◆199712KHK175A1L0176AF
TITLE:  80年代校内暴力の「終息過程」
AUTHOR: 原田 琢也
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第175号(1997年12月)
WORDS:  全40字×176行

 

80年代校内暴力の「終息過程」

 

原 田 琢 也 

 

1.はじめに

  11月の定例会での報告は、柿沼・永野編著『校内暴力』〔注1〕に収められている同名の論文の内容を、要点だけをかいつまんで話させていただいたものであった。よって、ここにはさらにその要点だけを書かせていただくことになるが、できることなら本論文にあたっていただければありがたい。

  校内暴力のピークは1980年頃であった。それ以降、校内暴力は一旦は減少したとはいうものの、いじめ、不登校など、さまざまな「問題」が矢継ぎ早に世間を騒がせ、今日に至っているという状況である。世間の多くの人々は、「学校はどこかおかしい」と考え、政府もそれに対処すべく、様々な教育改革を打ってきた。しかし、現状は改善されるどころか、最近ではまたもや校内暴力の発生件数が増してきているという〔注2〕。これはいったいどういうことか。

  学校は、〈力〉と〈力〉がぶつかり合う葛藤の場である〔注3〕。世間のいう「よい学校」とは、教師の〈力〉の方が生徒の抵抗力より少し勝っている学校のことである。80年代校内暴力以降、学校は、いかにして〈力〉を回復するか、この点にこそ躍起になってきたといっても過言ではない。この間学校では、眼前の状況に対処すべく様々な戦略が用いられてきた。その〈力〉の質の移り変わりを描出することにより、混迷している学校の今を解くことができるはずだと考えた。

 

2.学校はいかにして語られたか

  新聞が校内暴力を大きく取り上げたのは、1980年に入ってからである。最初は、文部省も、前代未聞のこの事態に対してどう対処してよいのかわからず、ただ手をこまねいているだけであった。やがて各界の様々な団体が、改善策を提示しはじめるが、今でもよく見受けられる紋切り型の学校改革案の域を出るものではなく、実効力を持ち得なかった。

  やがてマスコミの報道は、校内暴力の「責任」について言及しはじめる。「校内暴力の責任は学校や教師にあるのだ」という、短絡的な論調が支配的であった。当時のマスコミの報道をよくよく観察してみれば、その恣意的な態度には驚かされる。これはまさしく、スケープゴーティングの過程であるといえよう。

 

3.校内暴力を封じ込めるために −〈あからさまな力〉の時代

  当時、教師は、日々生起する「事件」の処理に負われ、さらにマスコミをはじめとする世間の冷ややかなまなざしにもさらされ、袋小路に追い込まれていた。この事態から脱出するために、ありとあらゆる方策が試みられた。代表的なものを列挙してみれば、体罰、警察力の導入、つく指導(=抱え込み指導)、家庭訪問指導などがあげられる。体罰や警察力の導入は〈あからさまな力〉であり、それらに対しては、概して世評は批判的であった。家庭訪問指導やつく指導は、より「教育的」だとみなされているが、体罰や警察力の導入といった〈あからさまな力〉を補完するために機能しており、やはり〈力〉であるには違いない。またそれらは、膨大な教師の労力を必要とした。よってこれらの方策は、あくまでも一時しのぎの緊急措置であり、永続的に行使し続けられるようなものではなかった。

 

4.「攻めの生徒指導」 −〈目に見えない力〉の時代へ

  校内暴力が下火になるにつれ、「早期発見、早期指導」、「服装や頭髪の乱れは心の乱れ」という言説が目立つようになってくる。いわゆる「管理主義」の台頭である。1985年頃がその時期にあたる。その〈力〉のからくりは次のようであった。

  @常に監視を行い、細分化された校則という緻密な「尺度」をあてがい、個々の生徒の「非行性」を測る。Aそして、その尺度の末端に位置したものを、「見せしめ」にまつりあげることにより、あるいは、卒業後、不利な状況が待ち受けていることをほのめかすことにより、少しでも尺度の上位に位置するように促す。Bしかし、その通りにならない少数の生徒は、実際に排除されていく。C他の多くの生徒は、その排除されたものを尻目に、「あのようにはなりたくない」と思うことにより、ますます「『尺度』の上位に位置しよう」、「規則を守ろう」と、自ら努力し出すことになるのである。D「尺度」が「身についた」教師、保護者、そして生徒までもが、自発的に、他の生徒を監視するようになる。そして@の過程にフィード・バックし、この循環にさらに拍車をかける。Eそれぞれの過程がスムーズに流れるように、「理論」がサイドからサポートする。うまくいけば、@からDの循環は、永久機関のように、オートマチックに作動しながら、徐々に力を蓄え拡大していくのである。私は、この戦略を、坂本秀夫の言葉を借りて「心理的武器」と呼んだ〔注4〕。

  体罰や警察力の導入は、暴力や強制力などの有形力を伴う〈力〉であった。それが〈力〉であることが、歴然としている〈力〉であった。しかし、心理的武器は暴力や強制力を伴うものではない。それが伴うものは、唯一、「排除」である。心理的武器は、人々の内にある「排除されたらどうしよう」という心情によって支えられている〈目に見えない力〉なのである。

  実は心理的武器は、服装や頭髪指導だけにおいて用いられてきたテクニックではない。よくよく考えてみれば、学校の本業ともいうべき、学業面での成績評価には、長年、このテクニックが用いられてきたのである。成績評価と、先の服装・頭髪指導のからくりとを、重ね併せて考えてみよう。( )内が、服装・頭髪指導の場合である。

  学習指導要領の知識(=校則)を教え込み、それを試験(=校門指導、集会でのチェック、面接など)によって検査(=監視)する。その結果によって、生徒を、序列化し、階層構造をつくる。末端に位置した生徒は激励されながらも、受験というふるいわけの機会の度に、学校システムから排除されていく。他の多くの生徒は、「落ちこぼれ」(=「非行生徒」、「問題児」)を尻目に見ながら、少しでも上位に位置しようと、学業(=校則を守ること)に精を出す。このように、成績の相対評価のからくりは、服装や頭髪の指導のからくりと照応するのである。このことは、つまり、元来学業の面だけにおいて用いられていた心理的武器が、校内暴力の克服を契機に、生徒指導面においても拡大して用いられてきたことを示しているのである。

 

5.「心の教育」 −さらに巧妙なマインド・コントロールの時代へ

  学校問題は、校内暴力からいじめや不登校にシフトしてきた。学校教育そのものが、排除を前提にした「心理的武器」で覆い尽くされようとしているのだから、このことは別に不思議なことではない。

  近年、それらの「心の問題」に対処すべく、「心の教育」が叫ばれるようになった。ボランティア活動の重視や、「関心・意欲・態度」を重視する「新しい学力観」などもその系に属する。しかし、残念ながら、「心の教育」も、心理的武器のバリアントであり、より巧妙な「管理主義教育」といった側面を持つ〔注5〕。目の前の「問題」に対処すべく、もがけばもがくほど、心理的武器は拡大し、人間の深層部へと侵入していくのである。どうすればこの流れを止めることができるのか。

 

6.心理的武器の拡大を阻止するために

  心理的武器の拡大を阻止するために、私たち教員はどうすればいいのか。残念ながら、私には、その特効薬はみつからない。いや、特効薬を見つけようという安易な発想そのものが、もうすでに心理的武器の侵攻を許してしまうような気すらするのである。心理的武器は、一握りの権力者の談合によって生み出された産物ではない。数限りない人々の相互作用によって、生み出された産物である。ということは、やはり、これをストップできるのも、数限りない人々の相互作用でしかないはずである。人々の相互作用に期待を寄せて、私は現時点において考え得る、学校改革のための方向性を3つ提示してみようと思う。

  まず第一に、教師による教師自らの〈感覚〉の点検が必要であると考える。私たち教員は、かつてのマスコミの論調がそうであったように、学校内部の、特に教師−生徒関係という閉塞的な空間においてのみ、学校問題を考えるように仕向けられてきた。世間や地域からの期待や圧力を意識する中で、学校には、あるいは職員室には、特有の文化が形成され、私たちには特有の〈感覚〉が形成されてしまっている。そしてその〈感覚〉に基づいて、慣習的に、惰性的に、「指導」という名の権力作用を繰り返し、その中で心理的武器は知らず知らずのうちに拡大していったのである。〈感覚〉に基づく慣習的行為は、その〈場〉の文化を再生産するように機能しているので、いつまでたっても問題解決のための議論は外には開かれないのである〔注6〕。

  第二に「勇気ある撤退」を提唱したい。自らの〈感覚〉が点検でき、学校の日常世界において、心理的武器の拡大を促す契機をみつけ出すことができたとしても、そのことに疑義をはさむことは、さらに勇気を伴うことになる。なにせ周囲の多くの人々は、慣習的に行動しようとするのだから、そこで一人疑義をはさみ立ち止まってしまうことに対しては、周囲からの理解は得られにくく、「足引っ張り」、「ダメ教師」、「甘い教師」などといったレッテルが差し向けられる可能性があるからである。しかし、議論を外に開き、かつ人々に学校問題を直視することを促すには、この過程が不可欠であると私は確信している。

  第三に、どんな形であれ、個々の教師が将来の学校像に対するビジョンを持っておくことが大切である。今後、学校の守備範囲が狭められると同時に、教師は、学校外の様々な立場の人々との対話を余儀なくされるはずである。その時に、いかに主体的に議論に参画できるか、その姿勢が問われることになるからである。

  以上、はなはだ不十分で未完成な提案である。あとは、本稿を目にした人々による批判やさらなる提案によって、方向性がより明確になっていくことを期待する。

 

7.おわりに − 定例会の議論を通して

  11月15日の定例会では、活発な議論が展開された。私は、報告の5分の4ぐらいを、この20年間ほどの〈力〉の変遷についての描写と分析に、残りを、現状を打開するための提案にあてたのであるが、議論はもっぱら後者の方に集中した。それらの議論のうち、特に印象に残っているのは、以下の2点である。

  一つは、「勇気ある撤退」をめぐる議論である。「勇気ある撤退は」は、「合校」や「学校のスリム化」という言葉に代表される最近の中教審路線と文脈を共有するものであり、社会的弱者の視点から問題があるのではないかという批判であった。もちろん私の「勇気ある撤退」は、学校制度のことではなく、いわば教師の心構えについてのことであり、質的に異なるのだが、その危険性は十分あり、的をえた批判であると考えている。ただ、学校の現実をこのまま放置しておいてよいわけではなく、何らかの方途を考えようとするとき、他に進むべき方向が見えてこない。私は、社会的弱者の立場を十分留意しながらも、なお「勇気ある撤退」を進めるべきだという立場を固持したい。

  もう一つの批判は、報告の大部分を占める「現実の描写と分析」と最後の部分に当たる「対策」との間にみられる、理論上の不整合やアンバランスを指摘するものであった。私は、まずは現実を冷静に見つめることが不可欠だと思っているのだが、前述のように、現実を直視すればするほど、問題解決のための「処方箋」などありえないことがはっきりしてくるのである。そのような厳しい現実を眼前に見据え、その現実の中で生きていくには、その現実を作り出している数限りない人々の相互作用に期待を寄せ、もう一度「問題」を差し戻すしか方法がみつけられない。私は、人々相互のせめぎあい、ぶつかりあい、対話など、対等なコミュニケーションを通してこそ、あるべき方向が開かれていくと信じたい。そもそも、社会の様々な「問題」は、人々相互の対等なコミュニケーションが欠如しているがために、「問題」として生起しているのではないかと、私には思えるのである。従って、私たちにできること、そしてやらねばならないことは、とりあえずは「対話」を始めるための「お膳立て」だということになる。たしかにこの考え方は、弁証法的な発想に依っており、論理的に矛盾しているように感じられてもしかたがない面をはらんではいる。

  以上、定例会の議論において、印象に残った2つの論点について、若干のコメントを加えさせていただいた。これらのことについては、今後さらに深めていかねばならない課題であると感じている。

 

【 注 】

〔1〕柿沼昌芳・永野恒雄編著『校内暴力』批評社、1997、P.175

〔2〕朝日新聞(1997年12月23日)は、「校内暴力、32%急増」という見出しの記事を掲載している。文部省の1996年度「生徒指導上の諸問題の現状」調査の結果を報道したものである。

〔3〕本稿で用いる〈力〉とは、社会学的な意味での「権力」のことである。社会学において「権力」とは、形態をとわずとにかく人に対して意に沿う行動をとらしめる作用すべてを指すのである。

〔4〕坂本秀夫『校則裁判』三一書房、1993、P.76

〔5〕拙稿「新しい学力観と観点別評価についての一考察」『大阪高法研ニュース』167号も参照されたい。

〔6〕教師の〈感覚〉や学校文化については、拙稿「なぜ学校は異質な空間なのか」『学校という〈病い〉』批評社、1997、P.40を参照されたい。

 


Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会