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TITLE:  学校事故における教師の法的責任−神戸高塚高校校門圧死事件刑事裁判を中心として−
AUTHOR: 吉田 卓司
SOURCE: 日本教育法学会年報23号(1994年)
WORDS:  全40字×74行


学校事故における教師の法的責任
 ― 神戸高塚高校校門圧死事件刑事裁判を中心として ― 


吉 田 卓 司



 一 神戸高塚高校校門圧死事件の検討


  本報告は、神戸高塚高校校門圧死事件に対する刑事裁判を検討素材として、同事件の法的責任の所在を検証するとともに、学校事故に対して教師が負うべき責務とは何かを明らかにしようとするものである。
  県教委は刑事裁判に先立って同事件を「教育者としての配慮を著しく欠いた」一教諭による事故と位置付けて、捜査の結果を待たずに門扉閉鎖を担当した教諭を懲戒免職としたほか、校長(戒告)、教頭と県教育長(訓告)、県教育次長(厳重注意)の行政処分に踏み切った。検察もまた本件を無謀な「一教諭の事故」ととらえ、論告において「被告人の無謀さ」を強調した。
  これに対して、神戸地裁は、被告人の閉鎖行為自体の過失責任は認めていない。すなわち、被告人の閉鎖方法が他の教師に比して特別に危険な方法であったとか、当時の閉鎖行為が無謀な速度、態様等によってなされたとの検察の主張は採用していないのである。さらに、量刑理由では事故の背景に触れて「学校として、生徒の登校の安全等に関する配慮が足りなかった」とも判示している。しかしながら、同地裁は、被告人が過去二〇数回の遅刻指導を経験し、門扉や門壁の構造を知っており、登校中の生徒に門扉を押し戻された経験があったことなどから、被告人には具体的な事故の予見可能性があるとして、門扉閉鎖開始前の安全確認の不十分さに過失責任を認め、有罪判決を下した。
  従来の学校事故刑事判例は、授業・部活動中の事故については、その立案・実施の両面において担当教員個人の責任を問い、学校が組織的に実施する教育活動の場合には、校長等の統括責任による大きな責任を科す姿勢を示している。刑事過失の認定には具体的な致死等の結果の予見可能性と回避可能性を要件とするのが判例、通説であり、学校事故もその例外ではない。同事件をこれまでの業務上過失致死判例と比較検討した場合、事故発生地点が死角となる門扉の構造、事件時の生徒の動向(門扉の閉鎖時に他の生徒は立ち止まったのに、それを追い越して被害生徒のみが閉まる直前の門扉に頭部を差し入れたこと)等、裁判所が認定した事実に鑑みれば、致死の具体的予見可能性と結果回避可能性を認め得るか否かは微妙な事案であり、裁判所の事実認定と過失認定に一定の齟齬が生じているともいえよう。裁判所は、遅刻者へのペナルティがあったこと、学期末試験時には生徒が危険を顧みず門内に走り込む可能性が高いこと、あるいは門扉の構造や重量などの認識から、事故は予見できたと判示する。したがって、それは遅刻指導の他の担当者、及び校門指導の企画・立案者にも相応の結果回避行為を法的に期待できることを意味するはずである。弁護側最終弁論の冒頭で「本件は十分な討議も共通認識もないまま校門指導をさせていた学校管理責任者と県教委の怠慢から生じたものであるのに、校長、教頭、県教委に責任が及ぶことを恐れ、一人被告人だけの責任とした捜査、起訴に問題がある」旨の主張が行なわれたが、学校の組織的な教育活動の場合、その一端を担った教諭一人に過失責任を問うた学校事故判例はない。判決は起訴の当否に全く言及していないが、この点には疑念が残らざるをえない。


 二 高塚高校校門圧死事件の構造的要因


  兵庫県教育委員会は「職員会議に関する規程の整備について」と題した通知(一九八三年)により、職員会議を校長の職務遂行上の「補助機関」と位置付け、校長が学校管理の全権限を有することを確認した。いわば、校長が教育委員会の意向に添って上命下服的に校務分掌を定め、校則を制定し、生徒指導の具体的実施方法を決定できる体制を確立したのである。
  事故当時、高塚高校は学校安全に関する「研究指定校」で(全国で五校)あった。校長は事故前年度の兵庫県高等学校生徒指導協議会神戸支部長であり、生徒指導部長は同協議会常任委員であった。協議会は同年度の活動目標の第一に「基本的生活習慣の確立」を掲げ、遅刻生徒の問題などについて具体的報告を行い、これをうけて、事故直前の平成二年五月の県立高校生徒指導部長会では「最も効果のある」指導として「全教師による校門や通学路での立ち番指導」が高く評価された。高塚高校はそのような意味での「モデル校」であり、「門扉閉鎖はチャイムの鳴り始め」等を明記する詳細な指導要領に従った遅刻指導が行なわれていたのである。
  圧死事件の調書には、門扉閉鎖に危険を感じた教師や生徒の経験が記載されている。けれども、これらの指導上の重大な問題が職員会議等で討議されることはなかった。遅刻指導担当者を五人制から三人制へと移行させる際にも、安全上の問題が考慮された形跡はない。指導計画の立案について、生徒の声を反映するどころか、職員の指導経験を集約し、それを生かして制度を改善するという体制さえも欠落していたのである。そのような状況の下において、「生徒指導モデル校」としての遅刻指導が断行され、圧死事故の予兆ともいうべき数々の軽微な事故は無視され続けたのである。その意味では現場からの声を封殺し、上意下達を基本とする学校の管理運営体制に圧死事件の構造的要因があったといっても過言ではないであろう。教師自身が、生徒指導の個々の場面において生徒の安全を含む人権保障に十分な配慮を行なうことは言うまでもないことであるが、それと同時に、高塚高校事件のような悲劇を二度と繰り返さぬためには、民主的な教育環境と教育法制を実現する努力もまた、教育に携わる者に課された責務といわねばならないであろう。





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