(1) | 日本BBS連盟:『ともだち活動−BBS運動の解説−』、1941,3〜4頁。 |
(2) | 当時の状況につき、「京都市の学生が中心となってBBS運動を起こした」(法務省保護局『改訂BBS運動の手引き』1976,13頁)とされてはいるが、その背景としては、「当時大阪地方裁判所の判事、宇田川潤四郎氏は、かねてから、今日の日本では少年問題が焦眉の問題であると着眼され、BBS運動に類したものを考えられていた。たまたま、同氏が、昭和20年暮に京都少年審判所の所長として、京都に赴任されることになり、東京で、当時東京地方検事正であった柳川真文氏や池田浩三氏と話し合われた際、少年問題については、アメリカにあるBBS運動がまことに好ましい運動であるとの話から、宇田川氏は、この運動を京都で実現しようとされた」(日本BBS連盟:前注(1)掲書、4〜5頁)ことがある。そして、この宇田川氏の元へ、少年保護グループの設立準備の気運を新聞で知った立命館大学の一学生から、「私は、近頃の不良少年の問題に深く関心をもつ一人として、我等学生の手によって、これ等少年のよき相談相手、良き友としてなんとか正しい道に導きたい」との手紙が寄せられ、当時同志社大学教授(京都少年審判所上席少年保護司)徳武義氏らの指導の下、昭和22年2月22日、東山女専(現、京都女子大)において、第1回創立大会がもたれ、京都9大学の学生が参加、約150名の会員によって京都少年保護学生連盟が結成された(近畿地方BBS連盟:『30周年記念あゆみ』1977,35頁)。これがBBS運動の端緒である。したがって、BBS運動には政府主導の側面のみならず、青年の自発的社会改良運動という側面もあることは確かであるが、京都とはぼ時を同じくして、大阪府下でも、豊中市を中心に、「北摂兄姉会」の運動が展開され、やはり、少年審判所を中心にアメリカのBBS運動が、日本に移入された。昭和23年11月には、早くも東京において少年保護全国学生代表協議会(第1回BBS大会)が、東京、大阪、京都など9地区の代表19名、関係中央官庁代表、およびGHQ代表の参加によって開催された(日本BBS連盟:前注(1)掲書6頁)。 |
(3) | 日本BBS連盟『日B連事務局だより』1978年7月25日号によれば、昭和53年に承認された『BBS運動強化五ヵ年計画』の内容として「……特に資金造成について検討をすすめ、一本立ちしたBBS運動へともっていく。最終的には事務局の会員による自主的運営を確立し、組織の法人化を達成」していくとされているが、現在もなおこれらの目標は実現していない。 |
(4) | 近畿地方BBS連盟:『30周年記念あゆみ』1977,35頁。 |
(5) | 兵庫県下でも昭和22年8月京都大学、関西学院大学の学生有志が、神戸少年審判所の援助のもとに兵庫県青少年グループ「青い鳥」を結成したが、卒業、県外への就職の影響をうけ、かつ活動資金の脆弱さから僅か2年余りで解散した(神戸保護観察所編:『明日への歩み−兵庫県における更生保護の四半世紀−』1974,82頁)。 |
(6) | 近畿地方BBS連盟:前注(3)掲書9〜34頁および追録参照 |
(7) | 宮川満:「BBS運動の現状と対策」『犯罪と非行』42号、1979,100頁。「BBS綱領」制定以前においても、BBSの性格の明確化は、論議の対象とされていた。この点について昭和31年7月のBBS全国大会での協議結果として「BBSが保護観察機関と密接な連携を保ち、保護観察対象少年の更生に寄与するとの原則に狂いを生じない限り、余力を地域浄化活動あるいは保護観察以外の少年のケースを担当するなど派生的、副次的な方向への発展されることは認められるが、派生的な事が主になることは大きな誤りである」(日本BBS連盟機関紙『ともだち』昭和31年7月25日号)とされていた。当時、兵庫県BBS連盟委員長をされていた佐伯三郎氏の「昭和31年全国大会参加報告」によれば、「ワンマン・ワンボーイによるケースワーク中心主義は結構であるが、BBS運動は個人・地域の活発な活動が大切。それを全国的に統一することは間違いで、地区、府県単位をもっと尊重すべきである」との論議もおこなわれたとされる。 |
(8) | 植松正:「更生保護活動管見」『犯罪と非行』42号、1979,8〜9頁。 |
(9) | 法務省保調第394号「寄付金の配分とBBS運動の充実強化について」、1974年12月27日 |
(10) | 宮川:前注(7)掲論文102〜103頁。 |
(11) | 本連載第1回 中安圭子:「播磨少年院訪問活動」関西非行問題研究7号、1982,19頁参照 |
(12) | たとえば、裁判所の立場からBBSの活用を期待する主張としては、野田裕子「試験観察におけるBBS活動とのかかわりについて」調研紀要43号、1983,41〜52頁がある。また現実に兵庫県においては、県BBS連盟主催のBBS大会に家裁調査官の方々が複数参加されるなどBBSとの連携に積極的な姿勢がみられる。 |
(13) | 現在、日本BBS連盟は、昭和53年からの五ヵ年計画の中で、会員増強、ともだち活動増強とならんで組織の法人化を三本柱の一つとして掲げ、日本BBS連盟の事務局長を保護観察官からBBS会員自身へとバトンタッチし、事務局も法務省から日本青年会館へ移し、さらに、昭和59年4月からはフルタイムの専従職員を入れるという形で、この10年たらずの間に事務局体制の強化がはかられてきていることは事実である(日本BBS連盟機関紙『ともだち』99号、1984,4頁)。 |
(14) | 関西非行問題研究会編:『非行克服の現場と理論』1980年、178〜181頁。 |
(15) | 兵庫県BBS連盟「ともだち活動促進援助金支給要領」参照 |
(16) | 近畿地方BBS基礎調査報告書『BBSのともだち活動に関する意識と実態』(1983年3月)96頁。 |
(17) | 上掲書 58貢。 |
(18) | 前注(15)掲要領。 |
(19) | 兵庫県BBSでは、昭和50年に兵庫県知事の委託事業として「兵庫県中学生の意識調査」をおこない17万円の委託金を受けたり、昭和57年、神戸市BBS連合会では神戸市の助成を得て市民を対象とした「非行問題研修講座」を3ヵ月間に10回実施した。この講座実施については、本連載第2回島村聡「非行問題研修講座を聞いて」関西非行問題研究8号、1983,55〜57頁で取り上げたことがある。しかし、個々の成果としては、得たものは大きいが、一時的助成は継続的な活動の進展にはつながりにくく、地方自治体の助成策として、その有効性をどう持続するかが問われているのではないだろうか。前述の昭和49年、モデル地区BBS会の設置も、兵庫県下、西宮BBSなどでは、持続的な成果を得ることができなかったといわれている。 |