◆200404KHK213A3L0556AEM
TITLE:  高槻南高校「教育権」訴訟・意見書
AUTHOR: 浦野東洋一
SOURCE: (原告団より提供)
WORDS:  全40字×556行


2004年5月6日
大阪地方裁判所 御中

帝京大学教授(東京大学名誉教授)
浦野 東洋一

意 見 書


  私は教育学及び教育法制論の研究者として、大阪府立高槻南高等学校(以下、高槻南高校)のいわゆる廃校問題にかんする訴状、原告被告双方の準備書面等の文書をていねいに読みました。そして、この問題にかかわった大阪府教育委員会、同事務局職員、高槻南高校校長、同教頭の側の行為、言動に強い違和感を覚えました。
  その強い違和感は、「教育にふさわしい行政であったといえないのではないか」「校長・教頭の言動は、教育者として適切であったといえないのではないか」というものでした。そこで私は、何故そのような印象をいだくのか、その要因を探り、考察を重ねてまいりました。
 その結果、
 @ 根本的なところで、大阪府教育委員会側の「学校観」と「子ども(高校生)観」に
致命的な欠陥がある。
 A この問題の出発点となった『教育改革プログラム』(1999年4月)の「特色ある学
校づくり論」にも重大な欠陥がある。
 B そしてこれらの欠陥が基底にあるため生起した本件での大阪府教育委員会側の行為は、日本国憲法以下の教育法体系に明確に違反している、

という見解に到達しました。
  このたびは、その検討結果を以下の『意見書』として貴裁判所に提出し、判断の参考に供したいと存じます。是非ともお読みいただき、正確なご理解をたまわりたく、よろしくお願い申し上げます。


1 憲法・教育基本法の学校理念と子ども観


(1)大日本帝国憲法下の学校観と子ども観
  法律の専門家である裁判官に向かって、教育学者が法律について語るのはおおいに気が引けますが、論理構成上必要なので、初歩的な知識を復習的に述べさせていただきます。
  大日本帝国憲法は、主権在君の憲法であり、教育条項は持っていませんでした。帝国憲法下においては、教育立法における勅令主義が採用され(帝国憲法第9条)、また教育を受けることは天皇(国家)にたいする臣民の義務であるとされていました。従って、例えば小学校令、朝鮮教育令のごとく戦前の“教育法”は国会で定めた法律を意味する「・・・法」ではなく、天皇の命令(勅令)を意味する「・・・令」でした。また教育は、納税、兵役とならぶ臣民の三大義務の一つであると教えられていました。教育の目的については、天皇のお言葉である教育勅語が勅令以上に重きをなし、重要な役割を果たしていました。
  そして帝国憲法下において、官立(国立)公立学校は「営造物」と観念されていました。
  営造物とは、国又は公共団体によって設置される直接に公の目的に奉仕する人的手段・物的施設の総合体であるというふうに説明されます。この説明のかぎりではなんら問題はないのですが、営造物の勤務関係・利用関係は「特別権力関係」であるとされたことによって、実際には次のようなおおきな問題が生じていたのです。
  第1に、学校の管理責任者である校長と学校に勤務する教職員の関係は特別権力関係である(勤務関係)。学校(校長・教員)と児童生徒との関係もまた然りである(利用関係)と考えられていました。
  第2に、特別権力関係においては、行政主体はいちいち法律上の根拠を必要とすることなしに服従者に対して命令強制をなし、その権利自由を制限しうる包括的支配権を有するとされていました。学務課(行政)は校長に対し、校長は教職員に対し、教員は児童生徒に対し、包括的支配権を有していたのです。法治主義(「一般権力関係」)が排除されるこの関係においては、学校は校長独裁の場たりえたのであり、教員が教育の自由を、親が学校における子どもの権利の尊重を主張しうる余地はほとんどなかったといえます。
  第3に、教員の教育活動そのものが行政作用(権力作用)であるとされ、行政作用と教育作用は本質的には区別されていませんでした。

  以上のような法制度ならびに学校観のもとで、子どもは教育の《主体》ではなく、教育のたんなる《客体》であると考えられ、位置づけられていました。教育は子どもの権利としてではなく、国家への義務性において捉えられていたのです。実際に学校では、富国強兵という国家目的と教育勅語の示す教育目的(「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」)を実現するために、注入暗記型の、思想と行動様式を画一的な型にはめる教育が支配的でした。
  この時代の学校教育を受けていない世代の者にとっては、年輩の人から話を聞き、資(史)料を見、あるいは読んで想像する以外に、当時の学校の様子を知る方法はありません。そこで、その一例として井上靖の自伝的小説『しろばんば』『夏草冬濤』から少し引用しておきます。大正から昭和の時代の学校の様子を想像する材料になると思うからです。

 「一学年は大体三十人ぐらいである。みんな同じような棒縞の着物を着、藁草履を履き、たくあんのはいった弁当箱か、梅干のはいったむすびを持ち、同じように汚い顔とでこぼこの頭を持っていた。・・・・先生たちは大抵すぐ生徒の頭をなぐったり、小突いたりするので、生徒たちは教室へはいると、刑務所へでもはいったようにしんとしていた。」(『しろばんば』新潮文庫版、21―22頁)
 「子供たちには、殊に下級生たちには、学校の先生は、世にも怖いものと考えられていた。親たちも、子供が自分の命令に服さないと、よく、『学校の先生に言いつけるぞ』と言った。学校の先生に言いつけられては堪らないので、子供たちは大抵の場合親の言うことをきいた。学校は厭なところ、学校の先生は怖いものと、子供たちは大人たちから教え込まれていた。実際にまた学校は、子供たちには親しみのないところであった。」(同前書、33頁)
 「洪作が遅い朝食の膳に対かうと、伯母は伯母で学校からの呼び出しのことが気になっている風で、・・・・『わたしは学校へ行くのは、ほんとに厭だよ。学校と警察だけはごめんだ。何も悪いことをしたわけでもなかろうに、どうして学校へなど出向いて行かねばならんだろうね。』(と)伯母は言った。」(『夏草冬濤』新潮文庫版、76−77頁。洪作は、伯母の家に下宿をして旧制中学校にかよっているこの小説の主人公。)

 ここで私は、刑務所と警察と学校が、何となく似たものとして描かれている、つまり同一項としてくくられていることに注目したいと思います。なぜなら、それらはみな「営造物」とみなされていたからです

(2)日本国憲法・教育基本法下の子ども観と学校理念
  日本国憲法と教育基本法の制定は、天皇主権から国民主権への原理的な転換と同様に、またそのことと軌を一にして、上記の≪特別権力関係論型学校観・子ども観≫を否定し、子ども観と学校観に根本的な変化をもたらすはずのものでした。
  すなわち、日本国憲法は、教育を受けることは国民の権利であると規定し(第26条)、教育基本法は、個人の尊厳(人間の尊厳)を重んじることを宣言し(前文)、教育の目的を「人格の完成をめざし・・・・」と定めました(第1条)。
  私は、教育を受けること(学習をすること)が人間の権利と観念されるゆえんについて、それは、@人(ヒト)の新生児は長期にわたる大人からの働きかけがあってはじめて人間になることができるという事実、A現代社会において一人前の労働能力を身につけるには教育・学習の蓄積が不可欠であるという事実、B平和で民主的な社会・国家の形成者として、つまり良識ある市民・主権者として生きるためには教育・学習の蓄積が不可欠であるという事実、総じていえば、幸福な人生をおくるためには教育・学習が不可欠であるという事実の中に存在すると考えています。
  周知のように、わが国最高裁判所は、教育を受けることは国民の権利であると規定している憲法26条の意味について、次のように判示しています。

 「この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。」「(子どもの教育は)専ら子どもの利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきものである」(1976年5月21日、いわゆる北海道学力テスト事件・最高裁大法廷判決)

 私は、今でも憲法・教育基本法の解釈のリーディング・ケースであるこの最高裁大法廷判決が、「権利としての教育」の意味を、子どもの教育は教育を施す者の支配的権能ではなく専ら子どもの利益のために行われるべきものと解釈している点を、たいへん重要だと判断しています。(念のため付言しますと、教育を受けることは子どもの権利であるとみなすことと、子どもを「甘やかして」「わがままに」教育することとは、何の関係もないまったく別のことがらです。)
  また私は、この最高裁大法廷判決が明確に「教育は専ら子どもの利益のために行われるべきもの」と言い切った点を、国際教育規範の動向にてらしても先駆的であり、先見性を有するたいへん優れた判決であったと、高く評価しています。
  それは、周知のように1989年の国連総会において全会一致で採択され、我が国も1994年に批准した「子どもの権利条約」(政府訳は「児童の権利に関する条約」)が、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、・・・・《児童の最善の利益》が主として考慮されるものとする。」(第3条、政府訳。《  》は引用者)と規定しているからであります。そして、子どもの権利条約は、次の「意見表明権」を初めとする諸々の権利をまさに子どもの権利として保障するよう締約国に求めているのです。

  第12条 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
  2 このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。(政府訳。なおこの条約で児童とは、18歳未満のすべての者をいう。)

  私は、以上の検討から、憲法、教育基本法、子どもの権利条約に共通する子ども観を表現すると、「子どもは教育を受ける権利の主体であり、独立した人格(人間の尊厳)の主体であり、総じて教育の《主体》である」といえると考えています。
  ところで、憲法も教育基本法も子どもの権利条約も子どもが制定したのではなく、間違いなくわれわれ大人が制定したものです。このことは何を意味しているであろうかということについて、私は、「憲法、教育基本法、子どもの権利条約は、われわれ大人が、子どもを『権利の主体であり、独立した人格の主体である』とみなし、そのようなものとして取り扱い(付き合い)、教育することを、子どもたちに約束した証(あかし)である」というように感得しています。
  このような意味づけについては異論もあろうかと思いますが、私は、憲法、教育基本法、子どもの権利条約から演繹される《教育法規範》として、「子どもは教育の《主体》であり、教育問題に対処するさいは『子どもの最善の利益』を中心にすえ、子どもの意見を誠実に聞かなければならない」という規範が明確に、客観的に存在していると考えています。

  さて次に、憲法、教育基本法はどのような学校理念を示しているのでしょうか。
  このことについて教育基本法は、「法律に定める学校は、公の性質をもつ」(第6条)と定めています。ここで「公(おおやけ)」とは、公園の公と同じく public ということであり、みんなに開かれたもの、みんなのものという意味です。つまり、教育基本法の示す学校理念は、「学校はみんなでつくってゆくもの」ということになります。
  ちなみに、文部省学校教育局が教育基本法制定後の1949年4月に発行した行政指導文書(ガイドライン)の『新制中学校・新制高等学校 望ましい運営の指針』には、次のように明記されています。

 「新制中学校または新制高等学校に関係する教育者と一般の人とは、その学校の教育方針を、相当期間にわたって研究した上で、これをたてなければならない。これをたてるには、校長も教師も生徒もその土地の人々もこれに《参加》することが必要である。」(8頁。《  》は引用者)
 「学校の機構が独裁的になっていれば、その学校の生徒は民主的生活についてはなんの価値あることも到底学び得ないであろう。学校の管理は、校長・教師・事務職員・生徒・校舎管理係および一般の人を含む学校と地方のすべての人の《協力》によってなされるべきものである。」(88頁。《  》は引用者)

  戦後初期の文部省が、このように生徒、教職員、保護者・住民の学校への参加協力関係を強調したのは、それが教育基本法の「学校は公の性質をもつ」という学校の性格規定を具体化した学校像であったからに他なりません。
  したがって、国民主権や教育を受ける権利を定めた憲法と、教育基本法とをつなぎあわせて考えてみると、憲法と教育基本法はそれまでの《特別権力関係論型学校観》を明確に否定し、新しい《参加協力型学校観》を宣明したのであるということができます。そして、第12条の意見表明権をもちだすまでもなく、この《参加協力型学校観》が子どもの権利条約と順接的であり、大変よく調和していることは、容易に理解されるでしょう。
  ところが残念なことに、戦後教育史をふりかえってみると、国際的には「冷戦構造」の、国内的には「55年体制」などの強い影響のもとで、全国の初等・中等学校が実際に参加協力型の学校に転換したという事実はないといったほうがよいでしょう。
  しかし、次に紹介(例示)するように、最近の十数年間を見ると「開かれた学校」がキー・ワードとなり、参加協力型の学校づくりが国の教育改革ないし教育政策の重要な柱になっています。

  @ まず、中曽根内閣の時の臨時教育審議会は次のように答申しました。
 「学校は憲法、教育基本法に規定されている父母、児童・生徒の教育上の諸権利の尊重に努めなければならない。学校は地域社会や父母・家庭に対してもっと開かれた学校運営を行うよう努力し、児童・生徒の個性と人格を尊重する基本姿勢を確立し、学校への新鮮な風通しをよくすることが必要であろう。」(臨時教育審議会第2次答申、1986年4月23日)
  A 1998年の中央教育審議会答申「今後の地方教育行政の在り方について」は、次のように述べています。
 「公立学校が地域の専門的教育機関として、保護者や地域住民の信頼を確保していくためには、学校が保護者や地域社会に対してより一層開かれたものとなることが必要」「地域住民に密接に関わる身近な行政を担当する教育委員会が住民のニーズに対応した施策を積極的に推進していくためには、教育委員会が住民の意向を的確に把握、反映するよう努めるとともに、教育行政に積極的に地域住民の《参画・協力》を求めることが必要」(中央審議会答申、1998年9月21日。《  》は引用者)
  B 1998年から99年にかけて告示された小、中、高等学校の学習指導要領の「総則」に、次の一文があります。昨年(2003年)末に学習指導要領は一部改正されましたが、この部分に変化はなく、現行学習指導要領の「総則」も同じです。
 「開かれた学校づくりを進めるため、地域や学校の実態等に応じ、家庭や地域の人々の協力を得るなど家庭や地域社会との連携を深めること。」(現行の小、中、高等学校の学習指導要領・総則)
 C 2003年の中央審議会答申「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本
計画の在り方について」は、次のように述べています。
 「これからの学校は、自らの教育活動の状況について積極的に情報提供するなど説明責任を果たしながら、保護者や地域の人々の積極的な《参加》や《協力》を求めていくことが重要である。」(中央教育審議会、2003年3月21日。《  》は引用者)

  私はこの10年近く、一つの学校としては長野県辰野高校を(宮下与兵衛・著、浦野東洋一・解説『学校を変える生徒たち』、2004年4月刊)、一つの地域としては高知県を(浦野東洋一・編、橋本大二郎・序『土佐の教育改革』、2003年3月刊)、主なフイールドにして、全国各地の開かれた学校づくり=参加協力型の学校づくりの調査研究にとりくんできました(浦野東洋一・著『開かれた学校づくり』、2003年1月刊)。憲法と教育基本法が宣明した《参加協力型》の学校づくりの取り組みは、なかなか困難な今日の学校教育の現状を克服する確かな道であり、今各地で着実に広がっています。

  私は、以上の検討から、憲法と教育基本法から演繹される《教育法規範》として、「学校はみんなでつくってゆくものである。教職員、子ども、保護者、地域住民はみな、学校の当事者であり、それぞれの立場からの教育についての権利と責任を持っている。学校運営と学校教育行政は、学校の当事者の話し合いや意見を最大限尊重して行われなければならない。」とでも表現すべき《規範》が、明確に、客観的に存在していると考えています。


2 「特色ある学校づくり論」の誤り


(1)教育法体系のなかでの高校教育
  教育基本法をうけて、教育基本法と同じ日(1947年3月31日)に制定された学校教育法は、その後何度も改正されましたが、高等学校の目的と高校教育の目標を定めた次の条文は、現在にいたるまで一度も改正されていません。

第41条 高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。
第42条 高等学校における教育については、前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
  一 中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて、国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと。
  二 社会において果たさなければ使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること。
  三 社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。

  ここで重要なことは、第41条が、「高等普通教育又は専門教育」ではなく「高等普通教育及び専門教育」と書いていることです。つまり、高等学校は普通教育(国語、数学、英語、社会・・・などの教育)だけをおこなうところであってはならないし、専門教育(職業教育や特定の分野だけの教育)だけをおこなうところであってもいけないと規定しているのです。
  そこには、すべての高校生にできるだけ多くの共通教養(高等普通教育、一般的な教養)を学ばせたいという立法者意思が働いています。このことの背景には、当時の政府が、「やがて経済が復興したら、高校教育までを義務教育にする」と明言していた事実があります。先に引用した文部省学校教育局『新制中学校・新制高等学校 望ましい運営の指針』(1949年4月)が高校入試(入学者の選抜)について次のように書いているゆえんでもあります。
 「新制高等学校は、その収容力の最大限度まで、国家の全青年に奉仕すべきものである。・・・・選抜をしなければならない場合も、これはそれ自体として望ましいことではなく、やむをえない害悪であって、経済が復興して新制高等学校で学びたい者に適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきものであると考えなければならない。」(112〜113頁)
  このように、全青年を対象とする高校教育を構想していたわけですから、共通教養(共通の高等普通教育)を重視したのは自然のなりゆきであったといえるでしょう。
  また、そのような6−3−3制において、生徒に中学校卒業時までに自分の進路を決定させること、そしてさまざまな「専門教育」に特化している高等学校の中から自分の進路に合致する学校を選択させることは、子どもの発達段階と社会の発展(科学・技術の高度化、社会の複雑化など)からみて、無理であるし適切でないという判断が当然あったわけです。学校教育法第42条が、「個性に応じて将来の進路を決定させる」ことを高等学校教育の目標としているゆえんです。
  なお付言いたしますと、中学校の教育目標について定めている学校教育法第36条には、「個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと」とあり、高等学校のように「個性に応じて将来の進路を選択させる」とは書かれていません。

  以上要するに、憲法と教育基本法を受けて制定され新学制の内容を定めた学校教育法は、高校教育の在り方にかなり厳格な「枠」をはめており、むやみに「特色のある」高校教育を設置することは許されないということです。
  現在高校進学率は全国で97%を超え、大阪府でも96%を超えています。新学制が構想した「全青年に奉仕する」高等学校の状態に量的には近づいた今日、そして新学制の発足当時に比べ格段に社会が高度化し複雑化している今日においてこそ、高校教育の質を左右する上記学校教育法の規定の意義をあらためて再確認し、その内容をリアルに構想することが大切であると私は考えています。

(2)生徒が変わり、成長し発達するということ
  本件高槻南高校問題の出発点となった大阪府教育委員会の『教育改革プログラム』(1999年4月)には、高校を再編・統廃合する大義名分として、高校での中途退学者が多いこと、中退者を少なくするためには「生徒の多様なニーズに応える」特色ある高校づくりが必要であることが書かれています。これは一見もっともに聞こえますが、子どもと教育の現実を知る者にとっては、あまりにも短絡した議論です。
確かに今日、少なくない学校が困難をかかえています。例えば近年社会的な関心を集めている「学力問題」(正確には子どもに身につけさせたい「能力」の問題)をとりあげて見ましょう。
  まず、学力ないし能力(以下、単に「学力」と表現します)は、次のような層と広がりをもってとらえられています。
 学力A・・・・知識、理解、技能など
 学力B・・・・感性、創造性、表現力など
 学力C・・・・興味、意欲、判断力など
  植物の木に喩えていえば、学力Aは枝葉で、学力Bは幹で、学力Cは大地に根ざす部分ということになりましょうか。いずれにしろ学力A、B、Cの境界はあいまいで、葉は光合成をして木を生かしているし、根は水分や養分を吸収していると言う具合に、学力A〜Cは相互に依存し、影響しあう性格のものです。
  ペーパー・テストで測られる主としてAあたりの学力の平均値は、近年たしかに低下傾向にあります。しかし、単純な低下傾向にあるのではなく、「子どもの学力分布は二極分化する傾向にある」ことが明瞭になっています。そして同時に、「学力の二極分化は、家庭の経済的文化的格差にほぼ対応している」という事実も明確になっています。困ったことに、家庭の経済的格差は、近年著しく拡大しているのです(世にいう「勝ち組み」「負け組み」の顕在化)。
  多くのデータは、家庭での学習時間は0(ゼロ)時間という高校生が半数を超えていることを示しています。Cあたりの学力問題(学習意欲の問題)もそうとうに深刻です。そうした状況についてある高校生は、「不況やリストラの時代に『勉強すればなんとかなる』といわれ、素直に受け取れる生徒は少ないとおもいます。」(神戸市の高校3年女子、『朝日新聞』2002年12月8日付)と述べています。
  このように、困難な教育問題が生ずる要因は単純ではありません。それゆえ私は、学校だけ教師だけで問題を抱えこまないで、「開かれた学校づくり」と「町づくり」「村おこし」(身近な現実の社会である地域づくり)に、関係者が双方向で取り組む必要があると主張してきました(浦野東洋一ほか編『高校教育改革に挑む』、2004年4月刊)。
  そのことはともかく、子どもは親や家庭や地域や国や時代を選んで生まれてくるわけではありません。前に述べたように、憲法や教育基本法や子どもの権利条約はわれわれ大人が子どもにたいしてした約束の証(あかし)ですから、どんな境遇のもとに生まれてきた子どもであろうと、すべての子どもの幸福(最善の利益)のために全力をあげて活動する責務が大人にはあります。
  2002年に開かれた私立学校教職員研究集会の「授業困難・不成立克服分科会」で、授業不成立のクラスの立て直しに成功したある女性教員は、次のように発言しています。

 「授業中の方針は『怒らない』ということです。それはまったく注意しない、教室をまったくコントロールしないということではありません。・・・・何度も頃合いをみてアタックして、だめなら、また待ちます。お化粧をやめられない子のまえで、悲しそうな顔をして待ったり、やめられないおしゃべりの輪の中に入って話をまとめたり、あの手この手で待ちます。・・・・授業に参加しない子にも『あなたを見ている』というメッセージを送るのです。」(2003年度・全国私学夏季研究集会基調報告から)

  ここにある「あなたを見ている」というメッセージは、私には「同じ人間としてあなたを信頼し、あなたの変化を期待して、あなたを見続けているのよ」というメッセージに読み取れます。
  教育問題で100%正しいということは難しいですから、この先生の授業に対しても異論はありえましょう。しかし確実なこととしていえることは、授業や学校に不適応状態の生徒を前に、決して威圧的な態度(暴力的な管理主義)に陥ることなく、優れた実践から学び懸命に知恵を絞り、不必要な教師としての見栄やプライドや専門職意識はさらりと捨てて、生徒の可能性を信じて、ある意味では「自分を無にして」生徒に向かって行く。そうした教師の壮絶な取り組みの中でしだいに生徒たちが心を開き、教師や学校や友だちを信じることができるようになり、やがて学習意欲もおこり、クラスが学級として成立してゆく。学級再建へのこの筋道は、すでに全国的な経験則となっています。いわゆる「荒れた学校」の建て直しについても、同様のことが指摘されています。
  確かに「特色ある学校・学科」を新設し、宣伝すれば、志願者の数が入学定員数をかなり上まわる事例が多いという事実を、私は知っています。しかし、上記のような教師の奮闘がなければ、新設の学校・学科であってもたちまち受験倍率は低下してしまうということもまた、全国的に経験している事実なのです。
  そうしますと、高等学校に不適応状態の生徒が多い状況にたいする最も確実な対応策は、むやみに「特色ある学校・学科」をつくることではなく、上記のような奮闘とでもいうべき教師の活動を励まし、そのような教育活動を教師が心置きなく行えるように、教育条件を整備することであるということになります。

(3)人間の「個性」、学校の「特色」ということ
  大阪府教育委員会の『教育改革プログラム』(1999年4月)に書かれている高校の再編・統廃合の大義名分は、「個性をはぐくむ」「多様な学習のニーズに応える」、そのためには高校を「特色ある学校」に変えることが必要だというものです。一見もっともにきこえるこの論理と政策について、前節とは違った視点から、その妥当性を検討してみたいと思います。
  教育基本法には「個人の尊厳を重んじ」(前文)、「個人の価値をたつとび」(第1条)とあり、先に引用した学校教育法第42条にも「個性に応じて将来の進路を決定させる」「個性の確立に努める」とあります。この箇所の法文全体を読めば、個性は、形成されるものとして、プロセスのなかでとらえられていることがわかります。
  これに対して『教育改革プログラム』で高校の再編・統廃合の大義名分として語られている「個性」は、教育委員会が一方的に決定した多種多様な「特色ある」学校・学科を「個性」に応じて選択させるという構図ですから、中学校卒業時までにその確立を強制される個性とならざるをえません。そして、「強制される個性」が人間本来の個性でありえないことは明白でしょう。本来個性とは、長い間の学習や経験のなかで形成されるその人だけが持っている独特の性質(感性や判断や行動の様式)に他ならないからです。
  したがって、形成されるものとしてプロセスのなかでとらえている、学校教育法でいう個性と、『教育改革プログラム』が高校再編・統廃合の大義名分としていう「個性」は、別のものであるということになります。もっとも、例えば数学がすごく得意で好きだという中学生が理数系の学科を選択すること、ピアノがすごく上手で好きだという子どもが音楽系の学校を選ぶということは、おおいにあって結構なことです。
  しかし、数学がすごく得意であるとか、ピアノがすごく得意とかいうことは(そのこと自体は素晴らしいことですが)、その人の人間全体からみれば一部の才能が開花している状況であって、その人全体からにじみ出る人間丸ごとの個性でないことは明らかでしょう。
  そして教育政策を考える場合直視すべき事実は、そのように才能を発揮できている子どもは少数であって、多くの庶民大衆の子どもはそのような才能を発揮できないでいるという現実です。多数の子ども(中学生)にとっては、「個性、個性といわれるが、個性のない俺はどうすればよいのよ」というのが現実であり、結局は自分のAあたりの学力偏差値にあう学校・学科を選ばざるをえないのです(強制される個性)。
「多様な学習のニーズ」についても同様の指摘があてはまることについては、容易にご理解いただけると思います。

  次に学校の「特色」ということについて考えてみます。
  ある県で、ある人が学校法人を立ち上げ、「文武両道」を建学の精神とし、具体的目標として「東京大学合格」と「甲子園出場」を掲げ、私立高校を設立し、数年も経たないうちにこの二つの目標を達成しました。県民は驚きましたが、野球部は全国から特待生を集め野球中心の高校生活をさせていること、特進クラスがあり、特に成績の良い生徒は学校の授業を受けないで予備校に通っていて、東大に合格したのはその生徒であったことが知られるところとなり、学校の側で生徒を授業時間中に予備校に通わせていたことにたいしては県民のなかから強い批判が起こりました。
  これは私の出身県の出来事でしたが、ここで言いたいことは、この学校の経営者にとってこの学校の特色は確かに「文武両道」をめざすことであり、そのように宣伝してもよいのでしょうが、この学校の生徒の立場にたってみると、ある生徒にとっては「野球道」であり、別の生徒にとっては「受験勉強道」であって、一人ひとりの生徒にとっては「文武両道」になっていないということです。
  このことと同じではありませんが、大阪府教育委員会の『教育改革プログラム』(1994年4月)についても、似たようなことが言えるように思います。高校再編・統廃合計画をつくった人たちは、大阪府立高校・学科の特色について(少なくともそれが目指している点については)熟知している。ところが、同時にいくつかの高校・学科へ通学することのできない一人ひとりの生徒にとっては、どこか「狭く」感じる高校生活を送るということになるのではないでしょうか。

  この問題は、現代社会と高校生の将来とを結びつけて、そのうえで《子どもの最善の利益》を中心にすえて考えてみることも必要です。
  山形県の主婦であった女性が、今年(2004年)の新入社員にむけて、「先輩社員から」という文章の中で次のように述べています。
  「私は(株)東北消防施設で事務の仕事をしています。
  私は高校卒業後、総合商社に6年間勤務し、出産と同時に退職しました。専業主婦として9年間を過ごして、今の会社に就職しました。事務の仕事はパソコンの普及で大きくかわり、主婦の間に勉強はしたのですが、違う部分がとても多く、毎日が勉強です。
 当社は消防法という法律に基づいた点検や施行を行うため、7種類の資格を取らなければなりません。家に帰っての勉強はハードですが、学んだことが仕事に生きてくるのはとてもうれしいです。1年間に1種類の資格を取るのも大変で、去年は取得できませんでした。私は子どもたちと一緒に勉強していきたいと思っています。」(『中小企業家しんぶん』、2004年4月15日付)
  生涯学習社会は庶民大衆にとっても現実のものとなりました。高等学校では、学力Bの感性や、学力Cの意欲や判断力といった能力を含め、生涯にわたり必要に応じて学び続けることのできる力を、生徒たちに身につけさせることが大切です。
  学校教育法第42条の規定(高等学校教育の目標)は、こうした現代的課題にも十分応えうる内容であると、私は考えています。逆に、むやみな「特色」づくりはこうした現代的課題と矛盾することになるでしょう。


3 教育委員会の行為の違法性


(1)子どもの権利条約第12条違反
 これまでの議論で私は、憲法、教育基本法、子どもの権利条約から演繹される教育法規範として、
  [教育法規範T] 子どもは教育の《主体》であり、教育問題に対処するさいは「子どもの最善の利益」を中心にすえ、子どもの意見を誠実に聞かなければならない。
  [教育法規範U] 学校はみんなでつくってゆくものである。教職員、子ども、保護者、地域住民はみな、学校の当事者であり、それぞれの立場からの教育についての権利と責任を持っている。学校運営と学校教育行政は、学校当事者の話し合いや意見を最大限尊重して行われなければならない。
  という二つの規範が、明確に、客観的に存在していることを主張してきました。

  また、大阪府立高校の再編・統廃合計画の大義名分となっている「特色ある学校づくり論」について、教育論の見地からその誤りを指摘し、むやみな「特色のある高校」の設置は学校教育法第41条、42条に違反すると主張してきました。
  教育論は、もしかすると法律の専門家である裁判官にとっては馴染みが薄く、また司法判断の直接の材料にはならないかも知れませんが、本件では重要な要素を成していますので、十分なご検討をお願いしたいと存じます。

  大阪府教育委員会の『教育改革プログラム』(1999年4月)には、随所に「開かれた学校づくり」という言葉がちりばめられています。そのことを主張し研究対象としてきた私にとっては嬉しいことですが、このプログラムは子ども、保護者、住民の学校参加を本格的に構想したわけではないという、大きな限界をもっています。「開かれた学校づくり」について本格的に議論した場合「開かれた教育行政」という課題が浮上してくるはずなのですが、『教育改革プログラム』にはその形跡がありません。
  先に引用したように、1998年の中央教育審議会答申「今後の地方教育行政の在り方について」は、「教育行政に積極的に地域住民の参画・協力を求めることが必要」と述べていました。そういう時期であったのに、高校再編・統廃合計画は教育委員会事務局内部で、いわば秘密裏に策定されました。この事実と、その後の一連の事態を見て私は、高槻南高校の校長、教頭を含めて教育委員会の側の人々はいまだに《特別権力関係論型子ども観》と《特別権力関係論型学校観》を払拭できていないに違いないと思いました。『高等学校長用QA集』(H.11.8.25)は、職務命令書のごとくに扱われたのではないでしょうか。

 この意見書の性格から、判決文の「事実認定」にあたることを私の事実認定として書くことはできませんが、とりわけ高槻南高校生徒会の活動、請願行動にたいする学校長、教頭、教育委員会の対応が非教育的で、誠実でなかったことは明白です。私は、この一点において、本件における教育委員会の行為が先に引用した子どもの権利条約第12条に違反していると判断しています

(2)教育基本法第10条違反
  教育委員会が高校再編・統廃合計画をいわば秘密裏に策定したこと、そしてその後の一連の事態のなかで、高槻南高校生徒会などの請願行動にたいする教育委員会の対応が誠実でなかったことは、前記[教育法規範T]及び[教育法規範U]に明らかに違反しています。

  ところで、教育基本法は教育行政の在り方の基本を次のように定めています。

第10条(教育行政)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
  A 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

  次に、わが国最高裁判所大法廷は、先に引用したいわゆる北海道学力テスト事件判決(1976年5月21日)で、教育基本法の性格と位置づけについて、次のように判示しています。

 「教基法は、憲法において教育のありかたの基本を定めることに代えて、わが国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的として制定されたものであって、戦後のわが国の政治、社会、文化の各方面における諸改革中最も重要な問題の一つとされていた教育の根本的改革を目途として制定された諸立法の中で中心的地位を占める法律であり、このことは、同法の前文の文言及び各規定の内容に徴しても、明らかである。それ故、同法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力をもつものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別段の規定がない限り、できるだけ教基法の規定及び同法の趣旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきである。」

  いうまでもなく「法律にもとづく行政」は近代国家の基本原則であります。したがって、教育行政の行為、活動には、常に教育関係法令の解釈、適用であり、運用であるという面がつきまといます。上記最高裁判決が、教育関係法令の解釈運用は教育基本法の趣旨・目的に沿って行われなければならないとした点は、とても重要な意味を持つことになります。
  前引のとおり教育基本法第10条1項は、教育の「不当な支配」を禁じています。政党や組合や宗教団体やその他一部の社会的勢力が学校を牛耳ることは「不当な支配」にあたるということは、だれにでもよくわかります。それでは、教育委員会の行為、活動が「不当な支配」にあたり、教育基本法10条に違反し、無効となるということはありえるでしょうか。同じ最高裁判決は、次のように判示しています。

 「憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう『不当な支配』となりえないことは明らかであるが、上に述べたように、他の教育関係法令は教基法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、教基法10条1項にいう『不当な支配』とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教基法10条1項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない。」

  要するに、教育関係法令を教育基本法の趣旨、目的にそって解釈し、運用しなかった教育委員会の行為は、教育基本法10条違反であるということです。最高裁判所が示しているこの判断枠組みは、行政においても司法においても、重くうけとめられるべきであると考えます。また、このことを貴裁判所に強くお伝えしたいと思います。

  本件の高校再編・統廃合計画の策定、高槻南高校の廃校処分、それにかかわる教育委員会の一連の行為、活動は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第23条1号等に規定された権限にもとづいてなされたわけですが、それが適法であるためには、学校教育法などの関係教育法令の条項が教育基本法全体の趣旨、目的にそって解釈され、運用されることが必要条件だったのです。
  「教育基本法全体の趣旨、目的」という場合、今日ではそれは「教育にとって基本法である憲法、教育基本法、子どもの権利条約全体の趣旨、目的」と同じであると判断してよいし、むしろそのように判断すべきであると考えます。
  そうしますと、前記の[教育法規範T、U]は、縷縷述べたことからご理解いただけると信じますが、最高裁判決のいう「教育関係法令を教育基本法の趣旨、目的に沿って解釈、運用する」際の規範であるということになります。教育委員会の一連の行為、活動が、この[教育法規範T、U]に反していたことは明白であり、したがって私は、それを教育基本法第10条が法禁する「不当な支配」にあたり、同法同条に違反すると判断します。

 おわりに

  私の意見は以上のとおりです。貴裁判所が、憲法、教育基本法、子どもの権利条約のもとでの子ども観(論)、学校観(論)、教育論及び教育現場の現実を研究されて、公正な判断をくだされることを、一教育研究者として切望する次第です。
  なお付言させていただくと、高槻南高校生徒会をはじめとする高槻南高校の当事者たちの考えと行動は、前記[教育法規範]にも合致した、まっとうな考えと行動でありました。特に高校生の行動は、社会の未来に希望をあたえるほどのものでありました。貴裁判所がこのことに深く思いを致し、判決及び判決文のなかで、是非かれら若者を評価し、励ましていただきたいと心のそこから思う次第でございます。

以 上




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