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TITLE:  「法教育」をどう考えるべきか
AUTHOR: 馬場 健一
SOURCE: 大阪教法研ニュース 第222号(2005年10月)
WORDS:  全40字×189行


「法教育」をどう考えるべきか


馬 場 健 一

1.はじめに

  法科大学院や裁判員制度の導入など、司法制度を大きく変革させつつある契機となった今期の司法改革は、一見教育法問題とは無縁にも感じられる。しかしながらあまり注目されていないが、本改革は、初等中等教育に「法教育」なるものが導入されることを求めている。すなわち、そうした一定の教育内容の変更あるいは拡充を求めているのである。
  こうした動きは、おそらく教育法研究に次の二つの相互に関連した課題を課すものといえよう。第一は、この「法教育」は、「法」や「権利」に関わる教育であるという点で、従来の学校教育における関連教育とどういう関係に立つものであるのか、さらに学校教育に教育法的視点を導入することを唱えてきた教育法研究者の視点とそれはどのように共通項を持ちあるいは異質なものなのか、という点を検討することである。第二は、第一の検討を踏まえ、このような教育内容の変更・拡充の動きそれ自体をどう評価すべきであるか、それは前向きに評価できるものといえるのか、それとも警戒すべき動向なのか、という点の検討である。
  ただし本稿においてそうした検討を本格的に行うことは不可能であり、また教育の専門家ではない法社会学研究者の筆者のよくなしうるところではない。以下は、「法教育」が提唱されてきた経緯とその内容とを簡単に紹介し、若干のコメントを付することで、「法教育」の「教育法」的検討にむけての問題提起とするにとどめる。


2.「法教育」概念の登場と展開

  日本における「法教育」なる概念は、アメリカの実践に触発された教師・教育専門家が自発的に研究会等を行いはじめ、弁護士会がその重要性を強調しはじめる1990年代前半に遡る。逆に言えばそれ以前は全くなじみのなかった用語であり、従来の教育法研究や社会科教育・人権教育・権利教育・憲法教育等といったものとは全く別のラインから生じてきたものという印象を受ける。
  しかしそれが大きく注目されるようになるのは、1999年に内閣に設置された司法制度改革審議会が2001年に提出した最終意見書によってであるといえる。本意見書の中の(司法の)「国民的基盤の確立」と題した章では、裁判員制度など新しい司法参加制度の導入を提唱した部分に続いて、「国民的基盤の確立のための条件整備」とする表題の下、次のような記述が盛り込まれた。

<司法教育の充実>
[学校教育等における司法に関する学習機会を充実させることが望まれる。このため、教育関係者や法曹関係者が積極的役割を果たすことが求められる。]
  法や司法制度は、本来は、法律専門家のみならず国民全体が支えるべきものである上、今後は、司法参加の拡充に伴い、国民が司法の様々な領域に能動的に参加しそのための負担を受け入れるという意識改革も求められる。
  そのためには、学校教育を始めとする様々な場面において、司法の仕組みや働きに関する国民の学習機会の充実を図ることが望まれる。そこでは、教育関係者のみならず、法曹関係者も積極的な役割を果たすことが求められる。

  このように比較的短い記述でありながら、これは「法教育」の提言として受け取られ、その後の本意見書の実現過程において法務省や文部省に引き継がれることとなり、一定の予算措置も付くことになる。2003年には文科省関係者、教育研究者、現職教員に、法曹三者さらにその他有識者を加え、若手憲法学者の土井真一京都大学教授を座長とする、「法教育研究会」が法務省に設置される。(ちなみにこの土井氏は、司法制度改革審議会会長の佐藤幸治元京都大学教授の直弟子である。)本研究会は一年あまりの間に16回の審議を重ね、2004年に報告書を提出し解散、現在に至っている。なおこの報告書には、「法教育教材」が付けられており、これが他にない特色となっている。これの教材は、法教育研究会委員の江口勇治筑波大学教育学系教授と同大杉昭英文部科学省初等中等教育局視学官が「総監修」となり、法曹三者からなる「法的助言グループ」の支援をも受けつつ、現職教員が執筆グループとなって作成したもので、中学公民での授業を想定し、「ルールづくり」「私法と消費者保護」「憲法の意義」「司法」の4単元からなる、詳細なものである。なおこれら報告書と教材とはインターネット上(http://www.moj.go.jp/KANBOU/HOUKYO/houkoku.html)で公開されており、誰でも入手することができる。


3.「法教育」とは何か

  本報告書の基本構造は、それに付された「概要」によってうかがうことができる。そこでは「法教育」とは、「法律専門家ではない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身に付けるための教育」であると要約されている。さらに法教育の必要性として、国民一人ひとりが「法や司法を身近なものと感じ」「司法に能動的に参加していく気持ち」を持つことが重要だとの一般論が語られ、さらに補足的に、「自由な活動範囲が広がることに備え、あらかじめ紛争を防止し、紛争が発生した場合には、法に基づいて公正な紛争解決を行う」ことになることと、まもなく裁判員制度が実施されることとが触れられている。前者の「自由な活動範囲が広がることに備え....法に基づいて公正な紛争解決を行う」という記述は、法教育の背景として、いわゆる規制緩和論に基づく構造改革が法や司法の役割を拡大させることになり、またそうなることは好ましいことだとする、司法制度改革と共通の発想があることを示すものである。
  さらに「目指すべき法教育」として、「法は共生のための相互尊重のルールであること」「私的自治の原則など私法の基本的な考え方」「憲法及び法の基礎にある基本的な価値」「司法の役割が権利の救済と法秩序の維持・形成であること」の4点を理解させるものであることとされている。上記の4つの「法教育教材」はいうまでもなく、これら4つの目標を具体化させたものである。さらに「法教育を普及させる取り組み」として、「法務省において、文部科学省をはじめ、最高裁判所、日本弁護士連合会などの関係機関と連携して普及を促進する取組みを実施する」とされている。
  これだけでは、「法教育」の方法や内容の特質が必ずしも明確であるとはいいがたいところであるが、報告書本文中には、さらにそうした方法や内容を敷衍している部分がある。それによれば、「法教育」とはアメリカ「法教育法」(Law-Related Education Act 1978)に由来する用語であり、その特性として次の三点を挙げている。

@ 知識型でないこと。
A 法やルールの背後にある価値観や司法制度の機能・意義を考える思考型教育であること。
B 社会参加の重要性を意識づける社会参加型の教育であること。

  そして本研究会もこうした理解を基本的に是認し、踏襲することが明言されている。またこうした方向性は、「これまで積み重ねられてきている教育改革の観点からも求められている」ともされている。さらにこうしたかたちで明言されているわけではないが、本報告書においては、法教育の実施においては、法律実務家や裁判所など法律家や司法機関が教育の場にこれまで以上に直接的に関与していくことが強調されている。これは、先の司法制度改革審議会最終意見書が、「学校教育を始めとする様々な場面において、司法の仕組みや働きに関する国民の学習機会の充実を図ることが望まれる。そこでは、教育関係者のみならず、法曹関係者も積極的な役割を果たすことが求められる。」としていることに対応するものと思われる。


4.「法教育」の問題点

  本報告書および「法教育教材」は、このような基本思想の上に立つものとされている。そこで本来ならば、@こうした基本思想自体を批判的に吟味すること、A本報告書および「法教育教材」が、こうした基本思想に依拠しているものといいうるのか、また依拠しているにせよしていないにせよ、そのこと自体をどう考えるか、Bこうした基本思想の展開として示される4つの基本的な柱の立て方は妥当か、等といった点を詳細に検討すべきところであるかもしれない。しかしながら冒頭に述べたように、本稿ではそれをよくしうるところではないので、これら資料を通読した上でのポイントと思われる点について筆者のコメントを簡単に付すにとどめる。
  第一の論点は、本研究会及び報告書が採る、規制緩和論を是認する姿勢をどう考えるか、という点であると思われる。本報告書では「1990年以降、我が国は、自由で公正な社会をよりよく実現するために一連の改革に取り組んできた。その重要なねらいの一つは、行政改革や規制緩和などに示されるように、行政による過剰な事前規制を見直し、社会の内にある多様な活力を積極的に引き出していこうという点にある。」と書かれていることからも明らかなとおり、こうした流れを基本的に肯定的に見ていることは疑いない。また上記の通り、近年の教育改革に対しても、肯定的な評価に立っている。この研究会が法務省や文科省の主導のもとでのものである以上、これらは当然のことではあるが、であるとすると、こうした規制緩和論や教育改革を批判的に見る立場からは、こうした法教育の提唱も、官主導の胡散臭いものと考えられることになろう。
  そうした批判的視線の重要性を必ずしも否定するものではないが、他方で官主導だからだめだとの頭ごなしの大上段の批判は、往々にして非生産的で安易なお定まりに流れやすいものでもある。また本研究会や本報告が規制緩和論を批判的に見ていないといっても、社会全体に規制緩和が導入されていくことを前提、あるいは是認しているということにとどまるのであって、それを直接的に導入しようとか、そうした政策を維持・強化することを狙った教育を提唱している、というわけではない。本報告書の立場は、規制緩和状況では法や司法の役割が重要になり、またなるべきであるからとして、それに対応した教育を導入することを提唱しているにすぎない。とすると批判は、その提唱している具体的内容に即して加えられるべきであって、官主導だから、あるいは規制緩和論を是認しているからだめだ、といったスタンスは、率直にいって不毛であると思う。

  むしろ本報告書を通読して感じる問題点は、それが、従来の関連学校教育実践(司法教育、憲法・主権者教育、人権教育、消費者教育、民主主義教育、権利意識の涵養等々どのようにそれを捉えるにせよ)の意義や限界、問題点等の総括や評価、またこれらとの関連性等、がきわめて浅薄で、あいまいなままとされていることにあるように思われる。またこうした従来型の「法教育」を真摯に進めていこうとすると直面せざるをえなかった各種阻害要因についての検討が欠けていることにあるように思われる。本報告書や「教材」の拠って立つ理念や実際の内容がいかに評価すべきものを含むとしても、それを教育の場で十全に実現するためには、こうしたこれまでの実践とそこからの反省といったものを踏まえ、またそうした実践を行ってきた現場からの意見や批判を十分に汲み上げ、そことのつき合わせの中で自らの主張を鍛え上げることが必要なのではなかろうか。それなくして、一方的にこうした新しい教育の提言を行い教材を呈示しても、地に足のつかない、空回りするだけのものとなってしまうのではなかろうか。またそういうものを無理に現場におろそうとしても、ごく部分的にしかその理念が実現できなかったり、それが変質してしまったり、予想外の混乱や副作用をもたらすものとなってしまったりするのが関の山なのではなかろうか。本報告書からは、そういう意味での「甘さ」「脳天気さ」あるいは一方向性を感じざるをえない。
  関連して、ここで提唱されている参加型・思考型・非知識型教育というものが、実際にうまくいくのか、またここで示されている「教材」は実際に「使える」ものなのかどうか、といった点も問題である。そもそも現行カリキュラムの中に、うまくこれらは組み込みうるものなのかどうか、というかなり実際的な論点である。この点については筆者自身は判断しうる能力を持っていないが、筆者が本報告を行った大阪教法研例会の参加者からは、「このままでは使えない」との声があったことを紹介しておく。各自が、「教材」を実際に自分の目で検討してもらい、判断してもらうのが一番よいと思う。
  但し、この点では素人であることを認めた上であえて述べるなら、これら「教材」も頭から切って捨てるべきものではなく、文科省系とはいえ、現職教員その他専門家たちがそれなりに時間とエネルギーを使って作ったものであって、各種工夫や知恵も込められているものでもあるように思い、参考にされるべき内容も含むように感じるところである。であるから、問題のある部分は切り捨てるなり換骨奪胎するなりした上で、使える部分は使ったよいのではなかろうか。


5.「法教育」をどう扱うべきか

  率直にいって以上にみてきた今回の「法教育」の提唱の中には、従来の教育法実践でいわれてきたこととつながる部分もあり、評価すべき内容も一定含まれていると考えるべきだと思われる。であるから、教育法研究の側も、その問題点は踏まえつつ、また必要とあればさらに立ち入った検討も加えつつ、今回の動きを一種の好機として捉えることのほうが、それを無視したり頭から否定したりするよりも、生産的な態度といえるのではないかと考える。
  本報告書は、法教育の普及のための課題として、「文部科学省に対しては、学校教育における法教育の推進の必要性を考慮すると、様々な機会に法教育の重要性を教育委員会や学校に広く周知させることを期待したい。」と述べる。今後の展開次第では、文科省が現場に法教育を「押しつけて」くることも考えられないではない。そのときになってはじめて「法教育の強制反対」などとスローガンを掲げても不毛であろう。よりしたたかな発想と対応とを、いまから用意しておくことのほうが、よほど意味があると思うのだがいかがであろうか。



<参考文献>
・[特集]市民を育てる法教育『月刊司法改革』15号 2000年12月
・[特集2]本格始動した法教育への取り組み『自由と正義』55巻8号 2004年8月

[追記]
本稿は、2005年9月10日大阪教育法研究会9月例会において報告した内容の一部である。当日は「法教育との関わりで裁判員制度を考える」と題して裁判員制度についても論じたが、独立した別の話題としたほうがわかりやすいと思われたことと、裁判員制度についての論点は多岐にわたる上に、すでにいろいろ紹介されてもいることから割愛し、あまり知られていないながら、教育法研究会の趣旨にはより添うものと思われる、法教育問題に絞ることとした。ご了承願いたい。





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