大阪教育法研究会 | | Top page | Back | |
◆200004KHK189A1L0258AP TITLE: 学校改革を成功させるために今求められること AUTHOR: 原田 琢也 SOURCE: 大阪高法研ニュース 第189号(2000年4月) WORDS: 全40字×258行
原 田 琢 也
現在は「第三の教育改革」の仕上げの時期だと言われる[*1]。矢継ぎ早に新しい教育政策が生み出され,それらが学校現場に次々に降ろされる。さらにそれらの改革を後押しすべく,「指導力不足教員」の排除が進行している。学校現場はそれらの対応に翻弄され,教師は疲弊してきている。学校現場に身を置くものとして,現在の教育改革を肯定的に評価することはできない。
しかし,現在の学校が変わらねばならないことも確かだ。学校が社会の不平等や差別的な構造を再生産していることは,多くの研究が明らかにしてきたところであり,また,いじめ,学級崩壊,校内暴力,不登校など,学校を取り巻く諸問題の中で,多くの人々が苦しんでいることも事実なのである。
本研究では,まず,「指導力不足教員」のカテゴリー化の過程を追い,教師のスケープゴーティングが進行している状況を描出する。そして次に,私が関わったA中学校におけるティーム・ティーチング(TT)による授業改革の取組を紹介し,そこから現在の教育改革,とりわけ学校における実践レベルの改革に,今何が求められているのかを明らかにさせたい。
(1)「指導力不足教員」の誕生
1998年3月3日の朝日新聞夕刊は,東京都が16人の教師を「指導力不足教員」に認定したことを報じた。私の記憶では,「指導力不足教員」という言葉が,このようにフォーマルな形で教育政策の前面に打ち出されたのは,これが初めてである。この政策によって,「指導力不足教員」というカテゴリーが,新たに作り出されたことになる。
多くの人々はこう考えるかもしれない。問題は判定基準の曖昧さにあるのだ。客観的な判定基準をつくり,絶対的に評価すれば問題はないだろう。実際に,文部省は,そういう方向で動き出した(朝日新聞1999年9月3日)。ここでは判断基準作成の意図は,たとえば「『子どもとまともにコミュニケーションがとれない』『暴力を繰り返す』といった問題が起きた時に適切に対処するため」だと説明されている。だが,後者について言えば,いちいち「指導力不足教員」を持ち出さなくても,従来の制度の中でも,十分に対応可能である。前者については,その判断基準はかなり曖昧で恣意的なものとならざるを得えない。
(2)学級崩壊も「指導力不足教員」が原因か?
文部省は,1998年の11月に「学級崩壊」の実態調査に乗り出す方針を打ち出している(朝日新聞1999年11月15日)。そして,その調査の中間報告(代表者 吉田茂 国立教育研究所所長)が,翌年の9月に発表されている。
その時の京都新聞の見出しは,「『教師の指導力不足』7割」であった(京都新聞1999年9月14日)。「指導力不足」という言葉が前面に押し出され,あたかも「学級崩壊」の主要な原因が,教師の「指導力不足」にあるかのような印象を与えるものとなっている。記事をよく読めば分かるように,文部省から研究委託を受けた「学級経営研究会」の調査結果は,調査対象の102例中74例,つまり73%が,「教師の指導力不足」をその原因の一つとしていると言っている。調査結果は,102例の学級を10のケースに分類しているのだが,それぞれのケースに割り振りされた学級数を全て加算してみれば,322学級にも及ぶのである。つまり,「教師の指導力不足」は,74の学級において,平均三つ以上ある要因の一つにすぎなかったということなのである。従って,「学級崩壊」の全てのケースの7割が,「教師の指導力不足」にだけ起因しているかのような印象を与えるこの見出しのつけ方は,人々を誤認に陥れるものであり,現場の教師に対しては暴力的なものと感じられるのである。
私は,「中間報告」そのものにも,大きな問題が隠されていると思っている。問題は,データそのものではなく,データの解釈である。調査結果は,サンプル学級を10のケースに類型化している。そのうちのケース7が,「教師の学級経営が柔軟性を欠いている事例」であり,「教師の指導力不足による」と判断されたケースである。「教師の学級経営が柔軟性を欠いている」ということが,多くの「学級崩壊」の原因となっていたということは事実だとしても,なぜそのことが,「教師の指導力不足」によるものだと,いとも簡単に結びつけられてしまうのか。学校内部は一つの共同体になっており,教師は様々な関係性の中でしか職務を遂行することができないのである。教師の実践は,個人としての教師の能力や理念を忠実に反映しているわけではない。学校外部から学校内部に持ち込まれる様々な圧力と,学校内部にある生徒の抵抗との狭間で,常に揺れ動きながら,なんとかぎりぎりの線を突いて打ち出されていくものなのである。難局に直面しているとき,それがその場で取り得る最善の策である判断したならば,教育の理念から多少はずれることであっても,勇気を持ってそれを実践に移していくことが,現場の教師には求められるのである。
「指導力不足教員」をめぐる新聞報道の推移を見てきた。それは,「指導力不足教員」というカテゴリーが新たに生み出され,精緻化され,そのテリトリーが拡大されていく過程であった。今後この流れは加速度的に進んでいくように思われる。学校現場の管理・統制はますます強化され,教師は沈黙することを強いられ,教育政策はますます現場の感覚から遊離していくことになるだろう。
(1)なぜTTだったのか
A中学校は,市の郊外に位置し,学級数19のやや大き目の学校である。ここ数年学校の「荒れ」が顕在化するようになり,生徒指導上の課題が山積している。教師は,問題の処理と,問題が起こるのを未然に防ぐためのパトロールに追われる毎日である。落ち着いてデスク・ワークができるのは完全下校後,つまり6時から後の時間帯である。英語科には6名の教師がいたが,補導主任や学年主任などの学校の要職につく教師が多く,そういうポストに就く教師は,帰宅するのが12時近くになることも度々であった。
英語科がTT導入に踏み切ったのは,教育委員会や校長からの指示によってではなく,目の前の現実にどう対処するのかを英語科教員6人で話し合う中で,意見が自然にその方向に誘われていったことによる。もちろんはじめから全員が両手をあげて賛成したわけではなかった。当時,学校は徐々に「荒れ」てきており,すでに一部の教師にとっては「指導が入りにくい」状況が生じていた。A中学校のTT導入には,そういう閉塞的な状況を何とかして打開したいという6人の教師の願いが託されていたのであった。
(2)授業改革の取組
A中学校の英語科教師にとってのTTとは,単に複数教師で一つの学級を指導するだけではなく,英語科教員全員が一つのチームとして力を合わせ,共に授業をつくっていくことを意味していたのである。筆者らは,この2年間,ほぼ毎週ミーティングをもち,夏には泊まり込みの自主研修会を開き,年に2回先進校を訪問し,公開研究授業を行ってきた。そういう営みを経て,教科内がずいぶん風通しがよくなってきたように思われる。TTのときだけではなく,いつでも気軽にお互いの授業をのぞきにいけるようになり,授業のことが職員室の話題にのぼることが多くなってきた。
(3)成果
TT導入から2年が経過して,英語科内でTTの成果と課題について話し合ったことがある。まず成果について,次のようなことが指摘された。第一に,新たな試みにチャレンジできたことである。第二は,指導の幅が広がったことである。第三に,同僚との関係がオープンになり,信頼関係が培われてきたことである。第四は,生徒理解が多角的になったことである。第五に,TTの授業だけではなく,一人で行う授業も変わってきたことである。第六に,ALTとのTTもやりやすくなったことである。TTを通して,私たちの指導力が向上し,楽しい授業が増えてきたことは間違いない。
また,授業後に生徒に対して行ったアンケートには,「楽しいことがたくさんできた」,「分からないところをすぐ聞ける」,「二人の先生の違いがあってよかった」,「会話の題材の時に,役割分担があってよかった」などの肯定的な声が寄せられていた。
(4)課題
だが大きな課題も残された。生徒に対して行ったアンケートで,授業のわかりやすさについてたずねてみたところ,普通の授業とTTの授業の間にほとんど差がなかったのである。またアンケートの自由記述欄には,「一人の先生の時とあまり変わらない」,「二人の息があっていない」などの否定的な声が寄せられていた。
この点について英語科の教師で話し合ってみたところ,研究報告会直前は別として,日々の実践においては,十分な打ち合わせなしで授業に入ることがしばしばあったことが,問題として指摘された。
(5)教師の態度
以上の成果や課題はどのようにして生み出されたのかを探るために,英語科教師のTTに対する態度を書き出し比較してみると,次のように大きく三つタイプに大別されることが見えてきた。
T群…TTによる授業改革を積極的に推進しようとするが,あまりにも多忙であるため,自分たち自身は,打ち合わせや授業準備に十分な時間を当てることができない。だが,10年以上の経験を持つベテラン教師であり,学校内でうまく立ち回ることによって,V群の教師が提案する斬新なアイデアを具現化するために貢献した。
U群…TTによる授業改革に反対の立場。どちらかといえば,生徒指導に力を注ぐ教師である。生徒指導で多忙であるため,授業準備にはほとんど時間を割くことができないが,昔ながらの授業スタイルで授業をこなすことはできる。授業改革に取り組む必要をあまり感じていない。V群の教師とは,うまくいかないことが多かった。
V群…TTによる授業改革に当初は消極的であったが,いざ実践が始まると積極的に活躍した。若く経験年数も少ないため,斬新な提案を次々に行った。
(1)分析枠組
まず,以上の内容を分析するための枠組を提示したい。古賀正義は,教師の実践を,二つのコンテクストにおける,二つの教授学の葛藤という構図で読み解くことの重要性を指摘している[*2]。
@教師が準拠する二つの教授学
潜在的教授学(hidden pedagogy)…教授行為を成功させるための職務上の常識であり,現場で数多くの教育経験を積むことを通して学習された「生き残り」の知恵を指す。
教育学的教授学(manifest pedagogy)…教授行為の明示的な原理や公式を提示するものであり,行為の論理の整合性・正当性を保証していこうとするところにその特徴がある。
A実践の背後にあるコンテクスト
教育者的文脈(educational contexts)…教授の理論やイデオロギー,あるいはモラルに基づいて教授行為を理解する理念的文脈であり,具体的には職員会議や学外者との会話など公的場面にみられやすい。研究授業や研究報告会は,教育者的文脈で展開されることになる。
教師的文脈(teacher contexts)…教授行為を日常的に構成する実際的文脈であり,具体的には教師間の日常会話など学校内のインフォーマルな場面にみられやすい。
教育学的教授学と潜在的教授学は,決して二律背反ではなく,程度の差こそあれすべての教師により共有されており,二つの文脈に応じて巧みに使い分けられているものである。一般的に,教育学的教授学は教育者的文脈に,潜在的教授学は教師的文脈に親和性があると言われている。
B実践
教師は,「文脈」に応じて二つの教授学を巧みに使い分けようとするのだが,実際の実践場面では,二つの教授学は教師の体内でせめぎあい,ジレンマを引き起こすことが多くなる。ウッズ(Woods, P.)によれば,こういう時,教師は「サバイバル・ストラテジー」を用い,ジレンマに対処し,自分自身を防衛しながら生き残るのだという[*3]。
A中学校におけるTTの実践も,二つのコンテクストにおける二つの教授学の葛藤という枠組の中で,とらえなおしてみる必要がある。
(2)成果と課題はどのようにして生み出されたか
〈成果の分析〉
TTを通しての授業改革が,一定の成果をあげたことは確かである。成果の背景には,以下の要因があったと思われる。
@V群の教師たちが斬新なアイデアを提案したこと。V群の教師たちは,潜在的教授学にさほど強く縛られていないため,T群やU群の教師にとって無謀だと思えたり,煩わしいと思えるようなことを平気で提案した。
AV群の教師たちが活躍できた背後には,T群の教師たちの支援があった。一般的に,学校という場では,若い教師が潜在的教授学を考慮せずに新しい実践を行おうとするとき,それを阻止しようとする動きが出てくるものである。T群の教師たちは,常にV群の教師たちを励まし,またV群の教師たちの提案が学校内部の諸々の制約によって阻止されないように十分な配慮を行った。
BU群の教師たちを巻き込んでいくことができたのは,K市の「フロンティアスクール推進校」の指定を受け,毎年研究報告会を行ってきたことが大きいと思われる。研究報告会は,教育者的文脈であり,そこでは潜在的教授学の知識は通用しにくく,日頃潜在的教授学に傾倒しがちな教師でも,報告会が近づけば足並みを揃えざるを得なくなるのであった。
〈課題の分析〉
課題の背後には,授業前に十分な打ち合わせができなかったことがあげられた。ではなぜ,十分な打ち合わせができなかったのか。その背景を分析する。
@U群の教師は,消極的姿勢を貫いた。週に一度の教科会も欠席しがちであった。そのため,V群の若い女性の教師たちは,U群の教師たちとのTTに困難を訴えていた。しかし,単純にU群の教師たちの態度を非難するわけにはいかない。たとえばU群の教師Cは,補導主任であり,毎日生じる問題の処理に負われ,帰宅するのが深夜になるのが常であった。Cのような役回りをする教師がいないと,学校が維持運営できないことも確かなことなのである。
A推進役のT群の教師も,毎時間,十分な準備をして授業に挑めたわけではない。たとえ潜在的教授学を相対化し,それを変えようと思っていても,あまりの多忙さゆえにそれができないでいるのである。
学校改革を成功させるためには,潜在的教授学と教育学的教授学とのコラボレーションが重要であることが見えてきた。しかし,現在の状況においては,潜在的教授学と教育学的教授学という二つの教授学の質的な違いは大きくなる一方であり,そして両者のコミュニケーションの不通は深刻さを増す一方である。
学校を本当に変革するためには,その葛藤を問題対象化し,社会全体でそれを乗り越えるための方途を模索していかなければならない。しかし,その葛藤の最前線に立つ教師の切実な声は,教師的文脈の中に埋没してしまい,教育学的教授学の立案者たちには届かない。前述した「指導力不足教員」の排除は,教育者的文脈において教師をますます黙らせることになり,結果的に,潜在的教授学と教育学的教授学の間のディスコミュニケーションを,ますます深刻なものにしていくことになるのである。
今,両教授学の間のコミュニケーションを円滑に図ることが求められている。そのためには,まずもってそれぞれの側で,どのような課題を克服する必要があるのかを明らかにさせねばならないのである。
@潜在的教授学側の課題
学校には,その秩序さえ維持されていれば,教師をルーティンへと向かわせてしまう仕組がある。その仕組がある限り,学校は「荒れ」ない限り変わらないということになる。やはり,秩序が維持されている限り目の前の現実の中に課題を見いだせないという教師の姿勢は,怠慢のそしりを免れまい。教師は,たとえ目の前の現実において秩序が維持されていようとも,その中に課題を見い出し,その課題を克服するために教育学的教授学から学ぼうとする謙虚な姿勢を持つべきである。そして,同時に,勇気を持って学校を開き,積極的に目の前の現実を語っていくべきである。
A教育学的教授学側の課題
教育学的教授学には,教師が,生徒指導,学級指導,部活動指導などに膨大な時間とエネルギーを注ぐことを余儀なくされており,学習指導にその指導力を十分に発揮することができないでいるという事情が,ほとんど考慮されていないのである。
学校改革を進める上で,「教師の指導力の向上」が重要な要素の一つであることは否めないが,ただそれだけでは学校改革の成功はあり得ない。学校の基底にある葛藤を調停していくための具体的な方途も提示されなければならない。より具体的に言えば,学校の実情に応じて人員を増強したり,学校規模や学級規模を小さくしたり,教師の職務内容を絞り込み学習指導に専念できるように配慮することなどが望まれるのである。また,「指導力不足教員」というスケープゴートを作り出すことは,「外圧」を一層高めることにつながり,政策が目指す方向とは全く逆の方向に,現実を後押ししてしまう恐れがあることも注意されねばならない。さらに,バランスを失した政策が現場に押しつけられる結果,教師がその対応に翻弄され,結果的にその指導力を低下させてしまう恐れがあることにも注意が必要である。
そして同時に,教育学的教授学を立案する研究者は,潜在的教授学から学ぼうとする姿勢を持つことが大切である。潜在的教授学は,教育者的文脈ではあまり用いられず,教師的文脈で主に用いられるために,文献調査や種々の研究発表会への参加,外からの観察などでは全く見えてこないものである。学校の外から学校を垣間見て,その表層的な現象をあげつらうのではなく,長期間にわたり学校の内部に入り込み,学校の本当の姿を知ろうと努めるべきである。
学校に学校改革ができるゆとりがある状態の時には,その学校の教師には,学校改革の必要性が実感されず,教師に学校改革の必要性が実感される時には,その学校には学校改革を行うためのゆとりがない。皮肉なことではあるが,いずれの場合でも,学校改革はうまくいかないのである。このジレンマをクリアするためには,潜在的教授学と教育学的教授学という二つの価値体系間に横たわる文化の溝を,両側から乗り越えようと努力する必要がある。
〈参考文献〉
*1 永井順國『学校をつくり変える』小学館
*2 古賀正義「学校の存立と潜在的教授学」木原孝博・武藤孝典・熊谷一乗・藤田英典編 著『学校文化の社会学』福村出版,1993
*3 Woods, P. Teaching for survival, School Experience, 1977
トップページ | 研究会のプロフィール | 全文検索 | 戻る | このページの先頭 |