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TITLE:  親の「子どもの情報を知る権利」について − 親は法定代理人でよいのか − 
AUTHOR: 山口 明子
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第171号(1997年4月)
WORDS:  全40字×338行

 

親の「子どもの情報を知る権利」について

〜 親は法定代理人でよいのか 〜

山 口 明 子 

 

はじめに:

  埼玉県のTさんは、1993年6月に内申書非開示処分取消請求訴訟を提起し係争中であるが、この裁判提起後1年以上経って、被告は突如、原告の適格性に疑問があるとの主張を始めた。

  もともとこの裁判は、1989年5月、Tさんが当時18歳の息子の内申書の開示(埼玉県情報公開条例の規定によれば「公開」というべきであるが、ここでは自己情報の開示を意味する場合は「開示」で統一する)請求を拒否され、審査請求も1992年3月に棄却されたため、提起したものである。そのとき、息子は21歳になっていた。そこで被告は、親として息子の内申書開示を請求するのであれば、条例は親と子の関係に何ら特別のものを認めておらず、他人の情報の開示を求めるのに等しいから、非開示とすべきであり、法定代理人として請求したのであれば、本人がすでに成人に達しているのであるから、母親には原告となる適格性はないと主張したのである。

  これに対して原告は、@これまで息子の内申書の開示請求はすべて原告名でなされており、実施機関からの文書の名宛人もすべて原告であり、裁決の名宛人も原告である。これの取消を請求するのであるから、原告名での提訴は当然である。Aすでに教職員事故報告書等も原告名で、原告の自己情報として請求し、開示されている。B子どもの情報は親の情報の一部である。C内申書の開示を求めることについて親子の意見は一致しており、子どもの意思に反しているわけではないと反論し、適格性について何度かの準備書面の応酬があったのち、一応適格性が認められる形で、現在は開示の是非そのものについての議論が進行中である。

  この場合は、請求中に子どもが成人したという特殊な条件があるが、一般に親が子どもの情報を知ることを法的に保障されない状況がある。これまで子どもの情報の開示を請求するに当たって、親は親権者法定代理人として立つ場合が多く、またその形での請求ならあまり抵抗なく受理されてきた。しかし、このやり方に問題はないだろうか。また、この方法に依らないとすれば、「親として子どもの情報の開示を求める」のか、それとも、「子どもの情報を親の個人情報の一部として請求する」べきなのか。そしてそれぞれの考え方の基礎となっているのは何か。いま考えてみようとするのは、この問題である。

 

1.「子どもの情報」とは何か?

 「子ども」の定義として、この場合は、 (1)「自分自身が親となっている相手」であり、 (2)「未成年者」であるとする。

 「子どもの情報」は大別して (1)「子ども自身が発信している情報」と (2)「子どもについて第三者が持っている情報」に分かたれる。さらに (1)には@「外から見てわかるもの」とA「子ども自身が作ったり持ったりしているもの」とがあり、前者は例えば動作、表情、服装、発言など、後者は日記、作文などの作品、電話での会話、持ち物、蔵書などである。前者については、見れば分かるのであるから、親が収集することに問題はないであろうが、後者については子どものプライバシーとして、親であっても収集に問題が生じうる。身体状況は、年齢によって前者から後者へ移行すると言えそうである。

  (2)は、その情報をもっているのが誰かによって、つまり@近親者、友人、親戚等、子どもにとってプライベートな個人である場合と、A教師、医者、福祉関係者、警察など、職業として子どもに接している人である場合とに分けられる。(1)と(2)@の場合に親と子の関係がどうなるかも興味ある問題ではあるが、現在考えてみようとするのは、(2) Aの場合、職業として子どもに接する人々が持っている「子どもの情報」に対しての、親の「知る権利」である。

 

2.親の「知る権利」を主張する裁判

 現実には、職業として子どもの情報をもっているのは、ほとんど「教師、学校」である。それは、学校が、すべての子どもが成人するまでに関わる機関であり、かつ、長時間関わる機関であることから、当然である。次に子どもの情報を多く持っているのは医療機関である。しかしこれらの機関が持っている子どもの情報は、必ずしも親に提供されるわけではなく、現在、子どもの情報の提供を求める(あるいは、提供されなかったことに対する損害賠償を請求する)裁判が幾つも起こされている。それを教育情報についてみると、筆者の知るかぎりでも次のような裁判がある。

 

     請求の内容            請求のきっかけとなった事件

1.埼玉県 内申書非開示処分取消請求     教師の体罰

2.町田市 作文非開示処分取消請求      いじめ自殺

3.町田市 損害賠償請求             いじめ自殺

4.姫路市 損害賠償請求             学校事故による死亡

5.竜野市 損害賠償請求             教師暴行による自殺

6.富山市 損害賠償請求             いじめ自殺

7.兵庫県 慰謝料請求              保護者会テープ非公開←校門圧死事件

 

 2.と3.の原告は同一人 (死亡した生徒の親) である。1.は最初に挙げた事件であるが、これ以外の事例はすべて子どもが死亡している。2.〜6.は、子どもの死亡の原因が学校にあると考えられるため、学校の持っている「子どもの情報」を「知る権利」を主張し、その権利が満たされなかったことに対する賠償を請求している。また7.は神戸高塚高校の保護者が、校門圧死事件の後で開催された保護者会のテープを、学校が約束に反して破棄したため、親の「知る権利」を侵害されたとして慰謝料を請求している事件である (実際は廃棄されていなかったことが、証人尋問で明らかになった) 。

これらの事件では、子どもが死亡しているため、子どもの情報を知ることが親の権利として主張されているわけであるが、いずれも裁判中であるため、裁判所の判断はまだわからない。しかし、親の「知る権利」を主張する裁判がこんなにも多く起こされるようになったのは、学校が原因となる子どもの死亡、あるいは死亡に至らないまでも、学校で傷つけられる子どもの増加と、それに反して学校の持っている情報に対してあまりに親が無権利状態に置かれていることへの怒りの現れであろう。

この現実から見ても、親の「知る権利」を現状のまま放置することなく、何らかの保障が制度としてなされるべきだというい感が強い。

 

3.個人情報保護条例の規定

  現在は親が子どもの学校情報を知ろうとしても、学校がそれに応じる義務についての明確な規定はなく、一般には僅かに個人情報保護条例もしくは自己情報開示請求権の規定がある情報公開条例(以下は個人情報保護条例という名称で両者を兼ねる)を有する自治体において、自治体立学校が保有する子どもの個人情報を、自己情報の開示請求としてなしうるのみである。

  しかし、個人情報保護条例において、子どもの情報に対する親の「知る権利」がどう扱われているかを調べてみると、子どもが生きているときに、親が子どもの情報を請求できるという規定のある条例はない。

 逆に、子ども自身の自己情報請求権について見ると、未成年であることによって請求できないとする規定もないが、一般的には、未成年者の請求は法定代理人によってなしうる、またはなされるとする条例が多い。「教育情報開示弁護団」と「教育情報の開示を求める市民の会」が自治体の対して行ったアンケート調査(1996年夏、 113自治体に対して送付した質問表に87自治体から回答があった)によると未成年者の自己情報開示請求権の規定は以下のようになっている。

  最初に、条例に、未成年者であっても本人が請求する(逆に、法定代理人には請求権がない)と規定しているのが、足立区で、「概ね義務教育終了年齢以下の者に法定代理人請求を認める」とある。

  次に、運用基準で規定するものとしては、「高校生以上は本人の請求のみ」(大分県)「15歳以上は本人の請求に限る」(金沢市)がある。

  規定はないが運用で認めているものとして「中学生以下には法定代理人請求を認める」(三重県)がある。

  これらは、一定の年齢(大体15歳または義務教育終了年齢)以上は本人のみの請求に限り、代理人請求を認めない自治体であるが、これは少数であって、多数は、一定の年齢(内容は同上)以上は本人と法定代理人との双方に請求権を認めることにしている。

  しかし後者であっても、本人が一定の年齢(内容は同上)以上は本人の意思確認が必要とする自治体が、この調査でも16あり、全回答数の約18%に当たる。全国統計ではどうなるかはわからないが、一応の傾向を知ることはできよう。

  こういう次第で、親は、子どもが生きているときは、本人の年齢が一定以下(未成年、あるいは15歳以下)のとき、法定代理人として子どもの情報を請求できるに止まるのである。

  次に子どもが死ねばどうなるのだろうか。

 同じアンケートによれば、生存当時の法定代理人による請求を認めるとするもの5、法定代理人の自己情報と解し、場合によっては認めるとするもの15である。さらに、請求は認めないが場合によって情報提供するとするものが1例あり、以上が法定代理人による請求もしくは申し出を何らかの程度認める自治体としいうことになろう。(3月25日付各紙によれば、大阪市は死亡した子どものカルテをその親に開示したという。但しこれは請求に対しては非開示とし、情報提供であるから、上記の3番目のケースに当たる)

  生存時の法定代理人といっても、すでに本人がいないのだから、これは実際は死んだ子の親、つまり元親ということになる。親は、子どもが死ぬと、元親として子どもの情報を請求する立場に立ちうるというわけである。

 

4.子どもの情報に対する開示請求

  条例の規定は以上のようであるが、実際に未成年者の自己情報を開示請求している事例で、請求者は誰になっているだろうか。

  現在まで、未成年者が内申書または指導要録を開示請求し、一旦非開示となり、不服申立をして個人情報保護審査会または情報公開審査会の答申があった場合で、請求者が本人以外のケースには次のようなものがある(実際の請求書を見ることができないので、最初の請求で開示された場合は、請求者が誰であったか〜本人か親か〜を知ることは難しい)。

 

自治体 請求者 資格 請求文書 答申内容
埼玉県 母親 内申書 非開示(このケース
は 審査会なし)
豊中市 父親 親権者法定代理人 指導要録 部分開示
町田市 父親 事故報告書
作文
指導要録
部分開示
非開示
部分開示
川崎市 両親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示  *
兵庫県 母親 親権者法定代理人 内申書 非開示
船橋市 母親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示
中野区 父親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示  *
新潟市 父親 内申書
指導要録
全面開示
全面開示
吹田市 両親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示
西宮市 母親 親権者法定代理人 内申書 全面開示
西宮市 母親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示  *
松本市 父親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示  *
豊中市 両親 親権者法定代理人 指導要録 部分開示  *
横須賀市 母親 親権者法定代理人? 指導要録 全面開示
国分寺市 両親 親権者法定代理人 指導要録 部分開示
船橋市 母親 親権者法定代理人 指導要録
調査書に添付された文書
全面開示  *
全面開示
横浜市 母親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示  *
茨城県 母親 内申書 全面開示
堺市 知人 任意代理人 指導要録 全面開示
ひたちなか 市 母親 親権者法定代理人 内申書 全面開示
高槻市 父親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示
茨木市 父親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示
尼崎市 両親 親権者法定代理人 指導要録 部分開示  *
世田谷区 母親 親     ? 指導要録 全面開示
足立区 母親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示
小田原市 母親 親権者法定代理人 指導要録 部分開示
大阪府 母親 親権者法定代理人 指導要録 全面開示
福岡市 父親 指導要録 全面開示

 

  このうち、町田市と福岡市の事例は、子どもが死亡している。町田市の事例では、最初非開示となった指導要録について、答申は「条例は、本来個人本人に関する開示請求権を認めているのであって、子どもの個人情報に関して、親が開示請求権を有するものではない(第20条)。しかし、条例の趣旨からいって、子どもが自殺している場合に、自殺の真相究明のための重要な情報は、例外的に、保護者の自己情報として、保護者に子どもの自殺に関する情報の開示請求権を認めるべきであると解する(町田市情報公開・個人情報保護審査会答申)」と述べながら、本件については、指導要録にはそれを知るための特別な手掛かりは含まれていないとして、異議申立てを棄却した。

  ところが、最近(3月8日)、福岡市個人情報保護審査会は、同じく自殺した子どもの指導要録開示を求めた父親に対して、次のように述べて全面開示を答申した。

  「条例に基づく「個人情報」は、生存する自然人を想定したものであり、死者の個人情報を対象とするものではない、と解される。したがって、自己の個人情報の開示請求の権利は、当該個人の権利能力の喪失時ののちは消滅するものと考えることが適当である。しかし、このことが、故人の個人情報は、故人と一定の親族関係にあった者の固有の個人情報として、別の観点から保護されうることを排斥するものではない。

  故人と生活上も精神的にも深く関わりのあった遺族に対しては、故人に関する個人情報を自己の個人情報と同視しうるものとして、開示、訂正請求する余地を認めることが、残された遺族の心情にもかなうものであり、死者の名誉、プライバシーの保護に関する下級審裁判例の動向とも一致すると考えられる。この場合の請求権者の範囲をどこまでとするかは問題であるが、民法第711条は、ある人の死亡によって配偶者、子、父母につき財産上の損害を受けていない場合であっても、なお自己の固有の損害賠償請求権を失わないと明定しており、判例はさらに、故人によって生活を維持されていた同居の兄弟姉妹にも、請求権を拡大していることが認められる。

 したがって、これらを参考にすれば、故人の個人情報といえども、少なくともこの範囲に含まれれる者については、自己の個人情報と同視しうるものとして、開示請求の権利者と解することに特段の問題がないものというべきであり、本件については、故人の親であることが明らかな審査請求人に、開示請求権があるものとすることは問題がないところである」(中略)

 「以上のような観点から、本件事案について具体的に検討すると、教育・指導の対象となる生徒は既に死亡しており、故人に係る個人情報であるが、それを自己の個人情報として父親からなされた開示請求である。従って開示することにより、当該児童生徒への教育上の悪影響が生じるおそれがあるとは考えられない。」(以下略)

  この2例では、子どもが死亡している場合、親が、自己情報として子どもの情報を請求することは認められている。

  子どもが生きている場合に親が親として子どもの情報の開示を請求した場合は少なく、今のところ3例しか見出せない。それが、先にも挙げた埼玉県の例と、新潟市・茨城県の例である(この他に横須賀市と世田谷区の例は、親としての請求か法定代理人としての請求か明確でない)が、茨城県の答申は、親に請求権があるかどうかを全く問題とせず、全面開示を認めた。

  新潟市の例では、実施機関の主張の部分で請求者が親であることに触れているが、「本件の請求について、請求人は当該児童生徒の親権者であるので、調査書の請求も含め、自己情報の開示請求として取り扱うこととする(新潟市情報公開審査会答申)」と述べていて、この場合は親権者の自己情報の扱いである。ただし、審査会自身がこの点を顧慮した形跡は見出せない。また、埼玉県の場合も、子どもが未成年であった開示請求当時は、請求者が親であることは何ら問題にされていなかったのである。

  その他のケースでは、未成年者に任意代理人を認めた非常に稀な例(堺市)以外は、親が親権者法定代理人として請求しており、子ども本人と法定代理人との双方が請求している場合(川崎市・中野区、松本市など*を付した例)、請求者は子どもだったのに、異議申立人は親権者法定代理人となっている場合(例えば豊中市)など、様々である。そして、答申は、親権者法定代理人による請求を子どもと保護者との共同請求と見なしているようなトーンのものが多く、若干の答申には親権者法定代理人を、代理人というより親権者の部分に重点を置いて理解している部分が見られる(船橋市、豊中市、西宮市、世田谷区、小田原市などの答申)。

  つまり、請求者においてもそうであったろうが、答申も、親と子とを1セットとして扱い、親と子の明確な分離、あるいは請求の主体は子どもであって、親は代理人にすぎないという意識は見られない。条例上は親には子どもの情報の請求権はなく、親は法定代理人であるにすぎないのに、実際には親に対して開示し、その上で子どもへの開示については親が必要な配慮をすることを期待しているのである(これはフランスにおいて医療情報を請求者の委任を受けた医者に開示し、本人への開示はその医者に任せるという制度と似ている)。

 

  以上のように、子どもの情報の開示請求の実態においては、子どもが生きているときは親は大体、親権者法定代理人として請求し、死んでいるときは親の自己情報の一部として請求する。子どもが生きていても、親の請求として認められた例が若干あるが、答申はそのことについてとりたてて判断はしていない。しかし、法定代理人としての請求においても、実質的には親としての請求と解されている例が多く見られるのである。

 

5.親権者法定代理人とは何か

  親がその立場にあるとされる親権者法定代理人とは一体何だろうか。

  親権とは未成年の子を養育することを中心とする身上及び財産上の権利義務であり、具体的には次のような権利であるとされる(中川淳著「新民法入門」等による)。

   身上監護権 (監護・教育の権利義務 居所指定権 懲戒権 職業許可権)
   財産管理権 財産に関する法律行為の代理権・同意権
   養子縁組の代諾など身分行為の代理権 氏名変更などの申立権 結婚同意権

  子どもの自己情報の開示請求の代理人となる権利は、これらの親権のどれから生じるのだろうか。法定代理人とは、主として財産管理について無能力と認められる者に代わって財産管理を行うためのものと言われる。しかし財産管理と情報管理とは意味がかなり異なる。財産は誰が管理しようと最終的に本人の利益となって本人に帰属すればそれで管理の目的は達せられるが、情報はそれほど簡単ではない。情報は、通過させるだけでその利益を享受できる。最終的にその情報を利用するのは本人としても、通過点でその情報を知るだけでも目的を達することがないわけではない。

  しかも財産管理は、本人にその能力がないから代理人が代わって行うのであって、つまり行為者は本人か代理人かのどちらかであるが、情報の開示については本人と代理人とに請求権があり、実際に両者が一緒に請求している例があるに至っては、代理人の定義からしても極めて不可解であり、代理人制度の趣旨にも反すると言わねばならない。現在の自己情報開示請求における法定代理人制度は、単に子どもが自分で行けないから、代わりに親が行くというくらいの意味しかない。

  また、法定代理人は本人の無能力を前提とする以上、代理人請求には本人の意思確認が必要という規定も、法定代理人制度の趣旨と矛盾するということになろう。この点では、「15歳以上は本人の請求に限り、法定代理人請求には本人の意思確認は不必要」とする三重県の規定は理に適ったものと言える。

  以上のことから、親は親権者法定代理人として請求するという現在の多くの条例に見られる手続きには、多くの疑問点や矛盾が見られる。

  第一に、本人にのみ自己情報の開示請求権を認めることで情報の本人の自己情報コントロール権を尊重する形をとってはいるが、子どもが請求したいと望んだとき、親が拒否すれば、子どもには有効な対抗手段はなく、事実上、開示請求権の行使は親に握られている。財産管理の場合とは異なり、子ども自身に本来請求権はあるのに、その行使は不可能になり、救済手段がない。親には形式的には請求権はないが、実際は請求可能であり、子どもには形式的には請求権があっても行使は不可能である。

  しかし、親が法定代理人として請求する際に、子どもの意思確認を求めるのも法定代理人制度の趣旨に反している。つまり、現在の制度は、親と子どもの意思が同一であることを予定調和的に前提にしており、これは結局、独立した権利の行使を親と子の双方に不可能にする。

  さらに、本人と法定代理人との双方の名で同じ請求をなしうるのでは、法定代理人制度は意味がない。

  また、子どもが生きている間は親には請求権がないのに、子どもが死ねば親に自己情報の一部として子どもの情報への請求権を認めるのは、理屈としても納得しがたく、感情的にも容認しがたい。

  このような矛盾は、個人情報保護条例があくまで個人のプライバシーの保護、自己情報コントロール権の保障という目的で制定されていることから来ていることで、ある意味では当然とも言える。条例を厳密に適用しようとすれば、親といえども子どもの情報に対して特別な開示請求権を認めるわけには行かない。従ってこれを解決するためには、福岡市審査会答申の言う如く、親の個人情報の一部として子どもに関する情報を認めるという解釈を採るしかない。これは、答申も述べている如く、死者の名誉、プライバシーを保護する場合に通じ、理解されやすいコースである。しかしながら、子どもの情報を親の個人情報の一部とする解釈を採用すれば、それは親の幸福追求権、プライバシー権から導き出されているのであるから、特に子どもが死亡している場合には限らないはずで、子どもの死亡している場合にしかそれを認めないのは、親に開示を認めても子どものプライバシー権を侵さない(侵しようがない)という便宜的な理由にすぎないのではないかと思われる。しかし、親の個人情報の一部と見なすならば、職業として子どもに関わっている人が持っている情報を親が自己情報の一部として請求する権利は、少なくとも子どもを自己の家庭内で養育する義務のある間は認められるべきだということになろう。

 

6.親の教育権に基づく請求権

  しかしながら、親がこの論理を用いたとしても、この方法では、公の機関、厳密には自治体立学校に在学中または卒業した子どもの情報について開示請求ができるにすぎない。子どもが私立学校の在学生・卒業生の場合はこの解釈でも適応できない。これは親と子どもの関係、あるいは親の幸福追求権・プライバシー権からいっても不公平であり、納得できるものではない。

  また子どもの側から言えば、子どものプライバシーの権利との調整が必要になる。子ども自身の開示請求権の行使はどのようになされるかも問題となろう。

  従って、まず親の側の不平等性を解決するためには、「親の権利義務」から来る親の「知る権利」を認めることがどうしても必要になる。

  欧米諸国におけるが如く親の権利が憲法以前の権利として広く認められ、子どもの情報を「知る権利」も当然にそれに含まれるものと見なされていれば、子どもの通う学校が公立か私立かの区別はない。親の権利として確立されているなら、法定代理人の立場に立つ必要もなく、また、子どもの情報を親の情報の一部と見なす必要もない。親と子は別個の存在であり、かつ、親は子に関して一定の権利を持つことが保障されているのである。

  この権利が明確に認められていない日本で、子どもの自己情報の開示請求において親を財産管理についての制度である法定代理人として認めるのは言わば苦肉の策である。しかしこれとても、法定代理人の本来的な趣旨からすれば、あるいは本人が死亡している場合には、適用に困難が生じる。そこで次に親の幸福追求権を活用して、親の自己情報の一部として子どもの個人情報を置くという解釈が採られる。しかしこれは逆に子どものプライバシーの権利から見て問題がないとは言えない。

  この矛盾の解決のためには、単に教育に限らず、親には、個人情報保護の考え方からではなく、「親の権利義務」から導かれるところの、子どもの情報への親の「知る権利」を認めることが必要ではなかろうか。そうすれば、親の権利と子の権利が分離され、子どもは自分の自己情報コントロール権に基づき、親は親の「知る権利」に基づいて子どもの情報を請求することになる。両者は別の条理に基づき、互いに他を阻害することはない。また、子どもには独立してその権利が行使できるよう、任意代理人を認めるべきである。もちろん、この任意代理人は親が務めてもよい。そして、子どもの年齢が一定以上になれば、親には「親の権利義務」がなくなるから、「子どもの情報を知る権利」もなくなることになる。

  現在の情報開示における法定代理人という制度は、請求者が誰であるかを明確にしない制度であって、親の権利も子どもの権利も曖昧にされている。むしろ、親の権利と子どもの権利を分離し、それぞれの権利をどう調整し、どのように行使するかを論議すべきであって、そのことが子どもの権利の実質的な保障にもつながることになるだろう。

(付記:4月1日の朝日新聞朝刊によれば、東京都個人情報保護委員会は、未成年者が死亡した場合、その情報を親が自己情報として請求するのを認めるべきだとする報告を提出するという。これは先日の福岡市個人情報保護審査会の考え方と同じだが、これが制度的になされることになれば全国的に影響は大きいだろう。しかしそれでも、子どもが生きているときは、親の「子どもの情報を知る権利」は取り残されたままである。これは根本的には、公教育からの親の排除という日本の教育行政の方針に原因があると、私は考えている)



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