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TITLE:  総合学科を活用した高校改革
AUTHOR: 松本 恵司
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第151号(1995年2月)
WORDS:  全40字×104行

 

総合学科を活用した高校改革

 

 鈴蘭台西高等学校  松 本 恵 司 

 

  総合学科は,94年に7校が開校し,95年には全国で15校が開設されることになっている。現状では,あまり話題になってはいないが,文部省の木曾職業教育課長が「全国的には千校・二千校のポテンシャル」と発言し,噂では「普通科20%総合学科60%職業科20%になる」ともいわれるなど,高校改革の中核として位置づけられている総合学科の導入にどのように対処するかを私たちも検討しておく必要がある。

  文部省の諮問機関「高等学校教育の改革の推進に関する会議」の第4次報告(93年2月)によると,総合学科とは,@卒業に必要な最低単位は80単位 A必修科目は最低35単位 B「産業社会と人間」「情報の基礎科目」「課題研究」を6〜12単位 C系列にまとめられている選択科目が最低39単位 を単位制で行なうものである。教員の定数では,24学級の高校の場合,普通科の標準51名に対し総合学科は13名の加配が行なわれることになっている。

 教育の内容については,推進会議の上寺久雄座長はこう語っている。「最近の中学生・高校生が自分の進路を明確に意識しようとしないというモラトリアム傾向を活用して,生涯学習がいわれるなかで一生涯自分の進路を考え続けていくといった姿勢を高校の3年間で身につけさせるというのが総合学科のねらいである」

  かって,3年生で行なっていた文理のコース分けを2年生に早め,英語科や理数科の設置などを強行してきた教育行政とどうつながっているのか,理解に苦しむ言葉である。しかし,総合学科が,大学への進学を前提とする普通科とは全く異なるものだと認識すれば,受験シフトをとる必要はないことがわかるのである。上寺座長も「受験のための学力には差が出るでしょう。学ぶ学科も時数も違うのですから」と述べている。

  将来は高校の半数以上が総合学科になるかもしれないという大問題であるにもかかわらず,総合学科が注目を集めないのは,それが現行の受験には不向きであり,大学合格者数で高校が評価される現状では,世間から高い評価を得られない高校となることが予想されるからである。昨年・今年と開設が進む総合学科が,過疎地・職業科・普通科職業科併設・教育困難に陥った普通科からの転身が多く,進学実績のある都会の普通科には総合学科の導入が見られないことがそれを裏づけている。このままでは,困難な状況におかれた高校がワラにもすがる気持ちで総合学科に変わるだけで終わってしまう可能性が大きい。私としては,それでも意味がないことはないと思う。困難な状況を担当している学校に,定数・設備面で援助をすることは必要なことであるからだ。しかし,せっかく文部省が打ち出してきた総合学科構想をこれだけでおわらせてしまうのは,惜しい。この構想を活用して,受験に毒された日本の教育システムを改革することはできないだろうか。

  私の所属している日教組系の教職員組合では,総合学科をめぐって賛否両論がある。管理職が現場との合意もなく総合学科導入を強行しようとしたという論外の学校はさておいて,私たちが導入か拒否かを選択できるとしても意見は割れることが予想される。

批判論 @偏差値の序列が細分化される  普通・職業−普通・総合・職業

    A校内で進学系のコースとそれ以外のコースで格差・序列化がすすむ

    B職業科に比べて施設が劣り,職業教育としては中途半端になる

    C単位制をとるので,校内の人間関係が希薄になり,指導が困難になる

    D学歴偏重社会の是正にどうつながるのか不明

    E企業にとって望ましい若年労働者の育成機関になる

容認論 @現行のシステムが限界に達しており,次善の策でも検討が必要

    A受験教育からの脱却

    B総合学科導入を契機に教育条件の整備を進める

  批判論はそれなりに説得力がある。また,中学校の平均以上の生徒が入学してくる兵庫県の普通科高校にとっては,自校だけが総合学科に変わる必然性がない。それどころか,総合学科になったために敬遠されて地盤沈下する可能性が高い。兵庫県では,現在7校が研究指定を受けているが,底辺校でない普通科は2校にすぎない。その2校も,職員の多数が指定を歓迎しているかどうかは疑問である。

  このように各学校の利益を優先させれば,総合学科の将来像は明るいものにはなりえない。それにもかかわらず,総合学科導入を活用して高校改革を進めるためには,日本の教育システム全体として大きなプラスを得るという戦略的な目標をもって,各校のわがままを抑えていくことが必要である。文部省・日教組という全国組織がこの問題に協同して取り組むことが要望される。

  ここで,必要なことは,文部省の改革に追随した学校は常に損をしてきたという現実を文部省が率直に認め,文部省への信頼感を現場にもたせることである。共通一次試験・中学の英語授業時数の削減など,文部省が打ち出した路線は,結局,公立中学・高校の地盤沈下につながってきた。(ということは,公立校を組織の主力とする日教組も被害を受けたということである) これに対し,一貫して有利であったのは,東大シフトを取り続けた私立高校・予備校である。つまり,東大・灘高・河合塾という文部省・日教組の枠外に位置する諸校が高い評価を受け,文部省傘下の公立校は特に大都市圏においては困難な状況に直面するようになった。最近,文部省は,偏差値を使用するなというようなことを公立校に押し付けているが,これもまた,公立校の地盤沈下を進めるだけに終わるだろう。

  文部省が,緊急にすべきことは,東京大学の分割民営化とか,京都大学を「勤労の義務・納税の義務」を果たした市民の生涯教育の場に変えるなど,大学を根本的に改革し,東大シフトをとった中学高校が有利であるという神話を破壊することである。

  総合学科を中核とする高校改革と,以上のような大学改革が連動できれば,かなりの成果が期待できる。しかし,残念なことに,今回も大学は手つかずで中等教育だけをいじくりまわすことになるだろう。

  とはいえ,現行のシステムが限界にきており,総合学科の理念そのものには良いところもあるので,これを活用して少しでも現状の改善を図ることが私たちの課題である。そのためには,最終的なゴールとして,どのような高校像をイメージしておくかが重要である。新制高校が発足して50年になるにもかかわらず,高校の現場では適格者主義が幅をきかし,地域の生徒は誰でも入学できるようにしようという意見は少数派にとどまっている。兵庫県の県立普通科高校は,中学生の半数を除外した上に成り立っているにもかかわらず,輪切り選別体制のなかで,少しでも上位の生徒を集めて楽をしたい(または楽な学校へ転勤したい)と虚しい努力を続けているのが,高校教師の姿である。適格者主義と決別し,中学校の4・5・6年生を担当しているのが高等学校だというように意識の転換を図る時がきたのである。

  最後に,「総合」という言葉が何種類が使われているので整理しておきたい。

@今回,文部省が提唱している総合学科

A戦後の高校三原則の一つであった総合制=普通科と職業科を併設した高校

B数年前に話題になった普通科総合選択制高校 埼玉県の伊奈学園が有名受験シフトをとりやすいので,各校の利益だけを考えれば採用したい高校も多いのでは。

  現実に87年創立の岡山県立城東高校は200名以上の国公立大学合格者を出している。

  但し,一校の利益がシステム全体の不利益につながることになる。

C日教組が提唱している地域総合中等学校

 T 中学課程から無試験で高校課程へ進める(予想進学率98%)

 U 普通科と職業科を融合した総合制の単位制高校(総合学科と通ずるものがある)

 V 私立高校の学区への組み込み

  私は,@高校までは希望すれば地元の学校へ皆が進めること A子供である生徒はおおらかに学び,大人である学生は厳しく競争する ような教育システムを最終目標とし,当面は,@灘高・河合塾の活動に公共の福祉の観点から制限を加え,A公立トップ高を必要悪として残し,B高校のほとんど全てを総合学科に再編成することが現実的な改善案だと思う。それすら,見通しは明るくないが,私なりに努力してみよう。

  今回,総合学科をレポートするにあたり,総合学科の研究指定校に勤めている友人の話を聞いた。驚いたことに彼はえらく前向きに取り組んでおり,新しい教育観には感心させられることも多くある。東大シフト神話が,こうした前向きの努力を無駄にしてしまわなければ良いのだがと,彼のいれてくれたコーヒーをいただきながら思ったのであった。



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