◆198412KHK031A2L0252E
TITLE:  BBS運動の現状と展望(3)
AUTHOR: 吉田 卓司(編著)
SOURCE: 関西非行問題研究9号(1984年)
WORDS:  全40字×252行


BBS運動の現状と展望(3)



南川和夫(神戸・須磨地区BBS)
吉田邦子(神戸・長田地区BBS)


 はしがき

  今回は、BBSの友だち活動2ケースを紹介したい。BBSの活動の中心は、ワンマンワンボーイ方式によるケースワークであるが、その実際例を通して、BBSの現状や課題等を明らかにできればと思う。


 (ケース1)

 有職少年に対するケース活動

(1) 対象少年−Y君(19歳・男子)
(2) ケース活動期間−昭和58年5月〜現在
(3) BBS−南川和夫(35歳・男子)
(4) ケース活動経過

〔ケース担当まで〕
  5月に保護司会会長の紹介で、東町の保護司宅へM会員が呼ばれ、ケースの依頼をうけた。ケースはある保護司さんの知人(親戚)からのもので、観察所からのものではなかった。担当BBSは、M会員を指名されたので、その場で担当が決まった。
  少年についての資料は、6月1日の保護司会会長T氏宅訪問で「昭和41年生まれ、関東出身で、シンナー常習。親元を離れたいとの本人の希望でこちらに来た」という旨のものを閲覧させていただいた。また「昼間、ラーメン屋で働き、夜は定時制(2年)にも通い、六畳一間のアパートに独居し、ほとんど外食で、友人もいない」という話を聞いた。

〔初回面接〕
  6月3日初回面接、T氏宅でY君と会う。BBS会員としてY君に紹介されたが、BBSについての詳しい説明はなかった(「社会人・学生が集まって、遊び、友だちづくりをしている」という程度、「非行」という言葉は用いなかった)。
  少年は、無口で、質問してもうなずく程度。T氏のあとおしもあって、19日にグループワークを約束した。少年は染髪し、ピアス、紫色の服、女性用サンダルを着用するなど、いわゆるツッパリスタイルだった。タバコのショートホープも持っていた。

〔六甲ハイキング(6月19日)〕
  六甲森林植物園でハイキング、塩ケ原で昼食をとった。Y君とその友人(Y君の中学時代の友人で、たまたまこちらに遊びに来ていた)が2人、BBS3人、会員の家族3人の計8人が参加、池で泳いだり、Y君も楽しんだ様子だった。
  Y君は、来たときに、青いつなぎに、運動靴のうしろをふんでやって来た。BBSとはあいさつ程度の会話だったが、荷物もちなどはこころよく引きうけてくれた。最初、Y君らは、タバコをかくれて吸っていたが、M会員が「できるだけ吸わない方がいいよ」と声をかけ、最後の1本をY君からもらって吸うというハプニングもあった。注意らしい注意をしたわけではなかったが、そういうところから話すきっかけも広がり、帰りの電車では、皆とわりに話すようになり、他の人のやっていたキャンプや飯ごう炊さんをしたいと言っていた。

〔キャンプ(8月)〕
  7月から9月にかけて、朝9〜10時頃を中心に、M会員がY君宅を訪ずれて仕事や勉強の話をし、度々コミュニケーションを保つよう取り組まれた。8月に垂水BBSと合同のキャンプをする予定だったが、Y君も前回のグループワーク以来、キャンプに乗り気で、BBSとしても期待していたけれども、雨で中止になり、大変残念がっていた。
〔グリーンピア三木でのグループワーク(10月10日)〕
  Y君とY君のGF、そしてBBS3人、および会員の家族3人の計8人で朝からグリーンピア三木へ。午前中はサイクリングでコースを2周、昼食時には芝生でバトミントン、午後からはフィールド・アスレチックを楽しんだ。Y君たちは、ずっとカップルで行動し、2人の仲の良さをBBSに見せつけているように思えるほどだったが、BBSとも仲良くやっていた。Y君の服装は前と同じツッパリスタイルだったが、髪の毛は黒になっていた。Y君の話では、職場の先輩から染めたのをおとして来いと言われたからということであった。

〔垂水BBSとの合同グループワーク〕
  飯ごう炊さんをする予定だったがY君の仕事の都合で不参加。

〔個別的ケースワーク〕
  上記のグループワーク以後も、M会員が月1回程度、Y君宅を訪問し、コミュニケーションをはかっている。道端で二人ともしゃがみこんで雑談するなど、無理なく、Y君のパターンに合わせて、職場や友だちの話の話し相手になっている。

〔今後の展望〕
  Y君は、いつも青白い顔をしている。というのは、仕事場の関係で、昼間太陽にあたる機会がないからで、アウトドア・スポーツに誘っていくのがよいだろう。
(以上の活動記録は、須磨地区BBSの昭和59年2月例会で、南川和夫氏が報告されたものである。文責・吉田卓司)


 (ケース2)

 覚せい剤乱用で少年院に入所し、仮退院した女子に対するケースワーク

(1) 対象少年−A子(19歳・女子)
(2) ケース活動期間−昭和57年5月〜昭和58年5月
(3) BBS−吉田邦子(22歳・女子)
(4) ケース活動経過

〔初回面接〕
5月6日 地区副会長より女子のケース依頼あり。お引き受けする。
6月13日 保護司先生とともにA子宅訪問。初日から、A子とも、A子の母親とも打ちとけることができた。
  A子は、お茶やお菓子を出してくれて、よく気のつく可愛らしい子だと思った。
  保護司の先生、A子のお母さんと別れて、二人で別室に行き、音楽を聞いたりしながら、少年院でのことや就職先のことなど話をしてくれた。彼女は、少しアイシャドーがきつく、眉もかいているようだったので、今度A子が素顔か薄化粧の時に、「その方が可愛いよ」と言ってみようと思った。

〔初めてのグループワーク〕
6月26日 A子に電話。明日ボーリングに行く約束をする。
6月27日 BBS会員7名とともにボーリングに連れて行く。
7月5日 A子宅に電話。母親よりBBSとの交流を喜んでいる旨の話があり感激!
  A子と18日もどこかへ行こうと約束。
  ボーリングでは、最初恥ずかしそうにばかりしていた彼女も、後半からは、ボーリングの成績もよくなり、他のBBS会員とも思い切った冗談を言うなど、皆とよくとけこんでいた。

〔ローラースケートに来なかったA子〕
7月13日 A子宅に電話。18日はローラースケートに行こうと話す。
7月17日 A子宅に電話。A子の友達から来た手紙を私に読んでほしいという。
7月18日 待合せを30分過ぎても来ないのでA子宅に電話する。「A子の顔がはれ、休んでいる」との母の言。この日一日、本人と連絡とれず。
7月24日 A子宅に電話。「もう休んでいる」と弟さん。
7月25日 保護司先生より電話。A子が保護司宅訪問もしないとのことを聞く。そこでA子宅へ電話したところ、最初は、つっけんどんだったが、A子と会うことになり、海岸を散歩した。その時、中学校時代のこと、ボーイフレンドのこと、仕事のことなど悩みをうちあけてくれて嬉しかった。
  この頃、A子の気嫌が悪く、保護司先生ともうまくいかなかったのは、家で母親とケンカしたことが原因だという。彼女がボーイフレンドから京都に行こうと誘われた際、母親が、「A子は保護観察中なんだから、普通の子のように遊んだらいけない」というようなことを言ったことが、そのケンカの始まりだという。

〔A子に再び覚せい剤の魔手が‥…〕
8月12日 A子から電話あり、A子と会う。A子と同じ料理教室に行く約束などを話した。
8月16日 A子宅に電話、20日に児相の盆踊りに行く約束をする。
8月20日 児相の盆踊りに一緒に行く。フォークダンス、花火、キャンプファイヤー等、楽しむ。願いごとを書いた紙をファイヤーの中に入れる際、私に見せてくれた。これからは、自分を大切にし、しっかりと生きてゆきたいと書いてあった。
9月12日 ハイキングに一緒に参加する予定だったが雨で中止。A子が残念がっていた。私も残念。
9月30日 A子宅に電話。10月3日にオートテニスに行く約束をする。大変楽しみにしている様子。
10月3日 他のBBS会員1名とともにA子とオートテニスに行く。その帰りに、昔の覚
せい剤仲間から連絡があるとA子が話をしてくれた。
10月4日 A子からの話を観察所、保護司先生に連絡。
  担当観察官は、A子をすぐに呼び出しますと返事されたが、A子は毎日休まず会社に行っているし、彼女の気持を考えれば、そういう誘惑を断ってまじめにやっているだけに、大変戸惑うだろうと思った。また、呼び出されたことで、A子が、これ以降何もBBSに話をしてくれなくなるかもしれない。観察所には、以前のA子の交友関係書類もあるらしいと聞いていたので、覚せい剤ルートをつかむ手がかりにでもなればと思って報告したが、心外であった。
  それですぐ保護司さんに電話し、観察所からの呼び出しを、見合わせてもらうよう頼んだ。
10月8日 A子宅に電話。A子が私のことを裏切り者と思っていることがわかった。覚せい剤のことを観察所に通報したのがわかったのだ。とにかく後日、A子と会うことを約束する。
  この時、A子が、何か私に対して不満をもっていて、うわべだけで話しているのが感じられた。それで、思い切って、「怒っとんやろう」と聞くと、「別に‥‥‥」と言う。私は「やっぱり怒っとうねんな。保護司さんに言うの間違うとったんかな。ほんまにごめんな」と言って、何度も「ほんま ごめんな」と言うと、電話の向こうでA子が泣き出した。そして彼女は、「保護司さんと邦子さんの間で達賂するのは当然だし、少年院出の私と、BBSの人ということはわかっとうのに何でもぺらぺらしゃべっていた自分がアホやねん」と泣きながら言った。私は彼女の訴えが胸につきささった。自分がBBS会員であるという事実が、A子との間に壁をつくっているようで悲しかった。
10月14日 A子と会う。A子の家のことを話してくれる。大変もめているようだ。A子の両親が、A子のことでケンカをし、お母さんが負傷して病院に運ばれたという。そして、病院に送られる時、お母さんがA子に対して「お前みたいな汚ない女のために‥‥‥」ということを言われ、相当のショックをA子も受けたらしい。「そんなこと本気で両親が思っているはずないよ」と励ましたが、A子は家で「うっとおしい」などとひどいことを言われ続けてきたようだ。
10月24日 A子宅に電話。A子不在。
10月31日 A子宅に電話。A子不在。

〔A子とのグループワーク〕
11月2日 A子宅に電話。7日のハイキングの約束をする。
11月6目 A子より電話。明日のハイキングの待ち合わせの時間の場所を確認してきた。
11月7日 BBSハイキング。8時40分の待ち合わせに9時15分に来る。雨のためボーリング。その際、A子と話をすると、遅れたのは、友人関係でもめごとがあったからと話をしてくれる。
11月18日 観察所から電話あり。A子とのケースにのめり込まないようにという配慮からか、BBS担当事務官の方から、BBSはボランティアだからあせらずに、というアドバイスを受けた。

〔A子の家出〕
11月19日 保護司先生宅へ電話。A子については、さじを投げたと言われる。
11月22日 A子宅に電話、不在。
11月23日 A子宅訪問。現在A子は会社の寮に居るという。
11月26日 A子より電話。A子の寮の電話番号を教えてくれる。28日に会う約束をする。
11月28日 A子宅に電話。A子不在。
12月9日 A子の寮に電話。12日のBBS会のクリスマス会の話をする。
12月12日 待ち合わせの場所に1時間たっても来ないので、A子の寮と家に電話したが、不在。
12月23日 クリスマスプレゼントのチョコレートとカードを送る。
12月30日 A子よりお礼の電話あり。
1月1日 A子より賀状が届く。
1月12日 A子宅へ電話。A子不在。
1月23日 A子宅へ電話。A子の家出の旨、母親より聞く。A子との連絡がとれなくなる。

〔A子との再会〕
4月11日 突然A子より電話。驚きと嬉しさで、私も感激。A子が「礼服を貸してほしい」と言うので、礼服を持ってA子の家出先へ行く。
4月14日 A子より連格がなく、A子の家出先へ行ってみたが、留守のようなので置手紙をする。
4月15日 私の不在中A子より電話。「自分のところに来てほしい」との伝言あり。A子の家訪問、事情を聞く。
4月16日 A子の家訪問。後、他のBBS会員とともに保護司宅訪問。
4月17日 A子より電話。男女関係で事態が悪化しているとのこと。
4月18日 観察所と電話連絡。
4月20日 A子が礼服を返しに来る。
4月22日 A子より電話。家出先のことを家などに言ったので、裏切られたと私を非難する。
5月21日 A子よりお金を貸してはしいとの電話あり。断る。以後連絡なし。BBS会員
は、金品を貸与してはならないということを、私自身よく知っていた。しかし、A子より数ヵ月ぶりに電話がかかってきて、私は電話口でしばらく考えた。
  彼女の家出先がわからず安否を気使う家族の方たちの顔も浮かんだ。私は、今、彼女に会い、そして話しを聞いてやることが必要だと感じた。服も、もし返って来ないとしても仕方ないと決心して、貸すことにした。そして彼女に会い、変わり果てた彼女の状況を知る。
  A子は、暴力団関係者のTに部屋を貸りてもらって住んでいたが、Tから部屋代として50万円を返すように言われ、その金をTに渡さなければA子は何をされるかわからず、どこにも逃げられないという状況だった。A子は、その金をあるスナックのママから無利子で貸してくれるという話もしていたが、そのママにお金を返すのに、売春をしてでも返すような口ぶりで、「お金を全部返したら、それまでのことを全て忘れて一から出直すねん」と言っていた。
  私は、彼女の追いつめられた状況から、一刻の猶余も許されないと思って、他のBBS会員とともに保護司宅へも伺って、状況を説明し、関係機関への連絡も依顆した。私に対しては、「A子と会わないように」との指示があった。
  しかし、これ以降もA子から電話があり、4月20日の深夜に、A子が礼服を返すため自宅近くまで来ているので会ってほしいとの連格があったとき、暴力団員の仕返しがあるかもしれないと思われたので、結局、母が代わりに、近くのバス停まで行ってくれた。私の母は、「最近この辺りに痴漢や変質者がよく出るので、代わりに釆たの」と、A子に説明してくれたそうだ。そしてA子も危いからと、家出先まで送ってくれた。また、母には、4月15日の豪雨の日にA子の家出先を訪問した際にも、ズブ濡れになりながらも付添ってくれたが、本当にBBS活動は家族の理解や協力なしにはできないものだと思った。
  礼服を返しに来た翌々日、A子から電話があったが、やはり、A子の家出先をA子の家族や保護司さんに連絡したことを不満に思っているようであった。そして、「もう今のアパートには居れない。T(暴力団員)とも別れて神戸を離れる」ということを言っていた。1ヵ月後、再び連絡の途絶えていたA子から電話があったが(5月21日)、嬉しい気持ちと、警戒心の半々だった。お金を貸してほしいというA子の言葉に、「観察所や保護司さんから、お金の貸し借りは絶対にいけないといわれているから‥‥」と断ったものの、A子は、それでもあきらめずに「お腹の大きい友達が一緒だから」とか「2000円だけでいいから、2、3時間の間だけ貸してはしい」と言う。こちらが、「冷たいようだけれども、どうにもしてあげようがない…」と言うと、A子は、「あっ、そうですか」と言って切ってしまった。


(5)反省感想
  その後のA子については、保護司先生からの話によると、補導され、職について、まずまずの暮らしをしているらしい。A子とのケースは、決して成功例とはいえないと思うが、A子にとって、私との出会いが、何らかのプラス材料になってくれればと祈るのみである。
  グループワークとして、ボーリングやテニスなどに他のBBS会員とともにA子を誘った際、「こういう遊びは、初めてだ」と言っていたが、そういったスポーツ活動、グループ活動に接する中から、これまでに無かった何かを得てくれたように思う。
  長田地区BBS会では、このケース終了後このケースについて、報告と討論を行った。ケース活動中にも、地区例会(月1回)で、随時報告・相談をしているが、その総括として、BBSでは、ケース研修会を行っている。
  このケースでは、金品の貸し借りについて「ケースによっては、絶対いけないと言いきれない場合もあるのではないか」とか「BBS会員には、何でも甘えられるという気持ちを対象少年に持たせることが怖い」という意見が出された。
  また、少年の家族との信頼関係が大切であること、観察所との連絡も密にしておくことが重要であることも報告してくれた。とくに、ケースのことについて、観察所から私の職場に電話連絡されたことがあったが、BBSの職場状況なども担当観察官に事前に知ってもらっておく必要があると思った。
  BBSにとって、自分自身と全く別な人生を歩んでいた少年との出会いは、それ自体、貴重な体験といえる。A子と別れ別れになってしまったが、私にとって、A子との出会いは、そういう意味で、かけがえのない大切な思い出の一つになったし、自分自身の生き方を考える良い機会だったと思っている。
  末筆ながら、協力、助力をいただいた関係機関、地域の方々に感謝の意を表すとともに、この拙いケース記録を読んでいだたき、御批評をいただいて、今後のBBS活動に役立てられればと思っております。






Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会