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TITLE:  傷害致死罪と量刑の基準−体罰による傷害致死事例の比較検討を素材として−
AUTHOR: 吉田 卓司
SOURCE: 甲南法学 第29巻第3・4号(1989年3月)
WORDS:  全40字×567行

 <判例研究>

傷害致死罪と量刑の基準
 ― 体罰による傷害致死事例の比較検討を素材として ― 


刑事判例研究会



 序 − 本研究の課題

  量刑は、犯罪の成否とともに、刑事裁判上きわめて重要な司法的判断であり、実証的研究を中心に貴重な研究が積み重ねられてきた(1)。しかし、犯罪の成否に関する考究に比して、量刑の個別的ないし理論的検討は必ずしも十分とはいえず(2)、実務の立場から、「いずれの刑法の教科書においても、刑の量定が刑法理論と直接にかかわりを持つことなどについてはいろいろと書かれているが、その具体的基準については触れるものはほとんどない」(3)との指摘もみられる。従来の判決文には、量刑判断にどの要素を、いかなる論理で用いているのかが客観的に示されているものが少なかった。そのことが、量刑研究の一つの障害であったといえよう。しかし近年は、量刑理由を詳しく判示する第一審判決も多くなっているため(4)、その量刑の基準や判断の背後にある裁判官の規範意識を明らかにすることも、相対的に容易になってきた。最近では、大阪高検検事長による「管内の量刑は寛刑傾向にある」との発言が論議を生じるなど、量刑問題の検討は焦眉の今日的課題となっている(5)。さらにまた、犯罪の態様や犯罪者の個別事情を考慮した量刑は、刑罰の個別化という近代刑事政策の要請でもある。この判例研究においては、生命犯に対する量刑研究の蓄積を参照しつつ、教員の体罰による傷害致死罪の量刑について、このような視点から判例の比較検討を試みたい。


 一 体罰による傷害致死判例の概要


(1) 芝中学事件 (東京地判昭三三・五・二八、判時一五九・五〇)

 〔事案の概要〕
  保健体育教員Yは、担任生徒のなかに、都会生活に不慣れなYを揶揄したり、反抗的言動を示す者がいたので、性来短気のため、右生徒に対し、穏やかに説諭することなく、直ちに殴打するなどの挙動に出たこともあったが、事件当日、担任教室において、訓戒中に生徒が騒いだ事に対して反省の黙祷をさせていた時、すでに授業を終えた隣組の生徒がガラス戸付近で騒ぎ、それを再三注意していたが、生徒Iが突如右ガラス戸を音高く開け放った儘、他の生徒とともに逃げ去ったのを目撃して憤激の余り追尾し、「今やったのは誰だ」と怒鳴り、Iが「僕です」と答え、Yの前面に現われるや、「他人の家の戸を黙って開けていいのか」と詰問すると共に手拳でIの顔面を五回位殴打して暴行を加え、それに起因する脳機能障碍により死亡させた。

 〔判旨と量刑〕
  法令の適用に関しては、「法律によると、被告人の判示所為は刑法第二百五条第一項に該当する」とのみ判示し、懲役三年(未決勾留六十日を算入)の実刑に処した。

(2) 岐陽高校事件 (水戸地土浦支判昭六一・三・一八、判タ五八九・一四二)

 〔事案の概要〕
  修学旅行において、被告人Aは、生活指導担当のFとともに、生徒H、K、Tが携行禁止のドライヤーを使用しているのを発見し、AはFと相談のうえ三名を説諭することとした。Fは、生徒を正座させ、規則違反を厳しく叱責し、平手および手拳で数回殴打したのち、Aに対して、Aの前任校を引き合いに出し「市岐商はこんなものか。」と問いただすなどした。Aは、Fの言動を眼のあたりにし、追い詰められた気持ちにかられるとともに自分の担任生徒ばかり三名が規則に違反したことに対する無念さと腹だたしさが募り、憤激の余りKに対し、平手と手拳で一回づつ殴打し、Aの詰問に答えないのでさらに二回位足蹴した。その後本件被害者Tに対し叱責・詰問したが答えないので、憤激のあまり、手で数回殴打し、肩を蹴り、頭部を踏み付けるなどした。その後Tが「ごめんなさい、ごめんなさい。」と繰り返し謝っているのにも耳を貸さず、さらに足蹴にして壁にぶつけるなどの暴行を加え、右暴行に起因する急性循環不全により死亡させた。

 〔判旨と量刑〕
  法令の適用に関しては、「被告人の判示所為は刑法第二百五条一項に該当する」とのみ判示し、懲役三年(未決勾留二五〇日を算入)の実刑に処した。

(3) 小松市立中学事件 (金沢地判昭六二・八・二六、判時一二六一・一四一)

 〔事案の概要〕
  数学と保健体育の教員であった被告人]は、担任生徒Bが、学習意欲に乏しく、低学力であるうえに、遅刻・忘れ物が多く」虚言癖もあり、家庭的には、母親が入院中のこともあり、自分がいわば親代わりのつもりで、放課後の補習や父親への働きかけなどに努力していたが、その効果は必ずしも芳しくなかった。
  七月一日、その頃頻繁に忘れ物をしていたBに対し、明日は忘れ物をしないよう約束させ、もし忘れ物をすれば殴る旨言い渡したが、翌二日、Bが遅刻したうえ教科書や笛などを忘れて登校し、嘘の弁解をしたので、自分が本気で怒っているという態度を見せてBに反省させるため、前日の予告どうりBを殴打することを決意し、Bを伴って宿直室へ行った。そこで、Bに対し、いわゆる往復ビンタを五回するつもりで、「約束やからいくぞ」と言って、平手でBの顔面を殴打しようとしたが、Bがこれを避け、鼻先をかすめるだけとなった。]は、自分がBのためにこれまで真剣に指導してきたのに、その気持ちがわかってもらえない悔しさと、もっとしっかりしてほしいという気持をこめて、「これは教科書の分やぞ」などと言いながらBの顔面に平手で四回往復ビンタを加え、さらに、少しやり過ぎたといううしろめたい気持ちを取り繕うとともに、Bにもう少し反抗心を持ってもらいたいという気持ちから、「かかって来い」と言ってBを促し、正面から弱く押してきたBの手をつかみ、柔道の体落としのような形でBを投げつけ、畳上に転倒させ、その頭部を打ちつける暴行を加え、よって硬膜下血腫、脳挫傷などの傷害を負わせ、右傷害により死亡するに至らしめた。

 〔判旨と量刑〕
  弁護人による右行為は正当行為であるとの主張に対して、「たとえ教育上の指導のための行為であっても、体罰が許されないことは、学校教育法一一条に明記されているところであり、・・・このような暴行を加えることは、その意図の如何を問わず、同法にいう体罰にあたると解されるから、これが違法な行為であることは明白である。」とし、法令の適用に関して、「被告人の判示所為は刑法第二百五条一項に該当する」として懲役二年六月、執行猶予三年とした。

(4) 川崎市立小学校事件 (横浜地判昭六二・八・二六、判時一二六一・一四一)

 〔事実の概要〕
  被告人Zは、小学校特殊学級担任であり、本件被害者C(当時八歳)は、出生時から頭蓋狭窄症及び多指症で、生後間もなく前額部及び眼窩部等の頭蓋骨を摘出し、再編成縫合するという手術を受けたうえに、先天性の脳障害のため知恵遅れであった。Zは、児童に対し、口で強く指導しても、言うことを開かない場合には、本人の能力を伸ばすためには体罰もやむを得ないという考えから、Cを含め、自分の担任生徒につき、顔を平手で殴打したり、手拳で臀部を殴打したりするなどの体罰を度々加えており、Cにも昭和六一年五月ころから一一月ころにかけて、体罰を一〇回以上にわたり加えたが、両親からの問い合わせが数回あったので、以後は、Cに体罰を加えることは避けてきた。
  翌六二年一月一九日の書初め展に備えて、Zは特殊学級の五名の児童に対し、練習をはじめたが、一七日になってもCだけが作品を完成していなかったので、同日Zは、見本の上に白紙を乗せ、さらに右白紙に一つ一つの文字の始筆と終筆のところに鉛筆で丸をつけて、Cに清書をさせはじめた。しかし、CがZの指導するように清書をしようとしなかったため、Zは、期限が迫り焦っていたことも手伝い、言うことを聞かないCに対し立腹するとともに、最近Cを厳しく指導していないことで、CがZを甘く見ているようなので、この際厳しく指導すべきであると考え、右手拳で、Zの右側に並んで座っているCの右側頭部を手首を内側に巻き込む形で一回殴打し、続いて右手拳を前に突き出すような形でCの左頭部等を二、三回殴打する暴行を加え、よってCに左耳介後の頭皮下出血、左前頭頭蓋窩血腫、硬膜外血腫等の傷害を負わせ、硬膜外血腫により死亡させた。

 〔判旨と量刑〕
  Zの弁護人がCの左前額部の皮下出血の部位は、Zが殴打したものではなくZの他にこの部位を殴打した者があり、しかもその殴打によっても、Cの死因となった硬膜外血腫が生じる可能性があるから、Zの殴打によって硬膜外血腫が生じたと認定することはできないと主張したことについて、裁判所は、証人の供述、鑑定書、関係各証拠を援用して、Zの殴打によりCが死亡に至ったことは、「優に肯定できる」と判示し、法令の適用に関して、「被告人の判示所為は刑法第二百五条一項に該当する」として懲役三年(未決勾留一二〇日を算入)の実刑に処した。


 二 量刑事由の比較研究


(1) 傷害致死罪と量刑
  傷害致死罪は、これまでに量刑研究の蓄積が多い罪種の一つといえよう。その理由は、法益侵害が、人の死亡という点で一致し、殺人の故意がなく、一時的な激情による機会的な犯罪が多いという犯情の等質性、および法定刑は懲役刑一種で量刑域が広く、加重すれば懲役二十年に及び、減軽すれば一年未満の懲役も可能であり、かつ全く減軽しない場合でも、執行猶予に付すことができるという量域の特性等によるものといえよう(6)。現実の量刑実態を、昭和五七年から六一年の第一審有罪人員についてみると、表1および表2に示したように懲役二十年以下から執行猶予付の懲役一年以下までかなりの幅で量刑分布がみられ、その平均的量刑が、懲役三年を少し上回るところにあることがわかる。有罪人員全体に占める執行猶予の比率は、表2に見られるように、昭和五七年から六一年の平均値が三一・七%。さらに、懲役三年以下全体に対する執行猶予の比率を算出すれば、その執行猶予率は、五三・八%となる。したがって、このような執行猶予の状況からすれば、微妙な事情の差異あるいは裁判官の規範的評価の差異が執行猶予か実刑かの結論を左右するものと考えられる(7)。生命犯の場合、一般的に量刑を指導するものとして犯罪の行為類型をあげることができ、「犯罪の原因、動機、目的などによって区別されるいくつかの行為類型があり、それがもっともよく事実の軽重と照応している」とされている(8)。だとすれば、本研究で検討を加える体罰事例において、執行猶予に付された事案と実刑とされた事案の間にどのような行為類型や量刑事由の差異があるのか。また、そのような量刑基準が妥当といえるか否かについて、判例の比較検討による個別的考察の余地があるように思われる。
  実定法上の量刑基準としては、起訴猶予に関する刑事訴訟法二四八条が、一般に援用されることが少なくない。けれども、近年の判例においては、同条よりも改正刑法草案四八条の「刑の適用にあたっては、犯人の年齢、性格、経歴及び環境、犯罪の動機、方法、結果及び社会的影響、犯罪後における犯人の態度その他の事情を考慮し、犯罪の抑制及び犯人の改善更生に役立つことを目的としなければならない」との規定が、より現実的機能を果たしているように思われる。本稿では、各判例の量刑事由を比較検討するため、その比較対照表(表3)を作成したが、結果的には、その対照項目が草案に列挙された事由と相当近似することとなった。そのこと自体、草案の量刑基準が、実定法的機能を果たしていることの証左となろう。その意味では、ここでの量刑事由の検討は、草案が規定する量刑基準の当否を検証するという意義をも有する(9)。以下、このような量刑基準を参照のうえ、量刑事由を犯罪行為に関するもの、犯罪者に関するもの、その他の三つに分けて検討を加え、その後にそれらの相互関係を考察したい。

(2) 犯罪行為に関する事由
  犯罪行為に関する事由として、@動機、A態様、B結果、C社会的影響の四つをあげることができる。
  まず動機に関しては、実刑に処された三事実が、ともに「憤激」ないし「立腹」という動機の激惰性を指摘するのに対して、執行猶予に付された事案は教育目的を強調している点に顕著な差異がある。
  それとは対照的に、客観的評価の可能な「態様」と「結果」について四事実を比較すれば、生徒の死亡という結果がまさに同一であり、犯罪行為の態様自体にも、特段の相違が存するとはいえないように思われる。なぜならば、既刊の体罰刑事事件における傷害罪(10)ないし暴行罪(11)の有罪判例と比しても、本稿の四事実の態様は、殴打の回数や強度、足蹴・「体落し」を加える等の点で、より法益侵害性が高く、四事例の共通性が認められる。もっとも、川崎市立小事件の犯行が、心身の障害をもつ児童への体罰であること、および岐陽高事件の激情的かつ執拗な暴行が過度の有形力行使であること等の事実認定に鑑みれば、それらの行為は極めて重大な刑事責任問われうるものである。そのような意味では、事実ごとの「態様」に一定の軽重があることは当然であるとしても、四事案のうち唯一の執行猶予となった小松市立中事件が、他と比して特に軽微な事案といえるかが検討されねばならないであろう。この「犯行の態様」という点については、さらに四事例の詳細な検討が不可欠である。たとえば岐陽高事件では、検察側証人のT大学法医学教授が「暴行は比較的軽い方であったと考えられ、被害者はショックに弱い特異体質でこれがショックを助長した」旨の証言をしている(12)。これらの裁判過程にあらわれた客観的事実も考慮すれば、「体おとし」等を被害生徒に加えた小松市立中事件の「態様」・「結果」が仮に他の三事実よりもある程度は軽微な侵害行為であると評価できるとしても、その差が執行猶予と実刑の量刑の差を生じるほどの落差に値するといえるかは疑問である。逆に、小松市立中事件の犯行は前日から予告され、計画的であり、その意味では、他の事実より悪質とみることもできる。それらを加味すれば、四事案の態様が執行猶予と実刑を分ける決定的差異をもつとは必ずしも言えないように思われる。
  つぎに四事例のうち、二事例が、社会的影響を量刑事由に挙げている点に注意しなければならない。この社会的影響の評価が、量刑の情状として、刑の加重要因であることは明白である。それにもかかわらず、その影響の内容は、具体的に明かとされていない。澤登俊雄教授は、改正刑法草案に仮案にもなかった「社会的影響」が量刑事由に加えられたことについて、「社会的影響の重大さを考慮して重く量刑することは実際に行なわれているように思われるが」、このような事由を量刑判断上の責任に含ませるような「草案の責任概念は、行為責任を超えるばかりでなく、人格責任すら超えた広い概念でもありうる」と批判される(13)。団藤重光判事も、犯罪の軽重を判断する重要な要素に被害法益や社会的影響の大小が含まれるとしたうえで、「これを過重視することは悪い意味での客観主義に堕する」とし、「実務上は、しばしばその傾向がみとめられる」と指摘されている(14)。このように裁判官の専断的かつ観念的な社会的影響の評価が、量刑事由に持ち込まれている実態と、その傾向を助長する草案の量刑規定は批判されるべきであろう。

(3) 犯罪者に関する事由
  犯罪者に関する事由としては、@経歴、A犯人の性格、B環境、C犯行後の態度などを挙げることができよう。
  四事実とも被告人は大学卒以上の学歴をもち、特に川崎市立小事件被告人は大学卒業後通信教育によって教員免許を取得し、小松市立中事件被告人は、国立大学大学院教育学研究科を卒業後教員となったものである。このような両事件被告人の経歴は、教育への熱意を示すものとして、また被告人の性格特性を示すものとして、量刑事由の一つに挙げられている。
  したがって、犯人の性格について、裁判官が「どのような判断材料」を、「どのような価値基準」によって認定したかは、さらに重要な検討事項といえよう。特に、ここで検討する体罰事件の場合は、裁判官自身の教育観が、被告人の体罰行為に対する規範的評価として、刑の量定上も一定の影響を及ぼしているといえる。小松市立中事件判決は、「被告人は、・・・何かと問題の多かった被害者に対し、大きな熱意を傾けてその指導に取り組んでいたのであり、その教育的熱意からでた行為が結果的に本件犯行となったものであって本件は、いわば被告人の熱心さが招いた被害者及び被告人の双方にとって不幸な事故であった」とし、また、川崎市立小事件の判決は、「被告人の本件暴行は、(教材の自作、本件被害者児童が鉛筆の使用や数唱をできるように指導したこと等〔筆者注〕)右のような被告人の教師としての熱心な面からなされたという面も認められる」と述べている。これらの判決の言う「教育的熱意」、ないし「熱心さ」の内実には、今日の人権保障を基調とする憲法及び教育法の法的規範と矛盾する「教育的」価値観あるいは規範評価が包含されているといえよう(15)。少なくとも、犯行前の教科指導や生活指導の面で、教育的評価に値するものが存するとすれば、それへの法的評価と傷害行為としての体罰への評価とは峻別されるべきであり、それを混同することは許されないであろう。すなわち、犯罪に至る経緯のなかに被告人の情状として斟酌すべき行為事情が存し、それを量刑上、刑の減軽事由とすることは当然であるとしても、当該の体罰行為を「教育的」と評価する判示は、学校教育法等の関連法規に照らしても問題がある。
  また、犯人の性格については、芝中事件において、被告人の性格が「性来短気」と評価され、前述の川崎市立小事件でも「卑劣」との判示が見られるところであるが、これらの評価は、犯行前の被告人の行為、例えば以前から児童・生徒に体罰を加えていたという客観的事実から導かれた性格付けといえる。その意味では、量刑事由としての犯人の性格が客観化された事柄に依拠しており、評価できるが、逆に言えば、「犯行前の被告人の態度」、ないし「当該犯行と類似の不法行為を反復して行なっていたか」という客観的指標を用いることが現実に可能である以上、そのような客観的事由を量刑基準として定立することが量刑の公正化につながると考えられる。なぜならば、「犯人の性格」という裁判官の主観的評価に依存しなければ言語化できないような事由を量刑事由とすれば、「犯人の性格」評価が、その判決の量刑を自己弁護するものに変質する畏れも存するからである。本稿に取り上げた小松市立中事件と川崎市立小事件についても、実刑か、執行猶予かの結論を正当化する有力な根拠として「犯人の性格」が援用されて いる感は否めない。
  次に、責任の有無と程度を考量するうえで、被告人を取り巻く「環境」に対する評価の重要性を指摘しておきたい。この点は、被告人が当該犯罪を為さざるを得ないような状況の下では、他行為可能性の欠如による「期待可能性」の存否が問われることとなり、犯罪そのものの成否に関わることもあろう。しかし、そのような限界的状況にまでは至らない場合でも、被告人の自由意志を制約して犯罪へと導くような「環境」は、量刑判断に一定の影響をもつといえよう。岐陽高事件の公判段階においては、特にこの点を、弁護側が意識的に強調し、情状による刑の減軽を企図したこともあって、同判決では、犯罪に至る経緯のなかで、この点が詳細に判示され、量刑の情状として「本件は、普段からある程度の体罰が容認されていた岐陽高校内の風潮や本件直前になされたF教諭による体罰と被告人の日頃の生活指導に対する甘さを暗になじられたことにあおられた側面がある」ことを指摘している。また、川崎市立小事件においては、岐陽高事件とは逆に、被告人の度々の体罰に関して「以前教頭や同僚教師から、体罰を加えないよう注意されながら、これを改めようとせず遂に本件に及んだ」と判示されている。このような学校教育の現状に関して、各判例が、一歩踏み込んだ判断を行なったことは、システム化された体罰、すなわち構造的犯罪という犯罪社会学的、刑事学的課題を考察する際にも、重要な意味を有するといえる(16)。体罰行為に対する評価とともに、学校教育の体制・構造への司法的評価の蓄積は、児童・生徒の人権保障という法の目的実現にとっても有意義であろう。
  「犯罪後の犯人の態度」については、示談の有無が、最も大きな量刑判断の要素ないし基準の一つであるといえよう。すでに、従来の実証的量刑研究の結果にも、示談の成否が執行猶予の可否について顕著な相関関係をもつことが確認されており(17)、本件の四事案の判決理由にあらわれた量刑判断にもこのことが、明らかに示されているといえよう。

(4) その他
  ここでは、@前科前歴、A社会的制裁、B因果関係、C勾留期間について検討してみたい。
  前科前歴については芝中事件判決と小松市立中事件判決がこれに言及していない。また社会的制裁である懲戒免職処分については、芝中事件判決のみこれに言及していない。しかし、学校教育法九条一項二号による教員の欠格事由からみて、本件被告人らが犯行以前に禁固以上の刑に処されたことがなく、さらに裁判上問題となるべき前科前歴の判示もないことから、この点で四事実が共通していることは明らかであろう。さらに、芝中事件被告人が判決時に失職していることから推察すれば、社会的制裁の面でもこの四つの体罰事件の同一性が存するといえよう。したがって、この四事実の量刑の差異は、前科前歴や社会的制裁の有無によって説明することはできない。
  岐陽高事件では、以上に検討した量刑事由の他に「酌むべき事情の一端」として、「被害者の死亡という結果は、その特異体質が何らかの形で影響したことも否定できないこと」、「長期間にわたり身柄を拘束されていること」までも挙げているが、結論として、「本件犯行の態様、結果の重大性等に鑑みると、被告人に対しては、実刑をもって臨むのもやむを得ないと判断した」とする。また、川崎市立小事件では、「生前被害児童を診察した医師において、頭部にCTスキャンを撮っていれば、出血を発見し、早期に手術により救命の可能性があったと考えられること」等を、「被告人に有利に解すべき事情」としながら、結論的には、被害者の応報感情に裏付けられた結果の重大性を重視して、懲役三年の実刑に処した旨を判示している。その限りでは、結果の重大性など犯罪の行為類型や犯罪者に関わる事由の比重に比し、ここに掲げた量刑事由は、相対的にみて量刑基準としての機能は小さいものといわざるをえない。


 三 量刑基準の検討 − 執行猶予の可否を中心にして −


  刑法総則の規定に従えば、量刑因子は、一般的に@必要的加重・減軽事由、A法律上の裁量的減軽事由、B酌量減軽事由ないし情状、と序列化して考えることができる。けれども、刑法七二条による法定の量刑域を決定する段階はともかく、その量刑域内において現実に量刑が決定される段階においては、心神耗弱や過剰防衛等の因子が「法律上必要的な加減事由となっているか否かは、必ずしも裁判官の量刑感覚に差別的な効果を及ぼさず、・・・一切の情状はその法律的な序列とは無関係に、渾然一体として評価されて量刑を導き出す」(18)といわれている。本稿では、量刑事由として犯罪行為、犯罪者に関わる事由のほかにも因果関係や勾留期間までも量刑判断の基準として考慮されていることを示すとともに、体罰による傷害致死の場合どの情状が量刑の主要なメルクマールとなっているのかを検討した。
  前述のように、傷害致死は、人の死という侵害法益と、機会的犯行という犯状の等質性をもつ。そのような等質な傷害致死を類別するために、量刑上の差異を判定する基準として、一般的に、犯罪者の特性(例えば、犯罪集団への帰属、酩酊等)、被害者との関係(痴情・怨恨・行きずりの喧嘩等)の指標が用いられてきた。現実に傷害致死罪の多くはこのような類型のものが多いとされてきたが、しかし、ここで検討した体罰事案は、一般の傷害致死とはかなりの相違点をもつ。そして、体罰事案相互については、犯罪者の経歴、被害者との関係、生徒の規律違反が体罰の動機であること、その違反に対して過度かつ違法な態様の暴力が加えられていること、体罰行使の背景にそれを許容する規範意識が存在すること等においてもかなりの点で等質である。
  このような体罰事実の特質をも考慮したうえで、実刑と執行猶予の相違に対応する情状として、犯行の動機と犯罪後の犯人の態度の二点に注目し、検討を加えてみたい。
  犯行の動機については、先に指摘したように、裁判官の「教育」的価値観ないし規範意識によってその評価にかなりの相違が生じる可能性がある。小松市立中事件判決では、弁護人による正当行為の主張に対して「たとえ教育上の指導のためであっても、体罰が許されないことは、学校教育法一一条に明記されているところであり、被告人が被害者を殴打した行為は、往復ビンタを手加減することなく四回加わえたというものであって、このような暴行を加えることは、その意図の如何を問わず、同法条にいう体罰にあたると解されるから、これが違法な行為であることは明白である。」としながら、その一方では、量刑の情状として、体罰を「教育的熱意」のあらわれとするような前近代的ないし非民主的規範意識が無自覚的に顕在化されていた。このような規範意識が量刑を軽減し、執行猶予か実刑かという判断の要素ないし基準とされているとすれば、その情状判断に徹底した批判が加えられなければならないであろう。しかも、従来の量刑研究においても、裁判官の量刑判断以前に、その判断資料自体に関して、「資料の内容面にかなり問題がある」との指摘もみられる(19)。以上の考察より、本稿で検討した判例の認定事実によれば、四事例の各々の情状評価に一定の軽重が生じうるとしても、それが執行猶予か実刑かの相違を生むほどの差異であるか否かは、なお疑問があるといえよう。
  最後に示談の成否と執行猶予の可否との対応関係について検討を加えたい。その両者の関係が密接であるという事実に関しては、ほぼ争いのないところであろう(20)。しかし、その密接性については、一定の疑義が生じる余地もある。被害者感情の強弱は、刑事責任の軽重を規定する重要な要素であることは否定できないとしても、刑の執行猶予を行なう主たる標準を「施設収容せずとも社会復帰ができるか否かという特別予防的観点」および「再犯の可能性」にあるとすれば、執行猶予の可否に閑しては、示談の成否を特に重視する必要はないであろう。換言すれば、執行猶予の標準を「刑の適用に関する一般基準」と同一視することは、執行猶予の刑事政策的機能を没却するものといえよう(21)。
  したがって、体罰事実の処理においては、体罰による人権侵害を減少へと導く一般的予防の観点と、被告人の更正という特別予防の観点とを現実的に調和する方途が見いだされねばならないのである。まず、一般予防的視点から検討を加えれば、本稿で検討した岐陽高事件の実刑判決後、一年を経ずして川崎市と小松市において体罰による傷害致死事件が生じたのであって、この客観的事実から考えても、実刑判決という厳罰主義が体罰死事件の防止につながるとはいえないであろう。むしろ、実刑判決であるということよりも、岐陽高事件判決において、社会的に注目された判示は、従来体罰をほとんど加えたことがなく、一般社会においては、「温厚」な同事件被告人が、岐陽高校という学校教育のなかでは暴行・傷害行為を行なうに至ったといういわば体罰の構造的犯罪性の指摘であったように思われる。同事件判決の問題提起が、ただちに教育の構造を変革し、学校教育を改善するということはないにしても、それが行政各機関、日弁連等の法曹関係者、教育関係者の取組を促したきたことは事実であろう(22)。その意味では、被害感情の鎮静化や一般予防の実現が可能であるとすれば、それは犯人の厳罰によってではなく、被告人を含む関係機関、関係者の「体罰なき教育」への取り組みと被害者遺族への慰謝・損害の補償によって、はじめて達成できるといわねばならないであろう。本稿ですでに検討したように四事案の被告人はともに、懲戒免職によりその地位を失っており、体罰による暴行・傷害という犯罪行為をおこなう再犯の可能性はまさに希有である。しかもいくつかの判例が判示するように被告人が本件を深く反省しているとすれば、このような被告人を長期にわたり施設に収容する意義は何を以て説明しうるかが改めて問われることになる。この問いに対して、平野龍一教授がいまから二十余年も前に、執行猶予に関して「わが国の現在の運用は、いわゆる情状に重きをおきすぎ、「再犯のおそれがない」という要素を軽視しすぎてはいないだろうか」との述べられている点は、現在もなお顧慮に値するであろう(23)。
  そもそも、傷害致死の量刑に関しては、@他の多くの犯罪の量刑がその法定量刑域の最低線に集中する傾向があるのに対して傷害致死に対する量刑はやや高い線に集中していること、A傷害致死のほとんどが法定刑の枠内でまかなわれていること、B犯罪全体の科刑実態が戦後寛刑化の傾向にあるにもかかわらずむしろ傷害致死は厳罰化への傾向も見られること等の特異な現象が見られる(表1、2参照)(24)。その要因等については、さらに実証的かつ法社会学的考察が不可欠であるが、少なくとも、前述のように傷害致死罪が厳罰化に赴きやすい傾向については、量刑実態の再検討が必要であるといえるであろう(25)。




(表1) 傷害致死罪の通常第一審事件の有罪(懲役)人員   (単位:人)
量  刑実刑及び
執行猶予
昭57昭58昭59昭60昭61
15年以下実  刑01120
10年以下実  刑28438
7年以下実  刑191282014
5年以下実  刑9587797982
3  年実  刑2829312133
執行猶予5358385350
2年以上実  刑4230523232
執行猶予2227252737
1年以上実  刑56620
執行猶予47203
6月以上実  刑00000
執行猶予00000
総   数270265246239259
 昭和57−61年度 司法統計年報2刑事編 36−3表より作成



(表2)傷害致死罪の量刑分布               (単位:%)
量刑 \ 年昭57昭58昭59昭60昭61昭57−61
平均
昭25−31
平均
15年以下0.40.40.80.50.4
10年以下7.77.54.99.78.57.78.2
5年以下35.232.832.133.131.733.028.3
3  年31.032.828.031.032.030.834.1
2年以上23.721.532.324.726.725.624.3
1年以上3.44.93.20.81.22.75.7
6月以上0.3
執行猶予率29.334.726.433.534.731.732.5
有罪総数270265246239259255.8471.4
 昭和25−31年の平均に関しては,正田・前掲論文(法律時報30巻5号76頁)参照
 昭和57−61年に関しては,各年度の司法統計年報2刑事編より百分率算出



(表3) 各事案の量刑事由の比較
  芝中事件 岐陽高事件 小松市立中事件 川崎市立小事件
量刑 懲役三年 懲役三年 懲役二年六月、執行猶予三年 懲役三年
動機 担任クラスを訓戒中、教室外で騒ぎ戸を開け放って逃げた生徒に対し、憤激して。 修学旅行中、禁止されていたドライヤーを持参した生徒に対して、憤激して。 担任生徒が、頻繁に遅刻、忘れ物をし、嘘の弁解をしたため生徒に真剣に反省させるため。 担当の特殊学級生徒が書初めを書かないため、立腹して。
態様 額面を、手拳で五回位殴打。 頭部を平手・手拳で殴打、足蹴りし頭を踏みつけ、さらに頭を壁にぶつけさせ、腹部を蹴りあげる等。 平手で四回往復ビンタ、さらに柔道の体落としのような形で投げつけ、畳上に転倒させ、その後頭部を打ちつけた。 手拳で、頭部を数回殴打。本件以外にも体罰を度々加わえており、本件態様も極めて悪質かつ卑劣。
結果 脳機能障害により死亡 急性循環不全により死亡 脳挫傷等の傷害により死亡 硬膜外血腫により死亡
影響 判示なし。 社会的影響大。 教育界・社会一般に与えた衝撃大。 判示なし。
経歴 教職に就き、一年三月 教職に就き、一三年一月、但し同校着任後一月余 教職に就き、三月 臨時任用を含め、五年一〇月、但し正規任用後、二年目
犯人の性格 性来短気のため、生徒に対し、穏やかに説諭することなく直ちに殴打する等の挙動あり。 平生は、体罰を加えることも全くといってよいほどなかった。 大きな熱意を傾けて指導に取組み、その教育的熱意が結果として本件暴行となった。 本人の能力を伸ばすためには体罰もやむを得ないと考えていた。
環境 判示なし。 犯行は、同輩教師から暗になじられた事などに誘発されたものである。 判示なし。 以前教頭や同僚教師から、体罰について注意されていたが、改めようとしなかった。
犯行後の態度等 判示なし。 深く反省、遺族への誠意も見られるが、遺族は厳罰を望んでいる。 深く反省、遺族と小松市の間に示談が成立し、被告人からも別途見舞金一五〇万円支払。被害児童の父も寛大な処分を望む嘆願書を提出。 深く反省、しかし被害児童の遺族に何ら慰謝の措置を講じておらず、被害児童の両親は、厳重な処罰を望んでいる。
その他の量刑事情 特に、判示なし。 前科前歴なし。懲戒免職処分とされた上、長期間身柄拘束を受けた。被害者の死亡は、その特異体質が何らかの影響を与えたことも否定できない。 懲戒免職され社会的制裁を受けている。 前科前歴なし。懲戒免職処分となり、社会的制裁を受けている。




(1)日本における量刑研究の概観については、岩井弘融ほか編『日本の犯罪学3』東京大学出版会(一九七〇年)一一三頁以下(所一彦・三井誠執筆部分)、平野龍一編集代表『日本の犯罪学6』東京大学出版会(一九八○年)九七頁以下(澤登俊雄執筆部分)および、そこに掲記されている論文を参照。
(2)この点を指摘するものとして、佐伯千仭「刑の量定の基準」刑法講座一巻(一九六三年)一一八頁、松岡正章『量刑手続法序説』成文堂(一九七五年)一−二頁など。
(3)松本時夫「刑の量定・求刑・情状立証」石原一彦ほか編『現代刑罰法大系6』日本評論社(一九八二年)所収一四五頁以下、一六五頁。
(4)久岡康成「量刑」ジュリスト五〇〇号(一九七二年)四五〇頁。
(5)三上孝孜ほか「刑事裁判における量刑のあり方 −−検事長の「寛刑」批判について」法律時報六〇巻二号(一九八八年)六三頁以下参照。
(6)正田満三郎ほか「傷害致死に対する量刑の実証的研究(1)〜(4)」法律時報三〇巻五号・八号・一一号、三一巻一号(一九五八−五九年)、(1)七一−七二頁参照。
(7)中利太郎・香城敏麿「量刑の実証的研究」司法研究報告書一五輯一号(一九六六年)なお岩井ほか・前注(1)掲書一六二頁以下に抄録掲載。抄録一七六頁参照。
(8)傷害致死罪に関し、昭和三〇年一年間の第一審有罪事案の類型化による量刑基準の具体化を企図する労作として、入江正信「傷害致死の罪に関する量刑資料」司法研修所調査叢書六号(一九五九年)。また生命犯に関し、正田ほか前注(6)掲論文、武安将光ほか「生命犯に対する刑の量定に関する実証的研究」法務総合研究所研究部紀要(一九六二−六三年)、高橋正巳「殺人罪に対する量刑の実証的研究」司法研究報告書一七輯五号(一九六七年)などがある(なお引用は、岩井ほか・前注(1)掲書の高橋・同論文抄録一四二頁による)。
(9)草案四八条に対する批判的検討として、澤登俊雄「刑の適用」平場安治・平野龍一編『刑法改正の研究1』東京大学出版会(一九七二年)二五〇頁以下、吉岡一男「刑の適用」法律時報臨時増刊『改正刑法草案の総合的検討』四七巻五号(一九七五年)七一頁以下参照。
(10)八代簡判昭四四・一〇・八事故処分判例集三巻八八七頁は、鼻付近を一回殴打して治療一週間を要する顔面打僕を負わせたもの。長野地判昭五八・三・二九事故処分判例集三巻九四一頁は、手・本・定規で顔・頭等を殴り、髪をつかんで床に打ちつける等により一週間の傷害を負わせるなど体罰による計四件の傷害行為が有罪とされたもの。
(11)大阪高裁昭三〇・五・一六高裁刑集八巻四号五四五頁(最高裁昭三三・四・三裁判集一二四号三一頁で確定)は、手拳ないし平手で一回づつ殴打したもの。川内簡裁昭四一・八・三一事故処分判例集三巻八八五頁は、竹製指示棒で頭部を二ないし二〇回殴打したもの。高田簡裁昭四四・五・一二事故処分判例集三巻八八六頁は、顔面を平手で一ないし五回くらい殴打したもの。
(12)『体罰・いじめ』季刊教育法一九八六年九月臨時増刊号・六四号一三八頁。なお岐陽高事件については、同書に安藤博「岐阜県立岐陽高校体罰事件裁判・判決解説」一三九頁以下等があり、事件後の関係機関の対応及び見解等が掲載されている。
(13)澤登・前注(9)掲論文二五四頁。
(14)団藤重光『刑法綱要総論〔改訂版増補〕』創文社(一九八八年)五〇八−五〇九頁。
(15)このような体罰肯定的な裁判規範、及び社会規範の問題性に関し、その規範形成の史的・法社会学的考察は、吉田卓司「体罰法禁と刑事法」関西非行問題研究一二=一三合併号(一九八八年)三九頁以下を参照されたい。
(16)今橋盛勝・安藤博「追いつめられた教師の体罰と学校組織の人権感覚−−岐陽高校体罰事件水戸地裁判決について(上)」季刊教育法六三号(一九八六年)、一三一頁の安藤発言参照。
(17)例えば、傷害罪につき、中ほか・前注(7)掲論文五五、および八九頁。
(18)高橋・前注(8)同論文抄録一四三頁。
(19)中ほか・前注(7)掲論文九〇頁。なお、学説も量刑の際の資料の不十分さを指摘し、判決前調査制度の採用等の制度改革を提言するものが少なくはない。たとえば、松尾浩也「刑の量定」宮沢浩一ほか編『刑事政策講座』成文堂(一九七一年)一巻三五四頁、藤木英雄『刑事政策』日本評論社(一九六八年)二三六頁等。
(20)このように、裁判官が極度に示談を重視する傾向は、生命犯のみならず、詐欺等の罪種にも顕著に見られる(前田俊郎「執行猶予・実刑の経験科学的基準に関する研究」岩井ほか・前注(1)掲書抄録一四九頁および一五八頁による)。
(21)吉川経夫「刑の執行猶予」平場ほか前注(9)掲書二八二頁参照。
(22)岐陽高事件の生じた昭和六〇年五月以後の「子どもの人権」をめぐる動向については、利谷信義ほか「子どもの人権の現状と理論課題(座談会)」法律時報五九巻一〇号(一九八七年)一二頁以下の「人権の危機状況への自覚」、および前注(12)掲書一三二頁以下参照、なお体罰が学校教育のなかで構造的に行なわれている実態を示すものとして、津田玄児ほか「体罰の実態」ジュリスト九一二号(一九八八年)三九頁参照。
(23)平野龍一『矯正保護法(法学全集四四)』有斐閣(一九六三年)四六−四七頁。
(24)傷害致死の重罰化については、殺人罪との関連において未必の故意の認定が厳格化したことなどにより犯状の重い事実が傷害致死として実務上とりあつかわれた結果として、統計的に傷害致死罪が重罰化したように見えるのではないかという指摘も可能であるなど、なお総合的かつ多角的検討が不可欠である。しかし少なくとも、次のような長期的視点から、その重罰化傾向の存在を指摘することはできるように思われる。高橋正己「量刑の変遷」『小野博士還暦記念・刑事法の理論と現実』所収(但し以下の引用は、岩井ほか・前注(1)掲書所収の同論文抄録一八九−一九一頁による)の研究によれば、法定刑域の同一な強姦および非現住建造物放火と傷害致死の比較において、傷害致死の重罰傾向を指摘したうえで、「傷害致死に対する量刑の中心は最初は五年以上十年未満の線にあったが、昭和年代に入ってからはそれが三年以上五年未満の線に移り、さらに昭和十四、五年に至ってようやく他の二罪と同様に懲役二年以上三年未満の量刑が基準的なものとなってきた」とのべられていた。ところが、戦後の傷害致死の量刑に関する高橋博士らの研究によれば、昭和二十年代の戦後の量刑は、「戦争直前の昭和年代の量刑よりもはるかに重いのであって、大体において大正末期の相当厳しかった頃の量刑に戻っている」という(正田ほか・前注(6)掲論文法律時報三〇巻五号七六頁)。
(25)前注(24)において述べた戦後の傷害致死の重罰化については、表2によって明らかなように、近年さらに量刑・執行猶予率とも重罰化の傾向が進んでいる。この点については本稿において詳述の余地はなく、ここでは、問題点の指摘に止め、後日の課題としたい。なお、このような執行猶予率の動向調査に基づいて裁判官の規範意識を明らかにするという先駆的な研究として宮内裕『執行猶予の実態』日本評論新社(一九五七年)がある。同書は、このような刑事学研究に関する法社会学的考察を行なううえにおいて、貴重な視点と方法論を示唆するものといえよう。

(付記) 本稿は、刑事判例研究会(於・同志社大学・昭和六三年一一月二六日)において報告した内容に加筆・修正を加えたものである。同研究会における報告の機会と本誌掲載の場を与えられ、かつ貴重なご教示をいただいた諸先生方に、この場を借り、心から御礼を申し上げるとともに、本稿引用の法務・司法資料の閲覧などにつき、神戸地方検察庁並びに神戸地方裁判所各資料課の御高配を賜わったことを記し、感謝の意を表したい。

(吉田卓司)







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