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TITLE:  教育犯罪の構造的原因
AUTHOR: 吉田 卓司
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第147号(1994年10月)
WORDS:  全40字×110行

 

教育犯罪の構造的原因

 

吉 田 卓 司 

 

1.はじめに

  学校における教育活動において、児童、生徒に対する人権侵害行為が生じた場合、教員に刑事責任が問われることは少なくない。例えば、体罰による暴行・傷害罪や事故による業務上過失致死傷罪がその典型である。各事件の態様、背景等は様々であるが、それらの事例を詳細に分析すれば、共通する要因を見いだすことは可能であるように思われる。本報告では、学校教育における刑事犯罪の構造的要因とその問題解決への展望について検討したい。

 

2.体罰による暴行・傷害罪

(1) 刑事判例における体罰肯定の潮流

  戦後の刑事判例の動向を検討すれば、その潮流には体罰肯定的な裁判規範の形成という看過しえない問題が生起しているように思われる。戦前の大審院判決(大正5・6・15)に代表される有形力行使の是認に対し、戦後の体罰刑事判決のリーディング・ケースとされる大阪高裁判決(昭和30・12・22)は、明確に体罰的暴行の違法性を判示した。しかし、いわゆる水戸五中事件東京高裁判決(昭和56・4・1)は、「単なるスキンシップよりやや強度の外的刺激(有形力行使)」の「教育的効果」を積極的に認めて無罪とし、その後の民事訴訟の一部にも影響を及ぼしてきた。体罰によって傷害を与え、刑事責任が科された事例でも、その法的評価に問題のある判示も少なくはない。川崎市立小学校の障害児学級で生じた体罰致死事件に対する横浜地裁判決(昭和62・8・26)や小松市立中学での体罰致死事件に対する金沢地裁判決(昭和62・8・26)が元教諭の体罰を「教育的熱意」の表れと評価しているのは、その典型である。

(2) 体罰事件の構造的要因

  戦前から体罰は法的に禁じられているにもかかわらず、体罰が繰り返される原因は、学校教育のなかにある体罰肯定的意識とそれを支える体制が存するからである。岐陽高校体罰致死事件の水戸地裁判決(昭和61・3・18)は、前任校では体罰をほとんどしたことのない被告人が致死事件を惹き起こした背景として、同学年の生徒指導担当教員の体罰を目の当たりにし、前任校を引き合いに出して同僚教師になじられたことから誘発されたと指摘している。このように体罰肯定の意識と体制が学校教育に根深く存在することは、多くの体罰裁判にも明瞭に表れている。例えば、県立高校の陸上部員が顧問の度重なる厳しい叱責と体罰を受け、自殺した事件(岐阜地裁平成5・9・6)では、岐阜県は部活動での多少のしごきや体罰近似の指導については相互了解が黙示的に存在するので違法性がないと主張して、体罰的指導を容認する姿勢を示している(判決は、このような県の主張に対して、そのような相互了解があると認めることは到底できず、またそのような相互了解があってはならないと判示している)。また、習志野中学事件判決(千葉地裁平成4・2・21)では、校長が暴力的な生徒指導を容認していたと認定している。これらの体罰裁判からみても、体罰事件の原因を教員の個人的資質のみに求めることは妥当ではない。その原因は、教育行政の姿勢と深く関わっているといえよう。

 

3.学校事故における業務上過失致死傷罪

  学校事故に対して業務上過失致死傷罪が適用された事例として、近年最も注目を集めた刑事裁判の一つに、神戸高塚高校の校門圧死事件(神戸地判平成5・2・10)がある。同判決は、門扉閉鎖を担当したH元教諭に対して、閉鎖前の安全確認の不十分さに過失があったとして有罪判決を下したが、量刑理由では「学校として、生徒の登校の安全等に関する配慮が足りなかった」とも判示している。判決のいう「学校としての配慮不足」とは何か、またそれは単なる量刑理由にすぎないのかそれとも本質的な事故原因かは十分に検証されねばならない。事故当時、高塚高校は全国に五校しかない学校安全に関する「研究指定校」であり、事故直前の県立高校生徒指導部長会でも「全教師による校門や通学路での立ち番指導」が高く評価されるといった「モデル校」でもあった。同校教員は「門扉閉鎖はチャイムの鳴り始め」など指導目標や手順が具体的に記されたマニュアルに従って遅刻指導を行なっていた。兵庫県では、県教委通達上、職員会議は校長の校務運営上の補助機関とされ、同校の遅刻指導体制等も校長により決定されることとなっている。同事件の調書には、それ以前の門扉閉鎖に危険を感じた教員、生徒の声が記録されているが、これらの指導上の問題は職員会議等で討議されず、事故の生じた年度当初に遅刻指導担当者を五人から三人へと移行した際にも安全上の問題が検討された形跡が見られない。指導計画の立案について、生徒、教員の意見を集約するという体制が欠落した状況下で、生徒指導の「モデル校」として遅刻指導が決行され、圧死事故の予兆ともいうべき軽微な事故が無視され続けたのである。その意味では、現場からの声を封殺し、上位下達を基本とする学校の管理運営体制に圧死事件の要因があったといっても過言ではないであろう。

  従来の学校事故に関する業務上過失致死傷罪の判例では、学校全体が関わる組織的な教育活動中の事故について担当教諭のみに刑事責任を科したものはない。学校事故に対して教員個人の刑事責任を厳しく追及することが、結果として教育行政の教育条件整備の怠慢を軽視し、本質的な事故原因を隠蔽することにもなるのである。

 

4.文書偽造と公務員秘密漏洩罪−兵庫県立農業高校事件を素材として

  兵庫県立農業高校入試改ざん事件では、校長権限を濫用した犯罪の共謀と隠蔽だけでなく、その捜査過程で、入試合否の組織的な事前漏洩事件も明るみに出され、県議、教育委員会、学校管理職等の癒着関係が明らかとなった。校長は校内人事と教頭昇任選考における優遇等を約束することによってニ名の教諭を改ざんに引き込んでいるが、その背景には校務運営の校長による専断化の状況があった。そして、内部告発行為によって事件が発覚したこと自体、現行の教員管理法制が犯行の隠蔽さえも教員に「合法的に」強要できることを証明している。

  また県議らの不正な合否漏洩依頼を県教委が仲介し、地方公務員法違反の秘密漏洩をしたことについて、県教委は、県民らの告発と検察の捜査後にその違法性を認めるという全く自浄力を欠いた対応に終始した。その一連の経過は、いわゆる任命制教育委員会がもはや「委員会」としての体を名実ともに成していないことを改めて明らかにした。それは、直接国民の付託を受けずに、行政と議会によって教育委員が選出されるという法的構造そのものが議員と県教委の癒着を生み、その結果国民の教育権保障と公正の確保に資するべき教育委員の主体性が奪われ、議員らによって公教育が私物化されたことを意味する。それは、教育委員を地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する(地教行法三条)「任命制委員会」制度に根本的に関わる問題といえよう。その意味で、改ざん事件被告人を刑事犯罪に追い込み、違法な合否漏洩を組織的に行なった現行教育委員会制度そのものの抜本的見直しが急務なのである。

 

5.教育犯罪と学校教育の閉鎖性−問題の所在と解決への展望

  刑事裁判として立件される事件は、まさに「氷山の一角」に過ぎない。しかし、それらの判決には、教育委員会及び管理職による暴力的指導の擁護ないし容認、上位下達の専断的な校務の運営と管理的指導の強行、さらには県立農業高校事件で明らかとなったような校長、教育委員会、県会議員等の癒着関係や、正当な少数意見が抹殺される学校教育の状況が示されている。それは、事件の背後にある現行教育法制の閉塞的状態がその極限に達していることを示すものである。

  このような問題の解決への糸口は、教育情報の公開によって、子ども、保護者、教師が本来あるべき教育の自治を実現することにあるのではなかろうか。体罰問題に関する近年の最も総合的かつ多角的な実態調査(牧柾名ほか編著『懲戒・体罰の法制と実態』学陽書房所収)によれば、保護者の多くは子どもの受けている体罰の実態を知らず、自分の子どもの認識ともかなりの隔たりがあるとされている。情報公開条例や個人情報保護条例が各地で制定されるのにともない、体罰事故報告書の公開もすすんでいる。これに対応して、川崎市、堺市など体罰事故報告手続きを整備する自治体も増えているが、体罰禁止を実効あらしめるには、その実状が広く知られ、そのような市民の認識に支えられて、子どもの権利保障の視点に立った学校教育が実現されねばならない。また、大和市や長野県では職員会議録の公開・開示も実現しているが、教育行政と学校内部における意思決定過程が公正であってはじめて、公開・開示に耐えうる議事録も作成できよう。教育情報の公開については、教育行政の強い抵抗から争訟となっている例もあるが、それは隠蔽せねばならないような不当な「教育」の存在をも示唆している。教育犯罪を抑止し、そして子どもの権利と教育の自由を保障するためにも、今日の閉鎖的な教育体制の変革が求められているといえよう。

 



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