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TITLE:  障害者の学校選択権と入学拒否処分 − 尼崎高校事件・神戸地判1992.3.13 − 
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第116号(1992年3月)
WORDS:  全40字×177行

 

障害者の学校選択権と入学拒否処分

− 尼崎高校事件神戸地判1992.3.13 −

羽 山 健 一 

 

1.事実の概要

  T君(原告)は4歳の時に進行性筋ジストロフィーと診断され、小学校5年生から車椅子での生活を送っていたが、小・中学校は地元の学校に通った。高校選択に当たり、自宅に近い市立尼崎高校進学を希望し、1991年3月、同校を含む尼崎市内の8つの公立高校を1グループにした総合選抜試験を受験した。T君の入試における学力検査成績は上位10%に達し、合格圏に入っいたが、8校の校長でつくる合否判定委員会は被告は、T君の障害のため高校3年間の全課程を履修できる見込みがないと判断して不合格を決めた。このため、T君と両親は同年6月、「障害を理由とした不合格処分は不当」として、同校校長と尼崎市を相手取り、入学不許可処分の取り消しと損害賠償を求めて、神戸地裁に提訴した。

 

2.裁判所の判断

  高等学校入学拒否処分の性質について、学校長は合否判定の権限を有し、「入学許否の処分自体はもちろん、どのような入学選抜方法をとるかについても、学校長の裁量的判断に任されて」おり、調査書に記載されている「学力とは直接関係のない学習評定以外の記録をどのように扱うかについては」、学校長の裁量に委ねられている。ただし「処分が事実の誤認に基づいていたり、その内容が社会通念に照らして著しく不合理であったりするような場合」には、裁量権の逸脱又は濫用としてその処分が違法となると判示している。このように広い裁量権を認めた上で、本件処分の前提となった、「原告の身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見通しがないとした」事実認定について、「本件認定が、事実に基づかない場合はもちろん、その評価過程に著しい不合理があるような場合にも、事実誤認があるということができる」として、本件事実認定の過程を詳しく審理している。

 (1) 裁量権行使に対する実体面の審理

  原告の履修可能性について、以下のような理由からその可能性を肯定した。@原告は中学の課程を無事終了しており、高等学校においても、「障害を有する生徒が在籍する場合には、各教科、科目の選択、その内容の取り扱いなどについて必要な配慮をすることが要求されているのであり」(学校教育法施行規則26条・65条、高等学校学習指導要領第1章第6款の6の7)、原告の履修可能性を否定できない。A「本件高校では、過去に筋ジストロフィーで、車椅子を必要とするAが、無事卒業している実績がある」。B本件高校ではAが入学した際、施設、設備を改善し、車椅子のための最小限の設備が備わっている。確かに十分な設備が完備されているということはできないが、「障害者を受け入れたときは、その障害者の障害の程度、当該学校の実情にあわせて、介護、介助のための諸設備を整えていけばよいのであって、現在の施設、設備が不十分なことは、入学を拒否する理由とならない」。C原告の身体的状況の見通しについては、被告校長が筋ジストロフィー症の専門医の診断書を希望し、校医に専門医を紹介させたが、その専門医による「高校3年間の就学は可能である」との医学的見解を示した診断書がある。

  以上のように、「本件処分は、『高等学校における全課程の履修可能性』の判断に際し、その前提とした事実又は評価において重大な誤りをしたことに基づく処分であって、被告校長が本件高校への入学許否の処分をする権限の行使につき、裁量権の逸脱又は濫用があったと認めるのが相当である」とした。

 さらに、校医は原告を特に診察することもなく、被告校長に「普通高校で3年間就学することは非常に困難である」との意見を述べ、筋ジストロフィーに関する医学書の写しを渡したが、被告校長は「そのようにして得られた一般的知識を専門医の意見、判断よりも優先し、その結果、原告について、高等学校の全課程を履修することができないと判断したことは、裁量権を逸脱し、又はこれを濫用したといわなけらばならない」とした。(資料の使用方法の違反)

 (2) 裁量権行使に対する手続き面の審理

 本件合否判定委員会は、選抜要項とは別個に次のような合否判定基準を設けた。@自力で水平移動できること、A着替え、食事、トイレ等の身の回りのことは自分でできること、B全日制普通科高等学校の教育目標に従って3年間の全課程の履修が可能であること、の3点である。このなかで、@及びAの基準については「精神薄弱者に適用されることを念頭において作成されたものであって、[これを]原告の場合にまで当てはめようとすること自体、賛成することができないし、また、その基準を具体的に見ても、かなり恣意的なものと評することができる。よって、この点について、被告校長が設けた基準を本件に当てはめたことは裁量権を逸脱したか又はこれを濫用したといわなければならない」と判示した。(判定基準の違法)

  裁判所は以上の実体面、手続き面の審査から、本件入学不許可処分を違法とし、その取り消しを判示した。

 (3) 憲法上の権利、その他の法令の解釈

  憲法26条、教育基本法1条、・3条1項から、「障害を有する児童、生徒も、国民として、社会生活上あらゆる場面で一人の人格の主体として尊重され、健常児となんら異なることなく学習し発達する権利を保障されている」、「障害者がその能力の全面的発達を追及することもまた教育の機会均等を定めている憲法その他の法令によって認められる当然の権利である」という解釈を示している。また、学校教育法41条には「高等学校は、・・・・心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする」とあるが、これは「身体障害を理由として、高等学校の入学を一切拒否することができる」とする趣旨のものではないとして、被告の主張を退けている。

  被告は、原告の教育を受ける権利を実現するための学校は養護学校であるから、本件高校への入学拒否処分は正当であると主張する。しかし、学校教育法71条・71条の2及び、学校教育法施行令22条の2は、「高等学校入学の学齢に達した障害者につき養護学校等へ就学させる義務を規定したのではなく、障害者の普通高等学校への入学を否定する法令も存しない」し、「少なくとも、普通高等学校に入学できる学力を有し、かつ、普通高等学校において教育を受けることを望んでいる原告について、普通高等学校への入学の途が閉ざされることは許されるものではない」と結論づけている。

 

3.解説

  本判決は、身体に障害があるという理由だけで入学の門戸を閉ざすことは許されない、という司法的判断を下した判例として、極めて注目すべきものである。

 (1) 校長の裁量権に関して、調査書中の学習評定以外の記録の扱いや、「高校の全課程を履修する見通しがある」との判断につき、校長に幅広い裁量権を認めており、またこの裁量権の逸脱または濫用にあたる基準として、「事実誤認」や「社会通念上の不合理」という概念をを用いている点において、従来の裁量権行使の適否を審査する司法的統制の手法と変わるものではない(ただし、本判決では「著しく妥当を欠く」という概念を用いていない)。しかし、本判決でいう「事実誤認」とは、単なる事実の錯誤に留まるものではなく、T君の入学の適否について、かなり踏み込んだ密度の濃い実体的審査を行っているものと考えられる。処分の前提となる事実の認定には、当該事実に対する評価を伴うものが少なくないため、裁判所はこの事実認定の適法性を審査することができるとする立場を採っていると考えられる。その上で、校長が行った「履修の見込みがない」という事実認定につき、その結論に至った過程を審査し、専門医の診断よりも校医の診断を重視するなど、全く条理を欠く判断過程の不合理性を指摘し、校長の事実認定を覆した。このような手法はいわゆる「判断過程統制方式」(阿部泰隆「原発訴訟をめぐる法律上の論点」判タ362号)ともいうべき実体面での審査方式に類型化されるものであろう。

判決は、校長が調査書の「学習の評定」以外の記録を判定資料として、一定の学力に達している者でも、「全課程を履修できる見通し」がないとして不合格の判定をすることが許されるという旨の判示を行っているが、それがそのような場合を指すのか、あるいは、学力以外のどのような事情により、不合格の判定をできるのかについては、判示しておらず、この問題は今後に残されることになろう。            <以下次号>

(2) 本判決は、憲法26条の教育を受ける権利を「国民各自が、一個の人間として、・・・・成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有を権利」(最高裁学テ判決)と捉えていると考えられ、障害児も健常児と同様に「学習し発達する権利」が保障される、と判示している。このことは、障害児も健常児も、各人の能力の全面的発達のために、その成長・発達に必要かつ適切な教育を平等に保障される権利を有する、という意味に解釈しているということになる。(したがって、「能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する」の「能力に応ずる教育」とは、学習の機会を与えるか否かを決めるに先だっての「適格性」を意味するものではない。) したがって、施設・設備が最小限しか整っていなくとも、学力・心身の状況から高校の全課程の履修が可能と認められる場合には、本人の希望が尊重されなければならない、という結論に達する。

 (3) 障害児の就学問題に大きな変化をもたらしたのは、1979年の養護学校の義務化である。養護学校の義務化は、障害児に「教育を受ける権利」を保障し、義務教育制度を完成させるものであるといわれている。しかし、この体制によって、障害児に養護学校に行くことを義務づけ、地域の普通学校から閉め出し、排除することが行われるようになった。障害児自身や、その心身の状態・希望を最もよく知っている親が、地域の普通学校あるいは普通学級での教育を求めても、教育行政当局が、「就学時健診」によって障害の程度を一方的に診断して、「就学指導」という名のもとに養護学校への通学を強制する事例が全国で数多く起きるようになった。何らかの形で裁判所に提起されたものとして、東京花畑小学校障害児自主登校事件(1982)、宮崎・障害児学校指定処分行政不服審査請求(1984)、長崎・障害児学校指定処分取消訴訟(1982)、東京・明星学園進級拒否事件進級拒否事件(1988)、旭川・特殊学級入級処分取消訴訟(1991)、などがみられる。

  これらの事件に共通するのは、当該児童・生徒にとって、どのような教育を受けるのが望ましいか、つまり何が「最善の利益」であるかについて、本人・親の希望よりも、教育行政・学校の判断を優先させていることである。

  確かに、どのような障害児も、本人やその親の意思とは無関係に、すべて、普通学校・学級で学習するのが望ましいとする論には、現状ではかなり無理があると言わざるをえない。本判決も、「障害を有する児童、生徒を全て普通学校に教育すべきであるという立場に立つものではない」としている。このことは、障害児によって、その障害の種類、程度が極めて多様であり、また、障害児を受け入れる側の物的・人的あるいは地理的条件も多様であることから、一律に論じることができないのは当然のことであろう。しかし、その障害児にとって、どのような学校・学級が適切であるか、どのような教育が必要であるかを判定するに当たっては、まずもって、(可能な場合には本人)親の希望・願いが正当に尊重されなければならない。

 (4) そのような際に、大きな問題となるのが、受け入れ側の施設・設備の不備、障害児のケアを担当する要員の欠如である。本件においても不合格決定に先立つ職員会議で、各教諭から「事故への対処方法及びその責任の所在が最大の問題であり、そのためには現在の施設、設備では無理があり、エレベーター、エスカレーター、階段のスロープなどの設備を設けることと、介護員、介助員を付けることが必要」などの意見が出されている。被告校長は、教職員から出されたこのような要望について、市教委と交渉したが、市教委から「エレベーター、エスカレーター、二階又は体育館へのスロープの設置、及び介護員の配置は無理である」、また「ステアエイド(キャタビラー付きの階段を昇る道具)が必要ならば予算に計上する」、と回答された。本件高校では障害者用のトイレや、小さな段差解消のためのスロープ、教室のドアレールを埋め込み式にするなどの施設・設備の改善が既に行われていた。

 多くの場合教育委員会は、エレベーターの設置、介護のための人員の増員については否定的である。このような条件の中で、学校が障害児を受け入れようとすれば、教職員は多大なる労力と危険ならびに責任の負担を覚悟しなければならない。たとえば、大阪市立中学で生徒が車椅子を押した際、前輪が引っかかり、車椅子に乗っていた障害児が前方に落ち傷害を負った事故について、校長に過失を認め損害賠償請求を容認している(大阪地判1989・7・27 )。

  この施設、設備の問題につき本判決は、本件高校が必ずしも十分な設備が完備されているとはいえないとしながらも、「しかし、障害者を受け入れたときには、その障害者の障害の程度、当該高校の実状にあわせて、介護、介助のための諸設備を整えていけばよいのであって、現在不十分であるならば、それを改善するためにはどのような諸方策が必要であるかを真剣に検討する姿勢に立つことが肝要であり、現在の施設、設備が不十分なことは、入学を拒否する理由とならない」としている。この判示は障害者の普通学校入学を促進するとともに、入学後の、施設・設備の整備についての教育委員会の条件整備義務を明確にするという、大きな影響力を教育現場にもたらすと考えられる。

 (5) 本件は、障害児が普通学校への入学を拒否された事例であるが、これとは逆に、障害児が養護学校への入学を拒否された事例もある。この養護学校高等部入学願書不受理処分取消請求事件については、昨年判決が出されている(京都地判1991・4・12 判タNO.774)。この事件の原告は、幼少時からいわゆる「知恵遅れ」(精神薄弱)の判定を受け、小学校入学時から教育委員会に特殊学級での教育を勧められたが、両親の強い希望により、小、中学校とも普通学級に入学した。中学卒業後、養護学校高等部への入学を希望して、願書を提出したが、その受理を拒否されたために、その取消を求めて提訴した。不受理の理由は、教育委員会が市立養護学校高等部に入学できるのは、中学校2年次終了までに養護学校中等部又は中学校特殊学級に在籍した者に限定すると募集要項に定めたことによるものである。この判決の中では、実質的な憲法解釈を示していないが、「入学資格を有する者の中から更に条件を付して高等学校入学応募資格を定めたとしても直ちに憲法26条1項に反するものではない」として、本件尼崎高校事件判決とは対照的に、本人・親の切なる希望を軽視し、学校側の願書不受理を是認した。  <以下次号>

 

(判決文その他の資料については、岩佐嘉彦弁護士ならびに、「尼崎高校入学拒否事件裁判弁護士団」の青木圭史弁護士のご厚意により入手することができました。この紙面を借りてお礼申し上げます。)



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