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TITLE:  大学教職免許取得課程における『生徒指導』論の現状と課題
AUTHOR: 吉田 卓司
SOURCE: 大阪教法研ニュース 第213号(2004年4月)
WORDS:  全40字×1091行


大学教職免許取得課程における『生徒指導』論の現状と課題



吉 田 卓 司



はじめに


   教育職員免許法と同法施行規則の一部改正(平成10年)にともない、各大学は、平成12年度から新しい教員養成課程を実施している。平成15年度は、この新課程実施4年目となる。その教職免許基準の改変によって、教職課程科目の必修単位数が変更され、例えば、中学一種では、同施行規則6条1項付表の最低習得単位数が、19単位から31単位に12単位増加し、同様に高校一種でも17単位から23単位に6単位増加している。
   最初に、改正による新設科目と単位数増加の見られた科目の概観を行いたい。そして、私自身、「生徒指導法(進路指導を含む)」と「総合演習」の両科目の非常勤講師として、この新課程の実施にかかわってきたが、ここでは教育法的観点から、大学教育養成課程における「生徒指導論」がどうあるべきか検証するとともに、その指導過程を反省してみたい。


1.教員免許法改正と教職免許取得における新科目の新設とその課題


(1)「教職の意義等に関する科目」の新設
  今次の免許法改正では、「教職の意義等に関する科目」の新設を筆頭に、抜本的な改変が行われた。その法規上の規定様式そのものが変更されている点が注目される。例えば、前掲の「教職の意義等に関する科目」の内容に、「教職の意義及び教員の役割」、「教員の職務内容(研修、服務及び身分保障等を含む)」、「進路選択に資する各種の機会の提供等」を「含めることが必要な事項」と明記される(前記付表第2欄)など、従来の教職科目の規定には見られなかった教授事項に関する条項が設けられた。その「教職の意義等に関する科目」新設の趣旨として、文部省(当時)の大木高仁教員研修企画官は「知識の伝達のみによってはいかに困難であっても、発想を変え別の方法を工夫することで『教員としての使命感』や『教育的愛情』を教員養成教育の中で何とか効果的に育てること(あるいは、教員の学校不適応事例の増加等が近年指摘されていることから、敢えて厳しくいえば、そうした資質能力の修得が容易でないことを早期の段階で学生に認識させ、安易な教職志向を抑制・断念させること)ができないかという点」にあると述べ、同科目の教授内容や意義について「例えば、学校現場の訪問・観察、子どもとの交流、現職教員や教員採用担当者を招聘しての懇談など、教員の職務をありのままに見聞する機会を可能な限り設け、学生が教員就職の是非を自ら真剣に考えるきっかけとする。加えて、教職課程に関する適切な履修指導を実施し、在学中を通じて自らの教職適性を絶えず確認しつつ、教員になるための心構えと実践的指導力の基礎を効果的に修得することを促す・・・。こうしたことは、知識の伝達とは異なる、学生が主体的に自らの進路を考えることを前提としたいわば『動機付け』である」とし、「教育委員会や学校の協力をも得つつ、現職教員や指導主事を授業の中に積極的に活用するなどの工夫を大学がすることにより、この科目がより効果的なものとなる」との考えを、文部省主催の教職課程認定申請の説明会において大学担当者に対して述べている(教育学術新聞1920号[1998年]2頁)。
  この点については、第一に「教員としての資質の劣る者」を早期に選別、排除するという考え方の妥当性である。そもそも、「教師としての資質や能力」というものは、個々人の人間的成長とともに育つものであり、それを育てることが大学を含む全ての教育機関の社会的役割であるといってよい。文部省が「教職入門」と位置づける「教職の意義等に関する科目」の指導のなかで「教職志向を抑制・断念させる」ことまで求めることには疑問の余地がある。また、同科目に含めるべき事項として「教員の服務内容」が挙げられ「特に国・公立学校の教員の場合は教育公務員として厳正な服務規律が課せられる一方で公務員としての手厚い身分保障があることなどを適切に理解できる内容であることが求められる」としている(大木前掲資料2頁)が、現在の教員の服務規律を定める法令にはILO勧告に反する条項や憲法にも抵触する可能性のあるものもあり、その問題点や過労死の相次ぐ教師の労働実態の理解を抜きにして「身分保障」が強調されることがあるとすれば、大木教員研修企画官が「教員の職務をありのままに」知らしめるということと齟齬を生じることになるだろう。

(2)「総合演習」の新設と教育実習単位の増加
  小・中・高・幼の教諭及び養護教諭についても、今次の法改正によって「総合演習」の2単位修得が必修とされた(前記付表備考7)。大木教員研修企画官は「総合演習」の新設の趣旨について、『・・・社会全体に関わるテーマのうちいくつかについて、ディスカッション等を中心に十分理解を深めさせるとともに、それらの内容を発達段階に応じてどのように教えたらよいかについて教員を志願する者に自ら考えさせるような授業』を行うものとして総合演習を教職課程の必修科目に位置づけ」られたものであり、「多くの大学関係者が、総合演習を新しい学習指導要領に盛り込まれた『総合的な学習』の指導法と取り違えている」としつつも、法令上綜合演習に指導法的要素があることと、「綜合演習」と「総合的な学習」を設けた意図として「問題解決指向」という共通性があることから、「このような誤解もあながち悪くはない」と述べられている(教育学術新聞1917号[1998年]2頁)。
  私自身の担当する「綜合演習」では、法学部教授(刑法・刑事政策専攻)とのチーム・ティーチングによって、教育や子どもに関わる個々の事件・犯罪にいて、学生による報告とディスカッションを実施している(基本テキストは、柿沼昌芳・永野恒雄編著『学校の中の事件と犯罪2』批評社2002年)。演習課題の成否は、どこまで事件・事故の事実と本質にせまり、その解決の展望を見出すかにかかっているのであるが、その本質的な解決への道程を導くには、私自身の人間的、社会的視野の広さや深さが問われていることを日々再認識させられている。
  また、中学免許では教育実習の単位が3単位から5単位とされ、その単位増加の内容に福祉施設等での実習が含まれることになった(前記付表備考9)。この実習単位の増加は、今次の改正の特徴である体験的学習の重視と軌を一にするものである。その実習が実効性のあるものになるかどうかは、学校及び福祉関係団体など関係機関との連携がどのように推進されるかにかかっているが、このような実習科目実施の充実は、指導担当者の人的、経済的裏づけなしには、困難であろう。受け入れ先の好意に委ねられた実習単位の拡大は、関係機関への負担増加となって、対象者へのサービス低下にもつながる危険性さえあることを指摘しておきたい。

(3)生徒指導等に関する科目
  今次の改正では、「生徒指導、教育相談及び進路指導等に関する科目」の最低修得単位が2単位から4単位に増加した。その理由を大木高仁教員研修企画官は「現在、学校では多くの教員がいじめ、登校拒否、薬物乱用など児童・生徒の生命・健康にも関わる問題に直面し、様々な努力にもかかわらずそれらへの決定的な対処方法が見出せないまま日々苦慮している現実を踏まえ、上記のような生徒指導上の問題等に現職教員がより適切に取り組むことができるよう、教育相談(カウンセリング)を中心に生徒指導等に係る科目の内容を充実する必要があると考えたからである」とし、講義内容として「含めることが必要な事項」の「(一)生徒指導の理論及び方法」として文部省による『生徒指導の手引き』(1965年改訂・現在絶版)の主要項目を指導内容として例示した上で、「少なくとも、いじめ、登校拒否、性の逸脱行動、薬物乱用など今日的問題にも追加的に触れるなどの工夫が必要」としている(教育学術新聞1924号[1999年]2頁)。
  この「生徒指導」に関する講義のなかで、その解決への展望をどう考え、実践上どう取り組んでいくべきか伝えることは、非常に重要な内容であるといってよいだろう。その最大の課題は、今日の教育現場が生徒指導も含めた数多くの難題に直面しているとの認識の下で、どのような講義形態によって、何を教職課程受講学生に伝えるべきか。次に、その指導の実例と実践上の課題を提示し、議論の一助としたい。


2.大学教職課程における「生徒指導論」の実践と課題―近畿圏を中心として


  各大学の教職課程において「生徒指導論」がどのように講義、実践されているのか、近畿圏を中心として、各大学のネット上に公表されている講義内容や方法を2003年度末から2004年度当初にかけて、比較検討してみると、具体的事例をもとに考察する(関西学院大学)など実践的な内容の講義を企図するところが多く、講義の形態としても、実態調査等実施―児童・生徒、先生方、本学学生に対してアンケート調査−(神戸学院大学)や課題提出を取り入れるなど、学生の主体的な取り組みを重視する大学が目立った。
  また講義内容としては、「問題の中心は、生徒の学校不適応、発達の歪み・ひずみの問題である。授業では、現場が抱える諸問題を通して、生徒指導の基本的問題を検討する」として、「青少年の生活実態・生活意識、不登校、いじめ、体罰問題」等を挙げているもの(立命館大学)、「学校教育法、少年法の解説を含む」生徒指導関連法規の解説及び「いじめ、不登校、学級崩壊等を中心とした学校教育病理の現状と課題」を講義項目とするもの(京都産業大学)などがみられる。
  私自身の「生徒指導論」の講義では、いわゆる教師が解説をし学生が聴くという講義形式の授業に加えて、受講者自身によるロール・プレイ形式(教師役、生徒役、保護者役等)やディベート形式の授業を行って、学生の授業参加をできるかぎり求めている。
  そのことによって、生徒指導上、指導する側が陥りやすい過ちは何か、また生徒の内面理解への糸口がどのようなところにあるのか等につき省察を深めることを企図している。さらに、毎講義時に、生徒指導上の課題(テーマ)について小論文作成を課している。具体的には、次回の講義テーマについて、いじめ、体罰の体験(見聞を含む)を記したり、その時の教師の対応をどう考えるのか、などについて記載し、その論述内容を次回の講義時に参考にしつつ、疑問に答えるかたちで講義を進めている。
  私自身の講義シラバスとして、以下のような講義項目[1.生徒指導とは何か−子どもと教育を見る視点 2.生徒指導の実際(ロールプレイ) 3.懲戒と体罰(ケーススタディとディベート) 4.いじめ事件をどう考えるか(ケーススタディ) 5.青少年による犯罪・非行(ケーススタディ) 6.中学・高校生の性(ロールプレイ) 7.校則違反をどう指導するか(ロールプレイ) 8.生徒指導講話実習(5分間スピーチ)]を取り上げている。そして、( )内のような学生自身による講義への主体的参加を促すとともに、冬季休業中には、任意提出によるレポート(指定参考図書の内容把握と感想文)を課している。さらに、講義期間の中ほどには、教員採用試験の類似ないし過去の出題例をもちいた問題演習(後掲)を行い、その解説もしている。


3.教職課程「生徒指導論」の講義実践


  以下、私自身の「生徒指導論」の講義内容に即して、その実践の概要を紹介していきたい。本資料は、新免許制度下において「生徒指導法」がどのような課題をもっているか、またその講義のなかで私自身が学生たちとともに生徒指導のありかたを考えてきたプロセスを再現することで、ご批判をいただければ幸いである。

 講義例(1) 
 生徒指導と生徒の人権を考える―神戸高塚高校校門圧死事件を教訓として―

 校門指導が招いた女子生徒の死

  1990年7月6日の朝8時30分、一学期の期末考査を受けようと登校していた兵庫県立神戸高塚高校の一年生石田僚子さんは、遅刻指導の教師が閉めた校門の門扉によって頭蓋骨を粉砕され、死亡した。この事件は、発生直後から大きく報道され、事件の捜査や裁判の推移に注目が集まった。
  事故責任の追及を恐れた県教育委員会と校長らは、門扉閉鎖を担当した細井元教諭個人に責任を押しつけようとしていた。それが非常に分かりやすいかたちで、露見したのは、皮肉にも事故の再発防止を目的として開いた県立高校の生徒指導協議会の場であった。兵庫県教育委員会高校教育課の生徒指導係長は、圧死事件を「一県の一高校の一教諭による一生徒の事故」と発言した(毎日新聞1990年9月1日他)。すなわち、この事件は、無謀な一教師が起こした事件で、例外的事故であるという認識を示したのである。もちろん高塚高校圧死事件は、ある意味きわめてまれな事例である。しかし、生徒の安全や人権に対する配慮の無さや、このような事件に対する無反省な態度こそ、この事件の根本的な要因であると言わなくてはならない。なぜなら、遅刻指導として校門を閉鎖して指導していた学校は、高塚高校だけではないし、実際に他校でも、遅刻指導の際にカバンや服装、そして身体の一部を校門にはさまれた例がある。情けないことであるが、圧死事件から約1ヶ月ほど後の、しかも同じ兵庫県内で、遅刻した女生徒が教師の閉めた校門の門扉に自転車ごと衝突してけがをするという事件も起きている(朝日新聞1990年8月18日)。そういった状況から考えれば、事件の予兆というべき事象は、すでに多発しており、高塚高校の事件は、起こるべくして起きたといっても過言ではないのである。
  生徒指導にかかわる事件や事故は、しばしばマスメディアをにぎわすが、このような教育現場で起きている事例を他人事としか見ない教師がいるとすれば、それは第二、第三の加害者予備軍であると言わなくてはならない。そして、二度と石田さんのような犠牲者を出さないためには、このような事件が忘れ去られ、風化されないように、その教訓を教師一人一人が心に刻むほかないのである。

 生徒指導と生徒の人権 −マニュアル型の管理教育は破綻する−

  門扉閉鎖を担当した教師は、遅刻指導のマニュアルを忠実に実行しようとして事件を起こしたという点は、特に注目すべきである。その指導マニュアルは校務運営委員会や職員会議で決められたものであるが、その職員会議は職員の合意形成や討議の場というよりも、校長の補助機関として位置づけられ、上位下達のための機関と化している学校が多い。さらに、校内で独占的権限をもつ校長は、数年間で転勤させられ、教職員、生徒、保護者の意向をくみ上げることよりも、いかに生徒や教職員を意のままに操れるかを競わされる。高塚高校の校長たち管理職も、教師に対して服装や職員室机上の荷物の置き方といった細々したことまで命じるなど、徹底した教員統制を試みていた(細井敏彦『校門の時計だけが知っている』48−50頁)。こうして生徒・教師への管理統制が行くつくところまで行った結果が校門圧死事件であったといってもよいだろう。
  今日の教育の実情からすれば、このような学校は、決して少なくはない。だからこそ教師一人一人が、教育の基本理念に立ち返り、自分の日々の指導法を常に反省する謙虚さをもつことが求められる。その自覚こそが、本当に実りある生徒指導の力を育てるのである。

 なぜ女子生徒は校門に駆けこみ、教師は門扉を閉めたのか

  なぜこれほどいたましい悲劇が起きてしまったのか。もう少しここで、事件発生の経過とこの校門圧死事件が残した教訓を考えてみたい。
  高塚高校では、遅刻者にはグランドを走るペナルティがあり、遅刻者とそうでない者を区別するために、生徒指導内規において「校門は8時30分の予鈴の鳴り始めで閉じて指導する」とされていた。
  生徒の側からみれば、事件当日は学期末考査が行われるので、いつもの授業に比べて、考査前のランニングという制裁を避けたいと考え、危険を冒してでも校門内に走りこむことになる。
  他方、当日遅刻指導を担当した3人の教師は、当日どのよう行動し、何を考えていたのか。事故後4日目の7月10日付で細井教諭が書いた事故顛末書(抜粋)には、このように記載されている。

  事故当日、校門指導の当番になっていたため、午前8時10分すぎに、校門当番に出ることを3学年主任につげ、校門には8時15分ごろ着きました。それから間もなく同じように校門指導の当番にあたっていたA先生(原文実名)が来られ、ついでB先生(原文実名)も来られました。いつもであれば、生徒の流れはテストの時にはわりとはやいのですが、この日は期末考査の初日であるにもかかわらず、かなり遅く、私は持ってきたハンドマイクで5分前から急ぐように再三再四呼び続け、特に前をゆっくりと歩いている者には後がつかえているので急ぐように、後ろからゾロゾロ来る者には走ってくるように指示をしました。この時、B先生は駅よりのフェンスの一番端にいて、小型のハンドマイクで生徒をせかしており、A先生は校門近くで指導していたように思います。今までの私の経験から言えば、テストの日には生徒の登校は通常の日の登校よりも早くなり、午前8時28分にはすべての生徒が校門を通過している状態にあったのですが、この日は全体の流れが遅く、遅刻者が出ると思われたので、ハンドマイクを通して指導する私の声もいつもよりは大きくはなりましたが、動きは極端そう早くはなりませんでした。そこで私は「3分前」「2分前」とカウントダウンをして生徒を急がせようとしたのですが、2分前になってもかなりの生徒が通学路にあふれていたので、1分前になると校門沿いのフェンスのところから「閉めるぞー」と声を出しながら校門のところまで駆け戻りました。これをすると私の動きを見ていた生徒は校門を閉められると思い、早足になったり、駆け足になったりするものです。私が校門の門扉を閉める態勢に入ったのは午前8時29分30秒ごろでした。私は前日自分の腕時計を学校のチャイムに合わしていたので時計を見ながら10秒前から10、9、8…とカウントダウンをはじめ、「5秒前閉めるぞー」と言って8時30分のチャイムが鳴り始めると同時に門扉を閉めました。

  こうして校門に走りこむ生徒たちの列に向かって、チャイムが鳴り始めるやいなや重さ230キログラムの鉄製門扉が閉じられたのである。まさにこの時、石田僚子さんは、前屈みで、身体を縮めるようにした姿勢のまま、頭部を門扉とコンクリート製門壁にはさまれ、脳挫滅により死亡した。
  顛末書からもわかるように、細井元教諭が、前日に自分の腕時計を学校のチャイムに合わせておくほど時刻に厳格であった。その理由は、「遅刻指導のマニュアル通りに校門を閉めて、厳密に遅刻者とそうでない者を区別しなければならい」という強い「信念」があったからである。そこには、「誰がいつ遅刻チェックをしても同じ結果にならなくてはならない」という画一的「平等」を「理想」とする考え方が横たわっている。別な言い方をすれば「校門当番の先生によって門を閉る時間が違う」とか、「クラス担任や教科担当者によって遅刻の基準が違う」と生徒に言わせない「指導」を目指していたといえる。けれども、このような機械的な画一性の追求には際限がなく、ますます生徒指導を硬直化させ、その指導が非人間的なものになったり、指導する教師の生徒指導への意欲を失わせていくことになるであろう。実際に高塚高校でも、あれほど厳格な内規を定めても現実には遅刻指導における校門閉鎖の方法は担当教師によって様々であり、遅刻指導に対する認識にもかなりの隔たりのあったことが高塚高校の教師たちの供述から明らかになっている。

 生徒指導と教師の連携

  重さ230キログラムの鋼鉄製門扉は、基底部の車輪でレール上を動き始めると、その慣性力のために途中で急停止させることができない構造であった。細井元教諭の刑事裁判でも、その構造上の危険性は明らかであるとされている。しかし、遅刻指導など生徒指導を統括する生徒指導部長の地位にあったM教諭は、そのような危険について数回か教職員に注意を促したと供述しているが、その指示は職員に徹底されてはいなかった。事故当日、細井元教諭とともに遅刻指導を担当していた2名の教師も、その現場にいながら、校門閉鎖時に生徒の危険な駆け込みを防止する任務を果たしていない。少なくとも、遅刻当番の3名の教師の任務分担として、「チャイムの鳴り始めで門扉を閉じる」という内規はあっても、生徒の安全確保を担当する者をおくことにはなってなかったのである。
  刑事判決で、検察官がこの事件を「無謀な一教諭による事故」として閉鎖行為の「無謀性」を強調していたが、裁判所は、この事件について「同校では、生徒指導の一環としての遅刻指導につき、登校時刻に門扉を閉じてこれを行うことにした際、門扉閉鎖の仕方によってこれに危険が伴うことに十分注意が及ばず、安全な門扉の閉め方や危険防止のための作業分担等の指示、取決めがなく、これらをその日ごとの当番者の裁量に任せていたものであり、これは、同校の生徒指導部の一員であった被告人個人の責任とは別に、当時、学校として、生徒の登校の安全等に関する配慮か足りなかったことを示すものである」と判示した。いわば、この高塚高校での事件は、遅刻指導計画の不備や教員間の連携の不十分さを指摘したものといえる。
  その意味では、校長、教頭ら管理職はもちろんのこと、教育条件整備の面での教育委員会の責任も大きい。まして学校の生徒指導をどのようにすすめていくのかという点では、教師相互の事故防止に対する連携と共通理解が強く求められているといえよう。

 遅刻した生徒をほめる? −遅刻の原因の多様性と教師の対応−

  ある秋季遠足の解散のときのことである。班別自由行動から学年全員の生徒が集合場所に集まってきた。クラスごとに点呼をしてみると、数名の生徒がいない。何人かの生徒が携帯電話で連絡をとってみると、「今こちらに向かっている」という。それから少しして、数百メートル先に、こちらに全速力で走ってくる生徒たちの姿がみえた。学年全体の生徒が、そちらに注目している。学年担当の教師から「もう少し待ってくれ、遅れた生徒を残して帰るわけにはいかないから」と言ってあるので、皆が集合隊形のまま遅刻して走ってくる生徒を見守っているのだ。遅刻した生徒たちは、点呼とともに担任教師から注意を受けて、友達にすまなさそうにクラスの列に入り、全員揃ったことを確認して帰路に着いた。そして、遠足終了時の解散の際、最後に遅刻した生徒を集めて、学年の生徒指導担当のS先生は、遅刻に対する説諭の最初にこう言った。
  「まず、集合時間に遅れそうになって、それで解散場所までものすごい汗をかきながら、一所懸命に走って戻ってきたという点は、ほめてあげたい」と、そして、その後に、何事も時間的、精神的にゆとりをもって行動し、今後の日常の学校生活でも団体行動時に迷惑のかからないように、あるいは人に心配をかけないように、さらに自分自身が社会のなかで人からの信頼を失わないために遅刻をしないようにとの指導を行ったのである。このときの生徒の様子を間近にみていると、遅刻の汚名を挽回しようと懸命に走ったことが認められた生徒たちは、また新たな気持ちで「今後、遅刻や友達に迷惑をかけることはしないぞ」と素直に反省しているように思われた。遅刻指導の結果として、その後の生徒たちが、これまで以上に「時間を守ろう」という気持ちを高め、より望ましい行為規範を身につけて成長していくことがもっとも重要な指導目的である。まして、遠足のときならば、少しでもよい思い出を胸に刻んでほしいと願うのが行事を企画した教師の思いである。その意味では、このときのS先生の「遅刻した生徒であっても、評価すべき点は評価し、ほめる」という説諭の仕方には、教えられるところがある。
  どのような生徒指導においても、頭ごなしに叱りつけるだけで指導の実効性があるのならば、「生徒指導法」の是非を吟味する必要はないだろう。遅刻指導でいえば、「遅刻がダメなのはあたりまえだ」といって、遅刻生徒に、遅刻理由も聞かずに叱りつけたり、問答無用とばかりに扉を閉ざすような指導は、生徒と教師の信頼関係を損なうことにもなりかねない。
  遅刻指導も、実際には、登校時だけでなく、各クラスやクラブ、あるいは学年などの単位で常時行われていることである。例えば、授業時に授業教室で着席し授業がスムーズに行われるように、委員会・クラブ等の活動では開始時間に活動場所に集合するように指導することは、いわば日々の教師の仕事であるといってもよい。
  その際、遅刻した生徒に対応するとき、私の一言目は「どうしたの?」である。そして、生徒が、頭痛、腹痛など「体調不良で遅れた」といえば、私は「もう大丈夫かい?」と尋ねたり、「しんどいのによく頑張って学校にきたね」などと励ましたりすることになる。
  また、遅刻が常態化している生徒に対しても、叱責による指導が効果的とは思われない。なぜなら、「寝坊」による遅刻がしばしばみられる場合には、夜更かしの原因や朝の体調不良の背景になっている生活リズムの改善といった根本的な遅刻解消がはかられねばならないからである。場合によっては、放課後に付き合いのある友達関係や家庭事情などに遅刻の要因があることも少なくはない。そのような場合には、単なる遅刻指導というよりも、学級担任を中心として、担当学年や生徒指導担当教師が、対象生徒の生活指導について組織的かつ継続的に取り組んでいく必要がある。その生活指導を円滑に進めていくためにも、遅刻の際に「こらこら」から始まるような叱責は、望ましいとは言えない。

 生徒指導の根底にあるもの

  おそらく、多くの学校では、修学旅行や遠足の日、そして運動会、文化祭のある日には、それ以外の授業の日に比べると、遅刻や欠席の数が少ないのではないかと思う。それは、生徒にとって、それだけ行事のある日は、楽しみにしているということである。逆に言えば、授業の内容がものすごく楽しければ、あるいはその授業に参加することに自分なりの意義を生徒自身が見出せば、遅刻や欠席はそれにつれて少なくなるはずである。
  また、生徒に対して「授業開始のチャイムが鳴ったときには座席について授業の態勢を整えておくこと」(いわゆる「ベル着席」)を指導するならば、教師自身もベルとともに授業ができる状態でいることを心がけなくてはならないだろう。
  教師がきちんとした教材研究をし、授業開始時に教室にいるからといって、それがただちに、遅刻ゼロという結果に結びつくとはいえないが、少なくとも、教師が遅刻してばかりであるとか、授業が満足に行われていない状態では、落ち着いた授業の開始はより困難になるであろう。
  遅刻した生徒を前に、ただその生徒の意欲の低さとか生活態度を非難することは簡単であるが、それだけで事態が好転するとは考えられない。遅刻などの問題行動が多ければ多いほど、生徒やその家庭を批判する前に、「自分にできることは何か」を冷静に考えたい。他人の行動や考え方を変えるのには時間もかかるし、難しいが、自分が見方や考え方を変えたり、物事への取り組み方や人との接し方を変えるのは、それに比べれば簡単である。そこに問題解決の糸口があることは多い。それは、勉学への意欲が低い生徒に対して、教師が勉強への関心を高めようと授業改革に取り組むとの同じである。その意味では、生徒に対する遅刻指導にかぎらず、生徒の問題行動をよりよい方向へ導くには、教師自身も自らを反省し、そういう生徒たちとともに成長しようとする謙虚な姿勢がその基本になくてはならない。

 講義例(2) 
 体罰を考える

 約8割の大学生が体罰を経験・・・・

  わが国は教師が体罰を行うことを、学校教育法11条によって、明確に禁止している。しかし、私が2002年度と2003年度に担当していた教職課程「生徒指導法」の受講学生358名に対して、「あなたが児童、生徒の時に経験したり、見たりした体罰例があれば、記憶にある範囲で、学年や体罰の理由、内容などを書いてください」とのアンケートを行ったところ、全体の79%(283名)の学生が何らかの体罰経験を記していた。
  この体罰禁止の法律と体罰「教育」の横行という矛盾をどう考えるべきなのか。この問題は、生徒指導上、緊急に解決すべき今日的課題であるとともに、長い間繰り返し議論されてきた歴史的問題でもある。
  体罰問題が「歴史的」である理由の一つは、日本では、1879(明治12)年の教育令以降、1900(明治33)年の第三次小学校令、1944(昭和16)年の国民学校令等を経て今日までほぼ一貫して、学校における体罰は禁止されてきたからである。そして、それにもかかわらず、第二次世界大戦の戦前、戦中をはじめとして、現実には日常的な体罰が行われてきた。体罰の法的禁止とその横行という教育的課題は、長い歴史と背景をもちつつ今日なお、児童・生徒の心身に大きな被害をもたらしている。
  ここでは、この現代教育の緊急課題である体罰問題について、生徒指導法の観点から、まず「体罰とは何か」を問い、体罰の定義とその現状を明かにしたうえで、体罰是認の論理と背景を探り、「体罰をなき教育」への展望を考察してみたい。

 体罰とは何か

  そもそも体罰とは何か。その定義は、「児童懲戒権の限界について」と題された通達(法務調査意見長官回答)によって、一定の基準が示されている。殴る、けるといった典型的な暴力行為が体罰にあたることはいうまでもないが、教育法令上は、それだけでなく、長時間の正座や直立姿勢をとらせるなど、肉体的苦痛を与えることも体罰にあたるとされている。
  ただ、その基準を具体的事例にあてはめて考えた場合に、それが教育法上の「体罰」にあたるかどうかを一律的に判定することは困難である。たとえば児童、生徒を起立させた場合に、「どのくらいの時間直立させておくと体罰になるか」という問いに対しては、その場所が教室内の場合と室外とでは条件がかなり異なるし、同じ運動場などの室外といっても、夏の炎天下や冬の又は寒風中において直立姿勢を保持させたような場合など条件によって、被罰者の身体的苦痛は、かなり異なると考えなくてはならない。したがって、懲戒を受ける児童、生徒の年齢や健康状態、その懲戒行為が行われる場所や時間、その他の環境条件を総合的に考え合せて肉体的苦痛の有無を判定しなければ、その懲戒行為が違法な体罰かどうかをきめることはできないのである。前記の通達によれば、生徒指導や学習指導の一環として放課後教室に残留させることも、通常は「体罰」には該当しないけれども、「用便のためにも室外に出ることを許さないとか食事時間をすぎて長く留めおくとかいうことがあれば肉体的苦痛を生じさせるから体罰に該当する」としている。

 骨折、打撲、鼓膜破裂からセクハラ的体罰まで

  文部科学省は、毎年、体罰、わいせつ行為、交通事故などを行った教師に対する懲戒処分の実施状況を公表している。それによると、一年間に体罰によって懲戒免職、停職、減給、戒告の「懲戒処分」、「訓告」、「諭旨免職」を受けた教師(監督責任を問われた校長らも含む)の総数は、平成12年度は638人、平成13年度は618人となっている。この数字は、1980年代頃から見れば、明確に増加傾向を示しているが、それは、必ずしも、体罰自体が増加している結果というわけではない。なぜなら、1980年には、岐陽高校、小松市立中学校、川崎市立小学校において体罰による児童・生徒の死亡事件が相次ぎ、体罰問題に関する社会的関心が一気に高まったことを契機として、その後教育委員会が体罰に対する厳格な指導や処分を進めてきたために、教師の体罰に対する処分が増加しているという側面が強いからである。
  このように、近年の体罰による教師の懲戒処分は、かなりの数にのぼるが、それでもなお、この報告された体罰は現実におきている体罰のうちのほんの氷山の一角にすぎない。実際には、体罰肯定的な風潮は、根強く、それに後押しされて、かなり深刻な体罰による身体的被害を生み出し続けている。
  平成13年度の「体罰に係る懲戒処分等の状況一覧」に明記されている被害だけを見ても、「鼓膜損傷」が36件、「骨折」が17件ある。また、特に、頭部や顔面への体罰はかなりの危険をともなうにもかかわらず、頭部ないし顔面への「打撲」(鼓膜損傷を除く)に限っても89件が、文部科学省に報告されている。
  また、体罰を行った場所や時間についても、複数の場所や時間が記載されているものが少なくない。それは、体罰が繰り返し、日常的に行われていることを示している。そのことは、前述の学生に対するアンケートの中からもうかがえる。日常的な体罰の例をいくつか挙げてみると、次のようになる。

 小学校の体罰例1 毎日「精神統一」のために棒で・・・
  私の通っていた小学校で、六年生の時、私のクラスでは毎日S・H・R(ショート・ホーム・ルーム)でクラスの全員が精神統一をさせられ、先生が棒をもって歩き回り、ちょっとでも動いたときには、その生徒の背中を棒でしばいていました。先生にとっては、精神を統一するためといっても、そのころの私にとっては苦痛だったのを覚えています。その小学校は、公立校で禅宗等の宗教的母体をもつ私立校ではありません。

 小学校の体罰例2 男の子に無理やりキスをした女性教師
  どちらも小学校のときの話ですが、給食エプロンを忘れた男の子に、罰として無理やりチューをした女性教師がいました。その子は、先生のお気に入りの子でしたが、その子は、キスをものすごくいやがっていました。それでも教室の壁際まで追いつめられてキスをされ、男の子は泣いていました。また、図工の先生は、名札を忘れただけで、椅子からその子を引きずり落としたり、絵の具の水入れを左利きの子が左側に置いていただけで、「右側に置けといったやろ」と言って、椅子から引きずり落とし、その時は、その後も床の上を引きずっていました。

  このほかにも、小学校の体罰として、「忘れ物をしたり、宿題をしてこなかったら、皆の前で思いっきりビンタをしていた担任の女性教師」、「宿題を忘れると『根性をたたきなおす』と書いた棒でお尻をたたく」など、「修学旅行のとき広島(宮島)で買った巨大なしゃもじ」、「スリッパ」、「クラス全員分のノートたば」等特定の道具を用いて、宿題や忘れ物に関して日常的、継続的に体罰が行われている。しかも、そのほとんどがクラスの全体の眼前で、一種の「見せしめ」として行われている。そのため、小学校時代の担任教師等に「恐怖心をもった」、「ひいてしまった」など精神的な圧迫感を感じた例が多い。

 中学校の体罰例1 剣道部で生身の頭を竹刀でたたかれる
  私は中学時代剣道部でした。顧問の先生は熱心な先生でしたが、よく稽古中に防具の「面」をとらされて、生身の頭のまま、竹刀で頭部をたたかれました。私は、何もそこまでする必要はないんじゃないかと思っていましたし、そのために部活動にいくことがイヤで、おなかが痛くなるなど、精神的にもかなりきつかったです。先生はそう思っていなかったでしょうが、私にとっては、体罰のように感じられました。

 中学校の体罰例2 級友が体罰で意識を失い病院へ
  中学2年のとき、音楽の時間に遅刻してきて、その後も私語をして授業を受ける気のないような生徒がいて、先生はその子を廊下に出して説教をしだしました。そのとき、その子が先生を無視してどこかに行こうとしたので、先生はその子を投げ飛ばし、その子はけいれんを起こして意識がなく、病院に運ばれていきました。

 中学校の体罰例3 5分遅刻でスクワット百回
  中学時代には、集団での縄跳びのとき、縄にひっかかったことで、見せしめとしてゴム縄をムチのようにして打たれたことがある。また、中学の美術の時間、1人5分遅刻をすると、スクワット百回をさせられた。途中でできなくなった生徒は、踏みつけられた。私は、62回目で倒れてしまい、蹴られたことがある。遅刻防止に効果的だったかもしれないが、今でも絶対に許せません。

 中学校の体罰例4 理由なくコミュニケーションとして体罰?
  ある先生は、いつも生徒にゲンコツをしていました。これといって殴る理由はありません。先生はコミュニケーションのつもりなのですが、理不尽です。男子生徒が、これにむかついていたのを覚えています。

  中学校では、この他にも例1のように、部活動指導のなかでのプレー上のミスや遅刻などを理由として、野球部やソフトボール部の経験者が「バットで殴られた」とか、バレーボール部では「腹をなぐられたり、ボールを投げつけられた」など運動部の体罰が目立った。また、例2と例3のように授業の遅刻や教科指導のなかで、行われる体罰も、小学校以上に増加している傾向がある。「美術の時間の忘れ物や遅刻で男子も女子も、当然女子はスカートのまま、腕立て伏せを20回させられた。その教師はその後休職になった」、「授業中『精神注入棒』という棒を持ってくる先生がいて、質問に答え間違えただけで、よくたたかれた。そのため発表する気もなくし、その科目が苦手になった」、「中学1年の数学の先生が教科書を忘れてきた生徒に、5つの罰から1つを選ばせて体罰をしていた。その選択肢は、『おでこにチョークで丸を書く』、『こめかみをグリグリする』、『耳を摩擦する』などで、後まで傷になった子もいた」、「私語の多い生徒の口にガムテープをはり、後ろのロッカー上に正座させていた」など、体罰による授業の秩序維持をはかろうとする教師の存在が浮き彫りにされている。

 高校の体罰例1 体育コース・クラスは・・・
  高校で「体育コース」のクラスに在籍していたので、いわゆる体育会系独特の体罰をうけしまた。「教室に入る前に腹筋百回してから入る」とか、意味のわからない指導もありました。生徒が教師に「なめた態度」をとると、何十発も平手打ちをしていました。実際僕もされました。

 高校の体罰例2 友達が試合に負けて3時間のランニング
  友達の話ですが、クラブの試合に負けて、本来ならバスで帰るはずのところ、試合に出ていたメンバーだけが試合会場から3時間かけて学校まで走って帰らされました。

 高校の体罰例3 髪の毛を染めたら殴られた
  私学の出身だが、とにかくよく殴られた。体罰の理由をすべて覚えているわけではないが、高校2年のときに、髪の毛を染めて殴られたのは覚えている。

 高校の体罰例4 「スカート丈が短い」と尻をける
  高校の時女の先生が、女子生徒の「スカートの丈が短い」という理由で、その女子のお尻にけりを入れているのを見たのが今も忘れられない。

  体罰例1と2のように、高校のクラブにおける体罰や身体的しごきは、前述の中学と同様の体罰行為が見られるほか、名目的にはトレーニングであるが身体能力の向上とはつながらないような、過剰な身体的苦痛を与えるような運動を課している例がみられる。また、体罰例3と4のように、生徒指導上、生徒に対して、「髪の染色」、「スカート丈」などの校則遵守を簡明に説得することが一般に困難とおもわれる指導事項に関して、十分な説明をせずに、体罰によって強権的な対応をとっている事例も少なくない。この他にも塾や大学サークル内での体罰例をアンケートに記載してるものがあった。このように、体罰問題は、まさにあらゆる教育の現場において出現しているといってよいであろう。

 体罰「教育」是認の論理と心理

  「生徒指導法」受講学生に対して体罰に関する講義をする前に事前アンケートとして、「体罰が許される場合がある」か「体罰は絶対許されない」の択一式の意識調査を行ったところ、「体罰が許される場合がある」を選んだ者が45.8%(164名)、「体罰は絶対許されない」が52.8%(189名)、「わからない」と未記入が1.4%(5名)であった。受講生がほとんど教職免許取得予定者であり、教育心理や教育法制にも一定の理解があることを前提にして考えると、「体罰が許される場合がある」と考える者が「多い」ようにもみえる。けれども、これは、特定の大学での特別な結果とは決していえない。このように体罰肯定的な回答がかなりの率であらわれることは、体罰に関するアンケート調査では、決して珍しくないからである。

 親の7割が体罰容認?

  牧柾名教授らの研究グループは、体罰について日本で最初の総合的かつ科学的な体罰に関する生徒、教師、保護者の意識・実態調査研究を実施している。今日まで同調査を上回る規模と詳細かつ多角的な研究はみられない(牧柾名他編著『懲戒・体罰の法制と実態』)。それよれば、中高生を子にもつ親795名(調査対象1192名中有効回答率66.7%)のうち、「多少のケガを恐れず厳しくやるべき」が4.0%、「ケガをしない程度なら賛成」が14.1%、「場合によってはやむをえないこともある」52.7%で、これらの積極的体罰賛成から消極的体罰是認までの総計は70.8%になる。同様に教師589名(調査対象2010名中有効回答率29.3%)については、「体罰はよいが限度を越えてはならない」の体罰を原則的に肯定する教師が2.5%、「体罰はよくないがやむをえない場合もある」と消極的に是認する教師が52.1%であり、その総計は54.6%となる。この調査の実施は1986年から翌87年であり、同調査の対象は、東京都、埼玉県、茨城県の中学一年、高校一年、高校二年の各学年の生徒とその生徒の親、および同地域の教師から選定され、その前年の体罰について調査したものである。その後の十数年間にある程度の意識の変化や調査対象の違いによって変動はありえるが、同種の調査の中では、最も信頼性の高い調査研究の一つといってよいだろう。
  それによると、小学六年生のときに54%、中学3年のときに59%、高校一年のときに24%の生徒が体罰経験があると回答している。その親は、この体罰の実態をどう受け止めているのか。前述のように、一見すると親は、消極的にせよ一定の体罰を容認しているようにみることができるが、調査結果を詳細に見ると、決して現在のような教師の体罰を認めてはいないことがわかる。
  調査データによると、親が自分の子どもの受けた体罰を知る方法の81%は、子どもからの報告である。当然子どもが話さなければ、多くの場合親は子どもが体罰を受けたことを知ることはできない。けれども、体罰を受けた子どもの約半数は家族に「全く」話していない。そして約三割の子どもは「時々」しか話さないと回答している。その子どもと親の両者の調査結果を総合すると、体罰の実態を把握している親は、二割弱しかいないことになる。そのために、子どもはかなり頻繁に体罰を受けていると答えているのに対して、親は子どもの受けている体罰について「わからない」30%、「全くない」30%、「一、二度」28%という結果になっている。このように子どもと親の体罰についての認識はかなりの相違がある。そのように体罰の実態を過小に見ている親が、その実態を知った時にも、なお体罰を容認するのかどうかは、未知数であり、「多くの親が一定の体罰を容認している」との推測のもとに教師の体罰を正当化することは、妥当ではない。
  さらに、見落としてはならないことは、親が、体罰を加えるのが「やむをえない場合」と考えているのは、「他生徒への危険行為」(是認率89%)、「飲酒・喫煙」(是認率75%)、「他生徒への暴力行為」(是認率67%)、「対教師暴力」(是認率66%)など限定的だという点である。
  現実には、このような理由で体罰をされた生徒は極めて少ない。その事実からすれば、今行われている体罰のほとんどは、親から支持されないということである。
  しばしば「親は厳しい指導を望んでいる」と言われるが、この調査でも、学校における指導の厳しさに「体罰を含む」と答えた親は、28%しかいない。したがって、親が教師に「ビシビシと指導してください」と言ったとしても、その言葉は体罰容認を意味していないといわねばならない。また「学校が親の代わりにしつけをしてほしいか」という質問には、親の73%が反対している。現代日本における家庭教育にも課題は少なくないが、それでもなお全体としては、子どものしつけは家庭の指導に重きをおくという基本的原則はなお多くの父母に意識のなかに健在であるといえよう。

 体罰絶対禁止は「建前」? 体罰反対の教師は少数派?

  教師に対する調査結果のなかで注目すべき点は、教職経験年数が増すにしたがって、「体罰に否定的な教師」の比率が増すことである。たとえば、「体罰によって自己規律を学ぶか」との問いに、経験年数5年以内の教師は、55%が肯定的であるのに対して、経験年数30年から35年の教師は逆に78%の教師が否定的である。そして、全体で見ても、八割の教師が、父母と同様に、体罰は生徒との信頼関係を崩し、学校嫌いや不登校、対教師暴力の原因となると考えている。これらの事実は、体罰のない、教育の人間的力量や専門的能力によって生徒指導を行っていくべきであるという展望があり、その実現に向けた共通理解の形成が十分に可能であることを示唆している。
  ただし、その一方で、「学校の多数派意見は何か」との問いに対して、法律の厳守を意味する「体罰絶対否定」と答えた教師は、3割に満たない。言い換えると、相当数の教師が、個々人としては体罰に懐疑的でありながら、「体罰がやむを得ない場合がある」とか「一定の限度内であればよい」という考え方が多数派の意見だと認識していることになる。

 体罰是認の風潮が殺人を生む −岐陽高校修学旅行体罰死事件

  実際に、岐陽高校で起きた体罰死事件は、このような体罰肯定の風潮に流された教師の悲劇であった。この死亡事件は、修学旅行中、担任教諭のAが、生徒指導担当のF教諭とともに、担任Aのクラスの生徒3名が携行禁止とされていたドライヤーを使用しているのを発見したことにはじまる。違反発覚の後、まずF教諭が生徒を正座させて、叱責したうえで、平手と手拳で数回殴りつけた。その後に、F教諭は、A元教諭の前任校を引き合いに出して「市岐商はこんなものか」とA元教諭をなじっている。このF教諭の言動を目の当たりにしたA元教諭の心理を、裁判所は「追いつめられた気持ちにかられるとともに、自分の担任している生徒ばかりが規則に違反したことへの無念さや腹立たしさがつのった」と認定している。そして、憤激したA元教諭は、3名の生徒に対して、平手、手拳によって殴打し、足で頭部を踏みつけたり、さらに足蹴りによって壁にぶつけるなどの暴行を加えて、その3人うちの1人高橋利尚君を急性循環不全によって死亡させたのである。そして、担任のA元教諭は事件後懲戒免職処分となり、刑事裁判で懲役3年の実刑判決を受けた(水戸地裁土浦支部判決昭和61年3月18日判決)。
  裁判官は、体罰死事件の起きた背景として「本件は、普段からある程度の体罰が容認されていた岐陽高校内の風潮や本件直前になされたF教諭による体罰と被告人の日頃の生活指導に対する甘さを暗になじられたことにあおられた面がある」と判決文に述べている。A元教諭についても、その判決文のなかで、平生ほとんど体罰を加えたことがなく、「温厚」な人柄であったと評価されている。そのことを考えると、いかに学校という職場環境が個人の人格を変えてしまう可能性があるのか、その影響力のすごさは恐ろしいほどである。

 体罰禁止を「タテマエ」から「ホンネ」にするために

  そこで、個々人としては体罰に懐疑的であるが、「体罰がやむを得ない場合がある」などの体罰是認の考え方が多数派だという認識を転換していくためには、どういう取り組みが有効であろうか。この点についても、前述の総合的調査は、興味深い結果を提示している。
  まず、注目すべき点は、「タテマエとしての『共通認識』は『体罰絶対禁止』である」と認識している教師が72%に達していることである。しかも、その認識の形成過程が「校長・教頭のリーダーシップによって」形成されたと答えた教師の場合と、その形成過程が「職員会議での総意」によって形成されたと答えた教師の場合とでは、「ホンネとしても『共通認識』は『体罰絶対禁止』である」と回答する率に大きな違いがある。すなわち「校長らのリーダーシップ」によってタテマエとしての「絶対禁止」が認識されたとしても、その結果として「ホンネとしても『共通認識』は『体罰絶対禁止』である」と回答した率が34%しかない。すなわち、約3分の1しか、体罰禁止を実効性のある法規範ととらえていないことになる。逆に「職員会議での総意」によって体罰禁止が決められた場合には74%の教師が「ホンネとしても『共通認識』は『体罰絶対禁止』である」と回答している。このように「学校内の多数意見が体罰絶対禁止である」という意識は、体罰行使の抑止力として大きな意義をもつことは間違いない。この結果をみれば、体罰禁止が上意下達されるだけではなく、教職員のなかで合意されていくことの重要性は明らかである。

 体罰問題でディベートしよう

  日常生活のなかでは、温厚な人間が殺人者に変えられてしまうようなシステム。そういうまるでSF映画のようなことが、岐陽高校で現実に起こったことに恐怖心をもった人は多かったであろう。けれども、その後一、二年の間にも、川崎市立小学校と小松市立中学校で体罰死事件が起きている。そして1995年には、近畿大学付属女子高校で当時高校2年の陣内知美さんが副担任の教師から「指示に従わない」という理由で顔などを数回殴られ、柱に突き飛ばされて、頭部を強打して死亡した。この近畿大学付属女子高校事件の加害教師は、しつけの厳しさや部活動の成果によって同校は評価されてきたのだから、体罰を含む強い指導は学校の経営安定にも貢献していたと裁判のなかで主張していた。事実、事件後も同校で体罰があったこと、被害者の家に「生徒の方が悪い」などの電話のほか、デマや中傷を流布するいやがらせもあり、地域の中にも根深い体罰容認意識があるといってもよいだろう。
  このような状況を改善していくためには、やはり一人一人の教育や子育てに対する意識を変え、体罰をはじめとする暴力への認識を深めていくほかはない。「学校」というシステムが温厚な人物を暴力的に変えるほどの影響力をもつとすれば、また同時に、その逆もまた可能であろう。そのことは、次の一つの社会科(公民科)授業に関する実践例からも明らかである。
  その学校では、「現代社会」の授業のなかで、1人10分の報告学習を実施していた。教育、福祉、平和、環境など大きなテーマはあらかじめ設定されているものの、具体的にどういう内容の報告をするかは、生徒の自由であり、その報告の手法も可能な限り自由が保障されている。したがって、プリントや模造紙等の掲示物を用意したり、寸劇や紙芝居をする者などもある。その授業のなかで「教育」をテーマに選んだM子は、その報告内容に「体罰問題」を選んだ。その直接の理由は、数週間前に同級生のC美がある青年教師から皆の前で体罰を受けて大きなショックを受けたからであった。
  M子の報告は、新聞等の具体的な資料をプリントして提示しつつ、体罰問題の全体の状況を視野に入れたもので、非常によくまとめられていた。報告後のクラス討議では、自分たち自身の体罰経験も交えて、活発な話し合いも行われた。そうして、M子の体罰資料プリントや報告・討議学習の感想文などは、その授業担当教師だけでなく、他の教師の目にも触れ、職員室でも自然と話題になった。その時のことである。体罰をしてしまった当の青年教師の方から「その授業のプリントや感想文をよませてもらえませんか」と担当教師に声をかけてきたのである。感想のなかには、体罰賛成の意見もあり、体罰によって深く傷ついた経験談もあった。それらをすべて読み終えた青年教師は、担当教師に「僕が『もう体罰はしない』と言っておいてください」と言ったという。そのことは、報告者であるM子だけでなく、前に体罰を受けたC美にとっても「自分が叱られているとき、皆が私を心配してくれていたんだ」ということを知り、大変大きな心の励みとなった。それまで休みがちで進級も危なかったC美だったが、その後クラスメイトと教師集団の支えもあって無事卒業していったのである。
  体罰禁止等の教育法の理念や理想も、それを実現するのは一人一人の人間であり、教師や生徒たちである。学校から暴力や不正、そして体罰をなくすことは、子どもたちが楽しく学べる「よりよい学校」をつくる作業そのものである。体罰による被害やそれにともなう教師の処分が昨今も報じられているが、それらの事件を、どれだけの教師や親が自分自身の問題と感じているであろうか。またそれらの事件の当事者たちは、事件になってはじめて事の重大さに気づいたのではないだろうか。教育にかかわる者として、これらの体罰事件から何を今後の教訓として学びとるべきか、常に問い続けねばならないだろう。


 講義例(3) 
 いじめを許さない

  いじめとは、@自分より弱い者に対して一方的に、A身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、B相手が深刻な苦痛を感じているものであって、起こった場所は学校の内外をとわない。これが、「いじめの定義」である(文部科学省)。いわゆる喧嘩では、双方の加害行為が一定の対等性をもつのに対して、いじめの場合は「一方的」に危害が加えられる。この点でいじめは喧嘩と区別される。また、いじめは必ずしも身体的な加害行為をともなわない。言葉や態度、または「仲間はずれ」、「無視」という不作為によっても行われる。そして、同じような言動や行為でも、子どもによって感じ方には違いがあり、深刻な苦痛を感じることはあるし、また同じ子どもでも、心身の健全な状態の時にはそれほどダメージにならない行為でも、そのときの状況によっては耐えがたい苦痛を感じることもある。まして、加害者側や第三者的な立場から「この程度のことは大したことはない」と思ったとしても被害者にとって「深刻な苦痛」が感じられれば、この要件にあてはまることになる。

 いじめが子どもを殺す

  武田さち子氏は、109件のいじめ事例を新聞等から集め、『あなたは子どもの心と命を守れますか』(WEVE出版2004年)にまとめている。この事例のうち、被害者が死亡したり、加害者が報復として殺されて、実に84人もの命が奪われた。それでも、なお同書に取り上げられた事件は、まさに氷山の一角でしかない。子どもの自殺については、遺書のないものも多く、原因がわからない事例が少なくないし、社会一般には知られていないいじめ事件も相当の数にのぼるとみてよいであろう。しかも、命を絶つまでにはいたらないまでも、性的暴行や精神的、肉体的に回復困難なダメージを与える深刻ないじめ事件は多発している。例えば、平成14年度に関する文部科学省の学校基本調査では、公立学校におけるいじめの発生件数は、2万件をこえており、いじめが発生した学校数は,7599校(小学校2675校、中学校3852校、高等学校1029校、特殊教育諸学校43校)である。その学校数を全学校数に占める割合として表すと、19.5%となる。もちろん、教育委員会等に報告されない事例も多いので、実際には同調査による件数以上にいじめがあると考えてよいし、その意味では、どの教育現場においても、いじめはあるといっても過言ではないだろう。
  問題が深刻化するかどうかは、いじめ問題に対して、教師をはじめとする大人がどのような解決策を備えているかにかかっている。だからこそ、いじめ問題はいつ顕在化しても不思議ではないという前提で、これまでの悲劇的ないじめ事件を教訓として、学校としても教師個人としても、いじめを指導する態勢と心の備えをしておく必要がある。
  ここでは、実際に起こってしまった兵庫県立神戸商業高校一年生だった石坂早佑理さんのいじめ自殺事件をケース・スタディーとして検証し、いじめ事件に教師がどう関わっていくことができるか、考えてみたい。

 もう限界やねん −遺書にみる被害者の気持ち

 石坂さんが亡くなったのは、1996年1月8日。三学期の始業式に向かう通学途上に電車に飛び込んで自らの命を絶ちました。ここに引用した遺書は、自殺から十日後に母親が早佑理さんの部屋で発見したものである。(望月彰・土屋基規編著『いのちの重みを受けとめて』参照)

  突然ごめんなさい。
  私が死のうと思った理由は、いじめです。私をいじめたのは、A、B、Cの3人です。
  はじめは、すごく仲よかったけど、それがくずれはじめたのは、夏休み前くらいからです。ひどくなったのは、あの夏休みのことがあってからです。私は3人から「あのときさーchanのおかあさんが親にTELせんかったら、うちおこられへんかったのに。」と何回もいわれました。私はずっと帰ろうと思っていたのに、とくにAがひきとめた。それはわたしにおってほしいからじゃなくて、ヘボやと思われたくないと思ったからだと思います。
  いじめといっても、暴力じゃなくて、言葉とか、すぐパシリに使ったりすることです。いつも、「〜やって。」といってきて、「いや」といったら、「なんどいこいつ。」とかいうし、Aが「〜して」とCにいうとぜったい「さーchanして。」といいます。で、「いや」とこたえると「それをするんが石坂やろ。」とか、「もうええからやって。」とおこります。なんでもいやなことはおしつけて、カラオケいったりするのもきっと、本当はさそいたくないけど1人でも多いほうがわりかんにしたら安いからといってさそっているのだと思います。
  その証こに私がうたおうと思って入れた曲が最近の曲だったり、誰かのすきな曲だったりしたら「あーうたおうと思っとったのに」とか「あーこれ私の曲。とるな。」とかいって横からわりこんできたりします。でムカツクからその子がうたわへんような曲入れたら、「こんなんうたっとってたのしい?もうやめたら。」とか、「しけてもたやん」とかいいます。いっつもいやな役は私にばっかりおしつけて。すぐに私のものとるし。とったらとったでジョーダンやったらすぐかえしてくれるのに、この3人はかえさへん。しかも、私がとられたん気づいてなかったら、そのまんまだまって何もいわへんし、気づいたら気づいたで、とりかえしよったら、「やめてー。」とかいうし。人のつごうも考えんと、「何時に来て」とか、「今から来て」とか無茶ゆって「無理」っていったら、「ええから来て。じゃあね。バイバイ。」といってかってにTELきったりする。で、こっちが無理っていうのをおしきろうとしたら、「ええわ。」マガチャンとおこったふりみたいなかんじでおおげさに音だして切ったりする。
  もう、書ききれんぐらい、いっぱいイヤなことしたり、おしつけたり、利用するだけして、必要ないときはムシ。
  Cはたぶん気は弱いくせにうしろにAがおると思って強気になってくる。宿だいでも私にたのんで「無理かもしれへん」といったらいったんTELきって、またかけてきて「Aもたのんどうから」といったり。中学んときはひっこみじあんやったこと私のお母さんがCのおかあさんからきいたって教えてくれたときはめっちゃおどろいた。
  実をいうと家出したのは学校いきたくないっていうのは、先生もやけどあの3人がおるからやねん。本マのこといわへんかったんは、3人に家出たすけともらうためやってん。
  おかあさん本マごめんな。お父さんごめんなさい。
  お兄ちゃんもおばあちゃんもおばちゃんもごめんなさい。
  つらくてもうたえられへんねん。今まで何回か死のうかと思ったけど、たえてきてん。でももうたえられへんねん。
  もう限界やねん。心配ばっかりかけてごめん。相談しようかとおもったけど、心配かけたくなかったし、できへんかってんごめん。

  この遺書の他に、自殺時に所持していた家族宛の遺書には、「突然こんなことになってごめんなさい。私はもうA、B、Cのいじめにたえられません。暴力じゃなくて態度のいじめです」の書き出しで、いじめの事実が書き記された遺書も残している。そして、自室からは、「3人へ」と題された文も見つかっている。それには「A、かなり命令したな。私はあんたの家来ちゃうねん。今では友だちとも思わへんわ」とAら加害生徒に対する気持ちが綴られている。

 女生徒の自殺は防げたか?

  これらの遺書を一読すれば、石坂さんが「友だち」からの心無い言動によって、どれほど深く傷つけられていたかが非常によくわかる。しかし、このような遺書の存在にもかかわらず、学校が教育委員会に提出した事故報告書は、「3人から話を聞いたところでは、石坂早佑理に対して“いじめ”をしたという心当たりはない」、「親しさのあまり石坂早佑理の心に傷をつけるような言動があったのではないかと思われる節もある」と記すのみで、石坂さんが命がけで訴えたいじめの事実に目を向けたものとは到底いえない。このような学校の姿勢に、早佑理さんの両親は事実の究明とこのような事件が二度と起こらないような対応を求めて兵庫県弁護士会の人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行った。その結果、同委員会は学校に対して警告書を県教委にも同校への再調査を指導することなどの要望書を出している(事故報告書、人権救済申し立て書は望月彰・土屋基規編著前掲書に所収)。
  自殺前後の県立神戸商業高校の対応には、いじめが生徒の心身に重大な影響を及ぼし時には生命にもかかわる深刻な問題であるという基本的認識が欠落していたといわざるをえない。遺書のなかにも「学校に行きたくない理由には先生もある」という主旨の言葉も見受けられる。この一言をみても、同校の早佑理さんにかかわった教師が彼女の救いになるどころか、加害者的な側にたっていると感じさせる何かがあったのであろう。
  事実、学校はいじめの実態を知ることができたし、早佑理さんの自殺前に彼女に救いの手を差し出すチャンスは、あったのである。それは、まさに彼女が自殺した始業式の日、二学期末に提出された英語の課題ノートが早佑理さんの机上に返却のために置かれていたが、その早佑理さんのノートには、教師の検印マークの裏面1ページ全面に蛍光ペンで「DEAR 口デカ デコピカ」「いしびって しっこ もらすなよ」「くさーい」「くさー くさー よらんとって」などの言葉と唇の絵が大書されていた。早佑理さんは、学校を休んでたAにこのノートを貸していたが、Aが早佑理さんにノートを返す際に、彼女の面前で3人でこのひどい落書きを書き込み、さらに「このまま出せ」と強要した。裏からも透けて見えるほどの落書きであり、当然提出前に書かれたものである以上、英語担当教師は、少なくとも検印を押すときにこのような非道な殴り書きをいじめとして気づくべきであったし、提出日の12月13日から二学期終業式までの間にもいじめに対する指導は可能であったといえる。少なくとも、担当教師らにいじめに関する基本的な認識さえあれば、始業式当日までには担任や生徒指導担当教員らとの情報交換と対応の協議や保護者への連絡や本人への「どうしたのか」という問いかけもも行えたはずである。しかし、自殺するまでその明確な予兆にも気づかず、あるいは彼女の苦しみを理解しようともせず、そのことがますます早佑理さんは追いつめていったのである。

 いじめ指導の3原則 ―するを許さず されるを責めず いじめに第三者なし

  いじめに対する指導指針として、神戸市の中学校生徒指導協議会が提起した「@するを許さず、Aされるを責めず、B第三者なし」といういじめ指導の3原則は、弱い者いじめに対する基本的な指導の視点を示すものとして、教育実践上の評価も高く、参考となる。
  「するを許さず」とは、いじめは、他人の生きる権利を脅かすものであり、絶対に許されない、という姿勢を教師が堅持するということである。
  「されるを責めず」とは、いじめの指導において、被害者である生徒に対して「あなたも悪い」は禁句である、ということである。いじめを正当化することにもつながり、また、それでなくとも、死をも考えるほどつらい思いをしている被害者をさらに追いつめる一言にもなるのである。
  「第三者なし」とは、自分は関係ないといった児童・生徒の存在を許してはならないということである。学級やクラス全体の問題としてとらえることが必要である。「傍観者もいじめの加担者である」ことを理解させる努力が重要である。
  そして、いじめの早期発見の10のチェック・ポイントとして、同協議会は次の10項目を具体的に掲げている。
 @ はっきりしない理由で、欠席、遅刻、早退をする
  A いつもの友人と遊ばなくなり、一人でいることが多くなる。
  B 生気がなく浮かぬ顔で、いつもと様子が違う。
  C 給食を残すなど、食欲がなくなる。
  D 衣服に破れや汚れが見られたり、顔面や手足にすり傷や打撲のあとが見られたりする。
  E 教科書、ノート、机、いす等が汚されたり、落書きをされたりしている。
  F 学習時間中に教師の質問に答えるとき、まわりの者がやじや奇声を出す。
  G クラス役員などを突然やめたいと言いだす。
  H 保健室へ出入りすることが多くなる。
  I 教師に何か相談したい素振りで、職員室前をうろうろする。
  このような指導指針はすでに石坂さんの自殺前に公表されていたものであり、そのような視点で石坂さんのまわりの教師が生徒たちを見守っていれば、自殺という最悪の結末を避けられた可能性は高いのである。

 いじめは必ず解決できる

  いじめの解決の第一歩は、いじめの実態をまず知り、被害者である生徒の声を聞くことである。単に話を聞くといっても、そのいじめがつらいものであればあるほど、すぐにはいじめ行為の核心部分について語るまでには時間がかかるかもしれないし、自分がどれほど傷ついているかを適確に表現できないかもしれない。そういう可能性も考慮しつつ、事実を引き出すような聞き方が求められる。しかも、いじめ問題は、そのつらさや悲しさを聞くだけでは決して解決にはならない。したがって、第二に被害者救済のための具体的な方策がとられなくてはならない。必要に応じて、カウンセリングや精神科療法も併用される場合はあるが、注意しなくてはならないのは、それによって被害者の側に働きかけて、考え方を変えさせようという対応では真の解決にはならないということである。
  いじめから被害者を守るということは、決して簡単ではないかもしれないが、事実、前述の平成14年度学校基本調査でも、報告のあったいじめ事例のうち、86.7%が「年度内に解消した」と報告されている。その対応策としては、「職員会議等を通じて共通理解を図った」が24.1%、「学校全体として児童・生徒会活動や学級活動などにおいて指導した」が17.4%、「教育相談の体制を整備した」が15.4%などとなっている。これをみると、教師が一致していじめ問題に取り組み、子どもや親からの相談に対してていねいに対応できるシステムを構築することによって多くのいじめ問題が解決することを示唆している。それでもなお、いじめにより児童生徒の心身の安全が脅かされるようなおそれがある場合はもちろんのこと、いじめられている児童生徒をいじめから守り通すため必要があれば、保護者の希望によっては、就学すべき学校の指定の変更や区域外就学を認める措置についても配慮することもできるし、いじめの状況が一定の限度を超える場合には、いじめる児童生徒に対し出席停止の措置を講じること、弾力的な学級編制替えや緊急避難としての欠席も、文部科学省通達(「いじめの問題に関する総合的な取組について」平成8年7月26日386号)によって認められている。
  このように考えれば、被害者を守るための様々な措置が教育法令上も許容されており、保護者との協力を積極的にすすめながら、関係機関や近隣の学校とも連携をとりつつ、抜本的な措置や継続的な指導することによって、必ずいじめの危害から子どもを守り通すことは可能である。また、そのような確信を教師がもちえてこそ、被害者である子どもたちに、「教師を信頼していじめを相談せよ」というができるであろう。

 問題演習 1 


<問題>
  次のような授業風景をあなたが参観したとして、このような「ベル着席」や「居眠り防止」の指導法を行うに際して、どのような問題点に注意しなくてはならないか、千字程度で答えなさい。
 「ある中学で、英語担当のA先生は、授業開始時に最も着席が遅れた生徒の列を指名して、英文を読ませたり、予習した日本語の訳を発表させたりしています。そのため多くの生徒たちは、授業開始のベルが鳴る前から座席についており、自分の列の友達にも「次の授業はA先生だから、はやく席に着いて!」と、立ち歩いている生徒に声をかけています。また、居眠りをしている生徒がいると、その生徒の前後左右の生徒も指名されるので、眠りかけている友達がいると周りの生徒が起こそうとしています。ですから、他の授業に比べると授業に遅れてきたり、居眠りする生徒はほとんどありません」

<解答例>
  まず、第一に着席が遅れがちな生徒や居眠りすることの比較的多い生徒は、他の生徒から同じ列や近くの席になることをいやがられ、ひいては「いじめ」の対象にされることも考えられる。したがって、生徒を指名して発言等を求める場合に、それを「懲罰」と感じさせることのないように十分な配慮しなくてはならない。例えば、当てられた生徒が、英文の発音をうまくできなかったとしても「最初から外国人のようには発音できないから、完璧に言えなくても、流暢に読めなくてもいいよ。この機会に発音を直すところがわかってよかったね」というような指導姿勢を明確に生徒に示す必要がある。言い換えれば、指名されて発言することは、クラスの生徒を代表して指導を受けていることでもあり、その生徒自身にとって印象深く、意義のある時間になっているということ、すなわち指名を受けることが教育的には生徒自身のためになっているのだということを理解していることが重要である。居眠りを起こすことも、「授業を聞き逃さない」という友達間の助け合いであり、友達を励まして寝ている友達を起こした生徒に、授業後にでも「うまく起こしてあげたね。あの時の英文法の説明はものすごく大切なところだから、○○君がちゃんと聞けてよかったよ」等と声をかけることで、クラスの雰囲気もよくなるだろうし、それにかかわった生徒たちの「あの時起こしてあげて」あるいは「起こしてくれて」、生徒自身が「よかった」との思いがあれば、学習意欲の向上にもつながる。
  第二に、入室や着席が遅れた生徒がいた場合、その理由に一定の配慮は不可欠である。例えば、体調不良で保健室に行っていた、他の先生に呼び出されて職員室に行っていたために遅刻したなども考えられる。事情がありそうな場合、例えば「顔色が悪い」、「当てられたことに何か不満があるような態度だ」という場合には、「遅れたのには何か理由があるのじゃないかな?」という問いかけも必要であろう。そして、「正当な理由があれば考慮する」という姿勢も常にもっておく必要がある。
  そして、もっとも根本的な留意点は、「授業中の指導の中心は、教科内容の学習指導である」という点である。そもそも「ベル着」や「居眠り防止」のための「指名」というのであれば、そのような生徒指導は、本末転倒のそしりを免れない。逆にいえば、次々と生徒が発言したり、教師の発問に生徒が答えるという生徒主体の活発な授業が展開されていてこそ、生徒自身が自分たち自身のために、「ベル着席」や「居眠り防止」にも積極的に取り組むという生徒参加型の生徒指導が有効に実現するといってもよいだろう。

<解説>
  この設問では、中学英語の授業を想定しているが、教師が生徒にいろいろと問いかけつつ、授業展開する指導計画を取り入れた授業であれば、どのような教科においても、このような指導は可能であろう。事実、私の場合、高校の地歴・公民の授業において、しばしばこのようなかたちで、授業冒頭に着席の遅い者を指名をしつつ「質問に答えられなくても、今から勉強するところだからかまわないよ。どのくらいこの分野の予備知識があるか知りたいからたずねているんだよ」などと言いながら、発問を促がし、それでも分からない時は、「では正解を次の三択から選んでもらおうかな?」(例えば「悪徳商法に引っかかた時無条件に解約できるクーリング・オフ期間は、契約した日から何日? 1番8日、2番14日、3番30日。さてどれかな?(正解『1番8日』但し例外規定あり)」など)と授業への関心と参加意欲を高めることを中心に発問をしている。
  そもそも、授業への遅刻を減らすために、このような方式を取り入れた最大の理由は、授業の最初から「早く教室に入りなさい」とか「席に着きなさい」とか叱責から始まるのは、避けたいということ、そして、できだけ始業チャイムとともに授業を開始して、授業時間を無駄にしたくないということである。それゆえに、最後に私が気にかけていることは、授業終了も終わりのチャイムとともに終え、くれぐれも授業延長をしないことである。なぜなら、生徒にとって授業間の休み時間も昼食時間も大切な憩いの時間であり、「皆の時間を大切に」ということを教師自ら実行したいと思うからである。

 問題演習 2 


<問題>
  次の文を読み、学校の教師として、このような意見にどのように反論しますか。八百字程度で述べなさい。なお反論の内容として、法的根拠を明示し、その上で体罰が禁止されるべき実質的理由を述べること。
 「自分は子どものとき、授業態度が悪く、ノートを取らなかったり、漫画を読んだりしたことがよくあった。ある日、担任の先生が、そういう態度に対して、数発の平手打ちを自分にしてくれた。そのことがきっかけとなって、態度を改めることができたので、自分としては、体罰をしてもらったことを感謝している。実際に、中学や高校でも厳しい指導によって強いチームをつくっている顧問の先生は結構いるし、いじめなどの深刻な被害がでている場合には、ケガをしない程度の身体的苦痛を与えることによってケジメをつけさせることが必要だ。口でいっても分からない生徒に体罰は効果があるし、状況によっては体罰が認められてよい」

<解答例>
  学校教育法11条は「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」と規定し、明確に体罰を禁じている。
  そもそも、体罰による「指導の効果」とは、暴力的な支配に服従する人間を育成することにほかならない。逆に体罰は、教師への不信感を生み、指導上の効果を失うことにもなる。指導しようとすることが正しければ、児童・生徒の発達段階に応じてさとすことが可能であり、言葉によって納得や理解を得ることを早計に断念して体罰を行うことを「教育」や「指導」とは呼べない。クラブ活動でも暴力行為が明るみに出て、そのチーム自体が試合等への参加できなくなる事例も毎年のように報道されている。現実に、スポーツの世界でも暴力的な指導は、決して有効とはいえない。むしろ、プロ、アマチュアを問わず選手の能力向上には、科学的で合理的な練習こそが必要である。いじめなどの事例でも、困難な事例であればあるほど教師集団と親との連携が大切となるが、その場合にも体罰的指導は、その連携や協働を妨げる原因となる。しかも、「ケガをしない程度の体罰」であっても、教師による暴力が子どもの心をどれほど傷つけるかは、決して予断を許さない。体罰後に子どもが自殺した兵庫県龍野市立小学校体罰自殺事件はその典型である。この事件では、小学六年生の自殺原因は教師の体罰であるとして、自殺に対する担任教師と龍野市の責任が明確に認定された。このような体罰行為に対する民事的、刑事的な法律上の責任に加えて、体罰による行政処分を受ける教師も毎年数百人にのぼっている。「ある程度の体罰は許される」という意識が、これまでにも体罰の横行を生じ、それが児童・生徒の死を招くなど、子どもの心身に深刻なダメージを与えてきた。その現実を直視し、体罰に依拠しない指導力を教師自身が育てなくてはならない。

<解説>
  本章の冒頭で触れた「生徒指導法」受講学生へのアンケートでは、体罰経験者がかなりの率で存在することを示した。この体罰の体験という事実は、被害者である学生に対して、相反する心理的影響を及ぼしている。一つは、被害者として体罰のもつ暴力性や非人間性を実感して「体罰を認めない」という体罰否定の意識であり、もう一方は、自己の体罰経験から「体罰の効果」を学習し、体罰肯定の意識をもつことである。例えば、ある女子学生は自分が高校生の体育授業時に教師の誤解から頭部を出席簿で殴られ「授業に出るな」とも言われて「本気で傷ついた」と記している一方で「教師が殴らないと調子にのる子も出てくるので場合によっては体罰も必要」と述べている。このように体罰体験によって、体罰の違法性やそれによる人権侵害に対する認識が弱められる傾向もみられる。
  体罰に限らず、自分の経験してきた学校での生徒指導の方法を無意識的に「生徒指導とはこういうものである」、「自分が生徒のときも問題のある指導はあったが、自分にとってはその経験をプラスにできてよかった」という認識が、無意識的に体罰等の不適切な生徒指導法の受容につながることはありえよう。体罰問題については、私の「生徒指導法」の講義においては、ディベート形式で学生たちに自己の体験や考えを戦わせつつ、議論を深める機会を提供してきた。それは、自己の学習体験を、他者との議論のなかで客観的に問い直すことも、非常に意味のあることだと考えるからである。講義後のアンケートでは、この体罰の是非に関するディベートによって「体罰に対する見方が変わった」という感想がかなりみられた。
  注意を要するのは、「単なる身体的接触よりもやや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えることが(中略)教育上肝要な注意喚起行為ないしは覚醒行為として機能し、効果がある」と一定の体罰を認めるかのような判例もある、ということである。これは、体罰肯定の判例として、しばしば書籍等に引用される「有名」な水戸五中事件の判決文である。同事件は、中学教師がS君の頭部を数回手拳で殴り、その8日後にS君が脳内出血で死亡した事件で、父母はS君の火葬後に体罰の事実を知り、物的証拠が失われたなかで、他の生徒の証言から暴行行為だけが立件されたのである。そして、同判決は、K教諭の行為は「口頭による説諭、訓戒、叱責と同一視してよい程度の軽微な身体的侵害」だとし、K教諭に無罪判決を出した。このような事例から裁判所が体罰を容認したといえるかは、そもそも疑問であるし、同判決がどのような教育観にたつものか、といった批判的検討を抜きに、判例として一般化することは、生徒指導上極めて問題である。むしろ、その後の判例は体罰事件に対して厳しい姿勢を示している。回答例にも引用した兵庫県龍野市立小学校体罰自殺事件(神戸地裁姫路支部判決平成12年1月31日)は、教師の暴力を厳しく断罪し、体罰と自殺の因果関係を認め、事件後の学校や市教育委員会の対応の悪さを指摘した点は従来に判例にみられない画期的なものである。教育にかかわる人は、体罰が死をも招きかねない危険な暴力行為であることを十分に認識してもらいたいと思う。

 問題演習 3 


<問題>
  「いじめられている子どもの指導にあたって配慮すること」を述べた次の文章のうち、内容が適当でないものを選びなさい。
  @いじめられている子どもの「心の痛み」を共感的に受け止める。
  Aいじめの状況が一定の限度を超える場合には、いじめられている子どもを守るために、いじめる子どもを出席停止にしたり、警察等適切な関係機関の協力を求める。
  Bいじめられる子どもにも問題がある場合もあるので、いじめられている子どもに対しても指導する必要がある。
  Cいじめが解決した場合でも、いじめられた子どもが卒業するまで、継続して十分な注意を払う。
  D家庭とのよりよい連携が図れるよう、保護者との信頼関係の確立に努める。

(千葉県・千葉市 教採 (改))

<解答>
 B
<解説>
  いじめ指導の基本原則は、まず「いじめを許さない」という、いじめられている子どもの視点に立った指導であり、死をも考えるほど苦しみ追いつめられている被害者を「決して責めない」という姿勢である。その意味で、Bの文については、そのような指導理念に反するものであり、誤りである。たとえ教師の側からみていて、いじめられる子どもにも問題があるように感じられたとしても、それゆえにいじめられるべきものではないし、誰にも人をいじめる権能などはありえない。被害者である子どもを責めるのではなく、子どもに対する共感的な理解を深めるとともに、学校内での教職員の相互理解を広げていくことが大切である。また、いじめの傍観者もいじめの加担者であり、決していじめの発生と無関係ではない。いじめ解消に向けての学校全体あるいは学級全体としての取り組みを進めていくことが重要である。なお、教師集団による継続的な配慮や注意を払うべきこと、様々な機会を通じて家庭との連携をはかることは、いじめ問題の解決とその予防にとって大きな意味があることはいうまでもない。したがって、@の「共感的な受け止め」、Bの「継続的な注意」、Cの「保護者との信頼関係」はいじめ問題に限らず、円滑な生徒指導にとって基本的内容であり、いずれも正しい。Aは、文部科学省通達「いじめの問題に関する総合的な取組について」の内容である。同通達では、その他に「区域外通学」、「学級編成替え」、「特別に別な場所での学習」などを弾力的に行うこととされている。


4.結語


  下記の表は、「生徒指導論」の講義の中でおこなった、体罰に関する体験と意識に関する調査である。体罰を自分が直接受けたり、見たりした経験のある学生は、約80%にも達する(表1)が、さらに驚くことは、自らがかなりひどい体罰の被罰経験があっても、「体罰は許される場合がある」と答えていたり、逆に学校における体罰の経験がない学生でも、42%の学生は体罰を肯定している(表3)ということである。すなわち、その結果として、約半数の学生が「場合によっては体罰は許される」という誤った(学校教育法11条は体罰を明文で禁止)「指導観」を持っていることになる。
  大学教職免許取得課程の「生徒指導法」講義の大きな目的の一つは、教職志望者に、傷つけられ、殺された子どもたちの声なき声を聞けるような、豊かな想像力を育て、そして個々の生徒の状況に応じた柔軟で人間味のある生徒指導を創造する力を育むことではないかと私は考えている。
  学校「教育」の現場において、「指導」という名目の下で、体罰によって何人もの子どもたちが殺され、あるいは「いじめ」行為によって心身を傷つけられるばかりではなく、「いじめ」への対応の不適切さによってさらに深い傷を負い、時には自殺するまでに追いつめられた子どもも少なくはない。そればかりか、全校一斉の遅刻指導の一環として校門を閉じたときに駆け込んできた高校生を圧死させるというような信じがたいことも起きている。そのような日本の教育の現実に真剣に目を向け、その原因と背景を反省し、それを貴重な教訓として、「本当の意味で子どものための生徒指導とは何か」をこれから教師になろうとする人たちに伝えなくてはならない。
  教師自身にも子ども時代があり、そうであったように、子どもとは試行錯誤を経て発達・成長する存在である。学校や家庭の内外を問わず、様々な場面で、子どもたちにはいろいろ悩みや不安が生じ、それが問題行動として表面化することは多い。そのような時に適切な指導を行うことは、親、教師だけでなく子どもを取り巻く大人たちにとって極めて重要な社会的役割である。そして教師にとっては、授業や学校行事のなかで、あるいは通学途中や放課後のクラブ指導のなかでも、その機会を逸することなく適正な生徒指導をすることは、最も基本的な責務である。
  教員による生徒指導法については、これまで歴史的にも、全国的にも数多くの教育実践が積み上げられてきている。一教員や一学校の個別的経験のみに依存した生徒指導ではなく、教職課程「生徒指導法」講義においては、そのような先進的な取り組みや生徒指導上の実践的課題が取り上げられなくてはならないだろう。


教職課程履修学生の体罰経験と意識(2002.2003年調査)
表1
体罰経験無回答
    283750358
表2
体罰意識肯定否定無回答
    1641895358
表3
経験/意識肯定否定無回答
経験有132(46.4%)146(51.6%)5(1.8%)283(100%)
経験無32(42.7%)43(57.3%)0(0.0%)75(100%)
1641895358


参考文献
<講義例1>
朝日新聞神戸支局 編『少女・15歳−神戸高塚高校校門圧死事件』長征社 1991年
神戸高塚高校事件を考える会『神戸発「親バカ」奮戦記』光陽出版社 1996年
細井敏彦『校門の時計だけが知っている』草思社 1993年
吉田卓司「判例研究・遅刻指導のため校門を閉鎖した際登校中の生徒を門扉と門壁に挟んで死亡させた事案につき門扉閉鎖を担当した教員を業務上過失致死罪とした事例」甲南法学34巻2号1993年

<講義例2>
牧柾名・今橋盛勝・林量俶・寺崎弘昭『懲戒・体罰の法制と実態』学陽書房1992年
今橋盛勝・安藤博『教育と体罰−水戸5中事件裁判記録−』三省堂1983年
坂本秀夫『体罰の研究』三一書房1995年
坂本秀夫『生徒懲戒の研究』学陽書房1982年
吉田卓司「体罰法禁と刑事司法」柿沼昌芳他編著『教師という<幻想>』批評社1998年所収
吉田卓司「判例研究・教員による懲戒行為と違法阻却」法と政治33巻2号1982年
吉田卓司「判例研究・傷害致死罪と量刑の基準」甲南法学29巻3・4号1989年
吉田卓司「なぜ体罰はなくならないのか」月刊生徒指導1993年4月号
吉田卓司「体罰をやめますか教師をやめますか」月刊生徒指導1996年6月号

<講義例3>
朝日新聞社会部『なぜボクはいじめられるの−子ども・親・教師のいじめ体験200人の告白』教育史料出版1995年
望月彰・土屋基規編著『いのちの重みを受けとめて』神戸新聞総合出版センター1997年
武田さち子『あなたは子どもの心と命を守れますか』WEVE出版2004年



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