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TITLE:  今なぜ「文化論」か?
AUTHOR: 原田 琢也
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第150号(1995年1月)
WORDS:  全40字×105行

 

今なぜ「文化」論か?

 

原 田 琢 也 

 

  全国高法研會報(NO.37)が送付され、真っ先に目についたのは、永野恒雄が表題の中で用いていた「教員文化」という語句であった。永野は従来の「教師の教育権」の論理を、「教員内部では支持されたが、生徒父母の支持了解を受けるものではなくなっていた」と批判的に検証し、それに変わるタームとして「教員文化」の導入を提唱する〔1〕。

  実は、私も、「校則論」という異なる場において、よく似た過程を経て、最後には「文化」の問題にたどりついた〔2〕。これは単なる偶然ではあるまい。永野も指摘しているように、今、教育の諸問題は見えにくくなっている。「文化」というタームは、私たちを深層にいざない、「問題」が生成されている場に立ち会わせてくれるのである〔3〕。

  ところが、高法研においては、「文化」論は正しくとらえられているとは言い難い。たとえば三浦純子は、永野の報告に対して、次のような批判を加えている。「けれどもこの中で使われている『教員文化』という表現に対しては私は疑問を感じました。初めて聞いた言葉でしたので、正しく理解しているかどうか自信がありませんが、『教師の世界に伝わってきた考え方、教員独特の精神性』という説明がありました。『教員だからやる、教員だからできる』こと、を教員文化という言葉で表現しており、最近はマイナスの意味で使われることが多いと言うことでした。しかし、私は、『教員文化』という言葉の中に少しでもマイナスの意味があるのであれば、そこに『文化』という言葉を使うべきではない、と考えます。文化という言葉には、人間がつくりあげてきたよりよいもの、今後に遺していくべき大切なもの、というイメージがあります。…マイナスのイメージを含む内容にわざわざ『文化』という言葉を使って新語を造る意義はないと思います。教員でない人たちが、教師に対する批判、あるいは揶揄の意味を込めて使うのであれば仕方がないと思いますが、あえて教師自身がそういう使い方をすることはないのではないでしょうか。我々は世間一般に通用する言葉で考え、行動すべきだと思います」〔4〕。これは明らかに、誤解である。本稿における私の目標は、この誤解を解くことにある。

 永野は「教員文化」を、「教師の意識、メンタリティー、それを支えているもの」というように位置づけている。私が用いてきた「文化」とほぼ同義である。ここで言う「文化」の意味は、日常的に用いられている<文化>の意味とは、かなり隔たっているのである。それでは、永野や私が用いてきた「文化」は、どのように定義されるべきか。私は、ここで宮島喬の説明を引用したい。「さしあたり言語をその典型として思いうかべればよいであろうが、文化現象のうちには、事実上強固な構造をもち、人びとの思考をあたかも外から枠づけるかのような作用を果たしながら、その構造、作用がほとんど意識されないものがある。…この言語のように、意識をこえ、意識の彼方にあるような文化の形態は、社会生活のなかにけっこうおびただしく存在し、機能している」〔5〕。「文化」とは、一方において、文法のような、目に見えない無数の規則(コード)からなる、客観的構造でありながら、他方において、私たちが、いちいち文法書や辞書を参照ぜずとも言葉を話せることからわかるように、集団の成員に身体化し、個々人の(主観的な)「感覚」を形成するものでもあるのだ〔6〕。つまり、意識の基礎、あるいは無意識を構成しているのが「文化」だということになる〔7〕 。

  私たちは、実に多くの行為を積み重ね、日常生活を送っているわけであるが、いったい、それらの内どれだけのことを、いちいち立ち止まり、熟慮して行っていることか。多くの行為は、「感覚」から慣習的に生み出されているのである。つまり、客観的な「文化」の諸規則が、個々人の内に入り込み「感覚」を構成し、「意識」を動かし、あたかも主観的な意識作用であるかのように、個々人の行為を生み出しているのである。

  教育法の理論の多くは、そういった人間のありのままの「生」を無視し、すべてを個々人の閉ざされた「意識」に還元してきた。私が、「文化」という語句にこだわるのは、この「現象」が生成される一連の流れを忠実に溯ることにより、その責めを個人の「意識」にお仕着せて終りとするのではなく、社会の問題として構築し直すことにより、教師も生徒も保護者もが、共に教育の問題を語り合うことができる土台を用意するためなのである。永野が、全国大会において、もし「教員文化」にマイナスの意味を付加していたとしても〔8〕、それはよく見受けるような、「教師は人権意識が低い」といった類の短絡的でつじつま合わせの批判〔9〕に陥ることを回避し、教師自らもが気づいていない「文化構造」が、教師の内に内在化していることに警鐘を鳴らし、共にその「構造」に立ち向かっていこうと呼びかける意図であったと想像するに難くない。

 高法研での議論は、学校での日常世界に立脚し、それを忠実に問題対象化できてこそ、その真価が発揮されるのではないか。三浦が、「我々は世間一般に通用する言葉で考え、行動すべきだと思います」と言うのも、恐らく同趣旨のことを意図してと思われる。ところが、今まで、私たちは、ア・プリオリに設定された「法の枠組」を現実に当てはめ、その窓から日常世界を見ることにだけ腐心していたのではないだろうか。その作業を通して、「法の枠組」に入り切らなかった現実のある部分を、無意識裏に捨象してしまってきたのだ。そのことが、高法研の理論が、時には保護者に、時には他の教師に、受け入れられないできた理由なのである〔10〕。私たちは、もう一度目に前の現実に立ち返らねばならない。「文化」論は、そのためのステップなのだ〔11〕。  

(敬称略)

 

< 注 >

1 永野恒雄「教師の教育権と教員文化」『全国高法研會報NO.37』所収

2 拙稿「服装の『指導』にみる矛盾の意味するものは何か」『全国高法研會報NO.34』所収において、私は、はじめて「文化」論からの考察を試みたのだが、私自身がまだ混乱状態にありながら、見切り発車的に記したものであるために、あまり参考にはならない。全国大会で多くの批判を受けたことが、その後の私の研究に大きな刺激となった。あらためて礼を言いたい。

3 詳しくは、第9回理論大会で報告したい。なお、拙稿「学校文化:その差別の構造―服装・頭髪指導という<葛藤の場(アリーナ)>より―」(兵庫教育大学修士課程学位論文、同名のダイジェスト版が『解放社会学研究9』に掲載される予定)は、「文化」論を用いて、マイノリティーの子どもたちの視点より校則問題を描いた。

4 三浦純子「第三分科会に参加しての感想」『全国高法研會報NO.37』所収

5 宮島喬『文化的再生産の社会学―ブルデュー理論からの展開―』藤原書店、222頁

6 フランスの思想家・社会学者であるP・ブルデューは、「感覚」を「ハビツゥス」という語句で表す。ブルデューによれば、「ハビツゥス」とは、「構造化する構造」であるとともに「構造化される構造」でもあるのだ。

7 スイスの精神医学者であるC・G・ユングは、無意識を、「普遍無意識」と「個人無意識」に分けているが、「感覚(=ハビツゥス)」は、その間に位置するもので、集団固有の「無意識」にあたると考えられる。私が、「無意識」という語を用いず、誤解を受けることを承知で、「文化」という語を用いるのは、「無意識」という語が「個人無意識」を想起させてしまうからである。

8 私は、第14回全国大会(島根)に出席していないために、『會報』の記述を通してしか、報告の内容を知ることができていないことを断っておく。

9 この手の批判には、自らだけに現実から遊離した特権的地位を用意し、他の者をそこから見下げるという、権力への志向が隠されているのである。詳しくは、拙稿「『校則論』の考え方はこれでいいのか?」『月刊生徒指導』所収(104頁)、拙稿「<権力>をとらえ切れず、<権力者>を作り出す理論」『大阪高法研ニュース第149号』所収を参照されたい。

10 私は、今まで、高法研の理論が保護者や他の教師にあまり普及しないことを、さらに彼らの人権意識の低さに還元してしまうような論に、数度となく出くわしてきた。ここに見て取ることができるものは、自分たちが予め作っておいた枠組をあてがい、その中に入り切らなかったものを「外」に排除し、「内」から「外」に向かって、「人権意識が低いやつ」というレッテルを差し向けることにより、その排除を貫徹するという、高法研の理論が批判的に論じてきたところの「権力」そのものなのである。

11 柿沼昌芳が、新会長挨拶において、次のように述べていることに共感する。「現実をリアルに見ることなくして理論構成のみを優先させてしまうと、研究者のまねごとになったり、あるいは日頃の不満を『研究』ということで発散させる場になってしまいます」。(柿沼「研究活動の新たな転換を」『全国高法研會報NO.37』)



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