◆198212KHK007A2L0351E
TITLE:  BBS運動の現状と展望(1)
AUTHOR: 吉田 卓司(編著)
SOURCE: 関西非行問題研究7号(1982年)
WORDS:  全40字×351行


BBS運動の現状と展望(1)



寺田金十、山下政一、中安圭子、田中邦和


…目次…
  一、はしがき
  二、ケース活動 − 教護院を出た少年との友達活動 −(寺田)
  三、教護院ソフトボール大会(山下)
  四、播磨少年院訪問活動(中安)
    〔資料1〕東灘地区B.B.S.・播磨少年院訪問活動に関する資料
  五、ボランティアとは何ぞや − 児童相談所訪問活動を通して −(田中)




 一、はしがき


  B.B.S.運動(Big Brothers and Sisters Movement)は、1904年にアメリカ・ニュヨーク市で、アーネスト・E・クールターという少年裁判所職員の提唱によって始められた非行克服を目指すボランティア活動で、戦後、日本にも誕生し、今日まで受け継がれた。その80年近い歩みの中で、このB.B.S.運動は多様化し、様々な取組みが試みられてさている。したがって、わが国内のB.B.S.運動だけを見渡しても、無数の活動形態を見ることができる。そのこと自体は、B.B.S.が、非行少年一人一人の個性に合わせた活動を目指し、また非行原因の多様化・複雑化に対応するものであることからすれば、むしろ当然なことと言えよう。しかし、活動が長期にわたり、行事化されていくにつれて、B.B.S.活動の本旨に必ずしも合致しないような動きも生じることがある。さらに、新しく企画された活動の中にも、その取り組み方によっては、せっかくの創造的努力が、無意味な結果を生じる可能性がなくはない。そこで、まず現在のB.B.S.活動の現状とそこに生じている問題点を明らかにし、その上で、今後の活動がどういう方向で発展されていくべきかということを一度考え直してみることが大切であろう。
  本稿では主として神戸市B.B.S.連合会(東灘、生田、長田、須磨、垂水、大学B.B.S.からなる)の活動の一端を紹介している。そしてB.B.S.が一体どのような活動を行っているのかとか、B.B.S.会員がその活動を通して何を考えているのかということを理解していただければ幸いである。このようなB.B.S.の現状を紹介し、そして他機関ないし団体の方々から御批判・御指導を得ることによって、B.B.S.運動がより一歩でも進展するならば、これに過ぎることはない。
 なお、この原稿・資料をまとめることができたのは、とくに神戸市B.B.S.連合会会長の永井秀憲氏の精力的活動と後援によるところが大きい。また〔資料1〕については東灘B.B.S.会長の加古章一氏及び播磨少年院の方々の労をわずらわし、資料掲載に協力を得た。記して感謝の意を表したい。また、できる限り、本稿末登載の活動も逐次紹介していきたいと考えている。 (編集部)


〔表1〕兵庫県B.B.S.連盟会員在籍状況
    (昭和57年5月1日現在)
地区 会 長 会員数ともだち
活動
尼崎 西村庄司 13
伊丹 長尾  剛 12 15
川西 横山滋暗
宝塚 原  国雄 10
西宮 山川美紀子
明石 柿野  修 12
生田 畑  正敏 15
須磨 西村愛子
垂水 大松十四彦 14 22
長田 川口秀明 11
八代学浣 明石照幸 11 11
東灘 加古章一
葺合
赤穂 松林昭光
小野加東 国井敏昭
加古 橘  雅春
加西 相原信也
佐用 福井 泉 10 10
宍粟 萩藤徳満
高砂 古門昌造
姫路 高坂龍司
110 64 174 15
(兵庫県B.B.S.連盟・昭和57年度新入会員研修会資料より)



 二、ケース活動 ― 教護院を出た少年との友達活動 ―

垂水B.B.S. 寺田金十

  私が現在つきあっている少年は、A君という18才のクリーニング店に勤めている若者である。彼と私(垂水B.B.S.会)との出会いは、かつて彼が教護院に入園していたとき、我々B.B.S.会員が学園を訪問していたのを見ていて、自分もB.B.S.会に入りたいという事が契機になり、垂水BBS会へ電話してきたことに始まる。それは彼が卒園して社会人となって1年後の昨年末、(55年)であった。そのとさの彼がBBS会へ入りたいという気持がどこにあったのか、本当にBBS会員としてやれるのか、彼の入会ということについて様々な意見が出、その判断に迷ったものである。そして、新年会やスケート等のグループワークで一緒に活動していく中で、若干の彼の性格やBBS会に対する気持が把握できたところで、私達は、彼が入会するにはもう少し時間が必要なのではないか、ということにまとまり、彼を友達として我々BBS会で育てて行くことに決め、その担当として私がつきあいを始めました。
  最初は、彼がどこかの機関から依頼を受けた少年でないため、どのようにつきあっていけばいいのか自分で考えなければならないため、不安ではあったが、とにかく、彼と楽しくつきあうことだけを頭の中において接することにした。
  彼は最初から、人見知りもせず陽気で、積極的な方で暗いところがなく、スムーズにつきあい始めることができた。最初は、私も彼のことを全く知らないのでいろいろ話しをし、彼の様子を知ることに努めたわけであるが、この時、どのような聞き方をしたらいいのか困ったのであるが、彼の性格のよさに助けられ案ずることなく聞くことができたことは幸いであった。彼が何故学園に入園したのかと聞いたとき、彼が中学3年の頃、自転車窃盗や自動販売機荒らし等をしたということを自慢気に話す様子を見、何故このように悪いと分かっている事を楽しげに話すのか疑問であったが、その後のつきあいで、あの時の彼が理解できなくはないと思うようになったことがある。
  それというのは、その後、彼から朝は7時頃、夜は11時頃に毎日のように電話がかかってくるので、何故かなと思い、ある日彼の生活について聞いたところ、彼の家族は、今、父と二人きりであり、いつも仕事を終えて帰っても独りで食事をし、テレビを見たりすることが多く、父親は長期出張があったり、平日でも帰宅が遅いことが多く、いつも孤独な時間が多いことがわかったことと、私のところや他の会員宅へ毎日電話をして、同じことを何回も聞きかえしたりすることが多く、その他は、何日に遊びに行こうか、といったことばかりで、私達にとっては、同じことばかりをどこの家にも電話をして、会員のほとんどが閉口していたのであるが、私はそこから彼のさみしさをひしひしと感じた気がし、最初、彼が学園へ入園した原因を語ったとさの自慢気で楽しげな様子は、彼の生活が起因しているように思えたのである。彼ははじめて会う我々と話をする材料もなく、自分のことが話せることを喜びに感じたのかも・・・知れないと思いなおすとともに、彼に今一番必要なのは話し相手であり、友達であるということを確認し、ここにBBS会というものが必要なのではないかと感じました。
  最初は釣りに行ったり、ただ遊びのようなもので、初期の目的を形作って行ったのであるが、二月頃、彼が字をうまく読めなかったり、計算があまりできないということで、勉強会をすることに話がまとまり、二ケ月程、週二回我が家で勉強を始めたが、私が結婚のため中断し、そのままになった。
  今でも、毎日電話があり、休みに遊びに行こうとかで嫌になることもあり、BBS会員として自分の気持のジレンマを感じることもありますが、今後も彼の手助けになるよう自分自身が努力することを心がけていきたいと思います。
 (兵庫県B.B.S.連盟「ひょうごB.B.S.だより」17号〔昭和56年12月7日発行〕より)




 三、教護院ソフトボール大会

八代学院大学BBS 山下政一

(1)日 時  昭和55年11月16日(日)
(2)場 所  若葉学園グランド
(3)プログラム
10:00     集合
10:15〜10:30 チーム編成、着替
10:30〜11:00 移動
11:00〜13:00 プレー (男)ソフト
            (女)バレー
13:00〜14:00 昼食、休けい
14:00〜15:00 ソフトボール決勝戦
15:00〜15:30 反省会
15:30      解散
(4) 反 省
 ・ 集合時間が明確でなかった(大教室)
 ・ 前もってトーナメント表を作成しておくべきであった。(これをやっておかなかったためにオリエンテーションの時間がもてなかった。急に作成したので時間が遅れた)
  ・ 最初の挨拶、ルール説明の時、声が小さかった。
  ・ バレーの説明等はあまりなかった。生田の石沢さんにまかせさりであった。
  ・ 昼食の時、各寮にどの会員が入るのか明確にしておいた方がよい。
  ・ 若葉との打ち合わせは、綿密にしたつもりであったが、当日になっていろいろな問題がでてきた。
 ・ 1人の人にまかせっきりのところがあり、会員の自主的協力が足りないのでは?
  ・ 責任者の人は、皆に指示し、うまく動かすようにした方がよい。
  ・ 他地区へソフトボール大会の連絡が遅れた。
 ・ バレー、ソフト共にコート、グランド整備、線引さ等についてもはっきりしたメートル等を調べておいた方がよい。(線引き等にも学園の先生がやっていた点、反省点がある)
  ・ ソフトの審判についても会員の自主性が必要。
  ・ 反省会において大学BBSの方に批判的な声があったが、これらは、会員すべての協力の問題ではないか。
  ・ 上記のような反省点であるが、良かった点といえば、まわりの人が、僕をもり上げてくれていろいろとアドバイスしてくれたことでありました。感謝しております。本当にこの大会でチームワークの大切さやリーダとしての責任の重さなどいろいろと勉強をさせていただきありがとうございました。
(神戸市B.B.S連合会・「ともしび」創刊号〔昭和56年2月6日発行〕より)




 四、播磨少年院訪問活動

須磨BBS 中安圭子


(1) 日 時  昭和57年1月別日(日)
(2) 場 所  播磨少年院
(3) プログラム  後掲資料1参照
(4) 感 想
  少年院に行く事を知った時から、どんな所だろうかという好奇心の反面ちょっと恐かったです。でも私の想像していたよりとても楽しい所でした。私が行った寮は、だいたい私と同じような男の子で怖いというイメージより頭を丸ぼうずにしていたせいか、可愛いく、みんな年下みたいな感じでした。ゲームの時は、みんなで楽しくやれてとてもよかったです。特にフルーツバスケットでは、割りとフリーでいろんな事を言っていました。おやつの時、どんな事を話したらいいだろうかと考えていたら、思いどおりに話せなかったです。
  私の前に座っていたH君が最初に話かけてくれました。それからH君中心に私のまわりにいた男の子と話がとんとんとはずみ、いろんな事を教えてくれました。
  院内での苦しいこととか、楽しいこと(ちなみに苦しいことの1つに、朝のトレーニング、楽しみは手紙を書くことだそうです)とか鑑別所の事なんかも話してくれました(となりに座っていたA君は婚約者がいるそうです)。H君はあと11日で退院できるそうです。今まで院内で苦しいことに耐えてきたのだから、退院しても頑張ってほしいと思いました。最後にみんなで“滑る言葉”をうたった時、「みんな早く退院できたらいいな」と「また会いたいな」という気持ちがごちゃ混ぜになってしまいました。
  握手をした時、みんな一言ずつ言いたかったけれど、"ありがとう”って言葉しか言えませんでした。
  今日は、行ってとても良かったと思います。ただもう少し時間があればいいなと思いました。それからもっと自分から進んで話せるように頑張りたいです。次回も是非参加したいと思っています。他の活動をも早くやりたいです。
(須磨B.B.S.「須磨地区B.B.S.だより。〔昭和57年2月号より〕)



〔資料1〕

☆ 播磨少年院訪問活動に関する資料

東灘地区BBS会

(1) はじめに
  この資料は、播磨少年院へ初めて行く人のために作成したものです。充分な内容とはいえないでしょうが、一度読んでもらえればこの活動の全容がだいたいわかっていただけると思います。

(2) 標準プログラム
 9:30   集合(国鉄三宮下りホーム西側)
 9:45〜10:30 三宮駅→土山駅(国鉄快速)
10:50〜11:15 ※土山バス停→野村バス停(神姫バス)
11:15〜11:30 野村「少年院(徒歩にて)
11:30〜11:50 オリエンテーション(院の職員とB.B.S.)
11:50〜12:20 院内見学(職員の案内)
12:20〜13:00 昼食及びBBS打合せ
13:10〜14:50 ※少年達と交流(企画によって内容は様々)
15:00〜15:40 ※反省会(職員とBBS)
15:40〜16:10 辞去及び野村バス停まで
16:10〜16:35 野村バス停→土山バス停(神姫バス)
16:42〜17:27 土山駅→三宮駅(国鉄快速)
      17:30 解散

※ 補足説明
@ 土山発の神姫バスは度数が少なく、10:50の次は12時以降になります。したがって時間厳守です。
A 少年達との交流方法については、全員でバレーボールまたはフォークダンス等を行う形と3つの寮に分散して寮内でゲーム・雑談・話し合い等をする形があります。なお、BBS会からお菓子を持参するので、それを食べる時間があります。
B 反省会は院の職員が意見等を聞きたいために行うものです。感じたこと、思ったこと等を一言言えるようにして下さい。

(3) 播磨少年院とはどのような所か?
@ 少年院とは、まだ悪く固まりきっていない少年達を普通の社会人になれるよう矯正教育を行うことを主目的とした施設です。
A 播磨少年院は、短期少年院と呼ばれるもので、更生させやすいと思われる少年たちが収容されており、通常3〜6ヵ月間で出院することになっています。
B ここの院に収容されているのは、だいたい15〜19歳位の男子少年です。
C 少年たちは「新入」(第2寮)、「中間期」(第3寮)、「出院前」(第1寮)の3つのクラスに分けられており、新入、出院前の寮には、それぞれ15名前後の少年が、中間期の寮には20〜30名位の少年が入っています。
D この少年院では、少年の改善を図るために、豊かな自然環境のなかで、規律正しい生活のもとに、生活指導、職業補導、教科教育、体育、特別活動の学習がおこなわれている。

<3つの寮の説明>
※第1寮(退院前)
・少年院での教育が、ほぼでき上がっており、社会生活を目指し、仕上げの教育をおこなう寮である。
※第2寮(新入)
・入院1ヵ月未満の少年たちが入っている。
・寮は個室になっている。
・少年院での生活習慣がまだ身についていない者もいる。
※第3寮(中間期)
・入院1〜5ヵ月と在院期間がまちまちの少年たちが入っている。
・少年院での生活は身についているが、生活態度には個人差がある。
・人数が30名位の時は、他の寮と違った交流が必要。

(4) 少年たちとの交流の時、どのような気持で臨めばよいか
@ それほど難しくはないと思います。何もわからなくてもゆったりとした気持で臨んでもらえればよいと思います。
A BBS会員でない人は、BBS会の客員(会員と同等の扱い)と考えていますので
そのつもりでいてください。
B 少年に「BBSって何」と聞かれたら、「よく知らないが友だちになる会ときいている。許しいことは他の人に聞いて」といった程度に答えてもらえればよいと思います。
C 少年院へは「どのようなところか」「どんな子が入っているのか」といった単純な好奇心でゆけばよいと思います。
  そして、少年に「何故来たのか」と問われることがあったら、本当のことをズパリと言ったほうがよいと思います。戸惑ったり、変に気を使ったりすると、かえって少年の心を傷っけたり、友好的な雰囲気がつくりにくくなったりします。
D 少年たちとゲームをしたり、話し合ったりする時は、積極的に楽しく振舞ってください。また少年が話したがっている時は、よい聞き手になってください。
E 誰でもよく失敗します。失敗したことを、または失敗することを、気にしすぎないようにしてください。

(5) 注意して欲しいこと
@ 院は規律の厳しい所です。ふざけたり、集団規律を軽視した行動は、時により歓迎されないことがあります。職員の指示には従ってください。
A 少年と交流する時は、タバコおよび貴重品を持たないようにしてください。スリ盗られる恐れがあります。院内で少年に犯罪をさせることになりますし、タバコを与えることになるからです。
B 〔少年との話題について〕犯罪についての意見・院の生活・今日までの生き方等々、どのような事柄を話題にしても構いません。ただし、少年が言いたがらないことおよび少年の心をいたずらに傷つける行為は避けてください。
C 〔秘密の保持について〕少年が更生していく上で障害となるような情報は外部に洩らさないでください(新聞が扱う時も仮名を使っています……未成年者の人権擁護)。

(6) この活動の意義
  非行少年は、対人関係の上でさまざまな障害感を持っているのが普通で、そのことが非行の一次的要因および二次的要因ともなっています。そして、その面の治療が再非行防止のキーポイントともいえましょう。
  一方、少年院に入っている少年たちは、外界から切離され著しく自由を束縛されて、更生のためのプログラムに沿って生活させられています。
  そうした状況下にある少年たちは人恋しい状態にあり、一般人に対して親近感をもちやすく、また院内での自己内省により、過去の対人関係についての反省と洞察と受容が進んでいて、今後はいろんな人とうまくやってゆけるだろうと思っていることが多いようです。
  しかし、社会に帰り元の環境に戻ると、元の悪い状態に戻ってしまう可能性も大きいと考えられるのです。
  したがって、そうしたところに私たちの活動の必要性が見い出されるわけで、その意義を要約すると次のようになります。
@ 好ましい人間関係が成立しやすい今、好ましい人間関係を成立させやすい私たちと好ましい人間関係の成立体験を積み重ねることにより、更生への足掛りを強くしてゆける。
A 私たちとのグループによる楽しい集団活動を通じて、人間への視野を広くすると同時に社会への適応牲が高められる。
B 職員以外の一般人(BBS……とくに女性)との接触は、一時的にせよ少年たちに心の安らぎを与えることになり、つらい院生活全体にうるおいをもたらすことができる。
C さまざまな訪問者との接触により、少年に更生のきっかけを与えることになったり、職員だけでは観察できない更生に役立つ現象が見られる(職員にとり有益)。
D 少年たちに関心をもち好意を示す一般人がいることを、実地に教えることになり、更生しようとしている少年たちを力づけることができる。
E 院の実態を多くの一般人に見てもらうことにより、一般社会人の持っている少年院に対する誤った知識を修正し、少年たちが更生しやすい社会環境にしてゆける。




 五、ボランティアとは何ぞや  − 児童相談所訪問活動を通して −

生田B.B.S. 田中邦和

  私はBBSに入って、4カ月の新米であります。その新米がボランティアとは何かと考えてみました。これぞというのがなかなか浮かばない。えー。そもそも私がボランティア活動を始めた理由というのが、悪く言えば「時間があったから」良く言えば「誰かのために何かしてあげたい」という気持である。どっちであれ、これといった信念があったわけではない。
  しかし、今は違うということをこれから言いたい。現在、私の属している生田地区では、月2回の児童相談所の訪問をおこなっている。
  児相では、子供らとゲームをしたりして、なかなか楽しい雰囲気である。割と子供らもなついてくれ、「今度は、いつくるの?」等とよく聞かれる。そんな時、ボランティアとはこういうもんだなあと思った。子供らは私のことを慕い、私も、子供らを可愛く思っている。
  果たしてそうか? もっとシビアな目で見ると子供らの言葉に嘘はないにしても、児相が外出禁止になっているから当然、外来者は歓迎されるわけで、別にBBSのメンバーでなくても十分子供らを楽しますことはできるのである。
  ここで大切なのは私の姿勢にある。単に愛情をふりかざして「遊びましょう」ではいかん。今にして思えばもっと子供らや児相に対する知識を求め、接し方の訓練や、単なるゲームにしてもそれなりの目的があることを認識し教育を受けるべきだと思った。私が子供たちを見ている以上に子供らは私のことを見ているんだ。子供らの成長にとって大切なのは接する人間だと思う。その大切な人間が安易な気持ではいかんと思う。私事になるが、私自身がもっと人生に対して前向きに生き、その上で他者への思いやりの心を持つべきだと思う。自分自身を向上することのできない人間に他者に良い影響など及ぼせるはずがないのである。子供らと接する度にその必要性を感じる。
  ボランティアというのは、単に愛情や善意だけではいけない。それなりの知識、信念を持ち計画性のある活動をしなければいけないと思う。
  私は、この活動を通し自己の向上を目指していきたい。生意気だが私の向上がひいては私と接する子供の成長へとつながるんじゃないかと思う。
  今後も生田BBSのメンバーの一員として微力ながらも頑張って行きたい。
 (前掲『ともしび』より)










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