◆199503KHK152A2L0074BHM
TITLE: 教員管理の教育法制上の諸問題
AUTHOR: 吉田 卓司
SOURCE: 日本教育法学会年報24号(1995年)
WORDS: 全40字×74行
教員管理の教育法制上の諸問題
吉 田 卓 司
一 本報告の検討課題
ここで検討する刑事事件は、現職校長と教諭による入試解答用紙の改ざん事件と、その捜査過程で明らかにされた入試合否の組織的な事前漏洩事件である。前者からは、校長権限の濫用によって二教諭が共謀に引き込まれた過程が、後者からは、県議会と県教委、教育行政と学校管理職等の癒着関係が、明らかにされた。
学校教育の自治、子どもと教員の権利保障の観点からは、学校教育に対する刑事的介入は極力回避されねばならないけれども、他方権力犯罪としての性質を有する本件のような犯罪では、「刑法の謙抑性」を隠れ蓑に、政治的・法的権力を付託された者の不正が隠蔽され、構造的犯罪原因が温存されることは許されないであろう。本報告は、このような視点から、改ざん事件被告人を刑事犯罪に追い込み、そして違法な組織的合否漏洩を可能にした現行教育法制の構造的問題を検証しようとするものである。
二 事件の構造的要因としての教育法制
1 校長権限の濫用による改ざん共謀とその隠蔽
校長は校内人事と教頭昇任選考における優遇を約束することによって二名の教諭を改ざんに引き込んだ。そのような共謀を容易になしえた背景として、兵庫県教委の教員管理施策の動向とそれに伴う校務運営の変化に留意しなければならない。県教委は、一九八三年の通達で職員会議を「校長の校務運営上の補助機関」と位置づけるなど、校長権限の強化をはかった。これに呼応して県立農業高校では、八七年に校務運営委員会の委員四名の公選制が廃止され、その翌年には部長・担任・分掌等を決める校務分掌委員会の委員三名の公選制も廃止されて、管理職の任命制となった。さらに、職員会議議長も九〇年から公選制が廃止され、管理職の指名制となった。それに加えて、職員の進退に関する意見具申権(地教行法三六、三九条)、勤務評定(地教行法四六条、県教委勤務評定規則)等法令上の校長権限、あるいは教頭昇任選考における校長推薦制等が存在した。県農事件は、まさにこのような校務運営が校長に専断化された状況下で生じたのである。しかも本件は、校長による「本件を外に漏らさない」との指示に反する告発行為によって発覚したのであるが、これ自体、現行の教員管理法制が犯行の隠蔽さえも教員に対し「合法的に」強要しうることを証明している。
2 組織的合否事前漏洩にみる教育行政及び委員会の腐敗
改ざん事件の公判は、教育行政の腐敗が深刻化していることを浮き彫りにした。その腐敗は、県教委自身が県議員らの不正な合否漏洩依頼を各校に仲介し、それを契機に改ざん行為が行われ、そして県教委在任期間が一三年にも及んだ校長をして、「不正な依頼に応じれば円滑な学校経営と自己の名声が得られる」と考えさせるほどであった。
合否漏洩事件に関して県教委が責任の所在を明確にしなかったため、県民有志は、県教委の組織的な入試結果の事前漏洩行為が地方公務員法の秘密漏洩罪に該当するとして刑事告発及び検察審査会への申し立てを行った。同審査会が事件の重大性を認めて不起訴不当の決定をしたのと対照的に、検察は、当該行為の違法性を認めながら、結局、県教委三職員を不起訴(起訴猶予)としたに過ぎなかった。一方県教委は、県民らの告発と検察の捜査をまってようやく漏洩行為の違法性を認めるといった全く自浄力を欠いた対応に終始した。この一連の経過は、いわゆる任命制教育委員会がもはや「委員会」としての体を名実ともに成していないことを改めて明らかにしている。それは、教育委員を地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する(地教行法三条)「任命制委員会」制度に根本的に由来するといわねばならない。直接国民の付託を受けず、行政と議会によって委員が選出される法的構造が議員と教育委員の癒着を生み、国民の教育権保障と公正の確保に資するべき教育委員の主体性を奪って、公教育を私物化させたといえよう。その意味で、本件は今日の教育行政と教育委員会を支える現行教育法制に重大な警鐘を打ちならすものである。
三 県立農業高校事件の教訓と展望
県農事件は、勇気ある内部告発によって表出した例外的事例であり、それは、まさに「氷山の一角」に過ぎない。本件は、県教委と県議会の癒着、学校経営の管理職による専断的運営など教育法制の根幹にかかわる構造的問題、言い換えれば、教育管理の強化が生み出した学校教育の閉塞的状態がその極限に達していることを示している。
県農合否判定委員会と同職員会議において校長の事件隠蔽方針に同調する教員が少なくはなかったことや、本件を「県教委に報告しない」という職員会議の裁決結果は、学校の自治と子どもの人権を担う主体であるという教員集団の自覚が希薄化していることを示唆している。このような状況の克服は、全ての教師一人一人にとって、教育者としての良識をかけた焦眉の課題である。
教育法的視座からは、正当な少数意見されも抹殺する学校の閉塞状況を生み出してきた現行教育法制について、その抜本的改革がもはや一刻の猶予も許さない行政課題であることを強調しておかねばならない。
(注)本報告のより詳細な内容については、拙稿「兵庫県立農業高校入試改ざん事件の検討」大阪高法研ニュース一四三号(一九九四年六月)参照。
Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会