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◆199510KHK158A1L0192FCM TITLE: 神戸市立高専事件をめぐって AUTHOR: 伊藤 靖幸 SOURCE: 大阪高法研ニュース 第158号(1995年10月) WORDS: 全40字×192行
伊 藤 靖 幸
世上オウム真理教をについての議論がかまびすしく、宗教法人法をめぐる何やら政治的な動きも聞こえてくる。何はともあれ「宗教」が日本でこれほど話題になったことも珍しいだろう。そこで、最近神戸市立工業高専でおこった「エホバの証人」信者の原級留め置き・退学事件を題材に、公立学校と宗教の問題について若干の考察をしてみたい。
(1) 「エホバの証人」とは
原告K君は「エホバの証人」の信者である。「エホバの証人」は周知のように、アメリカ合衆国出自のキリスト教系の新宗教である。聖書の独自の厳格解釈を行い、進化論否定・国旗敬礼拒否・輸血の拒否・兵役拒否・武道拒否等の主張で知られている。広義のファンダメンタリズムの立場であると考えられる。国旗敬礼拒否では、連邦最高裁のバーネット事件判決(1943)が公立学校での国旗への敬礼の強制を修正1条の問題として違憲であるとしたことで有名である。日本でもこの判決は「日の丸・君が代」問題でよく言及されているが、この事件は「エホバの証人」の信者に関するものであった。また、日本で良心的兵役拒否を貫いた数少ない例である明石順三は「エホバの証人」の日本支部であった灯台社の中心人物であった。(ただし戦後明石は「エホバの証人」の本部を批判しそこから離れることになった。)マスコミでは1985年に神奈川県で起こった「輸血拒否」事件で「エホバの証人」が大々的に取り上げられた事は記憶に新しい。
(2) 「武道」と教育
現在どこの高校でも柔道や剣道などの「武道」が正課として行なわれているが、実はわが国の学校教育の歴史のなかで「武道」は、当初は学校教育になじまないものとされていたのである。それが、1898年に中学課外に「撃剣」と「柔術」が導入され、わが国の軍国主義化と歩調をあわすように、やがて正課になり必修とされるようになっていった。このような背景の下があるので、戦後、「武道」は軍国主義・国家主義的だとして学校教育の中から排除されたのである。しかし1950年に中学校の選択教材として、まず柔道が復活し、1957年には剣道が復活する。1958年の中学学習指導要領で、「格技」として相撲、剣道、柔道のどれかが必修となる。ちなみにこの学習指導要領の改訂から文部省は「法的拘束力」を言い出し、「日の丸・君が代」の規定も入るようになっている。そして、1989年の新学習指導要領では、ついに「格技」ではなく「武道」とされるようになる。(ただし、この改訂では「武道」は男女ともに選択になっている。)このような、「武道」と教育の歴史は、「日の丸・君が代」の場合と奇妙に一致していることが指摘できる。
(3) 「武道」拒否問題
「格技」が必修となった1960年代から、こうした「格技」拒否問題はあったはずであるが、全国的に問題化しマスコミにとりあげられるようになるのは1980年ごろからである。このころ、各地方教育委員会等も対応を検討したとみられる。たとえば、大阪府教育委員会保健体育課は「武道を忌避する生徒の指導について」という指導方針を示した。その内容は、信念による忌避については「代替措置」をしてはならないとしているが、格技の授業は体育の一部にすぎないので時間数の上からみて、格技拒否だけで単位が不認定になることはないと考えられるとし、また「一部の内容の履修を忌避したことをもって、直ちに単位の修得を認定しないなど、形式的な処理を行なうことは望ましくない。」と常識的な判断を示している。このころから大阪府教委はなるべく中退を減らすように指導していることもあって、大阪の公立高校では格技拒否が深刻なトラブルになったという話は聞かない。
しかし、兵庫県ではかなり事情が異なっていたようである。1986年に兵庫県立高校校長会は「格技」と特別活動の履修が卒業要件であることを入試要項に記載することを決定した。特別活動とはこの場合「君が代」斉唱などを含む学校行事を意味している。つまりこれは「エホバの証人」の信者をねらいうちして、学校から排除しようという意図であり、女生徒校門圧死事件(1990)で知られるようになった兵庫県の管理主義教育姿勢がここでも示されている。その後マスコミの報道や市民運動・教組の動きもあって、兵庫県教委の姿勢は柔軟な方向に変化したようであるが、この間、兵庫県のこうした「エホバの証人」排除姿勢に直面した信者の中には、当時は施設の都合で格技を実施していなかった神戸市立高専を選んだ者もあったとみられる。ところが、実は神戸市立高専は訴訟になるのを避けようとしたとみられる兵庫県教委よりもさらにかたくなであったわけである。
(4) 事件の経過
原告K君は1990年に神戸市立工業高等専門学校に入学した。その同じ4月同校は新校舎に移転し、剣道を開講した。その結果K君を含め5人の信者が体育の単位を修得できず同校内規により原級留め置きとなり、翌91年度も同君は原級留め置きとされた。同校では2年連続して原級留め置きの場合は退学を命ずることができるという内規があり、その内規によりK君は3月末退学を命じられた。(なお他の4人のうち、3人は進級、1人は自主退学している。)K君側は90年度の進級拒否、91年度の進級拒否・退学についてそれぞれ執行停止の申し立てを行い、また処分取り消し訴訟を提起した。執行停止の申し立てはそれぞれ地裁・高裁で却下され、本訴も神戸地裁で敗訴し都合原告側5連敗の後の本訴の控訴審判決が、今回の大阪高裁平6・12・22 判決であり、ここで初めて原告側勝訴となったのである。
(1) 部分社会論の影響
まずこうした訴訟では、入り口のところで「留年、退学等が司法審査になじむか」ということが問題となるのが常である。従来、特別権力関係論で切られてしまうことがあったが、近年ではよりスマートな部分社会の法理(公立・私立を問わないという意味でスマートである)が用いられる事が多い。実際、大阪府教委筋の実務マニュアルである「高校管理運営実務提要」ではあきらかに部分社会論が特別権力関係論の代替として位置付けられている。最判昭52.3.15 富山大学事件で最高裁は大学は一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的問題は司法審査の対象から除かれるべきものであるとして部分社会論の立場を鮮明にし、その観点から単位の授受は一般市民法秩序と直接の関係を示す特段の事情のないかぎり司法審査の対象とはならず、専攻科修了の認定は一般市民として有する権利に関するので司法審査の対象となるとした。高校については都立大山高校事件東京地裁昭62.4.1高裁62.12.16判決は、原級留め置き及びそれに直接結びつく単位の認定は一般市民法秩序に関わり、司法審査の対象となると判示している。本件については、原告側敗訴の分も含め、すべての判決・決定が退学・進級拒否は一般市民としての権利にかかわるので司法審査の対象となるとしている。この結論は妥当であるが、やはり内部問題は司法審査の対象にならないとして部分社会論の構成をとっているところに疑問は残る。何が一般市民法秩序にかかわるのかが不明確であるし、田中規久夫のようにそもそも学校は部分社会ではないという主張もある。本件の2回目の執行停止申し立ての大阪高裁平4.10.15 決定では「特に学校、団体等のいわゆる部分社会においては、当該部分社会の性格、存在目的との関係で信教の自由が制約を受けることが多いことは当然のことである。」として、司法審査の適否の問題を越えて、部分社会での人権の制限を是認してしまっており、部分社会という発想の問題点を示しているように思われる。
(2) 本判決のポイント
本判決は「争点は、神戸高専において、控訴人に対し代替措置をとるべきであったかどうかに収斂される」として代替措置の問題にポイントをおいている。
@代替措置の必要性の有無
まず本判決は信教の自由も外部に対し積極的または消極的な形で表される場合には、常にその自由が保障されるというものではないとし、このような場合には信教の自由を制限して得られる公共的利益とそれによって失われる信仰者の利益を比較考量して、信教の自由を制限することが適法であるか否かを決するというすじみちを述べている。この判決では、比較考量の結果信仰者=原告側の不利益を甚大なものとして原告側を勝たせているが、一般的にはこうした比較考量論は公共的利益を大とする傾向に流れ勝ちであることは注意しておくべきだろう。もっとも日本の関連判例として後述する牧会活動としての犯人蔵匿事件でも、同様の比較考量を行い、「国権が常に私権(私人の基本的人権)に優先するとは断じえない」として信仰者側を勝たせている。しかし、こうした判断が例外的であることはこのコメント自体によって示されている。こうした比較考量では国権が私権に優先してしまうことになるのが通例であるので、あえて「とは断じえない」とコメントしているのである。そもそも次元の異なる公共的利益と私的利益を比較するのは原理的に困難であると考えられ、比較考量といいながら公共的利益を持ち出した段階で、実は公共的利益の勝ちが約束されているのが通例であるように思われる。 次に剣道についての評価であるが、本判決は神戸高専が体育科目として剣道を採用したことに不合理ではないが、高専の目的から見て、剣道実技の修得がなにものにも代え難い必要不可欠なものであって、代替措置では体育の教育効果をあげることができないとまではいえないとする。これはまず常識的で妥当な判断であろう。さらに本判決では、義務教育ではない、また神戸高専は剣道を実施することを周知させていた、だから代替措置は必要がないという先行する判決、決定がとった論法も否定されている。これも妥当な判断であろう。一方、代替措置をとらなければならないとした場合に高専側に重大な支障があるかという点についても、本判決は高専側の主張を軽く一蹴している。高専側は本判決が鋭く指摘しているように、代替措置ををとることについて「十分にその検討を尽くしてはいなかった可能性が高い」のである。実際、なぜここまで代替措置を高専側が拒むのかは理解に苦しむほどである。ただ、日本の学校文化の中には丸刈りや制服の強制など、全員一律主義とでもいうべき発想があり、学校側にはできるかぎり例外をなくして全員一律にしたいという圧力が常に働いているようである。
さて、こうした考察の結果、神戸高専の公共的利益とK君側の退学による不利益を上述のように比較考量して、本判決は法的、実際的障害がないかぎり代替措置をとるべきであったとするのである。
A代替措置をとることについての法的、実際的障害の有無
そこで問題は法的、実際的障害の有無ということになる。実際的障害は上述の高専側の支障論のほぼくりかえしでさしたる問題はない。問題は法的障害であり、実はここがこの訴訟の最大の論争点なのである。つまりこうした代替措置をとることは憲法の政教分離原則、また教育基本法の公立学校の宗教教育の禁止規定に触れないかという論点であり、またこれに付随して拒否の理由を尋ねることも宗教的中立性に反しないかという問題である。本判決は、代替措置の目的は教育の機会の保障であり、その措置も特に有利な地位を付与しようというものではなく、控訴人の信奉する宗教を援助、助長または促進するあるいは他の宗教等に対する圧迫や干渉の効果を生じる可能性はない、として憲法や教基法違反とはいえないとした。これは津地鎮祭事件最高裁判決昭52.7.13 の多数意見の論理にしたがい、宗教とのかかわりあいを否定できないが、目的・効果から宗教的活動にはあたらないとする判断である。結局本判決は政教分離について緩やかな分離説をとっていることになる。これに対し、原告敗訴のこれまでの判決・決定が厳格分離説であるということになる。信教の自由を立てれば政教分離が立たないというわけでこれはなかなか微妙な問題である。学説では、そこで信教の自由を立てながら政教分離も緩めまいと緩やかな分離になる局面を制限しようと試みるものがみられる。戸波はこのような局面では信教の自由が優先するとし、平野武は少数者の信教の自由の場合は政教分離が緩和されると説く。また忠魂碑訴訟の神坂直樹は、この問題は「信教の自由」のための妨害除去措置として剣道必修という一般ルールを部分解除しているので、優遇措置ではなく政教分離とは無関係と説く。ともあれ、本判決は拒否の理由の判断も経験のある教員なら簡単にできるとして法的障害はないとし、代替措置をとらずに処分をした高専に裁量権の逸脱があるとしたのである。
全体的に判断すれば本判決の結論は妥当と考えるが、政教分離の問題などの論点について筆者としてはまだすっきりとしないところがあるので、なお考えて行きたい。
(1) 「加持祈祷事件」最高裁昭38.5.15
精神病の治療のため加持祈祷を行い他人を死なせ、傷害致死罪に問われた事件。最高裁は「信教の自由の保障の限界を逸脱した」「著しく反社会的なものである」として有罪とした。宗教行為であるからといって、一般市民法秩序に反し得ないというわけである。ただし一般的には「反社会的」などというレッテル貼りは基準が明確でなく要注意である。
(2) 「牧会活動としての犯人蔵匿事件」神戸簡裁昭50.2.20
バリケード封鎖に失敗し建造物侵入等の罪に問われて逃走していた「反戦高校生」に牧師として牧会活動を行い教会にかくまった行為が犯人蔵匿にあたるとして起訴された事件。裁判所は牧会は「信教の自由」のうち礼拝の自由にいう礼拝の一内容をなしその制約は最大限に慎重な配慮を必要とするとした。そして、「社会的大局的に比較考量によって判定し」「全体として、正当な業務行為として罪にならない」と判示した。(本文参照)日本では牧会活動はまだポピュラーではなく、正当業務行為と認知されていない、この事件の場合あえて宗教を持ち出さないで単に可罰的違法性がないとしたほうがよいとの批判もある。
(3)「日曜日裁判」東京地裁昭61.3.20
公立小学校の日曜参観授業を、教会学校に行くために欠席し指導要録に欠席の記載をされた原告の子らが、欠席記載の取り消しと損害賠償を求めた事件。これは今回のケースと同質の問題を含んでいる。しかし、東京地裁は入り口ので欠席記載は単なる事実行為であるとして行政処分にはあたらないとした。また「宗教行為に参加する児童について出席を免除するということでは、宗教上の理由によって授業日に際を生じることになって、公教育が失うところは少なくない」「本件授業が原告に不利益を与えたとしても違憲・違法となるものではない」と判示するなど、原告側に冷たい判断を示している。学説では高柳が「代替の余地もあったのにあえて強行したのは違憲」としているが大勢はやはり主張はわかるが、不利益が小さく違憲とまではいい難いといったところであろう。芹沢は立法論としてこうした日曜日の振り替えは正規の授業日としないことを提唱している。さらに立法論を進めれば、子どもの権利条約ともからんで、理由を問わない「有給休暇」類似制度を生徒に与えることも真剣に検討されてよいだろう。
(4)イスラムのスカーフ事件
1989年フランスの公立中学でイスラムの女子生徒がイスラムの標章であるスカーフ(チャドル事件としている論文もあるがスカーフが正しいようである)を、学校側の禁止にもかかわらず着用しつづけ出席停止とされた事例。政府の諮問をうけてコンセイユ・デタは「特定の宗教の標章の着用それ自体はライシテ(政教分離)の原則とは抵触しない」という意見を示した。その後1992年に宗教的標章を一般的に禁止する校則の取り消しを認めた判決も出た。ただし諮問意見は様態によっては抵触することもありうることを含意しておりその限界はやはり微妙である。またスイスでは1993年に最高裁が宗教上の理由から水泳の授業を拒否したイスラムの女生徒の訴えを認める判決を出している。
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