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◆199406KHK143A1L0250H TITLE: 兵庫県立農業高校入試改ざん事件の検討 AUTHOR: 吉田 卓司 SOURCE: 大阪高法研ニュース 第143号(1994年6月) WORDS: 全40字×250行
吉 田 卓 司
兵庫県立農業高校における平成三(1991)年度入試改ざん事件では、同校々長と2名の教諭が公文書毀棄罪等により同年8月に有罪判決を受け、その捜査過程では、県教委等による組織的な合否事前漏洩も明らかになった。この点については、地方公務員法の守秘義務違反であるとして県民グループからの刑事告発がなされたが、検察はこれを不起訴とした。そこで、同グループは検察審査会への申し立てを行ない、神戸検察審査会が不起訴不当の決定を下した。その結果、再捜査が行なわれたものの、再び検察は昨年12月に不起訴を決定した。これによって本件は刑事事件として一応の法的決着を見たことになるが、この事件の背後には県教委の組織的な合否結果事前漏洩や議会と教育委員会と学校管理職との癒着など教育行政の根幹にかかわる構造的腐敗がある。その意味で、本件は、一校長による特異な事例ではなく、教育行政の構造的問題を顕在化したものである。しかも兵庫県のみならず、鳥取県や神奈川県でも公立高校不正入試事件が明るみに出ている(注1)。ここでは、県農事件を教育法的視点から再検証し、現行教育法制のもつ構造的問題を検討したい。
(1) 不正入試事件発覚の経緯
「弱々しいシャープペンシルの筆運びが突然筆圧のあるこい鉛筆書きになっていた。数学の証明問題では途中の欄が空白のままいきなり結論に」(朝日新聞91年3月23日)といった「素人目にも書きかえてある」(朝日新聞91年3月21日)とわかる改ざん答案が発見されたのは、試験翌日の16日の採点時である。しかし、そのことは本件の発覚に直接つながらなかった。合否判定委員会では、委員長の校長が「内部の問題にしてほしい。外に出すと大きなことになる。総合判定で調査書重視か。なかったことで判定か。意見の多い方に同調してほしい」とし、同委員の教師のなかにも「特定できないならなかったことに」、「今年は疑わしきは罰せずで」、「証拠もないのに。総合判定すればよいのでは」という意見が出され(朝日新聞91年3月21日)、校長の措置には同意できないとした合否判定委員の一教諭は委員の辞退を表明して退室した。その後、同委員会は、「明らかに改ざんと認められる答については採点からはずし合否を決定し」(「県農から県教 委への事件報告書」)、内部で処理することになった。この委員会の報告を受けた職員会 議では「『県教委に報告すべきだ』の動議に賛成14名。反対23名。残り20名が『保留』」の結果となり、「校長の意向どおり『外部に漏らさない』ことが決まった」(朝日新聞91年3月23日)のである。
したがって、内部告発がなければ、本件改ざん行為は、県農において「合法的」に隠蔽されていたという現実に留意しなければならない。
(2) 有印私文書偽造・同行使及び公文書毀棄罪の捜査
捜査により、合格依頼者は、現職県会議員4名、県教委幹部2名、高校教諭3名、県農OB6名の計15名におよび、改ざんされた17名のうち1名は依頼がないのに校長らの勘違いにより改ざんされ、現職県議4名が5名分、県教委幹部2名と高校教諭3名が計5名分、OB6名が7名分の合格を依頼し、うち1名が県議分と重複していたことが明らかにされ(新聞各紙91年5月3日及び5月9日)、その17名分のうち10人分50枚について起訴された(新聞各紙91年5月9日)。
しかも平成三年度入試に関わる不正のみならず、前年にも、「地元有力者からの依頼で石田校長が窓口となり北川教諭ら二名が改ざんを行ない、それが発覚しなかったため、平成三年度大量改ざんを決行したこと」(神戸新聞91年5月3日)や、さらには、十数年以上も前から不正があったことも公になり(注2)、これらの捜査過程で、県教委は合否結果事前漏洩の組織的関与を認めた(注3)。
(3) 公判で明らかにされた改ざん状況
公判は6月13日の第一回公判後、第二回公判(6月25日)で起訴事実の認否と検察側立証が行なわれ、8月27日の求刑公判で結審した。
その第二回公判では、罪状認否で三被告・弁護側は起訴事実を全面的に認め、検察立証では、関係者の調書の一部が三被告以外は匿名のまま、法廷で読み上げられる「異例」の展開(神戸新聞91年6月26日)となった。「冒頭陳述要旨」(朝日新聞91年6月26日参照)から本件の背後にある構造的問題を示すものとして、注目すべき点は、次の三点である。
第一点は、事件の背景となる「被告人ら三名の関係」である。「北川、池田の両名は校長である石田と親睦を深めることにより人事上の優遇をうけられるのではないかとの期待から、石田に極めて協力的な態度を取り、一方被告人石田も、これにこたえ、1990年春の内部人事では北川を学年主任に引立てると共に、同年9月の教頭試験でもその受検資格たる校長推薦を与えることなどを暗に約束するなどしていた。」
第二点は、「石田の犯行動機形成[要旨の第五の二]」である。「石田は、県教委の高校教育課に13年の長きにわたって在籍し、県下公立高校の産業教育の中枢にいた経歴を有していたことから、県農着任後、周囲からは県教委に顔のきく大物校長と持ち上げられていたが、石田自身も大物校長にふさわしい実績を上げたいとの願望や名誉欲を強く持っており、県農OBや有力者から口添えのあった受験者を合格させることにより、自己が合否判定をも自由にできるほどの実力をもっていることを右県農OBや有力者に誇示したいとの気持ちや、また県議らに便宜を計っておけば将来的に学校運営等において、逆に県議ら有力者から協力が得られやすくなるのではないかとの気持ちから、北川、池田の両名を使い、点数のかさ上げをし、依頼された受験者を合格させようと考えるにいたった。」
第三点は「本件の共謀状況[要旨の第六の一]」である。「平成三年3月13日昼間、石田は、北川、池田を個別に校長室に呼び寄せて、『入試でたくさん頼まれとんのや。何とか協力してくれんやろか』などといって、改ざんを持ちかけたが、両名は答案を改ざんすることには抵抗があったため、協力することを渋った。石田は、改ざんに加わるのを嫌がってはいるものの、更に説得すれば承知するであろうと考え、同日夕刻、校長室にやってきた池田に対して、再度答案の改ざんを引き受けるよう頼み込んだ。しかし、池田は返事をせずに黙りこんでしまい、石田はやむなく池田を退出させると共に、北川を呼び寄せた。北川に再び改ざん協力を持ちかけた結果、北川は、一応了解したものの、受験者の数が多数に及んでいることを知らされて、なお踏ん切りがつかず、池田が協力すれば自己も協力する旨答えた。そのため、石田は更に池田を説得した。池田も石田らに同調せざるを得ない気持ちに傾いて黙ってうなずき、ここにおいて被告人ら三名の本件犯行についての共謀が成立した。」
これらの冒頭陳述からは、@少なくとも県教委在籍期間の長かった石田前校長が、県議らの不正の依頼を受け入れることが円滑な学校経営に必要と考えるような県教委や県会と県立校との不公正な関係があったこと、A石田前校長は、校長の地位を利用して、改ざんをしぶる北川、池田を犯行に引き入れ、さらに池田は石田に加えて学年主任たる北川も加担することを聞かされたうえ同調を求められたこと、Bしかも、その共謀形成において、校内人事と昇進試験における優遇などの校長の一身専属的な権能が濫用されたことが明らかにされている。
論告求刑公判では、石田前校長が懲役2年6月、北川、池田の両元教諭二名が懲役1年6月を求刑され、判決では求刑どおりの懲役刑に執行猶予を付して、前校長に懲役2年6月執行猶予4年、元教諭二名に懲役1年6月執行猶予3年が判決(神戸地裁91年9月19日判例タイムズ797号269頁)され、確定した。
(4) 判決の概要と量刑の検討
判決は、まず各解答用紙ごとに有印私文書偽造・同行使及び公文書毀棄罪が成立する、即ち50枚それぞれに三種の犯罪が成立することを前提として、有印私文書偽造と公文書毀棄は一個の行為で二個の罪名に触れる場合(いわゆる観念的競合)であり、有印私文書の各偽造と各行使には手段結果の関係がある(いわゆる牽連犯)ので、各答案用紙につき最も重い公文書毀棄罪の刑で処断することとし、さらにこれらを併合罪として犯情の重い改ざん事案の公文書毀棄罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で量刑を選択したものである。各解答用紙ごとに有印私文書偽造・同行使及び公文書毀棄罪の成立を認め併合罪としたことなどに刑法理論上議論の余地がないとはいえないが、有印私文書偽造・同行使罪及び公文書毀棄罪の成立自体、結論としては肯定できよう。
ここでは特に量刑とその理由を検討しておきたい。判決は、被告人石田が「受験生父兄の一部から、県議、県農卒業生、県教育関係者等の有力者を介して、右受検生の合格に便宜をとの依頼をうけ、その依頼に応じれば、校長としての自己の実力を誇示できるうえ、同校の運営や設備拡充の面で右有力者らの協力を得やすくなる」との動機から、「各犯行をいわば自分の手を汚さずに実行しようと考え、その地位を利用し、普段から何かと目をかけ当時積極的に同被告人の意を体して行動していた被告人池田及び被告人北川を執拗に誘い込」んだと石田前校長の主犯としての責任を述べた上で、北川、池田について「右誘いに応じた場合の自己の将来の処遇に対する期待と応じなかった場合の冷遇に対する憂慮の念とが交錯する中で、結局これを承諾し、本件各犯行を敢行したもの」とし、その上で三名について「いずれも自己中心的であり、悪質といわざるをえず、被告人らの刑事責任はいずれも軽視できない」と判示している。
量刑の評価は一般にかなり困難であるが、石田前校長の主犯的役割を考えれば、その「石田前校長に対する量刑は、同種罪名の事件の過去数年の量刑例に照らし、相当厳しい」(注4)ことは、当然の帰結といえよう。しかし他方、両元教諭とりわけ、校長と学年主任から「執拗な説得」を受けて「誘い込まれた」池田元教諭については、犯罪の成否はともかく、量刑の面では省察の余地はあろう。
被告人に対して違法行為が強制されるような事情があったなどの場合に、被告人の適法行為の「期待可能性」の欠如ないし減少が、刑事責任の阻却あるいは減軽事由となることは刑法学説が広く認めている。判例にも、「期待可能性なし」として無罪を言い渡した三友炭坑事件などがあり(注5)、大審院判決としては、止むなく定員の5倍を乗船させ転覆事故を生じた「第五柏丸事件」で禁固刑を罰金刑にまで減軽した例がある(注6)。近年では、この期待可能性の具体的事案への適用は減少しているのが実状であるが、元教諭の被告人弁護側がこれらの点を責任阻却事由ないし情状として強く主張、立証しなかったことには疑問が残る。当時の県農の学校運営体制下において、改ざん行為への加担を拒否して他の二名に改ざんを思い止まるように説諭することが池田元教諭に期待できる可能性は、現行教育法制上もかなり低いといわざるをえない。本判決は、三被告人を「いずれも自己中心的であり、悪質」と概括的に評価しているが、三名の法的権能及び身分上立場の相違を十分に考慮した量刑がなされるべきであったように思われる。
この件は新聞取材により、「平成三年度公立高入試47校82人分(朝日新聞91年4月12日)」の事前漏洩が報道され、さらに「兵庫県選出代議士秘書が10年前からの公立高校合否漏洩を認めた(同4月13日)」ことなどが次々と明るみに出された。しかし教育長はこれを認めて、記者会見の席上で陳謝はしたものの、その実態は自ら明らかにせず、これに関する行政法上の責任も問われなかった。そのため、県民からの告発や神戸検察審査会への申し立てが行なわれ、同審査会が不起訴を不当とし、検察も漏洩された秘密が「実質秘」にあたり漏洩は同条違反としながらも、結局は、@受験生、高校などが特定できず公判維持できない。A長年にわたる慣行で三人だけを罪に問うのは公平でない。B漏洩で判定が覆った事実はない等を理由に再び起訴猶予とした。
この不起訴理由には重大な問題がある。第一は、県教委高校教育課が「毎年度、受験生の名前、受験校、受験番号等を一覧表にまとめていた」ことや高校長11名、県議7名が事情聴取を受けるなど依頼者の特定とその依頼の態様までが明らかになっているにもかかわらず(例えば神戸新聞91年7月2日)、受験生、高校などが特定できないとしたことである。これは、県教委の組織的証拠湮滅と刑事責任追求を回避する口裏あわせを容認したものであり、到底真摯な捜査がなされたとは思われない。
第二に、本件の秘密漏洩はいわば権力犯罪であり、このような職権濫用行為は組織的に行なわれる点に最大の問題がある。それ故犯行が発覚することは希であり、組織的であるからこそ、厳しくその法的責任の所在が追及されねばならないが、第二の不起訴理由は、検察の対応が全く逆であることを示している(注7)。これは、教育行政と検察による二重の権力濫用行為であるといわざるをえないであろう。
さらに、第三点は、検察審査会が不起訴不当の議決理由で指摘しているように、このような事前漏洩が県農の改ざん事件の契機になっている点である。第三の不起訴理由は、県農事件で明らかになった事実をみようとしないものであり、全く事実に反している。
刑事制裁に先立って、学校自治の中で不正が正され、あるいはそれに代えて教育行政による毅然とした法的対応がとられるべきことは、自明の道理であり、本来、教育に対する刑事的介入は極力回避されねばならない。しかし、権力犯罪の性質をもつ本件のような犯罪類型の場合、「刑法の謙抑性」や「被疑者・被告人の権利」を隠れ蓑として、政治的、法律的権力を付託された者の不正が隠蔽されることは許されない。とくに本件秘密漏洩行為は、県民からの告発と検察の捜査を受けた後にその違法性を県教委が認め、不起訴処分と引き替えのようなかたちで実務担当者三名のみを行政処分に付したのであって、行政上の自浄作用が期待できない事案であった。また、上記三名以外の関係者、例えば県議や県教委幹部などの依頼者は、マスコミ報道上匿名とされた。その意味でも、本件は、法的処分のみならず社会的制裁も法制上の下位者に厳しい結果となった。このような教育刑事事件においては、国民の教育を受ける権利、及び子どもの人権を保障する立場から、公正かつ厳正な公訴提起が検察に求められているといえよう。
兵庫県下では、県教委通達「職員会議に関する規定の整備について」(1983年)により職員会議の補助機関化がすすめられ、校務運営上の校長権限の強化がはかられた。それに呼応するかのように、県農では、1987年に校務運営委員会の委員四名の公選制が廃止され、管理職に任命された部長と管理職で構成されるようになった。そして、部長、主任、担任などすべての職務分担の決定機関である校務分掌委員会は、従来校長、二名の教頭、三人の公選教諭により構成されていたが、1988年にその公選制が廃止され、校務分掌は管理職の任命制となった。さらに職員会議議長も、1990年から議長公選制が廃止され、管理職の指名制となった。それらに加えて、法令上の校長権限として、教頭昇任における校長推薦制度、職員の進退に関する意見具申権(地教行法36・39条)、勤務評定(地教行法46条、県教委勤務評定規則)が存在したのである。事件後の同年7月から教頭試験応募基準が公開され公募となったほか、県教委は同年5月10日に、職員会議につき「十分な意見交換、共通理解、意思疎通、信頼関係」をつくりあげることなどを通達した。しかし、それは訓示的性格のものであって、教員の管理体制と教育行政の腐敗的構造が改善されたわけではない。本件は、その抜本的な問題解決に向けていくつかの貴重な示唆を与えているといえよう。
第一点は、県農事件の発覚の経過をみれば、合否判定委員会においてもまた職員会議においても、校長による事件の隠蔽に同調する教員が少なくはなく、校長は県教委への報告の是非を採決しても、結果として校長の意向にそう多数決が期待できるからこそ、10年ぶりという賛否を問いえたのである。学校の自治と子どもの人権を担う主体としての自覚が教員集団に希薄化している状況は、本件を「県教委に報告しない」との採決結果に表れている。このような状況の克服は、個々の教師にとって教育者としての良識をかけた、焦眉の課題といえよう。
第二に、正統な少数意見さえも抹殺する学校の閉塞状況を生み出した要因として、前述のような中央集権的教育法制とそれに基づく教員管理が、学校の自治と子どもの人権を担う教師の主体性育成を阻害してきたことを挙げねばならない。本件は、いわば例外的に表に出てきた事件であり本件は氷山の一角とみることもできる。「政治的中立」を名目とした1950年代以降の教員管理の強化が生み出した学校教育の閉塞的状態は、いわばこの事件に象徴されるようにその極限に達しているといわねばならない。
そして第三に、任命制教育委員会がもはや「委員会」としての体を名実共になしていないことが本件から改めて明らかにされた。起訴猶予とはいえ、県教委の組織的犯罪が検察によって認められ、刑事罰に値する秘密漏洩があったにもかかわらず、県の教育委員は、委員長も含めてなんらの法的責任さえも追及されていない。政府関係機関である臨教審の第二次答申において、今日の教育委員会は「各地域の教育行政に直接責任をもつ『合議制の執行機関』としての自覚と責任感、使命感、教育の地方分権の精神についての理解、自主性、主体性に欠け、21世紀への展望と改革への意欲が不足している」との批判を受ける現状である。むしろ県農事件をみれば、その実態は単に存在意義がないというにとどまらず、その発覚後においても、県民らの告発と検察の捜査をまってようやく「実質秘」の漏洩を認め、行政処分に踏み切るという自浄力を全く欠いた対応に終始した。いわば、教育委員会自らが、県議などと癒着して県民を欺き、長年にわたる組織的不正を行ない教育の公正を害し、違法行為をしてきたのである。それは、教育委員を地方公共団体の長が、議会の同意を得て任命する(地教行法3条)「任命制委員会」制度に根本的に由来するといわねばならない。直接国民の付託を受けることなく、行政と議会に都合のよい委員が選出されるという法的構造が、政治家等に公教育を私物化させたといっても過言ではないように思われる。本件は、その意味でも、今日の教育行政と教育委員会を支える現行法制に重大な警鐘を打ちならすものであったといえよう。
(注1)他県における公立高校不正入試としては、鳥取県で昭和62年公立高校入試で県教育次長が県議から依頼を受け県立高校受験者9名につき便宜を図るように受験校校長に指示[文部省発表](朝日新聞91年3月20日)、神奈川県で平成3年度入試で約60校80人(県教委調べ)の合否情報漏洩。県議らの問い合せに対し県教委高校教育課職員が発表前日に連絡 (朝日新聞91年4月17日)等が明らかとなっている。
(注2)県議(県農OB会幹部)が新聞取材に答えて「地元の受験生徒の親から頼まれ受験前に『○○君が受験するのでよろしく』と学校に電話したことがある。」と述べた他、岡沢薫郎OB会理事長が「二十年前県議を務めていたとき『何とかならないか』と頼まれたことがある。」と不正な依頼をしたことを認めた(朝日新聞91年3月20日)。石田前校長は「前任校(県立播磨農高)では校長裁量で合否を変更できたが、県農はそうすることができず、改ざんに手を染めた」(神戸新聞91年5月3日)と前任校での情実合格を供述している。
(注3)公判に先立ち以下のような行政処分が行なわれた。懲戒免職ー石田前校長・北川教諭・池田教諭、減給10分の1(3ヵ月)ー清水教育長、減給10分の1(1ヵ月)ー西田教育次長・細見前教育次長、戒告ー磯前高校教育課長、戒告(平成二年度入試改ざんに関して)釜本前教育次長・岡田前教育次長、厳重注意ー赤木県農教頭・辻道県農教頭。(注4)「本判例解説」判例タイムズ797号270頁
(注5)福岡高判昭和24・3・17刑集10・12・1626は、争議中の労働組合員による石炭搬送車の通行妨害は期待可能性なしとして無罪とした。同上告審で、最高裁は期待可能性を超法規的責任阻却事由であるとしつつ、当該行為は違法に業務を妨害したものとはいえないとし、結論として無罪判決を維持した。
(注6)大判昭和8・11・21刑集12・2062。
(注7)1986年11月に発覚した日本共産党緒方国際部長宅電話盗聴事件でも、神奈川県警警備部の現職警官二名の違法行為が明らかとなりながら、検察は「個人的利益にもとづいた犯行でない、犯行は二人を含む同県警備部公安課の組織的犯行で二人だけを処罰するのは過酷」などとして起訴猶予としている[上田誠吉・佐野洋・塩田庄兵衛編「警察の盗聴を裁く」労働旬報社[1988年]28頁(大野達三執筆)、123頁(村井敏邦執筆)等参照]。
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