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◆200002KHK188A3L0285E TITLE: 子どもの権利条約の国内実施と在日朝鮮人教育 AUTHOR: 伊藤 靖幸 SOURCE: 青鶴12号(2000年2月) WORDS: 全40字×行
伊 藤 靖 幸
子どもの権利条約の批准・発効から早くも5年が経過した。この間、1996年に日本政府の報告書が提出され、1998年には日本政府報告書の審査が行なわれて、子どもの権利委員会の総括所見が発表されている。これで本条約が国内で実施されていく過程の1サイクルが終了したことになる。本稿の課題は、子どもの権利条約の視点で在日朝鮮人教育の問題を考え、併せてこの時点で、本条約等の国際人権法が国内で実施されるにあたっての問題点を振り返ってみたい。このテーマを追求することで、在日朝鮮人教育の問題の法的考察においても、子どもの権利条約等の国際人権法の国内実施の問題においても新しい展望が開けてくると考える。尹健次は「在日朝鮮人は日本国憲法・教育基本法の保障する基本的人権の枠外に位置付けられ、反体制の『国民教育論』からも見捨てられた存在」と鋭く指摘している。これに対し憲法学者の浦田賢治は憲法規範論の視点から在日朝鮮人は憲法・教基法の枠外ではないとする。しかし、実際に憲法・教基法等に在日朝鮮人に関する権利についての記述は皆無であり、浦田の立場は理解できるものの、どうしてそう言えるかについては必ずしも説得的ではない。ここでいわば補助線として子どもの権利条約等の国際人権法を援用すれば、無理なく在日朝鮮人の権利が憲法・教基法の枠内であるという解釈を導くことができると考えられるのである。
また、このように国内法に対応する条文がないという事情は、実は国際人権法の国内での実施の問題においてもたいへん重要な意味を持つ。わが国ではこれまで国際人権法が国内の裁判所で直接適用されることが極めて少なかった。このことについては条約のself-executing性の問題等の理由があげられているが、判決を下す立場として、国内法と国際人権法がともに援用できるのであれば、あえて前例の少ない国際人権法の援用には踏み切らないという事情も存在する。それだけに、国内法では対応する条文がないこのような事例こそ国際人権法の国内適用の最先端とならなければならないと考えられるわけである。
本稿で言う在日朝鮮人は、外国籍である朝鮮籍・韓国籍の人々に加え、日本籍である人々を含んだ広い概念である。また紙数の都合上、注は省略したことを付記しておく。
1)国際人権法の国内効力をめぐって
日本国憲法98条2項の解釈として、わが国では批准された条約等はそのまま国内効力を持つ。また条約の国内法としての効力は法律に優先している。問題となるのは憲法と条約の効力関係である。当初は条約優位説も有力であったが安保条約論争を契機に、条約優位説をとれば実質的に簡便な手続きで改憲が可能となる事情が意識されるようになり憲法優位説が主流となった。近年、子どもの権利条約のような多くの国が批准した人権条約には憲法に優先する効力を認めるべきであるとする国際人権法優位説も見られる。国内の人権水準の改善のためには、国際人権法優位説の立場は魅力的ではあるが、具体的にどの条約のどの部分が憲法に優位するのかという区分は容易ではないだろうし、佐藤幸治が指摘するように「国際人権」の内容もまだ漠然曖昧な部分が多く、安易に憲法に優位する地位を認めるのは問題があると考える。やはり憲法優位説の範囲内で国際人権法には憲法に準ずる効力を認める立場が穏当であろう。そして、後述の「間接適用」の方法等を用いれば、憲法優位説の範囲の中で国際人権法優位説の立場のねらいもほぼ達することができるのである。
このように、国際人権法は国内で法律に優位する強い効力を持っているのであるが、実際には、国際人権法が国内の裁判所で直接適用される例はこれまでは少なかった。このことは後述の子どもの権利委員会の総括所見でも問題にされている。直接適用にあたっての問題点の第一は、self-executing性の問題である。一般にself-executingでない条約規定は直接適用できないとされているのである。しかし、岩澤雄司はself-executingであるかないかを機械的に二分し、self-executingでない条約規定は国内効力がないとする従来の議論を批判している。彼によれば、批准された条約には国内効力が存在することが前提なのであり、具体的な訴訟の方法によって当該の条約規定がself-executingかどうかを検討し、もしself-executingでなければその他の効力(間接適用等)を考えるべきだとする。政府もB規約の第4回報告書において、条約の規定を直接適用し得るか否かについては、当該規定の目的、内容及び文言等を勘案し、具体的場合に応じて判断すべきものとして、岩澤に近い見解を示している。むしろ問題なのは、日本政府がB規約や子どもの権利条約の人権保障の範囲が憲法以下の国内法のそれと基本的に一致していると捉えている事である。確かに、国際人権法と憲法等の内容が一致するのであれば、国際人権法を直接適用する意味は薄いが、本稿で考察するマイノリティの権利やアイデンティティ保持の権利等にしても、憲法や国内法に対応する条文を見いだすことはできないのである。加えて、裁判官自身が国際人権法に不慣れであるという事情も存在する。実際、B規約の第4回報告書への総括所見で、規約人権委員会は日本政府に対し、裁判官等に規約上の人権を研修させるように勧告しているのである。
ともあれ裁判所が直接適用に消極的な情況では、直接適用に加えて間接適用の方向も考えられるべきである。間接適用とは、国際人権法を憲法等の国内法規の解釈基準として援用することである。間接適用ではself-executing性の問題を回避することができ、裁判所にとっても抵抗の少ない方法であると考えられる。97年3月の二風谷ダム事件札幌地裁判決(判時1598)はB規約27条を直接適用も間接適用もしている画期的な判決であり、注目に値する。同判決はアイヌ民族に少数民族としての文化享有権があるとB規約27条を直接適用する一方で、少数民族にとって文化享有権は「自己の人格的生存に必要な権利ともいいうる重要な権利」であるとして民族固有の文化の享有は憲法13条で保障されているとする。この判決の憲法13条解釈はB規約27条を憲法13条に間接適用したものと解される。まさに憲法では全く触れられていない「マイノリティ」の権利を国際人権法を間接適用することで導きだしたものなのである。この判決はアイヌに関するものであるがこの部分は先住民性によらず少数民族一般に適用できる構成となっている。したがってこの判決の射程は在日朝鮮人教育についても及ぶであろう。
2)報告制度について
子どもの権利条約等の国際人権法の実施を検証する制度として報告制度がある。報告制度は国際人権法のもっとも一般的な実施措置であり、条約の締約国が権利の実現のためにとった措置等を子どもの権利委員会(B規約の場合規約人権委員会)に提出し、その報告をもとに委員会と政府代表が「建設的対話」を行い、条約の実施情況を審査するといったものである。委員会はその審査を踏まえて、改善すべき点等について総括所見を発表する。この総括所見に法的拘束力があるわけではないが、この所見の内容が当該国の施策に反映されていくことによって国際人権法の内容が実現されていくシステムとなっているわけである。たまたま1998年は子どもの権利条約とB規約の日本政府報告書の審査が行なわれており、それぞれの総括所見が発表されている。われわれとしてもこうした総括所見の内容の実現を政府に求めていくことが必要である。
ここでは子どもの権利条約の中で、在日朝鮮人教育の観点で重要と考えられる条文を3点にしぼって簡単に解説してみたい。
1)マイノリティの権利
第1点は条約30条のマイノリティの権利である。外国籍の在日朝鮮人が条約にいうマイノリティに含まれるかは、B規約27条をめぐって議論されてきた。日本政府は在日朝鮮人は外国籍なのでマイノリティに含まれないという立場をくずしていないが、後述するように、規約人権委員会はこの点で明確に日本政府を批判しており、在日朝鮮人は日本籍の部分も外国籍の部分もB規約27条や子どもの権利条約30条のマイノリティに含まれる事は今や明白であると考える。
在日朝鮮人を対象とする民族学校は、学校教育法の適用の上で2つに分けられる。通常の学校と同じく1条が適用されるいわゆる一条校である民族学校(大阪の韓国計系の2学園だけである)と、各種学校と同じ83条が適用される大部分の民族学校とである。圧倒的多数の民族学校が一条校でないということで、高校や大学の受験資格が認められなかったり、国や地方自治体の補助金が受けられないあるいは少ないといった問題を抱えている。一方で、一条校である民族学校は学習指導要領に拘束されるため、十分に民族の言葉や歴史を勉強する時間がとれない情況に悩んでいる。学習指導要領の法的性格はかねてから議論があるところだが、根拠規定が学校教育法施行規則であるからその効力が法律を上回る事がないことは自明である。また、条約の国内効力が法律より上位である事はすでに確認した。したがって、本条約30条で要請される在日朝鮮人教育については、学校教育法も学習指導要領もそれと適応するように解釈される必要がある。朝鮮学校系の民族学校は、一条校になることではなくて、83条の位置付けのままで一条校に準ずる処遇を求めている。また、一条校である民族学校の方は学習指導要領の弾力的運用ができるように求めていると考えられる。両方とも現行の法制では、一見不可能な要求であるように思われるが、本条約30条を適用することで十分成り立つと考えられる。
民族学校に通う在日朝鮮人はしかしながら一部分にすぎない。圧倒的に多数の在日朝鮮人は日本の学校に通っている。したがって、日本の学校での在日朝鮮人教育の充実が本条約30条のマイノリティの権利を実現する上で大きな課題となる。とりわけ、「日本籍朝鮮人」の教育の重要性を強調しておきたい。例え本条約やB規約のマイノリティには外国籍のものは含まれないという政府の解釈に従ったとしても、日本籍朝鮮人はまぎれもなくアイヌと同様にマイノリテイなのである。しかしながら、従来は教育の場で日本籍朝鮮人の問題が意識されることはほとんどなかった。今後、日本籍朝鮮人の数は増加していくとみられ、30条や後述の29条c)の趣旨にそった教育の実践が望まれる。
2)第29条「教育の目的」c)
この項は「児童の父母、児童の文化的同一性(identity)、言語及び価値観、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重」の育成を指摘している。波多野里望らは、国旗・国歌の指導は日本人生徒にとって日本が居住国であり出身国であるので本項の要請であると主張する。しかしこうした理解は本項の意味をまったくとりちがえている。本項の原型となったのは、1985年のアルジェリア案である。このアルジェリア案は自国が植民地支配下にあった経験に照らし、「植民地、人種差別政権支配下にある子どもも文化的民族的アイデンティティを奪われてはならない」こと、そのために自己と異なった文明や基本的人権を尊重しあう教育を求めたものなのである。したがって、この項がめざしているのは、かつてわが国が朝鮮人等に行なった「皇民化教育」の類いの同化主義教育の否定と考えられ、排他的な愛国心をかりたてるような「日の丸・君が代」の教育現場への強制は本項の趣旨の対極にあると解される。本項は、在日朝鮮人を初めとする、外国籍や日本籍である異文化を持つ子どもが、自らのアイデンティティを保持し(次に述べる8条の権利と関連する)、異なった文化を尊重しあうような教育、つまり国際理解教育を要請しているとみられるのである。本条約の30条で根拠づけられる在日朝鮮人教育は本項の趣旨に沿って発展されるべきであろう。
日本政府は本項の趣旨を正しく受けとめるいるだろうか。政府報告書で本項に関わるのは、「外国人児童の教育」と題する231 パラグラフだけである。そこではまず、「我が国の場合学校教育法に規定する『学校』で学ぶ外国人児童は基本的に日本人子弟と同様の教育がなされている」とある。もちろん「日本人子弟と同様の教育」の保障は重要な課題ではあるが、この面だけを主張することは皇民化教育の立場とかわりはなく29条c)の趣旨を理解していないことになる。実はこの文言は在日朝鮮人教育についての1965年の文部事務次官通達に由来すると考えられる。この時、朝鮮人学校を認めない通達が出される一方で、「学校教育法第1条に規定する学校に在籍する朝鮮人の教育については、日本人子弟と同様に取り扱うものとし、教育課程の編成・実施について特別の取り扱いをすべきではない」という通達が出されているのである。つまり政府報告書の趣旨は日本の学校に在籍する在日朝鮮人など外国人の生徒には日本人と同様の教育が行なわれ、かつそれで十分であって、民族教育のような特別な手立てはしてはならないという考え方なのである。本条約やB規約の批准にもかかわらず、政府の考え方は30数年前の通達から変化していないのである。政府報告の231 は「課外において、外国人児童に対し当該国の言葉や文化を学習する機会を提供することは従来から差し支えないこととされており、実際にも幾つかの地方公共団体においてそのような学習機会が提供されている。」という文で終わっている。これは明らかに在日朝鮮人の民族学級を指していると考えられる。この民族学級のような実践こそ、29条c)の趣旨にふさわしいものであるにもかかわらず、政府報告が「差し支えない」という消極的な表現になっていることについても、1948年の朝鮮人学校についての文部省学校教育局長通達の影響が見てとれる。この通達では、在日朝鮮人も日本の学校に就学義務があるとした上で、日本の学校での民族教育の実施の要求に対して、「朝鮮語等の教育を課外に行なうことは差し支えない」としていたのである。政府の立場としては民族教育のようなものは全面的に禁止したいのであるが、強い要求があるので、課外にする分は「差し支えない」としたと考えられる。こういう民族教育についての政府の消極的な姿勢が、なんと半世紀の時を越えて政府報告書に反映しているのである。こうした事情を知悉している日本政府が、具体的に「朝鮮人教育」にも「民族学級」にも言及していないことはいかにも不自然である。ともあれ、日本の学校で日本と深い関わりのある朝鮮の文化や言語を学習することは、ひとり在日朝鮮人の子どものためばかりでなく、日本人の子どもにとっても29条c)の趣旨にかなうものであり有益である。政府・文部省は29条c)の趣旨に従い民族学級への従来の及び腰の対応を改め、正規のカリキュラムの中での取り組みを進めるべきであろう。
3)第8条「アイデンティティ保全の権利」
この条文は子どもの権利条約に初めて見られたもので、成立過程からしてもその内容は必ずしも明確ではない。しかし、条文中にある国籍・名前・家族関係がアイデンティティの内容に含まれることは最低限疑いを入れない。このアイデンティティは公定訳では「身元関係事項」とされている。同じアイデンティティが上の29条c)では文化的同一性と訳されており訳語の面からもアンバランスであり問題が多い。金東勲はこの8条のアイデンティティには、韓国・朝鮮人、あるいはアイヌの人達のようなマイノリティがその民族的なアイデンティティ(同一性)を維持するという場合を含むと指摘している。29条のアイデンティティは成立過程からして民族的アイデンティティを含んでいることは上で述べたとおりである。したがって、8条についての金東勲の解釈も正当であると考えられる。こういう立場からすれば公定訳の「身元関係事項」はいかにも偏狭である。やはりアイデンティティか文化的同一性とすべきであろう。
さて、在日朝鮮人にとって、8条の内容である国籍・名前はいずれもまさしくアイデンティティにかかわる大問題である。周知のように在日朝鮮人はサンフランシスコ講和条約が発効する直前の一辺の通達によって一律に日本国籍を失うこととなった。この国籍の処理は判例で追認され、学説の多くもこれを承認しているが、大沼保昭によるラディカルな批判がある。彼は、戸籍を基準として朝鮮人の日本国籍を喪失させたこの通達はサンフランシスコ条約の執行という意味を持たないから、法律より下位の法形式による国籍処理として憲法10条違反であり無効であると主張している。本条約8条の権利の精神からすれば、在日朝鮮人等の国籍処理はやはり問題があったと考えられる。この点で在日朝鮮人の国籍問題の解決策として奥田安広の提言が興味深い。彼は特例法と韓国政府との協定によって、在日朝鮮人が日本国籍を取得し韓国政府が重国籍を認めるという内容を提案している。在日朝鮮人への日本国籍付与の提案は従来もあったが、奥田案は「帰化」ではなく、特例法と協定による点また重国籍を容認している点に特徴がある。また、現行の国籍法は重国籍を防ぐ目的で、重国籍者にどちらかの国籍を選択させる国籍選択制度を定めているが、本条約8条の趣旨からすればこの制度は問題があると考えられる。一般に在日朝鮮人にとって重国籍の立場は、国政選挙権を含む完全な市民権を保ちつつ、朝鮮に対するアイデンティティも保ち続けられるというメリットがあり真剣な検討が必要であろう。
アイデンティティとしての名前の問題も在日朝鮮人にとって大問題である。かつての創氏改名政策は不法にアイデンティティを奪うものであり、現時点で評価すれば明白に本条約8条に違反するものである。本人の意志に反して名前が日本語読みで放送されたことにつき、NHKを訴えた崔牧師の日本語読み訴訟や、日本籍となった在日朝鮮人が民族名を取り戻した朴実氏や鄭良二氏の訴訟は、8条のアイデンティティ保持の権利に関わる先駆的な事例であるといえよう。しかし、在日朝鮮人の名前についての最大の問題は、現在も在日朝鮮人の多くが日本的な通称を使用していることである。大阪府立外教の1994年の調査では、本名使用率はわずか12%である。もちろんこの問題は、在日朝鮮人の問題というよりは、日本社会のありかたに関わる問題である。ここでも重要な解決の手段は本条約8条や29条の趣旨を踏まえた教育の充実であると考えられる。この点で、4で触れる大阪府の動向が参考になるだろう。
ここでは、C主要な懸念事項の中で主として在日朝鮮人教育に関わって注目すべきポイントを見ておこう。
まず、総括所見の7が子どもの権利条約が国内法に優位し、かつ国内裁判所で援用できるのに実際には、裁判所が国際人権条約一般および子どもの権利条約を直接適用していない問題を指摘している。総括所見29では次回の政府報告において具体的に、子どもの権利条約や他の人権条約が国内の裁判所で援用された事例について報告するように勧告を行なっている。裁判所及び政府の今後の対応が注目されるところである。審査の過程においては、在日朝鮮人等のマイノリティの問題に関心が集まり、多くの時間が割かれた。その結果として、総括所見の13や35でマイノリティへの差別について言及されている。「高等教育機関へのアクセスの不平等」という表現で、民族学校の卒業生に国立大学が門戸を閉ざしている問題が指摘されている。また、総括所見の23・44では条約29条にしたがった系統的な人権教育が学校のカリキュラムに入っていないと指摘され、その改善が勧告されている。この点で、後述する大阪府の「人権教育基本方針」はこの勧告の趣旨を具体化したものとして評価することができるだろう。新学習指導要領の目玉の一つとして総合的学習が喧伝されているが、われわれ現場の人間としては、例えばこの総合的学習の内容として、この勧告の趣旨を生かした人権教育を構想していく必要があるだろう。在日朝鮮人教育以外の課題についても「競争が激しい教育制度のストレス」を指摘する総括所見22や体罰やいじめの問題に触れた総括所見24等、わが国の教育の問題点を鋭くついた指摘があり参考にされるべきである。
1998年にはB規約の日本政府第4回報告書の審査も行なわれている。規約人権委員会も主要な懸念事項で、在日朝鮮人教育等の問題に触れている。とりわけ、B規約27条のマイノリティの権利に関して、委員会は一般的意見23(1994)をあげて日本政府の注意を喚起している。実はB規約の日本政府の第1回報告書(1980)では「わが国にはマイノリティは存在しない」として、アイヌも在日朝鮮人もマイノリティではないという立場をとっていたのである。内外の批判をうけてようやく第3回報告書で「アイヌはマイノリテイであるとして差し支えない」とされたが、在日朝鮮人は日本国民ではないのでB規約27条のマイノリティには含まれないとしていた。このような日本政府の立場は委員会の第3回報告書へのコメントでも問題とされていたが、4回目も同じ点が指摘されたわけである。外国籍のものは27条のマイノリティに含まれないという解釈も存在するのは事実であり、日本政府だけの極めて特殊な見解であるというわけではない。しかし、この点について委員会は1986年の一般的意見15「規約における外国人の地位」で外国人も27条の対象でありうることを示唆しており、さらに1994年の一般的意見23「27条について」では明確に27条のマイノリティに属する個人は国民・市民であることを必要とされないし、永住者である必要もないとしたのである。こうした委員会の立場からすれば、外国籍の在日朝鮮人もマイノリティに含まれるとするのが正当であろう。委員会はかたくなに在日朝鮮人はマイノリテイでないとする日本政府に対し、一般的意見23をよく読んで見解を改めよと指摘しているのである。子どもの権利条約の30条については今のところ一般的意見は出されていないが、子どもの権利条約30条はB規約の27条とほとんど同一の内容であるので、B規約27条をめぐるこうした議論はそのまま子どもの権利条約30条のマイノリティにもあてはまると考えられる。
大阪府では、1998年の3月に10年ぶりに「在日韓国・朝鮮人問題に関する指導の指針」を改訂した。この新指針では、「本名を使用する事はアイデンティティの確立にかかわることがら」として、本名を名のる指導方針を明確化した。1988年制定の従来の指針では本文では名前についての言及はなく、解説の文でとりあげていただけであった。今回の改訂は上述の子どもの権利条約8条の趣旨に沿うものと評価できるだろう。
また、大阪府教委は1998年3月に人権教育基本方針・人権教育推進プランを発表した。この人権教育基本方針では、最初に国際人権規約・子どもの権利条約・人権教育の国連10年に言及しており、冊子の資料に子どもの権利条約(表記も「児童の「「」ではない)を添付している等、国際人権に関する配慮が行きとどいている。人権教育推進プランの方では、「子どもの権利条約を踏まえ、校則を見直すなど子どもの自覚と自立を促すことを基本として」「いかなる場合も体罰が許されるものではない」等、行政の文書としてはかなり踏み込んだ表現も見られる。「行き過ぎた受験競争等の影響により過度のストレスにさらされ」とある点などは子どもの権利委員会の総括所見の直接的な影響と見られる。在日外国人の子どもの教育に関しては、「異なる文化・習慣・価値観をもった人々がそれぞれのアイデンティティーを保ちながら共に生きる社会の実現」といった方針を示しているが、これは本条約29条のc)の方向にそった内容であると評価できる。また、「在日外国人の子どもが本名を使用することは、本人のアイデンティティーの確立にかかわる事柄」であるとしている点は上述の在日朝鮮人教育指針の改訂の方向性と同じく、国の方針や従来の府の方針より一歩進めたものであり、私としては積極的に評価しておきたい。
文部省は1999年の7月8日に大検受験の資格を緩和する方針を発表した。この結果、現在国立大学の受験のために、定時制や通信制高校との不合理な二重在籍を強いられている朝鮮高級学校等の生徒が、直接に大検受験資格を得られる事になる。これは高卒資格が認められたのではなく、大検の受験資格が得られるだけである。したがって、一歩前進に違いはないが根本的な解決ではない。しかしこの方針変更の背景には、上述した1998年の2つの国際機関からの指摘があることが見てとれる。おそらく次回の子どもの権利条約とB規約の政府報告ではこの方針変更が記述されるであろう。したがって、この方針変更自体は不十分なものではあるが、国際人権法システムの影響による方針変更である点で意義が大きいと考えられる。上述のアイヌの場合においても、B規約の報告制度によるやりとりの結果、政府の方針が変化してきている。また大阪府にみられるように、一部自治体では政府よりも積極的に国際人権法の内容を具体化する試みも行なわれている。したがって長い眼で見れば、今後このような国際人権法システムの活用によって在日朝鮮人教育の情況も変化していくであろう。
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