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TITLE:  「私服登校」について
AUTHOR: 要 友紀子
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第153号(1995年4月)
WORDS:  全40字×175行

 

「私服登校」について

 

要  友 紀 子 

 

1.「子どもの権利条約」を問う

 政府に「子どもの権利条約」の早期批准をせまるという動きが日教組などから出てきたころから、私は「校則廃止」に向けて何らかの行動をとっていたのですが、ぜひこれについて言いたいとか考えたいとかいうような切実さがいまひとつ足りないものなのでした。例えば「女性差別撤廃条約」というものがすでに存在しているわけですが、このとき「女性の権利条約」ではなく「女性差別撤廃」だったわけです。ところが、「子ども」に関しては「子ども差別撤廃」ではなく、「子どもの権利」という名称になっています。ここのところは、「弱者」といいながら、単純に "女・子ども" とくくらないで、よく見ておかなければいけない問題があると私は思います。いうまでもなく「差別撤廃」からは "差別しない" ことへの通路が少なくとも通じていると思いますが、「子どもの権利」と言ってしまうと、そこにはどうしても「子ども固有の権利」というニュアンスがつきまとうのです。「子どもには特別の優遇を」という「権利保障」を予想させるのです。

  「子ども」について、この「条約」が「差別撤廃」ではなく「子どもの権利」といったのは決して偶然のことではなかったと思います。なぜ「子ども差別撤廃」と立てられなかったのかと言えば、この社会にあって、つまり、近代社会にあって、「子ども」は構造的に「弱者」の位置に置かれています。この「条約」は、そのような社会編成のありかた自体をも問題の射程に入れようとはしなかった、あるいは、入れることができなかったからではないでしょうか。そこにこの「条約」の歴史的な限界がある、と押さえておかなければならないのではないでしょうか。そんなに「画期的」だとひたすら拍手してしまえるようなものではないんじゃないかな、というのが私の批判のポイントです。

  近代社会にあって子どもはいかにして「弱者」であるのか、そしてこの「条約」はその「弱者」としての子どものありようをいかにそのまま正当化しているか。基本的な論点を二点挙げておきたいと思います。

  第一に、近代の子どもは<労働>をしない存在です。これは生理上の必然ではなく社会的歴史的必然です。そして、「障害」者の就労の問題に端的にあらわれるように、労働する者こそ一人前の人間である、この社会の正規の成員である、とみなされるのがこの近代社会の特質ですから、子どもは<労働>からきりはなされることによって、「保護」されるべき「弱者」へと定位されています。

  「子どもの権利条約」は、その32条(経済的搾取・有害労働からの保護)や、28条(教育への権利)で、このような近代世界のありようをそのまま正当化し前提としたうえで、その限りでの子どもの権利の尊重されるべきことをうたっています。しかも、28条のいう「教育」の目的は、「子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的能力を、最大限可能なまで発達させること」(29条)というようなシロモノです。子どもを当然のことのように排除する<労働>のありかた(とくにその社会的な編成のされかた)自体を問い返す視点は、そこにはありません。なるほど、「差別撤廃」ではなく「子どもの権利」です(注1)。

 第二に、近代の子どもは、いまだ「理性」に至らない存在(「未成年」)であるがゆえに、刑法上責任能力を問うことができないとみなされます。そのかわり、例えばこの国においては「少年法」という「健全育成」をかかげる「教育的」な法律があります。法解釈論者は、たいてい、こうした処遇に対して基本的には "善きもの" として拍手を送るのですが、私はここで拍手をする気にはなれません。

  例えば少年法3条にいう「虞犯少年」の保護処分は、「精神病」者に対する強制的措置入院(精神保健法29条)と、その法制上の措置がよく似ています。つまりそれは「未理性」に対する《保安処分》にほかなりません。日福大の山口幸男さんの言を借りるならば、「少年における『未成熟』概念は『障害』の特殊な形態」なのだというわけです。

 精神保護法が「精神病」者への失礼なまなざしを基本的にもっているのと同様に、少年法は「未成年」者への失礼なまなざしを基本的に持っている、と私は思います。この次元の問題は、 "善き解釈" で解決するわけにはゆかないと思います。法解釈ではなく、あえて言えば法哲学が問われる領域だと思います(注2)。

  この問題次元に関しても、「子どもの権利条約」は、その40条(少年司法)において、このような近代世界のありようをそのまま正当化し前提とした上で(40条3項)、その限りでの子どもの権利の尊重されるべきことをうたっています。「理性」の支配を問い返す視点はそこにはありません。ここでも、なるほど「差別撤廃」ではなく「子どもの権利」です。

  この「条約」の基本精神はおよそこのようなものであって、それ以上でもそれ以下でもない、と私は思います。そんな「批判」は、当面この「条約」を利用・援用しようという運動にとっては、何の有効性をも持たないという反論があるかもしれませんが、その意味での有効性のみを追求する発想を私はとりません。

 

2.日本の教育裁判の限界

  改めて問題化しておくべきではないかと思うことなのですが、まず「権利論」の限界のことです。

  ひとつは、「親の学校選択権」論などについても、ずっと言われてきたことですが、およそものごとの解決を「権利論」の線だけで押してゆくことの限界性ということを考えてみたいのです。

 ほとんどの場合、「まぁ、事ここに至るまでは、いろいろな問題があったんだろうけど、しかし、ともかくも、いまあなたは他者の人権を侵害しているんだ、そのことこそが問題なんだ」というふうにして、すべての問題は「人権」という "普遍性" の水位へと変わってしまいます。そのとたんに、前段としての "いろいろな問題" については改めて内在的に問われることはなくなってしまう・・・・、というような機制がそこにはあるのではないでしょうか。アメリカ流「人権外交」というやつが、その押しかたの見本なのではないかと思います。

 「子どもの権利条約」は、 "多様な文明" 、 "少数者・先住民の文化" などについても、配慮はしているみたいですが、みずからの「人権論」自体が乗っているベースとしての「文明」「文化」をも相対化することは、ついにしなかったようです。このようにして国連の "普遍性" というコロモをまとって、全世界へ布教されていくのだなぁと改めて感じます。みずからの見地をも相対化する、というすべを持たないものに向かって、「その言説は既存の『強者−弱者』関係に乗ったままのものだ」などと言ってみたところで、「聞く耳持たない」と言われてしまうのがオチでしょう。「権利論」の "強さ" あるいは "通りやすさ" という現象自体を問題にしなければいけないのだろう、と私は思います。

 前述したように、日本の法学は、哲学抜きの技術論(法解釈論)が主流だったらしく、そこから、「条約」にしても、法解釈論者や弁護士さんなどが、 "これは使える!!" というふうにしてとびついてゆく、というような心性が生じてきているのではないか、と思われるフシがあるのですが。したがって、学校の中で、いろんな権利の衝突があった場合、「みなさん、子どもには意見表明権があるのですよ、最善の利益が認められて当然なのですよ!」というような、どうしようもない啓蒙論議以外にはなすすべを知らないという問題がそこには表れているように思います。教育問題というのは、いろいろな問題が連鎖しあって生じるものだと思うから、「大人の懲戒権or裁量権 vs 子どもの人権」が争点となる(それだけで終結する)裁判の判決内容などは、現場とかなりのギャップが生じるのでしょう。これを受けて私たちは、 "専門家" の言うことをアタマだけで真に受けずに、変な言い方ですが、 "身体で考えてゆく" ということを、つねに大切にしたいものです。これは、「私服登校」や、その他の学校との葛藤を考えるとき、大きなヒントになると思うのです。

  また、仮に裁判所が、法解釈され得ない対象を問題化することに成功したとしても、「子ども」に対する裁判所(または法)の認識というのはどれくらいの水位であるのかが疑問です。

  法律上の考え方は、「保護されるべき子ども」に変わりありません。問題なのは、この概念に基ずく「教育」に対する裁判所の見識です。

  学校は、教えようとする側と教えられようとする側で成り立つものです。つまり、「教育」の場としての学校ということがあります。

  一方、現実にみる、若者がたむろする「居場所」としての学校ということとの狭間で、私たちの前に投げ出されている今日的問いに対して、裁判所はどう答えてくれるのでしょうか。

  実際には、近代公教育制度のもとでの学校は、「教育」以前に、まず、<労働>から排除された子どもたちの「収容」施設として成立してきたところがあるようです。元々メカニズム的要素を持つ学校ですから、「教えること」それ自体が持つ権威性・抑圧性からは、教師自身も自由になることはできないと思います。また、教師には「評価」という行為があるので余計にそういうことが言えると思います。

  現行の学校教育が前提なので、これからも裁判所は既成概念または社会通念に従った「常識」的な判断をすると思います。なぜなら「教育」に原理・原則は存在せず、そこには需要と供給が大きく幅をきかせているからです。

 

3.「私服登校」ふりかえる

  なんだかんだといいながら、私も結局、一個のイデオローグでしかないのではないか、と思い当たり、それなりに落ちこんでしまうこともあったのです。

  もう4年以上も前のことになるのでしょうか、高塚高校の事件をきっかけに「校則=悪、人権侵害」だという記事が新聞に大きく掲載されました。あの時、なんとなくイヤな感じがしたのだけど、正直いうと、そのなんとなしのイヤな感じよりは、「そらみろ、校則はやっぱり間違っているだろう、だって、子どもに人権がないわけがないじゃない?」という感じの方が勝っていたことを否定できないのです。

  こういう形の私の発想法は掛け値なしにイデオローグのそれです。もちろん、そのような感想を公的に発言したわけではないから、文字どおりのイデオローグとは言えないにしても、公言しなかったからといって、そのような感想を持たなかったことにはならないから、私の思想的な頽廃が軽減されて評価されるというものでもないと言わざるをえないのです。

  私はかねてから主張しているように、髪型や服装などの規制には反対です。このような私の意見を合理化するうえで、高塚高校などの事例は使えるんじゃないかと判断したところが、私のイデオローグのイデオローグたる所以だと、私は今、自分自身を自己告発しないではいられません。私はそういう自分の一番イヤなところに気づいてはいるのですが、なかなか直せないでいたのです。ただ、ほんのわずかでも私に救いがあるとすれば、そのような唾棄すべきイデオローグとしての私でありながら、あの記事を読んで「なんとなくイヤな感じがした」ということが嘘偽りではないというところでしょうか。

  しかし、あの時、なんとなくイヤな気持ちがした主な理由は、「校則が人権侵害であろうがなかろうが、所詮、教育にとっての子どもはマテリアルでしかないじゃないか」という感じがしたからに他なりませんでした。こうした感じ方が間違っているとは思えませんが、しかし、そうとしか感じられなかった私の問題点というか、限界というか、それがようやく分かってきたのです。

  たしかに子どもは教育にとってのマテリアルであることに相違はないのですが、そのことの内実、本質は、結局、「人間関係」のマテリアル化だったのです。そして、高塚高校の事件をきっかけに校則見直しがすすめられていったことが美化されていったにもかかわらず、私は、こともあろうに、この事件を校則反対論の立証根拠として利用できるのでは、などと感じてしまったのだから、まったくもってどうしようもありません。自分で自分の短絡さに辟易させられているイデオローグなんて、あたかも、太陽にあたりつつ溶かされまいとがんばっている氷、みたいなものではないでしょうか。

 かつてからの難問、すなわち「制服を着る、着ないは個人の自由」という発想と、「貧富の差が厳然として存在する現時点では、それはただちに "制服は必要" とする主張にからめとられる」という発想との、折り合いをどこでつけるかという難問とも共通した問題がふくまれていそうな気がします。

 

さいごに

 私の高校での「私服登校」の経験を通して、単なる知識が、独創性とは関係なく、全然といっていいほど役立たないことは昭かなのです。知識を尊ぶという性向は、「論より証拠」とか、「みればわかる」という言葉に潜んでいる "論" 否定の立場と、明らかに密接に結びついていると思います。それには、私たち一人ひとりの個人としての独立と、言葉による論理的思考がすっかり捨象されていることが前提としてあって、厳密な意味での相互の理解は犠牲にされているのです。

  したがって、どんなに一定の主義・思想を錦の御旗としている集団でも、その集団の生命は、「その主義・思想自体に個人が忠実である」ことではなく、むしろ、お互いの人間関係にあると思います。

  一方、本当は一家言ある場合にも、他者にはいっさい口を出さないという一種の処世術が生まれてくるのです。これまさしく「悪しき平和も正しき闘争にまさる」という諦観主義的な考え方ですが、「私服登校」経験者の中でこのような結果にたどりつくのも無理もない話しなのです。

 

< 注 >

(注1)この件については、とりあえず、岡村達雄編『現代の教育理論』(社会評論社)を見てください。

(注2)ついでながら、この国の法学はもともと「文明開化」の時代以来の "和魂洋才" 風の輸入学問だから、ベーシックな哲学がとても弱いのだそうです(長尾龍一『法哲学入門』による)。



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