大阪教育法研究会 | | Top page | Back | |
◆199509KHK157A1L0250H TITLE: 教員採用選考に見る教育行政の責任と限界 AUTHOR: 尾崎 俊雄 SOURCE: 大阪高法研ニュース 第157号(1995年9月) WORDS: 全40字×250行
尾 崎 俊 雄
登校拒否やいじめなど学校教育は多くの問題を抱えているといわれる。そして、その原因や対策については教員をはじめ多くの人々によって語られている。しかし、学校教育の中心的存在である教員の問題、とりわけ教員採用のあり方についてはあまり問題にされることがなかった。教員採用に関する情報はそのほとんどが公開されていないことも原因の一つと思われるが、非公開を問わなかったこと自体が問題意識の対象外であったことを示すものでもであろう。また、教員採用のあり方を問うことは、現行の採用制度の下で採用された教員の正統性をも問うことになり、教員の側からは問題にすることに躊躇があったのかもしれない。
しかし、学校教育の問題を教育行政との関係から語ろうとするとき、教員の採用のあり方を問うことは欠かせない。現行の教員採用における問題点を指摘し、それを担当している教育行政の責任と限界について考察することで話題を提供したい。
1949年制定の教育公務員特例法第13条は、教員選考は採用志願者名簿に記載された者のうちから行い、採用志願者名簿は教員免許状所持者で採用を願いでた者について都道府県教委が作成し、所管教委の教育長が選考するにあたってはその学校の校長の意見を聞いて行わなければならないと規定していた。つまり教員採用は他の公務員と違い、選考試験によって行い、教員免許状を所持し採用を願い出た者について採用志願者名簿を都道府県教委が作成する。選考において各学校からの意見具申を認めるという制度であった。
1965年に改正された現行の教育公務員特例法第13条では、採用志願者名簿が廃止され、代わって教育長の選考資料の教員採用選考試験が重視されるようになり、各学校からの意見具申制度が廃止された。教員採用は選考で行うという基本は維持されたものの、教育長の教員選考において学校現場の意見をつたえる制度的保障が失われた(注1)。これは、情実選考の廃止を狙ったものといわれたが、結果として、教育行政による教員人事の一元的管理が強まり、その後も教育行政の担当者のかかわる情実選考をめぐる事件が各地で発覚した(例えば徳島県の教育長が関与した情実選考)。
大阪府の場合、一次選考の筆答テスト(一般教養と教職教養の択一と作文)と一部教科(中高の音楽・美術・体育)実技テストおよび筆答テスト(専門教養)、小学校の図画工作・音楽・体育、中高の英語の実技テスト、面接テスト(個人・グループ)の二次選考によって選考資料が作成される。そして人事院規則第44条が並記している経歴評定その他の選考方法は採用されておらず、このテスト結果のみが選考資料とされている(注2)。なお、受験者すべてが一次・二次選考を受けることができるのではなく、一次選考では採用予定者数の約3倍が合格とされ、二次選考を受けることとしている。
選考にかかわる実務は府市の教委教職員課が共同で行い、選考試験問題の作成等を担当する常設の機関は存在しない。また採用選考のあり方や現状の問題点を検討し、研究するような組織もないようである(注3)。
教員の採用は選考によって行うという原則は、教育公務員特例法第13条(旧法でも)規定されている。したがって一般公務員が競争試験によって採用されることとは厳格に区別されなければならない。選考とは、競争試験以外の能力の実証にもとづく試験であり、教員としての職務遂行能力の有無を選考基準に照らして判定するものであり、具体的には経歴評定、実地試験、筆記試験その他の方法で行うことかできる(注4)。
教員はその職務の性質上人間性が重要視され、競争試験になじまないこと、教員の専門的能力は教員免許状によってすでに認められていることなどの理由から、競争試験ではなく選考によって行うとされているのであり、教育法の観点からも一応理解できる。
教員選考は教育長が行うという教育公務員特例法第13条の法理は、教育長はじめ特定の行政職(管理主事を含む)が密室作業で行ってもよいということではなく、国民の教師は国民によって選ばれるという大原則を実際に現実させるために国民に代わって行うということである。したがって選考に関する情報は最大限公開して国民の批判に曝されなければならない。また教員としての職務遂行能力を判定するためには、専門的力量が必要である。教育公務員特例法第13条は、この『代理性』と『専門性』によって教育法上根拠づけることができる。そして選考主体である教育長や管理主事の専門的力量とは、いまどのような教師が期待されているかについて教職員や父母・住民の意見に耳を傾けながら、わかりやすくより透明な選考基準を設定し、それに基づいて公正に選考を行うことである(注5)。
(1) 競争試験に限りなく近い選考
一次選考は事実上の『足切り』として行われている。大半の受験者は職務遂行能力を判定するために必要なはずの二次選考を受けることができない。また職務遂行高能力の有無にかかわらず採用予定人数を越えれば不合格とされる。選考という観点からは不合格者は職務遂行能力がないと判定されたはずであるにもかかわらず、現実には多くの不合格者が職務を支障なく遂行している。教育長はじめ教委にはこれを矛盾と理解する姿勢はないようである(注6)。
(2) 選考基準がない?
人事院規則第44条に規定されているにもかかわらず、選考基準の存在について教委の回答は非常に曖昧である。「あるような、ないような」と言ってみたり「作っていない」と答えたり、受験雑誌の教育長のインタビュー記事の教員の資質について述べた部分をを持ち出したりと無責任きわまりない(注7)。他県では試験結果の順位表や選考手続きを選考基準にあたるものとして開示している例もある(注8)。しかし、そのようなものとは別に試験結果を分析してみると、男女比や年齢構成などの観点によるある種の『選考基準』が存在しているような気がする。
(3) 選考の方法はテストだけ
「最近、採用試験がマニュアル化し、選考の際に模範解答が返ってくるため、受験者の本来の姿をつかめない」というのが現行のテスト中心の選考の実態である(注9)。とすれば、受験生の公平・平等の観点からの何らかの調整は必要であるとしても、選考の方法についてもっと柔軟に幅広く考えてもよいのではないかと思われる。他の都道府県においては経歴評定を選考資料として取り入れているところもある(注10)。
(4) 選考に関する情報が非公開である。
先に述べたように、教育法の観点から選考情報は最大限の公開されなければならない。しかし現実には、選考試験の問題は一部の作文のテーマをのぞいて非公開であり、選考基準はその有無さえも明らかにされていない。また選考結果の本人開示もなされていない。一部の県では結果そのものではなく、結果をいくつかのランクにわけて開示しているところもある(注11)。
特に採用試験の問題の非公開という結果は、教育行政の教員選考に対する考え方など色々なことを示唆している。大阪府教委の非公開決定の表向きの理由は次の通りである。それは、もし試験問題を公開すれば、受験技術が先行して、教員にふさわしい者を選考するという目的達成に支障を及ぼす。また試験問題を知りえた者と知らなかった者との間に不公平を生じるという2点である(注12)。しかし、受験技術が先行する真の理由は「限りなく競争試験に近い選考」が行われていることであり、不公平が生じるのは公開制度の不備にこそ原因がある。このように府教委の表向きの主張は、説得力に欠けるものであるし、真の理由は別のところにあることをうかがわせる。すなわち、試験問題を公開した場合、研究者・府民・教職員団体からの批判に曝され、府教委は信用を失う。そうなれば、問題の作成者がいなくなると選考担当実務者は答えている(注13)。
(5) 責任を問うことができない。
選考過程が不透明なことと関連して問題が生じた際の責任の所在が明確ではなく、責任を問うことが制度上ほとんど不可能になっている。実際、人間を評定し選考することは非常に難しいことであるけれども、国民に代わって選考を行うという法理から考えて、問題が生じた場合、国民にその責任を問われるのは当然であろう。
これまでは教育行政の責任について考えるとき、教育行政が法律にもとづいて行われなければならないという教育行政の入り口における責任が強調され、行政過程における行政判断の適否や行政によって生じた結果についての責任はあまり省みられることはなかったように思われる。教育行政がその出発点において違法でなかったとしても、必ず法律に定められているような、またその精神に合致するような最善の結果が実現されるとは限らない。実際、行政の結果の責任を追求しようとしても、学校や教員の責任とすりかえられたり、行政の透明性が低いことや身内意識・セクショナリズムなどによって困難なことが多い(注14)。
教員選考プロセスと行政責任
◎ → ◎ → ◎ 法にもとづいているか?
教育公務員特例法13条人
事院規則44条
教育法の条理・精神 等行政判断の適否は?
選考システム・組織
試験問題の適否
委員の人選 等行政執行の結果は?
最善の選考であったか
情実選考の有無
問題のある選考は 等
現実の選考においては上記のような行政プロセスが考えられるが、それぞれの局面で行政当事者の判断が存在しているのであり、それに対する責任は当然問うことができるはずである。そして、行政過程の透明性を確保することがその基盤となるとを考えあわせると選考情報について最大限に公開することも行政責任の一部と考えることも可能となろう。さらに教員選考のあり方と選考プロセスを住民がチェックする教育行政評価のあり方について考えていく必要があるのかもしれない。
(1) 教員採用数の激減…子どもの急激な減少という自然要因とクラス定員数の維持、定年退職者対策、臨時教員等の政策的な要因から教員の過員状況が進んでいる。さらに府財政の慢性的な赤字体質も重なり、教員採用数は激減している。このような状況においては、現行の競争試験化している教員選考によって、教員の最も重要な資質である『豊かな人間性』を見抜くことが困難になっていると思われる。選考を担当する教育行政当局もこのような問題意識を持っていないわけではないけれど、それは試験問題の一部をいじる程度のもので、根本的な問題解決につながるような認識は持っていない。このことは行政の欠陥というよりも行政それ自体が内包している制度的限界とみるべきだろう。
教員選考のあり方が学校教育全体にかかわる問題であるとすれば、教育条件を改善していく観点から長期的な展望が必要である。しかし現在の採用状況は教員の年齢構成に歪みを生み、長期的に学校運営をさらに困難にすることは確実である。さらに臨時教員制度問題をその背景に抱えており、その犠牲はあまりにも大きい。
現状では、住民が直接教員選考に参加する制度はなく(将来的にはそのような制度を構想していく必要があるのかもしれないが)、選考情報の公開・開示請求を通して間接的に関与していくほかない。このような住民参加は、住民・父母が教員の力量を問い、選考主体である教委の力量を問う契機になるとともに(注15)、教育行政自体が内包する限界について意識させ、行政プロセスに緊張感を与えるという重要な意義を持つと思われる。
別表 年齢別G判定者数
年齢
H6.4.1時点
G判定者数
G判定者構成比
小学校 中学校 高等学校 養護教諭 計
女子率 6年度 5年度 人
人
人
人
人
%
%
%
20
2
1
――
1
4
100.0
0.6
1.4
21
3
1
――
1
5
100.0
0.8
0.8
22
110
55
35
10
210
81.9
31.9
24.9
23
86
19
9
6
120
56.7
18.2
18.4
24
41
25
14
1
81
38.3
12.3
11.0
25
31
12
11
0
54
44.4
8.2
7.6
26
13
10
5
2
30
46.7
4.5
7.3
27
19
7
10
0
36
61.1
5.5
5.3
28
9
10
6
2
27
37.0
4.1
5.5
29
5
7
4
0
16
50.0
2.4
4.2
30
3
4
5
0
12
33.3
1.8
4.5
31〜35
21
14
20
0
55
45.5
8.3
8.4
36〜40
4
2
3
0
9
11.1
1.4
0.7
41歳以上
0
0
0
0
0
――
0.0
0.0
計
347
167
122
23
659
58.9
100.0
100.0
平均(歳)
24
25
26
23
25
大阪府教育委員会事務局 教職員課 作成
(エコーセンターより入手)
< 注 >
トップページ | 研究会のプロフィール | 全文検索 | 戻る | このページの先頭 |