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TITLE:  特別支援教育の施策の問題点
AUTHOR: 朝倉 達夫
SOURCE: 大阪教法研ニュース 第215号(2004年8月)
WORDS:  全40字×206行


特別支援教育の施策の問題点



朝 倉 達 夫


 はじめに


  1947年の憲法・教育・基本法の制定をうけて、盲・ろう・養護学校の義務制は遂年実施となった。しかし養護学校については1979年の養護学校義務制化を待たねばならなかった。80年代にはいり、養護学校の増設、盲・ろう学校の後期中等教育保障の取組みがすすめられた。さらに90年代には重度障害者の教育保障や病気療養中の子どもの教育権保障、訪問教育の制度化等々、障害者、父母、教職員組合の要求運動の中で実現していった。その間の「障害者の権利宣言」(1975年)、「国連の国際障害者年行動計画」(1980年)等の障害者をめぐる国際的な取組みが日本の障害児者教育の前進に大きな力となった。そして障害者の無差別平等観に立つノーマライゼーションの考え方が今や世界の潮流となり、日本の教育行政も障害者教育を考える上で無視できない状況となっている。


 I 日本の障害児教育の現状


  以上、日本の障害児教育の流れを概観してきたが、次に日本の障害児教育の現状を数字の上で見ておきたい。

(1)障害種別学校の学校数・在学者数
 学校数在学者数
盲学校71校3,926人
聾学校106校6,719人
知的障害養護学校523校61,243人
肢体不自由養護学校198校18,362人
病弱養護学校95校3,921人
合計993校94,171人

(2)義務制学校学級数・在籍児童生徒数
 学級数児童生徒数
知的障害学級17,671学級53,175人
肢体不自由1,765学級3,131人
病虚弱833学級1,693人
弱視164学級216人
難聴567学級1,109人
言語障害325学級1,166人
情緒障害8,031学級21,337人
合計29,356学級81,827人

(3)義務教育段階の全学齢生徒数
     11,157,257人

(4)大阪府の障害児学校の現状
 学校数在学者数
盲学校2校304人
聾学校4校494人
知的障害養護学校17校3,667人
肢体不自由養護学校13校1,186人
病弱養護学校3校178人
合計39校5,829人



 II 心身に障害のある児童生徒の教育保障の現状


1 特別支援教育とは
  文部科学省は2003年3月に出された「今後の特別支援教育のあり方について(最終報告)」をうけて、「特殊教育」から「特別支援教育」へと政策転換を行った。「特別支援教育」を、いわゆる従来の「特殊教育」に加えて、LD(学習障害)、ADHD(他動性障害)等の生徒への教育を包含したものと位置付けている。

2 特殊教育・障害児教育・特別支援教育
  従来文部科学省は学校教育のうち盲・ろう・養護学校で行われている教育を「特殊教育」と呼称し、学校教育法6章にその定めを置いた。そして障害のある児童・生徒に、幼稚園、小学校、中学校、高等学校に「準ずる」教育を施すとともに、欠陥を補うために、必要な知識・技能を授けることを目的に設置されたのが盲・ろう・養護学校である。
  「障害」児教育は学校現場を中心に70年代以降、「障害」児者に関わる教育全般をさすものとして使用されてきた。ちなみに60年代までは教職員組合でも、例えば「大阪府立特殊学校教職員組合」(略称:府特教)と呼称していた。
  特別支援教育という呼称は前項で述べたとおりであるが、単なる呼称の変更に止まらず、普通教育遂行に関わって「特別に支援を必要とする児童・生徒を対象とした教育」と定義する。その意味でノーマライゼーションの潮流に沿うものであり、建前としては「特殊教育」より前進したものといえる。ただ、あえて、なぜ「障害児教育」でなく「特別支援教育」なのかはさらに吟味する必要がある。「障害児教育」の場合はその教育の「対象」に視点を当てたものであるが、「特別支援教育」は行政に主体を置いた呼称ということができる。対象者への「手立て」に焦点を当てた呼称であるといえる。今後もこの「呼称」が妥当であるか検討の必要がある。


 III 「今後の特別支援教育のあり方について(最終報告)」


1 何故、何をどう変えようとするのか

(1)特殊教育から特別支援教育へ
  従前障害児に対する教育は、「特殊教育」として障害の種別、程度に応じて、例えば盲・ろう・養護学校、特殊学級等において行われてきた。これら学校、学級、訪問教育をふくめ「特殊教育」施策によって、対象児童・生徒の99.99%の就学が保障されるまでになり、学習機会の面から概ねナショナルミニマムは達成されたとしている。

(2)最近の傾向として
  @養護学校、特殊学級に在籍する生徒が増加している。A盲・ろう・養護学校に在籍する生徒の重度、重複化がみられる。B従来の障害種別の範疇に入らないLD,ADHD、自閉症生徒への適切な教育的対応が求められている。

(3)特別支援教育の基本的視点
  従来の特殊教育では対応できない児童・生徒(LD,ADHD、自閉症)への適切な教育の必要。身体機能や構造の欠陥を補うという視点で捉えるのでなく、生活や学習上の困難や制約を改善・克服するために適切な教育、指導が必要。教育ニーズの多様性。ニーズも不変でないので教育の場を固定化せず、生徒の実態に応じて弾力的に。従来の盲・ろう・養護学校の人的、物的資源の活用と教育、福祉、医療等関係機関の連携の充実。質の高い教育的対応を支える人材の必要。例えば教員の資質の向上。校長、教頭等管理職のリーダーシップの発揮。家庭、保護者の役割は重要で、セミナー等で保護者の理解、啓発促進必要。「個別の教育支援計画」を策定し、福祉、医療、労働等さまざまな側面から多様な取組みが求められる。そのため、関係機関の有機的な連携と協力必要。とりわけ特別支援教育コーデイネーターの役割は重要。従来の盲・ろう・養護学校は教育支援のセンター的役割を果たすべきである。

(4)特別支援教育における盲・ろう・養護学校のあり方
  @盲・ろう・養護学校の制度(その歴史と現在)、A障害種別にとらわれない学校制度へ、B地域の得意別支援教育のセンター的機能を有する学校へ、C盲・ろう・養護学校から「特別支援学校(仮称)」へ。

2 『最終報告』の問題点

(1)名称の問題
  障害を有しない児童生徒を「普通」ないしは「正常」とし、心身に障害を有する児童生徒を「特殊」、あるいはそれへの教育を「特殊教育」としてきた従来の名称、呼称は国、行政機関の障害を有する児童生徒に対する見方、行政対応を端的に表していた。そういう意味で法文上も行政上も「特殊教育」の名称が改められることは特筆すべきことである。学校現場の関係者を中心に従来から疑問を投げかけ、法文上の改称を求めてきたものである。80年代から障害者団体、障害児学校現場、教職員組合では「障害児教育」等の呼称が広く使われていた。最近では教育委員会サイドでも公式文書を除き「特殊」の呼称、記述はほとんど見られなくなっていた。
  「特別支援教育」「特別支援学校」の名称は適当といえるか。障害を有する児童生徒に対する教育が「特殊」なものでなく、「普通教育」を保障する上で「特別の支援」を必要とする教育、あるいは学校という意味で一定の評価ができる。しかし、前項でも述べたように、この名称もあくまでも行政の視点から障害を有する児童生徒に対する教育、学校に付与した名称にすぎない。児童、生徒に主体を置いた名称が付与されるべきではないか。

(2)障害種別学校の廃止に導く「障害種にとらわれない学校」の問題
  今、聾学校や盲学校では「盲・聾学校」構想、普通工業高校や知的障害児学校との併設などがささやかれている。実際、大阪では生野高等聾学校の移転改築に際し、教育委員会からこれらが例示されていた。結果的には堺聾学校高等部との合併統合ということで、現場関係者の要望である障害種別学校の存続が当面確保された。重度重複化の進捗の中で、障害種別の学校の矛盾点も出てきている(盲・ろう・養護学校の小中学部全児童生徒数に占める重複障害学級在籍者の比率は43%)。しかし重度重複化の問題は障害種別を解体して、多種多様な障害児生徒をいれた「特別支援学校」を設置して解決出来るといった簡単な問題ではない。聾学校であれば聴覚の障害からくる言語習得の困難性に配慮しながら教育課程を編成している。同じ学校にあるいは同じ学級に、目の不自由な生徒と知的障害の生徒が混在し、それぞれにあった教育課程、教育方法の構築をすべきという理屈は、今でさえ、困難の多い障害児学校の教職員に受け入れ難いものであろう。

(3)「特別支援学校」のセンター的役割の問題
  特別支援教育構想では、特別支援教育体制の専門性の強化をうたっている。現在の盲・ろう・養護学校は「特別支援学校」として、地域の特別支援教育のセンター的役割を担うとしている。確かに盲・ろう・養護学校教育の専門性を認識し、その存在を肯定しているように見えるが疑問がある。例えば大阪府を例にとれば、養護諸学校を7つのブロックに分け、ブロック内の義務制学校、高等学校の「特別支援教育」の相談窓口とし、教育上の経験やノウハウを活かすという構想である。しかし、現状のままでいけば、1ブロックに3「支援学校」しかないのに、百数十校のブロック内学校の相談や援助をしなければならない計算になる。「特別支援教育構想」の目玉である「特別支援学校」によるセンター的支援が実際にできるのかという疑問である。さらに障害児教育諸学校の教員に対しては「免状主義」のもとに、いわゆる「特殊免許」の取得を強く指導する一方で、盲・ろう学校において経験豊かな教員を4年、7年の移動原則を楯に養護学校に強制移動させる等道理に合わない教育委員会の対応は「特別支援教育」施策の遂行に現場教員の不信をさらに大きくしている。

(4)「障害種別学校解体」の問題
  特別支援教育構想は、障害種別にとらわれない学校制度へと主張する。障害のある児童、生徒の重度化、重複化の中で、従来の障害種別の学校では十分対応出来ない面がでてきている。特に教育委員会による就学場所の振り分けが行われてきた中では、困難性と矛盾は明らかである。だから、障害種別学校を序々に解体し、障害種を無視した「特別支援学校」や、「普通校」へと、発達保障の見通しのない、形だけの「就学保障」が行われることは、「児童、生徒の最善の利益」の観点から十分な研究と検討、生徒、親、教育関係者、地域とのコンセンサスが求められる。この不安は前述のように府立生野高等聾学校の移転改築に際し、府教委が示した「盲学校との合併」「工業高校との併設」「堺聾学校との合併」案に見られる、教育の中身や、生徒、親の願いや、教職員の専門的観点の軽視という事実から出ている。
  障害のある生徒の教育権保障は地域の学校でという原則は、ノーマライゼーションの思想からも肯定されるべきである。しかし、実際に「普通高校」で聾生徒を担当した経験や聾学校で高校生を指導した経験からも、「障害種別学校」が即「差別」といえるか。「普通学校」に親の希望があるから入学させることが、当該生徒にとって「最善の利益」というるか、今後検証されなければならない。また、現場の教職員や障害児をもつ父母の間からは、今次の改革が、財政上の理由から、当面の養護学校増設や、教育条件の整備の必要を回避する口実として「ノーマライゼーション」の旗を掲げたにすぎないのではないかといった危惧がささやかれている。


 IV 学校教育法改正にむけて


  学校教育法6章の改正にあたって「障害種別学校」の位置付けがどうなるか。章立てが行われるのかどうか。「準ずる」教育の表現はどうなるのか。僻地の障害児教育上無くてはならない「寄宿舎」が規定されるのかが問題となる。
  もし、「章立て」を「特別支援教育」と名称のみ変更するならば、障害種別学校は残るが、新しく対象となるLD,ADHDなどを加えるだけになる。これでは観念的な呼称の改定と対象児童生徒を広げるのみとなる。「特別支援教育」への転換が真の日本の「障害のある児童生徒」への憲法、教育基本法に定め「子どもの権利条約」に定めた「権利としての障害児者教育」を目指すのであれば、その「目的」に「権利としての普通教育の保障」が明記されなければならない。「準ずる」教育からの脱却の好機である。「準ずる」という言葉はけっして「同じ」という意味には解せない。今までの実態からも差別性のある規定といわざるをえない。
  障害の有無に関わらずすべての者が憲法教育基本法に保障されている普通教育を「能力に応じた手立てのもとに保障させる」きっかけにしなければならない。


 V これからの「障害児教育」私論


  「障害」の有無というが、障害の無い人間はいない。どこかで線引きできるものでもない。ただ、人間の権利である「教育」をどのような手立てで獲得するか決めるのは、きわめて原初的な権利である。その場は時代と社会進歩、行政のありようによって変化する。可能な限り、人、金、物が現代的システムの中で「教育」に向けられるが今後の社会進歩にもっとも有益である。障害によって「教育権」を享受する場がその人間にとって「障害種別」学校であれば「障害種別学校」が準備されなければならない。地域の学校において享受したい者には地域の「普通学校」で障害に由来するハンディキャップを解消できる手立てをしなければならない。
  今、政府文部省が時流のノーマライゼーションを逆手にとって、これ幸いと、財政上の理由で、障害種別学校や障害児学級を解体し、「特別支援」の美名のもとに人(教員も増やさず)、金(教育予算の削減)、物(緊急に必要とされている知的障害養護学校の建設等)を怠るならば、「地域の普通学校」での混乱と「障害児教育」の形骸化が進む。政府文部省は真に「障害児者」の権利としての教育権保障を考えるならば、たとえば「普通学校の学級定員を25〜30人とする」、「当面必要な知的障害養護学校の増設をする」、等の条件整備をまず率先して実行し、障害のある子どもをもつ父母の教育、育児、進路不安を解消できる相談の場と、将来に確信のもてる筋道を提示し、目に見える形での施策を提示することである。そのことによってはじめて「特別支援教育」施策は国民の支持と納得をえられる。




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