◆200801KHK232A1L0482EFG
TITLE:  生徒指導と修復的司法 ― いじめ事件におけるVOMの活用 ―
AUTHOR: 吉田 卓司
SOURCE: 大阪教法研ニュース 第232号(2008年1月)
WORDS:  全40字×482行


生徒指導と修復的司法
― いじめ事件におけるVOMの活用 ―


吉 田 卓 司


1.報告の課題 ― 学校における紛争解決の展望


  いじめ事件が重要な検討課題となって久しいが、近年の事例、例えば、北海道滝川市立小学校6年女児のいじめ自殺事件、千葉県松戸市立中学での、加害男子の飛び降り自殺などをみると、いじめ事件の惹起そのものよりも、学校側の不適切な対応が問題視されているように思われる。
  2006年10月に文部科学省は、「いじめ問題への取り組みの徹底について」 (1) を通知し、同月には教育再生会議が「いじめ問題への緊急提言」 (2) を発表した。同提言は、加害児童・生徒への厳罰、いじめを助長、放置した教職員・教委への懲罰的な施策を前面に押し出したもので、そのような対応が実態に即した有効な方針たりえるか、には疑念の余地がある (3) 。このような厳罰主義に対峙する施策として、修復的司法の理念に注目したい。
  生徒指導上のトラブルなど、学校での紛争解決の一手段として、諸外国では、修復的司法ないしはVOM(Victim-Offender Mediation)を活用し、事件によって傷つけられた関係の修復を目指す取り組みが行われている。その成果も、実証的な評価調査により、すでに一定程度、明らかとされている。
  本稿は、VOMの手法を用いて、いじめ事件の解決を企図したケース・スタディーであり、この事例研究を通じて、いじめ問題等の生徒指導に関わる問題解決に、子ども自身が主体的に取り組む一つの有効な手法として、修復的司法の我が国における適用可能性を考究しようとするものである (4)


2.生徒指導における修復的司法の導入


  諸外国において、修復的司法を、生徒指導等、学校の紛争解決に適用している例は、少なくない。例えば、オーストラリアでは修復的司法の手法と理念が学校教育のなかで紛争解決の一手段として活用されている (5) 。また、我が国でも、一部の自治体では「修復的司法」を生徒指導に導入する動きもみられる (6) 。けれども、その内実は、多様であり、東京都における「修復的司法」の導入のあり方については、オーストラリアなどのそれとは大きな落差を感じざるを得ない。
  例えば、東京都では、非行防止教育の一環として、「被害者の苦悩等を感知する力」を育成することを目的に「修復的司法」の趣旨を活かした授業の指導展開例が示されているが、その先例とされるイギリスのテムズバレー警察によるカンファレンスの手法は、警察主体の犯罪少年処遇の一類型というべきものであり、これを「修復的司法の範例」とすることへの懸念、すなわち被害者感情を梃子とした学校教育への警察権の過度の介入への危惧はぬぐいがたいものがある。
  これに対して、オーストラリアにみられる修復的司法の学校教育への導入は、学校で生じた事件や問題について、被害生徒と加害生徒が主体的な参加意思に基づき、教育経験の豊富な、トレーニングされた調停者(ファシリティター)の下で、実施されている (7) 。このように修復的司法の導入にも、いかなる制度を比較法的に参照するかによって、相当の差異が生じるといえよう (8)
  このような側面には十分な留意をはらわねばならないとしても、被害者と加害者の関係性の修復、あるいは学校というコミュニティーと加害者の関係を修復することは、いじめ事件など、生徒指導にかかわる様々な事件のなかで、生徒たち自身も、そして保護者、教師らも、従来から問題解決の目標の一つとしてきたことである。その目標を達成するという意味でも、修復的司法の理念ないしはVOMの問題解決手法から、学校教育が学ぶべきことは少なくない (9)


3.いじめ行為と関係修復


(1)生徒指導事例とVOMの活用 (10)

 (イ)事件の概要
  高校生E、F、Gらは、同級生のHに対して「 I にチョッカイをかけろ」、「たたいて来い」などと喧嘩を仕掛けるように言い、Eは「10.9.8.7.6.・・・」とカウントダウンをして、Hが早く I に殴りかかるように仕向けた。Hは、これに応じて、いやがる I に対して、手拳で数度にわたって、肩や背中などを殴打した。そのため、最初 I は、「やめろ」、「向こうへ行け」と言っていたが、これに反撃するため、 I もHを突き飛ばすなどして、喧嘩となった。その際、 I とHは、後頭部などを地面に打ち付けたり、殴打行為によって、頭部に裂傷及び手足打撲等の傷を負った。
  これまでにも、E、F、Gは、Hと I らに対して、プロレスの技を相互にかけさせたり、殴り合いをさせるなどのことがあったが、今回の殴打等による負傷事件によって、負傷したHらの様子から、養護教諭と担任が事情を聞きだすことで、それまでの「いじめ」行為も含めて、クラス内での「いじめ」事件が発覚した。

 (ロ)加害生徒E、F、Gと被害生徒Hの関係
  E、F、Gらは、特定の集団を形成しているわけではなく、常に行動をともにしているグループではない。
  Eは、今回の傷害事件の中では、主導的な役割を果たし、この事件の当初にHの背中を足蹴りして、「 I にチョッカイをかけに言って来い」という旨の発言をしている。Hも、負傷後の事情聴取のなかで「 I (を殴り)に行かないと、自分がEに殴られると思ったから、それよりは I にチョッカイをかけに行こうと思った」と述べている。
  また、FとGは、ともに運動部に属し、勉学にも努力のみられる「普通」の生徒たちであるが、Fは、事件数週間前に体育の授業中、Fの身体的特徴に関してプライドを傷つけるHの発言に端を発して、FがHの頭部を叩いたことがあり、そのことが記憶にあり、同事件の際も、「( I にかかって)行ったら、いいやん」というFの一言も、Hにとっては、 I に殴りかかる要因になった旨を事情聴取のなかで、述べていた。Gは、特に何も言わなかったが、Fの傍らに立って、E、Fのあおり行為を支持するようなしぐさをとっていたと、Hは述懐していた。

 (ハ)加害生徒E、F、Gと被害生徒 I らの関係
   I は、おとなしい性格で、体格もクラス内では比較的小さい方である。以前にも、Eの宿題を代わりにさせられるなど、クラスの生徒からいやがらせを受けていた。このときは、その宿題の提出後に担当教員(非常勤講師)が不正に気づいて、そのような状況が発覚し、同講師から学年担当教員にも指導経過の報告があったが、同講師と担任教諭からの両者に説諭するのみの指導にとどまっていた。
  また、 I がコンピュータ・ゲーム機を学校に持ち込んだ際、これをF、Gを通じて、Jに貸していたところ、Jがこのゲーム機を授業中に使用して、担当教員により一時預かりとなったことがあり、ゲーム機の持ち込み自体は、 I の自発的な行動であったものの、その後の貸与については、F、G、Jらの圧力から、 I がしぶしぶ、授業中に使用することを(一時没収される可能性も含めて)知りながら、 I が貸していた事実もあった。このときは、担当教員が、下校時にゲーム機返却を願い出てきたとJへの指導のなかから、事実が明るみにでたが、その際には、 I とJへの説諭( I に対しては、不要物ないし学校教育にふさわしくないものの持込の禁止、Jに対しては授業態度の反省)にとどまっていた。その他にも、「冗談半分」のような雰囲気のなかで、Eが、 I に対して、叩く、蹴るなどの有形力を加える行為が行われたり、Eが、 I の物を勝手に借りるなどの日常的に行われていた(ただし、Eは忘れ物の多い生徒で、 I やH以外の生徒からも、様々な物を無断借用することは度々あった)こと、また、E、F、GらがHをけしかけて、 I (本件で問題となった生徒)だけでなくKにも、プロレスの技やボクシングのような攻撃をしかけるように仕向けられることが、最近、何度かあったことも、本件の事情聴取で明らかになった。

 (ニ)生徒指導の校内手続といじめ指導の原則 ― 旧来のいじめ指導の限界
  いじめに限らず、喫煙・飲酒、考査不正など生徒指導上の問題が生じた場合、各校では、校長訓戒、家庭謹慎、停学などの何らかの生徒懲戒が生徒指導の一環として行われる。そのための手続には、まず可能な限り事実関係を明らかにした後、当該生徒の学年担当の教員、ないしは生徒指導部の教員によって懲戒処分(特別指導)の原案が作成される。その原案は、各校の特別指導委員会(名称と構成する教職員は各校により異なるが、学校長、教頭、生徒指導部長、各学年の主任・当該生徒の学級担任が含まれることが多い。)を経て、職員会議において議決される(特別生徒指導委員会の決めた処分内容の報告ないし事後承認にとどまる例も少なくない)。
  その議論のなかでは、それまでの類似事案を参考にしつつ、個々の事案の特性と当該生徒へのこれまでの指導の経過を考慮して、議論されるのが一般的である。
  本件の「Hと I に喧嘩をけしかける」という行為も、「いじめ」の一つと考えてよいであろうし、このいじめ行為が特別指導委員会の審議事案とされたことも、妥当であろうと思われた。そこで、学年会を経て、本件も特別指導委員会の審議対象となり、そこでは、いじめ指導における原則、すなわち@いじめを許さず、Aされるを責めず、Bいじめに第三者なしの三原則に (11) そって、被害生徒であるHと I については、「いじめの被害者を責めるような指導はしない」との観点から、懲戒処分としての指導は行わず、今後のHと I が「喧嘩」したことへの和解をうながす助言的指導を丁寧に行うこことし、E、F、Gに対して、「いじめはどのようなことがあっても許されない」との原則から、いじめ行為への反省を促す指導に取り組むことになった。
  特に、「喧嘩」をけしかけた生徒のうち、背中を蹴るなどして、喧嘩を強要したEについては、無期停学、喧嘩を助長する発言のあったFとGは校長訓戒とし、これまでのいじめ行為も含めた反省の機会とすることとした。
  しかし、その指導の過程で、二つの問題が生じた。一つは、Fとその保護者から、「いじめ行為を助長したり、容認するような態度をとっていた生徒は、他にもおり、今回の喧嘩についても、これを見ていた生徒は、他にも多数いたのだから、それらの生徒に対する懲戒もあるべきではないか」、また、「実際にFの言動も、これまでの被害者とされたHや I との友好的で対等な友達関係からいえば、いじめ加害者として、校長訓戒をうけるような加害行為とは認められない」というものであった。Gとその保護者も、明確には学校側に主張をしてはこなかったものの、Fと同様の考えを抱いており、FとGの両者から処分内容に対する納得が得られず、校長訓戒が、行い難い状況になった。
  また、もう一つの問題は、Hが自分を「喧嘩をさせられた被害者」として扱われることが承服できず、自分も、理由はともあれ、喧嘩を仕掛けたこと事実であるから、自分も、加害生徒F、Gが学校にもどるまでは、学校に登校しない意思であることを、保護者を通じて学校側に伝えてきたのである。そして、当然のことながら、このような状況のなかで、被害者である I も、「クラス内での友達関係にヒビが入り、クラス内で居づらくなるのではないか」という心配をしていた。
  このような事態のなかで、今回のいじめ事件の事実確認を行った日の特別指導委員会で決定した懲戒処分が、その日のうちには、実施できない状況となった。したがって、FとGは校長訓戒ができないまま、実質的に家庭謹慎が継続する状況となっていた。
  そこで再度、このいじめ事件をどう取り扱うかについて、この事件にかかわる学年担任団の学年会(学年主任、学年副主任(学級担任兼務)、学級担任、副担任によって構成)が開かれ、それに続いて、担当校長、教頭、生徒指導部長、学年主任、学年副主任、当該生徒らの担任(代理を含む)の協議の場が設けられた。そして、Fらの主張する傍観者への指導については、別途、きちんとした指導を行うこととし (12) 、当該生徒らに対する指導としては、@加害者と被害者に峻別された生徒たちの人間相互の「関係修復」を図ることを目指し、A加害生徒が、被害者との対話を通じて、いじめ行為に対する「問題認識」を深め、B当該生徒のみならず保護者をも含めた関係者の自発的参加と合意を前提とした、対話と和解の指導に取り組むことについて、校長を含めた教職員の合意が形成された。
  このような生徒指導上の新たな実践は、被害者・加害者間の関係修復を目指すという理念、両者の自発的意思に基づく対話による解決という手法、その和解の結果がその後の公的な生徒懲戒処分の決定・実施に影響を与えうる手続的意義という意味において、修復的司法の理念とVOMの手法に学び、それを活用する意図のもとに、実施されたものということができる。そして、担当学年団をはじめとする学校教職員が、「修復的司法」の理念と手法の活用を意図した、このような取り組みは、少なくとも公刊物上、これまでの我が国にとって実践例のない生徒指導事例といえよう。

(2)VOMによるいじめ指導

 (イ)出席者
  出席者は、今回の事件に関わったE、F、G、H、 I の5名の生徒とその保護者及び、学校側からは、当該クラスの担任と学年副主任が参加し、ファシリテイター(進行役)は第1回目のVOMカンファレンスについては、学年主任が、第2回目のVOMカンファレンスについては、学年副主任がつとめた。

 加害生徒E Hに対して、言葉と有形力を用いて喧嘩を仕掛けさせた
 加害生徒F 喧嘩を仕掛けるような言動をしたが、その行為について、
        深刻なこととは考えていない。
 加害生徒G 喧嘩を仕掛けるような言動をしたが、その行為について、
        一定の反省をしている。
 被害生徒H Eらからの挑発行為の後、 I に喧嘩をしかけ、負傷。
 被害生徒 I Hから喧嘩をしかけられ、負傷。

  このVOMカンファレンスは、2回に分けて行われた。第1回VOMカンファレンスは、加害生徒Eと被害生徒H及び I とそれぞれの保護者によって行われ。第2回VOMカンファレンスは、加害生徒F及びGと被害生徒H及び I で行われ、Fの保護者は同席、他の保護者はカンファレンスへの参加を辞退し、カンファレンス後に内容を学校から報告・説明することとした。

 (ロ)第1回VOMカンファレンス
学年主任 (ファシリテイター)  まず、それぞれの生徒本人から、今の気持ちを話してもらいましょう。
H君や I 君に、喧嘩を仕掛けさせたことは、本当に悪いことをしたと思います。ごめんなさい。
僕も「やって来い」とか言われて、 I に殴りかかっていったので、悪かったと思うし、E君がホントに反省してくれているなら、それでいいと思う。僕が、そういうことをしたから、F君やG君まで学校に来れなくなって、悪いことをしたと思う。僕さえ、殴りかかるようなことをしなかったら、こんなことにはならなかったと思って、ものすごく反省しています。
 I 皆が、反省して、謝ってくれて、これからこんなことがなくなるなら、僕はそれで、いいと思う。
学年主任生徒の話を聞いてもらいましたが、保護者の方は、どのようにお考えですか。
Eの父今回のことは、学校から連絡を受けて、はじめて知って、驚いていますし、親としての指導も甘かったと思います。治療費の補償も含めて、できる限りのことはさせていただきます。本当に、申し訳ございませんでした。
Hの父子どもの言うとおりです。うちの子にも、反省するべきところが、かなりありますし、 I 君には、大変悪いことをした。親としての指導不行き届きがあったと思っています。
 I の母少し子どもたちに訊いてみたいことがあるのですが、よろしいでしょうか。
学年主任結構ですよ。
 I の母E君は、自分のしたことのどういうところが、悪かったと思いますか。
(少し考えて)H君の背中を蹴ったりして、喧嘩させたこと。
 I の母確かに、H君には、ほんとに悪いことをしたと思っているのよね。それだけかしら。
I 君とH君が怪我をしたこと。
 I の母E君には弟さんか妹さんはいますか。
妹がいます。
 I の母E君の妹さんが、友達に、こういうことをされたら、E君はどう思うかな。
ものすごく、腹が立つ。
 I の母もし人が、自分のせいで怪我をして、例えば顔に傷でも残ったら、どうしようもないよね。そういうことを考えたことはあるかな。
そういうことは、考えたことがないです。
Hの父(Hに対して)おまえは、そういうことを考えたことあるんか。
ない。
Hの父(Hに対して)そう言うと思うたけどな、こういうことをして、やったほうの親もされたほうの親も、どういう気持ちになるか、わかるやろ。
・・・。
Hの父本当に、悲しい気持ちになるんやで。
ウン。
 I の母(Eに対して)軽い冗談のつもりでしたことが、たくさんの人を、ものすごく傷つけたり、場合によっては、「取り返しのつかないことになってしまう」ということ。そして、そんなことになったら、被害を受けた方だけではなくて、「やってしまった方も、大変な思いをしなくてはならない」ということをわかってほしかったのよ。
はい。
Eの母 I 君の母さんがおっしゃることは、よくわかります。私の子どもは、何がどう悪いのか、よくわかっていないところがあり、この場で、お話をしていただいたことで、少しは反省ができたのではないかと思います。本当に申し訳ありませんでした。
学年主任今後の学校での指導について、保護者の方のご意見がありましたら、お願いします。
 I の母このような機会をつくっていただいたことで、十分だと思います。
Hの父怪我をしたとはいえ、うちの子(H)も、実際に悪いところがあるし、E君については、できるだけ寛大な措置をお願いしたいと思います。
Eの父 I 君の母さんが、ここで話されたことは、うちの子にとっては、本当にこれから考えを改めていかないといけないことで、また家でも、いい聞かせていきたいと思います。また、皆さんの暖かい言葉も、身にしみました。ありがとうございました。
学年主任(生徒対して)最後にいいたいことがあれば、言ってください。
自分のしたことが、どういうふうに、ほかの人に悪い影響を与えるか、少しは、わかった。本当にごめんなさい。
僕も、やっぱり、被害者というだけじゃないし、悪かったと思う。F君やG君とも、ちゃんと、こうやって話しをして、謝りたい。
 I 皆、最初、謝ってくれたときよりは、もっと反省できたように思う。僕も、F君やG君と、この後、話ができれば、いいたいことがあります。
学年主任以上のお話の様子は、特別指導の会議で伝え、それを踏まえて、今後の指導内容を考えいきたいと思います。本日は、どうもありがとうございました。

 (ハ)第2回VOMカンファレンス
学年副主任(ファシリテイター)  まず、それぞれの生徒本人から、言いたいことを話してください。
H君に「たたいて来い」みたいなことを軽はずみに言って、 I 君と喧嘩させるみたいになって、自分が悪かったところは、反省しています。
僕も、同じです。冗談でも、人を戦わせるみたいなことは、よくないし、してはいけないことをしたと思います。
この前の会でも言ったけど、「やって来い」とか言われて、 I に殴りかかっていったので、悪かったと思うし、僕が、そういうことをしなかったから、F君やG君も、こんなこと(謹慎処分)にならなくてよかったと思うので、悪いことをしたと思います。ごめんなさい。
 I H君に訊きたいことがあるんですけど、いいですか。
学年副主任いいですよ。
 I 僕に殴りかかってきたとき、どういうきもちだったのか、訊きたいです。
・・・。
 I H君は、僕のことを、軽い奴とか、弱い奴と思っていたんじゃないの。
「弱い」とか、じゃなくて、「あんまり反撃してこないやろうなぁー」と思って。
 I それって、本当は、人間に上下とかはないんだけど、僕のことを「自分よりも下」に見たということかな。
下に見るということはないけど、 I 君が、人に優しいところに付け込んだと思う。そういう自分が、一番いけないし、悪かったところと、あれから反省して、今は思っている。
( I に対して)じゃ、なんで、あの時は、 I 君は、いつもと違って、あんなに殴り返していったのか、分からなかったけど。
 I それは、Hが僕を下に見ていたように思って、それが許せなかったという感じ。
H君が、F君や僕が「やって来い」みたいに軽く言ったことで、 I 君を叩きに行ったという話になっているんだけど、そんなにF君や僕の言ったことが、H君にプレッシャーになったとは思われないんだけど。
G君やF君からは、少し前の家庭科の実習のときに、叩かれたこともあったから、やっぱり、怖かったから。
あの家庭科の実習のときに、背中を叩いたのは、H君が包丁をもっている時に、つまらない冗談をいったりしいて、危ないから、ちゃんとしろと言って、叩いたということだから、ちょっと、それで怖いというのは、どうかな。
それに、僕も逆に、体育の授業の後で、着替え中に、H君に後ろから叩かれたことがあって、結構痛かったから覚えているんだけど、叩かれて、いやな思いとか怖いというのが自分の気持ちにあるんなら、そこも、相手のことを考えて反省してほしい。
はい。されたことばかり覚えていて、そういう、自分がやったことは、よく覚えてないけど、本当に、そういうことがあったように思うし、ごめんないさい。
 I (Hに対して)じゃあ、どうして、そういうふうに、人を叩いたり、いろいろちょっかいをだしてしまうのか。その理由を訊きたいんだけど。
なんか。そういうふうにするのが、普通になっているというか・・・。(ちょっと考えて、はっきりした答えが見つからない様子)
普通って言うのは、おかしいよな。でも、そういう空気を作っているのは、僕らかもしれへんから、だめなことなんだけど。何もないのに、叩くっていうのは、友達になりたいけど、あんまりクラスで、仲のいい友達がいないから、僕らのところへ寄ってきて、それで、いろいろちょっかいをだしてしまうという感じではないの。そんなふうに感じるんだけど。だから、E君の言うような「しばいて来い」とか無茶なことを言われても、仲間のしるしみたいに、喧嘩し掛けていったりしたんちゃうかなって、思うんだけど。
(しばらく考えて)そうやな。
学年副主任かなり、今回のことについて、それぞれの人の心の動きや背景も、はっきりしてきたように思いますが、それぞれ、今後の反省点とかは、どうですか。
こうやって考えてみると、H君があまり友達もいなくて、寂しい思いをしているのを知りながら、それを逆に、とって、「自分のおもしろいように」というか、「悪いことをさせて楽しむ」みたいな雰囲気をつくっていたことは、本当に反省しています。自分では、何もしていない、というか、そんなに悪いことをしたつもりはかったけれども、やっぱり、これは「いじめ」の一種だと思いました。自分も、やられたときのことは、よく覚えているのに、人には、自分が思った以上に、ひどいことをしているのだな、とかプレシャーをかけているのだなと思いました。
F君がいっていたように、これまでも、今回のようなことは、あったのに、はやし立てたりはしなくても、「やれ。やれ。」みたいな感じで、それを傍から見ていて、それがH君のいうようなプレッシャーになっていたんだなと反省しました。
 I 僕も、これまでも、今回よりは軽かったけども、同じようなことは、あったのに、そのときは、「自分が我慢したらいい」という感じとか、「まぁ、いいか」とか「H君が悪いから」とか見逃していて、これが「いじめだ」という意識が低かったと思います。今考えれば、自分がキレて人に怪我させるよりも、もっと早くに、先生に相談するとか、やれることはいろいろあったと思います。
F君の話で、自分がなぜ、あんなことをしていたのか、わかったような感じです。やっぱり、友達と仲良くやっていきたいし、その仲良くする仕方が、わかってなかったというのが、なんだか、ちょっと恥ずかしいことだなと。とにかく、E君もF君もG君も皆はやく、学校に戻ってきてほしいです。
学年副主任皆が、ここで気づいたことは、大変、意味のあることがたくさん含まれていましたし、教えられるのではなく、自らの力で考えて、そのようなことが理解できたことに大きな意義があると思います。では、ここでの皆の話したことは、このあとの先生方の会議で伝え、君たちの反省が深まったことを踏まえて、今後の指導内容を考えいきたいと思います。

(3)カンファレンス後の処分の決定内容

E  家庭謹慎(5日)ただし、すでに金曜日から月曜日まですでに、4日間家庭において謹慎期間をすごしていたため、同委員会実施日(月曜日)翌日である火曜日に、反省経過良好として、謹慎解除予定とする。
FとG反省経過良好として、直に、校長訓戒を実施し、学校生活に復帰(VOMカンファレンス後FとGの保護者も同処分に同意)。
Hと I 個々に反省すべき点は、すでに自覚しているとして、生徒懲戒にかかわる処分はなし。カンファレンス後に直ちに、授業に参加。またHと I ともに、授業出席に意欲的であった。


4.本事例の総括と課題


  この事例に関しては、カンファレンス実施の前に、参加の応諾に関して、本人及び保護者に参加の意思確認をしたほか、参加する生徒に対しては、事前に話をしたいこと、言いたいことをメモ書き程度であるが、文書を作成させ、これを予め、ファシリティター役の教員が読んで、カンファレンスの進行について、一定の見通しもってカンファレンスに臨んだ。
  また、カンファレンスの参加者には、カンファレンスの趣旨である「関係修復」の目的に理解を得るとともに、このカンファレンスの内容と結果が、今後の学校としての処分決定に影響があることも、伝えて、カンファレンスの位置づけに関しても、共通理解が得られるよう努めた。このことは、カンファレンスにおける、参加者の感情的な言動をコントロールする歯止めとなり、理性的で前向きな討議となるために、一定の効果があったと考えられる。
  また、2回のカンファレンスの結果、関係する全ての生徒が、その後の学校からの指導に対して、肯定的となり、学習活動の取り組みについても、担任及び各授業担当教員の視点から見て改善がみられた。
  もちろん、このケースについてのVOMの手法が、すべてのケースに適用できるようなものとは言い切れない。
  むしろ、今後のそれぞれのケース毎に、「カンファレンス召集の決定をどのように連絡するか」、「誰をカンファレンスに参加させるのか」、「参加者に対してどのように趣旨を理解させるか」 (13) など、検討すべき課題は、多いように思われる。
  しかし、今日の我が国における修復的司法の適応状況、すなわち少年司法の現場においても、なかなか修復的司法の導入が、一般的になっていないという現状を考えれば、まず、修復的司法の活用が可能なマンパワーのある現場において、その適用が望ましいと思われる状況が存するとき、これに取り組むことは、それ自体意味のあることといえよう。このような修復的司法実践の試みは、例え、その取り組みが十分な結果を得られなかったとしても、決して無益ではない。その反省からあらたな修復的司法の実践が、より前進したかたちで実現されていくように思われる。


5.生徒指導と修復的司法


  いじめ事件への対応など、生徒指導に関わる事件については、保護者と学校との意向に齟齬が生じ、生徒への指導がスムーズに進展しないケースが増加傾向にある。そのようなトラブルの解決のためには、保護者と教職員とのコミュニケーションをより一層密にし、子どものよりよい発達のために、相互理解を深めていく必要がある (14)
  その意味では、生徒指導に関わる事態が発生し、非常に厳しい状況が現出したときにこそ、より一層、真摯にコミュニケーションをはかる場を設け、教職員と保護者そして、子どもたち自身が共同しあえるシステムを構築していかねばならない。そうであるならば、修復的司法を日本の学校システムのなかに、取り入れられていく条件は、十分あるであろうし、その意義は決してすくなくはないであろう。
  本稿は、いじめ事件への修復的司法の適用事例を紹介したものであるが、その課題と評価については、今後、より多くの実践事例の積み重ねと、その実証的な評価調査を待たねばならない。同研究会の報告後の討議においても、このような修復的カンファレンスを教育法的にどのような段階で実施するのか、その制度的枠組みのビジョンをどのように考えるかなど、検討すべき重要なテーマは数多い。この拙稿がVOM導入の可能性を考究する一助となれば幸いである。



< 注 >
1. 平成18年10月29日文科省初等中等教育局長711号
2. 教育再生会議「いじめ問題への緊急提言−教育関係者、国民に向けて−」平成18年11月29日。同提言に関する教育実践の視点からの批判的検討については、吉田卓司「教育再生会議「いじめ緊急提言」の検討−修復的司法の視点から−」全国教育法研究会会報72号(2007年)参照。
3. そもそも、教育再生会議の提言は、立案の基礎となる公的資料にさえも信頼性を欠くという状況である。例えば、教育再生会議の第1回学校再生分科会・規範意識・家族・地域教育再生合同分科会では、いじめが、「昭和60(1985)年度20年間にわたって減少しつづけている」という実態と乖離した「いじめ発生件数の推移」等の文科省統計を「資料(8−1)」として委員に配布しているほか、文部科学省の統計報告において「1999〜2005年度にいじめを苦にした児童・生徒の自殺件数」をゼロとしていることについて、被害者遺族やメディア等関係者から様々な疑問と批判の声が相次ぎ、文部科学省自らがいじめ自殺の可能性がある一部の事例について再調査したところ、41件中の14件でいじめが確認されている。このような客観性に乏しい資料を第1回の議論の出発点として提起された提言に対して、科学的、教育的な観点から、十分な検証が行われる必要があろう。読売新聞2007年2月2日版、毎日新聞等2007年1月29日版参照。
4. 前野育三教授は、英語圏や北欧諸国におけるRestorative Justiceの汎用状況に鑑み「Restorative Justiceは、司法の枠をはるかに超えて、社会における揉め事の解決方法として、近代以前の伝統のよい部分を近代社会に適合的なものに改良して広めようという、ひとつの社会運動であると解釈しなければ理解できない局面がある。それは司法の対象となるような大きな事件のダイヴァージョンとして用いられるだけでなく、より日常的な小さな紛争の、最も平和的で満足度の高い解決方法の追求である」と述べられている。本稿においても、Restorative Justiceの語義を、被害者と加害者の主体的な参加を前提とする紛争調停のシステムであるとともに、それを支える理念ととらえたうえで、Restorative Justiceの訳として、「修復的司法」の訳語を用いる。前野育三・吉田卓司「修復的司法と市民社会(四)」関西学院大学法政学会『法と政治』54巻1号151頁。なお、同時に、被害者側と加害者側の両者の主体的参加に基づく和解手続も、修復的司法の重要な要素といえるが、本稿では、それをVOMと略記する場合があることを、あらかじめ記しておきたい。
5. Restorative Justice and Civil Society, edited by Heather Strang and John Braithwaite, Cambridge University Press, 2001. 同書は、それぞれ独立した14章の論文から構成されており、学校教育における修復的司法については、12章と13章に述べられている。吉田卓司「修復的司法と市民社会(四)」関西学院大学法政学会『法と政治』54巻1号152頁以下(2003年)は、その第12章リサ・キャメロン、マーガレット・ソースボーン「修復的司法と学校懲戒−両者は互いに排斥しあうものであろうか」の全訳である。また、同「修復的司法と市民社会(七)」関西学院大学法政学会『法と政治』54巻4号35頁以下(2003年)は、同書第13章ブレンダ・モリソンソ「学校システム−市民社会の統制におけるその能力の進展」の全訳であり、オーストラリアにおける学校の生徒指導事件に対する修復的司法の実践について、その修復的司法的生徒指導の評価に関する実証的研究である。
6. 東京都は修復的司法を活用した実際の授業の実例として「万引の被害に遭った店と学校とが協力して万引被害の実態、被害に遭った店の苦悩、万引犯を捕まえた時にどのように対応すべきか等について話し合う」、「イギリスのテムズバレー警察で採用されているように、被害者と加害者とが参加する修復的なカンファレンス(会議)を活用し、被害者と加害者がお互いの思いを率直に話し合って問題を解決すること」を例示している(報道発表資料2004年8月)。このテムズバレー警察の修復的なカンファレンスとは、イギリスの1998年犯罪及び秩序違反法(Crime and Disorder Act 1998)に基づいて行われているものであるが、同法65条が、警察官に司法前処理として、叱責(reprimand)と警告(warning)という処分の権限を与え、さらに66条によって、警察官は警告を与えた犯罪少年を、少年犯罪チームに送致しなければならず、少年犯罪チームは、当該少年を評定し、当該少年が、再犯を回避し社会復帰するためのプログラムに参加するように手配しなければならないとされていることから、この叱責・警告の制度を利用して、テムズバレー警察が、被害者と加害者が参加する修復的カンファレンスを導入しているものであり (小宮信夫「イギリスの修復的司法−少年犯罪とコミュニティ−」日本刑事政策研究所「罪と罰」40巻4号(平成15年8月号)参照)、学校教育における修復的司法の導入とは、かなり異質のものと言わざるをえない。
7. オーストラリアの調査研究では、カンファレンスに参加した関係者の99%が「他者から理解されていると感じ」、被害者の89%が「カンファレンスから自分たちに必要なものが得られた」と報告している(前掲拙稿「修復的司法と市民社会(四)」154頁以下)。
8. なお、北欧諸国の修復的司法についても、参照すべき点は、多いように思われる。吉田卓司「フィンランドの修復的司法」関西学院大学法政学会『法と政治』58巻1号165頁以下(2007年)参照
9. 日本における修復的司法の導入を提言するものとして、細木正文「ゼロ・トレランス批判と代替施策の模索―学校における修復的司法」『季刊教育法』153号28頁。
10. 本事例の記述に際しては、個々の生徒の特定を回避する目的から、非本質的な部分については、改変を加えている。なお、修復的司法の事例研究を含むものとして、Jim Consedine / Helen Bowen RESTORATIVE JUSTICE : Contemporary Themes And Practice,(前野育三、高橋貞彦監訳、ジム・コンセディーン、ヘレン・ボーエン編「修復的司法−現代的課題と実践−」関西学院大学出版会2001年)訳書156頁以下参照。
11. 吉田卓司「生徒指導法を学ぶ」三学出版、2004年、54頁参照。
12. なお、本件とは別に、いじめ防止のための指導として、「いじめに第三者なし」との観点から、本件に直接的には関わりがない生徒たちも含めて、学年全体を体育館に集め、いじめ行為について、スクールカウンセラーのT先生からロールプレイを含む講話を聞く機会を設けた。
  講話の内容は、いじめの構造として、@被害者自身、A被害者に暴言・暴力や嫌がらせをする直接的加害者、Bいじめ行為をはやしたてるなど加勢、助長する者、Cいじめ行為を見て見ぬフリをする傍観者の四者が存在するということの説明があり、実際にカウンセラー自らが講堂の真ん中に位置して、いじめ被害者の役を演じ、本件加害生徒Eが、被害者の役のカウンセラーに「のろま」、「ボケ」、「ハゲ」などの暴言を吐き、これに他の数名の生徒が「もっとやれ、やれ」とはやしたてる役を演じた。そして、他の多くの生徒は、これをじっと見ているか、関心のない態度をとっている、というロールプレイ体験をしてみせたのである。そして、「自分は何も悪いことはしていない」と思っている傍観者の人も、いじめをしりながら、傍観視することは、いじめの被害者の視点から見れば、直接の加害者と同様に、被害者を心理的に追い詰め、孤独感、無力感を与えているということを当該学年の全体が理解する契機となるよう講話をしめくくった。
 なお、この講話の実施については、事前に被害生徒側の要望を考慮し、内容についての了解を得た上で実施した。
13. 前掲拙稿「修復的司法と市民社会(四)」166頁以下
14. 小野田正利『悲鳴をあげる学校』旬報社(2006年)





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