◆199710KHK174A1L0149A
TITLE:  室井講演を聞いて  公教育否定する「中教審」答申(他)
AUTHOR: 朝倉 達夫
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第174号(1997年10月)
WORDS:  全40字×149行

 

公教育否定する「中教審」答申

 

朝 倉 達 夫

 

  9月月例会では、本会顧問である室井修先生に「中教審第2次答申の問題点」についてご講演いただいた。

  はじめに今次答申にいたる経緯をお話しいただいた後、「教育改革」の基本的な柱が、「公教育費の削減」「学校のスリム化」「学校選択と複線化」「通学区の弾力化」にあることを明らかにしていただいた。その上で今次答申の目玉のように流布されている中高一貫教育制度の中身と問題点をご説明いただいた。

  私が特に関心を持ったのは、「中高一貫」や、「飛び級入学制度」「受験競争の緩和」という名目での選抜方法の変更、「能力・適性に応じた教育」という一見舌ざわりのよい、答申内容も、要は近い将来予想される国の財政危機に対応した、「公教育費の削減」にあるということである。そういう観点で今次答申を改めて見ると、経済同友会の「学校から『合校』へ」にしろ、定時制高校の閉校にしろ、すべてはこの一点に集約できる。「飛級制度」や「受験機会、内容の多様化」が結局は国家政策上の観点から提起されていることがわかる。憲法・教育基本法が示す「能力・適性に応じた教育」の解釈がゆがめられ、「競争原理」を社会のすべてに適用しようとする「新自由主義」の考えを公教育にも及ぼそうとするところから来たものではないか。室井先生もご指摘されていたように憲法26条の「能力に応じた適正な教育」を「すべての国民はその能力に応じた手だてを国家行政によって保障される権利がある」ととらえるならば、今次答申の目的はこれと真っ向から対立するものといわなければならない。この答申が現実のものになるとき、社会的弱者をはじめ、結局国民全体の公教育を受ける権利は否定され、受益者負担主義といった競争原理がまかり通るという教育環境が現出しないかと憂慮するのである。

 

 

 

問題の多い公立中高一貫教育の選択的導入

伊 藤 靖 幸

  一昨年の平原先生の講演に引き続き、またしても感想文を書くことになった。生徒には簡単に感想文を書かせるが、書く側に回るとたいへんで、またまたほんとうに断片的な感想を述べさせてもらう。

  室井先生のお話しを聞きながら、私は、もう10年以上も前になるが、納教諭の強制異動の人事委員会提訴の時にお世話になったことを思い出していた。実は、専門家の立場で強制異動の不当性について証言書を書いてもらおうと、納教諭やT弁護士らとともに和歌山大学の先生の研究室を訪ねた事があるのである。忙しい中、先生は私達の話をきさくに聞いてくださり、その後この事件を題材にした論文を関西教育行政学会に発表していただいたのだった。象牙の塔に閉じこもるのではなく、研究者として誠実に社会の問題に関わろうという先生の姿勢に頭が下がる。大阪高法研の顧問を引き受けてくださっているのも、先生のそうした姿勢の現われだろう。

  今回の講演では、「教育改革」の柱のひとつである「複線化」が横の複線化のみならず縦の複線化・多様化まで進んでいるという指摘が印象に残った。公立中高一貫校の選択的導入は、まさに縦の複線化の問題である。この問題について藤田英典「教育改革」(岩波新書)が、学校格差の問題を中学段階にまで拡大し受験競争の低年齢化をまねく等々の具体的な問題点を厳しく指摘している。私としては、単純にこの段階の生徒にとって6年はあまりに長いのではないかと考えている。ただもちろん、中高一貫したカリキュラムへの改革、中高連携は進める必要があると思う。とりとめもなくここまで考えたところで、96年10月に施行された大阪府の個人情報保護条例に関して、従来の中高連携の方法の一部が生徒のプライバシー権の観点から再検討されている問題に思いいたり、もう講演会の終わりに近い時間帯にその旨の発言を行なった。府個人情報保護条例と学校の問題については、ぜひ良井会員に報告をお願いしたいと思っている。

 

 

 

「生きる力」を評価する入学者選抜?

羽 山 健 一

  第二次答申は、「大学入学者選抜の改善」に関して、「これからの教育が、自ら学び、自ら考える力などの[生きる力]という全人格的な力をはぐくむことを目指していることを踏まえ」大学入学者選抜の在り方を見直す、ということを求めている。これは、小中高等学校の学習指導要領に示された「新しい学力観」を大学入試に導入することによって、学習指導要領による教育を完成させることをねらったものであろう。初等中等教育の改革を徹底させるために、大学入試を改革するというのは当然のなりゆきといえよう。

  しかし、もともと「生きる力」によって人を評価したり、選抜したりすることが可能であろうか。この「生きる力」は答申の中で様々に説明されているが、つまるところ、幅広い全人格的な力のことである。たとえば、教育基本法は「人格の完成」をめざして教育を行うべきことを定めているが、この「人格」によって人を評価したり選抜することはできないし、また、するべきではないと考えられる。これと同じように、仮に、「生きる力」をめざして教育が行われることが望ましいとしても、「生きる力」によって各教科の評価が行われ、ひいては大学入学者の選抜が行われることは、決して望ましいとは考えられない。現在の「学力試験偏重」の入学者選抜から、将来、答申の描くような総合的・多面的な選抜が実現したとき、その入試で不合格になった生徒たちは、「生きる力」の劣る人間という評価を下されたことになる。このように答申のめざす改善とは、室井先生がいわれたように、「新しい学力観」のはらむ問題性・矛盾をいっそう拡大するものであろう。

 

 

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■ 室井講演 レジュメ (1997/9/20)

 

中教審第二次答申(1997.6.26)の問題点

室 井   修


1.答申の経緯と内容
   '95.4 文部大臣諮問
   '96.7 第一次答申
   '97.6 第二次答申
     (「一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善」諮問に対して)
 

2.「教育改革」基本的な柱
1) 公教育費の削減
    財政構造改革会議最終報告(97.6)、6次学級定数計画延期
    受益者負担の拡大、補助金削減、民営化等
2) 「学校スリム化」
3) 学校選択と「複線化」(「横の多様化・複線化」「縦の多様化・複線化」)
4) 「通学区域の弾力化」
 

3.公立中高一貫教育制度導入について

A 提案内容
1) 過去の中高一貫教育の検討・提言
2) 中高一貫教育の利点と問題点
3) 中高一貫教育の選択的導入
4) 中高一貫教育導入の具体的な在り方
 
B 問題点
1) 受験エリート校 生じさせる可能性大
2) 選抜方法の工夫で可能か、改善できるか
    宮崎県立五ヶ瀬中高一貫校の場合
3) 「複線化」・・社会的格差の拡大
    権利としての教育の保障 どうなるか
4) 中高一貫校提言への反応・対案
  (1) 全日本中学校長会 教育課題検討専門委員会報告('96.4)
  (2) 中部経済連合会 '97.4 提言
  (3) 教職員組合等
  (4) 各県教育行政当局
  (5) 学会等
@すべての中学を選抜なしに高校と連結させる
(希望者全入、小学区制・総合選抜制、高校選抜廃止)
A高校段階に入って生徒の進路・能力の特性に応じた多様なコース・
 カリキュラム設置とその選択.2〜3年かけて主体的に進路を選択し
 ていく教育のプロセスとして位置づける
Bかかる連続性の中で現在の中学と高校のカリキュラムの重複・不連
 続の根本的な改善.中高一貫のカリキュラム改革推進
C教育条件整備の保障が不可欠(人的物的保障、研修権等)
D学区制に参加する私立高校への大幅国庫補助
 

4.「教育上の例外措置」(大学への飛び入学制度)について
教育上の例外措置として、物理・数学で「稀有な才能を有する」高校
生は17歳で大学に入れる、いわゆる「飛び入学」を提起
当該関係研究者、日本数学会の意見
 

5.入試と競争の緩和について
過度の受験競争の緩和を図る観点から、大学・高校入試の選抜方法・
尺度の多様化の推進などを提言
 
 競争問題を「画一的な競争」問題に矮小化、競争の「緩和」より
「個性化」即ち「個性に応じた」競争、競争の個性化を中心にすえる?
 
 今日の入試選抜制度の根本的矛盾を明らかにせず、優秀な人材をど
う選抜するかの観点を主に、競争選抜制度の手直し?
→中高一貫校、
学校制度の複線化、飛び入学等
 
 画一的な受験学力による選抜→「生きる力」全体を掌握できる基準
による選抜.「新学力観」の問題性の一層の拡大
 
 上記競争の本格的な緩和
(1) 3-B-(5)の提起
(2) 高等教育を生涯学習時代にふさわしい形ですべての青年・
  成人に開く.大学教育じたいの改革を小手先の入試制度
  の手直しのみでよいのか.


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