◆199302KHK127A1L0445J
TITLE:  指導要録の開示を考える − 箕面・豊中・川崎3市の個人情報保護審査会答申の検討を通じて − 
AUTHOR: 山口 明子
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第127号(1993年2月)
WORDS:  全40字×445行

 

指導要録の開示を考える

−箕面・豊中・川崎3市の個人情報保護審査会答申の検討を通じて−

山 口 明 子 

 

はじめに:

指導要録の開示請求はすでに20件以上にのぼるが、昨年は箕面・豊中・川崎3市で請求されたケースについて全面開示が妥当との審査会答申が出され、うち箕面・豊中ではすでに教育委員会の決定によって開示されるというめざましい前進があった。 (但し豊中のケースには後に説明を加える。また川崎市の答申は卒業生についてのみ全面開示) そこでこの三市における開示請求者・教育委員会の主張、および個人情報保護審査会答申をそれぞれに検討したのち、答申を比較してその共通点や相違点から指導要録開示あるいは教育個人情報開示の方向を探りたいというのが、このレポートの趣旨である。〔開示請求者・異議申立て人・審査請求人等の呼称はすべて請求人に、実施機関・処分庁(=教育委員会)はすべて実施機関に統一した〕

 (この報告後の2月6日、川崎市教育委員会も卒業生については指導要録の即時全面開示、また、93年度以降作成分については94年度から在校生にも全面開示と決定した)

 

 

1.予備作業

(1).三市の指導要録開示請求の状況

自治体 請求年月 教育委員会決定 審査会答申 教育委員会再決定
川 崎 90.11.
90.12.
様式T全部・様式
U一部開示
92.10. 全部開示 (93.2.答申通り)
卒業後全部開示
豊 中 90.12. 様式Tのみ開示 92.5.88年以前全部
89年以後一部
92.11.答申通り
箕 面 91. 2. 様式Tのみ開示 92.3.全部開示 92. 6.答申通り

 

(2).三市の個人情報保護条例における自己情報開示請求権の適用除外事項

〔箕面市個人情報保護条例〕

第13条(自己情報の開示請求)

2 実施機関は次の各号の1に該当する個人情報について開示しないことができる。

 一 法令等の規定により開示することができないとされているもの

 二 個人の評価、診断、指導、判定等に関するもので、本人に知らせないことが適当と   認められるもの

 三 公文書公開条例第十条に規定するもの

 四 実施機関が公益上必要があると認め、運営審議会の意見を聴いて定めたもの

 

〔豊中市個人情報保護条例〕

第15条(自己情報の開示及び非開示等)

2 前条の規定に関わらず、実施機関は、当該請求にかかる自己情報が次の各号のいずれ かに該当する個人情報である場合は、当該請求にかかる自己情報を開示しないことがで きる。

 (1)法令等の規定により開示することができないとされているもの

 (2)個人の評価、診断、判定、選考等に関するものであって、本人に知らせないことが正当であると認められるもの

 (3)開示することにより、実施機関の公正かつ適切な事務事業の執行を妨げるおそれがあると認められるもの

 

〔川崎市個人情報保護条例〕

第13条(閲覧等を請求する権利)

2 実施機関は、次の各号のいずれかに該当する個人情報の記録については、当該個人情 報の記録の閲覧等を拒むことができる。

 (1)法令の規定に基づき、公開することができないとされているもの

 (2)個人の評価、診断、判定、指導、相談、選考等に関するものであって、本人に知らせないことが正当と認められるもの

 (3)閲覧等をさせることにより、実施機関の公正又は適正な行政執行を妨げるおそれのあるもの

 (4)その他公益上必要があると実施機関が審議会の意見を聴いて認めたもの

 

  いずれも似通っているが、箕面市の条例には、豊中市の第15条第2項3号、川崎市の第13条第2項第3号に該当する項目がないことに注目する必要がある。

 

 

(3).指導要録の様式

  開示請求の対象となった指導要録は、いずれも1991年の文部省通達による改訂以前のものであるが、学籍の記録である様式Tについてはほぼ同じなので、いわゆる指導の記録とされる様式Uのみを取り上げる。様式Uの項目は三市で異なっており、特に豊中市のそれは89年度に改訂されて、今回の開示請求をさらに複雑にした。大まかに言えば、箕面市の様式は大阪府のモデルに近く、豊中市の88年度以前のものは、大阪府下の特に北摂地域に多かったいわゆる履修方式と言われるもので、項目それ自身は他市とほとんど同じであるが、記入のしかたが異なっている。評点を記したり、記述したりせず、該当欄に単に○印を付して履修済であることのみを示すという方式である。89年度以降の様式は、「健康に関する留意事項」という項目以外は大阪府のモデルに近い、つまり箕面市のそれとほとんど同じである。これに対して川崎市の様式は文部省モデルと同じである。

 

 

2.三市の実施機関・請求人の主張と審査会答申の検討

  以下に資料として利用したのは三市における請求人・実施機関のそれぞれ意見書・反論書・非開示理由説明書・弁明書等と三市個人情報保護審査会の答申であるが、これらは膨大な量にのぼるため、ここに全文を紹介することは不可能で、随時、必要な箇所を引用する方法に依っていることをご諒承いただきたい。

 

(1).箕面市の場合

  箕面市教育委員会の非開示理由説明書は、様式Uを非開示とする理由として「指導要録Uは、箕面市個人情報保護条例第13条第2項第2号に該当し、また、それは開示を前提とすることにより評価の公正・客観性がそこなわれる可能性と、学校等の教育における指導資料としての機能が低下するおそれがある」と述べている。

 この第2項第2号の解釈は「箕面市個人情報保護条例の解釈と運用」によれば、

「個人の評価、診断、指導、判定を記録作成者が行ったものについて、

  @本人に対する評価を本人が知ることにより、本人の意欲や向上心を阻害したり、本人に悪い影響を及ぼすおそれがある。

 A専門的な指導を行ううえで本人が知ることにより今後の指導が困難になるおそれがある

 B病名等のうち、本人に知らせないことが一般化しているものがある

などの場合に、当該本人に自己情報を開示しないことができるとされている」

とあるが、非開示理由説明書の「また、それは」以降の部分は第2項第2号の内容ではなく、新たに付け加えたものと見なされるから、これを適用除外の理由とすることが可能かどうかは疑問である。つまり実施機関の主張は、内容の是非を問題にする以前に、その根拠となる条例の箇所を示しえていないと考えられ、さらに続けて具体的に弁明書で述べられている内容は、いずれも教師との信頼関係の齟齬、あるいは指導資料としての指導要録の変質または機能低下を挙げており、いずれも「また、それは」以降に当たる部分と考えられるから、この主張は全体として条例の規定に則したものではなく、その点ですでに手続上の瑕疵があると見なされるのである。

  これに対して請求人は最初に「情報プライバシー権の保障」「民主主義教育における教師と生徒の関係から導かれる評価のありかた」について主張を述べ、指導要録が外的証明資料の原簿としての性格をもつ以上、自己情報コントロール権が及ぶことを指摘し、自己情報コントロール権保障のための条例が教育の名によって制限されることに反論する。さらに「卒業後すでに12〜3年を経過しており、指導を受ける関係にない」「従来患者に病名を知らせなかった病気でも、告知することによってよい結果を生んでいることもある」「学期末ごとに通知表の形で指導要録と同様の内容が記録され伝達されている」等の反論を、上記@〜Bに対するものとして付け加えている。この請求人の主張に対しては、実施機関の側からも再弁明がなされている。

  審査会の答申はこの両者の主張の一々を検討するものではなく、むしろ請求人が最初に主張した「自己情報コントロール権の保障」と「民主教育における評価のありかた」を判断の中心に置いているように見受けられる。

  まず「自己情報コントロール権を確立するためには、個人情報の所在について知ることが必要であるから、この指導要録が適用除外事項に該当するかどうかは慎重な検討が必要である」として、指導要録が「外部への証明資料」「児童生徒の指導資料」としての二面性を有することを認める。そして教育情報の性質として、収集の段階からすでに学校・教師への信頼に基づいて生徒・親から自発的に提供されたものであることに着目する。「評価は、教師が教育目標を達成するためのひとつの行為であって、児童・生徒等にとっては、教師の評価を通じて自己の行動を点検し、将来の向上努力に資するためのものである。このようにして児童・生徒等は、教育過程に必然的に参加する」として請求人の主張する二点を、「民主主義教育」という語は使わなかったが、認めたと考えられる。

  さらに実施機関の主張について、「秘匿することによって公正・客観性が担保されるという考え方は誤りである。これは情報管理に重点を置く考え方で、条例の基本的考え方と矛盾する」と指摘し、さらに「教育情報が学校全体で管理されるものである以上、その管理をいくら厳格にしても、本人に当該情報へのアクセスの機会が保障されていなければ、特定の者の間で情報が流通することによって当該個人が深く傷つく場合もある。その情報に誤りがある場合には、情報の管理を厳格にすればするほど、その不利益を回復する手段はない」と述べている部分は、審査会の「個人情報の保護」に関する深い理解をよく示すものと思われる。

  請求人は指導要録が「第三者への証明資料」とされることを以て「自己情報コントロール権」が及ばねばならないことを主張したのであるが、ここにおいて、審査会は、「第三者への証明資料」とされると否とに拘わらず、情報収集の時点における誤りを防ぐために情報の本人による確認の必要性を認めたのである。もしこの言わば情報の「入口」における確認がなければ、その後の「保管場所」あるいは「出口」での管理をいくら厳格にしてもその情報自身の信憑性は証明され得ない。ましてこれは「教育情報」であり、教育の本質から、生徒や親によって自発的に提供されるものである以上、提供者であり本来の情報の主体でもある生徒や親から秘匿することはそもそもナンセンスである。

  審査会の論理は以上のように理解される。

 

(2).豊中市の場合

  豊中の答申には問題が多い。

  まず、先にも述べたように豊中市の指導要録の様式Uは88年度以前と以後とで大きく異なっている。そして開示請求は2件出されていて、1件は88年度以前と以後とに跨がり、1件はすべて88年度以前の様式である。ところがこの2件に対して答申は全く同文であった。ここから混乱の一つが起こっている。この答申は、88年度以前の様式に対しては内容的に全く意味をなさない、あるいは論理的に極めて矛盾したものとなっている。

また、この請求についての実施機関・請求人双方の提出した文書は膨大な量にのぼるが、審査会の結論はそれらとあまり関係がなく、唐突な感を与える。書類とは別に、実施機関からは2度に亙る口頭説明がされており、その結果が請求人側に知らされることなく、また争点が何であったかも知らされずに、請求人側は答申に接することになった。これも審査の手続きとしては適切さに欠けるように思われる。

 実施機関の非開示理由は「個人情報保護条例第15条第2項第2号と第3号に該当する」というものであったが、それに関連して双方の争点は多岐に亙った。その主なものは

@指導要録は指導資料と証明原簿の2面性をもつか/豊中市では前者としてのみの利用か

A第3者に見せない情報には自己情報コントロール権は及ばないか

B条例の解釈運用に当たって憲法第13条の精神や国際的動向を参考にすべきか

C民主主義教育においては教師と生徒は意見交換しながら進めていくべきか

などである。

  これらの問題点について答申はあるところでは請求人の主張を、またあるところでは実施機関の主張を採用しており、折衷的な印象を与える。ただ教育については「生徒の意見表明権が一定の範囲において保障される必要があるが、教師と生徒は完全に対等の関係に立つものではなく、場合によっては児童生徒本人の意思に反した指導が必要である」と述べているところから、審査会の教育観を知ることができる。これはもちろん、先の箕面市の審査会の見解の対局にある。

  ところで、指導要録が適用除外事項に該当するかどうかという点に関しては、結論は次のように下される。

 実施機関は、指導要録の内容を「知らせないことが正当である理由」として

@本人に対する評価を知ると、本人の意欲向上心を阻害し、自尊心を傷つけ、人格形成・自立助長に悪影響を及ぼす

A教師との信頼関係を損なう

B教師の専門的判断に基づくありのままの評価を記載することに支障が生じ、指導が事実上困難になり、効果が期待できなくなる

の3点を弁明している。これについて審査会は実施機関から事情聴取し、次の結果を得たと言う。

ア、指導要録の「所見」欄は、多くの場合、簡潔で端的な表現になっている

イ、「健康に関する留意事項」欄は、児童生徒本人及び保護者の双方または一方が知らない事項で、これらの者またはその一方に知らせないことに正当な事由が認められる場合も想定される

ウ、いままで大多数の教師は、開示しない前提で作成している

エ、教師は、指導要録の記録内容を本人に伝える際、本人の性格・傾向を考慮して、表現の工夫を加えている

オ、本市内の小中学校の大部分の校長は、指導要録の開示に消極的見解を表明している

  そこで審査会は「『所見』『健康に関する留意事項』に関しては非開示理由には合理的理由がある」が「その他の欄についての主張には、非開示とする合理的理由があるとは言えない」として、結局「所見」「健康に関する留意事項」以外の各欄を開示せよという結論を下すのである。

  しかし上記ア〜オを検討してみると、アは「簡潔で端的な表現」がなぜ「知らせないことが正当である理由」になるのか明かでないし、イは「知らせないことが正当である理由」のいずれにも該当しない。ウ・エはむしろ第2項第3号に当たる部分である。また、オは今まで全く問題とされなかった論点である。

  さらに問題なのは、仮に百歩譲って、これらが「正当な理由」に該当するとしても、これらは文脈から見れば明らかに「第15条第2項第2号」該当性の説明であるのに、答申はこれに続くすぐあとの部分で「第15条第2項第2号をも非開示の理由としている主張は認められない」と明言しているのである!とするとこれは「第2項第3号」該当性の説明になるのであろうか。第2項第2号という看板の掛かった入口から入ったはずなのに、出口ではいつの間にか第2項第3号という看板が掛かっているという具合である。

  問題点はまだある。先に述べたように2件の請求について同文の答申が出されているので、この答申は88年度以前の様式にも適用されると見なければならない。しかしもちろん旧様式には問題となった2欄はないから、それについて触れた部分は除くとしても、それ以外の一般論を述べた箇所、ウ〜オについては旧様式の場合も開示すれば弊害が生じると認めることになる。しかし弊害があるから非開示にするとは述べておらず、また非開示とされた欄もないから、引き算をするとマイナスゼロ・イコール全面開示ということになり、ここで88年度以前の旧様式については全面開示という決定がなされたことになるのである。箕面市に続いて全国で2番目の全面開示となった答申はこうして生まれた。しかし、文章として全く論理の通らない答申が出され、それが罷り通ったというのは驚くべきことである。

  上述の箇所以外にも、豊中市の審査会答申には甚だ非論理的で理解に苦しむ箇所がある。たとえば「情報プライバシー権」について述べた箇所などがそれである。しかしいまは紙幅の関係で以上の指摘に止める。

 

(3).川崎市の場合

 川崎市では4組の家族によって指導要録の開示請求が出されていたが、92年10月9日、ほぼ同文の答申が出された。今取り上げるのはそのうちの1組の親子、兄・妹とその法定代理人としての両親が請求である。この家族からは指導要録の開示のみではなく、記載事項の訂正、長期欠席者実態調査票の訂正、長期欠席児童月例報告の訂正、出席不良者氏名報告書の訂正なども同時に請求されていて、それらへの異議申立てに対する諮問9件に対して答申4件が今回提出されている。指導要録の開示に関しては、兄(現在中学生)の請求に関する答申第13号と、妹 (現在小学6年生)の請求に関する答申第14号を資料とする。この答申2件は共通している部分が多いが、結論が、卒業生たる兄には全部開示、在学中の妹には非開示となっているため、それに関連する箇所では内容が異なっている。

  川崎市の指導要録請求は体罰事件から始まった。体罰を受けた兄の指導要録の開示が請求され、90年12月の段階ですでに教育委員会は「各教科の学習の記録」の「所見」欄、「行動及び性格の記録」の「評定」及び「所見」欄、「標準検査の記録」の「検査の名称」及び「結果」欄を除いて開示を認めている。今回の答申はそのとき非開示とされた5ヵ所の開示を求めてなされた異議申立てに関するものである。

  川崎市教育委員会の非開示理由は、「指導要録は一般的には児童生徒の関係する学校以外には部外秘としての性格を有し、本来的には全部非公開とすべきであるが、個人情報保護条例の原則公開という基本的精神を尊重して、条例第13条第2項第2号『本人に知らせないことが正当と認められるもの』と第3号『実施機関の公正又は適正な行政執行を妨げるおそれのあるもの』に該当する箇所は非公開として、他は閲覧させた」というものである。

 ここでは第2項第2号と第3号に該当するとのみあって、それぞれが両者のどこになぜ該当するかは明確には述べられていないが、具体的には

@記載内容は必ずしも児童・保護者に公開することが適当なことだけが記載されているわけではない

A教師が指導上知っていればよい、公開しないことが当該児童の教育上妥当な場合もある

B個々の児童の指導上必要な事項や指導結果を記録したもので、そもそも公開になじまない

C公開すると、教師が記入に際し、客観性と公平性に欠けるおそれがある

D教師との信頼関係をそこなう

E公開することにより、いたずらに児童・保護者に混乱をもたらすおそれがある

の6点のうちのいくつかがそれぞれについて挙げられている。例えば

「各教科の学習の記録」の「所見」欄については@〜Dを理由として第2項第2号と第3号に、「行動及び性格の記録」の「評定」欄についてはACDを、同じく「所見」欄については@〜Dを理由としていずれも第2項第2号と第3号に、「標準検査の記録」についてはAEを理由として第2項第2号に該当するとされているところから見ると、@〜BEは第2項第2号、CDは同第3号の理由付けに当たると考えられているようである。

  これに対して請求人の側は、主として豊中市のケースでの請求人の主張を援用して次のように主張する。

 (1)本請求は憲法第13条の「プライバシーの権利」第26条の「教育を受ける権利」に基づくものである

 (2)国際人権法上も教育評価情報の本人開示は世界の大勢となっている

 (3)諸外国においても教育評価等の生徒記録の自己情報開示請求権は保障されている

 (4)指導要録には指導資料及び外部に対する証明の原簿という2つの性格を有するだけでなく、マスコミ等への資料提供にも利用されている

 (5)「教師が知っていればよい内容」に対する反論:

   教育評価は本人に開示されてこそ生徒はそれを参考に反省・自覚を促されてさらに発達を遂げることができる。また外部への証明の原資料となる以上、誤記入を防止するためにも本人チェックが不可欠である。

 (6)「客観性及び公平性を欠くおそれ」に対する反論:

   教育評価は教師の専門的判断に基づいてありのままに記載されるべきではあるが、教育評価が教師の専権であって絶対無制約なものではなく、また評価者たる教師以外の何人の介入も許さないものではない。また専門的判断であることが、開示請求が否定される理由とはならない。本人の自覚を促す指導性のあるものであってこそ、教育的に公正であると言えるのであり、公開されることが前提となったからといって、公正な評価がなしえないということはない。

 (7)「教師との信頼関係を損なう」に対する反論:

   教師と生徒及びその親との信頼関係は、教育評価を教師のみが支配するのではなく、それを開示することによって初めて構築できる。その記載内容が生徒・親の納得しうるものであればそれを知ることによって、また納得のいかないものであればその内容を巡る討議を重ねることによって、生徒・親は教師に対する信頼をもつことができるようになる。

 (8)指導要録の内容を知ることによって親は子どもの教育状況を知り、学校教師に対す

る教育要求権を適正に行使できる

  審査会は(1)〜(4)について概ね請求人の主張を認め、さらに具体的に争点となった(5)〜(7)について、「学校教師間で内部的に把握・利用・引継ぎすべき教育評価情報の原簿が存在するという伝統的見解は、今日的観点に照らして再検討の要がある」「学校の教育評価は、本来、子どもの『教育を受ける権利』を保障する手段のはずであるから、親と子どもに内容が伝達され…ることが教育目的達成のために必要であり、客観的公正さの確保はそれにともなう形になるはずである」「今日では、学校の教育評価記録を親・子ども本人に隠して成り立つ“教育信頼関係”という観念には不合理さがある」等と述べて、条例第13条の第2項第2号「本人に知らせないことが正当と認められるもの」として実施機関が挙げた理由は「いずれも十分な根拠とならない」と判断した。

  しかし指導要録の本人への全面開示は「日本における伝統的な教育評価の制度慣行を急変させるものであるから」「当面、学校現場に現実的支障を生じさせるおそれがある」ことを認め、この点で第2項第3号に該当することは認めて、開示を、当該学校を卒業した段階の者にのみ、認めるとの結論を下した。

  この答申を通じて認められる著しい特徴は、まず、ここで判断の根拠とされていることが専ら「教育的効果」からのみであって、「情報プライバシー権」あるいは「自己情報コントロール権」が全く問題とされていないことである。

  しかもその「教育的効果」は先の箕面市の例と対照的に、問題とされるのは専ら開示されたときの「児童生徒・親」の受け止め方とそれへの教師の対処のしかたであって、つまり「出口」の部分である。「従って、教師によるマイナス評価の開示にともなう親・子どもからのリアクションも、合理的なものは学校・教師として受けとめ、不合理なものは排斥することが教育責任を果たすことになる」「マイナス評価情報も、親と子どもに受けとめられてこそ、教師への教育的信頼の基盤になるはずであり…」等の表現に見られるように、ここには教師の評価の妥当性についての疑問・反省はない。教師の評価は正しい。問題はそれがどう受けとめられるかである。訂正請求権の行使も「事実の記載の誤り」の場合のみに限定されている。ここには箕面市個人情報保護審査会が「教師の評価は専門家の立場からの評価であってもあくまでも個人的な主観であって…」と述べているような反省はなく、教師の評価が「正しく理解されたかどうか」が問題となるだけである。従って学校現場の混乱への同情もある。答申の中では「学校内部だけに存在すればよい」「教師だけが知っていればよい」とされる情報の存在に疑問を投げかけてはいるが、しかし教育における教師の優越性もしくは専管性、あるいは「情報」に対する「教育」の優位性という考え方は随所に現れている。

  このことは条例によって教育慣行を変えることへの抵抗感あるいは嫌悪感をのべる条りで一層明らかである。「条例に基づいて指導要録の本人全面開示を認めることは、戦後日本の学校制度における伝統的な制度慣行を、条例の効果だけによって急変させることを意味する」そこで、学校へ条例が入ってくることによって学校の慣行が変えられるのではなく、「本来の制度決定機関の自律による制度変更が望ましい」という提言がなされる。

  こうして結論としては卒業生への全面開示という他2市の場合と全く同じながら、その論理の運びには著しい相違が見られる。

 

 

3.三市の答申の比較とそれぞれの答申の特徴

  すでに述べたところとかなり重複する部分もあるが、ここで三市の答申の共通点・相違点をまとめておきたい。

  まず共通点として挙げられることは、いずれの答申においても、指導要録に記録されている情報が「本人に知らせないことが正当・適当であると認められる」情報ではないと認められている点である。この条項は箕面市条例では第13条第2項第2号、豊中市条例では第15条第2項第2号、川崎市条例では第13条第2項第2号に当たり、そのいずれにおいても、この条項に該当することは否定された。豊中市において88年度以降の新様式の「所見」「健康に関する留意事項」の、川崎市において在校生への、開示がいずれも否定されたのは第2項第3号、すなわち「実施機関の…事務・行政執行を妨げるおそれがある」に拠っている。そして箕面市の条例には先述のごとくこれに当たる条項はない。従って箕面市で全面開示の結論となったのは当然の論理的帰結であったということは、このことからも言えよう。

  相違点としてはいくつか挙げられるが、最も目立つのは豊中市の答申の論理的お粗末さである。結果としては1件は全面開示、もう1件は2欄が非開示となったわけだが、先にも述べたように、開示・非開示という結論になった理由がどちらも不明確であり、いずれにしても積極的な理由付けが見られない。余りに非論理的なので要約も論評も困難であると言わざるをえない。

  これに対して箕面市・川崎市の答申はそれぞれに積極的理由付けを含み、意欲的であったと言える。しかしこれも先述したように、開示という結論を導いた根拠、ないしはそのもとになった基本的な考え方はかなり対照的である。

  箕面市の答申は個人情報保護条例の基本的精神たる「自己情報コントロール権の保障」を前面に据え、しかも情報の具体的な流れに即して、情報の収集ないしは記入の時点における保障を最重要と考える。しかもこの情報自身「教育情報」であって、そもそも生徒や親から自発的に提供されたものである。この2点を押さえることによって、「全面開示」の結論は、論理的に当然の帰結であった。

  これに対して川崎市の答申は「教育的配慮」に重点を置いた、個人情報保護条例の趣旨とはやや異なる観点からなされている。もちろんこの答申も「(実施機関は)指導要録が原簿的表簿であり、一般的には学校以外には部外秘とされており、不開示とされた教育評価情報は、教師が知っていればよいこととしているが、原簿的公文書が、個人情報保護条例をもつ自治体にあっては、自己情報開示請求の対象となる」として条例の効力を否定しているわけではない。しかし答申は続けて「開示の当否は、条例の趣旨目的とともに、学校の教育評価情報の今日的性質に照らした条理解釈によって決する必要がある」と述べて個人情報保護条例のみでなく「教育評価情報の今日的性質」という新しい判断基準を持ち出している。そして「子どもの権利条約」の「教育情報へのアクセス権」を規定した第28条を、学校の教育評価情報の自己開示性の世界的目安であるとする。ここには一般的に個人情報の保護を定めた個人情報保護条例ではなく、「教育に関する情報」についての別の判断基準によって決定をしたいという審査会の思惑が見え隠れする。この点については、個人情報保護条例に基づいて設置されたはずの個人情報保護審査会に、このような判断が可能かという疑問が生じないでもない。

川崎市の答申はさらに一歩進めて、「本来の制度決定機関の自律による制度変更」「条例上の請求に基づく開示措置に止まらず、学校で希望者全員に情報提供する『簡易開示』への移行」を提言している。これは「一々条例上の手続きを踏まないでも簡単に閲覧できる」ということで、一見便利になるようにも思われる。しかしこの提言の趣旨は、92年10月29日付読売新聞「論点」の下村哲夫氏の論稿の趣旨と同じく、「教育的信頼関係は、学校・教師一般と親・子ども一般の間に成立するものではなく、あくまでも個々の学校なり教師なりと個々の親・子どもの間に成り立つものである。その意味で、指導要録や内申書の開示を制度として枠づけるのはいかがなものか」「むしろ文部省なり教育委員会なりが、開示にしろ非開示にしろ、一律に規制するのを避けて学校の自主性に委ね、…といった辺りが穏当なのではないか」、教育情報の開示は制度化するのではなく学校の自主性に任せよというところにあるのではなかろうか。この「制度ではなく自主性に任せる」という考えは甚だ示唆的であり、ここに一つの意図を看取することが可能であるように思われる。

  すでに総務庁監修の「逐条解説個人情報保護法」にもあるように、「教育情報については、開示請求権の対象外としている国はない」のであり、川崎市審査会答申も認める通り、学校の教育評価情報の本人開示が今日的観点から見て世界的趨勢であることは否定すべくもない。しかし一般情報の開示と同次元の問題として扱うのは避け、「教育的配慮」の働く余地、つまり「教育」の特権を残すためには、一般情報の開示制度とは別の、あるいは制度ではなく「恩恵」として、学校の裁量権の範囲内で、「自主的に」開示する方法を採るということになる。好都合なことに「指導要録の本人不開示が法令に明記されているわけではない」(川崎市個人情報保護審査会答申)。こうして、今日的要請に従いつつ、特権を残すという方法は可能である。

  しかし市民の側から見ればどういうことになるだろうか。それは「簡便性」(?)と引換えに「権利性」を失うことを意味する。市民は権利として指導要録の開示を請求することはできなくなり、専ら学校の任意の提供に俟つことになる。学校・教育委員会は恩恵として教育情報を見せるに過ぎない。しかも一般情報と同じ部局ではなく「教育情報」だけが切り離されることになれば、そうでなくても学校にものが言いにくい父母には、しかも、学校が「自主的に」見せてくれるというのに、それ以上の請求をしようという動きは差し控える傾向が出てくるのではないか。これは高槻市で昨年度から実施されるようになった「学習の記録の10段階相対評価を、(内申書ではなく)進路指導の資料として、希望者に見せる」という制度と考え合わせても自明である。とすれば「簡便性」さえもあやしくなってくる。教育情報が「情報」の一つとなったからこそ、市民は請求できるようになった。とろこが「教育情報」は「教育」の囲いのなかに取り戻され、個人情報保護条例の及ばないところへ持っていかれようとしている。問題の本質はここにあるのではないかと思われる。川崎市個人情報保護審査会の答申は、「学校に市民社会の風を」入れないための、「情報」に対する「教育」の側からの巻き返しの始まりとも見られるのであって、この動きが、「自己情報コントロール権」の保障の進展を妨げることのないように、今後の注意が必要であろう。

 

 

おわりに:教育評価情報の本人開示をどう考えるか

  教育評価情報の本人開示は少しずつ進展しつつある。それに対する文部省=教育委員会の抵抗はまだ根強い。とはいえ、今見たように教育評価情報が「本人に知らせないことが正当・適当な情報」に属するという見解は、審査会段階ではもはや通用しなくなっている。残るのは「公正・適正な行政執行の妨げになるおそれ」だけである。これだけで持ち堪えられる期間はあまり長くない。そこで、一方では上述のように教育委員会の自主性によって、つまり市民に請求されてではなく、教育委員会がイニシャティヴを把る形で、開示しようとする動きが始まっている。上記高槻市の、進路情報という名の実質的内申書開示がそれであるし、個人情報保護条例のない長野県上田市教育委員会が、申請によって内申書を高校受験前に見せることにしたのもまたこの動きと趣を一にするものであろう。但しここで開示されるのは「数的部分」だけであって、「所見」「総評」の類は注意深く省かれている。しかしこうして「自主的に」開示することで、「見たい」という要求にある程度応じたように見せかけながら、一番重要な部分を値切ることも可能になるのである。

  他方では、教育評価情報の内容そのものを、予想される開示に耐えられるものにしておこうとの動きがある。豊中市個人情報保護審査会答申はその末尾に「将来は指導要録の本人開示が認められる方向に変わる可能性があるので、これを前提に指導要録の作成を心がける必要がある」と付記している。もともと開示を拒む理由として「公開を前提に作成されていない」ということがいつも挙げられているが、これはどの文書についても言いうることであって、少なくとも情報公開条例・個人情報保護条例のある自治体では、むしろすべての公文書が公開を予定して作成されるべきなのである。とすればこの理由が遠からず通用しなくなることは予想されるところであり、公開に堪える文書が作成される傾向は強まるであろうし、これは当然の動きと言えるだろう。

  このことが二重帳簿制を強化するのではないか、あるいは裏帳簿は個人メモであるとして公開を拒むのではないかとの懸念がある。ある程度その傾向が出てくることは止むを得ないだろうと思われる。そこで個人メモと公文書の差異を明確にすること、公文書の書式を明確にすることは必要であろうが、他方では公文書に記載されていることしか公式の決定ではないのだから、個人メモに公式の場で何らかの役割を果たさせないようにすること、つまり裏帳簿を無意味にすることによって対応していく以外に方法はないであろう。

  そして最も重要なことは、膨大な教育評価情報が果たして必要かどうかの検討であろうと思われる。豊中市教育委員会が強調するように、現在では指導要録は指導資料として利用されるのみであり、外部への証明資料としては全く利用されておらず、それで支障も生じていないとすれば、現在のような様式・項目が必要か否かの検討は一層緊急を要しよう。指導資料としてならば、指導要録を卒業後も学校に残すことはほとんど無意味であり、箕面市個人情報保護審査会が言うように「学校において長期間にわたって保管される公文書に記入され、しかも非公開とされる個人情報が教育指導の点において有意義な資料となるといったことは、教育過程の一方の当事者である児童・生徒の充分な学習権を保障する制度とはいいがたい」からである。従ってまた同じく箕面市個人情報保護審査会が言うごとく「必要以上に個人情報を収集・蓄積することは制約されるべきである」。こうして不必要な情報が学校に蓄積されなくなれば、その情報によって市民が脅やかされ、管理されることもまた少なくなり、学校の風通しも少しはよくなっていくだろう。

 



Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会