● 「障害」の表記に関する国語分科会の考え方 令和3年3月12日 文化審議会国語分科会



原典 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/92880801_03.pdf


「障害」の表記に関する国語分科会の考え方
令和3年3月12日
文化審議会国語分科会


 文化審議会国語分科会は,衆議院文部科学委員会決議(平成30年5月30日)及び参議院文教科学委員会附帯決議(平成30年6月12日)が,「障害」の代わりに「障碍」と表記することについて,「政府は,「心のバリアフリー」を推進し,スポーツへの障害者の参加の更なる促進を通じた共生社会の実現を図るため,「障害」の「害」の表記について,障害者の選択に資する観点から(注:参議院文教委員会においては「障害者の意向を踏まえて」),「碍」の字の常用漢字表への追加の可否を含め,所要の検討を行うべきである」としたことを踏まえ,このうち当分科会が関わる「「碍」の字の常用漢字表への追加の可否」について審議してきた。
 まず,平成30年11月22日に「「障害」の表記に関するこれまでの考え方(国語分科会確認事項)」を示し,現行の常用漢字表の性格が地方公共団体や民間の組織において,表にない「いしへん」の「碍(礙)」(注:「碍」は「礙」の俗字)を用いて表記すること等を妨げるものではなく,それぞれの考え方に基づいた表記を用いることが可能であることを確認した。その後も,国語施策からの観点を中心に,審議を重ねてきたところである。
 以下,これまでの検討内容について,大きく二つの観点からまとめる。

1 常用漢字表等における漢字選定の問題として(国語施策の観点から)

(1)漢字表の選定基準について
 戦後すぐの当用漢字表から現在の常用漢字表に至るまで,国語施策の漢字表は,日本語を用いた書き言葉による民主的で円滑なコミュニケーションを実現するために,社会における漢字使用の実態を反映するようにして策定されてきた。これは何らかの課題を周知することを目的とするのではなく,分かりやすく通じやすい文書を書き表すための目安とするものである。
 ある語を書き表すに当たっては,複数の表記を選択し得るときがある。そのような場合の混乱を避けるとともに,効果的に教育が行われることを目指して,国語施策は漢字使用の目安を定めてきた。したがって,漢字表に採用される漢字は,主に
 ・出現頻度(書籍,新聞,雑誌,ウェブサイト等における各漢字の使用数)
 ・造語力(熟語を構成する能力)
が高く,社会生活上必要であると認められるものであった。
 「害」は,出現頻度と造語力とが共に高い漢字であり,戦前から現在に至るまで,国語施策における漢字表の全てに選定されてきた。一方,「碍」は1例(昭和17年の「標準漢字表」において,「害」が「常用漢字」に,「碍」が「準常用漢字」に,「礙」が「特別漢字」に採用された。)を除いて採用されていない。
 「障害」という表記が主に用いられてきたのは,当用漢字表が策定される際に,その時点における漢字の使用状況を調査した結果,「害」が採用されたことに基づく。「障害」と「障碍」という表記は,明治以来同様の文脈においてほぼ同じような意味で用いられてきており,新聞などの一般的な文章では「障害」の方が多く見られるという実態もあった。
 昭和56年の常用漢字表及び平成22年に改定された常用漢字表においても,上述の観点から「碍」は追加されなかった。その後も,各種調査の結果からすると,現時点で,常用漢字表への追加を要するような「碍」の使用頻度の高まりや使用状況の広がりが生じているとは判断できない。

(2)障がい者制度改革推進本部における「「障害」の表記」に関する検討について
 平成22年の国語分科会における常用漢字表の改定と並行して,当時,政府に置かれた「障がい者制度改革推進本部」において,当事者とその関係者を中心に「障害」の表記の在り方に関する検討が行われていた。国語分科会は,障がい者制度改革推進本部における検討の結果によっては,「碍」の扱いについて改めて検討することとしていた(「改定常用漢字表」平成22年6月7日文化審議会答申)。これは,出現頻度や造語力が低いとしても,社会全体で「障碍」の表記を用いることが政策として決定されれば,「碍」を社会生活上必要な漢字と捉え,常用漢字表の一部改定も含めた検討を行うという趣旨であった。なお,この考え方は現在においても変わっていない。
 その後,障がい者制度改革推進本部の下での検討の結果,「障害者制度改革の推進のための第二次意見」(平成22年12月17日障がい者制度改革推進会議)が取りまとめられた。ここでは「「障害」の表記については,様々な主体がそれぞれの考え方に基づき,様々な表記を用いており,法令等における「障害」の表記について,見解の一致をみなかった現時点において新たに特定の表記に決定することは困難であると判断せざるを得ない」とされ,さらに,「法令等における「障害」の表記については,当面,現状の「障害」を用いることとし,今後,制度改革の集中期間を目途に一定の結論を得ることを目指すべきである」とされた。この結果を受け,国語分科会は新たな検討を行うには至らなかった。
 なお,平成24年に障害者基本法に基づいて設置された「障害者政策委員会」においても,「法制上の「障害」の表記の在り方については,障害者権利条約における新しい障害の考え方を踏まえつつ,今後の国民,特に障害当事者の意向を踏まえて検討する」(「新「障害者基本計画」に関する障害者政策委員会の意見」平成24年12月17日)とされている。

(3)常用漢字表にはない新たな考え方について
 国会委員会決議は「碍」の追加を検討すべき理由として,当事者の選択に資すること,及び,他の漢字圏の国々における漢字使用の状況等に配慮することを挙げている。これらは,常用漢字表の選定基準にない考え方である。
 「選択に資する」という観点について言えば,常用漢字表は,表にない漢字を用いることや漢字を使わずに仮名で書くことを妨げるものではない。前書きにあるとおり,表の運用に当たっては,個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地があるものである。例えば,法令においても,常用漢字表にない漢字や音訓を,振り仮名を付けて用いる場合がある。また,地方公共団体の中には「碍」を用いる表記を採用したところもある。
 ただし,表内に選択肢としての漢字を追加することは,常用漢字表が日本語における表記の安定を目指すものであるという点と相反するおそれがある。常用漢字表では,同じ語を書き表すに当たっての目安として,表内に選択肢を設けるという考え方は採っていない。これは,表記の混乱を避けるためである。平成22年の改定において,社会全体で「障碍」の表記を用いることが政策として決定されることを再検討の条件としたのも,そのためであった。
 このことについては,人に用いる場合と人以外に用いる場合とで使い分けが可能であるという意見もある。しかし,当事者の中に様々な考え方がある段階で,国語分科会が使い分けを指定することは困難である。また,社会において検討の過程にある課題について,それを周知したり問題提起したりすることを目的として漢字を選定し,その漢字を普及させるといったことは,常用漢字表の任ではない。
 次に,他の漢字圏の国々との関係について言えば,漢字使用の在り方は,それぞれの国ごとに発展してきているものである。使用する漢字の字体がそれぞれで異なることをはじめ,同じ漢字を用いた語が異なる意味で用いられている場合も多い。さらに,漢字そのものがほとんど使用されなくなっている国もある。
 常用漢字表は,日本語における漢字使用の実態に基づいて策定されているものである。他の漢字圏の国々における漢字使用との一致を図ることを目的として改定するのであれば,漢字表の性格に大きな転換をもたらすとともに,現在の日本語における文字表記の根幹に影響するおそれもある。国語施策とは別の観点からの,各分野における国際的な調整を経た上でない限り,対応することは難しい。

以上,国語施策の観点に基づく上記の検討から,国語分科会は,常用漢字表への「碍」の追加を直ちに行うことについて,慎重にならざるを得ない。その上で,国民を代表する国会の委員会から課されている課題を解決するという問題意識を持ち続けたいと考えている。そこで,国語施策の観点からは,次に挙げる点に取り組むこととしたい。

○「碍」の字を直ちに常用漢字表に追加することはしないが,国会の委員会決議の趣旨に沿い,「碍」の扱いを常用漢字表における課題の一つと捉え,出現頻度などの使用状況やこの漢字に関する国民の意識を調査するなど,国語施策の観点から,引き続き動向を注視していく。
○常用漢字表の次の改定が行われる際には,国会の委員会決議が取り上げている観点も参考にしつつ,選定基準の見直しが必要であるかどうか,改めて検討する。

 なお,国会の委員会決議は,共生社会の実現を図るための「心のバリアフリー」を推進することを期待するとあるように,政府の関連部局,ひいては,広く国民全体に向けて投げかけられた課題と受け止めるべきであり,国語施策の枠組みにのみとらわれることなく,社会の様々な分野で,この課題についての議論を深めていく必要があると考える。とりわけ当事者の意向を踏まえることが重要である。そのようにして,各方面による検討を経た結果,「障碍」の表記が社会全体で用いることが合意された場合には,先述の「改定常用漢字表」(文化審議会答申)のとおり,国語分科会としても速やかに対応することとする。

 また,現行の常用漢字表に基づいても,地方公共団体や民間の組織において,表にない「いしへん」の「碍」を用いて表記すること等を妨げるものではなく,それぞれの考え方に基づいた表記を用いることが可能であるという点について,引き続き理解を求めていく。

2 用語の問題として(より広い観点から)

 二つの国会委員会決議に指摘されるとおり,「「害」の字を,人に対して用いることが不適切であるという考え方」があり,この表記を受け入れ難いと感じている人たちがいることを,国語分科会は重く受け止め,つらい思いをしている人たちに寄り添いたいと願っている。一方で,「しょうがい」という用語の表記については,当事者・関係者の間に多様な意見があることにも留意している。
 「しょうがい」の表記については,社会全体に関わる問題として,障がい者制度改革推進本部における議論をはじめ,国語施策とは異なるより広い観点から検討が行われてきた。平成22年当時の障がい者制度改革推進本部の下での審議では,当事者の意見も聞きながら検討が行われた。それぞれの表記に対して,肯定的な意見,否定的な意見が出され,考え方が多岐にわたっており,結果として,一定の方向性は示されなかった。その後実施されてきた各種調査の結果を見ても,同様の状況が続いていることがうかがえる。現時点では,当事者を中心とした議論をもってしても,「しょうがい」という用語を用いる限り,一つの表記をもって合意に至ることは難しい状況にあると考えられる。
 また「碍」を用いた「障碍」は元々仏教語に由来し,「しょうげ」と読まれてきた語である。「障碍(しょうげ)」は,最新の国語辞典や学習用の古語辞典等にも取り上げられており,必ずしも良い意味ではないということが指摘されてきた。近代の文学作品等に見られるだけでなく,仏教語としては現代においても用いられている例があり,言葉について検討する委員会として,このことがいずれ別の形で問題となることがないか,懸念せざるを得ないところがある。
 これらを踏まえて検討を進めるに従い,国語分科会は,この課題について,どのような漢字を使うかという漢字表記の問題であるということに加え,そもそもどのような表現を使うかという用語の問題としての側面があるのではないかという認識に至った。「障害」という語は,一般に広く用いられており,その使用自体が問題とされることはほとんどない。一方,特にこの語が「障害者」として用いられる際には,受け入れ難いと感じる人がいる。漢字の入替えや交ぜ書き(「障がい」)を用いることによっても合意が困難であるならば,これを用語の問題として捉え直し,「しょうがい者」とは別の,新たな用語を検討してはどうかという考え方である。
 そこで,用語自体の検討を行うべきかについても議論がなされた。消極的な意味を持たない,前向きで適切な表現を考えてはどうかという観点から,幾つかの言葉が取り上げられることもあった。しかし,審議が進むにつれ,国語施策の立場から具体的な用語を提案するのは行きすぎの面があり,安易にすべきでないと確認されるに至った。また,新たな用語を検討するのは現実的ではなく,前向きな表現とするのも実態とそぐわない面があるという指摘も受けている。いずれにせよ,この問題については,新たな用語に関する議論を行うかどうかも含め,当事者の意向を反映できる場で,当事者を中心に検討されるべきであると考えている。
 以上のことから,国語分科会は,「障害」の表記に関して,この課題についての検討が当事者を中心にしかるべき場で行われることに期待するとともに,それが行われる際には,国語施策の観点から協力していくこととしたい。加えて,用語全般に関する課題を広く解決していくための考え方を国語施策の観点から整理することができないか検討することとする。

○「障害」の表記に関しては当事者を中心とした議論が進むよう期待しながら見守りつつ,国語施策の観点からも用語全般に関する課題を広く解決していくための考え方を整理することができないか検討する。


(以下資料略)

(資料1)「障害」の表記に関する経緯等について
(資料2)「「障害」の表記に関する検討結果について」(平成22年11月22日)
(資料3)「障害者に関する世論調査」(平成29年内閣府)




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