱」の実施率において東京都が全国最下位であったことや前記認定の定例会での報告に照らせば,都教委としては,教職員の不起立やピアノ不伴奏に問題がないと考えていたからではなく,まずは,その実施率の上昇を目指した指導をしていたからであると認めるのが相当である。そして,平成12年度卒業式以降はその実施率が100%となったため,平成13年度からは,学習指導要領における「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するように指導するものとする。」という国旗・国歌条項の,「入学式や卒業式など,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛かつ清新な雰囲気の中で新生活への展開への動機付けを行う儀礼的儀式において,子どもに,国旗及び国歌に対する正しい認識をもたせ,それを尊重する態度を育てる」という趣旨をより適正に実施するという観点からすれば,都立学校における前記の実情にはなお「課題」があることから,その点の指導に移行することが必要であると判断するようになったものであると解するのが相当である。控訴人らが主張するように,都教委が,委員や一部都議会議員らの追及や政治的圧力に迎合して,「上意下達」の教育現場を作り上げることを目論んで,必要性もないのに本件通達を発出したものであったと認めるに足りる証拠はない。  この点について,控訴人らは,都教委の方針に変更が迫られることになったきっかけとみられるのが,平成15年4月10日の都教委の定例会であり,そこにおいて,都教委が,国旗掲揚・国歌斉唱実施率が100%になったことを評価し,更にすべての学校に一律に指導することに消極的であったのに,一部の委員の強硬な意見により,次第に態度を変えざるを得なかったと主張している。しかし,同定例会では,冒頭において,委員の発言がある前に,指導部長が,実施率が100%になったものの,課題が残っており,主なものの1つとして,国歌斉唱時に一部の教員や生徒が起立しないことを挙げ,にの問題につきましては教育指導上の課題といたしまして,これまでも各学校に対して指導してきたところでございますけれども,依然としてこうした実態がございますので,大きな課題として受け止めまして,今後とも引き続き指導の徹底を図ってまいりたいと考えております。」と述べており,前年度の「今後解決すべき問題が,まだかなり残っている」という表現より踏み込んだ表現となっていることにかんがみても,都教委が不起立問題を次の「大きな課題」であると考えていたことは明らかである。控訴人らの上記主張は採用することができない。 (キ)そして,本件通達は,卒業式等において教職員が国旗に向かって起立し,国歌を斉唱し,又はピアノで国歌を伴奏するようにするため,各校長に対して,この通達に基づいて職務命令を発出することを求めることを内容とするものであるが,このような職務命令が思想及び良心の自由を侵害するものとはいえないことは,後に説示のとおりであり,また,本件通達は,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針のみを定めるものであって,教職員が児童・生徒に対して「日の丸」・「君が代」に関する歴史的な事実等を教えることを禁止するものではないし,教職員に対し,国旗・国歌について,一方的に一定の理論を児童・生徒に教え込むことを強制するものとはいえないから,後に説示するとおり,教職員に認められる教授の自由ないし教職員としての専門職上の自由(教育の自由)を侵害するとも,教育活動を阻害するとも認められないので,本件通達の内容をもって合理性を欠くということはできない。 ウ したがって,本件通達は,旧教育基本法10条1項にいう「不当な支配」に該当するとは認められない。そうすると,本件通達に従って発令された本件職務命令が,同項に違反する違法なものであるということもできない。 6 本件通達,本件職務命令及び本件処分の違憲性について (1)憲法19条,20条違反について ア 控訴人らがどのような思い(信念)から不起立行為等をするに至ったかについては,原判決39頁6〜24行目に記載のとおりであるから,これを引用する。 イ 控訴人らのこのような信念は,「日の丸」や「君が代」が過去に我が国において果たした役割に係る歴史的事実を踏まえた控訴人らの歴史観ないし世界観又は教職員としての職業経験から生じた信条に由来する社会生活上の信念であるといえるものであり,このような信念を持つこと自体が,憲法19条により思想及び良心の自由として保障されることは明らかである。  したがって,控訴人らがこのような思い,信念を持つことは,それが内心にとどまる限りは絶対的に保障され,そのような信念を持たないことを強制したり,そのような思い,信念を持つこと自体によって不利益処遇をしたり,そのような信念を持つことの告白を強制したりすることは許されない。  しかしながら,そのような信念が内心にとどまらず,これに基づく外部的行為を伴った場合には,その外部的行為にまで憲法の絶対的保障が及ぶということはできない。なぜならば,外部的行為は,必然的に他者との関係を生じ,他者の思想及び良心に基づく外部的行為ないしは他の憲法上の権利利益との間に矛盾,抵触,侵害等を生じずにはおかず,それらをすべて絶対的に保障することは不可能といわざるを得ないからである。したがって,憲法の思想及び良心の自由に対する保障は,思想及び良心に基づく外部的行為には及ばないというのではなく,これにも保障が及ぶというべきであるが,内心の自由とは異なり,必要かつやむを得ない最小限の制約は,憲法自体がこれを許容していると解するのが相当である。当該外部的行為が思想及び良心の核心部分にかかわるものであっても,上記のような理由による制約を受ける余地は,否定されるものではない(例えば,「我が民族は,他の民族より優れており,優遇されるべき地位にある。」という思想は,内心にとどまる限り,憲法の絶対的保障が及ぶが,他民族を同等に取り扱うことを拒絶する行為は,それが上記思想の核心部分にかかわるものであるとしても,憲法19条の保障するものではない。同様に,「輸血は,悪である。」という信条に基づいて,公立病院の医師が患者への輸血を拒否することは,許されないであろう。)。また,人の外部的行為は,思想・良心に基づく価値判断や選択に何らかのかかわりを持つことも多く,「思想・良心に基づく外部的行為」とそうでない外部的行為の区別は難しい場合があり(例えば,剣道実技の拒否の理由は,様々であり得る。),また,そのかかわりの程度にも様々なものがあるといわなければならない。そうすると,外部的行為の制約(禁止又は強制)に,憲法の思想及び良心の自由の保障がどのように及ぶかについては,当該外部的行為と思想及び良心とのかかわりの程度(裏返せば,外部的行為の制約が思想及び良心に及1ずす影響の程度)を考慮し,当該制約の趣旨,目的,当該外部的行為の他者に及ぼす影響等に照らして判断するのが相当である。 ウ これを本件についてみると,まず,本件通達及び本件職務命令は,控訴人らに対し,卒業式等において国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること,又は定められた楽譜に従ってピアノで国歌の伴奏をすることを命じるものであるから,外部的行為を命じるものである。そして,控訴人らに対して,例えば,「『日の丸』や『君が代』が皇国思想,軍国主義を賛美するものであるという考えは,誤りである。」旨の発言を強制するなど,直接的に控訴人らの歴史観ないし世界観又は信条を否定することを求めるものではない。  国旗・国歌法により国旗・国歌と定められた「日の丸」と「君が代」を卒業式等の儀式的行事において用いて,日の丸を掲揚し君が代を斉唱することは,憲法に抵触するものとは考えられず,控訴人らも,そのこと自体を問題とするものではない。前記のとおり,国旗・国歌法は,国旗及び国歌を定めるだけのものであり,国旗を掲揚し国歌を斉唱することを何人にも義務づけるものではないが,学習指導要領の国旗・国歌条項が卒業式等において国旗を掲揚し,国歌を斉唱するよう指導するものとすると定めていることは,これと矛盾するものではなく,むしろその趣旨に沿うものである。そして,儀式的行事に際して国旗を掲揚し国歌を斉唱するに当たって,国旗に向かって起立するということは,広く承認された儀礼と認められる(乙34)のであるから,卒業式の司会者が出席者に国歌斉唱に際し起立を促すことは,国歌斉唱の趣旨にかなうものであって,これを違法ということはできないし,参加者が起立することは,通常想定され期待される行為ということができる。また,儀式的行事において,他国の国旗が掲揚され,その国の国歌が演奏される際に,参加者が国旗に向かって起立することが,その国に対する忠誠を誓う意味を持たないことは,明らかであることに照らせば,「君が代」斉唱に際して「日の丸」に向かって起立すること自体は,日本国に対する忠誠を誓う趣旨を含むという、ことはできないし,まして,皇国思想や軍国主義を肯定するなどという趣旨を含むものではない。「君が代」のピアノ伴奏をすることが,日本国に対する忠誠を誓う趣旨等を含むものではないことは,いっそう明らかである。  なお,この関係で,控訴人らが引用するアメリカ合衆国連邦最高裁判所のリーディングケースとされるバーネット事件判決は,教育委員会が,公立学校の課程の中において,国旗への敬礼を義務づけ,教員と生徒のすべてが儀式に参加すること,国旗敬礼を拒否することに対しては不服従行為としての処置く退学処分,刑事処罰等)が科されるべきことを決議し,国旗敬礼を拒否した生徒が退学処分を受けたという事例に関するもので,この儀式では,国旗への敬礼の姿勢をとる(右腕をしっかり伸ばし,掌を上に向けて挙げる行為)ほか,「私はアメリカ合衆国の国旗と,それが象徴する共和国,すなわちすべての人々に自由と正義をもたらす不可分一体の国家に対して,忠誠を誓います。」という誓約を唱和することとされていたというのである(甲154)。これと同様の敬礼や誓約を生徒に義務づけ,従わない者を退学処分等にするという行為が,我が国においても憲法に違反することは明白であるし,教師に上記の文言のような誓約を唱和するように命ずることも,同様と解すべきであるが,「君が代」を斉唱するに当たり「日の丸」に向かって起立するという行為は,上記の敬礼や誓約と質的に異なるものというべきであるくなお,バーネット事件の生徒は,偶像崇拝に当たるという理由で国旗に対する敬礼と誓約を拒否したが,控訴理由書99頁によれぽ,起立はしたというのであり,そうだとすると,起立は偶像崇拝に当たらない行為と考えたということになる。)。本件において,本件通達及び本件職務命令によって控訴人らに義務づけられたのは,国旗に向かって起立し国歌を斉唱することにとどまるのであるから,上記バーネット事件判決の判断は,直ちに参考になるものではない。  上記のように,控訴人らが命じられたことは,一般的には,国家に対する忠誠を誓う行為ではなく,皇国思想や軍国主義を肯定するなどという行為でもないから,控訴人らの上記歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結び付いたものではなく,控訴人らの思想及び良心とのかかわりは希薄であるというべきである。したがって,控訴人らは,国歌斉唱に際して国旗に向かって起立するという行動をとることや,ピアノ伴奏をすることも,控訴人らの上記歴史観等と矛盾,抵触することなく,選択し得るところと解される。  一般的には以上のとおりであるが,国歌斉唱に際し国旗に向かって起立する行為が,自己の思想及び良心と密接にかかわり,これを命じられることが自己の思想及び良心を否定する意味を有すると受け止める者がいることも否定し得ないところであり,控訴人らも,上記歴史観等に由来する「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を有すると主張している。「日の丸」及び「君が代」に関する過去の歴史にかんがみれば,上記の歴史観等のみならず,そのような「思い」も,これを特異なものとして排斥することは相当でない(校長の中にも,これに理解を示す者もいる(甲29,535,552,576等)。)。そして,そのような「思い」が特異であるか否かにかかわりなく,例えば,同様の「思い」を有する生徒の保護者や来賓といった卒業式等の参列者に対し,国歌斉唱に際し国旗に向かって起立することを促すのはよいとして,これを強制することについては,憲法19,条の思想及び良心の自由の保障との関係において,問題があるといわざるを得ない。本件通達も,上記のような参列者にまで起立を強制することを考えていないことは明らかである。控訴人らも,これと同じ立場において卒業式に参加しているのであれば,起立を義務づけることは許されないものと考えられる。そうすると,以上の理由だけでは,本件通達及び本件職務命令を合憲と断ずることはできない。  しかしながら,控訴人らは,各都立学校の教師という立場において卒業式に参加しているのであるから,他の参加者とは別の検討を要する。高等学校等の教師には限られた一定の範囲で教授の自由があることは肯定されるけれども,卒業式は,各教師が個別に担当する一般の教科と異なり,全校的な規模で執り行われる儀式的行事であるから,その基本的な進行については,個々の教師がそれぞれの創意工夫に基づいて自由に生徒を指導すればよいというものではなく,全校的に決定されたところに従って統一のとれた行動が教師に要請されるといわなければならない。そして,上記のとおり,卒業式の基本的な進行内容の1つとして,国旗を掲揚して国歌を斉唱するものとすることが組み込まれており,そのこと自体は,問題とすべきことではなく,それに際して参加者が起立することも通常想定され期待される行為であって,一般的にはその者の思想及び良心と矛盾,抵触することのない行為であり,学習指導要領の国旗・国歌条項の定めに基づく卒業式に参加する生徒に対する指導の目的を達成するためには,卒業式に参加する教師は,生徒を指導する立場にある者として,自己の個人的な思想及び良心とかかわりがあることを理由として起立しない行動をとるのではなく,他の教師とともに,起立して斉唱する行動が求められているというのが相当である。また,ピアノ伴奏を担当することとされた教師も,自己の個人的な思想及び良心とかかわりがあることを理由としてピアノ伴奏をしない行動をとるのではなく,ピアノ伴奏をする行動が求められているというべきである。これに反して,国歌斉唱に際して起立せず,ピアノ伴奏をしない行為は,上記指導の効果を減殺するものである。  そして,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であつて,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性や職務の公共性にかんがみ,地公法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し,同法32条は,地方公務員がその職務を遂行するに当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定している。控訴人らは,いずれも都立学校の教職員であって,法令等(学習指導要領を含む。)や上司の職務上の命令に従わなければならない立場にあり,本件通達及び本件職務命令により起立斉唱ないしピアノ伴奏を命じられたというのである。そうすると,控訴人らが自己の個人的な思想及び良心と前記の程度のかかわりがあることを理由に起立斉唱やピアノ伴奏を拒否することは許されず,その限りにおいて控訴人らの外部的行為が制約を受けることはやむを得ないものというべきである。 エ 以上の諸点にかんがみると,本件通達及び本件職務命令は,控訴人らの思想及び良心の自由を侵すものではなく,憲法19条に違反するとはいえず,同様の理由で憲法20条にも違反しないと解するのが相当である。したがって,本件職務命令違反を理由にされた本件処分も,憲法19条及び20条に違反するということはできない。 オ(ア)この点につき,控訴人らは,都教委が控訴人らに懲戒処分を課したことは,実質的には,控訴人らが「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する」ことができないという思想・信条を有していることによりされた,思想・信条に基づく不利益取扱いにほかならないから,それ自体直ちに憲法19条に違反すると主張する。  しかしながら,前記認定事実によれば,本件職務命令は,学習指導要領に基づき卒業式等を適正に実施することを目的としていると解されるのであり,本件処分は,本件職務命令に従わなかったこと及び信用を失墜したことを理由にされたものと認められ,控訴人らの思想・信条を理由にされたものとは認められないから,控訴人らの上記主張には理由がない。 (イ)また,控訴人らは,本件の起立斉唱あるいはピアノ伴奏の強制は,起立斉唱している者,あるいはピアノ伴奏している者の内心がどのようなものであるかを知ることはできないが,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ者にとっては,自己の思想に従えば「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない」結果,その者が「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」という思想,信条を有していることが外部に示されることになるから,これによって,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ者があぶり出されることになるので,「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を持つ者を推知する効果があり,憲法19条に違反すると主張する。  確かに,控訴人らのいう「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」は,控訴人らが有する前記のような歴史観ないし世界観又は信条に由来して生じたものであって,それ自体も,内心にとどまる限りにおいては,憲法19条の保障が及ぶということができる。そして,求められた行為をしないという行動は,その背後にそれを拒否ないし嫌悪する考え(怠慢等が含まれているとしても)があることを推知させるから,ある行為を義務づけることは,その義務を否定する考えないし思いを有する者に対し,そのような考えないし思いを有することを外部的に明らかにさせる効果を伴うということができる。しかし,そのことを理由に,ある行為を義務づけることが直ちに憲法19条の保障する「沈黙の自由」に違反するということになるとするなら,行為を義務づけたり命じたりすることは,およそ許されないということに帰着せざるを得ないが,憲法がそのようなことまでをも求めているとは解し得ない。  前記認定事実によれば,本件通達及び本件職務命令は,学習指導要領に基づき卒業式等を適正に実施することを目的としていると解されるのであり,これらが,これに従わずに不起立ないしピアノ伴奏拒否という行動に及ぶ者が「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」を有することが外部的に明らかになる効果を伴うとしても,それはあくまで結果としてそのようになるにとどまるのであって,本件通達ないし本件職務命令がそのような思いを有する者をあぶり出すことを目的とするものと解することはできない(これに対し,「踏み絵」は,キリスト教徒をあぶり出すことを目的として行われるものである。)0そして,国歌斉唱に際し国旗に向かって起立することは,一般的には控訴人らの前記のような歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結び付くものとはいえない行為であることにかんがみれば,これを義務づけたことが,上記のような思いを外部的に明らかにさせる効果を伴うことを理由に,控訴人らの沈黙の自由を侵害するものとして憲法19条に違反するということはできないと解すべきである。  なお,控訴人らのような考えを有する者は,本件通達ないし本件職務命令により起立斉唱を義務づけられないでも,卒業式の司会者が国歌斉唱に際して起立を促しさえすれば(この促す行為を違法ということができないことは,前記のとおりである。),起立しない行動をとることになるから,それだけで,「起立斉唱できない思い」を持つ者であることは,外部的に明らかになると考えられる。ピアノ伴奏についても,同様に,本件職務命令が発せられなくても,司会者が「国歌斉唱」と発声してもピアノを弾かないという行動により,「ピアノ伴奏できない思い」を有することは,外部的に明らかになるということができる。  控訴人らの上記主張も,採用することができない。 (ウ)控訴人らは,思想及び良心の自由に対する「制約」の違憲審査においては,控訴人らの思想及び良心の自由の実現により侵害される他者の人権(対立価値)の内容と,これについて具体的にいかなる現実的・具体的害悪が生じるのか(害悪の重大性,急迫性)を明確にした上で,制約目的が必要不可欠であるか,制約の手段・方法等が必要最小限であるか,より制限的でない他の選び得る手段がないかなどについての厳格な審査がされる必要があるにもかかわらず,原審は,対立価値の内容と対立価値について生じる害悪の重大性・急迫性の内容を明確にせず,単に職務命令の目的・内容の必要性・合理性のみを判断して違憲審査を行っており,その判断枠組自体失当であると論難する。  しかしながら,本件においては,控訴人らの思想及び信条それ自体の侵害が問題となるのではなく,これとかかわりのある外部的行為の制限が問題となるのであり,その合憲性審査については,以上のように判断されるのであって,控訴人らの主張には理由がない。 (2)憲法23条,26条(控訴人らの教職員としての教授の自由)違反について  この点につき,当裁判所も,控訴人ら教職員には,一定の範囲において教授の自由が保障されるべきであるが,本件通達及び本件職務命令が,控訴人らに認められる教授の自由を侵害するものであるとは認められないと判断する。その理由は,原判決49頁20行目冒頭から51頁2行目の「関係がない。」までに記載のとおりであるから,これを引用する。 7 本件通達,本件職務命令の国際条約違反について  当裁判所が本件通達及び本件職務命令は国際条約(自由権規約,児童の権利に関する条約)に違反する無効なものではないと判断する理由は,原判決51頁20行目の「原告の」を「控訴人らの」と改めるほか,同17行目〜同52頁4行目に記載のとおりであるから,これを引用する。  控訴人らは,自由権規約に違反するという主張につき原審が具体的判断を示していないと主張する。しかし,自由権規約18条が憲法19条及び20条の保障していないものをも保障する趣旨であるとは解せないところであり,控訴人らの自由権規約18条違反の主張も,同条が憲法の保障していないことまでをも保障しているから,その部分に違反するというのではなく,憲法19条及び20条違反の主張と同じ趣旨をいうものであるく文化的アイデンティティの侵害をいう主張も,同様である。)。そうすると,以上のとおり本件通達及び本件職務命令が憲法に違反しないと判断される以上は,自由権規約18条にも違反しないと解すべきこととなるのであって,控訴人らの主張は失当といわざるを得ない。 8 控訴人らの不起立行為等の地公法32条,33条違反,本件処分の手続的違法について  当裁判所が控訴人らの不起立行為等は地公法32条,33条に違反すると判断する理由は,原判決52頁10行目の「3,5(1)及び6」を「6及び7」に改めるほか,原判決52頁7〜21行目に記載のとおりであり,本件処分に手続的違法があるとはいえないと判断する理由は,原判決53頁26行目の「原告らの」を「控訴人らに対する」と改めるほか,原判決52頁25行目〜同54頁8行目に記載のとおりであるから,これらをそれぞれ引用する。 9 本件処分についての裁量権濫用について (1)公務員に対する懲戒処分は,公務員としてふさわしくない非違行為がある場合に,その責任を確認し,公務員関係の秩序を維持するために科される制裁である。このような懲戒処分制度の趣旨に照らすと,懲戒権者には,懲戒事由に該当すると認められる行為の原因,動機,性質,態様,結果,影響等のほか,当該公務員の当該行為の前後における態度,懲戒処分等の処分歴,選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等の諸般の事情を考慮して,懲戒処分をすべきかどうか,懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決するについての裁量権が認められ,当該処分が社会観念上著しく妥当を欠き裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したと認められる場合に限りこれを違法と判断すべきものである(前掲最高裁昭和52年12月20日第三小法廷判決参照)。 (2)懲戒処分には,軽い順に,戒告,減給,停職及び免職の4種類があるところ(地公法29条1項),本件処分の内容は,控訴人□□については,平成14年4月,9日に開催された平成14年度入学式の際に,その服装に関する校長の職務命令及びその後の事実確認に関する校長の職務命令に従わなかったため,これが職務命令違反及び信用失墜行為に当たるとして,同年11月6日に戒告処分を受けていることから,過去に非違行為を行い懲戒処分を受けたにもかかわらず,再び同様の非違行為を行った場合には量定を加重するという処分量定の考え方により,1か月間給料10分の1を減じる懲戒処分(減給10分の1・1月)とされたものであり,その余の控訴人らについては,いずれも最も軽い戒告処分である。  この点に関し,控訴人らは,本件各処分は,形式的には「公務員秩序の維持」を目的とするもののごとくであるものの,実は教育への不当な支配を目的とする本件通達以下一連の行為の一環としての懲戒権の行使であり,その実質において「憲法的な視点における教育現場のあるべき公務員秩序」形成に背馳するものであるから,本件処分は,処分目的逸脱を理由に裁量権の濫用に当たるというべきであると主張する。しかしながら,本件通達が発出された経緯及び本件処分がされた経緯は既に認定したとおりであって,これらの事実に基づけば,本件処分が控訴人らの主張するような目的でされたと認めることはできないから,上記主張は採用することができない。 (3)しかしながら,当裁判所は,原審と異なり,以下の点を総合すると,本件各処分は,社会観念上著しく妥当を欠き,裁量権を逸脱し,又はこれを濫用したものというべきであると判断する。 ア 懲戒処分の裁量権の逸脱・濫用は,「懲戒処分をすべきかどうか」の判断についても審査すべきものであるから,懲戒処分が最も軽い戒告であっても,懲戒処分をすることが裁量権の範囲を逸脱し,これを濫用したというべき場合があることは,いうまでもないところである。そして,都教委の行った処分等の実績をみると,争議行為,卒業式及び入学式の職務命令違反並びに再発防止研修における職務専念義務違反を除く服務事故(体罰,交通事故,セクハラ,会計事故等)については,平成16〜18年度において,懲戒処分を受けた者が205人(うち戒告が74人)であるのに対し,文書訓告又は口頭注意といった事実上の措置を受けた者が397人,都教委指導等を受けた者が279人となっており(甲380),服務事故(非違行為)と認められた者のうち懲戒処分を受けたのは4分の1にも満たない。これによれば,戒告処分であっても,一般には,非違行為の中でかなり情状の悪い場合にのみ行われるものということができる。 イ 控訴人らの不起立行為等は,自己の個人的利益や快楽の実現を目的としたものでも,職務怠慢や注意義務違反によるものでもなく,破廉恥行為や犯罪行為でもなく,生徒に対し正しい教育を行いたいなどという前記のとおりの内容の歴史観ないし世界観又は信条及びこれに由来する社会生活上の信念等に基づく真摯な動機によるものであり,少なくとも控訴人らにとっては,やむにやまれぬ行動であったということができる。 ウ 歴史的な理由から,現在でも「日の丸」及び「君が代」について,控訴人らと同様の歴史観ないし世界観又は信条を有する者は,国民の中に少なからず存在しているとみられ,控訴人らの歴史観等が,独善的なものであるとはいえない。また,それらとのかかわりにおいて,国歌斉唱に際して起立する行動に抵抗を覚える者もいると考えられ,控訴人らも,1個人としてならば,起立を義務づけられることはないというべきであるから,控訴人らが起立する義務はないと考えたことにも,無理からぬところがある。 エ 控訴人らは,卒業式等を混乱させる意図を有しておらず,結果としても,控訴人らの不起立・伴奏拒否によって卒業式等が混乱したという事実は主張立証されていないから,なかったものと考えられる。もっとも,控訴人らが起立しなかったことにより卒業式の参加者の中には不快感を感じたものがいると考えられるが,そのことにより卒業式の円滑な進行が阻害されたとはいえないし,生徒の保護者や来賓の中に起立しない者がいても,それは容認せざるを得ないところ,その場合に生ずる不快感と大差はない。また,本件の前年までの卒業式等の状況は,前記認定のとおりであるから,控訴人らの不起立行為等が,それまでにない不快感を呼び起こしたとは考え難い。  ちなみに,この関係で,控訴人らが懲戒処分を受ける前に裁判例に現れた実例と比較すると,@ 入学式当日に掲揚された「日の丸」を引き降ろしたこと等により訓告を受けた事例(大阪地裁平成8年2月22日判決・判例タイムズ904号110頁),A 卒業式において「日の丸」掲揚に抗議の発言をし,入学式において抗議のプレートを着用したことにより訓告を受けた事例(大阪地裁同年3月29日判決・労働判例701号61頁),B 卒業式において国歌斉唱拒否の発言をし,退場に際しこぶしを振り上げたことにより戒告処分を受けた事例(福岡地裁平成10年2月24日判決・判例タイムズ965号277頁),C 入学式において掲揚されていた「日の丸」を引き降ろしたことにより訓告を受けた事例(横浜地裁同年4月14日判決・判例タイムズ1035号125頁),DE 卒業式の「日の丸」掲揚に反対して,生徒を放課し予行練習等を行わなかったことにより戒告処分を受けた事例(浦和地裁平成11年6月28日判決・判例タイムズ1037号112頁,同平成12年8月7日判決・判例地方自治211号69頁),F 入学式開始直前に「日の丸」を引き降ろしたことにより戒告処分を受けた事例(東京地裁同年4月26日判決・判例タイムズ1053号122頁。なお,この事件では,手続的違法を理由に処分が取り消されている。),G 卒業式の「日の丸」掲揚に反対の立場から校長に暴言を吐いたことなどにより戒告処分を受け,卒業式の「日の丸」掲揚を妨害したことにより減給処分を受けた事例(大津地裁平成13年5月7日判決・判例タイムズ1087号117頁),H 校舎落成記念式典において国旗を引き降ろして隠匿したことにより戒告処分を受けた事例(東京高裁平成14年1月28日判決・判例時報1792号52頁)がある。これらの事例では,処分等を受けた教師が積極的に卒業式等を妨害するなどの行為に及んでおり,本件における控訴人らの行為と比較すると,より情状が悪いと考えられるが,それでも訓告しか受けていない者(@,A及びC)もいる。  なお,都教委は,控訴人らに対する懲戒処分を量定する参考として,東京地裁平成15年12月3日判決・判例時報1845号135頁(最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「最高裁ピアノ判決」という。)の第1審)を参考にしたところ(原審における証人藤森教悦),これは入学式においてピアノ伴奏を拒否したことによる戒告処分の事例であるが,当該教師がピアノのいすに座ったまま,ピアノを弾き始める様子がなかったことから,校長が,およそ5〜10秒待った後に,あらかじめ用意していた録音テープを流したことにより混乱が避けられたというものであり,同判決は,「このように他者の行為により結果的に混乱を避けることができたからといって,本件行為自体の信用失墜行為該当性が左右されるものではない」と判示している(乙16)。 オ 国旗・国歌法の制定過程において,政府が国会においてした答弁は,前記認定のとおりであって,これは公立学校の教職員が卒業式等において国歌斉唱時に国旗に向かって起立することを義務づけない趣旨を述べたものではないと解されるが,国歌斉唱の義務づけはしないことを繰り返し強調するなど,その一部を取り出してみると,控訴人らが,起立・ピアノ伴奏を義務づけられることはなく,不起立・伴奏拒否が違法とされることはないと考えたことに,それなりの根拠を与えたことは否定できない。そのことは,平成15年4月10日の都教委定例会において,教育長が「そもそも国旗・国歌については強制しないという政府答弁から始まっている混乱なのです。」と述べたのに対し,委員の1人が「だから政府答弁が間違っているのです。」と応じた(甲9)ことからも,政府答弁を教職員にも義務づけをしない趣旨を述べたものと理解することが,必ずしも控訴人らだけの著しい曲解ではないことを示している。また,答弁をした野中官房長官(当時)自身が,日本弁護士連合会「自由と正義」2007年12月号の記事中で,「国旗・国歌法の制定によって,教育現場でどのような運用がされることを考えられていたのでしようか。」との問いに対し,「教育委員会と教職員組合の間で,立つ,立たん,歌う,歌わんで処分までやっていくというのは,制定に尽力した私の気持ちとしては不本意で,このような争いを残念に思っています。」と述べている(甲312)ことも,政府答弁の上記の理解が著しい曲解とまではいえないことを裏付けるものである。 カ 入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うよう命じたという事例(上記エ参照)につき,職務命令が憲法19条に違反しないと判断した最高裁ピアノ判決が言い渡されたのは,平成19年2月であるところ,本件卒業式等はその約3年前の平成16年2月〜5月に行われたものであり,その時点では,エで述べたように,国旗を引き降ろしたり,抗議の発言をしたり,こぶしを振り上げながら退場したというような式を積極的に妨害した事例については,いくつもの下級審裁判例が公になっていたが,必ずしも式を妨害したとはいえない事例としては,卒業生の担任でありながら,「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱に反対するとして卒業式を欠席し,生徒の呼名をしなかったことを理由にされた減給処分が,人事委員会により処分の手続上の違法を理由に取り消されたものく浦和地裁平成11年4月26日判決・労働判例771号45頁)があった程度で,本件のような事案について,まだ明確な司法判断が示されてはいなかった。 キ 憲法学を始めとする学説(甲117,118,497,581等,証人浦部法穂),日本弁護士連合会(甲248)等の法律家団体においては,理由づけは様々であるが,結論として起立斉唱・ピアノ伴奏の強制は憲法19条等に違反するというのが通説的見解であり,控訴人らの起立・ピアノ伴奏を義務づけられることはなく不起立行為等が違法とされることはないという考えは,必ずしも独自の見解ということはできない。 ク 通常の1回的な非違行為に対する懲戒処分と異なり,卒業式,入学式等の儀式的行事における君が代斉唱時の不起立等を理由とするものは,毎年必ず少なくとも2回は懲戒処分の機会が訪れることになり,上記イで述べたとおり,控訴人らにとっては,不起立等はやむにやまれぬ行動であったということができるから,これを繰り返すことも考えられるため,始めは戒告という最も軽い処分であるとしても,短期間のうちに処分が累積し,より重い懲戒処分がされる結果につながることになることが当然に予想される。しかし,上記ア〜キの事情にかんがみると,そのような結果を招くほどに重大な非違行為というのは,相当でない(ちなみに.上記アに記載した都教委の行った処分等の実績によれば,争議行為,卒業式及び入学式の職務命令違反並びに再発防止研修における職務専念義務違反を除く服務事故(体罰,交通事故,セクハラ,会計事故等)については,平成16〜18年度において,減給以上の懲戒処分を受けた者は,131人(処分措置を受けた者全体の約15%)にすぎない。)。 ケ なお,最高裁ピアノ判決は,当該事案におけるピアノ伴奏を行うよう命じた職務命令の憲法19条違反の有無に限り判断を示したものであり,懲戒処分の裁量判断の適否については判断の対象とされていないから,懲戒処分の適否に関する先例とはいえない.同判決においては,懲戒処分の違憲,違法をいう上告理由については,民訴法312条1項及び2項に規定する事由に該当しないとされ,また,上告と同時にされた上告受理の申立てについては,不受理決定がされている.上告不受理決定は,原審の判断を是認したものではなく,法令の解釈に関する重要な事項を含むものとは認められない,換言すれば,上告審として受理して判断を示すのにふさわしいものではないとしたにすぎない。 (4)この点につき,被控訴人は,職務命令違反という非違行為の類型は,組織体において,上司の命令を部下が拒否するようなことがあっては適正に業務が実施できないから,公務の適正な遂行を妨げるものであり,公務員の服務の根幹にかかわる重要な非違行為であって,都民に対する重大な背信行為であり,これを放置したのでは職場内の秩序維持の観点から深刻な問題を惹起するものとして,看過することができないし,そのことは教育部門でも変わりがなく,信念に基づこうが,基づくまいが,職務命令違反により適正な公務の遂行が阻害されるのは同じであって,信念に基づけば罪が軽くなるというような埋屈はあり得ないと主張する。  確かに,控訴人らは,誤った憲法ないし法令の解釈に従って,有効な職務命令に従うことを拒否したものであり,また,控訴人らの行為は,自己の歴史観等や「起立斉唱(ピアノ伴奏)できない思い」に基づくものではあるが,都教委の教育現場への介入を過剰なものと決めつけて抵抗するという面を有するものであって,職務命令違反があった場合,理由のいかんを問わず,適正な公務の遂行が阻害され,職場秩序や服務規律という面からは,軽視し得ないところがあることは,被控訴人の主張するとおりである.また,教師である控訴人らの不起立行為等は,生徒の面前で行われたものであるから,学習指導要領の国旗・国歌条項に基づいて生徒に対して行われる指導の効果を減殺するものであることも,考慮しなければならない.もっとも,控訴人らの不起立行為等の影響で生徒らが不起立等の行為に及んだという事実は,主張立証されていないから,具体的な減殺効果があったという根拠があるわけではない.そして,上記の点を考慮に入れ,被控訴人に広い裁量権があることを前提としても,上記(3)ア〜クの点に照らせば,不起立行為等を理由として控訴人らに懲戒処分を科すことは,社会観念上著しく妥当を欠き,重きに失するというべきであり,懲戒権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用するものというのが相当である。 (5)そうすると,本件処分はいずれも不適法なものであるから,これを取り消すべきである。 10 控訴人らの損害の有無及びその額  控訴人らは,違憲,違法な本件通達及び本件職務命令を受け,引き続き本件処分を受けたことにより精神的苦痛を被ったと主張して,これに対する慰謝料各50万円の支払を被控訴人に対し請求している。  しかしながら,本件通達及び本件職務命令が違憲,違法なものでないことは既に述べたとおりである.また,本件処分は,前記のとおり違法なものであるが,本件職務命令が適法であり,控訴人らにはこれに従う義務があったものであるから,懲戒事由に該当する非違行為はあったというべきであること,懲戒処分が最も軽い戒告にとどまるものである(ただし,控訴人□□は,減給1か月10分の1であるが,これは戒告の処分歴があることを考慮されたものであり,不起立行為等を理由とする懲戒の量定は,他の控訴人らと同程度であると考えられる。)ことなど,本件事案の内容・性質にかんがみれば,本件処分を受けたことにより被った控訴人らの精神的苦痛は,これが取り消されることをもって慰謝されると解するのが相当である(控訴人□□は,処分の取消しを求めていないから,同控訴人に対する戒告処分は取り消されないが,それは,同控訴人が審査請求を前置しなかったからであり(弁論の全趣旨),同控訴人についてのみ精神的苦痛が存するというのは相当ではなく,同控訴人についても,本判決によりその余の控訴人らに対する本件処分が取り消されることをもって,同控訴人が本件処分を受けたことにより被った精神的苦痛も慰謝されると解するのが相当である。また,控訴人らの中には,その後重ねて懲戒処分を受けた者や再任用を取り消された者がいるが,それらによる精神的苦痛があるとしても,それは別個の事由によるものというべきであるし,後者については職務命令違反という非違行為自体は存すること(再任用の選考基準は,「勤務成績が良好であること」である(乙43,44)。)にもかんがみれば,本件処分による精神的苦痛を構成するものとはいえない。)。したがって,本訴請求のうち,被控訴人に対し慰謝料の支払を求める部分は理由がない。なお,本訴に要した弁護士費用については,本件処分と相当因果関係があるものということはできないから,同様に理由がない。 11 結論  よって,本訴請求は,控訴人□□を除く各控訴人ら(ただし,控訴人□□については亡□□)に対する本件処分をいずれも取り消すように求める限度で理由があるから,これらを認容し,その余はいずれも理由がないから,これらを棄却すべきであるところ,これと結論を異にする原判決は,一部相当でないから,これを変更することとし,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第2民事部 裁判長裁判官 大橋寛明 裁判官 川口代志子 裁判官 佐久間政和